天下一品
小川未明
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ある日のことであります。男は空想にふけりました。
「ほんとうに、毎日働いても、つまらない話だ。大金持ちになれはしないし、また、これという安楽もされない。ばかばかしいことだ。よく世間には、小判の入った大瓶を掘り出したといううわさがあるが、俺も、なにかそんなようなものでも掘り出さなければ、大金持ちとはならないだろう。」と、その男は、いろいろなことを、仰向いて考えていました。
すると、たなの上に乗っていた、古い仏像に目が止まりました。昔から、家にあったので、こうしてたなの上に乗せておいたのです。仏壇の中には、あまり大きすぎて入らなかったからであります。
「あの仏像が、金であったら、たいへんな値打ちのものだろうが、どうせそんなものでないにはきまっている。それに手が欠けていて、どのみち、たいした代物ではない。しかし、あの仏像がいいものであって、値が高く売れたら、どんなにしあわせだろう。俺は、たくさんの田地を買うし、また、諸国を見物にも出かけるし、りっぱな着物も造ることができるだろう。」と、男は、黒くすすけた仏像を見ながら考えこんでいました。
家の外には、もうすずめがきて餌を拾って鳴いていました。いつもなら、男は、くわをかついで圃に出なければならない時刻でありましたが、なんだか働くということがばかばかしくなって、その気になれませんでした。
男は、立ち上がって、たなの上からその仏像を取り下ろして、つくづくとながめていました。ほんとうに、手に取ってこうしてながめるというようなことは、幾年の間、いままでになかったのです。また、見れば見るほど、それがいいもののようにも思われてきました。
もうこの世にいない父親が、あるとき、旅のものからこの仏像を買ったということを聞いていました。
「こりゃ、いいものではないかしらん。」と、彼は、ますます考えはじめました。
村に、なんの職業ということもきまらずに、日を送っているりこう者がありました。村の人々は、その人をりこう者といっていました。この人に聞けば、役所の届けのことも、また書画の鑑定も、ちょっとした法律上のこともわかりましたので、村の中の物識りということになっていました。しかし、その人は、あまりいい生活をしていませんでした。地所の売買や、訴訟の代理人などになって出て、そんなことで報酬を得て、その一家のものは暮らしていたのですが、物識りという名が通っているので、このもののいったことは、村では、たいていほんとうにしていたのです。
「あの物識りのところへ持っていって、見てもらおうかしらん。どうせつまらないものでも、もともとだ、万一いい代物であったら思わぬもうけものだ。人間の運というものは、どういうところにないともかぎらないから……。」と、男は、ほこりだらけの仏像をひねくりながら考えていました。
やがて、男は、それをふろしきに包みました。そして、これをかかえて家から出かけました。野らの間の細道を通りますと、もうみんながせっせと働いています。自分も、今日あたり芋に肥料をやるのであったがと、男は、左右を見まわしながら歩いてゆきました。
物識りは、家に、つくねんとしてすわっていました。男が、仏像をかかえて入ってきたので、物識りは、きっとなにかの鑑定だなと思って、男を歓迎いたしました。
「さあ、ようこそお早くおいでなさいました。」と出てきて、ぴかぴかはげた頭を振りたてていいました。
「ほかでもありませんが、これをひとつ見ていただきたいとおもいまして。」と、男はいいました。
「なんでございますか。」と、りこう者は、包みの上からにらみました。
「仏像です。」
「これは、けっこうなもので。」と、物識りは、見ぬ先から、おそれいったふうにいいました。
「そんないいものですといいのですが、どうせつまらないものです。」と、男はふろしき包みを解いて、黒くなった仏像を彼に渡しました。
「なるほど。」と、うなずいて、りこう者は、その仏像をいただいてから、しばらく、しみじみと見入っていました。
男は、その間、なんとなく胸がどきどきいたしました。恐ろしい宣告を受けるような気持ちがしたのです。
「どうですか?」と、男は、ついにたまりかねてききました。
