間引菜
泉鏡太郎
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わびしさ……侘しいと言ふは、寂しさも通越し、心細さもあきらめ氣味の、げつそりと身にしむ思の、大方、かうした時の事であらう。
──まだ、四谷見つけの二夜の露宿から歸つたばかり……三日の午後の大雨に、骨までぐしよ濡れに成つて、やがて着かへた後も尚ほ冷々と濕つぽい、しよぼけた身體を、ぐつたりと横にして、言合はせたやうに、一張差置いた、眞の細い、乏しい提灯に、頭と顏をひしと押着けた處は、人間唯髯のないだけで、秋の蟲と餘りかはりない。
ひとへに寄縋る、薄暗い、消えさうに、ちよろ〳〵またゝく……燈と言つては此一點で、二階も下階も臺所も内中は眞暗である。
すくなくも、電燈が點くやうに成ると、人間は横着で、どうしてあんなだつたらうと思ふ、が其はまつたく暗かつた。──實際、東京はその一時、全都が火の消えるとともに、此の世から消えたのであつた。
大燒原の野と成つた、下町とおなじ事、殆ど麹町の九分どほりを燒いた火の、やゝしめり際を、我が家を逃出たまゝの土手の向越しに見たが、黒煙は、殘月の下に、半天を蔽うた忌はしき魔鳥の翼に似て、燒殘る炎の頭は、その血のしたゝる七つの首のやうであつた。
……思出す。……
あらず、碧く白き東雲の陽の色に紅に冴えて、其の眞黒な翼と戰ふ、緋の鷄のとさかに似たのであつた。
これ、夜のあくるにつれての人間の意氣である。
日が暮れると、意氣地はない。その鳥より一層もの凄い、暗闇の翼に蔽はれて、いま燈の影に息を潛める。其の翼の、時々どツと動くとともに、大地は幾度もぴり〳〵と搖れるのであつた。
驚破と言へば、駈出すばかりに、障子も門も半ばあけたまゝで。……框の狹い三疊に、件の提灯に縋つた、つい鼻の先は、町も道も大きな穴のやうに皆暗い。──暗さはつきぬけに全都の暗夜に、荒海の如く續く、とも言はれよう。
蟲のやうだと言つたが、あゝ、一層、くづれた壁に潛んだ、波の巖間の貝に似て居る。──此を思ふと、大なる都の上を、手を振つて立つて歩行いた人間は大膽だ。
鄰家はと、穴から少し、恁う鼻の尖を出して、覗くと、おなじやうに、提灯を家族で袖で包んで居る。魂なんど守護するやうに──
たゞ四角なる辻の夜警のあたりに、ちら〳〵と燈の見えるのも、うら枯れつゝも散殘つた百日紅の四五輪に、可恐い夕立雲の崩れかゝつた状である。
と、時々その中から、黒く拔出して、跫音を沈めて來て、門を通りすぎるかとすれば、閃々と薄のやうなものが光つて消える。
白刃を提げ、素槍を構へて行くのである。こんなのは、やがて大叱られに叱られて、束にしてお取上げに成つたが……然うであらう。
──記録は愼まなければ成らない。──此のあたりで、白刃の往來するを見たは事實である。……けれども、敵は唯、宵闇の暗さであつた。
其の暗夜から、風が颯と吹通す。……初嵐……可懷い秋の聲も、いまは遠く遙に隅田川を渡る數萬の靈の叫喚である。……蝋燭がじり〳〵とまた滅入る。
あ、と言つて、其の消えかゝるのに驚いて、半ばうつゝに目を開く、女たちの顏は蒼白い。
疲れ果てて、目を睜りながらも、すぐ其なりにうと〳〵する。呼吸を、燈に吸はるゝやうに見える。
がさり……
裏町、表通り、火を警むる拍子木の音も、石を噛むやうに軋んで、寂然とした、臺所で、がさりと陰氣に響く。
がさり……
鼠だ。
「叱……」
がさり……
いや、もつと近い、つぎの女中部屋の隅らしい。
がさり……
「叱……」
と言ふ追ふ聲も、玄米の粥に、罐詰の海苔だから、しつこしも、粘りも、力もない。
がさり。
畜生、……がさ〳〵と引いても逃げる事か、がさりとばかり悠々と遣つて居る。
