深川淺景
泉鏡太郎



 雨霽あまあがり梅雨空つゆぞらくもつてはゐるが大分だいぶあつい。──日和癖ひよりぐせで、何時なんどきぱら〳〵とようもれないから、案内者あんないしや同伴つれも、わたしも、各自おの〳〵蝙蝠傘かうもりがさ……いはゆる洋傘パラソルとはのれないのを──いろくろいのに、もさゝないし、たれはゞかるともなく、すぼめてつゑにつき、足駄あしだ泥濘ぬかるみをこねてゐる。……

 いで、戰場せんぢやうのぞときは、雜兵ざふひやういへど陣笠ぢんがさをいたゞく。峰入みねいり山伏やまぶしかひく。時節じせつがら、やり白馬しろうまといへば、モダンとかいふをんなでも金剛杖こんがうづゑがひととほり。……人生じんせいいやしくも永代えいたいわたつて、辰巳たつみかぜかれようといふのに、足駄あしだ蝙蝠傘かうもりがさ何事なにごとだ。

 うしたことか、今年ことし夏帽子なつばうし格安かくやすだつたから、麥稈むぎわらだけはあたらしいのをとゝのへたが、さつとつたら、さそくにふところへねぢまうし、かぜられてはことだと……ちよつと意氣いきにはかぶれない。「きますよ。ご用心ようじん。」「心得こゝろえた。」で、みゝへがつしりとはめた、シテ、ワキ兩人りやうにん

 あゐなり、こんなり、萬筋まんすぢどころの單衣ひとへに、少々せう〳〵綿入めんいり羽織はおりこんしろたびで、ばしや〳〵とはねをげながら、「それまたみづたまりでござる。」「如何いかにもぬまにてさふらふ。」と、鷺歩行さぎあるきこしひねつてく。……といふのでは、深川見物ふかがはけんぶつ落着おちつところ大概たいがいれてゐる。はまなべ、あをやぎの時節じせつでなし、鰌汁どぢやうじる可恐おそろしい、せい〴〵門前もんぜんあたりの蕎麥屋そばやか、境内けいだい團子屋だんごやで、雜煮ざふにのぬきでびんごと正宗まさむねかんであらう。したがつて、洲崎すさきだの、仲町なかちやうだの、諸入費しよにふひかる場所ばしよへは、ひて御案内ごあんないまをさないから、讀者どくしや安心あんしんをなすつてよい。

 さて色氣いろけきとなれば、うだらう。(そばにいてきぬことわりや夏羽織なつばおり)と古俳句こはいくにもある。羽織はおりをたゝんでふところへんで、からずねの尻端折しりはしよりが、一層いつそう薩張さつぱりでよからうとおもつたが、女房にようぼう産氣さんけづいて産婆さんばのとこへかけすのではない。今日けふ日日新聞社にち〳〵しんぶんしや社用しやようた。おつとめがらにたいしても、いさゝとりつくろはずばあるべからずと、むねのひもだけはきちんとしてゐて……あついから時々とき〴〵だらける。……

「──旦那だんな、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。」

 とわたしがいふと、同伴つれ蝙蝠傘かうもりがさのさきで爪皮つまかはつゝきながら、

「──そこを眞直まつすぐ福島橋ふくしまばしで、そのさきが、お不動樣ふどうさまですよ、とゑんタクのがいひましたね。」

 いましがた、永代橋えいたいばしわたつたところで、よしとけて、あの、ひとくるまげて織違おりちがふ、さながら繁昌記はんじやうき眞中まんなかへこぼれてて、あまりそのへんのかはりやうに、ぽかんとしてつたときであつた。「こち黒鯛くろだひのぴち〳〵はねる、夜店よみせつ、……魚市うをいちところは?」「あの、した黒江町くろえちやう……」と同伴つれゆびさしをする、そのが、した往來わうらいおよがせて、すつとひらいて、とほくなるやうにえるまで、ひとあしはながれて、橋袂はしたもとひろい。

 わたしは、じつ震災しんさいのあと、永代橋えいたいばしわたつたのは、そのがはじめてだつたのである。二人ふたり風恰好亦如件ふうつきまたくだんのごとし……で、運轉手うんてんしゆ前途ゆくてあんじてくれたのに無理むりはない。「いや、たゞ、ぶらつくので。」とばかりまをはせたごとく、麥稈むぎわらをゆりなほして、そこで、ひだり佐賀町さがちやうはうはひつたのであるが。

 さて、かうたゝずむうちにも、ぐわら〳〵、ぐわらとすさまじいおとてて、貨物車くわもつしやみちちひしいでとほる。それあぶない、とよけるあとから、またぐわら〳〵とつてる。どしん、づん〳〵づづんとひゞく。

 つちがまだそれなりのもあるらしい、道惡みちわるつてはひると、そのくせ人通ひとどほりすくなく、バラツクだてのきまばらに、すみつて、めうにさみしい。

 休業きうげふのはりふだして、ぴたりととびらをとざした、なんとか銀行ぎんかう窓々まど〳〵が、觀念くわんねんまなこをふさいだやうに、灰色はひいろにねむつてゐるのを、近所きんじよ女房かみさんらしいのが、しろいエプロンのうすよごれた服裝なりで、まだ二時半前やつまへだのに、あをくあせた門柱もんちうつて、夕暮ゆふぐれらしく、くもぞらあふぐも、ものあはれ。……かもめのかはりにからすばう。町筋まちすぢとほしていてえる、ながれのみづみなくろい。……

 銀行ぎんかうよこにして、片側かたがははら正面しやうめんに、野中のなか一軒家いつけんやごとく、長方形ちやうはうけいつた假普請かりぶしん洋館やうくわん一棟ひとむねのきへぶつつけがきの(かは)のおほきくえた。

 よるは(かは)のならんだその屋號やがうに、電燈でんとうがきら〳〵とかゞやくのであらうもれない。あからさまにはいはないが、これはわたしつた𢌞米問屋くわいまいどんやである。──(おほきくたな。)──當今たうこん三等米さんとうまい一升いつしようにつき約四十三錢やくよんじふさんせんろんずるものに、𢌞米問屋くわいまいどんや知己ちきがあらうはずはない。……こゝの御新姐ごしんぞの、人形町にんぎやうちやう娘時代むすめじだいあづかつた、女學校ぢよがくかう先生せんせいとほして、ほのかに樣子やうすつてゐるので……以前いぜんわたしちひさなさくなかに、すこ家造やづくりだけ借用しやくようしたことがある。

 御存ごぞんじのとほり、佐賀町さがちやう一廓いつくわくは、ほとんのきならび問屋とんやといつてもよかつた。かまへもほゞおなじやうだとくから、むかしをしのぶよすがに、その時分じぶんいへのさまをすこしいはう。いまのバラツクだて洋館やうくわんたいして──こゝに見取圖みとりづがある。──ことわるまでもないが、地續ぢつゞきだからといつて、吉良邸きらていのではけつしてない。米價べいかはそのころ高値たかねだつたが、あへ夜討ようちをける繪圖面ゑづめんではないのであるが、まちむかつてひのき木戸きどみぎ忍返しのびがへしのへいむかつて本磨ほんみがきの千本格子せんぼんがうし奧深おくふかしづまつて、あひた植込うゑこみみどりなか石燈籠いしどうろうかげあをい。藏庫くら河岸かしそろつて、揚下あげおろしはふねぐに取引とりひきがむから、店口みせぐちはしもたおなこと煙草盆たばこぼんにほこりもかぬ。……その玄關げんくわん六疊ろくでふの、みぎ𢌞まはえんにはに、物數寄ものずきせて六疊ろくでふ十疊じふでふつぎ八疊はちでふつゞいて八疊はちでふかは張出はりだしの欄干下らんかんしたを、茶船ちやぶね浩々かう〳〵ぎ、傳馬船てんま洋々やう〳〵としてうかぶ。中二階ちうにかい六疊ろくでふなかにはさんで、梯子段はしごだんわかれて二階にかい二間ふたま八疊はちでふ十疊じふでふ──ざつとこの間取まどりで、なかんづくその中二階ちうにかいあをすだれに、むらさきふさのしつとりした岐阜提灯ぎふぢやうちん淺葱あさぎにすくのに、湯上ゆあがりの浴衣ゆかたがうつる。姿すがた婀娜あだでもおめかけではないから、團扇うちは小間使こまづかひ指圖さしづするやうな行儀ぎやうぎでない。「すこかぜぎること」と、自分じぶんでらふそくにれる。この面影おもかげが、ぬれいろ圓髷まるまげつやくしてりとともに、やなぎをすべつて、紫陽花あぢさゐつゆとともに、ながれにしたゝらうといふ寸法すんぱふであつたらしい。……

 わたしまちのさまをるために、この木戸きど通過とほりすぎたことがある。前庭まへには植込うゑこみには、きりしまがほんのりとのこつて、をりから人通ひとどほりもなしに、眞日中まつぴなか忍返しのびがへしのしたに、金魚賣きんぎようりおろして、煙草たばこかしてやすんでゐた。


「それ、ましたぜ。」

 風鈴屋ふうりんやでもとほことか。──振返ふりかへつた洋館やうくわんをぐわさ〳〵とゆするがごとく、貨物車くわもつしやが、しか二臺にだいわたしをかばはうとした同伴つれはう水溜みづたまりみこんだ。

「あ、ばしやりとやツつけた。」

 萬筋まんすぢすそて、にがりながら、

「しかし文句もんくはいひますもののね、震災しんさいときは、このくらゐな泥水どろみづを、かぶりついてみましたよ。」

 とく震災しんさいことはいふまい、と約束やくそくをしたものの、つい愚痴ぐちるのである。

 このあたり裏道うらみちけて、松村まつむら小松こまつ松賀町まつかちやう──松賀まつかなにも、鶴賀つるかよこなまるにはおよばないが、町々まち〳〵もふさはしい、小揚連中こあげれんぢう住居すまひそろひ、それ、問屋向とんやむき番頭ばんとう手代てだい、もうそれ不心得ふこゝろえなのが、松村まつむら小松こまつかこつて、松賀町まつかちやう淨瑠璃じやうるりをうならうといふ、くらくらとはならんだり、なか白鼠しろねずみ黒鼠くろねずみたはら背負しよつてちよろ〳〵したのが、みなはひになつたか。御神燈ごしんとうかげひとつ、松葉まつばもん見當みあたらないで、はこのやうな店頭みせさきに、煙草たばこるのもよぼ〳〵のおばあさん。

かはりましたなあ。」

かはりましたはもつともだが……このみち行留ゆきどまりぢやあないのかね。」

案内者あんないしやがついてゐます。御串戲ごじやうだんばかり。……洲崎すさき土手どてあたつたつて、ひとふねせば上總澪かづさみをで、長崎ながさき函館はこだてわた放題はうだい。どんなうらでもしほとほつてゐますから、深川ふかがは行留ゆきどまりといふのはありませんや。」

