ふるさとの林の歌
小川未明
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娘は毎日山へゆきました。枯れ枝を集めたり、また木の実を拾ったりしました。
そのうちに、雪が降って、あたりを真っ白にうずめてしまいました。娘は家の内で親の手助けをして、早く春のくるのを待ったのであります。それは、どんなに待ち遠しいことでありましたでしょう。やがて、物憂い、暗い冬が、北へ、北へとにげていきました。
春になると、雪がだんだん消えてしまいました。野にも、山にも、いろいろな花が咲きました。その季節が過ぎると、山には、こんもりとした緑の葉がしげって、暖かな心地よい風が岡にもふもとにも吹き渡りました。大空は美しく晴れて、うららかな日の光がみなぎったのであります。
娘は、朗らかな声で歌をうたいながら、山へ入ってゆきました。春、夏、秋、冬はこうして過ぎました。そして、娘は、だんだん大きくなったのであります。
ある日のこと、娘は、山の林の中へいつものごとく入ってゆきました。すると一羽のかわいらしい小鳥が、いい声で鳴いていました。彼女は、しばらく立ち止まって、その小鳥の枝に止まって鳴いているのを見守っていましたが、
「ああ、なんというかわいらしい小鳥だろう。あの真っ黒な目のきれいなこと、ほんとうにほんとうにかわいらしいこと。」と、彼女はいいました。
すると、この言葉を聞きつけて、小鳥は歌をやめて、じっと娘の方をながめていました。
「どうか私をかわいがってください。」と、小鳥はいいました。
「私は、兄弟も、姉妹もない独りぼっちなのです。毎日、この林の中をさまよって、独りでさびしく歌っています。」と、小鳥はつづけていいました。
娘は、小鳥のいうことを聞くと、
「かわいい小鳥さん、私は、かわいがってあげますよ。しかしどうして、そんなにおまえさんの目は、すきとおるように美しいんでしょう。」と問いました。
「それは、私は、生まれてから、まだ、汚いものを見たことがないからです。死んだお母さんは、私に向かって、けっして、町の方へいってはならない。もし町の方へ飛んでいって、そこでいろいろなものを見ると、おまえの目はそのときからにごってしまう。また光を失ってしまう。おまえは、この青々とした松林と清い谷川の流れよりほかに見てはならない。もし、わたしのいうことを守れば、おまえはいつまでも若く、美しいと申しました。」
「まあ、おまえさんは、そのお母さんの仰せを守っているのですか。」と、娘は小鳥を見つめました。
「さようでございます。私のお友だちは、町の方へ飛んでゆきました。そして、いったぎりで帰ってこないものもあります。また、帰ってきて、しばらくこの林の中に止まっていたものもありますが、長くはしんぼうがしきれずに、ふたたびかなたの空を慕って飛んでゆきました。こうして出かけていったものも、それきり帰ってきませんでした。」と、小鳥は答えました。
「それで、町を見てきた、お友だちの目の色はにごっていましたか。」と、娘は、熱心にききました。
「それは、私にはわかりません。けれど、たえず、その目の中には、ちらちらとおちつかない影のようなものが漂っていました。そして友だちの話には、町で見た美しかったもの、不思議なもの、また怖ろしかったものが幻に見えてしかたがないといっていましたから、多分、そんなものに心が脅かされているのだろうと思います。」
娘は、じっとそこに立ち止まって小鳥のいうことをきいて、考えこんでいました。
「ああ、私も、まだ町を見たことがないの。」と、ため息をもらしながら、いいました。
「私は、けっして町を見ません、お母さんのいいつけを守って、この林の中で一生を送ろうと思っています。どうぞひとりぼっちの私をかわいがってください。」と、小鳥は願いました。
娘は、やさしい目つきで小鳥をながめながら、
「ほんとうにおまえの目はかわいい、美しい目だこと。」と、見とれていました。
「どうか私をかわいがってください。そうすれば、私は、あなたになんでもさしあげます。この翼も、この声も、この目もみんなあなたにあげます。どうぞ私をかわいがってくださいまし。」と、小鳥はたのみました。
「ほんとうにやさしい小鳥だこと。私は、どんなにおまえさんがかわいいかしれない。私は、なんにもほしくないが、ただおまえさんの目のように美しい目がほしい、そうしたら、私は、どんなに美しくなることでしょう。」と、娘は、うっとりとして心の中で自分の姿を空想に描きながらいいました。
小鳥は、しばらく頭をかしげていましたが、
「私の目も、翼も、また声も、そして大事な命も、みんなあなたのものです。私は、これから、あなたの胸の中に生きます。」といいました。
「ああ、うれしいこと。」
「私は、もっと、もっと、なんでもあげたいのです。けれど、もうこれよりはほかに持っていません。そして、この林の中には私の命より貴いというほどのものはないようであります。私は、いちばん大事にしていたものをみんなあなたにあげてしまいます。どうか、あなたは、毎日のように、この林の中へきて、私を思い出してください、いつまでも思い出してください。そして、いい声でうたってください。きっとあなたは、いい声が出ます、そして、私の生まれて死んだ、この林を、いつまでも見捨てないでください。そうでしたら私は、どんなに幸福でありましょう。私は、いつまでもあなたの胸の中に生きています。私の小さな赤い心臓は、あなたの心に宿って呼吸しています。」と、小鳥はいいました。