氣に成るから、提灯を翳して、「叱。」と女中部屋へ入つた。が、不斷だと、魑魅を消す光明で、電燈を燦と點けて、畜生を礫にして追拂ふのだけれど、此の燈の覺束なさは、天井から息を掛けると吹消されさうである。ちよろりと足許をなめられはしないかと、爪立つほどに、心が虚して居るのだから、だらしはない。
それでも少時は、ひつそりして音を潛めた。
先づは重疊、抗つて齒向つてでも來られようものなら、町内の夜番につけても、竹箒を押取つて戰はねば成らない處を、恁う云ふ時は敵手が逃げてくれるに限る。
「あゝ、地震だ。」
幽ながら、ハツとして框まで飛返つて、
「大丈夫々々。」
ほつとする。動悸のまだ休まらないうちである。
がさり。
二三尺、今度は──荒庭の飛石のやうに、包んだまゝの荷がごろ〳〵して居る。奧座敷へ侵入した。──此を思ふと、いつもの天井を荒𢌞るのなどは、ものの數ではない。
既に古人も言つた──物之最小而可憎者、蠅與鼠である。蠅以癡。鼠以黠。其害物則鼠過於蠅。其擾人則蠅過於鼠……しかも驅蠅難於驅鼠。──鼠を防ぐことは、虎を防ぐよりも難い……と言ふのである。
同感だ。──が、滿更然うでもない。大家高堂、手が屆かず、從つて鼠も多ければだけれども、小さな借家で、壁の穴に氣をつけて、障子の切り張りさへして置けば、化けるほどでない鼠なら、むざとは入らぬ。
いつもは、氣をつけて居るのだから、臺所、もの置は荒しても、めつたに疊は踏ませないのに、大地震の一搖れで、家中、穴だらけ、隙間だらけで、我家の二階でさへ、壁土と塵埃と煤と、襖障子の骨だらけな、大きなものを背負つて居るやうな場合だつたから堪らない。
「勝手にしろ。──また地震だ。……鼠なんか構つちや居られない。」
あくる日、晩飯の支度前に、臺所から女中部屋を掛けて、女たちが頻に立迷つて、ものを搜す。──君子は庖廚の事になんぞ、關しないで居たが、段々茶の間に成り、座敷に及んで、棚、小棚を掻きまはし、抽斗をがたつかせる。棄てても置かれず、何うしたと聞くと、「どうも變なんですよ。」と不思議がつて、わるく眞面目な顏をする。ハテナ、小倉の色紙や、鷹の一軸は先祖からない内だ。うせものがした處で、そんなに騷ぐには當るまいと思つた。が、さて聞くと、いや何うして……色紙や一軸どころではない。──大切な晩飯の菜がない。
車麩が紛失して居る。
皆さんは、御存じであらうか……此品を。……あなた方が、女中さんに御祝儀を出してめしあがる場所などには、決してあるものではない。かさ〳〵と乾いて、渦に成つて、稱ぶ如く眞中に穴のあいた、こゝを一寸束にして結へてある……瓦煎餅の氣の拔けたやうなものである。粗と水に漬けて、ぐいと絞つて、醤油で掻𢌞せば直ぐに食べられる。……私たち小學校へ通ふ時分に、辨當の菜が、よく此だつた。
「今日のお菜は?」
「車麩。」
と、からかふやうに親たちに言はれると、ぷつとふくれて、がつかりして、そしてべそを掻いたものである。其癖、學校で、おの〳〵を覗きつくらをする時は「蛇の目の紋だい、清正だ。」と言つて、負をしみに威張つた、勿論、結構なものではない。
紅葉先生の説によると、「金魚麩は婆の股の肉だ。」さうである。
成程似て居る。
安下宿の菜に此の一品にぶつかると、
「また婆の股だぜ。」
「恐れるなあ。」
で同人が嘆息した。──今でも金魚麩の方は辟易する……が、地震の四日五日めぐらゐ迄は、此の金魚麩さへ乾物屋で賣切れた。また「泉の干瓢鍋か。車麩か。」と言つて友だちは嘲笑する。けれども、淡泊で、無難で、第一儉約で、君子の食ふものだ、私は好だ。が言ふまでもなく、それどころか、椎茸も湯皮もない。金魚麩さへないものを、些とは増な、車麩は猶更であつた。
