角笛吹く子
小川未明
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町の四つ角に立って、一人の男の子がうろうろしていました。子供ははだしで、足の指を赤くしていましたけれど、それを苦にも感じないようでありました。短い黒い着物をきて、延びた頭髪は、はりねずみのように光っていました。
子供は、このあたりのものではないことはよくわかっています。前には、こんな子供がこの付近で遊んでいたのを、だれも、見たものがないのでありましょう。きっとどこかからやってきて、帰る途を迷ったにちがいありません。けれど、なかなかきかぬ気の子供は、それがために、けっして泣き出すようなことがなかったのです。
町には、もう雪がたいてい消えかかっていましたけれど、なおところどころに残っているのが見えました。子供は、車がいったり、きたりしますのを目を円くして、おびえながらながめていましたが、あまり自分に注意をする人もありませんので、やっと安心したように、いくらかおちついたらしいようすでありました。ちょうど山がらすが里に出てくると、里に棲んでいる、たくさんのからすに、たかっていじめられるように、子供には、町を通る人間が怖ろしかったのです。
だれも、自分に気を止めるものがないと知ると、子供は、そのそばにあった時計屋の店さきにゆきました。その店には、ガラス戸の内側に、宝石の入った指輪や、金時計や、銀の細工をしたえり飾りや、寒暖計や、いろいろなものが並べてありましたが、中にも、一つのおもしろい置き時計が目立っていました。
それは、ふくろうの置き時計で、秒を刻むごとに、ふくろうの眼球が白くなったり、黒くなったりしたのです。
そして、時計の針が白い盤の面を動いていました。そのときはまだ、昼前でありましたが、著しく日の長くなったのが子供にも感じられました。
南の方の空の色は、緑色にうるんで、暖かな黄金色の日の光は、町の中に降ってきました。それを見上げると、子供は、いつかこの町を通ったことがあったのを思い出しました。そのときは、雪が盛んに降っていました。北風がヒューヒューと鳴って、町の中は、晩方のように、うす暗かったのです。日が短くて、時計の針が、白い盤をわずかばかりしか刻まないうちに、もう日が暮れかかるのでありました。
人々は、みんな吹雪の音に脅かされて、身をすくめ町の中を歩いていました。じきに暗くなると、どこの家も早くから戸を閉めてしまって、町の中は死んだようになりました。その後は、まったく風と雪の天地で、それはたとえようのないほど、盛んな景色でありました。子供はそれを忘れることができなかったのです。子供は、こうした吹雪を見るのが大好きでした。そして、黄金色の日の光を見ると、不思議に気持ちが悪くなって、頭痛がしたのであります。
子供は、ふくろうの眼球が、白くなったり黒くなったりするのを、もう見飽きてしまいました。そして時計屋の店さきを離れますと、また、どっちへ歩いていっていいかわからずに、うろうろとしていたのであります。
いくら気の強い子供でも、いまは泣き出しそうな顔つきをせずにはいられませんでした。
どっちへいったら、自分の家へ帰られるだろうかと思ったのです。
このとき、あちらから、真っ黒の頭巾を目深にかぶって、やはり黒い着物をきた、おばあさんがつえをついて歩いてきました。そして、町の四つ角に、ぼんやりと立っている子供を見つけますと、
「おまえは、こんなところにいたのか。」といって、子供の着物のそでを引っ張りました。
「おばあさん、もう家へ帰りたい。」と、子供は泣きだしそうな声でいいました。
「ああ、帰ろうと思って、おまえをさがしていたのだ。」と、おばあさんは答えました。
子供は、黙って、はだしのままおばあさんに連れられて、田舎路の方をさして歩いてゆきました。
あちらの森では、からすがやかましくないていました。
「ほんとうに、やかましくからすがないている。あれは、きっと里のからすだ。私たちをみつけて、鳴いているのだ。山がらすならあんなになきはしない。」と、おばあさんはいいました。
「おばあさん、からすが怖いよ。」と、子供は泣きだしそうな声でいいました。
「ばかな子だ。そんな弱いことでどうする。からすがきたら、私がつえでなぐってやる。」と、おばあさんは答えました。
子供は、からすのないている森の方を振り向きながら、おばあさんに連れられてゆきました。
