飴チョコの天使
小川未明
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青い、美しい空の下に、黒い煙の上がる、煙突の幾本か立った工場がありました。その工場の中では、飴チョコを製造していました。
製造された飴チョコは、小さな箱の中に入れられて、方々の町や、村や、また都会に向かって送られるのでありました。
ある日、車の上に、たくさんの飴チョコの箱が積まれました。それは、工場から、長いうねうねとした道を揺られて、停車場へと運ばれ、そこからまた遠い、田舎の方へと送られるのでありました。
飴チョコの箱には、かわいらしい天使が描いてありました。この天使の運命は、ほんとうにいろいろでありました。あるものは、くずかごの中へ、ほかの紙くずなどといっしょに、破って捨てられました。また、あるものは、ストーブの火の中に投げ入れられました。またあるものは、泥濘の道の上に捨てられました。なんといっても子供らは、箱の中に入っている、飴チョコさえ食べればいいのです。そして、もう、空き箱などに用事がなかったからであります。こうして、泥濘の中に捨てられた天使は、やがて、その上を重い荷車の轍で轢かれるのでした。
天使でありますから、たとえ破られても、焼かれても、また轢かれても、血の出るわけではなし、また痛いということもなかったのです。ただ、この地上にいる間は、おもしろいことと、悲しいこととがあるばかりで、しまいには、魂は、みんな青い空へと飛んでいってしまうのでありました。
いま、車に乗せられて、うねうねとした長い道を、停車場の方へといった天使は、まことによく晴れわたった、青い空や、また木立や、建物の重なり合っているあたりの景色をながめて、独り言をしていました。
「あの黒い、煙の立っている建物は、飴チョコの製造される工場だな。なんといい景色ではないか。遠くには海が見えるし、あちらにはにぎやかな街がある。おなじゆくものなら、俺は、あの街へいってみたかった。きっと、おもしろいことや、おかしいことがあるだろう。それだのに、いま、俺は、停車場へいってしまう。汽車に乗せられて、遠いところへいってしまうにちがいない。そうなれば、もう二度と、この都会へはこられないばかりか、この景色を見ることもできないのだ。」
天使は、このにぎやかな都会を見捨てて、遠く、あてもなくゆくのを悲しく思いました。けれど、まだ自分は、どんなところへゆくだろうかと考えると楽しみでもありました。
その日の昼ごろは、もう飴チョコは、汽車に揺られていました。天使は、真っ暗な中にいて、いま汽車が、どこを通っているかということはわかりませんでした。
そのとき、汽車は、野原や、また丘の下や、村はずれや、そして、大きな河にかかっている鉄橋の上などを渡って、ずんずんと東北の方に向かって走っていたのでした。
その日の晩方、あるさびしい、小さな駅に汽車が着くと、飴チョコは、そこで降ろされました。そして汽車は、また暗くなりかかった、風の吹いている野原の方へ、ポッ、ポッと煙を吐いていってしまいました。
飴チョコの天使は、これからどうなるだろうかと、半ば頼りないような、半ば楽しみのような気持ちでいました。すると、まもなく、幾百となく、飴チョコのはいっている大きな箱は、その町の菓子屋へ運ばれていったのであります。
空が、曇っていたせいもありますが、町の中は、日が暮れてからは、あまり人通りもありませんでした。天使は、こんなさびしい町の中で、幾日もじっとして、これから長い間、こうしているのかしらん。もし、そうなら退屈でたまらないと思いました。
幾百となく、飴チョコの箱に描いてある天使は、それぞれ違った空想にふけっていたのでありましょう。なかには、早く青い空へ上ってゆきたいと思っていたものもありますが、また、どうなるか最後の運命まで見てから、空へ帰りたいと思っていたものもあります。
ここに話をしますのは、それらの多くの天使の中の一人であるのはいうまでもありません。
ある日、男が箱車を引いて菓子屋の店頭にやってきました。そして、飴チョコを三十ばかり、ほかのお菓子といっしょに箱車の中に収めました。
天使は、また、これからどこへかゆくのだと思いました。いったい、どこへゆくのだろう?箱車の中にはいっている天使は、やはり、暗がりにいて、ただ車が石の上をガタガタと躍りながら、なんでものどかな、田舎道を、引かれてゆく音しか聞くことができませんでした。
箱車を引いてゆく男は、途中で、だれかと道づれになったようです。
「いいお天気ですのう。」
「だんだん、のどかになりますだ。」
「このお天気で、みんな雪が消えてしまうだろうな。」
「おまえさんは、どこまでゆかしゃる。」
「あちらの村へ、お菓子を卸しにゆくだ。今年になって、はじめて東京から荷がついたから。」
飴チョコの天使は、この話によって、この辺には、まだところどころ田や、圃に、雪が残っているということを知りました。
村に入ると、木立の上に、小鳥がチュン、チュンといい声を出して、枝から、枝へと飛んではさえずっていました。子供らの遊んでいる声が聞こえました。そのうちに車は、ガタリといって止まりました。
このとき、飴チョコの天使は、村へきたのだと思いました。やがて箱車のふたが開いて、男ははたして飴チョコを取り出して、村の小さな駄菓子屋の店頭に置きました。また、ほかにもいろいろのお菓子を並べたのです。
駄菓子屋のおかみさんは、飴チョコを手に取りあげながら、
「これは、みんな十銭の飴チョコなんだね。五銭のがあったら、そちらをおくんなさい。この辺りでは、十銭のなんか、なかなか売れっこはないから。」
といいました。
「十銭のばかりなんですがね。そんなら、三つ四つ置いてゆきましょうか。」と、車を引いてきた若い男はいいました。
「そんなら、三つばかり置いていってください。」と、おかみさんはいいました。