……すでに、二日の日の午後、火と煙を三方に見ながら、秋の暑さは炎天より意地が惡く、加ふるに砂煙の濛々とした大地に茣蓙一枚の立退所から、軍のやうな人ごみを、拔けつ、潛りつ、四谷の通りへ食料を探しに出て、煮染屋を見つけて、崩れた瓦、壁泥の堆いのを踏んで飛込んだが、心あての昆布の佃煮は影もない。鯊を見着けたが、買はうと思ふと、いつもは小清潔な店なんだのに、其の硝子蓋の中は、と見るとギヨツとした。眞黒に煮られた鯊の、化けて頭の飛ぶやうな、一杯に跳上り飛𢌞る蠅であつた。あをく光る奴も、パツ〳〵と相まじはる。
咽喉どころか、手も出ない。
蠅も蛆も、とは、まさか言ひはしなかつたけれども、此の場合……きれい汚いなんぞ勿體ないと、立のき場所の周圍から説が出て、使が代つて、もう一度、その佃煮に駈けつけた時は……先刻に見着けた少しばかりの罐詰も、それも此も賣切れて何にもなかつた。──第一、もう店を閉して、町中寂然として、ひし〳〵と中に荷をしめる音がひしめいて聞えて、鎖した戸には炎の影が暮れせまる雲とともに血をそゝぐやうに映つたと言ふのであつた。
繰返すやうだが、それが二日で、三日の午すぎ、大雨に弱り果てて、まだ不安ながら、破家へ引返してから、薄い味噌汁に蘇生るやうな味を覺えたばかりで、罐づめの海苔と梅干のほか何にもない。
不足を言へた義理ではないが……言つた通り干瓢も湯皮も見當らぬ。ふと中六の通りの南外堂と言ふ菓子屋の店の、この處、砂糖氣もしめり氣も鹽氣もない、からりとして、たゞ箱道具の亂れた天井に、つゝみ紙の絲を手繰つて、くる〳〵と𢌞りさうに、右の車麩のあるのを見つけて、おかみさんと馴染だから、家内が頼んで、一かゞり無理に讓つて貰つたので──少々おかゝを驕つて煮た。肴にも菜にも、なか〳〵此の味は忘れられない。
──此の日も、晩飯の樂みにして居たのであるから。……私は實は、すき腹へ餘程こたへた。
あの、昨夜の(がさり)が其れだ。
「鼠だよ、畜生め。」
それにしても、半分煮たあとが、輪にして雜と一斤入の茶の罐ほどの嵩があつたのに、何處を探しても、一片もないどころか、果は踏臺を持つて來て、押入の隅を覗き、縁の天井うらにつんだ古傘の中まで掻きさがしたが、缺らもなく、粉も見えない。
「不思議だわね。變だ。鼠ならそれまでだけれど……」
可厭な顏をして、女たちは、果は氣味を惡がつた。──尤も引續いた可恐さから、些と上ずつては居るのだけれど、鼠も妖に近いのでないと、恁う吹消したやうには引けさうもないと言ふので、薄氣味を惡がるのである。
「何うかして居るんぢやないか知ら。」
追つては、置場所を忘れたにしても、餘りな忘れ方だからと、女たちは我と我身をさへ覺束ながつて氣を打つのである。且つあやかしにでも、憑かれたやうな暗い顏をする。
その目の色のたゞならないのを見て、私も心細く寂しかつた。
いかに、天變の際と雖も、麩に羽が生えて飛ぶ道理がない。畜生、鼠の所業に相違あるまい。
この時の鼠の憎さは、近頃、片腹痛く、苦笑をさせられる、あの流言蜚語とかを逞しうして、女小兒を脅かす輩の憎さとおなじであつた。……
……たとへば、地震から、水道が斷水したので、此邊、幸ひに四五箇所殘つた、むかしの所謂、番町の井戸へ、家毎から水を貰ひに群をなして行く。……忽ち女には汲ませないと言ふ邸が出來た。毒を何うとかと言觸らしたがためである。其の時の事で。……近所の或邸へ……此の界隈を大分離れた遠方から水を貰ひに來たものがある。來たものの顏を知らない。不安の折だし、御不自由まことにお氣の毒で申し兼ねるが、近所へ分けるだけでも水が足りない。外町の方へは、と言つて其の某邸で斷つた。──あくる朝、命の水を汲まうとすると、釣瓶に一杯、汚い獸の毛が浮いて上る……三毛猫の死骸が投込んであつた。その斷られたものの口惜まぎれの惡戲だらうと言ふのである。──朝の事で。……
すぐ其の晩、辻の夜番で、私に恁う言つて、身ぶるひをした若い人がある。本所から辛うじて火を免れて避難をして居る人だつた。
「此の近所では、三人死にましたさうですね、毒の入つた井戸水を飮んで……大變な事に成りましたなあ。」
