痴人と死と
ホフマンスタアル Hugo von Hofmannsthal
森鴎外訳
|
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の垂布にて覆いあり。窓にそいて左の方に為事机あり。その手前に肱突の椅子あり。柱ある処には硝子の箱を据え付け、その中に骨董を陳列す。壁にそいて右の方にゴチック式の暗色の櫃あり。この櫃には木彫の装飾をなしあり。櫃の上に古風なる楽器数個あり。伊太利亜名家の画ける絵のほとんど真黒になりたるを掛けあり。壁の貼紙は明色、ほとんど白色にして隠起せる模様及金箔の装飾を施せり。
主人クラウヂオ。(独窓の傍に座しおる。夕陽。)夕陽の照す濡った空気に包まれて山々が輝いている。棚引いている白雲は、上の方に黄金色の縁を取って、その影は灰色に見えている。昔の画家が聖母を乗せる雲をあんな風にえがいたものだ。山の裾には雲の青い影が印せられている。山の影は広い谷間に充ちて、広野の草木の緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼は最後の光を見せている。あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているのだ。自然はあれに使われて、あれが望からまた自然が湧く。疲れてもまた元に返る力の消長の中に暖かい幸福があるのだ。あれあれ、今黄金の珠がいざって遠い海の緑の波の中に沈んで行く。名残の光は遠方の樹々の上に瞬をしている。今赤い靄が立ち昇る。あの靄の輪廓に取り巻かれている辺には、大船に乗って風波を破って行く大胆な海国の民の住んでいる町々があるのだ。その船人はまだ船の櫓の掻き分けた事のない、沈黙の潮の上を船で渡るのだ。荒海の怒に逢うては、世の常の迷も苦も無くなってしまうであろう。己はいつもこんな風に遠方を見て感じているが、一転して近い処を見るというと、まあ、何たる殺風景な事だろう。何だかこの往来、この建物の周囲には、この世に生れてから味わずにしまった愉快や、泣かずに済んだ涙や、意味のないあこがれや、当の知れぬ恋なぞが、靄のようになって立ち籠めているようだ。(窓に立ち寄る。)何処の家でも今燈火を点けている。そうすると狭い壁と壁との間に迷や涙で包まれた陰気な世界が出来て、人の心はこの中に擒にせられてしまうのだ。あるいは幾人か集って遠い処に行っている一人を思ったり、あるいは誰か一人に憂き事があるというと、皆が寄って慰めるのだ。しかし己は慰めという事を、ついぞ経験した事がない。ほんに世の中の人々は、一寸した一言をいうては泣き合ったり、笑い合ったりするもので、己のように手の指から血を出して七重に釘付にせられた門の扉を叩くのではない。一体己は人生というものについて何を知っているのだろう。なるほどどうやら己も一生というものの中に立っていたらしゅうは思われる。しかし己は高が身の周囲の物事を傍観して理解したというに過ぎぬ。己と身の周囲の物とが一しょに織り交ぜられた事は無い。周囲の物に心を委ねて我を忘れた事は無い。果ては人と人とが物を受け取ったり、物を遣ったりしているのに、己はそれを余所に見て、唖や聾のような心でいたのだ。己はついぞ可哀らしい唇から誠の生命の酒を呑ませて貰った事はない。ついぞ誠の嘆にこの体を揺られた事は無い。ついぞ一人で啜泣をしながら寂しい道を歩いた事はない。どうかした拍子でふいと自然の好い賜に触れる事があってもはっきり覚めている己の目はその朧気な幸を明るみへ引出して、余りはっきりした名を付けてしまったのだ。そして種々な余所の物事とそれを比べて見る。そうすると信用というものもなくなり、幸福の影が消えてしまう。たまたま苦労らしい嘆らしい事があっても、己はそれを考の力で分析してしまって、色の褪めた気の抜けた物にしてしまったのだ。ほんに思えばあの嬉しさの影をこの胸にぴったり抱き寄せるべきであったろうに。あの苦労の影を熟く味ったら、その中からどれ程嬉しさが沸いたやら知れなんだ物を。ああ、悲の翼は己の体に触れたのに、己の不性なために悲の代に詰まらぬ不愉快が出来たのだ。(物に驚きたるように。)