金持ちと鶏
小川未明
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あるところに金持ちがありまして、毎日退屈なものですから、鶏でも飼って、新鮮な卵を産まして食べようと思いました。
鳥屋へいって、よく卵を産む鶏を欲しいのだが、あるか、と聞きました。
鳥屋の主人は、
「よく卵を産む鶏なら、そこのかごの中に入っていますのより、たくさん産む鶏はありません。」といいました。
金持ちは、かごの中に入っている鶏を見ました。それは、背の低い、ごま色の二羽の雌鶏と、一羽のあまり品のよくない雄鶏でありました。
「これがそんなに卵を産むのか。」と、金持ちは問い返しました。
「産むにも、それほど産む鶏は、おそらくありません。」と、鳥屋の主人は答えました。
金持ちは、その三羽の鶏を買って家に帰りました。
なるほど、日数がたつにつれて、雌鳥は毎日卵を産みはじめました。一日とて休みなく産んだのであります。金持ちは、毎日新鮮な卵を食べられるので喜びました。
「買う時分には高いと思ったが、こう、毎日卵を産むんでは、ほんとうに安いものであった。こんないい鶏というものは、めったにあるもんでない。」と、独りで自慢をしていました。
ある日のことでありました。金持ちの友だちが遊びにきました。金持ちは友だちに向かって、
「家の鶏は、ほんとうに珍しい鶏で、毎日いい卵を産む。まあ、あんな鶏はめったにないものだ。」と、自分の鶏をたいそうほめていいました。
友だちは、日ごろから、やはり鶏が好きであったものですから、
「ほう、おまえさんも、このごろは鶏を飼いはじめなさったか。どれ、どれ、どんな鶏だかひとつ見せてもらおう。」といって、さっそく、裏に出て、その鳥をながめました。
金持ちは、そのそばにやってきて、
「どうだい、珍しい鶏だろう。」といいました。
友だちは、黙って、その鶏を見ていましたが、やがて大きな口を開けて笑い出しました。
「おまえさんは、まだ鶏にはまったくの盲目じゃ、この鶏などは、ざらに世間にある鶏で、珍しい鶏でもなんでもない。」といいました。
それから、友だちは、自分の養鶏によって経験をした、いろいろなことを語って金持ちに聞かせましたので、金持ちは、自慢したのが恥ずかしくなりました。
友だちが、帰りました後で、金持ちは、なんだか悔しくてなりませんでした。日ごろから負けずぎらいな男でありましたから、どうかして、そのうち友だちを驚かしてやりたいものだと思いました。
いままでのように、金持ちは、卵を産む鶏をたいせつにしなくなりました。どうかして、こんなありふれた鶏をどこかへやって、珍しい鶏をほしいものだと思いました。
ある日のこと、金持ちはふたたび町の鳥屋にやってきました。
「鳥屋さん、どうか私に珍しい鶏を売ってくれないか。この前、この店で買って帰った鶏はありふれた鶏で、珍しくもなんともない。」といいました。
すると、鳥屋の主人は、
「この前いらしたときには、卵をたくさん産む鶏が欲しいとの仰せでしたから、卵を産む鶏をさしあげたのです。いかがですか、卵を産みましたか。」と聞きました。すると、金持ちは顔をしかめて、
「産むにもなんにも、毎日うるさいほど産む。卵ばかり食っていられるもんでなし。」と、かえって不平をいいましたので、さすがの鳥屋の主人もたまげてしまいました。
「よろしゅうございます。そこの金網を張ったかごの中にいる鶏は珍しい鶏です。おそらく、こんな鶏をこの近在に持っている人はありません。強いことはこのうえなしです。かごから外に出すときは、脚になわをつけておかないと、空を飛んで、逃げてゆきます。これは対馬からきましたので、野生の鶏でございます。」といいました。
金持ちは話を聞いただけで、はやびっくりしました。そして、金網を張ったかごの中をのぞきますと、なるほど、首の長くて赤い、背の高い、けづめの鋭くとがった雄鶏と、一羽のそれよりやや体の小さい雌鶏がいました。
「鳥屋さん、ほんとうに珍しい鶏だね。」と、金持ちは喜びに喜びながら問いました。友だちに見せて、ひとつ驚かしてやろうと思ったからです。
「へい、へい、お珍しいということにかけては、どこへ出したって恥ずかしいことはありません。」と、鳥屋の主人は答えました。
金持ちは、この鶏をかごごと買って帰りました。明くる日、さっそく、友だちのもとへ使いをやって、世に珍しい鶏を手に入れたから、ぜひ、見にきてくれと告げました。
鶏好きの友だちは、どんな鶏を金持ちが買ったろうと思って、すぐにやってきました。
「珍しい鶏をお求めなさったというが、どれひとつ見せていただこう。」と、友だちは、金網を張ったかごの前に立って、内をのぞきました。
「なるほど、変わった鶏だな。」と、感嘆をしてながめていました。
そばに立っていた金持ちは、得意の顔つきをして鼻をうごめかしていました。
「この鶏は、空を飛ぶばかりでなく、強くてどんな鶏にもけっして負けたことがない。」と、金持ちがいいました。
友だちは、金持ちの顔を見上げて、
「空を飛ぶとな、そんな鶏が世の中にありますかえ、それはすこしおおげさすぎはしないか。」と、頭をかしげました。
「だれがうそをいうもんか。ひとつ飛ばしてみせよう。」
と、金持ちはいって、大騒ぎをして、鶏の脚に繩を結び付けて、外に出して放しました。
すると、たちまち羽ばたきをして、鶏は屋根の上を飛び、木の枝に止まりました。
友だちは、これを見て呆気にとられると、金持ちはますます得意になって、
「このとおりだ。闘鶏をさせるなら、どこからでも相手になるのを連れてくるがいい、けっして、この鶏は負けないから。」
と、金持ちはいいました。
友だちは、考えていましたが、
「じつは、私のところに強い闘鶏が一羽いる。かつて負けたことがないのだから、ひとつおまえさんのこの鶏と闘わしてみましょう。」
といいました。
「それはおもしろいことだ。」と、金持ちは答えました。
明くる日、友だちは闘鶏をつれてきました。そして、金持ちの鶏と闘わしました。
はじめのうちはどちらが勝つか、負けるかわからないほどでありましたが、ついに金持ちの鶏に友だちの闘鶏は負かされて、血だらけになってたおれてしまいました。
それからというもの、金持ちの得意は一通りでありませんでした。近所でも、この鶏は評判になりました。
小学校の生徒や、小さな犬は、この鶏をおそれてそばに寄りつきませんでした。
金持ちは、鶏が家に慣れると、つねにかごから外に放しておきました。夜になると鶏は、家に帰ってきてかごの中に入りました。
近所の人々は、鶏のために圃や、庭を荒らされるのを苦に思いましたけれど、家や、地所が金持ちの所有であるために、なにもいわずに忍んでいました。
秋の日のこと、この村を洋服を着て、銃を肩にした男が、猟犬をつれて通りました。日ごろ怖ろしいもの知らずの金持ちの鶏は、犬に向かって不意に飛びつきましたので、犬は怒りました。そうして、とうとう犬のためにかみ殺されてしまいました。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷
1977(昭和52)年C第3刷
初出:「こども雑誌」
1919(大正8)年10月
※表題は底本では、「金持ちと鶏」となっています。
※初出時の表題は「金持と鶏」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年9月23日作成
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