木と鳥になった姉妹
小川未明
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あるところに、人のよいおばあさんが住んでいました。このおばあさんはいろいろな話を知っていました。怖ろしいような話も、不思議な話も、またおかしいような話なども知っていました。この話は、やはりそのおばあさんが聞かせてくれたのであります。
昔、昔、あるところに、仲のいい姉と妹とがありました。姉はよく妹をかわいがり、妹はまたよく姉を慕いました。
姉は、気質のきわめてやさしい人柄でありまして、すぐに涙ぐむというほうでありましたけれど、あまり顔が美しくありませんでした。妹のほうは、やはり、やさしいにはやさしかったけれど、姉にくらべると、快活なほうでありました。そして、目は鈴を張ったように美しく、唇の色はとこなつの花のように紅く、髪は黒く長く肩へ垂れて、まれに見るような美しさでありました。
二人は、だんだん年をとるにつれて、河辺を歩いているときも、水に映った自分の姿に気をとめてながめるようになりました。
ある日のこと、二人は、小川にそうて散歩をしていました。川の辺には、白い花や、桃色の花が咲いていました。そのとき、姉は水に映った自分の姿をながめて、顔を赤くしながら、
「なんというおまえは、美しくこの世に生まれておいでだろう。それにひきかえて、私は、なんという醜い姿で、生まれてきたでしょう。私は、だれをもうらみません。これもきっと、この前の世で、おまえはよいことをたくさんなさったので、それで神さまが、そんな美しい姿にしてくだされたのです。私は、覚えのあろうはずがないけれど、なにか罪を犯したので、それで神さまは、この世へこんなに醜く生まれさせられたのです。」と、姉はいいました。
これを聞くと、妹は、目をみはってびっくりして、
「姉さん、なにをおいいなさるのですか。人間は、顔や、形よりも、魂が大事なのです。魂の美しいほうが、どれほど、貴いかわかりません。姉さんのように、やさしいしんせつな、親孝行な人がたくさんありましょうか。あなたのお心は、あの空の星よりも、きれいで輝かしくあります。いま、姉さんのおっしゃったように、また人間が、今度の世に生まれてくるものなら、姉さんは、この世界じゅうでなにものよりも、美しく、めぐみ深く、またみんなから愛せられ、慕われるものになられるでありましょう。」と、妹はいいました。
すると、姉は、この言葉を聞いているうちに、いつしか涙ぐんでしまいました。
「いえいえ、もうおたがいに、今度の世のことなどはいいますまい。ただ、私はいつまでもおまえと仲よく、こうして暮らしたいと思うのですけれど、それがかなわないような気がして悲しいのです。あの花よりも美しい、あのこちょうよりもきれいなおまえが、どうしていつまでもこんな寂しいところに住んではいなかろうと思うのです。それを考えると、私の胸はふさがって、いっぱいになります。」と、姉はいいました。
「姉さん、私が、あなたやお父さんを捨てて、どこへかゆくといわれるのですか。私は、一生お父さんや、あなたのそばで暮らします。そして、また、今度の世にも、お慕わしい姉さんの妹となって、かならず生まれてまいります。」と、妹は泣いて姉にすがりました。二人は、たがいに抱き合って、しばらく無言でありました。
ふとしたことから、姉妹の父親が目を患いました。はじめのうちは、じきになおるだろうと思っていましたが、だんだん悪くなって、一通りでない不自由をするようになりました。
ことに孝行の姉は、昼となく、夜となく看病をして、どうかして父親の目がなおらないものかと心を傷めました。姉の疲れたときは、妹がかわって看病をいたしました。けれど、悪性の眼病とみえて、なかなかなおりそうにも思われませんでした。
「おまえは、家にいて、よくお父さんの看病をしていてください。私は、薬をさがしてきますから。」と、姉はいい残して、高い山へ上ったり、深い谷に下ったりして、眼薬になる草の根や、岩間から滴る清水を持ってきて、いろいろと看病をいたしました。けれど、それらの薬の力でも目はなおりませんでした。
