大阪まで
泉鏡太郎




 これは喜多八きたはちたび覺書おぼえがきである──

 今年ことし三月さんぐわつなかばより、東京市中とうきやうしちうおだやかならず、天然痘てんねんとう流行りうかうにつき、其方此方そちこちから注意ちういをされて、身體髮膚しんたいはつぷこれを父母ふぼにうけたりあへそこなやぶらざるを、と父母ふぼおはさねども、……生命いのちしし、痘痕あばたこはし、臆病未練おくびやうみれん孝行息子かうかうむすこ

 三月さんぐわつのはじめ、御近所ごきんじよのお醫師いしやまゐつて、つゝましく、しをらしく、たゞあま見榮みばえのせぬをとこうでをあらはにして、神妙しんめう種痘しゆとうませ、

「おとなしくなさい、はゝゝ。」と國手ドクトルわらはれて、「はい。」とそでをおさへてかへると、ばんあたりから、何年なんねんにもつひぞない、めうな、不思議ふしぎ心持こゝろもちる。──たとへば、くすぐつたいやうな、かゆいやうな、あついやうな、さむいやうな、うれしいやうな、かなしいやうな、心細こゝろぼそいやうな、さびしいやうな、ものなつかしくて、果敢はかなくて、たよりのない、たれかにひたいやうな、じれつたい、苛々いら〳〵しながら、たわいのない、あたかぼんとお正月しやうぐわつ祭禮おまつりを、もういくると、とまへひかへて、そして小遣錢こづかひせんのないところへ、ボーンと夕暮ゆふぐれかねくやうで、なんとももつ遣瀬やるせがない。

 勉強べんきやう出來できず、稼業かげふ仕事しごと捗取はかどらず、持餘もてあました身體からだ春寒はるさむ炬燵こたつはふんで、引被ひつかついでぞたりけるが、時々とき〴〵掛蒲團かけぶとんえりからかほして、あゝ、うゝ、と歎息ためいきして、ふう、と氣味惡きみわるはなるのが、三井寺みゐでらかうでない、金子かねしいときこえる。……

 綴蓋とぢぶた女房にようばうせま臺所だいどころで、總菜そうざい菠薐草はうれんさうそろへながら、

「またはなりますね……澤山たんとうなさい、中屋なかや小僧こぞうちまふから……」

眞平まつぴら御免ごめん。」

 と蒲團ふとんをすつぽり、炬燵櫓こたつやぐらあし爪尖つまさきつねつてて、庖丁はうちやうおときこえるとき徐々そろ〳〵またあたまし、ひと寢返ねがへつて腹這はらばひで、

なにうまいもの。」

拳固げんこ……つねもち、……あかいお團子だんご。……それが可厭いやなら蝦蛄しやこ天麩羅てんぷら。」と、ひとツづゝ句切くぎつて憎體にくたらしくふしをつける。

御免々々ごめん〳〵。」とまたもぐる。

 のまゝ、うと〳〵してると、種痘うゑばうさうわざとて、如何いかにともふせぎかねて、つい、何時いつにかはなる。

 女房にようばう鐵瓶てつびんしたかた〴〵、つぎ長火鉢ながひばちまへ出張しゆつちやうおよんで、

「おまへさん、お正月しやうぐわつからうたうたつてるんぢやありませんか。──一層いつそ一思ひとおもひに大阪おほさかつて、矢太やたさんや、源太げんたさんにつて、我儘わがまゝつていらつしやいな。」

 と、先方さきをとこだから可恐おそろし氣前きまへい。

「だがね……」

 工面くめんわることは、女房にようばうひと世帶しよたいでおたがひである。

 二日ふつか三日みつかおなじやうな御惱氣ごなうけつゞいたところ三月さんぐわつ十日とをかからしよぼ〳〵とあめになつて、薄暗うすぐら炬燵こたつ周圍しうゐへ、べつして邪氣じやきたゞよなかで、女房にようばう箪笥たんす抽斗ひきだしをがた〳〵とけたり、葛籠つゞらふたつたり、着換きがへほころびしらべたり、……あらつた足袋たび裏返うらがへしたり、女中ぢよちうかひものにしたり、なに小氣轉こぎてん立𢌞たちまはつてたとおもふと、晩酌ばんしやくもので一合いちがふつけたときはなは見事みごとでない、箱根土産はこねみやげの、更紗さらさちひさな信玄袋しんげんぶくろ座蒲團ざぶとんそば持出もちだして、トンといて、