「まことに、けっこうな品です。」と、りこう者はただいったきりで、あくまで仏像に見入っていました。男は、その言葉を信じられないような、へんな気持ちがしました。
「つまらないものでしょうが……。」と、男は危ぶみながらいいました。
「天下一品、安くて千両の値打ちは請け合いです。」と、りこう者は感歎いたしました。
それが、いよいよほんとうだと知ると、男は、夢のような気持ちがして、驚いたというよりは、頭がぼうとしました。
彼は、思いきってたくさんな鑑定料を出して、仏像を堅くしっかりと抱いて、もときた道をもどりました。みんなは、いっしょうけんめいに、せっせと太陽の輝く下で働いていました。高い空のあなたから、太陽は、柔和な目つきをして、働いている人々を見守っているようでありました。しかし、男は、もう芋に肥料をやることなどは、まったく忘れてしまったように、てんで目は田圃の上などに止まりませんでした。
「あの物識りのいうことに、まちがった、ためしがない。ことに、今日はほんとうに感心したようすでいった……安くて、千両……まあ、なんという大金だろう。俺は、夢を見ているのではあるまいかしらん。いや、たしかに夢でない。千両……買い手によって千五百両にもならないともかぎらない。その金を俺は、どうして使ったらいいだろう。」と、男は、もう気が気でなく、体じゅうが熱に浮かされていました。
物識りが、「天下一品」といった仏像が、この村の中にあるといううわさが、たちまちあたりに広まりました。我も、我もといって、みんなが男のところへ仏像を拝みにまいりました。
「ありがたそうなお顔をしていらっしゃる。」とか、「慈悲深いお目をしていらっしゃる。」とか、または、「なんとなく神々しい。」とか、みんなが仏像の前に立っていいました。
「これが千両も値打ちのある仏さまですか。」と、中には、おそるおそる近寄ってながめる人たちもあったのです。
すると、この村に、大金持ちで、たくさんの小作人を使用して、また銀行に預金をして、なにをすることもなく、日を送っている人間がありました。欲しいものは、なんでも買いました。見たいところへは、みんないって見てきました。しかし、まだ、自分をなにひとつ満足させるものはありませんでした。金はいくらあっても、それだけでは、この世の中がおもしろくはありませんでした。どうか天下一品のものがほしい。だれもほかに持っているものがないような珍しいものを手に入れたい、と、日ごろから思っていました。
その金持ちの耳に、天下一品の仏像が村にあることが入りました。しかも、目下のものの家にあると聞くと、金持ちは、もはやじっとしてはいられませんでした。さっそく、その男のところへ出かけてゆきました。
「今日は。」と、金持ちは、男のところをたずねました。かつて、金持ちが、この男の狭い、うす暗い家を訪ねるようなことは、ありませんでした。
「だんなさまでございますか。」と、男はいって、金持ちを迎えました。
「ほかではないが、天下一品という仏像を見せてもらいにきた。」と、金持ちはいいました。「いよいよ俺の運が向いたぞ。」と、男は、心の中でいいました。
「仏像というのは、あすこに祀ってあるあれでございます。」と、男はいいました。
いつのまにか、たなの上は、きれいになって、仏像の前には、花やお菓子などが、並べてあったのです。
金持ちは、それがどんな姿であろうが、かまいません。金の力で天下一品が手に入れられるものなら、なんでもそれを自分のものにしたかったのです。
「あ、なるほど。」と、金持ちは、軽くうなずいて、それを手に取ってつくづくと見ていましたが、
「なかなかいい作だ。よほど古いものだ。私はまだこれよりもいいものを見たことがあったが、この像もなかなかいい。手の欠けているのは惜しいものだ。私は、仏像が好きなので、どうか一つ手に入れたいと思っていたが、どうだろう、この像を譲ってもらえまいか。」と、金持ちはいいました。
男は、腹の中では、ほくほく喜んでいましたが、口では、そういわなかった。
「天下一品といいますので、安くて千両だと、あのりこう者がいいました。なにしろ先祖代々の宝物でございまして、なるたけ売りたくはないと、思っています。」と、男は、さもさもらしく答えました。
そう聞くと、金持ちは、ますますこの仏像がほしくなりました。