「ああ、私たちの力では、とてもお父さんの眼病をなおすことができない。どうしたらいいだろう。どうか、神さま、私たちの命に換えてもよろしゅうございますから、父の目をもとのようになおしてください。」と、二人は神さまに祈っていました。
すると、ある日のこと、見慣れない男の旅人が門口に立って、道を聞きました。そのとき男は、二人が父親の看病をしているのをながめて、
「ああ、その目はなおりっこのない悪性な眼病だ。おまえさんたちが、いくら看病をしてあげても無効でしょう。」といいました。
姉と妹は、びっくりして、その男の顔を見上げました。その男はおちついて、
「なにも疑いなさるな。私は、目のことをよく知っているのです。」といいました。
「そんなら、どうか、あなたのお力で父の目をなおしてくださることはできませんか。」と、二人は訴えました。
「私は、ここに目の霊薬を持っています。この薬は、千万の貝を砕いて、その中から探した目の霊薬で、どんなものにも換え難い貴重な品です。なんでも南の国の王さまが、この薬を国を賭けてお探しになっているということを聞いて、いま持ってゆく途中にあるのです。」と、男は答えました。
二人は、これを聞いて、ますますびっくりしました。
「お願いでございます。ごらんのとおり、私たちはなにもそのお薬に換えるほどのものを持っていません。命をさしあげます。どうぞ、そのお薬を少し分けてください。」と、二人は男に向かって頼みました。
「一つしかない薬を分けることはできない。が、そんなら、私のくれいというものをくださるなら、この薬をあなたのほうにさしあげましょう。」と、男はいいました。
「なんでも、私たちの持っているものなら、みんなあなたにさしあげます。」と、二人は誓いました。
男は、小さな箱の中から、銀色に光る小豆粒ほどの石を取り出しました。
「さあ、これです、この石をさらの上で、いつまでもかかって溶いて、その水を目につけるのです。」と、教えてくれました。
姉と妹は、その小さな光る石を、さらの白い面で溶かしました。そして、それを父親の目につけました。すると不思議に、いままで、閉っていた目が開いて、見るまに、めきめきとなおりはじめたのです。
二人は、あまりの霊薬のききめに驚いて目をみはりました。そのとき、男は、
「さあ、私の望みを申しあげます。私に、どうぞ、この美しい妹さんをください。」といいました。
姉と妹は、心の中で当惑いたしました。けれど、前の約束をどうすることもできませんでした。
「そんなら、姉さん、私はゆきます。」と、妹は泣いていいました。姉も、また父親も泣いて別れを悲しみました。しかし、いまさらどうすることもできませんでした。ついに、妹は、男に連れられて、この家を出ていったのであります。
妹がいってしまってから、姉はさびしく日を送りました。いまごろ妹は、どこにどうして暮らしているだろうと思いました。妹からは、なんのたよりもありませんでした。姉は一人、小川にそうて歩いてはたたずみ、たたずんではまた歩いて、妹のことを思っていました。いつか、二人は、いっしょにこの路を歩いたこともあったのだと思いました。足もとに咲いている草の花を見るにつけ、空に漂う、雲の影を見るにつけ、妹の身の上を案じていました。
それからというもの姉は、毎日、川の辺にきてはたたずんで、じっと水の面に映る自分の姿を見てはものを思い、また、かなたの空に飛ぶ雲の影を見ては涙に暮れていましたが、不思議や、ある日のこと、姉は日が暮れても帰らずに一ところに立ちつくしていますと、一夜の中に姉の姿は消えて、そこに一本の柳となっていたのであります。
姉は、とうとう、柳の木になってしまいました。
妹は、家を出てから、その男の人に連れられて、知らぬ他国を旅して歩きました。その間に、男はまた苦心して、目の良薬を探しました。そして、やがて、海を渡って、南の国の王さまに献じようといたしました。
