木菟俗見
泉鏡太郎
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苗賣の聲は、なつかしい。
……垣の卯の花、さみだれの、ふる屋の軒におとづれて、朝顏の苗や、夕顏の苗……
またうたに、
……田舍づくりの、かご花活に、づツぷりぬれし水色の、たつたを活けし樂しさは、心の憂さもどこへやら……
小うたの寄せ本で讀んだだけでも一寸意氣だ、どうして惡くない。が、四疊半でも六疊でも、琵琶棚つきの廣間でも、そこは仁體相應として、これに調子がついて、別嬪の聲で聞かうとすると、三味線の損料だけでもお安くない。白い手の指環の税がかゝる。それに、われら式が、一念發起に及んだほどお小遣を拂いて、羅の褄に、すツと長じゆばんの模樣が透く、……水色の、色氣は(たつた)で……斜に座らせたとした所で、歌澤が何とかで、あのはにあるの、このはにないのと、淺間の灰でも降つたやうに、その取引たるや、なか〳〵むづかしいさうである。
先哲いはく……君子はあやふきに近よらず、いや頬杖で讀むに限る。……垣の卯の花、さみだれの、ふる屋の軒におとづれて……か。
惡いことは申さぬ。これに御同感の方々は、三味線でお聞きになるより、字でお讀みになる方が無事である。──
下町の方は知らない。江戸のむかしよりして、これを東京の晝の時鳥ともいひたい、その苗賣の聲は、近頃聞くことが少くなつた。偶にはくるが、もう以前のやうに山の手の邸町、土べい、黒べい、幾曲りを一聲にめぐつて、透つて、山王樣の森に響くやうなのは聞かれない。
久しい以前だけれども、今も覺えて居る。一度は本郷龍岡町の、あの入組んだ、深い小路の眞中であつた。一度は芝の、あれは三田四國町か、慶應大學の裏と思ふ高臺であつた。いづれも小笠のひさしをすゑ、脚半を輕く、しつとりと、拍子をふむやうにしつゝ聲にあやを打つてうたつたが……うたつたといひたい。私は上手の名曲を聞いたと同じに、十年、十五年の今も忘れないからである。
この朝顏、夕顏に續いて、藤豆、隱元、なす、さゝげ、唐もろこしの苗、また胡瓜、糸瓜──令孃方へ愛相に(お)の字をつけて──お南瓜の苗、……と、砂村で勢ぞろひに及んだ、一騎當千、前栽の強物の、花を頂き、蔓手綱、威毛をさばき、裝ひに濃い紫を染などしたのが、夏の陽炎に幻影を顯はすばかり、聲で活かして、大路小路を縫つたのも中頃で、やがて月見草、待よひ草、くじやく草などから、ヒヤシンス、アネモネ、チウリツプ、シクラメン、スヰートピイ。笛を吹いたら踊れ、何でも舶來ものの苗を並べること、尖端新語辭典のやうになつたのは最近で、いつか雜曲に亂れて來た。
決して惡くいふのではない、聲はどうでも、商賣は道によつて賢くなつたので、この初夏も、二人づれ、苗賣の一組が、下六番町を通つて、角の有馬家の黒塀に、雁が歸るやうに小笠を浮かして顯はれた。
──紅花の苗や、おしろいの苗──特に註するに及ぶまい、苗賣の聲だけは、草、花の名がそのまゝでうたになること、波の鼓、松の調べに相ひとしい。床の間ものの、ぼたん、ばらよりして、缺摺鉢、たどんの空箱の割長屋、松葉ぼたん、唐辛子に至るまで聲を出せば節になる。むかし、下の句に(それにつけても金の欲しさよ)と吟ずれば、前句はどんなでもぴつたりつく。(ほとゝぎすなきつるかたをながむれば)──(それにつけてもかねのほしさよ、)──一寸見本がこんなところ。古池や、でも何でも構はぬ、といつた話がある。もつともだ。うら盆で餘計身にしみて聞こえるのと、卑しいけれども、同じであらう。
その……
──紅花の苗や、おしろいの苗──
小うたなるかな。ふる屋の軒におとづれた。何、座つて居ても、苗屋の笠は見えるのだが、そこは凡夫だ、おしろいと聞いたばかりで、破すだれ越に乘だして見たのであるが、續いて、
