煙突と柳
小川未明



 ふゆれたのことであります。太陽たいようは、いつになく機嫌きげんのいいかおせました。下界げかいのどんなものでも、太陽たいようのこの機嫌きげんのいいかおたものは、みんな、気持きもちがはればれとしてよろこばないものはなかったのであります。

 太陽たいようは、だれにたいしても差別さべつなく、いつでも、よろこんではな相手あいてになったからであります。ちょうどこのとき、太陽たいようは、ちょろちょろと、しろけむりをあげている煙突えんとつかって、

「このごろは、なかなかおいそがしいようだが、おもしろいことがありますか。」と、にこやかにわらって、太陽たいようきました。

 煙突えんとつは、いつもは、だまって、陰気いんきかおをしてふさいでいたのですが、このときばかりは、なんとなく、うれしそうにはしゃいでいました。

「おかげさまで、このごろは、毎日まいにちおもしろいめをしています。ほんとうに、わたしは、しあわせでございます。」と、煙突えんとつこたえました。

「どんなおもしろいことか、かしてくれないか。」と、太陽たいようはいいました。すると、煙突えんとつは、つぎのような意味いみのことをば物語ものがたったのであります。

 ──ほんとうにわたしは、どんなにさびしかったかしれない。ながあいだ、みんなはわたしいててくれるものもなかったのです。わたしは、終日いちにちあめにさらされていることもありました。また、くらばんかぜきつけられて、をゆすぶられていることもありました。もし、こうして、だれもかまわんでいたら、わたしからだには、いくつもちいさなあながあいてしまって、もはや永久えいきゅうに、やくたなくなるであろうとかなしんでいました。

 むしとりなどは、わたしをばかにしました。とりは、よくわたしあたまうえまって、うちをのぞいてながら、

「こんなにきたなくては、つくれない。」といいました。

 くもは、わがままかってに、わたし内側うちがわにも、また外側そとがわにもあみりました。もとよりわたしに、一ごんことわりもいたしません。それほど、みんなはわたしをばかにしたのです。

 そのうちに、なつもゆき、あきがきました。あきすえになると、あるのこと、ペンキがきてわたしうつくしく、てかてかとりました。わたしは、おもいがけないりっぱな着物きものたのでうれしかった。また二、三ねんは、どんなあめや、かぜにもけないとおもったからです。

 ふゆがくると、きゅうわたしは、人間にんげんから大事だいじにされました。わたし内部ないぶのすすや、あのくものなどは、きれいにはらわれたのです。それからというものは、なんというわたし生活せいかつわりかたであったでしょうか。

 毎日まいにち毎日まいにちわたしは、いやというほど、石炭せきたんはられます。もはやさむい、ひもじいおもいなんかというものは、ゆめにもわすれられたようながします。そして、わたしは、どんなさむでも、あたたかに、かぜや、あめたたかうことができるのです。人々ひとびとは、わたしはたらきとちからとをはじめてみとめてくれたように、わたししたがるのそばによってきます。そして、そこに、どんな光景こうけいられるとおおもいですか?

「いや、わたしは、屋根やねうえばかりしかることができない。うちなかのことはまったくわからない。どうかかしてもらいたい。」と、太陽たいようはいいました。

 ──このごろのにぎやかなことったらありません。うちのおじょうさんは、毎日まいにちピアノをいてうたっています。先生せんせいのところへいって、おそわっているおもしろいうたをいいこえでうたいながら、ダンスのまねをします。そこへぼっちゃんがはいってくると、おっかけまわったりして、へやのうちをさわぎます。しかし、じきに二人ふたりは、なかよくなって、暖炉だんろまえこしをかけて、チョコレートやネーブルをべながらおはなしをします。

 よるになると、はなやかな電燈でんとうが、へやのなか昼間ひるまのようにあかるくらします。そこへ、おんなのおきゃくさまがあると、へやじゅうは香水こうすいにおいでいっぱいになります。テーブルのうえには、カーネーションや、リリーや、らんのはななどがられて、それらの草花くさばな香気こうきじって、なんともいえない、ちょうど南国なんごく花園はなぞのにいったときのようなかんじをさせるのであります。