楊枝やうじ齒磨はみがき……半紙はんし。」

 と、くちのかゞりを一寸ちよつといて、俯向うつむいて、なかせつゝ、

手巾ハンカチあらつたの、ビスミツト、かみつゝんでありますよ。寶丹はうたん鶯懷爐うぐひすくわいろ、それから膝栗毛ひざくりげ一册いつさつ、いつもたびふとつておいでなさいますが、なんになるんです。」

道中だうちう魔除まよけるのさ。」

 鶯懷爐うぐひすくわいろはるめいたところへ、膝栗毛ひざくりげすこ氣勢きほつて、熱燗あつかんむしおさへた。

「しかし、一件いつけんは?」

紙入かみいれはひつてます、ちひさいのが蝦蟇口がまぐち……」

 とぶんだけは、鰐皮わにがは大分だいぶふくらんだのを、自分じぶん晝夜帶ちうやおびから抽出ひきだして、袱紗包ふくさづつみと一所いつしよ信玄袋しんげんぶくろ差添さしそへて、

大丈夫だいぢやうぶ往復わうふくぶんと、中二日なかふつか何處どこかで一杯いつぱいめるだけ。……宿やどうせ矢太やたさんの高等御下宿かうとうおんげしゆくにお世話樣せわさまるんでせう。」

 つたく……旅館以下りよくわんいかにして、下宿屋以上げしゆくやいじやう所謂いはゆる高等御下宿かうとうおんげしゆくなるものは──東區ひがしく某町ぼうちやうふのにあつて、其處そこから保險會社ほけんぐわいしや通勤つうきんする、もつと支店長格してんちやうかくで、としすくないが、喜多八きたはちにはぎた、お友達ともだち紳士しんしである。で、中二日なかふつかかぞへたのは、やがて十四日じふよつかには、自分じぶん幹事かんじ片端かたはしうけたまはつた義理ぎり宴曾えんくわいひとつあつた。

「……ゆる御飯ごはんをめしあがれ、それでも七時しちじ急行きふかうひますわ。」

 ましたかほで、長煙管ながぎせる一服いつぷくスツとときかぜつて、ざツざツと雨風あめかぜつた。うちではない、戸外おもてである、暴模樣あれもやうしのつく大雨おほあめ。……



うだらう、車夫わかいしゆ車夫わかいしゆ──くるま打覆ぶつかへりはしないだらうか。」

 くるまかすみせきかゝつて、黒田くろだ海鼠壁なまこかべむかしからの難所なんしよ時分じぶんには、うまたてがみるがごとほろれた。……雨風あめかぜ猶豫ためらつて、いざと間際まぎはにも、卑怯ひけふに、さてうか、めようかで、七時しちじ急行きふかう時期じきごし、九時くじにもふか、ふまいか。

「もし、ちついそがないと、平常ふだんなら、なに大丈夫だいぢやうぶですが、吹降ふきぶりで、途中とちう手間てまれますから。」

し。」と決然けつぜんとし、長火鉢ながひばちまへはなれたはいが、あまさわやかならぬ扮裝いでたちで、

可厭いやつたら引返ひきかへさう。」

「あゝ、うなさいましともさ。──では、つてらつしやい。」で、つと出掛でかけた。

 車夫わかいしゆ雨風あめかぜにぼやけたこゑして、

大丈夫だいぢやうぶですよ。」

 雖然けれども曳惱ひきなやんで、ともすれば向風むかひかぜ押戻おしもどされさうにる。暗闇やみおほいなるふちごとし。……前途ゆくさき覺束おぼつかなさ。うやら九時くじのにひさうにおもはれぬ。まゝよ、一分いつぷんでも乘後のりおくれたら停車場ステエシヨンから引返ひきかへさう、それがい、と目指めざ大阪おほさかかたきつて、うもうはじめから豫定よてい退却たいきやく畫策くわくさくするとふのは、あんずるに懷中くわいちうのためではない。ひざせた信玄袋しんげんぶくろゆゑである。ねがはくはこれを謙信袋けんしんぶくろあらためたい。

 土橋どばしなゝめ烏森からすもり、とまちもおどろ〳〵しく、やがて新橋驛しんばしえきいて、づぶ〳〵と濡幌ぬれほろたゝんでで、𤏋ぱつあかるつたところは、暴風雨あらしふね燈明臺とうみやうだい人影ひとかげくろく、すた〳〵とまばらに往來ゆきかふ。

