ろうそくと貝がら
小川未明
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海の近くに一軒の家がありました。家には母親と娘とがさびしく暮らしていました。けれど二人は働いて、どうにかその日を暮らしてゆくことができました。
父親は二年前に、海へ漁に出かけたきり帰ってきませんでした。その当座、たいへんに海が荒れて、難船が多かったといいますから、きっと父親も、その中に入っているのだろうと悲しみ嘆きました。
けれど、また、遠いところへ風のために吹きつけられて、父親はまだ生き残っていて、いつか帰ってくるのではないかというような気もしまして、二人は、おりおり海の方をながめて、あてなき思いにふけっていました。
「お母さん、お父さんは死んでしまわれたんでしょうか。」と、娘は目に涙をためて、母親に問いますと、
「いまだにたよりがないところをみると、きっとそうかもしれない。」と、母親も、さびしそうな顔つきをして答えました。
「ほんとうに、お父さんが生きていて帰ってきてくだされたら、どんなにうれしいかしれない。」と、娘はいいました。
「生きていなされば、きっと帰ってきなさるから、そう心配せずに待っていたほうがいい。」と、母親は娘をなぐさめました。
娘は昼間仕事に出て、日が暮れかかると家に帰ってきました。窓を開けると、かなたに青い海が見えました。静かに、海のかなたが、赤く夕焼けがして暮れてゆくときもあります。また、灰色に曇ったまま暮れてゆくときもあります。またあるときは、風が吹いて、海の上があわだって見えるときもありました。
月のいい晩には、往来する船も、なんとなく安全に思われますが、海が怒って、真っ暗な、波音のすさまじいときには、どんなに航海をする船は難儀をしたかしれません。
そんなとき、娘はきっと父親のことを思い出すのでありました。もし父親が、こんな嵐の強い晩に、海をこいで帰ってこられたなら、方角もわからないので、どんなにか難儀をなされるだろうと、こう考えると、娘はもはや、じっとしていることができませんでした。立ち上がって、窓からいっしんに沖の方を見つめていました。
父親の行方がわからなくなってから、二人は、毎晩仏壇に燈火をあげて拝みました。
「お母さん、外はたいへんな風ですね。お父さんが、今夜あたり帰っておいでなさるなら、沖は荒れて真っ暗でどんなにお困りでしょうね。」と、娘はいいました。
「そんなことはないよ。こんな晩にどうしてお父さんが、あの船で帰っておいでなさるものか。そんなことを考えないほうがいいよ。」と、母親は答えました。
「だって、帰っておいでなさるかもしれないわ。わたしは、お父さんが見当のつくように、ろうそくの火を点してあげるわ。」と、娘はいって、窓ぎわに幾本となく、ろうそくに火をつけてならべました。
なにしろ風が強いので、ろうそくの火は幾たびとなく消されました。けれど、娘は消えると、点け、消えると点けして、沖から、遠く陸に燈火が見えるようにと、熱心にろうそくの火を点していたのであります。
娘は、ついに家にありったけのろうそくを燃やしつくしてしまいました。もはや、このうえは、遠く離れた町にまでいって買ってこなければ、点けるろうそくはなかったのであります。
「おまえの志は、よくお父さんにとどいたと思います。もうろうそくがなくなったから、さあ休みましょう。」と、母親はいいました。
夜も、いつしか更けていました。娘もしかたがないと考えて、二人は戸を閉めて床に入ろうとしました。
そのとき、だれか戸をたたくようなけはいがしました。
「だれかきたようだ。」と、母親はいいました。
「ほんとうに、だれか戸をたたくようですね。いま時分だれだろう。きっと、お父さんが帰っていらっしたのですよ。」と、娘は勇んで、さっそく、戸口のところへ走っていきました。
「お父さんですか。」と、娘は叫びました。けれど、戸の外の人は返答をしませんでした。
「どなた。」といいながら、娘は戸を開けました。すると、黒い装束をした脊の高い、知らぬ男が突っ立っていました。娘はびっくりして、後ずさりをしました。黒い装束の男は、家の中へ入ってきました。
「あなたは、どこからおいでなされました。この真夜中に家ちがいじゃありませんか。」と、母親は驚いた顔つきで、男をながめながらいいました。
「いや、家ちがいじゃありません。じつはお父さんからの言づてがあったのでまいりました。」と、黒い装束をした男は、穏やかに答えました。
「え、家のお父さんからですか?」と、娘はびっくりして、男のそばに駆け寄りました。
「そうです。あなたのお父さんはいま、遠くにいられます。けれど、それはじつに暮らしいいところです。あなたのお祖父さんも、いっしょに住んでいられます。あなたが毎夜、思っていてくださることは、よくお父さんにわかっていますので、どうか心配せずにいてくれるようにとのお言づてでございました。」と、その男はいいました。
娘と母親は、なおいろいろと、その男に父親の身の上を聞こうと思いましたが、
「今夜は、もう遅いから、いずれまたお伺いいたします。」と、男はいって、袋に包んだものを差し出して、
「これは、ほんの土産です。私が帰った後でごらんください。」と、娘にその袋を渡して、男はこの家を出て、どこへか闇の中に消えてしまいました。
男が去った後で、娘は袋を開けてみますと、その中には、無数の金銀の粉が入っていて、目もくらむばかりでありました。二人は、いったいこれはなんだろうと不思議がりましたが、夜が明けたらよく見ようといって、床に就きました。
明くる日、二人はその袋を開けて子細に見ますと、金でも銀でもなければ、よごれた貝がらでありました。
「あれはきっと、きつねかなにかの化け物だ。こんな貝がらなどを持って、おまえをだましにきたのだ。こんなものは捨てておしまい。」と、母親はいって、袋の中の貝がらを、すっかり窓の外に投げ捨ててしまいました。娘は、二、三日たって窓の外を見ますと、捨てた貝がらが、すっかり、美しいかわいらしい黄色な花になっていました。
その日から娘は、朝晩唄をうたいながら、その花を摘んで遊びました。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷
1977(昭和52)年C第3刷
※表題は底本では、「ろうそくと貝がら」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2013年9月23日作成
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