 わたしは、いろいろのひとたちの旅行りょこうはなしや、芝居しばいはなしや、音楽おんがくはなしなどをきます。あめや、かぜにいじめられていたわたしは、こうしていま蘇生よみがえっています。まだ、わたしは、これからさきにも、いろいろのおもしろいさまたり、はなしくことができましょう──。

「どうか、おさま、わたしのおねがいをきいてください。こうして、わたしはいま幸福こうふくうえでありますけれど、はるがき、なつにもなると、ふたたびだれもわたしいてくれません。わたしはらうちはいつもからっぽになります。そして、した暖炉だんろなかにはかみくずがまります。どうかわたしのおねがいをきいてください。いつまでもふゆのつづきますように……。なるたけ、あなたは、おそくあるいてくださるように。」と、煙突えんとつは、太陽たいように、うえばなしをしたあとで、たのみました。

 太陽たいようは、あいかわらず、機嫌きげんよくにこにことわらっていました。

 このとき、煙突えんとつかたわらに、しょんぼりとっていた一ぽんやなぎがありました。いままでだまって煙突えんとつのいうことをいていましたが、きゅう太陽たいようかって、うったえるようにいいました。

「おさま、どうかわたしのいうことをおきください。わたしは、このさむさで、こおってれそうになっています。そのうえ、わたしは、もうとしをとっていて元気げんきがありません。わたしのわずかばかりのこっているえだは、毎夜まいよしもいためられて、こんなにちからがなくなっています。それだからわたしは、おさまにおねがいするのではありません……。

 わたしは、ここにって、もうながあいだ、いろいろこのなかさまというものをつくしてしまったようながします。もうれてしまっても、しいいのちとはおもいません。それですから私自身わたしじしんのためにおねがいするのではありません。

 おさまが、毎日まいにち西にしそらしずみなさる時分じぶんから、一にちかしたことなく、わたししたって夕刊ゆうかん子供こどもを、おさまはごらんになったことはありませんか。

 まだ、やっととおか、十一になったばかりであります。ひどいあめらないかぎりは、かぜばんにも、わたししたってすずらして夕刊ゆうかんっています。そのは、うちにいる病身びょうしん母親ははおやたすけてはたらくので、わたしえだしもいたんでいるよりも、もっとかぜしもとにいたんでいます。さむい、さむには、はれあがったこうからがにじんでいます。

 そのうちには、いもうとがあります。おとうとがあります。父親ちちおやは、んでしまってないために、病身びょうしん母親ははおやは、じっとしていることもできずに内職ないしょくをしています。母親ははおやはたらくだけでは子供こどもらを養育よういくしていくことは、むずかしいのです。それでいちばんうえの、このおとこは、こうして毎日まいにちまちかどにそびえているわたししたって、とお人々ひとびと夕刊ゆうかんっているのであります。

 あるのこと、どういうものか新聞しんぶんがいつものようにれなかったのです。けれど、らなければならなかった。それで、いつまでも子供こどもは、わたししたって、すずらしながらっていました。

 そこへ、青白あおじろかおをした、やつれた母親ははおやがやってきました。

 ──あまりかえりがおそいので、どうしたかとおもってやってきた。もう学校がっこうへいかなければならぬ時刻じこくだ。わたしがかわるから、はやく、これからかえって、めしべて学校がっこうへいきなさい──。

 こういって、母親ははおや子供こどもちいさなかたからげているかごをはずして、自分じぶんがそれを今度こんどかたにかけてすずらしたのでありました。

 おさま、わたしはこのやさしい子供こどもがかわいそうでなりません。はやあたたかになって、そして、はな時節じせつになったならばとおもっています。どうか、はやあるいてください。」と、やなぎもうしました。

 太陽たいようは、にこやかに、うなずきながらやなぎのいうことをいていました。そして、どちらのいうことが、ただしいとも、ただしくないともこたえませんでした。

 そのくる太陽たいようは、よほどふかかんがごとがあるとみえて、終日いちにちかおせませんでした。

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社

   1976(昭和51)年1210日第1

   1982(昭和57)年910日第7

初出:「芸術自由教育」

   1921(大正10)年3

※表題は底本では、「煙突えんとつやなぎ」となっています。

入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班

校正:富田倫生

2012年610日作成

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