酒倉
小川未明
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甲と乙の二つの国は、隣り合っているところから、よく戦争をいたしました。
あるときの戦争に、甲の国は乙の国に破られて、乙の軍勢は、どしどし国境を越えて、甲の国に入ってきました。甲の大将は、とても正当の力では乙の軍勢を防ぐことができない、そうして降参しなければならないと思いましたから、これはなにか策略を巡らして、乙の兵隊や、大将どもを殺してしまわなければならぬと考えたのであります。
そこで、乙の軍勢が、甲のある小さな町を占領したときに、甲の大将は、すっかりその町の食物を焼き払って、ただ、酒と水ばかりを残しておきました。そうして、その酒と水には、ことごとく毒を入れておきました。大将は、敵がきっと腹を減らして、のどを渇かしてくるにちがいない。そのとき、食物がないから、きっと酒を飲み、水を飲むにちがいないと思ったのです。そうして、この町から逃げてゆきました。
はたして、乙の軍勢はえらい勢いでこの町を占領しましたけれど、食物がありません。みんなは腹が空いてのどが渇きますものですから、大将はじめ兵士は、いずれも酒を飲み、水をがぶがぶ飲んだのであります。すると、急に腹が痛みだしてきて、みんなは苦しみはじめました。そうして、時を移さずにごろごろと倒れて死んでしまいました。
はるかに、このようすを見ていました甲の国の大将は、このときだと思いました。負けた兵士を勇気づけて逆襲をいたし、さんざんに弱った乙の国の軍勢を破りました。
思わぬことにほこ先をくじいた乙の軍勢は敗けて退却いたしますと、今度は甲の軍勢は急に勢いを盛り返して、逃げる乙の軍勢を追ってゆきました。
いつしか乙の軍勢は国境を越えてわが国に逃げ帰り、とうとうこの戦争は、甲の勝利に帰してしまいました。そうして、甲の国の大将が奇略を用いたから戦争に勝ったというので、たいそうその大将は人々にほめられました。
けれど、平和はただちに破れて、また二国は戦争を始めました。
今度は甲の国が勝ちつづけて、その軍勢は、国境を越えて乙の国へ侵入したのであります。
ある日のこと、甲の軍勢は乙の国のある村を占領いたしました。その村の人々は、すでにどこへか逃げてしまって、村にはまったく人影が見えなかったのです。たまたま家を失った犬がその辺をうろついている姿を見ますばかりで、豚も、鶏も、馬も、牛も見なかったのであります。それは、村人が逃げるときに敵に渡すのを惜しんで連れていったり、また殺して焼き捨ててしまったりしたのであります。
甲の国の大将は、このさびしい火の消えたような村の中を見まわりました。どこかに食べ物が隠してないかと思ったのであります。けれどどこにも、食糧品がなかったのです。大将は微笑みました。そうして心の中でいったのです。
「ははあ、これは、いつかおれが敵を困らしてやった策略をそのまま、おれに当てはめようとするのだな。ばかなやつらめ。」と、見まわって歩きました。
すると、草原の中に、ただ一人の少年がすわっていました。太陽の光は、その少年の頭を熱そうに照らしています。
「おまえは、そこでなにをしているのだ。」と、大将は少年に声をかけました。
「私は、びっこです。みんなといっしょに逃げることができませんから、しかたなくこうしています。」と答えました。
「おまえは、どの井戸や、酒倉に毒を入れたか知っているにちがいない。それを教えればよし、教えないと承知をしないぞ。」と、大将はいいました。
少年は、この村の三軒の酒倉だけには毒が入っているが、ほかは毒が入っていないと告げました。これを聞いた大将は考えていましたが、やがてみんなに命令を下して、
「みんなは三軒の酒倉の酒を飲め、そのほかは、どれも毒が入っているぞ。」と叫びました。兵士たちは争って、その三軒の酒倉へ飛び込みました。大将もいって酒を飲みました。そして一人残らず死んでしまいました。少年は、うそはいわなかったのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷
1977(昭和52)年C第3刷
初出:「読売新聞」
1918(大正7)年10月24日~25日
※表題は底本では、「酒倉」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年9月23日作成
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