鳥影
泉鏡太郎



 あめれたあさである。修善寺しゆぜんじ温泉宿をんせんやど、──くわん家族かぞく一婦人いちふじんと、家内かない桂川かつらがは一本橋いつぽんばしむかうの花畑はなばたけ連立つれだつて、次手ついで同家どうけひかへ別莊べつさう──あきである──をせてもらつた、とつてはなした。花畑はなばたけわたつてからだが、はし渡返わたりかへしてくわんそとまはりを𢌞まはつてく。……去年きよねんはるごろまでは、樹蔭こかげみちで、戸田街道とだかいだう表通おもてどほりへ土地とちひとたちも勝手かつて通行つうかうしたのだけれども、いまは橋際はしぎは木戸きど出來できて、くわん構内こうないつた。もとのみちを、おもへだててひろ空地あきちがあつて、つてはにはつくるのださうで、立樹たちきあひだ彼方此方あちこちいし澤山たくさん引込ひきこんである。かはつてふる水車小屋すゐしやごやまた茅葺かやぶき小屋こやもある。別莊べつさうはずつとおく樹深きぶかなかつてるのを、わたしこゝろづもりにつてる。總二階そうにかい十疊じふでふ八疊はちでふ𢌞まはえんで、階下かいか七間なゝままでかぞへてひろい。雨戸あまどをすつかりけてせられたが、うらやままへながれ、まことに眺望ながめいとふ。……りるつもりか、さては近頃ちかごろ工面くめんがいゝナなぞとおせきなさるまじく。きやう金閣寺きんかくじをごらうじましたか、でけんぶつをしたばかり。うた床柱とこばしらではないが、別莊べつさうにはは、垣根かきねつゞきに南天なんてんはやしひたいくらゐ、一面いちめんかゞやくがごと紅顆こうくわともして、水晶すゐしやうのやうださうで、おく濡縁ぬれえんさき古池ふるいけひとつ、なかたひら苔錆こけさびたいしがある。

 其處そこうつくしいとりた。

 二羽には

「……それは綺麗きれいとりなんですよ、背中せなかあをいつたつて、たゞあをいんぢやあないんです、なんともへません。むねところからぼつとあかくつてね、ながくちばしをしてるんです、向合むきあつて。……其處そこいらがしづかで、だれおどろかさないとえて、わたしたちをても、げないんですよ。えんからぢき其處そこに──もつとも、あゝ綺麗きれいとりが、とつて、雨戸あまどにもそつ加減かげんはしましたけれども。……なんとりでせうね。うちすゞめよりはずつとおほきくつて、はとよりは、すらりとせて小形こがたな。」

 と、あゝ、およしなさればいのに、りもののかごに、つてたしぼりの山茶花さゞんくわしろ小菊こぎく突込つツこんで、をかしくつまんだり、えだいたり、飴細工あめざいくではあるまいし……つゐをなすもののひとがらもちやうい。……朝餉あさげますと、立處たちどころとこ取直とりなほして、勿體もつたいない小春こはるのお天氣てんきに、みづ二階にかいまでかゞやかす日當ひあたりのまぶしさに、硝子戸がらすど障子しやうじをしめて、長々なが〳〵掻卷かいまきした、これ安湯治客やすたうぢきやく得意とくいところ

宿やどかたらないつてふんですがね、ちよい〳〵彼處あそこるんですつて、いつも、つがひで洒落しやれてるわね。なんでせう。」

 おや〳〵はさみおとをさせた。あつかましい。が、これにも似合にあはう……川柳せんりう横本よこぼんまくらはすつかけにあふぎながら、

「あるきもしない、不精ぶしやう不精ぶしやうだとふけれど、ながらにしてつてるぜ。かはせみさ、それは。」

「あゝ。」

あらはすと、くわくおほい、翡翠ひすゐとかいてね、おまへたち……たちぢやあ他樣ほかさま失禮しつれいだ……おまへなぞがしがるたまとおんなじだ。」

 とつて、おねだんのもののにもさない、うしろむき圓髷まるまげた。

 わたし廣袖どてらえりはせてきた。

 鴛鴦をしどり濃艷のうえんでおむつまじい、が、いたばかりで、翡翠かはせみ凄麗せいれいにして、所帶しよたい意氣いきである。たくなつた。

 わたし狩獵しゆれふらない。が、ものでない、やまさちは、姿すがた、その、ものがたりくのにある、と、おもひつゝ。……

昭和三年一月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年1020日第1刷発行

   1988(昭和63)年112日第3刷発行

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

※表題は底本では、「鳥影とりかげ」とルビがついています。

入力:門田裕志

校正:川山隆

2011年86日作成

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