──紅鷄頭、黄鷄頭、雁來紅の苗。……とさか鷄頭、やり鷄頭の苗──
と呼んだ。繪で見せないと、手つきや口の説明では、なか〳〵形が見せられないのに、この、とさか鷄頭、やり鷄頭は、いひ得てうまい。……學者の術語ばなれがして、商賣によつて賢しである、と思つたばかりは二人組かけ合の呼聲も、實は玄米パンと、ちんどん屋、また一所になつた……どぢやう、どぢやう、どぢやう──に紛れたのであつた。
こちらで氣をつけて、聞迎へるのでなくつては、苗賣は、雜音のために、どなたも、一寸氣がつかないかも知れぬと思ふ。
まして深夜の鳥の聲。
俳諧には、冬の季になつて居たはずだが、みゝづくは、春の末から、眞夏、秋も鳴く。……ともすると梅雨うちの今頃が、あの、忍術つかひ得意の時であらうも知れぬ。魔法、妖術、五月暗にふさはしい。……よひの間のホウ、ホウは、あれは、夜鷹だと思はれよ。のツホウホー、人魂が息吹をするとかいふ聲に、藍暗、紫色を帶して、のりすれ、のりほせのないのは木菟で。……大抵眞夜中の二時過ぎから、一時ほどの間を遠く、近く、一羽だか、二羽だか、毎夜のやうに鳴くのを聞く。寢ねがての夜の慰みにならないでもない。
陽氣の加減か、よひまどひをして、直き町内の大銀杏、ポプラの古樹などで鳴く事があると、梟だよ、あゝ可恐い。……私の身邊には、生にくそんな新造は居ないが、とに角、ふくろにして不氣味がる。がふくろの聲は、そんな生優しいものではない。──相州逗子に住つた時、秋もややたけた頃、雨はなかつたが、あれじみた風の夜中に、破屋の二階のすぐその欄干と思ふ所で、化けた禪坊主のやうに、哃喝をくはしたが、思はず、引き息で身震ひした。唐突に犬がほえたやうな凄まじいものであつた。
だから、ふくろの聲は、話に聞く狼がうなるのに紛れよう。……みゝづくの方は、木精が戀をする調子だと思へば可い。が、いづれ魔ものに近いのであるから、又ばける、といはれるのを慮つて、内々遠慮がちに話したけれども、實は、みゝづくは好きである。第一形が意氣だ。──閨、いや、寢床の友の、──源語でも、勢語でもない、道中膝栗毛を枕に伏せて、どたりとなつて、もう鳴きさうなものだと思ふのに、どこかの樹の茂りへ顯はれない時は、出來るものなら、内懷に隻手の印を結んで、屋の棟に呼びたい、と思ふくらゐである。
旅行をしても、この里、この森、この祠──どうも、みゝづくがゐさうだ、と直感すると、果して深更に及んで、ぽツと、顯はれ出づるから則ち話せる。──のツほーほう、ほツほウ。
「おいでなさい、今晩は。……」
つい先月の中旬である。はじめて外房州の方へ、まことに緊縮な旅行をした、その時──
待て、旅といへば、内にゐて、哲理と岡ぼれの事にばかり凝つてゐないで、偶には外へ出て見たがよい。よしきり(よし原すゞめ、行々子)は、麥の蒼空の雲雀より、野趣横溢して親しみがある。前にいつたその逗子の時分は、裏の農家のやぶを出ると、すぐ田越川の流れの續きで、一本橋を渡る所は、たゞ一面の蘆原。滿潮の時は、さつと潮してくる浪がしらに、虎斑の海月が乘つて、あしの葉の上を泳いだほどの水場だつたが、三年あまり一度もよしきりを聞いた事……無論見た事もない。
後に、奧州の平泉中尊寺へ詣でたかへりに、松島へ行く途中、海の底を見るやうな岩の根を拔ける道々、傍の小沼の蘆に、くわらくわいち、くわらくわいち、ぎやう、ぎやう、ぎやう、ちよツ、ちよツ、ちよツ……を初音に聞いた。
まあ、そんなに念いりにいはないでも、凡烏の勘左衞門、雀の忠三郎などより、鳥でこのくらゐ、名と聲の合致したものは少からう、一度もまだ見聞きした覺えのないものも、聲を聞けば、すぐ分る……