「えらいよ!」

 どろ〳〵とした河岸かした。

仙臺堀せんだいぼりだ。」

「だから、それだから、行留ゆきどまりかなぞと外聞ぐわいぶんわることをいふんです。──そも〳〵、大川おほかはからここへながくちが、下之橋しものはしで、こゝがすなは油堀あぶらぼり……」

「あゝ、うか。」

あひだ中之橋なかのはしがあつて、ひとうへに、上之橋かみのはしながれるのが仙臺堀川せんだいぼりがはぢやあありませんか。……ことわつてきますが、その川筋かはすぢ松永橋まつながばし相生橋あひおひばし海邊橋うみべばし段々だん〳〵かゝつてゐます。……あゝ、いへらしいいへみな取拂とりはらはれましたから、見通みとほしに仙臺堀ぜんだいぼりえさうです。すぐむかうに、けむりだか、くもだか、灰汁あくのやうなそらにたゞいつしよがこんもりと、青々あを〳〵してえませう──岩崎公園いはさきこうゑん大川おほかははうへそのぱなに、お湯屋ゆや煙突えんとつえませう、ういたして、あれが、きりもやのふかよるは、ひとをおびえさせたセメント會社ぐわいしや大煙突だいえんとつだからおどろきますな。中洲なかずと、箱崎はこざきむかうにて、隅田川すみだがは漫々まん〳〵渺々べう〳〵たるところだから、あなたおどろいてはいけません。」

おどろきません。わかつたよ。」

「いやねんのために──はゝゝ。もひとうへ萬年橋まんねんばしすなは小名木川をなぎがは千筋ちすぢ萬筋まんすぢうなぎ勢揃せいぞろひをしたやうにながれてゐます。あの利根川圖志とねがはづしなかに、……えゝと──安政二年あんせいにねん乙卯きのとう十月じふぐわつ江戸えどには地震ぢしんさわぎありてこゝろしづかならず、訪來とひくひとまれなれば、なか〳〵にいとまある心地こゝちして云々しか〴〵と……本所ほんじよくづれたるいへうしろて、深川ふかがは高橋たかばしひがし海邊うみべ大工町だいくちやうなるサイカチといふところより小名木川をなぎがはふねうけて……」

「また、地震ぢしんかい。」

「あゝ、だまだまり。──あの高橋たかばし汽船きせん大變たいへん混雜こんざつですとさ。──この四五年しごねん浦安うらやすつりがさかつて、沙魚はぜがわいた、まこはひつたと、乘出のりだすのが、押合おしあひ、へしあひあさ一番いちばんなんぞは、汽船きせん屋根やねまで、眞黒まつくろひとまつて、川筋かはすぢ次第しだいくだると、した大富橋おほとみばし新高橋しんたかばしには、欄干外らんかんそとから、あしちうに、みづうへへぶらさがつてつてゐて、それ、尋常じんじやうぢや乘切のりきれないもんですから、そのまんま……そツとでせうとおもひますがね、──それとも下敷したじきつぶれてもかまはない、どかりとだかうですか、汽船きせん屋根やねへ、あたまをまたいで、かたんでちてますツて。……こいつみはづしてかはへはまると、(浦安うらやすかう、浦安うらやすかう)ときます。」

串戲じようだんぢやあない。」

「お船藏ふなぐらがついちかくつて、安宅丸あたかまる古跡こせきですからな。いや、ういへば、遠目鏡とほめがねつたで……あれ、ごろうじろ──と、河童かつぱ囘向院ゑかうゐん墓原はかばら惡戲いたづらをしてゐます。」

「これ、芥川あくたがはさんにこえるよ。」

 わたし眞面目まじめにたしなめた。

くちぢやあ兩國りやうごくまでんだやうだが、むかうへうしてわたるのさ、はしといふものがないぢやあないか。」

「ありません。」

 と、きつぱりとしたもので、蝙蝠傘かうもりがさで、踞込しやがみこんで、

たしかにこゝにあつたんですが、町内持ちやうないもちぶんだから、まだ、からないでゐるんでせうな。もつともかうどろ〳〵にまつては、油堀あぶらぼりとはいへませんや、鬢付堀びんつけぼりも、黒鬢くろびんつけです。」

りたくはありませんかな。」

わたしはもうかへります。」

 と、麥稈むぎわらをぬいでかぜれた、あたま禿はげいきどほる。

「いま見棄みすてられてるものか、ちたまへ、あやまるよ。しかしね、仙臺堀せんだいぼりにしろ、こゝにしろ、のこらず、かはといふがついてゐるのに、なにしろひどくなつたね。大分だいぶ以前いぜんには以前いぜんだが……やつぱり今頃いまごろ時候じこう川筋かはすぢをぶらついたことがある。八幡樣はちまんさまうらわたようとおもつて、見當けんたう取違とりちがへて、あちらこちらうらとほるうちに、ざんざりにつてた、ところがね、格子かうしさきへつて、雨宿あまやどりをして、出窓でまどから、むらさきぎれのてんじんにこゑをかけられようといふがらぢやあなし……」

勿論もちろん。」

「たゝつたな──裏川岸うらがし土藏どざうこしにくついて、しよんぼりとつたつけ。晩方ばんがたぢやああつたが、あたりがもう〳〵として、むかぎしも、ぼつとくらい。をりから一杯いつぱい上汐あげしほさ。……ちかところに、やなぎえだはじやぶ〳〵とひたつてゐながら、わたぶねかげもない。なにも、油堀あぶらぼりだつて、そこにづらりとならんだくらが──なかには破壁やれかべくさえたのもまじつて──油藏あぶらぐらともかぎるまいが、めう油壺あぶらつぼ油瓶あぶらがめでもんであるやうで、一倍いちばい陰氣いんきで、……あなから燈心とうしんさうながする。手長蝦てながえびだか、足長蟲あしながむしだか、びちや〳〵と川面かはづらではねたとおもふと、きしへすれ〳〵のにごつたなかから、とがつた、くろつらをヌイとした……」

 ちひさなこゑで、

河童かつぱですか。」

「はげてるくせに、いやに臆病おくびやうだね──なに泥龜すつぽんだつたがね、のさ〳〵ときしあがつてると、あめ一所いつしよに、どつとあしもとがかはになつたから、およかたちひとりでにげたつけ。ゆめのやうだ。このびんつけにあたつちやあ船蟲ふなむしもはへまいよ。──おんなじかは行當ゆきあたつてもたいしたちがひだ。」

眞個まつたくですな、いまおはなしのそのへんらしい。……わたしともだちは泥龜すつぽんのおばけどころか、紺蛇目傘こんじやのめをさした女郎ぢよらう幽靈いうれいひました。……おなじくあめで、みづだかみちだかわからなくりましてね。をひかれたさうですが、よくかははまらないで、はしたすかりましたよ。」

「それが、自分じぶんだといふのだらう。……幽靈いうれいでもいゝ、はし連出つれだしてくれないか。」

「──娑婆しやば引返ひきかへことにいたしませうかね。」

 もう一度いちど念入ねんいりに川端かはばたあたつて、やがてたのが黒龜橋くろかめばし。──こゝは阪地かみがた自慢じまんする(……はしつわたりけり)のおもむきがあるのであるが、講釋かうしやく芝居しばゐで、いづれも御存ごぞんじの閻魔堂橋えんまだうばしから、娑婆しやば引返ひきかへすのが三途さんづまよつたことになつて──面白おもしろい……いや、面白おもしろくない。

 が、無事ぶじであつた。

 ──わたしたちは、蝙蝠傘かうもりがさを、階段かいだんあづけて、──如何いか梅雨時つゆどぎとはいへ……本來ほんらい小舟こぶねでぬれても、あめのなゝめなるべき土地柄とちがらたいして、かうばんごと、繻子張しゆすばり持出もちだしたのでは、をかしく蜴蟷傘かうもりがさじゆつでも使つかひさうでまことになる、以下いかこの小道具こだうぐ節略せつりやくする。──とき扇子使あふぎづかひのめて、默拜もくはいした、常光院じやうくわうゐん閻王えんわうは、震災後しんさいご本山ほんざん長谷寺はせでらからの入座にふざだとうけたまはつた。忿怒ふんぬ面相めんさう、しかしあつてたけからず、大閻魔だいえんままをすより、くちをくわつと、唐辛子たうがらしいた關羽くわんうてゐる。したがつて古色蒼然こしよくさうぜんたる脇立わきだち青鬼あをおに赤鬼あかおにも、蛇矛じやぼう長槍ちやうさう張飛ちやうひ趙雲てううんがいのないことはない。いつか四谷よつやだうとびらをのぞいて、眞暗まつくらなか閻王えんわうまなこかゞやくとともに、本所ほんじよ足洗屋敷あしあらひやしきおもはせる、天井てんじやうから奪衣だつえ大婆おほばゞ組違くみちがへたあしと、眞俯向まうつむけににらんだ逆白髮さかしらが恐怖おそれをなした、陰慘いんさんたる修羅しゆら孤屋こをくくらべると、こゝはかへつて、唐土たうど桃園たうゑんかぜく。まして、大王だいわうひざがくれに、ばゞ遣手やりて木乃伊みいらごとくひそんで、あまつさへ脇立わきだち正面しやうめんに、赫耀かくえうとして觀世晉くわんぜおんたせたまふ。小兒衆こどもしうも、むすめたちも、こゝろやすくさいしてよからう。たゞ浮氣うはきだつたり、おいたをすると、それは〳〵本當ほんたう可恐こはいのである。

 小父をぢさんたちは、おとなしいし、第一だいいち品行ひんかう方正はうせいだから……つたごと無事ぶじであつた。……はいゝとして、隣地りんち心行寺しんぎやうじ假門かりもんにかゝると、電車でんしや行違ゆきちがふすきを、同伴つれが、をかしなことをいふ。

「えゝ、一寸ちよつと懺悔ざんげを。……」

なんだい、いま時分じぶん。」

「ですが、閻魔樣あちらさままへでは、けたものですから。──じつ此寺こゝ墓地ぼちに、洲崎すさき女郎やつまつてるんです。へ、へ、へ。なが突通つきとほしのかうがいで、薄化粧うすげしやうだつた時分じぶんの、えゝ、なんにもかにも、ひつじこくかたむきて、──元服げんぷくをしたんですがね──富川町とみかはちやううまれの深川ふかがはだからでもありますまいが、ねんのあるうちから、ながして、つひ泡沫うたかたはかなさです。ひとづてにいたばかりですけれども、に、やまに、あめとなり、つゆとなり、ゆきや、こほりで、もとのみづかへつたはては、妓夫上ぎふあがりと世帶しよたいつて、土手どてで、おでんをしてゐたのが、へんになつてなくなつたといひます──上州じやうしう安中あんなか旅藝者たびげいしやをしてゐたとき親知おやしらずでもらつたをんな方便はうべんぢやありませんか、もう妙齡としごろで……かゝへぢやあありましたが、なか藝者げいしやをしてゐて、うにかそれが見送みおくつたんです。……心行寺しんぎやうじたしかいひましたつけ。おまゐりをしてくださいなと、なにかのときに、不思議ふしぎにめぐりつて、その養女やうぢよからいはれたんですが、ついそれなりに不沙汰ぶさたでゐますうちに、あの震災しんさいで……養女やうぢよはうも、まるきし行衞ゆくへわかりません。いづれまよつてゐるとおもひますとね、閻魔堂えんまだうで、羽目はめかげがちらり〳〵と青鬼あをおに赤鬼あかおにのまはりへうつるのが、なんですか、ひよろ〳〵としろをんなが。……」

