人の身の上
小川未明



 おはなは、その時分じぶん叔父おじさんのうちやとわれていました。まだ十七、八の女中じょちゅうでありました。小学校しょうがっこうへいっていたたつは、毎日まいにちのように叔父おじさんのおうちあそびにいっていました。叔父おじさんも、叔母おばさんも、たつをかわいがってくださいましたから、ほとんど、自分じぶんうちも、かわりがなかったのであります。

 叔父おじさんのうちには、おはなのほかに、もう一人ひとりしげという女中じょちゅうがおりました。としはかえって一つか二つ、おはなよりはすくなかったかもしれませんが、よくはたらいて、よくがついて、みじか叔父おじさんのにいりでありましたけれど、どういうものかおはなは、よくいいつかったことをわすれたり、また、ばんになると、じきに居眠いねむりをしましたので、よく叔父おじさんから、小言こごとをいわれていました。

「もっと、をしっかりもたなければならんじゃないか。」と、叔父おじさんにいわれると、

「はい……はい。」といって、さすがに、かおあかくして返事へんじをしましたが、すぐ、そのあとからわすれたように、物忘ものわすれをしたり、よるになると居眠いねむりをはじめました。

 これにひきかえて、おしげのほうは、なにからなにまで、よくがつきました。それでありますから、よく叔父おじさんにも、叔母おばさんにも、かわいがられていました。叔母おばさんは、なにかにつけてもおはな不憫ふびんおもって、「よく、をおつけ。」と、やさしくいいかされました。

 けれど、やはりだめでした。おはなは、いいつけられた用事ようじ満足まんぞくにしたことがなかったのです。叔父おじさんは、

「あのはだめだ。ほんとうに、ろくならしはしないだろう。」と、叔母おばさんにかっていっていられました。

「ほんとうに、こまったものです。」と、叔母おばさんは、まゆをひそめてこたえていられました。あるのこと、叔父おじさんは、おはなが、とてもやくにたたないから、ひまをやってしまうと、叔母おばさんにかっていっていられました。

 たつは、そのそばにいて、いわれたことをいていたのでありますが、おはながこれまで自分じぶんにやさしかったこと、あるときは、丁寧ていねいかみってくれたこと、あるときは、お手玉てだまつくってくれたことをおもすと、なんだかかわいそうでなりませんでした。

叔父おじさん、おはながかわいそうです。どうかおうちいてください。」と、叔父おじさんにおねがいいたしました。叔母おばさんもまた、

「わるいという性質せいしつではなし、がきかないというだけなのですから、もう一、よく、わたしからいいかせますから。それで、いけなかったときに、ひまをやることにしてください。」と、たのまれました。

 そのときは、二人ふたり言葉ことばに、やむなく、気短きみじか叔父おじさんも我慢がまんをせずにはいられませんでした。たつは、こころうちで、もしおはながこのうちからされたら、そのさきは、どんなうちにゆくであろうか、どこへいってもしかられはしまいか、そして、そのさきがいいうちならいいが、もしも、よくないうちであったら、かわいそうだとおもいました。もう一つは、おはなわかれたら、おそらく、もう永久えいきゅうに、そのかおることができないであろうとおもったのでありました。

 しかし、おはなはどうしても、叔父おじさんのにいりませんでした。そして、ついに、そのおうちからひまされるようになったのです。おはなは、いててゆきました。そのときたつも、どんなにかなしかったでありましょう。やはりきはらしていました。そして、「どこへいってもからだ大事だいじにしてね。」「あそびにいらっしゃいね。」といいました。すると、おはなからなみだながして、

「どうぞ、おじょうさんも、お達者たっしゃでいてくださいましね。」といって、たもとをかおにあててきました。

 月日つきひのたつのははやいもので、そのときから、もう六、七ねんはたちました。そのあいだ叔父おじさんは、病気びょうきでなくなってしまわれました。あるのこと、おともだちといっしょにまちあるいていますと、あちらから子供こどもをおぶってくる、わかうつくしいおんながありました。で、よくそのかおますと、わすれもしないおはなでありました。

 おはなはあののちおよめにいって、おかあさんとなって、子供こどもをもったのでした。

「おはなじゃなくって?」と、たつきゅうこえをかけますと、

「ああ、おじょうさんでございますか。こんなにおおきくおなりあそばして?」と、おはなはびっくりいたしました。

「だんなさま、おくさまは、お達者たっしゃでございますか?」といって、おはなは、叔父おじさんや、叔母おばさんのようすをきました。ですから、たつは、叔父おじさんが、おととしなくなられたことをはなすと、

「すこしもぞんじませんで……。」といって、おはなくのでありました。

 その、たつは、いえかえってから、叔母おばさんのいえへいって、おはなみちであったこと、おはなが、いいおかみさんになって子供こどもをもっていることなどをはなしますと、叔母おばさんは、うなずきなされて、

「よく、ぼんやりしていて、叔父おじさんにしかられたが、あのときは、からだがよくなかったのでしょう。しかし、性質せいしつは、やさしい、いいだから……。」といわれました。それにつけても、おしげは、どうなったか、たよりがありませんでした。たつは、いまさらながら、人間にんげんの一しょうは、だれにもわかるものでないことをかんじたのであります。

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社

   1976(昭和51)年1210日第1

   1982(昭和57)年910日第7

底本の親本:「気まぐれの人形師」七星社

   1923(大正12)年3

※表題は底本では、「ひとうえ」となっています。

入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班

校正:江村秀之

2019年222日作成

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