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
もし〳〵、久保田さん、と呼んで、こゝで傘雨さんにお目にかゝりたい。これでは句になりますまいか。
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
顏と腹を横に搖つて、万ちやんの「折合へません」が目に見える。
加賀の大野、根生の濱を歩行いた時は、川口の洲の至る所、蘆一むらさへあれば、行々子の聲が渦を立てた、蜷の居る渚に寄れば、さら〳〵と袖ずれの、あしのもとに、幾十羽ともない、くわらくわいち、くわらくわいち、ちよツ、ちよツで。ぬれ色の、うす紅らんだ莖を傳ひ、水をはねて、羽の生えた鮒で飛囘る。はら〳〵と立つて、うしろの藁屋の梅に五六羽、椿に四五羽、ちよツちよツと、旅人を珍しさうに、くちばしを向けて共音にさへづつたのである。──なじみに成ると、町中の小川を前にした、旅宿の背戸、その水のめぐる柳の下にも來て、朝はやくから音信れた。
……次手に、おなじ金澤の町の旅宿の、料理人に聞いたのであるが、河蝉は黐を恐れない。寧ろ知らないといつても可い。庭の池の鯉を、大小計つてねらひにくるが、仕かけさへすれば、すぐにかゝる。また、同國で、特産として諸國に貨する、鮎釣の、あの蚊針は、すごいほど彩色を巧に昆蟲を模して造る。針の稱に、青柳、女郎花、松風、羽衣、夕顏、日中、日暮、螢は光る。(太公望)は諷する如くで、殺生道具に阿彌陀は奇なり。……黒海老、むかで、暗がらす、と不氣味になり、黒虎、青蜘蛛とすごくなる。就中、ねうちものは、毛卷におしどりの羽毛を加工するが、河蝉の羽は、職人のもつとも欲するところ、特に、あの胸毛の火の燃ゆる緋は、魔の如く魚を寄せる、といつて價を選ばないさうである。たゞ斷つて置くが、その搖る篝火の如き、大紅玉を抱いた彼のをんなは、四時ともに殺生禁斷のはずである。
さて、よしきりだが、あのおしやべりの中に、得もいはれない、さびしい情の籠つたのがうれしい。いふまでもなく番町邊では、あこがれる蛙さへ聞かれない。どこか近郊へ出たら、と近まはりで尋ねても、湯屋も床屋も、釣の話で、行々子などは對手にしない。ひばり、こま鳥、うぐひすを飼ふ町内名代の小鳥ずきも、一向他人あつかひで對手にせぬ。まさか自動車で、ドライブして、搜して囘るほどの金はなし……縁の切れめか、よし原すゞめ、當分せかれたと斷念めて居ると、當年五月──房州へ行つた以前である。
馬鹿の一覺え、といふのだらう。あやめは五月と心得た。一度行つて見よう見ようで、まだ出かけた事のない堀切へ……急ぎ候ほどに、やがて着くと、引きぞ煩らはぬいづれあやめが、憚りながら葉ばかりで伸びて居た。半出來の藝妓──淺草のなにがしと札を建てた──活人形をのぞくところを、唐突に、くわら〳〵、くわら、と蛙に高笑ひをされたのである。よしよしそれも面白い。あれから柴又へお詣りしたが、河甚の鰻……などと、贅は言はない。名物と聞く切干大根の甘いにほひをなつかしんで、手製ののり卷、然も稚氣愛すべきことは、あの渦卷を頬張つたところは、飮友達は笑はば笑へ、なくなつた親どもには褒美に預からうといふ、しをらしさのおかげかして、鴻の臺を向うに見る、土手へ上ると、鳴く、鳴く、鳴くぞ、そこに、よしきり。
巣立ちの頃か、羽音が立つて、ひら〳〵と飛交はす。
あしの根に近づくと、またこの長汀、風さわやかに吹通して、人影のないもの閑かさ。足音も立つたのに、子供だらう、恐れ氣もなく、葉先へ浮だし、くちばしを、ちよんと黒く、顏をだして、ちよ、ちよツ、とやる。根に潛んで、親鳥が、けたゝましく呼ぶのに、親の心、子知らずで、きよろりとしてゐる。