もう暗くなった。己はまた詰まらなくくよくよと物案じをし出したな。ほんにほんに人の世には種々な物事が出来て来て、譬えば変った子供が生れるような物であるのに、己はただ徒に疲れてしまって、このまま寝てしまわねばならぬのか。(家来ランプを点して持ち来り、置いて帰り行く。)ええ、またこの燈火が照すと、己の部屋のがらくた道具が見える。これが己の求める物に達する真直な道を見る事の出来ない時、厭な間道を探し損なった記念品だ。(十字架の前に立ち留まる。)この十字架に掛けられていなさる耶蘇殿は定めて身に覚えがあろう。その疵のある象牙の足の下に身を倒して甘い焔を胸の中に受けようと思いながら、その胸は煖まる代に冷え切って、悔や悶や恥のために、身も世もあられぬ思をしたものが幾人あった事やら。(一面の古画の前に立ち留まる。)お前はジョコンダだな。その秘密らしい背景の上に照り輝いて現われている美しい手足や、その謎めいた、甘いような苦いような口元や、その夢の重みを持っている瞼の飾やが、己に人生というものをどれだけ教えてくれたか。己の方からその中へ入れた程しきゃ出して見せてはくれなかったでは無いか。(身を返して櫃の前に立ち留まる。)この盃の冷たい縁には幾度か快楽の唇が夢現の境に触れた事であろう。この古い琴の音色には幾度か人の胸に密やかな漣が起った事であろう。この道具のどれかが己をそういう目に遇わせてくれたなら、どんなにか有難く思ったろうに。この木彫や金彫の様々な図は、瓶もあれば天使もある。羊の足の神、羽根のある獣、不思議な鳥、または黄金色の堆高い果物。この種々な物を彫刻家が刻んだ時は、この種々な物が作者の生々した心持の中から生れて来て、譬えば海から上った魚が網に包まれるように、芸術の形式に包まれた物であろう。己はお前達の美に縛せられて、お前達を弄んだお蔭で、お前達の魂を仮面を隔てて感じるように思った代には、本当の人生の世界が己には霧の中に隠れてしまった。お前達が自分で真の泉の辺の真の花を摘んでいながら、己の体を取り巻いて、己の血を吸ったに違いない。己は人工を弄んだために太陽をも死んだ目から見、物音をも死んだ耳から聴くようになったのだ。己は何日もはっきり意識してもいず、また丸で無意識でもいず、浅い楽小さい嘆に日を送って、己の生涯は丁度半分はまだ分らず、半分はもう分らなくなって、その奥の方にぼんやり人生が見えている書物のようなものになってしまった。己の喜だの悲だのというものは、本当の喜や悲でなくって、謂わば未来の人生の影を取り越して写したものか、さもなくば本当に味のある万有のうつろな図のようなものであって、己はつまり影と相撲を取っていたので、己の慾という慾は何の味をも知らずに夢の中に草臥れてしまったのだ。振返って己の生涯を見れば、走って道が捗らず、勇を振って戦いに勝たれず、不幸があっても悲しくないし、幸福があっても嬉しくないし、意味の無い問には意味の無い答が出て来る。暗の閾から朧気な夢が浮んで、幸福は風のように捕え難い。そこで草臥た高慢の中にある騙された耳目は得べき物を得る時無く、己はこの部屋にこの町に辛抱して引き籠っているのだ。世間の者は己を省みないのが癖になって、己を平凡な奴だと思っているのだ。(家来来て桜実一皿を机の上に置き、バルコンの戸を鎖さんとす。)戸はまあ開けて置け。(間。)何をそんなに吃驚するのだ。
家来。申上げても嘘だといっておしまいなさいましょう。(半ば独言のように、心配らしく。)ははあ、あの離座敷に隠れておったわい。
主人。誰が。
家来。何だかわたくしも存じません。厭らしい奴が大勢でございます。
主人。乞食かい。
家来。如何でしょうか。
主人。そんなら庭から往来へ出る処の戸を閉めてしまって、お前はもう寝るが好い。己には構わないでも好いから。
家来。いえ、そのお庭の戸は疾くに閉めてあるのでございますから、気味が悪うございます。何しろ。
主人。どうしたと。
家来。ははあ、また出て来て、庭で方々へ坐りました。あのアポルロの石像のある処の腰掛に腰を掛ける奴もあり、井戸の脇の小蔭に蹲む奴もあり、一人はあのスフィンクスの像に腰を掛けました。丁度タクススの樹の蔭になって好くは見えません。
