北の国のはなし
小川未明
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あるところにぜいたくな人間が住んでいました。時節をかまわずに、なんでも食べたくなると、人々を方々に走らしてそれを求めたのであります。
「いくら金がかかってもいいから、さがしてこい。」と、その人はいいました。
ある日のこと、その人は、川魚が食べたいから、釣ってきてくれと、下男にいいつけました。
下男は当惑をしました。外を見ると真っ白に雪が積もっていました。どこを見ましても、一面に雪が地を隠していました。その村は、北の寒い国のさびしいところであったからであります。
しかし、いいだしたうえは、なんでもそのことを通す主人の気質をよく知っていましたので、彼は、急に返事をせずに思案をしていました。
「なんで、そんなに考え込んでいるか。そのかわり、もしおまえが魚を釣ってきたら、お金をたくさんやる。またおまえのほしいというものはなんでもやろう。そうすれば、おまえは、家を持って、こんどは主人になることができる。」と、主人はいいました。
下男は、そう聞くとまた喜ばずにはいられませんでした。お金をもらい、品物をもらって家を持つことができたら、どんなにしあわせなことだろう。これが夏か、春か、秋のことであったら、なんでもないこと、自分はたのしんで釣りをするだろう。ただ、いま時分のような冬であっては、どうすることもできない。しかし、できないことをするからこそ、そんなにほうびももらわれるのだと考えましたから、
「そんなら、釣りに出かけてきます。」と、下男は申しました。
「一匹でも釣れたら帰ってこい。釣れなければ帰ってきてはならぬぞ。」と、主人はいいました。
下男は、いいつけをきいて家を出かけました。その前に、彼は、いまごろどこをほってもみみずの見つからないことを知っていましたから、飯粒を餌にして釣る考えで、自分の食べる握り飯をその分に大きく造って持ってゆきました。
小川は、みんな雪にうずまっていました。また池にもいっぱい雪が積もっていて、どこが田やら、圃やら、また流れであるやらわからなかったほどであります。それに、寒さは強くて、水が凍っていました。
下男は、寒い風に吹かれながら、あちら、こちらをさまよっていましたが、やっと一筋の川らしいところに出ましたので、雪を分けて、わずかばかり現れている流れの上に糸を垂れていました。
「どうか、早く釣れるように。」と、下男は心で祈っていました。
そのとき、一羽の鳥が飛んできて、あちらの森の中に降りました。なに鳥だろうと、下男はその方を見ていると、ズドンといって鉄砲を打つ音が聞こえました。すると、さっき見た鳥は飛びあがって、今度ははるかかなたをさして飛んでいってしまいました。だれか、打ちそこなったのだなと思っていると、そこへ猟師がやってきました。
「いまごろ、おまえさんは、なにを釣っていなさるんだい。」と、猟師はききまました。
「なんということはなしに、釣っているのです。」と、下男は答えました。
「こんな川に、なにがいるもんか。もっと水の深い、日当たりのいいところでなくては、魚も寄ってきはしない。」と、猟師はいいました。
下男は、そうかと思いました。そこで糸を巻いて猟師の教えてくれたような川を探して歩きました。
すると、ある橋の際に、水の深そうな、日の当たるところがありました。そのときは、日がかげっていましたが、そこは天気ならば、きっとよく日の当たるところにちがいありませんでした。
下男は、ここならだいじょうぶだと思って、糸を下げていました。そして、一匹でも釣れたら急いで帰ろうと、そればかりを楽しみにしていましたから、寒いのもあまり感じなかったのでありました。
しばらくすると、ほおかぶりをして、えり巻きをした百姓が、その橋の上を通りかかりながら彼の釣りをしているのをながめました
「おまえさん、こんなところでなにが釣れるものかな。こんな川に魚などすんでいやしない。」と、百姓はいいました。
「ほんとうに、この川には、魚がいないのですか。」と、下男は、百姓にききました。
「ああ、いやしない。」
「そんなら、どこへいったら釣れましょうか。」と、下男は、絶望して問いました。
「それは俺にもわからないが、いま時分、釣りをするのがまちがっている。」と、百姓はいい残して、さっさといってしまいました。
下男は絶望のあまり泣き出したくなりました。また糸を巻いて、そこからあてなく、すごすごと歩きはじめました。
頼りなく思うと、じきに寒さが骨肉にしみこんできました。しかし、彼は、一匹でいいから魚が釣れたときのことを空想して、もうそんな寒さなどは身に感じなかったのであります。彼は見なれない人に出あいました。なんとなく、その人は、なんでもよく知っているように思われました。彼は、さっそく、その人にどの川へいったら魚がすんでいるかをきいたのであります。
「おまえさんは、そんなことを人にきくのはむりというもんだ。考えてみるがいい。だれも目にみえないところにすんでいるものを、釣れるとか、釣れないとかいうことはできない。根気ひとつだ。釣れるまで待っているよりかしかたがない。」と、その見なれないようすをした人はいいました。下男は、なるほどそれにちがいないと考えました。
釣れなければ、主人のもとへは帰れないのだから、どこまでもひとつしんぼうをしてみようと思いました。
見なれない人は、ゆき過ぎましたが、振り返って、
「冬は、川よりも池が釣れないのですか。私は、いつか池の魚をすくっている人を見たことがありますよ。」と、その人はいいました。
下男は、釣りについては、あまり知識がなかったものですから、そうきくと喜びました。そして、池をさがして歩きました。
やっと池をさがしあてると雪が一面に積もって水をうずめていました。しかも寒さで、その上は凍っていました。
「ああ、ここでしんぼうをするんだ。」と、下男は思いました。そして、雪を分け、氷を破って、そのすきまから、糸を垂れました。氷の下には蒼黒い水が顔を見せていました。いかにも深そうに思われたのであります。
彼は、そこにうずくまりました。いつしか雪の上に腰を下ろして、じっと暗い水の上にただよっているうきを見つめていました。いまにもそれが動きはしないかと、そのときばかりを考えていました。
寒い風が空を吹いています。哀れな下男はいつしか疲れてうとうととなったかと思うと、いつのまにか、短い冬の日が暮れてしまいました。彼は、夢とも現ともなくうとうととした気持ちになりました。
いくつも、いくつも魚が釣れた。なんという自分は幸福なことだろう。頭の上には振りまいたように、金色の星や、銀色の星が輝いている。よく見ると、それは、みんな星ではなく、金貨に、銀貨に、宝石や、宝物の中に自分はすわっているのである。もう、こんなうれしいことはない。
彼は、りっぱな家を持って、その家の主人となっていました。
あくる日、木の枝でからすがなきました。ちょうど彼の頭の上でないていました。
けれど、彼は釣りざおを握ったままじっとしていました。雪の上に凍りついて、目はガラスのように光っていました。
底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
1976(昭和51)年12月10日第1刷
1982(昭和57)年9月10日第7刷
初出:「赤い鳥」
1921(大正10)年4月
※表題は底本では、「北の国のはなし」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:富田倫生
2012年5月23日作成
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