 いやなことをいふ。

「……また地獄ぢごくといふと、意固地いこぢをんな裸體はだかですから、りましたよ、ははは。……電車通でんしやどほりへつて、こんなおはなしをしたんぢあ、あはれも、不氣味ぶきみとほして、お不動樣ふどうさま縁日えんにちにカンカンカンカンカン──と小屋掛こやがけかねをたゝくのも同然どうぜんですがね。」

 おまゐりをするやうに、わたしがいふと、

なんだか陰氣いんきりました。こんなとき、むかしひと夜具とこかぶつたをんなはかくと、かぜをきさうにおもひますから。」

 ぞつとする、といふのである。なぜか、わたししめつぽく歩行あるした。

「そのくせをかしいぢやありませんか。名所圖繪めいしよづゑなぞますたびに、めうにあのてらりますから、つてゐますが、寶物はうもつに(文幅茶釜ぶんぶくちやがま)──一名いちめい茶釜ちやがま)ありはうです。」

 といつて、なみだだかあせだか、帽子ばうしつてかほをふいた。あたまさらがはげてゐる。……おもはずわたしかほると、同伴つれ苦笑にがわらひをしたのである。

「あ、あぶない。」

 笑事わらひごとではない。──工事中こうじちう土瓦つちかはらのもりあがつた海邊橋うみべばしを、小山こやまごと電車でんしやは、なだれをきふに、胴腹どうばら欄干らんかんに、ほとん横倒よこだふしにかたむいて、橋詰はしづめみぎつたわたしたちの横面よこつらをはねばしさうに、ぐわんととき運轉臺上うんてんだいじやうひとたいかたむみをごとくろまがつた。

 二人ふたり同時どうじに、川岸かしへドンとんだ。曲角まがりかどに(危險きけんにつき注意ちうい)とふだつてゐる。

「こつちが間拔まぬけなんです。──ばんごとこれぢや案内者あんないしやまをわけがありません。」

 片側かたがはのまばらがき一重ひとへに、ごしや〳〵と立亂たちみだれ、あるひけ、あるひかたむき、あるひくづれた石塔せきたふの、横鬢よこびんおもところへ、胡粉ごふんしろく、さま〴〵な符號ふがうがつけてある。卵塔場らんたふば移轉いてん準備じゆんびらしい。……同伴つれのなじみのはかも、まゐつてれば、ざつとこのていであらうとおもふと、生々なま〳〵しろ三角さんかくひたひにつけて、鼠色ねずみいろくもかげに、もうろうとつてゐさうでならぬ。


 ──時間じかん都合つがふで、今日けふはこちらへは御不沙汰ごぶさたらしい。が、このかはむかうへわたつて、おほき材木堀ざいもくぼりひとせば、淨心寺じやうしんじ──靈巖寺れいがんじ巨刹きよさつ名山めいざんがある。いまはひがし岩崎公園いはさきこうゑんもりのほかに、かげもないが、西にし兩寺りやうじ下寺したでらつゞきに、およはかばかりのである。その夥多おびたゞしい石塔せきたふを、ひとひとつうなづくいしごとしたがへて、のほり、のほりと、巨佛おほぼとけ濡佛ぬれぼとけ錫杖しやくぢやうかたをもたせ、はちすかさにうつき、圓光ゑんくわうあふいで、尾花をばななかに、鷄頭けいとううへに、はた袈裟けさつたかづらをけて、はち月影つきかげかゆけ、たなそこきりむすんで、寂然じやくぜんとしてち、また趺坐ふざなされた。

 さくら山吹やまぶき寺内じないはちすはなころらない。そこでかはづき、時鳥ほとゝぎす度胸どきようもない。暗夜やみよ可恐おそろしく、月夜つきよものすごい。……つてゐるのは、あきまたふゆのはじめだが、二度にど三度さんどわたしとほつたかずよりも、さつとむらさめ數多かずおほく、くもひとよりもしげ往來ゆききした。尾花をばななゝめそよぎ、はかさなつてちた。その尾花をばな嫁菜よめな水引草みづひきさう雁來紅ばげいとうをそのまゝ、一結ひとむすびして、處々ところ〴〵にその屋根やねいた店小屋みせごやに、おきなも、うばも、ふとればわかむすめも、あちこちに線香せんかうつてゐた。きつね豆府屋とうふやたぬき酒屋さかやかはうそ鰯賣いわしこも、薄日うすびにそのなかとほつたのである。

 ……おもへばそれも可懷なつかしい……


 てすぎつ。いまの墓地ぼち樣子やうすかんがへると、ぬれぼとけ彌陀みだ地藏菩薩ぢざうぼさつが、おほきなかさ胡粉ごふん同行二人どうぎやうふたりとかいて、あしのないかにごとく、おびたゞしい石塔せきたふをいざなひつゝ、あの靈巖寺れいがんじの、三途離苦生安養さんづりくしやうあんやう──一切衆生成正覺いつさいしゆじやうじやうしやうかく──大釣鐘おほつりがねを、ともさぬ提灯ちやうちんみちしるべに、そこともかず、さまよはせたまふのであらうもぞんぜぬ。

「やあ、極樂ごくらく。おいらんは成佛じやうぶつしました。」

 だしぬけに。……

納屋なや立掛たてかけた、四分板しぶいたをごらんください、ごく……」といひけて、

なんだ、極選ごくせんか──松割まつわりだ。……へんことかんがへてゐたものですからうつかり見違みちがへました。先達せんだつまたへこみ。……」

 次々つぎ〳〵に──特選とくせん精選せいせん改良かいりやう別改べつかい、またまれなり……がある。

「こんなをんななら、きみはさぞよろこぶだらう。」

 さもあらばあれ、極樂ごくらくはちすよりたのもしい、まつひのきのぷんとする河岸かし木小屋きごや氣丈夫きぢやうぶつた、とおもふと、ついまへの、軒先のきさきに、つかなはたがさつとなびく。

 わたしはぎよつとした。

「はゝゝ、けやき大叉おほさすまたせて、ふねかぢことひのき大割おほわりせて、蒲鉾屋かまぼこやのまないたはこれで出來できますなど、御傳授ごでんじゆまをしても一向いつかう感心かんしんをなさらなかつたが、如何いかゞです、このはたたいして説明せつめいがなかつたには、海邊橋うみべばしまですでせう。」

 案内者あんないしや大得意だいとくいで、

「さ、さ、わたしについて、かまはず、ずつとおすゝください。あかはたには、白拔しろぬきで荷役中にやくちうとしてあります──なん御見物ごけんぶつ河岸かしから材木ざいもく上下あげおろしをするながものをはこぶんですから往來ゆききのものに注意ちういをします。──ました、それ、彼處あすこへ、それ、むかうへ──」

 うしろへも。……五流いつながれ六流むながれ、ひら〳〵とひるがへると、河岸かしに、ひし〳〵とつけたふねから、印袢纏しるしばんてん威勢ゐせいいのが、割板わりいた丸角まるかくなんぞひつかついで、づし〳〵段々だん〳〵わたつてとほる。……時間じかんだとえ、そろつて揚荷あげにで、それが歩板あゆみいたすにつれ、おもみをかへして──川筋かはすぢよこにずつと見通みとほしのふなばたは、しほるがごとく、ゆら〳〵とみなゆれた。……深川ふかがはみづは、はじめてうごいた。……ひとなみてたやうに。──

「は、成程なるほど、は。」

 案内者あんないしやもなくあたまのはげをせて、交番かうばんでおじぎをしてゐる。しかられたのではない。──はしむかうへわたらずに、冬木ふゆきみちいたのであつた。

「おなじやうでも、冬木ふゆきだからたづねようございますよ。これが、洲崎すさき辨天樣べんてんさまだとちよつとにくい……てつた勘定かんぢやうで。……お職掌しよくしやうがら、至極しごく眞面目まじめですからな。」

 振返ふりかへると、交番かうばんまへから、かたつて、まつぐにゆびさしをしてくだすつた。ほそまがかどまよつたのである。はしから後戻あともどりをしたわたしたちは、それから二度にどまでみちいた。

 このよこを──まつすぐにと、をそはつてはひつたこみちは、露地ろぢとも、廂合ひあはひともつかず、横縱よこたてうねみになつて、二人ふたりならんでははゞつたい。しかもさぐあしをするほど、くさびて、ちひさな夏野なつのおもむきがある。──はふぱなしの空地あきちかとおもへば、たけ木戸きどがあつたり、江一格子えいちがうしえたり、半開はんびらきの明窓あかりまど葉末はずゑをのぞいて、ちひさな姿見すがたみしのぶうつる。──彼處かしこ朝顏あさがほかんざしさした結綿ゆひわた緋鹿子ひがのこが、などと贅澤ぜいたくをいつては不可いけない。れば、たれとほさう?……めうに、ひといへかまへうちをあしがした。しをらしいのは、あちこちに、月見草つきみさうのはら〳〵と、つゆかぜ姿すがたであつた。

 こゝを通拔とほりぬけつゝ一軒いつけんひく屋根やねは、一叢ひとむらたかしげつた月見草つきみさうおほはれたが、やゝとほざかつて振返ふりかへると、その一叢ひとむらくもで、薄黄色うすきいろまるつきくやうにえた。

 もやが、ぼつとして、をりからなんとなくくもひくく、こみち一段いちだんくぼんで──四五十坪しごじつつぼ、──はじめてた──あし青々あを〳〵みだれてえて、こみちはそのはしつてゐる。あめのなごりか、みづか、あしはびしよびしよとれてうごいて、野茨のいばらはなしろみだれたやうである。

 ときしも、一通ひととほり、大粒おほつぶなのがつてた。あしつて、ぱら〳〵とおとてて。

「ありがたい、かきつばたも、あやめもこゝにはきます。なにもなくつても一輪いちりんぐらゐきつときます。案内者あんないしやみやうがに、わたしかせないではきません。露草つゆくさあをいのもつゆつぽくこゝにきます。嫁菜よめな秋日和あきびよりられますよ。──それに、なんですね……意氣いきだか、結構けつこうだか、むにしろ別莊べつさうれうのあとで、これはにはいけらしうございますね。あの、あしところに、古笠ふるがさのつぶれたやうな青苔あをごけえた……あれは石燈籠いしどうろうなんですよ。」

 よくると、菜屑なくづみだれた。成程なるほど燈籠とうろうかさらしいのが、たちまち、みつよつツにけて蝦蟇がまつたか、とうごしたのは、あしけて、ばさ〳〵と、二三羽はさんばにはとりもぐりながらついばむのである。ふなや、泥鰌どぢやう生殘いきのこつたのではない、蚯蚓みゝず……とおもふにも、なんとなくがた風情ふぜいであつた。