主人。皆な男かい。
家来。いえ、男もいますし女もいます。乞食らしい穢い扮装ではございません。銅版画なんぞで見るような古風な着物を着ているのでございます。そしてそのじいっと坐っている様子の気味の悪い事ったらございません。死人のような目で空を睨むように人の顔を見ています。おお、気味が悪い。あれは人間ではございませんぜ。旦那様、お怒なすってはいけません。わたくしは何と仰ゃっても彼奴のいる傍へ出て行く事は出来ません。もしか明日の朝起きて見まして彼奴が消えて無くなっていれば天の助というものでございます。わたくしは御免を蒙りまして、お家の戸閉だけいたしまして、錠前の処へはお寺から頂いて来たお水でも振り掛けて置きましょう。何にいたせわたくしはついぞあんな人間を見た事もございませんし、また人間があんな目付をいたしているはずがございません。
主人。どうともお前の勝手にするが好い。もう用事はないから下って寝てくれい。(暫く物を案ずる様子にてあちこち歩く。舞台の奥にてヴァイオリンの音聞ゆ。物懐しげに人の心を動かす響なり。初めは遠く、次第に近く、終にはその音暖かに充ち渡りて、壁隣の部屋より聞ゆる如し。)音楽だな。何だか不思議に心に沁み入るような調べだ。あの男が下らぬ事を饒舌ったので、己まで気が狂ったのでもあるまい。人の手で弾くヴァイオリンからこんな音の出るのを聞いたことはこれまでに無いようだ。(右の方に向き、耳を聳てて聞く様子にて立ちおる。)何だか年頃聞きたく思っても聞かれなかった調ででもあるように、身に沁みて聞える。限なき悔のようにもあり、限なき希望のようにもある。この古家の静かな壁の中から、己れ自身の生涯が浄められて流れ出るような心持がする。譬えば母とか恋人とかいうようないなくなってから年を経たものがまた帰って来たように、己の心の中に暖いような敬虔なような考が浮んで、己を少年の海に投げ入れる。子供の時、春の日和に立っていて体が浮いて空中を飛ぶようで、際限しも無いあくがれが胸に充ちた事がある。また旅をするようになってから、ある時は全世界が輝き渡って薔薇の花が咲き、鐘の声が聞えて余所の光明に照されながら酔心地になっていた事がある。そういう時はあらゆる物事が身に近く手に取るように思われて己も生きた世界の中の生きた一人と感じたものだ。そういう時はあらゆる人の胸を流れる愛の流が、己の胸にも流れて来て、胸が広うなったような心持がしたものだ。今はそんな心持は夢にもせぬ。この音楽がもう少しこのまま聞えていて、己の心を感動させてくれれば好い。これを聞いている間は、何だか己の性命が暖かく面白く昔に帰るような。そして今まで燃えた事のある甘い焔が悉く再生して凝り固った上皮を解かしてしまって燃え立つようだ。この良心の基礎から響くような子供らしく意味深げな調を聞けば、今まで己の項を押屈めていた古臭い錯雑した智識の重荷が卸されてしまうような。そして遠い遠い所にまだ夢にも知らぬ不思議の生活があって、限無き意味を持っている形式に現われているのが、鐘の音で知らされているような。(ほとんど突然と音楽の声止む。)や、音楽が止んだ。己の心を深く動かした音楽が、神と人との間の不思議を聞せるような音楽が止んだ。大方己のために不思議の世界を現じた楽人は、詰らぬ乞食か何かで、門に立って楽器を鳴らしていたのが、今は曲を終ったので帽子でも脱いで、その中へ銅貨を入れて貰おうとしているのだろう。(右手の窓の処に立ち寄る。)この窓の下の処には立っていない。どうも不思議だ。何処にいるのか知らん。あっちの方の窓から覗いて見よう。(右手扉の方へ行かんとする時、死あらわれ、徐に垂布を後にはねて戸口に立ちおる。ヴァイオリンは腰に下げ、弓を手に持ちいる。驚きてたじたじと下る主人を、死は徐に見やりいる。)まあ、何という気味の悪い事だろう。お前の絃の音はあれほど優しゅう聞えたのに、お前の姿を見ると、体中が縮み上るような心持がするのはどうしたものだ。それに何だか咽が締るようで、髪の毛が一本一本上に向いて立つような心持がする。どうぞ帰ってくれい。お前は死だな。ここに何の用がある。ええ気味の悪い。どうぞ帰ってくれい。ええ、声を立てようにも声も立てられぬわい。(へたへたと尻餅を突く。)命の空気が脱け出てしまうような。どうぞ帰ってくれい。誰がお前を呼んだのか。帰れ帰れ。誰がお前をこの内に入れたのか。