「もし、そんなことができたら。」と、娘は、小鳥を輝く瞳で見上げました。
「ほんとうに美しいといって、おまえの目より美しいものがこの世界にあろうか、なにがいい音色だといって、おまえの鳴く声より美妙なものがこの世界にあるはずがない。」と、娘はため息をもらしました。
「私はいつまでも、この林の中で、うたって暮らします。そして、おまえのことを毎日思うでありましょう。」
「どうか、私を永久に愛してください。」
「また、明日、おまえと楽しく話をしましょうね。」と、娘はいいました。
そして、翌日、娘は小鳥と約束をしたように、林の中に入ってゆきました。彼女は、たまたま立ち止まって耳を傾けました。いつものいい小鳥の鳴き声が耳に聞こえてこないかと思ったからです。けれど、あたりは、まったくしんとしていました。木々のこずえに当たる風の音が聞こえるばかりでありました。
「どうしたのだろう。」と、娘はいぶかりました。
今日、この林の中でまたあう約束をしたのに、小鳥は、もはや忘れてしまったのだろうか。いや、あの鳥にそんなことのあろうはずがない。娘は胸の騒ぎを感じました。もしやと思って、彼女は、昨日小鳥と話をした木の下に走ってゆきました。するとそこには、かわいらしい昨日の小鳥が冷たくなって地の上に落ちているのを見ました。
彼女は、その小鳥の屍を拾い上げて、しっかりと胸に抱きました。
「おまえのいったことはうそではなかった。みんなほんとうのことであったのだ。そして、おまえは、私のために死んでくれた。しかし、今日からはおまえは私の胸の中に生きるであろう。それでも私は、ほんとうにさびしくなった。もう、おまえと話をすることができなくなってしまった。」といって、娘は、熱い涙と、息を、冷たくなった小鳥の屍に吹きかけました。
小鳥のいったことは、みんなほんとうだったのであります。娘は、だんだん美しくなりました。その目は清らかに黒みを帯んで、その声はますます朗らかに、その髪の毛は、つやつやと輝いたのであります。
彼女は、風の吹く日も、また、日の照る穏やかな日も、山の林の中に入っていって、さびしく独りでうたっていました。ある日のことです。一羽の見慣れない小鳥が妙な節で木に止まって歌をうたっていました。娘は、いままでこんな不思議な歌をきいたことがありません。
「おまえのうたっている歌は、なんという歌なの。」と、彼女は、その見慣れない小鳥に向かって問いました。
小鳥は、歌をやめて、じっと娘の顔を見ていましたが、
「私は、この歌を町から覚えてきました。」と答えました。
娘は、小鳥の答えを聞くとびっくりいたしました。あのかわいらしい、死んだ小鳥が、母親のいいつけを守って、一生町を見ずにしまったことを思い出したからであります。また、町へいったものは、目の色がにごるといった話を思い出したからであります。
「町って、どんなところなの?」と、娘は、町を怖ろしいところと思いながら聞きました。すると、その紅い羽の混じっている小鳥は、
「それは、こことは、まるでなにもかも違っています。町には美しい家がたくさんあります。また、美しい人間がたくさん歩いています。にぎやかな、車や、馬が、いつも往来の上を通っています。そして、そこには、なにもないものはありません。世界じゅうの珍しいものが、みんなそこに集まっています。この林の中にある赤い木の実も、なしの実も、また丘にあるくりも、畑にあるかきの実もないものはありません。私は、それを見てきました。そして、まだ町を見ない友だちにそのことを知らしてやろうと思って帰ってきたのです。二年前に別れた友だちを探しているのですが、その友だちが見つからないので、いまこの木に止まって、町で覚えてきた歌をうたったのです。」と、その鳥はいいました。
「そんなに、その町というところは、美しいところなの?」と、娘はたずねました。
彼女は、その小鳥の歌が、なんだか自分まで誘惑するような気持ちがしたのです。
「それは、きれいなところです。一度町を見なければ、この世の中を見たといわれません、ただ、困ったことに、私は、昔、この林でうたった歌の節を忘れてしまいました。よく友だちが歌った、あの歌です。せっかく友だちを呼ぼうと思って呼ぶことができません。」と、小鳥は当惑そうにいいました。
娘は、このときじっとその小鳥を見上げていましたが、
「じゃ、私がうたってあげましょう、この林の歌を忘れるなんて。さあよくおききなさい。
わたしの友だちは、
谷川に、山に、林。
雲は美しいけれど、心が知れず、
雪は冷たいけれど、白くて潔し。
四方の空に、風騒ぐも、
私の嘴を出る、声は乱れず。」
娘は、いい声でうたいました。すると、黙って聞いていましたこずえの小鳥は、
「ああ、その声にきき覚えがあります。忘れていた昔のことがすっかり見えるようです。ああ、私のこの小さな心臓がふるえる……。」
こういったかと思うと、木からばたりと落ちてしまいました。
底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
1976(昭和51)年12月10日第1刷
1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「赤い鳥」
1921(大正10)年12月
※表題は底本では、「ふるさとの林の歌」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年11月5日作成
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