「どうだ、千両で私に売ってはくれまいか。」と、金持ちはいいました。
男は、二千両も、もっと高くも売りたかったのです。
「まあ、考えてみましょう。」と、あいさつをしました。金持ちは、自分のほかには、千両も出して、この仏像の買い手は、あまりあるまいと思いましたので、その日は、それで帰ったのであります。
隣村に、もう一人金持ちがありました。この金持ちも天下一品の仏像がぜひ見たくなりました。それで、わざわざ男のもとへやってきました。
「どうか、仏像を拝ましてもらいたい。」と頼みました。
「さあ、どうぞごらんくださいまし。仏像はあれでございます。」と、男は、たなの上の仏像を指さしました。
「あ、あの仏像ですかい。地金は黄金ですか、なんでできていますか。」と、隣村の金持ちは聞きました。
「さあ、地金のことは、ぞんじませんが、鑑定してもらうと、安くて千両の値打ちがあるとのことです。先刻も、村のだんなさまが見えて、千両で譲ってほしいといわれました。」と、男は話しました。
「じゃ、千両で買い手があるのですかい。」
「さようでございます。」
「どうだ、私に、千三百両で譲ってくださらんか。」と、隣村の金持ちは頼みました。
男は、しめたものだと、心の中で思いましたが、けっして、顔には見せませんでした。
「なにしろ、先祖代々からの宝物ですから、なるべくなら手放したくないと思っています。よく考えてからご返事申しあげます。」と、男は答えました。
隣村の金持ちは、またくるといって、その日は帰ってしまいました。
後で、男は、これは、またなんというしあわせが自分の身の上にわいてきたものかと考えると、頭がなんとなくぼんやりしてしまいました。そして、それからというものは、仕事が手につかず、圃へも出ませんでした。男は、口の中で、千三百両……と、口癖になって、繰り返して、いっていました。
「地所を買うこともできる。見物に出かけることもできる。」と、独り言をして、夜が明けると、日が暮れるまで、夢を見るような気持ちでいました。すると、そのとき、
「この田舎でさえ、千両や、千三百両で売れる仏像だ。町へいって見せたら、もっと、高く売れないともかぎらない。」と、ある人は、男に向かっていいました。
男も、なるほどと考えました。そこで、その仏像を大事に包んで背中におぶって、町へ出かけてゆきました。途中も、男は、ただ一つ事しか考えていませんでした。そして、口の中では、千両……千三百両……といって歩いていました。
男は、ついに町へ出ました。そこには、大きな骨董店がありました。男は、まずその店へいって見せようと思いました。そして、店先に立って、なるほど、たくさんいろいろな仏像や、彫刻があるものだと、一通り飾られてあるものに目を通したのです。
「いくらいいものがあっても、俺の背中にあるような、天下一品はここにもあるまい。」と、男は心の中でいいながら、ながめていました。
すると、たなの中ほどのところに、寸分違わない、仏像が置いてありました。男は、これに目が止まると、はっと驚きました。そして、自分の目のせいでないかと、なお、大きく目を開けてじっと見ますと、まさしく、自分のおぶっている仏像と、古さから、形まで違わないばかりか、しかも手も欠けていず、完全な仏像でありました。
「天下一品が、ここにもあるぞ。」と、男はたまげてしまいました。そしていくらするものだろうと思いましたから、男は、店の中に入って、きわめて平気を装って、その仏像の値を聞いてみました。
「あのたなの中ほどの古い仏像ですか、おまけして、五両でよろしゅうございます。」と、番頭は、答えました。
「五両?」と、男はいって、耳を疑いました。千両……千三百両……が、五両? きっとこの番頭は盲目なのだ。俺は、一つを村の大尽に千両で売り、一つを隣村の金持ちに、千三百両で売ってやろう。
こう、とっさの間に男は思いました。彼は、財布をはたいて、五両でその仏像を買いました。そして、それを横抱きにして、大急ぎで村を指して帰ってきました。
家に帰ってから、背中の仏像をおろして、買ってきたのと二つ前に並べてみますと、まさしく寸分も違っていませんでした。男は、手の欠けていない仏像をふろしきに包んで、それを持って、隣村の金持ちの家へ出かけてゆきました。
金持ちは、家にいました。男を見ると、笑顔で迎えました。
「仏像を持ってあがりました。」と、男はいいました。