死。立て。その親譲りの恐怖心を棄ててしまえ。わしは何もそう気味の悪い者ではない。わしは骸骨では無い。男神ジオニソスや女神ウェヌスの仲間で、霊魂の大御神がわしじゃ。わしの戦ぎは総て世の中の熟したものの周囲に夢のように動いておるのじゃ。其方もある夏の夕まぐれ、黄金色に輝く空気の中に、木の葉の一片が閃き落ちるのを見た時に、わしの戦ぎを感じた事があるであろう。凡そ感情の暖かい潮流が其方の心に漲って、其方が大世界の不思議をふと我物と悟った時、其方の土塊から出来ている体が顫えた時には、わしの秘密の威力が其方の心の底に触れたのじゃ。
主人。もう好い好い。解った。まだ胸は支えているが、兎に角お前を歓迎する。(間。)しかし何の用があって此処へ来たのだ。
死。ふむ。わしの来るのには何日でも一つしか用事はないわ。
主人。まだそれまでには間があるはずだ。一枚の木の葉でも、枝を離れて落ちるまでには、たっぷり木の汁を吸っている。己はそこまでになってはいぬ。己はまだ生きるというように生きて見た事がないのだ。
死。兎に角、誰も歩く命の駅路を其方も歩いて来たのじゃ。
主人。己も若い時はあったに違いないが、その時は譬えば子供のむしった野の花が濁った流の上に落ちて、我知らず流れるように、若い間の月日は過ぎ去って、己はついぞそれを生活だと思った事は無い。それから己は生活の格子戸の前に永らく立っていたものだ。そして何日かは雷のような音がして、その格子戸が開くだろうと、甘いあくがれを胸に持って待っていて見たけれど、とうとう格子戸は開かずにしまった。そうかと思えばある時己はどうしてはいったともなく、その戸の中にはいっていた事もある。しかしその時は己の心が何物かに縛られていて、深い感じは起さずにしまった。そういう時は見ても見えず、聞いても聞えず、心は何処か余所になってしまっていて、貴い熱も身を温めず、貴い波も身を漂わさず、他の人が何日か出会って、一度は争って、終には恵みを受ける習の神には己は逢わずにしまった。
死。いや。この世の生活をこの世らしゅう生きて通る事だけは、誰にも授けられているように、其方にも確に授けてあった。其方の心の奥にも、このあらゆる無意味な物事の混沌たる中へ関係の息を吹込む霊魂は据えてあった。この霊魂を寝かして置いて混沌たる物事を、生きた事業や喜怒哀楽の花園に作り上げずにいて、それを今わしが口から聞くというのは、其方の罪じゃ。人というものは縛せられてもおり、またある機会にはその縛を解かれもするものじゃ。夢の中に泣いて苦労に疲れて胸にはあくがれの重荷を負うて暖かい欲望を抑えながらも、熟すればわしの手に落ちるのが人生じゃ。
主人。その熟している己ではないから、どうぞ許して貰いたい。己はまだこの世の土に噛り付いていたいのだ。お前に逢うての怖しさに、己の縛が解けてしまった。どうやらこれからは本当に生きて見られそうな。今のように強い欲望があるからは、この世の物事に魂を打入れて見る事も出来よう。これからさき生かして置いてくれるなら、己は決して他の人間を物の言えぬ着物のように、または土偶か何かのように扱いはせぬ。どんな詰まらぬ喜でも、どんな詰らぬ歎でも、己は真から喜んで真から歎いて見る積りだ。人生の柱になっている誠というものもこれからは覚えて見たい。これからは善と悪とが己を自由に動かして、己を喜ばせたり怒らせたりするようにしようと思う。そうしたならば今まで影のように思っていた世の中の物事が生きて働くようになろう。そうしたら受ける身も授ける身も今までのように冷かになっていないで、到る処生きた人間に逢われよう。(死は冷然として取り合わぬ様子ゆえ、主人は次第に恐を抱く。)どうぞどうぞ思い返して見てくれい。お前は己が愛をも憎をも閲して来たように思うであろうが、己はただの一度もその味を真から嘗めた事がない。つい表面の見えや様子や、空々しい詞を交して来たばかりだ。その証拠にお前に見せる物がある。この手紙の一束を見てくれい。(忙がしげに抽斗を開け、一束の手紙を取り出す。)恋の誓言、恋の悲歎、何もかもこの中に書いてはある。己が少しでもそれを心に感じたのだと思って貰うと大違いだ。(主人は手紙の束を死の足許に投げ付く。手紙床の上に飛び散る。)これが己の恋の生涯だ。誠という物を嘲み笑って、己はただ狂言をして見せたのだ。恋ばかりではない。何もかもこの通りだ。意義もない、幸福もない、苦痛もない、慈愛もない、憎悪もない。