ひましたぜ。」

御苦勞ごくらうでした。」

 きはどいどころか、發車はつしやには三分間さんぷんかんある。切符きつぷつて、改札口かいさつぐちて、精々せい〴〵きりすそ泥撥どろはねげないやうに、れた石壇いしだんあがると、一面いちめんあめなかに、不知火しらぬひいてたゞよ都大路みやこおほぢ電燈でんとうながら、横繁吹よこしぶききつけられて、待合所まちあひじよ硝子戸がらすどはひるまで、わりいそがないで差支さしつかへぬ。……三分間さんぷんかんもあだにはらない。

 ところへ、よこづけにつた汽車きしやは、おほきくろ縁側えんがはさつながれついたおもむきである。

「おつと、助船たすけぶね。」

 とれば度胸どきようゑて、洒落しやれてる。……しつはいづれも、舞臺ぶたいのない、大入おほいり劇場げきぢやうぐらゐにんでたが、さいはひに、喜多八きたはち懷中くわいちうかるければ、かるい。荷物にもつはなし、おまけ洋杖ステツキほそい。しやちくぢらなかへ、芝海老しばえびごとく、まれぬばかりに割込わりこんで、ひとほつ呼吸いきをついて、橋場はしば今戸いまど朝煙あさけむりしづ伏屋ふせや夕霞ゆふがすみ、とけむながめて、ほつねんと煙草たばこむ。

 ……品川しながはわすれたることばかり──なんぞなにもなし。大森おほもりすあたりであつた。……

「もし〳〵、電報でんぱうひとつおねがまをしたうございます。」

 列車れつしや給仕きふじ少年せうねんは──ひにく──東區ひがしく某町ぼうちやう矢太やたさんのみぎ高等御下宿かうとうおんげしゆくへあてた言句もんくながら、

「えゝ、列車れつしやでは横濱よこはま電報でんぱうあつかひません、──大船おほふなちますから。」

 と器用きようつきで、はらから拔出ぬけだしたやうに横衣兜よこがくし時計とけいたが、

時間外じかんぐわいるんですが。」

「は、結構けつこうでございます。」

記號きがうれますよ、ら、ら、」と、ひものついた鉛筆えんぴつ一寸ちよつとしるして、

「それだけ賃錢ちんせん餘分よぶんります。」

「はい〳〵。」

 電報でんぱういたのは、翌日よくじつ午前ごぜん十時じふじぎであつた。



 大船おほふな停車ていしやときまどつて、逗子づしかたむかひ、うちつけながらそれがしがお馴染なじみにておはします、札所ふだしよ阪東第三番ばんどうだいさんばん岩殿寺いはとのでら觀世音くわんぜおん御無沙汰ごぶさたのおわびまをし、道中だうちう無事ぶじと、ねんまゐらす。

 此處こゝを、發車はつしやころよりして、乘組のりくみ紳士しんし貴夫人きふじん彼方此方あちらこちらに、フウ〳〵と空氣枕くうきまくら親嘴キスするおと。……

 たれ一人ひとりよこるなんど場席ばせきはない。花枕はなまくら草枕くさまくら旅枕たびまくら皮枕かはまくらたてよこに、硝子窓がらすまど押着おしつけたかたたるや、浮嚢うきぶくろ取外とりはづした柄杓ひしやくたぬもののごとく、をりからそとのどしやぶりに、宛然さながら人間にんげん海月くらげる。

 喜多きた一人ひとり俯向うつむいて、改良謙信袋かいりやうけんしんぶくろ膝栗毛ひざくりげを、しまものの胡坐あぐらけた。スチユムのうへ眞南風まみなみで、車内しやないあついほどなれば、外套ぐわいたういだとるべし。

 ふとおもひついたペエジひらく。──西國船さいこくぶね難船なんせんにおいらが叔父的をぢき彌次郎兵衞やじろべゑ生命懸いのちがけ心願しんぐわん象頭山ざうづざんさけつたを、咽喉のどもとぎた胴忘どうわすれ、丸龜まるがめ旅籠はたご大物屋だいもつやくとや、茶袋ちやぶくろ土瓶どびん煮附につけ、とつぱこのおしる三番叟さんばそうすひもので、熱燗あつかん洒落しやれのめすと、ばつ覿面てきめん反返そりかへつた可恐おそろしさに、恆規おきてしたが一夜いちや不眠ふみん立待たちまちして、おわびまをところへ、よひ小當こあたりにあたつていた、あだ年増としまがからかひにくだりである。