いや何うして、生れかゝつた嬰兒はあるかも知らんが、死んだらしいのは一人もない。
「飛でもない──誰にお聞きに成りました。」
「ぢき、横町の……何の、車夫に──」
もう其の翌日、本郷から見舞に來てくれた友だちが知つて居た。
「やられたさうだね、井戸の水で。……何うも私たちの方も大警戒だ。」
實の處は、單に其の猫の死體と云ふのさへ、自分で見たものはなかつたのである。
天明六、丙午年は、不思議に元日も丙午で此の年、皆虧の蝕があつた。春よりして、流言妖語、壯に行はれ、十月の十二日には、忽ち、兩水道に毒ありと流傳し、市中の騷動言ふべからず、諸人水に騷ぐこと、火に騷ぐが如し。──と此の趣が京山の(蜘蛛の絲卷)に見える。……諸葛武侯、淮陰侯にあらざるものの、流言の智慧は、いつも此のくらゐの處らしい。
しかし五月蠅いよ。
鐵の棒の杖をガンといつて、尻まくりの逞しい一分刈の凸頭が「麹町六丁目が燒とるで! 今ぱつと火を吹いた處だ、うむ。」と炎天に、赤黒い、油ぎつた顏をして、目をきよろりと、肩をゆがめて、でくりと通る。
一晩内へ入つて寢たばかりだ。皆ワツと言つて駈出した。
「お急きなさるな、急くまい。……いま火元を見て進ぜる。」
と町内第一の古老で、紺と白の浴衣を二枚重ねた禪門。豫て禪機を得た居士だと言ふが、悟を開いても迷つても、南が吹いて近火では堪らない。暑いから胸をはだけて、尻端折りで、すた〳〵と出向はれた。かへりには、ほこりの酷さに、すつとこ被をして居られたが、
「何の事ぢや、おほゝ、成程、燒けとる。𤏋と火の上つた處ぢやが、燒原に立つとる土藏ぢやて。あのまゝ駈𢌞つても近まはりに最う燒けるものは何にもないての。おほゝ。安心々々。」
それでも、誰もが、此の御老體に救はれた如くに感じて、盡く前者の暴言を怨んだ。──處で、その鐵棒をついた凸がと言ふと、右禪門の一家、……どころか、忰なのだからおもしろい。
文政十二年三月二十一日、早朝より、乾の風烈しくて、盛の櫻を吹き亂し、花片とともに砂石を飛ばした。……巳刻半、神田佐久間町河岸の材木納屋から火を發して、廣さ十一里三十二町半を燒き、幾千の人を殺した、橋の燒けた事も、船の燒けた事も、今度の火災によく似て居る。材木町の陶器屋の婦、嬰兒を懷に、六歳になる女兒の手を曳いて、凄い群集のなかを逃れたが、大川端へ出て、うれしやと吻と呼吸をついて、心づくと、人ごみに揉立てられたために、手を曳いた兒は、身なしに腕一つだけ殘つた。女房は、駭きかなしみ、哀歎のあまり、嬰兒と其の腕ひとつ抱きしめたまゝ、水に投じたと言ふ。悲慘なのもあれば、船に逃れた御殿女中が、三十幾人、帆柱の尖から焚けて、振袖も褄も、炎とともに三百石積を駈けまはりながら、水に紅く散つたと言ふ凄慘なのもある。その他、殆ど今度とおなじやうなのが幾らもある。中には其のまゝらしいのさへ少くない。
餘事だけれど、其の大火に──茅場町の髮結床に平五郎と言ふ床屋があつて、人は皆彼を(床平)と呼んだ。──此が燒けた。──時に其の頃、奧州の得平と言ふのが、膏藥の呼賣をして歩行いて行はれた。
(奧州、仙臺、岩沼の、得平が膏藥は、
あれや、これやに、利かなんだ。
皹なんどにや、よく利いた。)
そこで床平が、自分で燒あとへ貼出したのは──
(何うしよう、身代、今の間に、床平が恁う燒けた。
水や、火消ぢや消えなんだ。
曉方なんどにや、やつと消えた。)
行つたな、親方。お救米を噛みながら、江戸兒の意氣思ふべしである。
此のおなじ火事に、靈岸島は、かたりぐさにするのも痛々しく憚られるが、あはれ、今度の被服廠あとで、男女の死體が伏重なつた。こゝへ立つたお救小屋へ、やみの夜は、わあツと言ふ泣聲、たすけて──と言ふ悲鳴が、地の底からきこえて、幽靈が顯はれる。