死。阿房ものめが。好いわ。今この世の暇を取らせる事じゃから、たった一度本当の生活というものを貴ばねばならぬ事を、其方に教えて遣わそう。あっちに行って黙って立っていてここの処を好く見て、凡そこの世に生きとし生けるものは、皆な慈愛を持っているのに、其方一人がうつろな心で戯けながらに世を渡ったのじゃという事をしかと胸に覚えるが好い。
(死は物を呼び寄するが如き音をヴァイオリンにて弾じ出す。この時死は寝室の扉の傍、舞台の前の方、右手に立ちおり、主人は左手壁の方、薄暗き処に立ちおる。右手の扉を開きて主人の母出で来る。更けたりという程にはあらず。長き黒き天鵞絨の上着を着し、顔の周囲に白きレエスを付けたる黒き天鵞絨の帽子を冠りおる。白き細き指にレエスの付きたる白き絹の紛帨を持ちおる。母は静に扉を開きて出で、静に一間の中をあちこち歩む。)
母。この部屋の空気を呼吸すれば、まあ、どれだけの甘い苦痛を覚える事やら。わたしがこの世に生きていた間の生活の半分はラヴェンデルの草の優しい匂のように、この部屋の空気に籠っている。人の母の生涯というものは、悲が三分一で、後の二分は心配と責苦とであろう。男というものにはそれがちっとも分らぬわいの。(櫃の傍にて。)この櫃の隅はまだ尖っているやら。日外、あの子がここで頭を打って血を出した事がある。まだ小さいのに気が荒かったゆえ、走り廻ってばかりいて、あれ危ないと思っても止める事が出来なんだ。ああ、この窓じゃ。あの子が夜遊に出て帰らぬ時は、わたしは何時もここに立って真黒な外を眺めて、もうあの子の足音がしそうなものじゃと耳を澄まして聞いていて、二時が打ち三時が打ち、とうとう夜の明けた事も度々ある。それをあの子は知らなんだ。昼間も大抵一人でいた。盆栽の花に水を遣ったり、布団の塵を掃ったり、扉の撮の真鍮を磨いたりする内に、つい日は経ってしもうた。その間、頭の中には、まあ、どんな物があったろう。夢のような何とも知れぬ苦痛の感じが、車の輪の廻るように、頭の中に動いていた。あの何とも言えぬ心持は、この世界の深い深い秘密と関係している人の母の心であろう。しかしもうわたしにはあの甘い苦を持っている、ここの空気を吸う事は出来ぬ。わたしはもう行かねばならぬ。(真中の戸口より出で去る。)
主人。お母様。
死。黙れ。其方が母はもう帰らぬわ。
主人。お母様。お母様。どうぞ今一度此処へ戻って来て下さりませ。このわたしの唇は何日も確り結んでいて高慢らしく黙っていたのだが、今こそは貴女の前に膝を突いて、この顫う唇を開けてわたくしの真心が言って見たい。ああ、何卒母上を呼んでくれい。引き留めてくれい。何故お前は母上の帰って行くのを見ていながら引留めてはくれなんだか。
死。わしの知った事では無い。母に対してどうするのも、皆其方の思うままであったのじゃ。
主人。ええ、この胸に何の感じもなかったか。この身の根差はあのお母様であるのを、あのお母様のお側にいるのは、神の傍にいるのと同じわけであるのを、己は一度も知らなんだ。もうこうなっては取返しがつかぬわい。
(死は主人の煩悶を省みず、古民謡の旋律を弾じ出す。娘一人、徐に歩み入る、派手なる模様あるあっさりとしたる上着を着、紐を十字に結びたる靴を穿き、帽子を着ず、頸の周囲にヴェエルを纏えり。)
