城の石垣
泉鏡太郎
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同じことを、東京では世界一、地方では日本一と誇る。相州小田原の町に電車鐵道待合の、茶店の亭主が言に因れば、土地の鹽辛、蒲鉾、外郎、及び萬年町の竹屋の藤、金格子の東海棲、料理店の天利、城の石垣、及び外廓の梅林は、凡そ日本一也。
莞爾として聞きながら、よし〳〵其もよし、蒲鉾は旅店の口取でお知己、烏賊の鹽辛は節季をかけて漬物屋のびらで知る通、外郎は小本、物語で懇意なるべし。竹屋の藤は時節にあらず、金格子の東海樓は通つた道の青樓さの、處で今日の腹工合と、懷中の都合に因つて、天利といふので午餉にしよう、其づ其の城を見て梅とやれ、莟は未だ固くツてもお天氣は此の通り、又此の小田原と來た日には、暖いこと日本一だ、喃、御亭主。然やうでござります。喜多八、さあ、其の氣で歩ばつしと、今こそ着流で駒下駄なれ、以前は、つかさやをかけたお太刀一本一寸極め、振分の荷物、割合羽、函嶺の夜路をした、内神田の叔父的、名を彌次郎兵衞といふ小田原通、アイお茶代を置いたよ、とヅイと出るのに、旅は早立とあつて午前六時に搖起された眠い目でついて行く。
驛路の馬の鈴の音、しやんと來る道筋ながら、時世といひ、大晦日、道中寂りとして、兩側に廂を並ぶる商賈の家、薪を揃へて根占にしたる、門松を早や建て連ねて、歳の神を送るといふ、お祭の太鼓どん〳〵〳〵。ちゆうひやら〳〵と角兵衞獅子、暢氣に懷手で町内を囃して通る。
此の町出外れに、森見えてお城の大手。
しばし彳む。
此處へ筒袖の片手ゆつたりと懷に、左手に山牛蒡を提げて、頬被したる六十ばかりの親仁、ぶらりと來懸るに路を問ふことよろしくあり。お節にや拵ふるに、このあたり門を流るゝ小川に浸して、老若男女打交り、手に手に之を洗ふを見た。後に小田原の町を放れ、函嶺の湯本近に一軒、茶店の娘、窶れ姿のいと美しきが、路傍の筧、前なる山凡そ三四百間遠き處に千歳久しき靈水を引いたりといふ、清らかなる樋の口に冷たき其の土を洗ふを見て、山の芋は鰻になる、此の牛蒡恁くて石清水に身を灌がば、あはれ白魚に化しやせんと、そゞろ胸に手を置きしが。
扨て路を教へて後、件の親仁つく〴〵と二人を見送る。いづれ美人には縁なき衆生、其も嬉しく、外廓を右に、やがて小さき鳥居を潛れば、二の丸の石垣、急に高く、目の下忽ち濠深く、水はやゝ涸れたりと雖も、枯蘆萱の類、細路をかけて、霜を鎧ひ、ざツくと立つ。思はず行き惱み立つて仰げば、虚空に雲のかゝれるばかり、參差たる樹の間々々、風さへ渡る松の梢に、組連ねたるお城の壁の苔蒸す石の一個々々。勇將猛士幾千の髭ある面を列ねし如き、さても石垣の俤かな。
それより無言にて半町ばかり、たら〳〵と坂を上る。こゝに晝も暗き樹立の中に、ソと人の氣勢するを垣間見れば、石の鳥居に階子かけて、輪飾掛くる少き一人、落葉掻く翁二人あり。宮は、報徳神社といふ、彼の二宮尊徳翁を祭れるもの、石段の南北に畏くも、宮樣御手植の對の榊、四邊に塵も留めず、高きあたり靜に鳥の聲鳴きかはす。此の社に詣でて云々。これより一説ある處、何の大晦日を逃げた癖に、尊徳樣もないものだと、編輯の同人手を拍つて大に嘲けるに、たじ〳〵となり、敢て我胸中に蓄へたる富國經濟の道を説かず、纔に城の俤を記すのみ。
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「新小説 第七年第二巻」春陽堂
1902(明治35)年2月1日
※表題は底本では、「城の石垣」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2017年8月25日作成
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