「おつかさんが呼んでるぢやないか。葉の中へ早くお入り──人間が居て可恐いよ。」
「人間は飛べませんよ、ちよツ、ちよツ、ちよツちよツ。」
「犬がくるぞ。」
「をぢちやんぢやあるまいし……」
やゝ長めな尾をぴよんと刎ねた──こいつ知つて居やあがる。前後左右、たゞ犬は出はしまいかと、内々びく〳〵もので居る事を。
「犬なんか可恐くないよ。ちツちツちツ。」
畜生め。
「これ〳〵一坊や、一坊や、くわらかいち、くわらかいち。」
それお母さんが叱つて居る。
可愛いこの一族は、土手の續くところ、二里三里、蘆とともに榮えて居る喜ぶべきことを、日ならず、やがて發見した。──房州へ行く時である。汽車が龜戸を過ぎて──あゝ、このあひだの堤の續きだ、すぐに新小岩へ近づくと、窓の下に、小兒が溝板を驅けだす路傍のあしの中に、居る、居る。ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
「をぢさんどこへ。……」
と鳴いて居た。
白鷺が──私はこれには、目覺むるばかり、使つて居た安扇子の折目をたゝむまで、えりの涼しい思ひがした。嘗て、ものに記して、東海道中、品川のはじめより、大阪まはり、山陰道を通じて、汽車から、婀娜と、しかして、窈窕と、野に、禽類の佳人を見るのは、蒲田の白鷺と、但馬豐岡の鶴ばかりである、と知つたかぶりして、水上さんに笑はれた。
「少しお歩行きなさい、白鷺は、白金(本家、芝)の庭へも來ますよ。」つい小岩から市川の間、左の水田に、すら〳〵と三羽、白い褄を取つて、雪のうなじを細りとたゝずんで居たではないか。
のみならず、汽車が千葉まはりに譽田……を過ぎ、大網を本納に近いた時は、目の前の苗代田を、二羽銀翼を張つて、田毎の三日月のやうに飛ぶと、山際には、つら〳〵と立並んで、白い燈のやうに、青葉の茂みを照すのをさへ視たのである。
目的の海岸──某地に着くと、海を三方──見晴して、旅館の背後に山がある。上に庚申のほこらがあると聞く。……町並、また漁村の屋根を、隨處に包んだ波状の樹立のたゝずまひ。あの奧遙に燈明臺があるといふ。丘ひとつ、高き森は、御堂があつて、姫神のお庭といふ。丘の根について三所ばかり、寺院の棟と、ともにそびえた茂りは、いづれも銀杏のこずゑらしい。
……と表二階、三十室ばかり、かぎの手にづらりと並んだ、いぬゐの角の欄干にもたれて見まはした所、私の乏しい經驗によれば、確にみゝづくが鳴きさうである。思つたばかりで、その晩は疲れて寢た。が次の夜は、もう例によつて寢られない。刻と、卷たばこを枕元の左右に、二嬌の如く侍らせつゝも、この煙は、反魂香にも、夢にもならない。とぼけて輪になれ、その輪に耳が立つてみゝづくの影になれ、と吹かしてゐると、五月やみが屋を壓し、波の音も途絶ゆるか、鐘の音も聞こえず、しんとする。
刻限、到限。
──のツ、ほツほウ──
「あゝ、おいでなさい。……今晩は。」
隣の間の八疊に、家内とその遠縁にあたる娘を、遊びに一人預かつたのと、ふすまを並べてゐる。兩人の裾の所が、床の間横、一間に三尺、張だしの半戸だな、下が床張り、突當りがガラス戸の掃だし窓で、そこが裏山に向つたから、丁どその窓へ、松の立樹の──二階だから──幹がすく〳〵と並んでゐる。枝の間を白砂のきれいな坂が畝つて拔けて、その丘の上に小學校がある。ほんの拔裏で、ほとんど學校がよひのほか、用のない路らしいが、それでも時々人通りがある。──寢しなに女連のこれが問題になつた。ガラスを通して、ふすまが松葉越しに外から見えよう。友禪を敷いた鳥の巣のやうだ。あら、裾の方がくすぐつたいとか、何とかで、娘が騷いで、まづ二枚折の屏風で圍つたが、尚隙があいて、燈が漏れさうだから、淡紅色の長じゆばんを衣桁からはづして、鹿の子の扱帶と一所に、押つくねるやうに引かけて塞いだのが、とに角一寸媚めかしい。