娘。あの時の事を思えば、まあ、どんなに嬉しかったろう。貴方はもう忘れておしまいなされたか。貴方はわたしを非道い目にお逢せなさいました。ほんにほんに非道いめに。だが、世の中の事は何でも苦痛に終らぬ事は無い。ほんにわたしの嬉しいと思ったその数は、指を折って数えるほどであるけれど、その日の嬉しかった事は夢のようでございました。この窓の前の盆栽の花は、今もやはり咲いている。ここにはまたその頃のがたがたするような小さいスピネット(楽器)もある。この箪笥はわたしが貴方に頂いた御文を貴方の下すった品物と一しょに入れて置いた処でございます。わたしのためには御文も品物も優しい唇で物をいってくれました。何日やら蒸暑い日の夕方に、雨が降って来た時に貴方と二人でこの窓の処に立って濡れた樹々の梢から来る薫を聞いた事があります。ああ、何もかも皆な過ぎ去ってしまいました。そして皆な儚い恋の小さい奥城の中に埋まってしまいました。しかしその埋まったものは何もかも口でいわれぬ程美しゅうございました。それは貴方のせいで美しかったのでございます。それなのに貴方はとうとうわたくしを無慙にも棄てておしまいなさいました。丁度花を持って遊ぶ子が、遊び倦てその花を打捨てしまうように、貴方はわたしを捨てておしまいなさいました。悲しい事にはわたくしは、その時になって貴方の心を繋ぐようなものを持っていませんでした。(間。)貴方の一番終いに下すったあの恐ろしいお手紙が届いた時は、わたしは死のうと思いました。それを今打明けて申すのは、貴方に苦しい思いをさせようと思って申すのではございません。それからわたしは貴方に最後の御返事を致そうかと存じました。その手紙には非道く悲しい事も書かず、恨がましい事も書かず、つい貴方のお心にわたしの心がよう分って、貴方が今一度わたしを可哀く思って少しばかり泣いて下さるように書きたいと存じました。しかしわたしはとうとうその手紙を書かずにしまいました。そんな手紙が何になりましょうぞ。何故と申しまするのに、貴方の下すったお手紙はわたしの心の中を光明と熱とで満したようで、わたしはあれを頂く頃は昼中も夢を見ているように、うろうろしておりましたが、あれがどれだけの事であったやら、後で思えばわたくしには分りません。仮令お手紙を上げたとて、虚が信になりもせず、涙をどれ程注いでも死んだものが生き戻りはいたしますまい。世の中は不患議なもので、わたしもそのまま死にもせず、あれから幾十の寂しさ厭苦さを閲した上でわたしは漸々死にました。そしてその時わたしは何卒貴方のお死なさる時、今一度お側へ来たいと心に祈って死にました。それは貴方に怖い思をさせたり、貴方を窘めたりしようというのではございませぬ。譬えて申せば貴方が一杯の酒を呑乾しておしまいなさる時、その酒の香がいつか何処かであった嬉しさの香に似ていると思召すように、貴方が末期にわたくしの事を思い出して下されば好いと思ったばかりでございます。(娘去る。主人は両手にて顔を覆いいる。娘の去るや否や、一人の男直に代りて入来る。年齢はおよそ主人と同じ位なり。旅路にて汚れたりと覚しき衣服を纏いいる。左の胸に突込んだるナイフの木の柄現われおる。この男舞台の真中に立ち留まり主人に向いて語る。)
男。はあ。君はまだこの世に生きているな。永遠の洒落者め。君はまだホラチウスの書なぞを読んで世を嘲っているのかい。僕が物に感じるのを見て、君は同じように感じると見せて好くも僕を欺したな。君はあの時何といった。実にこの胸に眠っているものを、夜吹く風が遠い便を持って来るようにお蔭で感じるといったのう。実に君は風の伝える優しい糸の音だったよ。ただその風というものが実は誰かの昔吐いた息であったのだ。僕の息でなければ外の人の息であったのだ。ほんに君と僕とは大分長い間友人と呼び合ったのだ。ははあ、何が友人だ。君が僕と共にしたのは、夜昼とない無意味の対話、同じ人との交際、一人の女を相手にしての偽りの恋に過ぎぬ。共にしたとはいうけれど、譬えば一家の主僕がその家を、輿を、犬を、三度の食事を、鞭を共にしていると変った事はない。一人のためにはその家は喜見城で、一人のためには牢獄だ。一人のためには輿は乗るもので、一人のためには輿は肩から血を出すものだ。一人のためには犬は庭へ出て輪を潜って飛ばせて見て楽むもので、一人のためには食物をやって介抱をするものだ。僕の魂の生み出した真珠のような未成品の感情を君は取て手遊にして空中に擲ったのだ。忽ち親み、忽ち疎ずるのが君の習で、咬み合せた歯をめったに開かず、真心を人の腹中に置くのが僕の性分であった。