 しばらくながめたが、牡鷄をんどりがパツとつばさはたいて、雨脚あまあしがやゝしげつたから、歩行あるすと、あし次第高しだいだかに、がくれに、平屋ひらやのすぐ小座敷こざしきらしい丸窓まるまどがある。みちうねつて、すぐの其縁外そのえんそとをちか〴〵ととほると、青簾あをすだれ二枚にまい……いたのではなかつた、のきからなかばれたほそいぬれえんに、なよ〳〵として、きりゝとしまつた浴衣ゆかたのすそがえた。白地しろぢに、あゐ琴柱霞ことぢがすみがちら〳〵とするもなく、不意ふいわたしたちからかくれるやうに、朱鷺とき伊達卷だてまきですつととき、はらりとさばいたつまあさく、柘榴ざくろはなか、とおもふのがつて、素足すあし夕顏ゆふがほのやうにえた。同時どうじに、くろうすかげが、すだれごしにさつとした、黒髮くろかみながながれたのである。

 洗髮あらひがみかわかしてなどゐたらしい。……そのすだれをれたのは、えんすわつたのか、こしけたのか、こゝろづくひまもなかつた。

「……ざくろのはな、そ、そんな。あの、ちら〳〵とつまあかかつたのはほたるくびです。またぽつとあをひかるやうにはだとほつたではありませんか。……ほたるめた友染いうぜんですよ。もうあのくらゐいろしろいと、かげばかり、ほたるはねくろいのなんざ、くらんでえやしません。すごい、うもすごい。……特選とくせん精選せいせん別改べつかい改良かいりやうまれなり──です。木場中きばぢう背負しよつてて。極選ごくせん極樂ごくらく有難ありがたい。いや魔界まかいです、すごい。」

 といふ、案内者あんないしや横面よこつらへ、出崎でさきいはをきざんだやうな、みち出張でばつた石段いしだんから、うまかほがヌツとた、おほきな洋犬かめだ。長啄能獵ちやうたくよくれふす──パン〳〵と厚皮あつかははなが、はなへぶつかつたから、

「ワツ。」

 といつた。──石垣いしがきからうはばみたとおもつたさうである。

 犬嫌いぬぎらひなことけては、ほとん病的びやうてきで、ひとつはそれがために連立つれだつてもらつた、浪人らうにん劍客けんかくがその狼狽うろたへかただから、きもやしてにげた。

 またゐた──ふたゝ吃驚びつくりしたのは三角さんかくをさかさなかほが、正面しやうめん蟠踞はんきよしたのである。こまいぬけたのらしい。が、つのれたうしはなくだけたゐのしゝ、はたスフインクスのごと異形いぎやういしが、壘々るゐ〳〵としてうづたかい。

 はや本堂ほんだうわきの裏門うらもんで、つくろつたいし段々だん〳〵うへしろをかは、ほり三方さんぱう取𢌞とりまはした冬木ふゆき辨財天べんざいてん境内けいだいであつた。


「おかほを、ごらんりますか。」

「いやういたして。……」

「こゝではいをしてまゐります。」

 と、同伴つれもいつた。

 はよくきよめたけれども、はねげて、よぢれたすそは、これしかしながら天女てんによめんすべき風體ふうていではない。それに、蝋燭おらふ取次とりついだのが、だうひとだと、ほかにことばがあつたらう。居合ゐあはせたのは、近所きんじよから一寸ちよつと留守番るすばんたのまれたといつた前垂まへだがけ年配者ねんぱいしやで、「おかほを。」──これには遠慮ゑんりよすべきが當然たうぜんこといまおもふ。して、バラツクの假住居かりずまひえんに、端近はしぢかだつた婦人ふじんさへ、やまからあしけた不意ふい侵入者しんにふしやに、かほせなかつた即時そくじであつた。

 潮時しほどきおもはれる。いけみづはやゝしたやうだが、まだ材木ざいもく波立なみだたせるほどではない。場所ばしよによると、まちになつたところもあるのに、おぼえて一面いちめんあししげつたいけへりは、右手みぎてにそのあしたけばかりの小家こやウばかりかずならべて、あしんだすだれまばらに、そろつて野草のぐさえぬ露出むきだし背戸せどである。しかし、どのうちも、どのうちも、裏手うらて水口みづぐち勝手元かつてもとみな草花くさばなのたしなみがある、このみの盆栽ぼんさいぜて。……失禮しつれいながら、缺摺鉢かけすりばち松葉牡丹まつばぼたん蜜柑箱みかんばこのコスモスもありさうだが、やがてなつなかば、あきをかけて、手桶てをけたらひまないた柄杓ひしやくにも朝顏あさがほつるなどけて、家々いへ〳〵後姿うしろすがたは、花野はなのおび白露しらつゆるであらう。

 いろなきいへにも、草花くさばな姿すがたは、ひとつ〳〵をんなである。のきごとに、かほよむすめがありさうで、みなやさしい。

 よこのこのならびを正面しやうめんに、かぎになつた、工場こうぢやうらしい一棟ひとむねがある。──そのほそれめに、ちひさなはしわたしたやうにつたのは、をりから小雨こさめして、四邊あたりもやかゝつたためで、同伴つれ注意ちういつまでもない。ずつと見通みとほしの、油堀あぶらぼりから入堀いりぼりみづに、よこわたした小橋こばしで、それと丁字形ちやうじがたに、眞向まむかうへ、あめやなぎ絲状いとざまけて、たて弓形ゆみなりつたのは、すなはち、もとの渡船場わたしばへた、八幡宮はちまんぐう不動堂ふどうだうまゐはしであつた。

「あなたが、泥龜すつぽんげたのは──うすると、あのへんですね。」

「さあ、あの渡船場わたしまよつたのだから、よくはわからないが、へんだらうね。なにしろ、もつと家藏いへくら立込たてこんでたんだよ。」

したがつてもへんですが、……ともだちが、女郎ぢよらう幽靈いうれいかれたのは、工場こうば向裏むかひうらあたりにるかもれません。──へば、いまた、……特選とくせんまれなりも、ふつとえたやうで、んだかあやしうございますよ。」

御堂前おだうまへで、なにをいふんだ。」

「こりやうも……景色けしき見惚みとれて、また鳥居際とりゐぎはつてゐました。──あゝ八幡樣はちまんさま大銀杏おほいてふが、遠見とほみはしのむかうに、つゐ青々あを〳〵としてるやうです。すゞしさうにしと〳〵とれてゐます。……震災しんさいけたんですが、神田かんだ明神樣みやうじんさまのでも、何所どこのでも、銀杏いてふえらうございますな。しかし苦勞くらうをしましたね、彼所あすこつたら、敬意けいいへうして挨拶あいさつをしませうよ。石碑せきひがないと、くツつけて夫婦いつしよにしてたいんですが、あの眞中まんなか横綱よこづな邪魔じやまですな。」

馬鹿ばかことを──相撲贔屓すまふびいきくとなぐるからおよし。おや、うまとほる。……」

 はしうへを、ぬほりとしておほきなうまが、大八車だいはちぐるまきながら。──とほくでかつおとがしないから、はしくのが一本いつぽん角木かくぎつて、宛如さながらくうるやうである。

 ハツとおもふほど、うまはらとすれ〳〵に、くらからすべつたしんぞ一人ひとり。……白地しろぢ浴衣ゆかたに、友禪いうぜんおびで、島田しまだらしいのが、かさもさゝず、ひらりとあらはれると、うまかくれた、──なにいけのへりのうちか、その裏口うらぐちからたのが、丁度ちやうどとほくでうまはしむトタンに、その姿すがたかさねたのである。

 あめ面白おもしろさうに、なかくら工場こうば裏手うらて廂下ひさししたを、いけについて、白地しろぢをひら〳〵とてふそでつたつてく。……その風情ふぜいやはらげられて、工場こうぢやうすみに、眞赤まつかゆるが、凌霄花のうぜんかげみづげた。

 しんぞがうしろきになつて、やがて、工場こうばについてまがきしから──そのおくにもほりつゞいた──高瀬船たかせぶねふるいのが、なゝめ正面しやうめんつて、へさき蝦蟆がまごとく、ゆら〳〵ときたり、なかいけすみあらはれると、後姿うしろすがたのまゝで、ポンとんで、しんぞ蓮葉はすはに、かるふねうへへ。

 そして、船頭せんどう振向ふりむいた。とつさんにあまえたか、小父をぢさんをむかへたか、兄哥あにきにからかつたか、それはらない。振向ふりむいて、うつくしくみづうへ莞爾につこりしたくちびるは、くも薄暗うすぐらいけなかに、常夏とこなつ一輪いちりんいたのである。

 永喜橋えいきばし──町内持ちやうないもちの、いましがたの小橋こばしと、渡船場わたしばけたはしと、丁字形ちやうじがたになるところに、しばらくしてわたしたちはまたたゝずんで、冬木ふゆきいけはう振返ふりかへつたが、こちらからは、よくは見通みとほせない。高瀬たかせ蝦蟆がましんぞつたあたりは、あしのない、たゞ稗蒔ひえまきはちである。

 いふまでもなく、辨財天べんざいてん境内けいだいから、こゝへるには、一町ひとまち、てか〳〵とした床屋とこやにまじつて、八百屋やほや荒物あらものみせにぎはひ、二階造にかいづくりに長唄ながうた三味線しやみせんきこえるなかとほつた。がきふ一面いちめん燒野原やけのはらひだりひらけて、永代えいたいあたりまで打通ぶつとほしかとおもはれたところがある。電柱でんちうとラヂオのたけが、矢來やらいごとく、きらりと野末のずゑ仕切しきるのみ。「茫漠ばうばくたるものですな。」案内者あんないしやにもどこだかもと見當けんたうがつかぬ。いづれか大工場だいこうぢやうあとだらうでとほつてたが、なに不思議ふしぎはない、かつ滿々まん〳〵鱗浪うろこなみたゝへた養魚場やうぎよぢやうで、業火ごふくわみづき、さかなけぶりにしたのである。はら波間なみまりつ。なぎさ飛々とび〳〵苫屋とまやさま磯家いそや淺間あさま垣廂かきひさしの、あたらしい佛壇ぶつだんのぞかれるものあり、古蚊帳ふるがや釣放つりぱなしたのに毛脛けずねけば、水口みづぐちおほてぬ管簾くだすだれしたに、柄杓ひしやくしろさも露呈あらはだつたが、まばらがきあれば、小窓こまどあれば、えんえれば……またなければ、板切いたぎれたなみ、葭簀よしずてて、いひはせたやうに朝顏あさがほつるはせ、あづまぎく、おしろいのはな、おいらんさうすゝき刈萱かるかやはありのまゝに、桔梗ききやうはぎゑてゐて、なかには、おほきな燒木杭やけぼつくひ空虚うつろ苔蒸こけむ丸木船まるきぶねごとく、また貝殼かひがらなりにみづんで、水草みづくさはなしろく、ちよろちよろと噴水ふきあげ仕掛しかけて、おもはず行人かうじんあしめるのがあつた。