魔ものの鳥が、そこを、窓をのぞくやうに鳴いたのである。──晝見た、坂の砂道には、青すすき、蚊帳つり草に、白い顏の、はま晝顏、目ぶたを薄紅に染たのなどが、松をたよりに、ちらちらと、幾人も花をそろへて咲いた。いまその露を含んで、寢顏の唇のやうにつぼんだのを、金色のひとみに且つ青く宿して……木菟よ、鳴く。
が、鳥の事はいはれない。今朝、その朝、顏を洗つたばかりの所、横縁に立つた娘が、「まあ容子のいゝ、あら、すてきにシヤンよ、をぢさん、幼稚園の教員さんらしいわ。」「おつと來たり。」「お前さんお茶がこぼれますよ。」「知つてる。」と下に置けばいゝものを、滿々とあるのを持ちかへようとして沸き立つて居るから振りこぼして、あつゝ。「もうそつちへ行くわ、靴だから足が早い。」「心得た。」下のさか道の曲れるを、二階から突切るのは河川の彎曲を直角に、港で船を扼するが如し、諸葛孔明を知らないか、とひよいと立つて件の袋戸だなの下へ潛込む。「それ、頭が危いわ。」「合點だ。」といふ下から、コツン。おほゝゝほ。「あゝ殘念だ、後姿だ。いや、えり脚が白い。」といふ所を、シヤンに振向かれて、南無三寶。向直らうとして、又ゴツン。おほほほゝ。……で、戸だなを落した喜多八といふ身ではひだすと、「あの方、ね、友禪のふろ敷包を。……かうやつて、少し斜にうつむき加減に、」とおなじ容子で、ひぢへ扇子の、扇子はなしに、手つきで袖へ一寸舞振。……娘の舞振は、然ることだが、たれかの男振は、みゝづくより苦々しい。はツはツはツはツ。
叱!……これ丑滿時と思へ。ひとり笑ひは怪ものじみると、獨でたしなんで肩をすくめる。と、またしんとなる。
──のツほツほ──五聲ばかり窓で鳴いて、しばらくすると、山さがりに、ずつと離れて、第一の寺の銀杏の樹と思ふあたりで、聲がする。第二の銀杏──第三へ。──やがて、もつとも遠くかすかになるのが──峰の明神の森であつた。
東京──番町──では、周圍の廣さに、みゝづくの聲は南北にかはつても、その場所の東西をさへわきまへにくい。……こゝでは町も、森も、ほとんど一浦のなぎさの盤にもるが如く、全幅の展望が自由だから、瀬も、流れも、風の路も、鳥の行方も知れるのである。又禽類の習性として、毎夜、おなじ場處、おなじ樹に、枝に、かつ飛び、かつ留るものださうである。心得て置く事で……はさんでは棄てる蛇の、おなじ場所に、おなじかま首をもたげるのも、敢て、咒詛、怨靈、執念のためばかりではない事を。
……こゝに、をかしな事がある。みゝづくのあとへ鼠が出る。蛇のあとでさへなければ可い。何のあとへ鼠が出ても、ちつとも差支はないのであるが、そのみゝづくが窓を離れて、第一のいてふへ飛移つたと思ふ頃、おなじガラス窓の上の、眞片隅、ほとんど鋭角をなした所で、トン、と音がする。……續いて、トン、と音がする。女二人の眠つた天井裏を、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン。はゝあ鼠だ。が、大げさではない、妙な歩行きかただ、と、誰方も思はれようと考へる。
お互に──お互は失禮だけれど、破屋の天井を出てくる鼠は、忍ぶにしろ、荒れるにしろ、音を引ずつて囘るのであるが、こゝのは──立つて後脚で歩行くらしい。はてな、じつと聞くと、小さな麻がみしもでも着て居さうだ、と思ふうち、八疊に、私の寢た上あたりで、ひつそりとなる。一呼吸拔いて置いて、唐突に、ばり〳〵ばり〳〵、びしり、どゞん、廊下の雨戸外のトタン屋根がすさまじく鳴響く。ハツと起きて、廊下へ出た。退治る氣ではない、逃路を搜したのである。