不遠慮に何にでも手を触れるのが君の流儀で、口から出かかった詞をも遠慮勝に半途で止めるのが僕の生付であった。この二人の目の前にある時一人の女子が現れた。僕の五官は疫病にでも取付かれたように、あの女子のために蹣跚いてただ一つの的を狙っていた。この的この成就は暗の中に電光の閃くような光と薫とを持っているように、僕には思われたのだ。君はそれを傍から見て後で僕に打明てこう云った。あいつの疲れたような渋いような威厳が気に入った。あの若さで世の偽に欺かれたのを悔いたような処のあるのを面白く感じたと云った。そこで欺して己が手に入れて散々弄んだ揚句に糟を僕に投げてくれた。姿も心も変り果てて、渦巻いていた美しい髪の毛が死んだもののように垂れている化物にして、それを僕に授けたのだ。それまでは、何処やら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心もなかったが、その時から僕は君を憎み始めて、君から遠ざかるようにした。その後僕は君と交っている間、君の毒気に中てられて死んでいた心を振い起して高い望を抱いたのだが、そのお蔭で無慙な刺客の手にかかって、この刃を胸に受けて溝壑に捨てられて腐ってしまったのだ。しかし君のように誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるでもなく、空しく生きて空しく死ぬるのに比べて見れば、僕は死んでも死甲斐があるのだ。(男去る。)
主人。誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるでもない。(徐に身を起す。)譬えば下手な俳優があるきっかけで舞台に出て受持だけの白を饒舌り、周匝の役者に構わずに己が声を己が聞いて何にも胸に感ぜずに楽屋に帰ってしまうように、己はこの世に生れて来て何の力もなく、何の価値もなく、このままこの世を去らねばならぬか。何でこれ程の思を己はせねばならぬのか。何で死が現われて来て、こうまざまざと世の様を見せてくれねばならぬのか。実在のものが儚い思出の影のように見えるまで、真の生活の物事にこの心を動かさねばならぬのか。何故お前の弾いた糸の音が丁度石瓦の中に埋められていた花のように、意識の底に隠れている心の世界を掻き乱してくれたのか。ええ、こうなる上は区々たる浮世の事に乱されずに、何日もお前の糸の音を聞いてお前の側にいるも好かろう。己を死に導いてくれるなら己は甘んじて跟いて行こう。今までの己は生とはいっても真の生ではなかったから、己は今から己の死を己の生にして見よう。死も生も認めぬ己が強いて今までを生といって、お前を死と呼ばねばならぬはずがない。お前は僅か一秒の中に生涯を籠めて見せてくれた。そのお前の不思議な威力に己の身を任せてしまって、今までの影のような生涯を忘れてしまおう。(暫く物を案ずる様子。)思えばこう感じるのも死にかかっての一時の事かも知れぬが、兎に角今までにこれ程感じた事はないから、己のためには幸福だ。このまま死んでしもうても、今我胸に充ちたものは、今までの色も香もない生活には遥に優っているに違いない。己は己の存在を死んで初めて知るのであろう。譬えば夢を見る人が、夢の感じの溢れたために、眼の覚めるのと同じように、この生活の夢の感じの力で、己は死に目覚めるのか。(息絶えて死の足許に伏す。)
死。(首を振りつつ徐に去る。)思えば人というものは、不思議なものじゃ。解すべからざるものをも解し、文に書かれぬものをも読み、乱れて収められぬものをも収めて、終には永遠の闇の中に路を尋ねて行くと見える。(中央の戸より出で去り、詞の末のみ跡に残る。室内寂として声無し。窓の外に死のヴァイオリンを弾じつつ過ぎ行くを見る。その跡に跟きて主人の母行き、娘行き、それに引添いて主人に似たる影行く。
底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:米田
2010年8月5日作成
2011年4月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。