 御堂みだううら、また鳥居前とりゐまへから、ずつと、うまで、草花くさばなそろつたところは、ほか一寸ちよつと見當みあたらない。天女てんによそでかげにもつきにもうつつて、やさしいつゆがしたゝるのであらう。

 ──いま、あらためて遙拜えうはいした。──家毎いへごとしたしみのへうしつゝ、さらおもへば、むかしの泥龜すつぽん化異けいよりも、ふねんだしんぞ姿すがたが、もうゆめのやうにおもはれる。……いけのかくれたのにつけても。

 なんど、もの〳〵しくふほどのことはない。わたしは、水畔すゐはん左褄ひだりづまが、屋根船やねぶね這込はひこむのが見苦みぐるしいの、あたまからもぐるのが無意氣ぶいきだのと──ちさへしなければい──そんなことろんずる江戸えどがりではだんじてない。が、おはぐろ蜻蛉とんぼみをとまつたとおなやうに、冬木ふゆきしんぞ早術はやわざ輕々けい〳〵見過みすごされるのがいさゝかものりない。

 ぎつゝあるふねには、きしからけるのさへ、じつ一種いつしゆ冒險ばうけんである。


 いま、兵庫ひやうご岡本をかもと谷崎潤一郎たにざきじゆんいちらうさんが、横濱よこはまからかよつて、某活動寫眞ぼうくわつどうしやしん世話せわをされたことがある。場所ばしよ深川ふかがはえらんだのにさそはれて、女優ぢよいう……いや撮影さつえい出掛でかけた。としくれで、北風きたかぜさむだつた。八幡樣はちまんさま門前もんぜん一寸ちよつとしたカフエーで落合おちあつて……いまでもおぼえてゐる、谷崎たにざきさんは、かきのフライを、おかはりつき、ぞくこみあつらへた。わたしはらいためてた。なに名物めいぶつ馬鹿貝ばかがひはまぐりなら、なべ退治たいぢて、相拮抗あひきつかうする勇氣ゆうきはあつたが、西洋料理せいやうれうり獻立こんだてに、そんなものは見當みあたらない。……びんごと熱燗あつかん引掛ひつかけて、時間じかんたから、のこり約一合半やくいちがふはん外套ぐわいたう衣兜ポケツトしのばせた。洋杖ステツキ小脇こわきに、外套オーバーえりをきりりとてたのと、連立つれだつて、門前通もんぜんどほりをうらへ──越中島ゑつちうじまうねつてながるゝ大島川筋おほしまがはすぢ蓬莱橋ほうらいばしにかゝると、汐時しほどき見計みはからつたのだから、みづ七分しちぶた。わたつた橋詰はしづめに、寫眞しやしん一行いつかうふね三艘さんぞう石垣いしがきについてゐる。ひさしぶりだつたから、わたし川筋かはすぢ兩方りやうはうにながめて、──あゝ、おもひおこす、さばけた風葉ふうえふ、おとなしい春葉しゆんえふなどが、血氣けつきさかんに、しもび、こがらしをいて、ふけてはあし小窓こまどにものおもをんなに、月影つきかげすごく見送みおくられ、朝歸あさがへおそうしては、とまかに阿媽おつかあになぶられながら、川口かはぐちまでをいくかへり、小船こぶねがしたものだつけ。彼處あすこに、平清ひらせいうらまつえる。……一畝ひとうねりしたところ橋詰はしづめ加賀家かがやだらう。……やがて渺々べう〳〵たる蘆原あしはら土手どてになる。……

 ふねげたのに心著こゝろづいた。──谷崎たにざきさんはもうつてゐた。なぞへにりて石垣いしがきつと、わたしたけぐらゐなしたに、ふねべりがよこづけになつて、中流ちうりうはう二艘にそう谷崎たにざきさんはその眞中まんなか寒風かんぷうかれながら颯爽さつさうとしてつてゐた。まをわけをするのではない、わたしあへともだちを差置さしおいて女優ぢよいうつたのをえらびはしないが、判官飛はうぐわんとびなぞおもひもらぬこと、そのちかいのにらうとすると、あしがとゞきねる。……「おつかまんなせえ。」あかがほ船頭せんどうたくましいかたをむずと突出つきだしてくれたから、ほども樣子やうす心得こゝろえずに、いきなり抱着だきついた。がふねれたから、かたすべつたが、頸筋くびすぢいて、もろに、どさりとしかゝつた。なんうも、はしらまくらちつけて、男同士をとこどうしかじりついたかたちだから、わたしだつてれないことだし、先方せんぱうおどろいた、そのうへ不意ふい重量おもみ船頭せんどうどのがどうへどんと尻餅しりもちをついて一汐ひとしほびて「野郎やらう!」もつともだ、野郎やらうあらためていふにおよばず、大島川おほしまがはへざんぶ、といふと運命うんめいにかゝはる、土手どてをひた〳〵となめる淺瀬あさせどろへ、二人ふたりでばしやりとた。


「それからおもふと……いまのむすめさんの飛乘とびのりは、人間業にんげんわざぢやあないんだよ。」

大袈裟おほげさですなあ、なに、あれしきことを。……これからさき、その蓬莱町ほうらいちやう平野町ひらのちやう河岸かしつて、ふね棟割むねわりといつたところをごらんなさい。阿媽おつかあ小舷こべりからかにぢやあありませんが、かまして、はすかひにこめいでるわきを、あのくらゐむすめが、そでなしの肌襦袢はだじゆばんから、むつちりとしたをのぞかせて、……それでも女氣をんなぎでござんせうな、紅入模樣べにいりもやうのめりんすをながめにこしいたなりで、その泥船どろぶね埃船ごみぶねさをつてゐますから。──どくことは、あせぐつしよりですがね、勞働はたらきはだがしまつて、手足てあしのすらりとしてゐるところは、女郎花をみなへし一雨ひとあめかゝつたかたちですよ。」

あめは、おあつらへにしと〳〵とつてゐるし、眞個ほんたうにそれが、凡夫ぼんぷえるのかね。」

「ご串談じようだんばかり、凡夫ぼんぷだからえるんでさあね。──いえまだ、もつと凡夫ぼんぷなのは、近頃ちかごろしまいたやうひらけました、疝氣稻荷樣せんきいなりさまちかくの或工場あるこうばようがあつて、わたしあひ三人連さんにんづゑんタクで乘込のりこんだのが、かへりがけに、洲崎橋すさきばし正面見當しやうめんけんたう打突ぶつかると、……凡夫ぼんぷですな。まだ、あなた、四時よじだといふのに、一寸ちよつと見物けんぶつだけで、道普請みちぶしんや、小屋掛こやがけでごつたがへして、こんがらかつてゐるなかを、ブン〳〵獨樂ごまのやうにぐる〳〵𢌞まはりで、そのくせ乘込のりこむ……はやいんです。引手茶屋ひきてぢややか、見番けんばんか、ひだりは?……みぎは、といふうちに、──あらかじ御案内ごあんないまをしましたつけ、なかちやう正面しやうめん波除なみよけあたつたと思召おぼしめせ。──たちま蒼海さうかい漫々まん〳〵たり。あれが房州ばうしう鋸山のこぎりやまだ、とゆびさすのが、府下ふか品川しながはだつたりなにかして、地理ちりにはまつたくら連中れんぢうですが、蒸風呂むしぶろから飛上とびあがつた同然どうぜんに、それはすゞしいにはすゞしいんですとさ。……ひとへかぜめるばかり、凡夫ぼんぷですな。卷煙草まきたばこをふかすほか所在しよざいがないから、やゝあつてしたたしたゑんタクへりてると、素裸すはだか女郎ぢよらう三人さんにん──このともだち意地いぢわるくつて、西にしだかひがしだか方角はうがくをしへませんがね、虚空こくうあらはれたやうに、すだれはらつた裏二階うらにかい窓際まどぎは立並たちならぶと、うでかたも、むねはらも、くな〳〵ときれいた、乳房ちぶさ眉間尺みけんじやくといつたかたちつて、まだそれだけなら、なに女郎ぢよらうだつてすゞみます、不思議ふしぎはありませんがね。まねいたり、頬邊ほつぺたをたゝいてせたり、ひぢでまいたり、これがまさしく、府下ふか房州ばうしう見違みちがへた凡夫ぼんぷにもあり〳〵とえたんですつて。ふたゝく、てん一方いつぱうあたつて、はるかにですな。しいかな、方角はうがくわかりません。」

ちうまよつてるかたちだね、きみがをひかれた幽靈いうれいなぞも、あるひはその連中れんぢうではないのかね。」

「わあ、泥龜すつぽんが、泥龜すつぽんが。」

「あ、凡夫ぼんぷおどろかしては不可いけない。……なんだか、陰々いん〳〵としてた。──ちやう此處こゝだ、此處こゝだが、しかし、油倉あぶらぐらだとおもところは、機械きかいびきの工場こうばとなつた。冬木ふゆきた、あの工場こうばも、これとおなじものらしい。」

 つい、しかられたらあやまるで、伸上のびあがつてまどからのぞいた。なか竹刀しなひ使つかつてゐるのだと、立處たちどころ引込ひきこまれて、同伴つれいぬおびえたかはりに、眞庭念流まにはねんりう腕前うでまへあらはさうといふところである。

 ひさしぶりで參詣さんけいをするのに、裏門うらもんからでは、何故なぜ不躾ぶしつけがする。木場きば一𢌞ひとまはりするとして、はなしながら歩行あるした。

「……といふかたちを、そのまゝをんな肉身にくしんあらはしたやうな、いまのはなし思出おもひだすが、きみのはうともだちだから此方こつちともだちさ。以前いぜん──場所ばしよおなやうだが、なんとかいふ女郎ぢよらうがね。一寸ちよつと、その服裝なりいておぼえてゐる。……くろ絽縮緬ろちりめんすそに、不知火しらぬひのちら〳〵とえるのに……水淺葱みづあさぎあさえりかゝつた裲襠しかけだとさ。肉色縮緬にくいろちりめん長襦袢ながじゆばんで、白襦子しろじゆす伊達卷だてまきを──そんなにそばつちや不可いけない。はし眞中まんなかとほるのに、邪魔じやまになるぢやあないか。」

 した二流ふたながいかだすべる。

なんだつけ、その裲襠しかけ屏風びやうぶけて、しろきれ潰島田つぶしなのが……いや、大丈夫だいぢやうぶ──しいかな、これが心中しんぢうをしたのでも、ころされたのでも、られたのでもない。のりべにさらになしだよ。(まだ學生がくせいさんでせう、當樓うち内證ないしよおだやかだから、だいのかはりに、お辨當べんたうつてらつしやい。……わたし客人きやくじんがあつて、退屈たいくつだつたら、晝間ひるま、そのあひだうら土手どてつりをしておいでなさいまし。……海津かいづがかゝります。わたしだつてつたから。……)時候じこうあついが、春風はるかぜいてゐる。ひとごとだけれども、眉間尺みけんじやくくらべるとうそのやうだ。」