をんな彌次郎やじらうとこうへにあがり、よこになつて、此處こゝいと、手招てまねぎをして彌次郎やじらうをひやかす、彌次郎やじらうひとりみ「エヽなさけない、其處そこつてたくてもはじまらねえ、こんなことなら立待たちまちよりまちにすればよかつたものを。女「なんちふいはんす。わしきらひぢやな、コレイナアどうぢやいな。「エヽこんなわることあねえ、はやつをてばいゝ、もう何時なんどきだの。女「こゝのつでもあろかい。彌次「まだ一時いつときだな、コレ有樣ありやう今夜こんやおいらは立待たちまちだからことがならねえ、此處こゝな、つててもはなし出來できやす。女「あほらしい、わたしつてはなしノウすることは、いや〳〵。彌次「エヽそんならコウ鐵槌かなづちがあらばつてしねえ。女「オホホ、かなさいこづちことかいな、ソレなんちふさんすのぢやいな。「イヤあの箱枕はこまくら此柱このはしらへうちつけてちながらるつもりだ。

 かんがへると、(をかしてならん。)と一寸ちよつと京阪かみがた言葉ことば眞似まねる。串戲じようだんではない。彌次郎やじらう時代じだいにはゆめにも室氣枕くうきまくらことなどはおもふまい、と其處等そこいらみまはすと、また一人々々ひとり〳〵が、風船ふうせんあたまくゝつて、ふはり〳〵といてかたちもある。これしかしながら汽車きしやがやがて飛行機ひかうきつて、愛宕山あたごやまから大阪おほさかそらかけ前表ぜんぺうであらう。いや、割床わりどこかた、……澤山たんとおしげりなさい。

 喜多きた食堂しよくだう飮酒のみく。……あのてつぼうにつかまつて、ぶるツとしながら繋目つなぎめいた踏越ふみこすのは、長屋ながや露地ろぢ溝板どぶいた地震ぢしんおもむきあり。あめ小留をやみにる。

 白服しろふく姿勢しせいで、ぴたりとまつて、じろりとる、給仕きふじ氣構きがまへおそれをなして、

日本にほんさけはござんせうか。……みませんがあつくなすつて。」

 玉子たまご半熟はんじゆく、とあつらへると、やがてさらにのつて、白服しろふくからトンといて、卓子テエブルうへあらはれたのは、生々なま〳〵しいにく切味きりみに、半熟はんじゆくつたのである。──玉子たまごいが、みぎにくで、うかつにはけられぬ。其處そこで、パンを一切ひときれいてもらつた。ボリ〳〵みつゝ、手酌てじやくで、臺附だいつき硝子杯コツプかたむけたが、何故なぜか、とこなか夜具やぐかぶつて、鹽煎餅しほせんべいをおたのにした幼兒をさなごとき思出おもひだす。もやゝけて、食堂しよくだうの、しろ伽藍がらんとしたあたり、ぐら〳〵とれるのが、天井てんじやうねずみさわぐやうである。……矢張やつぱたびはものさびしい、さけめいさへ、孝子正宗かうしまさむね可懷なつかしる、ゆかしくる、種痘うゑばうさうかゆる。

ばうやはいゝねんねしな。」……とくちうち子守唄こもりうたは、われながら殊勝しゆしようである。



 息子むすこせいぜんにして、鬼神きじん横道わうだうなしといへども、二合半こなからかたむけると殊勝しゆしようでなくる。……すなはかぜこゑなみおとながれひゞき故郷こきやうおもひ、先祖代々せんぞだい〳〵おもひ、たゞ女房にようばうしのぶべき夜半よは音信おとづれさへ、まどのささんざ、松風まつかぜ濱松はままつぎ、豐橋とよはしすや、ときやゝるにしたがつて、横雲よこぐもそら一文字いちもんじやまかづら、かすみ二字にじくも三色みいろ明初あけそめて、十人十色じふにんといろさます。