男と妹は、船に乗って海を渡りました。幾日も、幾日も、航海しました。海の真ん中に出ますと、どこを見ましても、山も見えなければ、また島影も見えませんでした。ただ、夜が明けると真っ赤な太陽が東の方から上がりました。また、日暮れ方になると、かなたの地平線が炎のように燃えて、太陽は海に沈みました。二人の乗っている船は、その夕焼けの方を指して進みました。そして、多くの日数を経てから、ついに船は、南の志した国の港に着きました。男は、さっそく霊薬を王さまに献じたのであります。そのお礼として、男は広い土地をもらって、なに不足ない暮らしをすることができました。
その国は、いつもいろいろな花が咲いていました。そして、いつも夏のように草木がしげって美しいちょうが飛んでいました。
妹は、家をたってから、幾年かになります。その間、父のことを思ったり、姉のことを思ったりしました。しまいには、あまりに思いつづけましたので、ついに病気となって、毎日ものもいわずに沈んでいました。男は、これを見てかわいそうに思いました。
「こんなに、なに不足なくても、おまえは、故郷へ帰りたいのか。」と、男はいいました。
妹は、目にいっぱい涙をためて、黙ってうなずきました。
「そんなら帰ってもいい、けれど、幾千里となく遠い。船に乗っても幾年かかるかしれない。その間には、雨が降り、風が吹くだろう。おまえは女の身で、どうして帰ることができようか。」と、男はいいました。
妹は、これを聞くと、悲しくなって泣いていました。
妹は、海岸の岩の上で、沖の方を見て、故郷に憧れて泣いていました。そのとき、ちょうど王さまのお通りがありました。
王さまは、女の泣いているのを見て、家来を遣わして、その泣いている理由をたずねられました。妹は、一部始終のことを物語りました。王さまは、これをお聞きになると、たいへんに妹をあわれに思われました。そして、家来の中から魔法使いのじいさんをお呼びになりました。そして、どうかして、この女を、故郷に帰してやる工夫はないものか、とおっしゃられました。
まゆ毛の長い、つえをついている、白髪の魔法使いは、うやうやしく、頭を下げていいますには、
「このままの姿では、とても幾千里となく遠い国へ帰ることはできません。なにか姿を変えなければなりません。」と申しあげました。
「なんなりとも、汝の力でできることなら、姿を変えてゆけるようにしてやれ。」と、王さまはいわれました。
魔法使いは、ついているつえの先で女の肩をつつきました。するとたちまち、美しい妹の姿は消えて、一羽のつばめとなってしまいました。
つばめは、王さまの頭の上の空を、二、三べんまわりました。そして、どことなく影を消してしまいました。
つばめは、昼となく、夜となく海の上を渡りました。疲れたときは、船のほばしらの頂に止まって休みました。そして、幾日かの後、もとの我が家へ帰ってきました。父親は、まだ達者でいられました。けれど、鳥になってしまった妹は、もはやものをいうことができません。つぎに姉さんを探しました。けれど見あたりません。妹は、川の辺へ飛んでゆきました。すると、なつかしい姉さんの姿によく似た柳の木が一本立っていました。これは、きっと姉さんにちがいないと思いましたから、その枝に止まりました。
つばめは、柳の木の枝に止まって、しきりに快活になきました。けれど、柳の木の枝は、風に吹かれて、おりおり音なく揺れるばかりで、なんの答えもいたしませんでした。
つばめは、秋の末まで、毎日その柳の木のあたりを飛んで、ないていました。けれど、寒くなったときに、どこへか飛んでいってしまいました。それからというもの、毎年春になると、どこからか、つばめが飛んできて、柳の木に止まってないていました。
底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
1976(昭和51)年12月10日第1刷
1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「こども雑誌」
1920(大正9)年7月
※表題は底本では、「木と鳥になった姉妹」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:江村秀之
2013年10月24日作成
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