風葉ふうえふさん、春葉しゆんえふさん、い、いづれですか、はれた、その御當人ごたうにんは?」

「それは、想像さうざうにまかせよう。」

 案内者あんないしやにもわからない。

 みづまち不思議ふしぎ大深林だいしんりんは、みな薄赤うすあか切開きりひらかれた、木場きばはやしたゝんでほりみ、空地あきち立掛たてかけたいたぎぬ。蘆間あしまさぎねむり、のきかへるいたやうな景色けしきは、またゆめのやうである。

 ──鶴歩橋かくほばした。そのはしながわたつた。由來ゆらいりたい方々かた〴〵は、案内記あんないきるゐまるゝがよい。わたしはそれだからといつて、鶴歩かくほといふにかゝづらふわけではないが、以前いぜんつたとき、このはしつるくびて、淡々たん〳〵たるみづうへに、薄雲うすぐもつきけて、うなじしろねむつてゐた。──九月くぐわつすゑ十月じふぐわつか、あれは幾日頃いくにちごろであつたらう。をりから水邊すゐへん惠比壽ゑびすみや町祭まちまつりのおもふ。もうおそかつたから、材木ざいもくもりこだまする鰐口わにぐちひゞきもなく、露地ろぢおくからふえきこえず、社頭しやとうにたゞひとくれなゐ大提灯おほぢやうちんきりしづんで消殘きえのこつたのが、……ひてなぞらへるのではない、さながら一抹いちまつ丹頂たんちやうて、四邊しへんみなみづかつき、かつたゝず人影ひとかげは、まだらくろかげおとして、はしをめぐつたほりは、おほいなるりやうつばさだつたのをおぼえてゐる。そのときさついた夜嵐よあらしに、提灯ちやうちんくらくなり、小波さゝなみしろてて、そらなる鱗形うろこがたくもとともにみだれた。

 つる姿すがたえたあとは、遣手やりて欠伸あくびよりも殺風景さつぷうけいである。

 しかしおもへ。鹿島かしままうでた鳳凰ほうわうも、があければ風説うはさである。──鶴歩橋かくほばし面影おもかげも、べつふたゝつきながめたい。

 こゝにのきあれば、まつがあり、にはあれば燈籠とうろうさしのぞかれ、一寸ちよつと欞子れんじのすきさへ、やますゞめごと鳥影とりかげのさすとるのが、みなひら〳〵とふねであつた。奧深おくふか戸毎こごと帳場格子ちやうばがうしも、はや事務所じむしよ椅子いすになつた。

 けれども、麥稈むぎわらとほりがかりに、

「あゝ、のこつた……」

 わたし凡夫ぼんぷだから、横目よこめにたゞ「おなじ束髮そくはつでもすゞしやかだな。」ぐらゐなもの、にしたところで、ひとへに御婦人ごふじんばかりだが、同伴つれ少々せう〳〵骨董氣こつとうぎがあるから、しからん。たゝきせた椅子いすしたんだ、てつ大火鉢おほひばちをのぞきんで、

十萬坪じふまんつぼ坩堝るつぼなかで、西瓜すゐくわのわれたやうにけても、けなかつたんですな。寶物はうもつですぜ。」

 この不作法ぶさはふに……叱言こゞともいはぬは、さすがにしづめた商人あきうど大氣たいきであらう。

 それにしても、れてゐる。にさらしたもののごとく、くひあなけたほねつたはしおほい。わづかに左右さいうのこして、眞中まんなかわたりのふかくづんだのもある。とほるのにあぶなつかしいから、またまよつたていになつて、一處ひとところ泥龜すつぽんごとあなつたひ、或處あるところでは、

いてたべ……幽靈いうれいどの。」

「あら、うらめしや。」

 どろ〳〵どろと、二人ふたりわたつた。

 人通ひとどほりさへ、まれであるのに、貨物車トラツクは、いてとほり、ける。澁苦しぶにがかほしてるのは、以前いぜん小意氣こいき小揚こあげたちだつたとく。

 たゞひとり、このあひだに、角乘かくのり競勢きほひた。きしやなぎはないけれども、一人ひとりすつとつた大角材だいかくざい六間餘ろくけんよは、引緊ひきしまつたまゆしたに、そのくやごとし。水面すゐめんあやつること、草履ざうりけたよりもかるうして、よこにめぐり、たてとほつて、漂々へう〳〵としていてく。

 月夜つきよ鶴歩橋かくほばしわたるなぞ、いひたのもきまりがわるい。かのそう康王かうわう舍人しやじんにして、狷彭けんはうじゆつおこなひ、冀州きしう涿郡たくぐんあひだ浮遊ふいうすること二百年にひやくねん。しかして涿水たくすゐこひつた琴高きんかううらやむにはあたらない。わが深川ふかがは兄哥あにい角乘かくのりは、仙人せんにん凌駕りようがすること、たけ鳶口とびぐち約十尺やくじつしやくと、くはふるに、さらし六尺ろくしやくである。

 道幅みちはゞもやゝかたむくばかり、やま二人ふたりが、さいはひ長棹ながざをによらずして、たゞされた川筋かはすぢは、むかしにくらべると、(だい)といひたい、鐵橋てつけうちうし、電車でんしや複線ふくせんといひたしたい。大汐見橋おほしほみばしを、八幡宮はちまんぐうからむかつてひだりへ、だら〳〵とりた一廓いつくわくであつた。

 また貨物車トラツク曳出ひきだすでもないが、車輪しやりん跫音きやうおんひゞわた汐見橋しほみばしから、ものの半町はんちやう此處こゝはひると、いまこはれた工場こうぢやうのあとを、いし葉鐵ブリキまたいでとほさまながら、以前いぜんは、芭蕉ばせうかこつたやうな、しつとりしたみづいろつゝまれつゝ、印袢纏しるしばんてん仙人せんにんが、彼方あつち一人ひとり此方こつち二人ふたりおほいなる材木ざいもくに、あたか啄木鳥きつゝきごとくにとまつて、のこぎりくちばししづかたゝいてゐたもので、ごしごし、ごしごし、ときかすがひれて、カンとる。湖心こしんおとくばかり、心耳しんじおのづからんだ、とおもふ。が、同伴つれせつうでない。この汐見橋しほみばしを、くるわ出入ではひるためにけた水郷すゐきやう大門口おほもんぐちぐらゐな心得こゝろえだから、一段いちだんひくく、此處こゝりるのは、妓屋ちやや裏階子うらばしごりて、間夫まぶしのかく場所ばしよのやうながしたさうである。

 夜更よふけて、ぎにかへときも、つて、乘込のりこときも。

 大川おほかは此方こなたまちの、場所ばしよにより、築地つきぢ日本橋にほんばしはうからも永代えいたいわたるが、兩國橋りやうごくばし、もう新大橋しんおほはしとなると、富岡門前とみをかもんぜん大通おほどほりによらず、裏道うらみち横町よこちやうひろつて、入堀いりぼり河岸かしふ。……ひるしづかだ。よるさびしさ。なぎさあしなつつめたい。うらにとほ月影つきかげ銀色ぎんしよくは、やがて、そのあし細莖ほそぐきしもとなり、白骨はくこつつてれる。……むすんで角組つのぐめるまげは、けて洗髮あらひがみとなり、みだれてとなり、すでにしてとともにちりえるのである。

 それがち、たふす、河岸かし入江いりえに、わけて寒月かんげつひかえて、剃刀かみそりごとくこぼるゝとき大空おほぞらはるか蘆葦雜草ろゐざつさう八萬坪はちまんつぼ透通すきとほつて、洲崎すさきうみ永代浦えいたいうらから、蒼波さうは品川しながはつらなつて、皎々かう〳〵としてこほときよ。しもむしくろかげが、うらをんなひとみごとく、あし折葉をれは節々ふし〴〵は、卒堵婆そとばに、うかばない戒名かいみやう刺青いれずみしたか、とあかるくうつる。……そのおもひ、骨髓こつずゐとほつて、ふるひ、にくをのゝいて、醉覺よひざめほゝ悚然ぞつこほりらるゝがごとかんじた……とふのである。

 御勝手ごかつてになさい。

 案内あんないにはよわつた。──(第一だいいち、こゝをしるとき七月二十二日しちぐわつにじふににちあつさとつたら。よるへかけて九十六度くじふろくど四十年來しじふねんらいのレコードだといふ氣象臺きしやうだい發表はつぺうであるから、借家しやくや百度ひやくどえたらしい。)

 はや汐見橋しほみばしあがらう。

 るわ、るわ。

 ふね

 いかだ

 見渡みわたす、平久橋へいきうばし時雨橋しぐればし二筋ふたすぢ三筋みすぢながれをあはせて、濤々たう〳〵たる水面すゐめんを、幾艘いくそう幾流いくながし左右さいうからうて、五十傳馬船ごじふでんま百傳馬船ひやくでんま達磨だるま高瀬たかせ埃船ごみぶね泥船どろぶね釣船つりぶねとほく。就中なかんづくいかだはしる。みづつくつて、水脚みづあし千筋ちすぢつなに、さら〳〵とおとするばかり、裝入もりいるゝごと川筋かはすぢのぼるのである。さしのぼしほいさぎよい。

 かぜはひよう〳〵とたもといた。

 わたし學者がくしやでないから、しほは、堀割ほりわりを、かみへ、およそ、どのあたりまで淨化じやうくわするかをらない。

 けれども、驚破すは洪水こうずゐへば、深川中ふかがはぢうなみみづうみとなること、つたへて一再いつさいとゞまらない。高低かうていしほいきほひで、あの油堀あぶらぼり仙臺堀せんだいぼり小名木川をなぎがは、──かつ辿たどり、かつほりは、みな滿々まん〳〵あたらしいみづながすであらう。冬木ふゆきいけたゝへよう。

 さそはれて、常夏とこなつも、夕月ゆふづきしづくれるであらう。

成程なるほど汐見橋しほみばし汐見橋しほみばしですな。」

 同伴つれあらためて感心かんしんした。くるわへばかりられて、あげさげしほのさしひきを、いまはじめてつたのかとおもふと、またうでない。

 大欄干だいかんらんこゝにもだいがつく)から、電車でんしやに、きたし、ひがしして、すゞしくはあるし、しほながれをながめるうちに……一人ひとりた、二人ふたりた、三人さんにん、……追羽子おひばねうたて、かるさうなをんなたち、銀杏返いてふがへしのも、島田しまだなのも、ずつと廂髮ひさしがみなのも、何處いづこからともなくて、おなじやうに欄干らんかんつて、しばらく川面かはづらおろしては、ふいとく。──内證ないしよでおらせまをさうが、うみから颯々さつ〳〵吹通ふきとほすので、朱鷺とき淺葱あさぎくれなゐを、なゝめしぼつて、半身はんしんひるがへすこと、とくかぜのためにゑがいたをんな蹴出けだしのやうであつた。が、いづれも、すゞむためにどまるのではない。およ汐時しほどき見計みはからつて、はしちかづく船乘ふなのり筏師いかだしに、目許めもとであひづをかよはせる。成程なるほど汐見橋しほみばし所以ゆゑんだ、と案内者あんないしやふのである。眞僞しんぎ保證ほしようするかぎりでない。

