赤い船
小川未明
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露子は、貧しい家に生まれました。村の小学校へ上がったとき、オルガンの音を聞いて、世の中には、こんないい音のするものがあるかと驚きました。それ以前には、こんないい音を聞いたことがなかったのです。
露子は、生まれつき音楽が好きとみえまして、先生が鳴らしなさるオルガンの音を聞きますと、身がふるいたつように思いました。そして、こんないい音のする器械は、だれが発明して、どこの国から、はじめてきたのだろうかと考えました。
ある日、露子は、先生に向かって、オルガンはどこの国からきたのでしょうか、と問いました。すると先生は、そのはじめは、外国からきたのだといわれました。外国というと、どこでしょうかと考えながら聞きますと、あの広い広い太平洋の波を越えて、そのあちらにある国からきたのだと先生はいわれました。
そのとき、露子は、いうにいわれぬ懐かしい、遠い感じがしまして、このいい音のするオルガンは船に乗ってきたのかと思いました。それからというもの、なんとなく、オルガンの音を聞きますと、広い、広い海のかなたの外国を考えたのであります。
なんでも、いろいろと先生に聞いてみると、その国は、もっとも開けて、このほかにもいい音のする楽器がたくさんあって、その国にはまた、よくその楽器を鳴らす、美しい人がいるということである。で、露子は、そんな国へいってみたいものだ。どんなに開けている美しい国であろうか。どんなに美しい人のいるところであろうか。そしてその国にいくと、いたるところでいい音楽が聞かれるのだと思いました。それで露子は大きくなったら、できるものなら、外国へいって音楽を習ってきたいと思いました。露子の家は貧しかったものですから、いろいろ子細あって、露子が十一のとき、村を出て、東京のある家へまいることになりました。
その家はりっぱな家で、オルガンのほかにピアノや蓄音機などがありました。露子は、なにを見ても、まだ名まえすら知らない珍しいものばかりでありました。そしてそのピアノの音を聞いたり、蓄音機に入っている西洋の歌の節など聞きましたとき、これらのものも海を越えて、遠い遠いあちらの国からきたのだろうかと考えたのであります。昔、村の小学校時代にオルガンを見て、懐かしく思ったように、やはり懐かしい、遠い、感じがしたのであります。
その家には、ちょうど露子の姉さんに当たるくらいのお方がありまして、よく露子をあわれみ、かわいがられましたから、露子は真の姉さんとも思って、つねにお姉さま、お姉さまといって懐きました。
よく露子は、お姉さまにつれられて、銀座の街を歩きました。そして、そのとき、美しい店の前に立って、ガラス張りの中に幾つも並んでいるオルガンや、ピアノや、マンドリンなどを見ましたとき、
「お姉さま、この楽器は、みんな外国からきましたのですか。」
と問いました。お姉さまは、
「ああ、日本でできたのもあるのよ。」
といわれました。
露子の目には、それらの楽器は黙っているのですが、ひとつひとつ、いい、奇しい妙な、音色をたてて、震えているように見えたのであります。そして、晩方など、入り日の紅くさしこむ窓の下で、お姉さまがピアノをお弾きなさるとき、露子は、じっとそのそばにたたずんで、いちいち手の動くのから、日の光がピアノに当たって反射しているのから、なにからなにまで見落とすことがなく、また歌いなされる声や、かすかにふるえる音のひとつひとつまで聞きのこすことがなかったのであります。
露子にはピアノの音が、大海原を渡る風の音と聞こえたり、岸辺に打ち寄せる波の音と聞こえたのであります。そして、ピアノをお弾きなさるお姉さまが、すきとおるお声で、外国の歌をうたいなさるお姿は、いつもよりかいっそう神々しく見えたのであります。水晶のようなお目は星のごとく輝いて、涙が浮かんでいたのでありました。
露子は、自分の母さまや、父さまのことを思い出し、また村の小学校のことなどを思い出して、いつしか熱い涙が、ほおを流れたのでありました。
露子は、おりおり、自分が船に乗って外国へいったような夢を見ました。そして、外国でオルガンを習ったり、ピアノを聞いたりして、たいそう自分が音楽が上手になって、人々からほめられたような夢を見ておおいに喜ぶと、夢がさめて驚いたことがありました。
* * * * *
初夏のある日のこと、露子は、お姉さまといっしょに海辺へ遊びにまいりました。その日は風もなく、波も穏やかな日であったから、沖のかなたはかすんで、はるばると地平線が茫然と夢のようになって見えました。白い雲が浮かんでいるのが、島影のようにも、飛んでいる鳥影のようにも見えたのであります。
