ものぐさじじいの来世
小川未明
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あるところに、ものぐさじいさんが住んでいました。じいさんは、若いときから、手足を動かしたり、人にあって話をしたりすることを、ひじょうにものぐさがって、いつもじっとしていることが好きでありました。
花が咲いても、どこかへ見物に出かけるでなし、お祭りがあっても、わざわざいってみるという気持ちにもならず、一日、じっとして背中を円くしてすわっていました。
年をとってからは、ますますものぐさになって、倒れている火ばしを直すのもめんどうがったのであります。けれど、おじいさんは徳人とみえて、みんなから愛されていました。また暮らしにも困らずに、終日、日のよく当たるところに出て、ひなたぼっこをしていました。
おじいさんは、あまり口数はきかなかったけれど、それは根がいい人でありました。そうかといって、人々が、おじいさん、おじいさんと話しかけてこようものなら、それは、むずかしい顔をしてうるさがりました。
「おじいさん、今日は、いいお天気だから、どこかへお出かけなさい。」と、家のものがいうと、おじいさんは、はげ頭を空に向けて、
「ああ、風が寒いから止しだ。」といいました。
それから、おじいさんは、それは、また寒がりでありました。けれど、こうした気むずかしやのおじいさんでも、子供は好きでした。
おじいさんは、ものぐさ者ですから、子供を集めて、けっしておもしろい話などをきかせるようなことはなかったが、見てにこにこと笑っていました。子供は、おじいさん、おじいさんといって、そのまわりで遊びました。そして、おじいさんが、こくり、こくりと居眠りをしますと頭の上に紙きれをのせたり、背中に旗などを立てておもしろがって笑ったものです。
おじいさんは、子供ばかりには、いやな顔もしませんでした。
だれでも年をとると、一度は死にますように、おじいさんも、とうとうなくなる日がまいりました。
おじいさんは、この世にいるときに、悪いことをしなかったから極楽へいきました。
すると、仏さまは、おじいさんに向かって、
「おまえは、世の中にいるときに、あまりものぐさで、他人に対して、特別によいこともしなかったかわりに、悪いこともしなかった。そして、子供に対してはやさしかったから、なんでもおまえの望みの一つだけはきいてやる。」といわれました。
おじいさんは、頭をかしげて、なにをお願いしたらいいだろうかと考えていました。
「仏さま、私は、もう人間になって世の中へ出るのはまっぴらでございます。もっと、のんきな安楽なものにしてくださいまし。」と願いました。
仏さまは、おじいさんのものぐさを笑われました。
さて、そんなら、なんにしてやろうかと、仏さまはお考えになりましたが、なかなかおじいさんの望みのようなものは、ちょっと見つかりませんでした。
「へびにしようか。」と、仏さまはお思いになりました。けれど、へびは冬は寒がりですから、おじいさんには向きませんでした。
仏さまは、いろいろと考えられたすえに、
「雲にしようか。」と、お思いになりました。雲は、はてしもない大空を、毎日、あてもなく漂っているのですから、おじいさんのようなものぐさ者には、いちばん適していました。けれど、大風が吹いたときは、急がしく駈け出さなければならない。これもやはりおじいさんには向きませんでした。
仏さまは、お困りになりました。そして考えぬいたすえに、ついにおじいさんを、つぎのようなものとしてしまわれたのであります。
はるか南の暖かな海の、人もいかないところでありました。そこの海中の岩かげに、ふわふわと浮かんでいる海草に、おじいさんをしてしまったのです。一日ふわふわと海の上に浮かんでいます。日の光が暖かに照らしています。波影が、きらきらと光っています。鳥もめったに飛んでこなければ、その小さな島には、人も、獣物も住んでいませんでした。そして、この近傍を通る船の黒い煙すら見えませんでした。ただ岩の上に咲いた、らんの白い花が、かすかに香って、穏やかな、暖かな風にほろほろと散って落ちるばかりでありました。
こうして、一日はたち、やがて十年、二十年とたちます。百年、二百年とたちます。けれどそこばかりは、いつも日が上がって、暮れるまで、同じような光景がつづいていました。
底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社
1976(昭和51)年12月10日第1刷
1982(昭和57)年9月10日第7刷
※表題は底本では、「ものぐさじじいの来世」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:富田倫生
2012年5月23日作成
2012年9月28日修正
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