屋根に、忍術つかひが立つたのでも何でもない。それ切で、第二の銀杏にみゝづくの聲が冴えた。
更に人間に別條はない。しかし、おなじ事が三晩續いた。刻限といひ、みゝづくの窓をのぞくのから、飛移るあとをためて、天井の隅へトン、トコ、トン、トコ、トン──三晩めは、娘も家内も三人起き直つて聞いたのである。が、びり〳〵、がらん、どゞん、としても、もう驚かない。何事もないとすると、寢覺めのつれ〴〵には面白し、化鼠。
どれ、これを手づるに、鼠をゑさに、きつね、たぬき、大きくいへば、千倉ヶ沖の海坊主、幽靈船でも釣ださう。
如何に、所の人はわたり候か。──番頭を呼だすも氣の毒だ。手近なのは──閑靜期とかで客がないので、私どもが一番の座敷だから──一番さん、受持の女中だが、……そも〳〵これには弱つた。
旅宿に着いて、晩飯と……お魚は何ういふものか、と聞いた、のつけから、「銀座のバーから來たばかりですからねえ。」──「姉さん、向うに見える、あの森は。」「銀座のバーから來たばかりですからねえ。」うつかりして「海へは何町ばかりだえ。」「さあ、銀座のバーから來たばかりですからねえ。」あゝ、修業はして置く事だ。人の教へを聞かないで、銀座にも、新宿にも、バーの勝手を知らないから、旅さきで不自由する。もつとも、後に番頭の陳じたところでは、他の女中との詮衡上、花番とかに當つたからださうである。が、ぶくりとして、あだ白い、でぶ〳〵と肥つた肉貫──(間違へるな、めかたでない、)──肉感の第一人者が、地響を打つて、外房州へ入つた女中だから、事が起る。
たしか、三日目が土曜に當つたと思ふ。ばら〳〵と客が入つた。中に十人ばかりの一組が、晩に藝者を呼んで、箱が入つた。申兼ねるが、廊下でのぞいた。田舍づくりの籠花活に、一寸(たつた)も見える。内々一聲ほとゝぎすでも聞けようと思ふと、何うして……いとが鳴ると立所に銀座の柳である。道頓堀から糸屋の娘……女朝日奈の島めぐりで、わしが、ラバさん酋長の娘、と南洋で大氣焔。踊れ、踊れ、と踊り囘つて、水戸の大洗節で荒れるのが、殘らず、銀座のバーから來た、大女の一人藝で。……醉つた、食つた、うたつた、踊つた。宴席どなりの空部屋へ轉げ込むと、ぐたりと寢たが、したゝか反吐をついて、お冷水を五杯飮んだとやらで、ウイーと受持の、一番さんへ床を取りに來て、おや、旦那は醉つて轉げてるね、おかみさん、つまんで布團へ載つけなさいよ。枕もとの煙草盆なんか、娘さんが手傳つてと、……あゝ、私は大儀だ。」「はい。」「はい。」と女どもが、畏まると、「翌日は又おみおつけか。オムレツか、オートミルでも取ればいゝのに。ウイ……」廊下を、づし〳〵歩行きかけて、よた〳〵と引返し「おつけの實は何とかいつたね。さう、大根か。大根、大根、大根でセー」と鼻うたで、一つおいた隣座敷の、男の一人客の所へ、どしどしどしん、座り込んだ。「何をのんびりしてるのよ、あはゝゝは、ビールでも飮まんかねえ。」前代未聞といツつべし。
宴會客から第一に故障が出た、藝者の聲を聞かないさきに線香が切れたのである。女中なかまが異議をだして、番頭が腕をこまぬき、かみさんが分別した。翌日、鴨川とか、千倉とか、停車場前のカフエーへ退身、いや、榮轉したさうである。寧ろ痛快である。東京うちなら、郡部でも、私は訪ねて行つて、飮まうと思ふ。
といつたわけで……さしあたり、たぬきの釣だしに間に合はず、とすると、こゝに當朝日新聞のお客分、郷土學の總本山、内々ばけものの監査取しまり、柳田さん直傳の手段がある。直傳が行きすぎならば、模倣がある。
土地の按摩に、土地の話を聞くのである。
「──木菟……木菟なんか、あんなものは……」