「あ、それは、それは、じゃ、先日の値で売ってくださるか。」と、金持ちは、大喜びでした。そして、男の出した仏像を押しいただいて、眼鏡をかけてじっと見ましたが、
「これは、先日の仏像であるかな。」と、けげんな顔つきをしてたずねました。
「さようでございます。」と、男は、頭を下げた。
「いや、違う。先日見たのは、たしかに手が欠けていた。私はその欠けたぐあいが、たいそうおもしろいと思って気に入ったのだが……。」と、金持ちはいいました。
「じゃ、あなたは、手の欠けているのがよろしいのですか、それなら家にありますが。」と、男はいいました。
すると、金持ちは、目を円くして、
「家にある……まだ、これと同じ仏像が家にあるのですかい。」
「さようでございます。手の欠けたのなら、家にあります。」
「いや、それなら、私は、よしておこう。天下一品と聞いて、つい買う気になったのだが、そういくつもあっては、もう欲しくはない。そういえば、あまりこの仏像も好い作ではないようだ。」と、金持ちのようすは、急に変わりました。
男は、失敗してしまいました。その家を出ると、彼は、残念でたまりませんでした。うまくゆけば二つで二千三百両になるものをと思いますと、ほんとうに取り返しのつかない、失敗をしたと気づきました。彼は、どうかしてこの埋め合わせをしなければならぬと思いました。
「村の大尽に、高く売りつけてやろう。」と、男は考えました。
男は、家に帰り、今度は、失敗をしないつもりで、手の欠けた仏像をふろしきに包んで、村の金持ちのところへ持って出かけました。
金持ちは、男がやってくると、にこにこして迎えました。
「じつは、おまえさんが見えるだろうと思って、待っていた。あの仏像を持ってきたかい。」と、金持ちはいいました。
「さようでございます。」と、男は、さっそく、包みを解いて仏像を出しました。
金持ちは、仏像を取り上げて、つくづくと見ていました。
「天下一品の代物でございます。千五百両で買っていただきとうぞんじます。」と、男はいいました。
「千五百両でも、二千両でも買うが、惜しいことには手が欠けている。私は、もとから傷物は大きらいなんだ。千両でも、じつは考えているんだ。」と、金持ちはいいました。
「なににしても、いい作でございます。」
「ああ、作は、まず申し分なしといっておこう。ただ、手の欠けているのが惜しい。」と、金持ちはいいました。
男は、もう一つの完全なほうを、ここへ持ってくれば好かったかとまどいました。
「じつは、先祖の時代から、もう一つほかに同じ仏像が伝わっています。そのほうなら、手も完全でございます。」と、男はいいました。
すると、金持ちは、喜ぶかと思いのほか、手に持っている仏像を下に投げるように置きました。
「この詐欺師めが、天下一品に、二つあって、たまるものか。おまえは、あの物識りとぐるになって、俺に、やくざ物を買わせようとたくらんだにちがいない。そんな量見だと、この村から追い出してしまうぞ!」と、金持ちは、たいそう怒りました。
男は、もはや、取り付く島がなく、そこから逃げるように出ましたが、なんだか、いままでのことが、みんなはかない夢であったというような気がして、いま、はじめて目が覚めたのでした。
田圃を通ると、ほかの田圃は、みんなよくしげっていいできでしたけれど、自分の田圃ばかりは、草が茫々と生えていました。そして、みんなから、大金持ちになったといううわさをたてられているだけに、明日から、また田圃へ出て、草を取る気にもなれず、男は、二つの仏像をいまいましそうににらんで、あきれたように家のうちに閉じこもっていたそうであります。
底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
1976(昭和51)年12月10日第1刷
1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「北國新聞」
1922(大正11)年1月1~2日
※表題は底本では、「天下一品」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年11月1日作成
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