汽車の中のくまと鶏
小川未明
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ある田舎の停車場へ汽車がとまりました。その汽車は、北の方の国からきて、だんだん南の方へゆくのでありました。どの箱にも、たくさんな荷物が積んでありました。どこかの山から伐り出されたのであろう、材木や掘り出された石炭や、その他いろいろなものがいっぱいに載せられていました。その中の、一つの箱だけは、扉がひとところ開いていました。そして、その中には、黒い鉄のがっしりしたかごの中に、一頭の大きなくまが、はいっていました。
北の寒い国で捕らえられた、この力の強い獣物は、見せ物にされるために、南の方へ送られる途中にあったのです。しかし、くまには、そんなことはわかりませんでした。ただ太い鉄棒でつくられたかごの中へ入れられて、そのかわいらしい円い目で、珍しそうに、移り変わってゆく、外の景色をながめていたのでありました。このくまにも、親や兄弟はあったのでありましょう。しかし、それらは、いま険阻な山奥に残っていて、捕らえられたくまのことを思い出しているかもしれませんが、そのくまの故郷は、だんだん遠くなってしまったのです。このくまも、やはり毎日駆けまわった山や、谷や、河のことを思い出しているのかもしれませんでした。そのとき、ちょうど停車場の構内に、鶏が餌をさがしながら歩いていました。ふと鶏は頭をあげると、貨車に鉄のかごがのせられてあって、その内から真っ黒な怖ろしい動物が、じっと円い光る目で、こちらを見ているのに出あってびっくりいたしました。鶏は、コッ、コッ、といって、友だちを呼ぼうとしました。すると、くまは、穏やかに話しかけました。
「私は、おまえさんをどうしようとするのでない。こんなかごの中へはいっているのでは、どうすることもできないではありませんか。私は、先刻から、おまえさんが餌を探しているのを見ていたが、なぜそんな砂地などをあちこちと歩きまわって、見つかりもしないのに、餌などを探しているのですか。おまえさんの大好きな米も、豆も、きびも、どこの野原にもたくさんあるじゃありませんか。なぜ、それを取って食べないのです。」
鶏は、怖ろしいと思ったくまが、あまりやさしいので、二度びっくりいたしました。
「そうですか、どこにそんなにたくさん、米や、きびがあるのですか、教えてください。」と、鶏はいいました。くまは、かごの格子の目から、大きな体に比較して、ばかに小さく見える頭をば上下に振って、あたりをながめていました。
「なるほど、ここは家ばかりしか見えませんね。私は、ここまでくる長い間、どれほど、あなたがたが自由にすめる、いい場所を見てきたかしれません。おそらく、これからゆく先の途中にも、そんなようなところを見るでありましょう。幸いいまだれも見ていません。おまえさんは、私の乗っているこの貨車の中へお入りなさい。そして、いいところへ、私がつれていってあげますから。」と、くまはいいました。鶏は、きょときょとした目つきで、くびを伸ばしてあたりを見まわしました。
「ほんとうに、だいじょうぶでしょうか?」
「だいじょうぶですとも。私は、かごの中へ入っていてもほえられます。もし、だれか私たちのいるところへやってきたなら、私は、ほえてやります。みんなは怖ろしがって、私たちに、近づくものはないでしょう。」と、くまはいいました。くまの力強い言葉に、小さな鶏はまったく打たれてしまいました。そして、ついに、うす暗い貨車の中へ飛び上がりました。
「汽車の出るまで、あのすみにしゃがんでいなさい。」と、くまはいいました。鶏は、くまのいうままにしました。だれも、鶏の貨車に入ったことを気づくものがありませんでした。そのうちに笛がひびいて、ゴト、ゴト、と鳴って、汽車が動きはじめました。しばらくするとくまは、このときまで、まだ、うす暗い片すみにじっとしている鶏の方を向いて、
「もうだいじょうぶだ。だれも、ここへはやってこないから安心なさい。そして、まあここから、ちょっと外をのぞいてごらんなさい。あんなにきびが実っているじゃありませんか。あちらの田には、あんなに米が実っているじゃありませんか。おまえさんがどこへ降りようとかってなんだ。」といいました。鶏は、怖る怖る、扉の開いたすきまから、外をながめました。田も圃も、見渡すかぎり黄色に実っていました。
「なるほど、みんな熟していますね。しかし、私たちがあれをとって食べたら、人間が怒るでありましょう。」
「だれが、それを見ているものですか。かってに降りて、食べるがいい。」と、くまはいいました。鶏は、震えながら、「あぶなくはないでしょうか。こんなに汽車は疾く走っています。」といいました。
これを聞くと、くまは、さげすむような、また、あわれむような目つきをして、鶏をながめていました。そしていいました。
「おまえさんは、羽を持っているじゃないか。なんのための羽なんですか。私は、羽などはなくっても、この体が、自由になれば、すぐにもここから飛び降りてみせます。そして、この広い野原も縦横に駈けるであろう。」といって、くまは、かごの外の自然に憧れるのでした。
「ああ、自由に放たれていて、しかも、羽すら持ちながら、それができないとは、なんという情けないことだ……。」と、くまは、はがゆがりました。汽車は、いくつかの停車場にとまりました。けれど鶏は怖がってどこへも降りることができませんでした。晩方になると、鶏は、心細がりました。
「私は、どうしたらいいでしょうか。」と、ため息をもらしながら、くまに向かって聞きました。
「おまえさんなど、どこだって餌がたくさんにあって、すみよければいいじゃないか、自由にいいところを探すのだね。」といいました。すると鶏は、さびしそうな顔つきをして、
「いいえ、私には、そんなことができません。あなたのいうことを聞かなければよかった。昨日まですんでいました小舎が恋しくなりました。」と答えました。
「そんなことをいったって、もうだめだ。遠くなってしまって帰れやしない。」と、くまはいいました。
底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
1977(昭和52)年1月10日第1刷
1981(昭和56)年1月6日第7刷
※表題は底本では、「汽車の中のくまと鶏」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:本読み小僧
2012年9月28日作成
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