しきりもない小屋内が、然らぬだに、おびえる處、一齊に突伏す騷ぎ。やゝ氣の確なのが、それでも僅に見留めると、黒髮を亂した、若い女の、白い姿で。……見るまに影になつて、フツと消える。
その混亂のあとには、持出した家財金目のものが少からず紛失した。娯樂ものの講談に、近頃大立ものの、岡引が、つけて、張つて、見さだめて、御用と、捕ると、其の幽靈は……女い女とは見たものの慾目だ。實は六十幾歳の婆々で、かもじを亂し、白ぬのを裸身に卷いた。──背中に、引剥がした黒塀の板を一枚背負つて居る。それ、トくるりと背後を向きさへすれば、立處に暗夜の人目に消えたのである。
私は、安直な卷莨を吹かしながら、夜番の相番と、おなじ夜の彌次たちに此の話をした。
三日とも經たないに……
「やあ、えらい事に成りました。……柳原の燒あとへ、何うです。……夜鷹より先に幽靈が出ます。……若い女の眞白なんで。──自警隊の一豪傑がつかまへて見ると、それが婆だ。かつらをかぶつて、黒板……」
と、黄昏の出會頭に、黒板塀の書割の前で、立話に話しかけたが、こゝまで饒舌ると、私の顏を見て、變な顏色をして、
「やあ、」
と言つて、怒つたやうに、黒板塀に外れてかくれた。
實は、私は、此の人に話したのであつた。
こんなのは、しかし憎氣はない。
再び幾日の何時ごろに、第一震以上の搖かへしが來る、その時は大海嘯がともなふと、何處かの豫言者が話したとか。何の祠の巫女は、燒のこつた町家が、火に成つたまゝ、あとからあとからスケートのやうに駈𢌞る夢を見たなぞと、聲を密め、小鼻を動かし、眉毛をびりゝと舌なめずりをして言ふのがある。段々寒さに向ふから、火のついた家のスケートとは考へた。……
女小兒はそのたびに青く成る。
やつと二歳に成る嬰兒だが、だゞを捏ねて言ふ事を肯かないと、それ地震が來るぞと親たちが怯すと、
「おんもへ、ねんね、いやよう。」
と、ひい〳〵泣いて、しがみついて、小さく成る。
近所には、六歳かに成る男の兒で、恐怖の餘り氣が狂つて、八疊二間を、縱とも言はず横とも言はず、くる〳〵駈𢌞つて留まらないのがあると聞いた。
スケートが、何うしたんだ。
我聞く。──魏の正始の時、中山の周南は、襄邑の長たりき。一日戸を出づるに、門の石垣の隙間から、大鼠がちよろりと出て、周南に向つて立つた。此奴が角巾、帛衣して居たと言ふ。一寸、靴の先へ團栗の實が落ちたやうな形らしい。但しその風丰は地仙の格、豫言者の概があつた。小狡しき目で、じろりと視て、
「お、お、周南よ、汝、某の月の某の日を以て當に死ぬべきぞ。」
と言つた。
したゝかな妖である。
處が中山の大人物は、天井がガタリと言つても、わツと飛出すやうな、やにツこいのとは、口惜しいが鍛錬が違ふ。
「あゝ、然やうか。」
と言つて、知らん顏をして澄まして居た。……言は些となまぬるいやうだけれど、そこが悠揚として迫らざる處である。
鼠還穴。
その某月の半ばに、今度は、鼠が周南の室へ顯はれた。もの〳〵しく一揖して、
「お、お、周南よ。汝、月の幾日にして當に死ぬべきぞ。」
と言つた。
「あゝ、然やうか。」
鼠が柱に隱れた。やがて、呪へる日の、其の七日前に、傲然と出て來た。
「お、お、周南よ。汝旬日にして當に死ぬべきぞ。」
「あゝ、然やうか。」
丁度七日めの朝は、鼠が急いで出た。
「お、お、周南よ。汝、今日の中に、當に死ぬべきぞ。」
「あゝ、然やうか。」
鼠が慌てたやうに、あせり氣味にちか寄つた。
「お、お、周南、汝、日中、午にして當に死ぬべきぞ。」
「あゝ、然やうか。」
其の日、同じ處に自若として一人居ると、當にその午ならんとして、鼠が、幾度か出たり入つたりした。
やがて立つて、目を尖らし、しやがれ聲して、
「周南、汝、死なん。」
「あゝ、然やうか。」
「周南、周南、いま死ぬぞ。」
「然やうか。」
と言つた。が、些とも死なない。
「弱つた……遣切れない。」