飴チョコは、三つだけ、この店に置かれることとなりました。おかみさんは、三つの飴チョコを大きなガラスのびんの中にいれて、それを外から見えるようなところに飾っておきました。
若い男は、車を引いて帰ってゆきました。これから、またほかの村へ、まわったのかもしれません。同じ工場で造られた飴チョコは、同じ汽車に乗って、ついここまで運命をいっしょにしてきたのだが、これからたがいに知らない場所に別かれてしまわなければなりませんでした。もはや、この世の中では、それらの天使は、たがいに顔を見合わすようなことはおそらくありますまい。いつか、青い空に上っていって、おたがいにこの世の中で経てきた運命について、語り合う日よりはほかになかったのであります。
びんの中から、天使は、家の前に流れている小さな川をながめました。水の上を、日の光がきらきら照らしていました。やがて日は暮れました。田舎の夜はまだ寒く、そして、寂しかった。しかし夜が明けると、小鳥が例の木立にきてさえずりました。その日もいい天気でした。あちらの山あたりはかすんでいます。子供らは、お菓子屋の前にきて遊んでいました。このとき、飴チョコの天使は、あの子供らは、飴チョコを買って、自分をあの小川に流してくれたら、自分は 水のゆくままに、あちらの遠いかすみだった山々の間を流れてゆくものを空想したのであります。
しかし、おかみさんが、いつかいったように、百姓の子供らは、十銭の飴チョコを買うことができませんでした。
夏になると、つばめが飛んできました。そして、そのかわいらしい姿を小川の水の面に写しました。また暑い日盛りごろ、旅人が店頭にきて休みました。そして、四方の話などをしました。しかし、その間だれも飴チョコを買うものがありませんでした。だから、天使は空へ上ることも、またここからほかへ旅をすることもできませんでした。月日がたつにつれて、ガラスのびんはしぜんに汚れ、また、ちりがかかったりしました。飴チョコは、憂鬱な日を送ったのであります。
やがてまた、寒さに向かいました。そして、冬になると、雪はちらちらと降ってきました。天使は田舎の生活に飽きてしまいました。しかし、どうすることもできませんでした。ちょうど、この店にきてから、一年めになった、ある日のことでありました。
菓子屋の店頭に、一人のおばあさんが立っていました。
「なにか、孫に送ってやりたいのだが、いいお菓子はありませんか。」と、おばあさんはいいました。
「ご隠居さん、ここには上等のお菓子はありません。飴チョコならありますが、いかがですか。」と、菓子屋のおかみさんは答えました。
「飴チョコを見せておくれ。」と、つえをついた、黒い頭巾をかぶった、おばあさんはいいました。
「どちらへ、お送りになるのですか。」
「東京の孫に、もちを送ってやるついでに、なにかお菓子を入れてやろうと思ってな。」と、おばあさんは答えました。
「しかし、ご隠居さん、この飴チョコは、東京からきたのです。」
「なんだっていい、こちらの志だからな。その飴チョコをおくれ。」といって、おばあさんは、飴チョコを三つとも買ってしまいました。
天使は思いがけなく、ふたたび、東京へ帰っていかれることを喜びました。
あくる日の夜は、はや、暗い貨物列車の中に揺すられて、いつかきた時分の同じ線路を、都会をさして走っていたのであります。
夜が明けて、あかるくなると、汽車は、都会の停車場に着きました。
そして、その日の昼過ぎには、小包は宛名の家へ配達されました。
「田舎から、小包がきたよ。」と、子供たちは、大きな声を出して喜び、躍り上がりました。
「なにがきたのだろうね。きっとおもちだろうよ。」と、母親は、小包の縄を解いて、箱のふたを開けました。すると、はたして、それは、田舎でついたもちでありました。その中に、三つの飴チョコがはいっていました。
「まあ、おばあさんが、おまえたちに、わざわざ買ってくださったのだよ。」と、母親は、三人の子供に一つずつ飴チョコを分けて与えました。
「なあんだ、飴チョコか。」と、子供らは、口ではいったものの喜んで、それをば手に持って、家の外へ遊びに出ました。
まだ、寒い、早春の黄昏方でありました。往来の上では、子供らが、鬼ごっこをして遊んでいました。三人の子供らは、いつしか飴チョコを箱から出して食べたり、そばを離れずについている、白犬のポチに投げてやったりしていました。その中に、まったく箱の中が空になると、一人は空箱を溝の中に捨てました。一人は、破ってしまいました。一人は、それをポチに投げると、犬は、それをくわえて、あたりを飛びまわっていました。
空の色は、ほんとうに、青い、なつかしい色をしていました。いろいろの花が咲くには、まだ早かったけれど、梅の花は、もう香っていました。この静かな黄昏がた、三人の天使は、青い空に上ってゆきました。
その中の一人は、思い出したように、遠く都会のかなたの空をながめました。たくさんの煙突から、黒い煙が上がっていて、どれが昔、自分たちの飴チョコが製造された工場であったかよくわかりませんでした。ただ、美しい燈が、あちらこちらに、もやの中からかすんでいました。
青黒い空は、だんだん上がるにつれて明るくなりました。そして、行く手には、美しい星が光っていました。
底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
1977(昭和52)年1月10日第1刷
1981(昭和56)年1月6日第7刷
初出:「赤い鳥」
1923(大正12)年3月
※表題は底本では、「飴チョコの天使」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:本読み小僧
2012年9月18日作成
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