海へ
小川未明
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この村でのわんぱく者といえば、だれ知らぬものがなかったほど、龍雄はわんぱく者でした。親のいうこともきかなければ、また他人のいうこともききませんでした。
よく友だちを泣かしました。すると泣かされた子供の親は、
「またあの龍雄めにいじめられてきたか。」
といって、なかには怒って親がわざわざ龍雄の家へ告げにやってくるものもありました。こんなわけで龍雄の両親は、わが子にほとほと困ったのであります。学校にいる中は、成績はいいほうでありましたけれど、やはり友だちをいじめたり、先生のいうことをきかなかったりして先生を困らしました。しかし小学校を卒業すると、家がどちらかといえば貧しかったので、それ以上学校へやることができなかったのであります。龍雄は、毎日棒を持って村の中をぶらぶら歩いていました。
彼は乱暴なかわりに、またあるときは、優しく、涙もろかったのであります。だから、この性質をよく知っている年をとった人々には、またかわいがる人もあったのであります。
親は、もう十四になったのだから、いつまでもこうしておくわけにはゆかぬと考えていました。ちょうどそのやさきへ、あるしんせつな老人がありまして、そのおじいさんはふだん龍雄をかわいがっていましたが、
「私の知った町の糸屋で、小僧が欲しいということだから、龍雄をやったらどうだ、先方はみなしんせつな人たちばかりだ。なんなら私から頼んであげよう。」
と、おじいさんはいいました。これを聞いた龍雄の親たちはたいそう喜びました。そして、さっそく龍雄をその家へやることに決めました。
いよいよ家から出て、他人の中に入るのだと思うと、いくらわんぱく者でもかわいそうになって、もう二、三日しか家にいないというので、両親はいろいろごちそうをして龍雄に食べさせたりしました。ある日のこと、龍雄は母親とおじいさんの二人に連れられて、町へいってしまいました。
龍雄が村にいなくなったときくと、日ごろ彼からいじめられていた子供らは、みな喜び安心しました。もうこわいものがないと思ったからです。
彼の母親や、また父親は、
「いまごろはどうしているだろう。」
と、龍雄のことを思い暮らしました。すると、いってから二、三日たったある日の晩方、突然、戸口に龍雄の姿が現れたから、両親はびっくりして、そのそばに駆けよりました。
「どうして帰ってきたか?」
と、母親は問いました。
母親は、なにか我が子が悪いことでもして出されてきたのではないかと思ったので、こういう間も胸がとどろきました。
「黙って帰ってきた。糸屋なんかいやだ。もうどうしてもゆかない。」
と、龍雄はいってききませんでした。
「そんなことをいうもんでない。しんぼうしなくては人間になれない。謝って帰らなければならない。」
と、父親も、母親もいいましたけれども、どうしても龍雄はいうことをききませんでした。
母親の知らせによって、しんせつなおじいさんがさっそくやってきました。
「いやなものはしかたがない。さあ家へお上がり。先方は私からよくいっておく。また私がよいところを捜してあげるから。」
と、おじいさんはいいました。
村の子供は、龍雄が家に帰ってきたことを知ると驚きおそれました。また龍雄が外に出ると子供を泣かしてくるので、彼の母親は心配し、気をもみました。
一日、しんせつなおじいさんが、龍雄の家へやってきました。
「いいところがあった。四里ばかり離れた田舎だが、なに、汽車に乗ればすぐにゆけるところだ。大きな酒屋で小僧が入り用だというから、そこへ龍雄をやってはどうだ。」
といいました。両親は、おじいさんの世話だから、安心してすぐにやることに決めました。
「龍雄や、今度はしんぼうしなければならんぞ。」
と父親はいいました。
龍雄は、父親に連れられて汽車に乗って田舎にゆきました。そしてやがて父親だけが一人家へ帰ってきました。龍雄は田舎に残されたのであります。
それから三、四日たって、やはり日暮れ方のことでした。
「龍雄さんが帰ってきましたよ。」
と、外に遊んでいた子供が家へ知らせにきました。両親は顔を見合わせてびっくりしました。そして外に出てみますと、まさしく龍雄でありました。
両親はわが子を家に入れてからさんざんにしかりました。そして、なんで帰ってきたか? どうして遠いところを帰ってきたか? と聞きました。
「俺は酒屋の小僧なんかになるのはいやだから家へ帰ってきた。銭がちっともないから鉄道線路を歩いてきたよ。」
と、泣きながら龍雄は答えました。
両親は、そのことをおじいさんに話しますと、おじいさんは笑って、
「これは四里や五里の近いところへやったのではだめだ。百里も二百里も遠いところへやらなければだめだ。」
といいました。
そのとき、ちょうど都から、この村にきている質屋の主人が、
「そんなら、私どものところへ連れてゆきますが、奉公によこしてくださらんか。」
といいました。龍雄の両親は、幸いと思って、その主人に龍雄を頼んで、都へやることにしたのであります。
龍雄はついに、その主人が都へ帰るときに、連れられて都にきました。彼はにぎやかで、四辺がきれいなのに驚きました。しかし、それも初めのうちだけでした。彼は、また故郷が恋しくなりました。母や、父や、友だちや、遊んだ森や、野原が恋しくなりました。恋しくなると、彼の性質として矢も楯もたまらなくなりました。ある夜、店から抜け出た彼は、足の向くままに、停車場を指してやってきました。けれども、もとより汽車賃がなかったので、どうすることもできません。見ますと、故郷の方へ立つ夜行列車が出ようとしています。
彼はせめて貨車の中にでも身を隠すことができたら、幸福だと考えましたので、人目をしのんで、貨車に乗り込もうとしますと、中から、思いがけなく、
「だれだ?」
と声がしました。そして大男が龍雄をとらえました。龍雄はもう逃れる途はないと知りましたから、すべてのことを正直にうちあけました。その男は酔っていました。
「しようのない奴だ。俺だから許してやるのだぞ。そんなら乗せてやる。そのかわり俺は眠るから、汽車がどの停車場に着いても、止まったときはきっと俺を起こすんだぞ。さあ乗れ。」
と、男はいいました。龍雄はよくその約束を守りました。そして翌日の朝、汽車が故郷の停車場に着いたとき、男に別れを告げて、男のおかげで無事に停車場からも出ることができました。
彼は両親にしかられる覚悟をして家へ帰りますと、圃に出てなにかしていた母親は、龍雄の姿を見つけたとき、夢ではないかとびっくりしました。そしてあきれました。独り両親があきれたばかりでなく、しんせつなおじいさんも今度は笑いませんでした。手を組んでじっと考えました。そして、しばらくしてから龍雄に向かって、
「おまえは、なにになりたいつもりなのだ。」
と、おじいさんは聞きました。龍雄は、両手をひざに置いて考えていましたが、
「どうせ、故郷にいることができないなら、いっそのこと海へいって船乗りになりたいと思います。」
と答えました。これを聞くと、おじいさんは黙ってうなずきました。
「なるほど、おまえの気質ではそうでもあろうか。いままで、私どもが、なんにでもおまえをさせ得るものと考えていたのがまちがっていた。おまえの好きな途を、おまえはゆくがいい。」
と、おじいさんはいいました。
青い青い海はどうどうと波高く響いています。見渡すとはてしもない。その後、海にいって船乗りになった龍雄は、いま、どこを航海していることでしょう。もう、彼は、故郷には帰ってこなかったのです。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第7刷発行
初出:「日本少年」
1918(大正7)年7月
※表題は底本では、「海へ」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班
2011年11月2日作成
2012年11月4日修正
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