 たゞ、淙々そう〳〵として大汐おほしほのぼ景色けしきは、わたし……一個人いつこじんとしては、船頭せんどうの、したから蹴出けだしあふごとではなかつた。


 じゆんちがふが、──こゝで一寸ちよつとはなしたい。──これは、のちに、洲崎すさき辨財天べんざいてん鳥居前とりゐまへの、寛政くわんせい津浪之碑つなみのひまへでのことである。──打寄うちよするなみいて、いまはう。

 汐見橋しほみばしから、うみむかつた──大島川おほしまがは入江いりえかど、もはや平久町へいきうちやう何丁なんちやうめにつた──出洲でずはなおな津浪つなみつてた。──前談ぜんだん谷崎たにざきさんと活動寫眞くわつどうしやしん一行いつかうが、ふねて、きし震災前しんさいぜんには、蘆洲あしずなかに、孤影こえい煢然けいぜんとして、百年ひやくねん一人ひとりかげごとく、あの、すごく、さびしく、あはれだつたが、あたかも、のつぽの石臼いしうすごとつて、すぐそばには、物干棹ものほしざを洗濯せんたくものがかゝつて、ざうづるのではないが、わたしたちのいしめぐるのを、片側長屋かたがはながや小窓こまどから、場所ばしよらしい、きやんだの、洒落しやれた女房かみさんが、そで引合ひきあつてのぞいたものであつた。──いまはおなところ、おなじ河岸かしに、ポキリとさいつのれたごとく、ふちにもらぬあとのこして、むくろかげもない。

 けたみづを、目前まのあたりなみ鱗形うろこがたんだ、煉瓦れんぐわにして、卒堵婆そとば一基いつき。──神力大光普照無際土消險しんりきたいくわうふせうむさとせうけん三垢冥廣濟衆厄難さんくみやうかうさいしうやくなん。──しか〴〵としるしたのが、みづなゝめつてる。

 もつとも、案内者あんないしやといへども、汐見橋しほみばしからみづうへんだのではない。一度いちど富岡門前とみをかもんぜんへ。……それから仲通なかどほり越中島ゑつちうじまへ、蓬莱橋ほうらいばしわたること──谷崎たにざきさんのときほとん同一おなじに、かつかはちたきやくが、津浪之碑つなみのひたづねたので、古石場ふるいしば牡丹町ぼたんちやうかはづたひに、途中とちうだんいつつをかぞへる、ひとのほかくるまつうじない牡丹橋ぼたんばしたかわたつた。──大𢌞おほまはりをしないと、汐見橋しほみばしからるやうでも、のあとへはいたないのである。のあたり、ふね長屋ながやみづいへ肌襦袢はだじゆばんちゝのむつちりしたのなどは、品格ひんかくある讀者どくしやのおきなさりたくないことしんじて、さきいそぐ。したがつて古石場ふるいしば石瓦いしがはら石炭屑せきたんくづなどはろんじない。たゞひと牡丹町ぼたんちやう御町内ごちやうない、もしあらば庄屋なぬしさま建言けんげんしたいことがある。場所ばしよのいづれをはず、一株ひとかぶ牡丹ぼたんを、にはなりはちなりにゑてほしい。こうはく濃艷のうえん淡彩たんさいたゞ一輪いちりんはなひらいて、うてな金色こんじき町名ちやうめいきざむとせよ、全町ぜんちやう立處たちどころ樂園らくゑんくわして、いまはえぬ、團子坂だんござか入谷いりやの、きく朝顏あさがほ萩寺はぎでらはぎ、をしのいで、大東京だいとうきやう名所めいしよらう。およそ、そのまちあらはるゝは、ひととみでない。ダイヤモンドの指環ゆびわでない、ときに、一本ひともとはなである。

 やがて、のあとに、供養くやう塔婆たふばを、爲出しいだこともなくとむらつた。

 しづんだか、けたか、行方ゆくへたづねようとおもふにさへ、片側かたがはのバラツクに、數多かずおほあつまつたのは、最早もはや、女房かみさんにもむすめにも、深川ふかがはひとどころでない。百里ひやくり帶水たいすゐ對馬つしまへだてた隣國りんごくから入稼いりかせぎのおきやくである。煙草たばこつて、ラムネ、サイダーをしやくするらしい、おなじ鮮女せんぢよきぬしろきが二人ふたりはうき使つかひ、道路だうろみづつをた。たふきよむるは、そう善行ぜんぎやうである。まちくのは、つちあいするのである。殊勝しゆしようのおんこと、おんことと、こゝろばかり默禮もくれいしつゝ、わたしたちは、むかし蘆間あしまわたせし船板ふないた──てつ平久橋へいきうばしわたる。

震災しんさいときではありませぬで、ついこのあひだ大風おほかぜれましてな。」

 同伴つれよ、ゆるせ、あかがほで、はげたのが──あしなみの、つゝみなら蘆簀よしず茶屋ちややから、白雪しらゆき富士ふじえる、こゝのむかしゑがいたくばりものらしい──團扇うちは使つかひながら、洲崎すさき辨財天べんざいてん鳥居外とりゐそとに、いしさくゆるくめぐらした、まへつたとき、ぶらりと來合きあはせて、六十年配ろくじふねんぱいういつた。

此處このところ寛政三年くわんせいさんねんなみあれのときいへながひとするものすくなからず、のち高波たかなみへんはかりがたく、溺死できしなんなしといふべからず、これによりて西入船町にしいりふねちやうかぎり、東吉祥寺前ひがしきちじやうじまへいたるまで、およなが二百八十間餘にひやくはちじつけんよところ家居いへゐ取沸とりはらひ、空地あきちとなしくものなり。

 寛政六甲寅十二月日
──(小作中せうさくちう一度いちど載之これをのす。──再録さいろく。)


 繰返くりかへすやうだけれども、文字もじほとんみとがたい。三尺さんじやくくぼんだやうになかばうづまつた。

 ──ちなみにいふ、芭蕉ばせをようのあるひとは、六間堀ろくけんぼり方面はうめんくがよい──江戸えどみづ製造元せいざうもと式亭三馬しきていさんばはかは、淨心寺中じやうしんじちう雲光院うんくわうゐんにある。

 さて、ときを、いへば、やがて五時半ごじはんであつた。なつも、この梅雨空つゆぞらで、あめ小留をやんだも、しながらいんこもつて、家居いへゐしづみ、つじ黄昏たそがれた。

 團扇うちはつた六十年配ろくじふねんぱいが、ひと頸窪ぼんのくぼたゝいて立去たちさるあとから、同伴つれは、兩切りやうぎり煙草たばこふといつて、ゆみなりのつじを、洲崎すさきはう小走こばしりする。

 ぽつねんとして、あとに、みづはなれた人間にんげん棒立ぼうだちと、うもれた相對あひたいしたときであつた。

 皺枯しはがれたこゑをして、

旦那だなさ──ん。」

「あ。」

 おもはず振向ふりむくと、ふと背後うしろつて、暮方くれがたいろまぎるゝものは、あゝ何處どこかでた……おほびけぎの遣手部屋やりてべやか、いな四谷よつや閻魔堂えんまだうか、いな前刻さつき閻王えんわうひざかげか、いないましがた白衣びやくえ鮮女せんぢよが、みちいた小店こみせおくに、くらひからしてた、かなあみをしぼつたやうに、しわかずおもてきざんで、白髮しらがさかさみだしつゝ、淺葱あさぎ筒袖つゝそでくろはかまはいたおうなである。まんちやんの淺草あさくさには、いしまくらひとがある。安達あだちはらには黒塚くろづかがある。こゝのは僥倖さいはひに、檳榔びんらうやう團扇うちは皺手しわでに、出刃庖丁でばばうちやうつてをらず、はらごもりの嬰兒あかご胞衣えなのまゝつかんでもゐない。讀者どくしやは、たゞすごく、不氣味ぶぎみに、れいあり、けんあり、前世ぜんせ約束やくそくある古巫女ふるいちこ想像さうざうさるればよい。なほ同一おなじ川筋かはすぢを、扇橋あふぎばしから本所ほんじよ場末ばすゑには、天井てんじやううらかべなかに、いま口寄くちよせの巫女いちこかげのこるとく。

みづおとこえまするなう。何處どことなくなう。」

「…………」

旦那だなさ──ん、いまのほどは汐見橋しほみばしうへでや、みづあがるのをば、うれしげにてござつた。……にごにごつた、この、なう、溝川どぶがはも、ほりも、入江いりえも、きよめるには、まだ〳〵しほりませぬよ、りませぬによつて、なう、眞夜中まよなかなされまし。──つきにも、ほしにも、うつくしい、氣高けだかい、お姫樣ひめさまが、なう、勿體もつたいない、しづわざぢや、今時いまどき女子をなごとほり、たぬお姿すがたでなう、ふねうかべ、いかだつて、大海たいかいみづを、さら〳〵と、このうへ、このうへそゝがつしやりますことよ。……あゝ、有難ありがたうござります。おまゐりをなされまし、……おゝ、おれがござりましたの。──おさきへ、ごゆるされや、はい、はい。」

 と、鳥居とりゐくゞらず、片檐かたのきくらところを、蜘蛛くものやうに──もののうすさに、しわを、次第しだいに、板羽目いたはめけて、奧深おくふか境内けいだいえてく。

「やあ、お待遠樣まちどほさま。──次手ついで囀新道さへづりじんみちとかいふのを、一寸ちよつと……のぞいてたが……つばくろにしてはあたましろい。あはははは、が、おどろきました、露地口ろぢぐちに、妓生きいさんのやうなのが三人さんにんゐましたぜ、ふはり〳〵としろふくで。」


 ──わすれたのではない。わたしたちは、じつはまだ汐見橋しほみばしに、そのしほつゝつてゐる。──


 富岡八幡宮


 成田山不動明王


 境内けいだいは、つちつてしろけるがごとく、ひとまばらにしてちりかず。神官しんくわん嚴肅げんしゆくに、僧達そうたち靜寂せいじやくに、御手洗みたらしみづすゞしかつた。

 たゞ納手拭をさめてぬぐひくろよぢれたのが、吹添ふきそかぜひるがへつて、ぽたんとほゝつた。遊廓いうくわくだんじて、いまだそゝがざるなまぐさくちだつたからであらう。おそれたことはいふまでもない。にも、なほ二三にさん寺社てらやしろまうでたから、いたよごあかづいた奉納手拭ほうなふてぬぐひは、その何處どこであつたかをいまわすれた。和光同塵わくわうどうぢんとはまをせども、神境しんきやう佛地ぶつちである。──近頃ちかごろ衞生上ゑいせいじやう使つかはぬことにはなつてゐるが、たんかざりとして、はなはだしくよごれた手拭てぬぐひは、一體いつたいあづかりるべきものであるかをうかゞひたい。はやところは、奉納ほうなふをしたものがこゝろして。……清淨せいじやうにすべきであらう。