いきなり麻がみしもの鼠では、いくら盲人でも付合ふまい。そこで、寢ころんで居て、まづみゝづくの目金をさしむけると、のつけから、ものにしない。
「直になりませんな、つかまへたつて食へはせずぢや。」
あつ氣に取られたが、しかし悟つた。……嘗て相州の某温泉で、朝夕ちつともすゞめが居ないのを、夜分按摩に聞いて、歎息した事がある。みんな食つてしまつたさうだ。「すゞめ三羽に鳩一羽といつてね。」と丁と格言まで出來て居た。それから思ふと、みゝづくを以て、忽ち食料問題にする土地は人氣が穩かである。
「からすの方がましぢやね、無駄鳥だといつても、からすの方がね、あけの鐘のかはりになるです、はあ、あけがらすといつてね。時にあんた方はどこですか。東京かね──番町──海水浴、避暑にくる人はありませんかな。……この景氣だから、今年は勉強ぢやよ。八疊に十疊、眞新しいので、百五十圓の所を百に勉強するですわい。」
大きな口をあけて、仰向いて、
「七八九、三月ですが、どだい、安いもんぢやあろ。」
家内が氣の毒がつて、
「たんと山がありますが、たぬきや、きつねは。」
「じよ、じようだんばかり、直が安いたつて、化物屋敷……飛んでもない、はあ、えゝ、たぬき、きつね、そんなものは鯨が飮んでしまうた、はゝは。いかゞぢや、それで居て、二階で、臺所一切つき、洗面所も……」
喟然として私は歎じた。人間は斯の徳による。むかし、路次裏のいかさま宗匠が、芭蕉の奧の細道の眞似をして、南部のおそれ山で、おほかみにおどされた話がある。柳田さんは、旅籠のあんまに、加賀の金澤では天狗の話を聞くし、奧州飯野川の町で呼んだのは、期せずして、同氏が研究さるゝ、おかみん、いたこの亭主であつた。第一儼然として絽の紋付を着たあんまだといふ、天の授くるところである。
みゝづくで食を論ずるあんまは、容體倨然として、金貸に類して、借家の周旋を強要する……どうやら小金でその新築をしたらしい。
女教員さんのシヤンを覗いて、戸だなで、ゴツンの量見だから、これ、天の戒むる所であらう。
但、いさゝか自ら安んずる所がないでもないのは、柳田さんは、身を以てその衝に當るのだが、私の方は間接で、よりに立つた格で、按摩に上をもませて居るのは家内で、私は寢ころんで聞くのである。ご存じの通り、品行方正の點は、友だちが受合ふが、按摩に至つては、然も斷じて處女である。錢湯でながしを取つても、ばんとうに肩を觸らせた事さへない。揉ほどの手つきをされても、一ちゞみに縮み上る……といつただけでもくすぐつたい。このくすぐつたさを處女だとすると、つら〳〵惟るに、媒灼人をいれた新枕が、一種の……などは、だれも聞かないであらうか、なあ、みゝづく。……
鳴いて居る……二時半だ。……やがて、里見さんの眞向うの大銀杏へ來るだらう。
みゝづく、みゝづく。苗屋が賣つた朝顏も、もう咲くよ。
夕顏には、豆府かな──茄子の苗や、胡瓜の苗、藤豆、いんげん、さゝげの苗──あしたのおつけの實は……
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「東京朝日新聞 第一六二五六号~第一六二六一号」東京朝日新聞社
1931(昭和6)年8月2日~7日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「形」に対するルビの「かた」と「かたち」の混在は、底本の通りです。
※表題は底本では、「木菟俗見」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2017年10月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。