と言ふと齊しく、ひつくり返つて、其の鼠がころつと死んだ。同時に、巾と帛が消えて散つた。魏の襄邑の長、その時思入があつて、じつと見ると、常の貧弱な鼠のみ。周南壽。と言ふのである。
流言の蠅、蜚語の鼠、そこらの豫言者に對するには、周南先生の流儀に限る。
事あつて後にして、前兆を語るのは、六日の菖蒲だけれども、そこに、あきらめがあり、一種のなつかしみがあり、深切がある。あはれさ、はかなさの情を含む。
潮のさゝない中川筋へ、夥しい鯔が上つたと言ふ。……横濱では、町の小溝で鰯が掬へたと聞く。……嘗て佃から、「蟹や、大蟹やあ」で來る、聲は若いが、もういゝ加減な爺さんの言ふのに、小兒の時分にやあ兩國下で鰯がとれたと話した、私は地震の當日、ふるへながら、「あゝ、こんな時には、兩國下へ鰯が來はしないかな。」と、愚にもつかないが、事實そんな事を思つた。
あの、磐梯山が噴火して、一部の山廓をそのまゝ湖の底にした。……その前日、おなじ山の温泉の背戸に、物干棹に掛けた浴衣の、日盛にひつそりとして垂れたのが、しみ入る蝉の聲ばかり、微風もないのに、裙を飜して、上下にスツ〳〵と煽つたのを、生命の助かつたものが見たと言ふ。──はもの凄い。
恁うした事は、聞けば幾らもあらうと思ふ。さきの思出、のちのたよりに成るべきである。
處で、私たちの町の中央を挾んで、大銀杏が一樹と、それから、ぽぷらの大木が一幹ある。見た處、丈も、枝のかこみもおなじくらゐで、はじめは對の銀杏かと思つた。──此のぽぷらは、七八年前の、あの凄じい暴風雨の時、われ〳〵を驚かした。夜があけると忽ち見えなく成つた。が、屋根の上を消えたので、實は幹の半ばから折れたのであつた。のびるのが早い。今では再び、もとの通り梢も高し、茂つて居る。其の暴風雨の前、二三年引續いて、兩方の樹へ無數の椋鳥が群れて來た。塒に枝を爭つて、揉拔れて、一羽バタリと落ちて目を眩したのを、水をのませていきかへらせて、そして放した人があつたのを覺えて居る。
見事に群れて來た。
以前、何かに私が、「田舍から、はじめて新橋へ着いた椋鳥が一羽。」とか書いたのを、紅葉先生が見て笑ひなすつた事がある。「違ふよ、お前、椋鳥と言ふのは群れて來るからなんだよ。一羽ぢやいけない。」成程むれて來るものだと思つた。
暴風雨の年から、ばつたり來なく成つた。それが、今年、しかもあの大地震の前の日の暮方に、空を波のやうに群れて渡りついた。ぽぷらの樹に、どつと留まると、それからの喧噪と言ふものは、──チチツ、チチツと百羽二百羽一度に聲を立て、バツと梢へ飛上ると、また颯と枝につく。揉むわ搖るわ。漸つと梢が靜まつたと思ふと、チチツ、チチツと鳴き立てて又パツと枝を飛上る。曉方まで止む間がなかつた。
今年は非常な暑さだつた。また東京らしくない、しめり氣を帶びた可厭な蒸暑さで、息苦しくして、寢られぬ晩が幾夜も續いた。おなじく其の夜も暑かつた。一時頃まで、皆戸外へ出て涼んで居て、何と言ふ騷ぎ方だらう、何故あゝだらう、烏や梟に驚かされるたつて、のべつに騷ぐ譯はない。塒が足りない喧嘩なら、銀杏の方へ、いくらか分れたら可ささうなものだ。──然うだ、ぽぷらの樹ばかりで騷ぐ。……銀杏は星空に森然として居た。
これは、大袈裟でない、誰も知つて居る。寢られないほど、ひつきりなしに、けたゝましく鳴立てたのである。
朝はひつそりした。が、今度は人間の方が聲を揚げた。「やあ、荒もの屋の婆さん。……何うでえ、昨夜の、あの椋鳥の畜生の騷ぎ方は──ぎやあ〳〵、きい〳〵、ばた〳〵、ざツ〳〵、騷々しくつて、騷々しくつて。……俺等晝間疲れて居るのに、からつきし寢られやしねえ。もの干棹の長い奴を持出して、掻𢌞して、引拂かうと思つても、二本繼いでも屆くもんぢやねえぢやあねえか。樹が高くつてよ。なあ婆さん、椋鳥の畜生、ひどい目に逢はしやがるぢやあねえか。」と大聲で喚いて居るのがよく聞えた。まだ、私たち朝飯の前であつた。
