一本の釣りざお
小川未明
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あるさびしい海岸に、二人の漁師が住んでいました。二人とも貧しい生活をしていましたから、町や都に住んでいる人々のように、美しい着物をきたり、うまいものをたくさん食べたり、また、ぜいたくな暮らしなどをすることは、思いもよらないことでありました。
二人は、どうかして、もっといい暮らしをしたいものだと思いましたけれど、どうすることもできなかったのです。青い海の面を見つめながら、二人は、そのような幸福になれる日のことばかり考えていました。
「いくら考えたってしかたがないことだ。俺たちは働くより途がないのだ。」と、乙は甲を悟し、自分を勇気づけるようにいいました。
「それはそうだが、このうえ俺たちは働くこともできないじゃないか。」と、甲は、ため息をしながら答えた。
ほんとうに、二人は、雨の降る日も、また風が吹いて、少々波が高いような日でも、船に乗って沖に出て、網を打ったり、魚を釣ったりしたのであります。
なにごとも二人は、たがいに助け合いました。そして、たいていはいっしょに働いていたのであります。けれど、人間の運というものは、まことに不思議なものでありました。こうして、同じ船に乗って、同じく働いても、一人に幸い、一人にはなんでもないこともあるものです。
ある春の日のことでありました。陸には、桜の花の咲く時分でありました。二人は、北の青い海の上に出て釣りをしていました。たいがかかる時分でありました。いくら二人は、こうしていっしょうけんめいになってたいを釣っても、それを自分たちが食べることはできなかった。みんな町の魚屋に売ってしまって、その金で家族のものを養わなければならなかったのです。
「ほんとうに、俺たちは、こうして毎日たいをとっても自分たちの口に入らないのは、考えると、つまらないことだ。今日はひとつ自分が料理をして子供らにたべさせてやろう。」と、甲がいいました。
「ほんとうに、そうだ。私も、家に帰ったら、ひとつ料理をして子供や妻に食べさしてやろう。」と、乙がいいました。
その日二人は、海から働いてたがいに家に帰りました。そして、甲も乙も、自分たちのとった大だいを一尾ずつ料理をしました。すると甲のほうのたいの腹から小指の先ほどの真珠が飛び出したのであります。
「これはたいへんなものが出た。」といって、甲は喜んでおどりあがりました。そして、家じゅうのものは大騒ぎをしました。
甲は、さっそく乙のところへやってまいりました。それは、乙のところのたいからも真珠は出なかったかと聞きにきたのであります。すると、乙は、甲のために喜んでいいました。
「甲さん、そんないいことはめったにあるもんでない。おそらく、あとのたいをみんな腹を割ってみたって、もうこのうえ真珠が入っているものでない。これは神さまがあなたにお与えなさったのです。」といいました。
甲は、こう聞くといっそう喜んで家に帰りました。
甲は、これがために思いもよらない大金が手に入ることになりまして、その翌日から甲は、しばらく海の上に出ることを休みました。こんなときに、骨休みをしなければならないといったのです。
乙は、独りで海の上に出てゆきました。雨が降っても、風が吹いても出てゆきました。それを見ると、甲は、あまりいい気持ちがしなかったのです。なんだか自分独り楽をしているのが悪いように思われたのです。
「乙さん、あまりたくさんな金は融通もできないが、すこしくらいならいたしましょう。」と、ある日、甲は乙にいいました。
乙は、考えていましたが、
「それでは、まことにすまないが、私に、さおを買うだけの金を貸してください。いまのさおでは、思うように釣りができないから、もっといいさおが欲しいものです。」と答えた。
甲は、内心、いくらいいさおを買っても釣れるときは釣れるが、釣れないときには、やはり釣れない。すべて人間のことは運だ、俺のようなものだと思いながら、
「それはお安いことだ。」といって、わずかばかり金を貸してくれました。乙は、その金で手ごろのさおを求めました。
金が入ると、甲は、いままでのようにじっとしていることができませんでした。上等の網を買いました。また、いい着物をみんなが買いました。また、町へ出て見物に歩きました。
「金がなくなったら、また働くばかりだ。」と、甲はいいました。
そのうちに、真珠を売った金は、すっかりなくなってしまいました。甲は、ふたたび乙といっしょに海の上へ出て働くことになりました。けれど、昔のように、おちついて釣りをしたり、網を打ったりしていることができなかった。魚がとれると、かたっぱしから腹を割って見ていました。そして、真珠をのんでいないと、みんなその魚の屍を海の中にほうりこんでしまいました。
「甲さん、なんでそんな乱暴なことをするんですか。」と、乙はびっくりしていいます。
「今度、真珠を見つけたら、その金で町へ出て商売をするのです。もう、私は、魚とりなんか問題にしていない。」といって、ところかまわず網を打ちました。けれど、もう二度と真珠をのんでいる魚はなかったのです。
甲は、とうとう自分のおろかなことがわかる日がきました。そして、おちついて魚をとって、それをばまた町に売って生活をしたときには、まったく昔にもまさる貧乏になって、上等の網に破れめができたときです。
乙は、さおを大事にして釣りをしました。そして、甲の恩義を長く感じて、甲の困ったときは助けてやりましたので、甲はいまさらながら、一本の釣りざおを貴く思ったのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
1976(昭和51)年12月10日第1刷
1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「読売新聞」
1921(大正10)年4月30日、5月2日~4日
※表題は底本では、「一本の釣りざお」となっています。
※初出時の表題は「一本の釣竿」です。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:雪森
2013年4月10日作成
2013年8月25日修正
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