村にさしかかると、まだ田にも圃にも、雪がところどころ残っていました。町よりは雪が多かったのです。そして、村の子供らが、雪の消えた乾いた往来で、こまをまわしたり、鬼ごっこをしたりして遊んでいました。
その子供らの声を聞きつけると、子供は、怖ろしがって足がすくんでしまった。
「おばあさん、みんながいじめるから怖いよ。」といって、子供は、前へ歩こうとはしませんでした。
おばあさんは、当惑そうに子供の手を引きながら、
「先がなんというても、おまえは黙っていればいい。もし、あの子供らが口でいうばかりでなく、おまえをなぐるようなことをしたら、私が、このつえでそいつをなぐってやる。」と、おばあさんはいいました。
子供は、おばあさんの蔭に隠れて、みんなの遊んでいるそばを、逃げるようにしてゆきすぎました。
「やあい、どこかの弱虫め、やあい。」と、後ろの方で子供らが悪口をいいました。
「弱虫のくせに、はだしでゆくやあい。」と、また子供らがいいました。
おばあさんの蔭に隠れて、子供は耳の根まで真っ赤にしながら、黙って、恥ずかしがっていました。
「おまえは、いい子だ。よく黙っていた。それでこそおまえは、ほんとうに強い子なんだ。」と、おばあさんは、強いけれど、また一面には臆病なところのある子供の頭をなでていいました。
二人は、さびしい、あまり人の通らない田舎路を、どこまでもまっすぐに歩いてゆきました。すると、あちらから、一人の百姓が、二頭の羊を引いて、こちらにきかかりました。これを見ると、子供は、また、怖ろしがりました。
「おばあさん、怖い。」と、子供は泣き声を出していいました。
「なにが怖いことがある。あれは羊だ。草を食べさせに百姓がつれてゆくのだ。よけてやれば、おとなしく前を通ってゆく。」と、おばあさんは答えました。
路の両側には、雪が消えかかって、青い草の出ているところもありました。けれど、だんだんと進むに従って、雪は多くなったのであります。
おばあさんと子供は、路の片端によって、百姓と羊を通してやりました。
二頭の羊は、仲よく並んで前を過ぎました。後から百姓がゆきました。
「これから先は、だんだん雪が深くなるばかりだ。」と、百姓は通り過ぎるときに、二人に向かって知らせました。
二人は、また、その路を北へ、北へと歩いてゆきました。やがて、路は、広い野原の雪の中につづいていました。広い、広い、野原はまったく白い雪におおわれています。子供はその雪の中を、元気よくおばあさんの先に立って、はだしで進みました。
北の地平線は、灰色に眠っていました。まだ、そこには春はきていなかった。
「おばあさん、もう家が近くなった。」と、子供はいいました。
「ああ、もうここまでくればだいじょうぶだ。」と、おばあさんも答えました。
このとき、子供は、懐の中から角笛を取り出しました。そして、北の野原に向かって、プ、プー、プ、プー、と吹き鳴らしたのです。すると、たちまち、無数のおおかみが、どこからか群れをなして、雪をけたって駆けてきました。子供は、その中の一頭に早くも飛び乗りました。そして、南の空を見返りながら、太陽に向かって威嚇しました。すると無数のおおかみは、等しく太陽に向かって、遠ぼえをしたのであります。その声は、じつにものすごかった。広野に眠っている遠近の木立は、みんな身震いをしました。
寒い風が急に北の方から起こってきて、雪がちらちらと降ってきました。見ると、さっきまで、つえをついて、黒い頭布をかぶっていたおばあさんは、じつは魔物であったのです。黒い頭布と見えたのは、大きな翼をたたんで、その頭を隠していたからです。
たちまち、魔物は、大きな翼を羽ばたいて、大空に舞い上がりました。子供が角笛を吹いて、北へ北へと、おおかみの群れとともに駆け去る頭の上の空には、黒雲がわいて、雷がとどろいていたのであります。
南の空からはしきりに、金色の箭が飛んできました。けれど、ここまで達せずに、みんな野原の上に落ちてしまいました。すると、そこには、雪が消えて、下からかわいらしい緑色の草が芽をふきました。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷
1977(昭和52)年C第3刷
初出:「童話」
1921(大正10)年3月
※表題は底本では、「角笛吹く子」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年9月8日作成
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