此が納まると、一時たゝきつけて、樹も屋根も掻みだすやうな風雨に成つた。驟雨だから、東京中には降らぬ處もあつたらしい。息を吐くやうに、一度止んで、しばらくぴつたと靜まつたと思ふと、絲を搖つたやうに幽に來たのが、忽ち、あの大地震であつた。
「前兆だつたぜ──俺あ確に前兆だつたと思ふんだがね。あの前の晩から曉方までの椋鳥の騷ぎやうと言つたら、なあ、婆さん。……ぎやあ〳〵ぎやあ〳〵夜一夜だ。──お前さん。……なあ、婆さん、荒もの屋の婆さん、なあ、婆さん。」
氣の毒らしい。……一々、そのぽぷらに間近く平屋のある、荒もの屋の婆さんを、辻の番小屋から呼び出すのは。──こゝで分つた──植木屋の親方だ。へゞれけに醉拂つて、向顱卷で、鍬の拔けた柄の奴を、夜警の得ものに突張りながら、
「なあ、婆さん。──荒もの屋の婆さんが、知つてるんだ。椋鳥の畜生、もの干棹で引掻き𢌞いてくれようと、幾度飛出したか分らねえ。樹が高えから屆かねえぢやありませんかい。然うだらう、然うだとも。──なあ、婆さん、荒もの屋の婆さん、なあ、婆さん。」
ふり𢌞す鍬の柄をよけながら、いや、お婆さんばかりぢやありません、皆が知つてるよ、と言つても醉つてるから承知をしない。「なあ、婆さん、椋鳥のあの騷ぎ方は。」──と毎晩のやうに怒鳴つたものである。
……話が騷々しい。……些と靜にしよう。それでなくてさへのぼせて不可い。あゝ、しかし陰氣に成ると氣が滅入る。
がさり。
また鼠だ、奸黠なる鼠の豫言者よ、小畜よ。
さて、車麩の行方は、やがて知れた。魔が奪つたのでも何でもない。地震騷ぎのがらくただの、風呂敷包を、ごつたにしたゝか積重ねた床の間の奧の隅の方に引込んであつたのを後に見つけた。畜生。水道が出て、電燈がついて、豆府屋が來るから、もう氣が強いぞ。
……齒がたの着いた、そんなものは、掃溜へ打棄つた。
がさり。がら〳〵〳〵。
あの、通りだ。さすがに、疊の上へは近づけないやうに防ぐが、天井裏から、臺所、鼠の殖えたことは一通りでない。
近所で、小さな兒が、おもちやに小庭にこしらへた、箱庭のやうな築山がある。──其處へ、午後二時ごろ、眞日中とも言はず、毎日のやうに、おなじ時間に、縁の下から、のそ〳〵と……出たな、豫言者。……灰色で毛の禿げた古鼠が、八九疋の小鼠をちよろ〳〵と連れて出て、日比谷を一散歩と言つた面で、桶の輪ぐらゐに、ぐるりと一巡二三度して、すまして又縁の下へ入つて行く。
「氣味が惡くて手がつけられません。」
「地震以來、ひとを馬鹿にして居るんですな。」
と、その親たちが話して居た。
「……車麩だつてさ……持つて來たよ。あの、坊のお庭へ。──山のね、山のまはりを引張るの。……車の眞似だか、あの、オートバイだか、電車の眞似だか、ガツタン、ガツタン、がう……」
と、その七つに成る兒が、いたいけにまた話した。
私も何だか、薄氣味の惡い思ひがした。
蠅の湧いたことは言ふまでもなからう。鼠がそんなに跋扈しては、夜寒の破襖を何うしよう。
野鼠を退治るものは狸と聞く。……本所、麻布に續いては、この邊が場所だつたと言ふのに、あゝ、その狸の影もない。いや、何より、こんな時の猫だが、飼猫なんどは、此の頃人間とともに臆病で、猫が(ねこ)に成つて、ぼやけて居る。
時なるかな。天の配劑は妙である。如何に流言に憑いた鼠でも、オートバイなどで人もなげに駈𢌞られては堪らないと思ふと、どしん、どしん、がら〳〵がらと天井を追つかけ𢌞し、溝の中で取つて倒し、組んで噛みふせる勇者が顯はれた。
渠は鼬である。
然まで古い事でもない。いまの院線がまだ通じない時分には、土手の茶畑で、狸が、ばつたを壓へたと言ふ、番町邊に、いつでも居さうな蛇と鼬を、つひぞ見た事がなかつたが。……それが、溝を走り、床下を拔けて、しば〳〵人目につくやうに成つたのは、去年七月……番町學校が一燒けに燒けた前後からである。あの、時代のついた大建ものの隨處に巣つたのが、火のために散つたか、或は火を避けて界隈へ逃げたのであらう。