 大自然だいしぜんの、悠然いうぜんとして、つちみづあたらしくきよ目覺めざむるにたいして、欠伸あくびをし、はならし、ひげき、よだれつて、うよ〳〵とたなかひこうごめづる有状ありさまは、わる見窄みすぼらしいものであるが、東雲しのゝめ太陽たいやうめぐみの、宛然さながら處女しよぢよごとく、さわやか薄紅うすくれなゐなるに、難有ありがたや、きつねともらず、たぬきともならず、紳士しんしり、貴婦人きふじんとなり、豪商がうしやうとなり、金鎖きんぐさりとなり、荷物にもつり、おほいなるかばんる。

 すし、お辨當べんたうたひめしの聲々こゑ〴〵いさましく、名古屋なごやにてまつたけて、室内しつないいさゝくつろぎ、あたゝかにまどかゞやく。

 米原まいばら北陸線ほくりくせん分岐道ぶんきだうとて、喜多きたにはひとり思出おもひでおほい。が、けるとかぜつめたい。所爲せゐか、何爲いつもそゞろさむえきである。

三千歳みちとせさん、おきりさん。」──風流懺法ふうりうせんぽふ女主人公をんなしゆじんこうと、もう一人ひとり見知越みしりごし祇園ぎをん美人びじんに、停車場ステエシヨンから鴨川越かもがはごえに、はるかに無線電話むせんでんわおくつたところは、まで寢惚ねとぼけたともおもはなかつたが、ぶやうに列車れつしやぐる、小栗栖をぐるすまどからのぞいて、あゝ、あすこらのやぶからやりて、馬上ばじやうたまらず武智光秀たけちみつひで、どうと落人おちうどから忠兵衞ちうべゑで、あし捗取はかどらぬ小笹原こざさはらと、線路せんろ堤防どて枯草かれくさ料簡れうけん。──夢心地ゆめごこちをドンとひとたれたやうに、そも〳〵人口じんこう……まん戸數こすう……まんなる、日本につぽん第二だいに大都だいと大木戸おほきどに、色香いろかうめ梅田うめだく。

 洋杖ステツキ紙入かみいれと、蟇口がまぐち煙草入たばこいれを、外套ぐわいたうした一所いつしよ確乎しつかおさへながら、うや〳〵しく切符きつぷ急行劵きふかうけん二枚にまいつて、あまりの人混雜ひとごみ、あとじさりにつたるかたちは、われながら、はくのついたおのぼりさん。

 いへあり、つまあり、眷屬けんぞくあり、いろがあつて、金持かねもちで、大阪おほさかひとのみに、停車場前ステエシヨンまへを、さつ〳〵と、自動車じどうしやくるま歩行あるくのさへ電車でんしやよりはやいまで、猶豫ためらはず、十字じふじ八方はつぱうさばける人數にんずを、うらやましさうにながめながら、喜多八きたはち曠野あらのちた團栗どんぐりで、とぼんとしてつてた。

 れつくづれてばら〳〵とり、さつくるまなかの、くるままへやつて、

くかい。」

「へい、何方どちらで、」とふのが、あかがほひげもじやだが、莞爾につこりせた、ひとのよささうな親仁おやぢうれしく、

道修町だうしうまちふだがね。」

「ひや、同心町どうしんまち。」

同心町どうしんまちではなささうだよ、──保險會社ほけんぐわいしやのあるところだがね。」

保險會社ほけんぐわいしやちふとこは澤山たんとあるで。」

成程なるほど──町名ちやうめい間違まちがひはないはずだが、かたちがふかな。」

何處どこです、旦那だんな。」

なんちふところや。」と二人ふたりばかり車夫わかいしゆつてる。たう親仁おやぢは、おほき前齒まへばで、たゞにや〳〵。

「……みちみちだよ、しうはをさむると、……だ。」

 とならひたての九字くじるやうな、ゆびさきてのひらいて、次手ついで道中安全だうちうあんぜん女難即滅ぢよなんそくめつじゆとなへる。……

わかつた、そりや道修町どしようまちや。」

「そら、きたや。」

わかつたかね。」

「へい、旦那だんな……んなはれ。」

大正七年十月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年1020日第1刷発行

   1988(昭和63)年112日第3刷発行

初出:「新小説 第二十三年第十号」春陽堂

   1918(大正7)年101

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「種痘」に対するルビの「しゆとう」と「うゑばうさう」の混在は、底本の通りです。

※表題は底本では、「大阪おほさかまで」となっています。

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

入力:門田裕志

校正:岡村和彦

2018年727日作成

2018年828日修正

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