お姉さまは、いい声でうたいながら、露子の手をとってお歩きになりますと、露子も、きれいな砂を踏んで波打ちぎわを歩きました。波は、かわいらしい声をたてて笑った。このとき、沖のはるかに、赤い筋の入った一そうの大きな汽船が、波を上げて通り過ぎるのが見えました。露子は、ふと、この汽船は遠くの遠くへいくのではないかと思って見ていますと、お姉さまも、またじっとその船をごらんになりました。
「お姉さま、この海はなんという海なのでしょう。」
と聞くと、「この海が太平洋というのですよ。」とお教えくださいましたので、この海をどこまでもいけば外国へいかれるのだろうと思いました。
「あの、赤い船は外国へいくのでしょうか。」
と、露子はお姉さまに問いました。するとお姉さまは、いつもじっとものをごらんになるとき目に涙を浮かべられますが、やはり目に涙をたたえて、
「そうねえ。」
といって、暫時、頭をおかしげになっていましたが、
「ああ、きっと外国へいくんでしょうよ。」
と、やさしくいわれました。
「幾日ばかりかからなければ、外国へいかれませんの。」
と、露子は聞きました。
「幾日も、幾日もかからなければ、外国へはいかれません。幾千マイルという遠くへいくんですもの。」
と、お姉さまはいわれました。
そう思うと、なんとなくあの赤い船が懐かしいのであります。あの赤い船は太平洋を渡って、美しい国へいくのかと思いますと、あの赤い船にどんな人が乗っていて、なにをしているかと考えました。けれど遠くへだたっていますので、ただ赤い筋と、ひらひらひるがえっている旗と、太い煙突と、その煙突から上る黒い煙と、高い三本のほばしらとが見えたばかりであります。そして船の過ぎる跡には白い波があわだっているばかりでありました。
露子は、どうしてもその赤い船の姿を忘れることができません。自分も、その船に乗って外国へいってみたい。そして、オルガンやピアノや、いい音楽を聞いたり、習ったりしたいものだと考えました。見るうちに赤い船は、だんだん遠ざかってしまった。日は漸々西に傾いて、波の上が黄金色に輝いて、あちらの岩影が赤く光った時分には、もうその船の姿は波の中に隠れて、煙が一筋、空に残っていたばかりです。
その日は、お姉さまといっしょに海辺で遊び暮らして、疲れた足をひきずって家に帰りました。
明くる日、露子は窓によって、赤い船はいまごろどこを航海していようかと思っていますと、ちょうどそこへ一羽のつばめが、どこからともなく飛んできました。
露子は、つばめに向かって、
「おまえは、どこからきたの。」
と聞きますと、つばめは、かわいらしいくびをかしげて、露子をじっと見ていましたが、
「私は、南の方の海を渡って、はるばると飛んできました。」
と答えました。
「そんなら、太平洋を越えてきたの?」
と、露子の顔には覚えず笑みがあふれたのであります。つばめは、
「それは幾日となく、太平洋の波の上を飛んできました。」
と答えました。
「そんなら、おまえは船を見なくて? ……」
と、露子は聞きました。
すると、つばめは、
「それは、毎日毎日幾そうとなく船を見ました。あなたのお聞きになります船は、どんな船ですか。」
と問い返しました。
露子はつばめに、その船は赤い筋の入った船で、三本の高いほばしらがあることから、自分の見た記憶のままを、いちいち語り聞かせたのであります。
すると、つばめは、またくびをかしげて、この話を聞いていましたが、
「その船なら、私はよく知っています。私が長い旅に疲れて、暮れ方、翼を休めるため、海の上に止まる船のほばしらを探していましたとき、ちょうどその赤い船が、波を上げて太平洋を航海していましたから、さっそく、その船のほばしらに止まりました。ほんとうにその晩はいいお月夜で、青い波の上が輝きわたって、空は昼間のように明るくて、静かでありました。そして、その赤い船の甲板では、いい音楽の声がして、人々が楽しく打ち群れているのが見えました。」
と語り聞かして、つばめは、またどこへか飛び去ってしまいました。
露子は、いまごろはその船は、どこを航海しているだろうかと考えながら、しばしつばめのゆくえを見守りました。
底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社
1976(昭和51)年11月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第7刷発行
※表題は底本では、「赤い船」となっています。
入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班
校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班
2011年11月2日作成
2012年9月27日修正
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