不斷は、あまり評判のよくない獸で、肩車で二十疋、三十疋、狼立に突立つて、それが火柱に成るの、三聲續けて、きち〳〵となくと火に祟るの、道を切ると惡いのと言ふ。……よく年よりが言つて聞かせた。──飜つて思ふに、自から忌み憚るやうに、人の手から遠ざけて、渠等を保護する、心あつた古人の苦肉の計であらうも知れない。
一體が、一寸手先で、障子の破穴の樣な顏を撫でる、額の白い洒落もので。……
越前國大野郡の山家の村の事である。春、小正月の夜、若いものは、家中みな遊びに出た。爺さまも飮みに行く。うき世を濟ました媼さんが一人、爐端に留守をして、暗い灯で、絲車をぶう〳〵と、藁屋の雪が、ひらがなで音信れたやうな昔を思つて、絲を繰つて居ると、納戸の障子の破れから、すき漏る風とともに、すつと茶色に飛込んだものがある。白面黄毛の不良青年。見紛ふべくもない鼬で。木尻座の筵に、ゆたかに、角のある小判形にこしらへて積んであつた餅を、一枚、もろ手、前脚で抱込むと、ひよいと飜して、頭に乘せて、一つ輕く蜿つて、伸びざまにもとの障子の穴へ消える。消えるかと思ふと、忽ち出て來て、默つて又餅を頂いて、すつと引込む。「おゝ〳〵惡い奴がの……そこが畜生の淺ましさぢや、澤山然うせいよ。手を伸ばいて障子を開ければ、すぐに人間に戻るぞの。」と、媼さんは、つれ〴〵の夜伽にする氣で、巧な、その餅の運び方を、ほくそ笑をしながら見て居た。
若いものが歸ると、此の話をして、畜生の智慧を笑ふ筈が、豈計らんや、ベソを掻いた。餅は一切もなかつたのである。
程たつて、裏山の小山を一つ越した谷間の巖の穴に、堆く、その餅が蓄へてあつた。鼬は一つでない。爐端の餅を頂くあとへ、手を揃へ、頭をならべて、幾百か列をなしたのが、一息に、山一つ運んだのであると言ふ。洒落れたもので。
……内に二三年遊んで居た、書生さんの質實な口から、然も實驗談を聞かされたのである。が、聊か巧に過ぎると思つた。
後に、春陽堂の主人に聞いた。──和田さんがまだ學校がよひをして、本郷彌生町の、ある下宿に居た時、初夏の夕、不忍の蓮も思はず、然りとて數寄屋町の婀娜も思はず、下階の部屋の小窓に頬杖をついて居ると、目の前の庭で、牡鷄がけたゝましく、鳴きながら、羽を煽つて、ばた〳〵と二三尺飛上る。飛上つては引据ゑらるゝやうに、けたゝましく鳴いて落ちて、また飛上る。
講釋師の言ふ、槍のつかひてに呪はれたやうだがと、ふと見ると、赤煉蛇であらう、たそがれに薄赤い、凡そ一間、六尺に餘る長蟲が、崖に沿つた納屋に尾をかくして、鎌首が鷄に迫る、あます處四五寸のみ。
和田さんは蛇を恐れない。
遣り放しの書生さんの部屋だから、直ぐにあつた。──杖を取るや否や、畜生と言つて、窓を飛下ると、何うだらう、たゝきもひしぎもしないうちに、其の蛇が、ぱツと寸々に斷れて十あまりに裂けて、蜿々と散つて蠢いた。これには思はず度肝を拔かれて腰を落したさうである。
が、蛇ではない。這つて肩車した、鼬の長い列が亂れたのであつた。
大野の話も頷かれて、そのはたらきも察しらるゝ。
かの、(リノキ、チツキテビー)よ。わが鼬將軍よ。いたづらに鳥など構ふな。毒蛇を咬倒したあとは、希くは鼠を獵れ。蠅では役不足であらうも知れない。きみは獸中の隼である。……
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「間引菜」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月14日作成
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