 つゝしんで參詣さんけいした。ちやう三時半さんじはんであつた。まだ晝飯おひるましてゐない。おやすみかた〴〵立寄たちよつたのが……門前もんぜんの、宮川みやがはか、いゝえ、木場きばの、きんいねか、いゝえ、とりの、初音はつねか、いゝえ。何處どこだい! えゝ、おほきなこゑしては空腹すきばらにこたへる、何處どこといひてるほどこともない、そのへんの、そ…ば…や……です。あ、あ。

らつしやい。」

 しかし、蕎麥屋そばやはう威勢ゐせいい。横土間よこどまあつらへをくのが、前鼻緒まへはなをのゆるんだ、ぺたんこ下駄げたで、あしのうら眞黒まつくろ小婢ちびとはたてちがふ。筋骨きんこつ屈竟くつきやう壯佼わかものが、向顱卷むかうはちまき筋彫すぢぼりではあるが、うでけて、ふえ太鼓たいこ、おかめ、ひよつとこの刺青ほりもの。ごむぞこ足袋たびで、トン〳〵と土間どまつて、「えゝお待遠まちどほう。」ねんごろ註文ちうもんした、熱燗あつかん鷲掴わしづかみにしながら、かまちむねはすつかけ、こしおとして、下睨したにらみに、刺青ほりものうでで、ぐいとす──といつた調子てうしだから、古疊ふるだたみ片隅かたすみへ、すそのよぢれたのでかしこまつたきやくの、はゞかないこと一通ひととほりでない。

饂飩うどんあつらへてもしかられまいかね。」

なに、あなた。しながきが貼出はりだしてある以上いじやうは、月見つきみでも、とぢでもなんでも。」

成程なるほど。」

 せまみせで。……つい鼻頭はなさきかまちに、ぞろりとしたくろ絽縮緬ろちりめん羽織はおりを、くるりとしり捲込まきこむで、脹肥はちきれさうな膏切あぶらぎつたまたを、ほとん付根つけねまで露出むきだし片胡坐かたあぐら、どつしりとこしけた、三十七八さんじふしつぱち血氣盛けつきざかり。あそにんか、とおもはれる角刈かくがりで、そのくせパナマばう差置さしおいた。でつぷりとして、しか頬骨ほゝぼねつたのが、あたりいも半分はんぶんながして、蒸籠せいろう二枚にまいみ、たねものをひかへて、銚子てうし四本しほんならべてゐる。わたしたちの、やぶ暖簾のれんげたとき──その壯佼わかもの對手あひてに、聲高こわだかべんじてゐたのが、對手あひてうごいたため、つと申絶なかだえがしたので。……しばらく手酌てじやくめながら、ぎろ〳〵、あてのないやうに、しかしおのづからわたしたちにひとみける。わたしはその銚子てうしかずをよんで、……うらやんだのではない、ひの程度ほどはかつたのである。なるたけ帳場ちやうばせて、窓越まどごしに、しろ圓々まる〳〵ふとつた女房かみさんたすきがけのが、帳面ちやうめんはたらくのをちからにした。おびえたから、猪口ちよくこぼすと、同伴つれが、そこは心得こゝろえたもので、ふたをり半紙はんし懷中ふところからつて段取だんどりなどあり。

「やあ、……きなよ。おい、それからだ。しかしいそがしいな。」

 わたしたちのあつらへを一二度いちにどとほすと、すぐ出前でまへに──ポンと袢纏はんてんかたげて、あたかも、八幡祭はちまんまつり御神輿おみこし。(こゝのはかつぐのではない、鳳凰ほうわうかゞやくばかり霄空おほぞらから、舞降まひくだところを、百人ひやくにん一齊いつときに、あがつてけるのだといふ)御神輿おみこしけるいきほひでした。その壯佼わかもの引返ひきかへしたのを、待兼まちかねた、とまたべんじかけた。

「へい、おかげさまで。……」

蕎麥そば手打てうちで、まつたく感心かんしんはせるからな。」

「お住居すまひ兜町かぶとちやうはうだとおつしやいますが、よく、へんあかるくつておいでなさいますね。」

町内ちやうないづきあひとおなことさ、そりやおめえあまんでるところだからよ。あはゝはゝ。」

「えゝ、うもおたのしみで。」

對手あひてが、素地しらちで、うぶてるから、そこはかへつてくるしみさな。なさけ苦勞くらうもとめるんだ。洒落しやれたところはいくらもあるのに──だが、手打てうちだから、つゆ加減かげんがたまらねえや。」

 天麩羅てんぷらを、ちゆうとつて、

なにしろ、おめえおれかほせると、しろ頸首えりくびが、島田しまだのおくれで、うつむくと、もうたちま耳朶みゝたぶまでポツとならうツてあまが、お人形にんぎやうさんにせるのだ、といつて、ちひさな紋着もんつきつてゐるんだからよ。ふびんがくははらうぢやねえか、えへツへツ。人形にんぎやうのきものだとよ。てめえが玩弄おもちやくせにしやあがつて。」

「また、旦那だんな滅法界めつぽふけえ掘出ほりだしものをなすつたもんだね。一町ひとまちせば、はまぐりも、しゞみも、やまんぢやあありますが、問屋とんやにも、おろしにも。……おまけに素人しろうとに、そんなひかつたのはこともありやしません。」

ひかるつたつて硝子ビイドロぢやあねえぜ。……そこつやがあつて、ほんのりかすんでゐるたまだよ。こいつを、てのひらでうつむけたり、仰向あふむけたり、ピンといへばピンる、といへばる。龍宮りうぐうからさづかつたさいころのやうなたまだから、えへツえへツへツ。」

「あ、旦那だんな猪口ちよくから。」

色香いろかこぼるゝごとし……わかつてる。縁起えんぎがなくつちやあ眞個ほんたうにはしめえな。うだ? これをみつけたのが、女衒ぜげんでも、取揚婆とりあげばゞあでもねえ。盲目めくらだ。──盲目めくらなんだから、深川七不思議ふかがはなゝふしぎうちだらうぜ。こゝらもながことがあるだらう。仲町なかちやうや、洲崎すさきぢや評判ひやうばんの、松賀町まつかちやううらに大坊主おほばうずよ。おれ洒落しやれ鶴賀つるがをかじつて、坊主ばうず出來できるから、時々とき〴〵なぐさみに稽古けいこくとおもひねえ。

親一人おやひとり子一人こひとりで、旦那だんな大勢おほぜい手足てあしきたくない、とまをしまするで、おなさけつかはされ。)──かねて、熊井くまゐ平久へいきう平野ひらの新道しんみちと、おれ百人斬ひやくにんぎりつてるから、(特別とくべつのおなさけを。)──よした、はやところを。で、どうせ、あくあらひをするか、がかないぢや使つかへないしろものだとおもつたのが、……まるでもつて、其處等そこら辨天べんてん……」

「あゝ、不可いけねえ、旦那だんなあつしがこんながらでいつちや、をかしいやうですがね、うつかり風説うはさはいけません。時々とき〴〵貴女あなたのお姿すがた人目ひとめえて、しかもおめえさん。……かみをおあらひなさることさへあるツてひますから。……や、はなしをしても、裸體はだかわきしたくすぐつてえ。」

「それだよ〳〵、そのとほり、かへつて結構けつこうぢやねえか。本所ほんじよひとねえな……盲目めくらつけたのからして、もうすぐに辨天べんてんだ。おれはうでいはうとおもつた。──いつか、つれをごまかす都合つがふでな、隙潰ひまつぶしに開帳かいちやうさして、其處等そこら辨天べんてんかほたとおもひねえ、おれ玩弄品おもちやに、その、肖如そつくりさツたら。一寸ちよつとおどろいた。……おまけに、おれじつてゐるうちに、まぶたがぽツとたぜ。……ウ。」

 柘榴ざくろはなが、パツとる。

「あ、衄血はなぢだ。」

「ウーム。」

 あそにん旦那だんな仰向あふむけうなつた。夥多おびたゞしい衄血はなぢである。ちやうにしたどんぶりながむのを、あわてて土間どまおとしたが、蕎麥そば天麩羅てんぷら眞赤まつかつた。鼻柱はなばしらになほほとばしつて、ぽた〳〵と蒸籠せいろうにしたゝり猪口ちよくねたに、ぷんと、蕺草どくだみにほひがした。

「おひやまをして……」

 女房かみさん土間どま片膝かたひざろした。同伴つれ深切しんせつ懷紙くわいしつてちかけたが、壯佼わかもの屈竟くつきやうだから、人手ひとでらない。かた引掛ひつかけると、ぐな〳〵とつて、臺所口だいどころぐちへ、薄暗うすぐら土間どまく。四角しかくつらは、のめつたやうで眞蒼まつさをである。

 わたしたちは、無言むごんかほ見合みあはせた。

 水道すゐだうみづが、ざあ〳〵るのをきながら、さけをあまして、蕎麥屋そばやた。


 じゆんはまた前後ぜんごした。洲崎すさき辨財天べんざいてんまうでたのは、此處こゝてからのことなのである。

 あやしきうばことばあまみたから、えりあひともに緊張ひきしまつて、同伴つれ囀新道さへづりじんみちのぞいたといふにつけても、とき場所ばしよがらをおもつて、なにはなさず、くれかけてとびらなほふかい、天女てんによきざはし禮拜らいはいした。

 で、その新道しんみちよこに……小栗柳川をぐりやながはがしたふねは、むかしこのきしあたつて土手どてあがつた、河岸かしけて、電車でんしやつた。木場きば一圓いちゑん入船町いちふねちやうみぎに、舟木橋ふなきばしをすぎ、汐見橋しほみばし二度にどわたつて、まちはまだあかるいが、兩側りやうがは店毎みせごと軒毎のきごと電燈でんとうまばゆ門前町もんぜんちやうとほりながら──ならんではすわれず、むかつた同伴つれと、さらかほ見合みあはせたが、本通ほんどほりは銀座ぎんざせまくしたのとかはりのない、千百せんひやく電燈でんとうまぎれて、その蕎麥屋そばやかとおも暖簾のれんに、いたえなかつた。

 門前仲町もんぜんなかちやうりたのは──ばん御馳走ごちそう……よりさきに、蛤町はまぐりちやう大島町おほしまちやうかけて、魚問屋うをどんや活船いけぶねおよきたたひを、案内者あんないしやせようといふのであつた。

 裏道うらみち次第しだいくらし、あめる。……場所ばしよ取違とりちがへたか、浴衣ゆかた藻魚もうをおび赤魚あかをなかには出額おでこ目張魚めばるなどに出逢であふのみ。たひすゞきどころでない。鹽鰹しほがつをのにほひもしない。よわつたのは、念入ねんいり五萬分一ごまんぶんのいち地圖ちづさへたもと心得こゝろえ案内者あんないしやが、みちわるくなる、れかゝる、活船いけぶねくのにあせるから、ふことが、しどろもどろで、「なには、魚市うをいちは?……いや、それはつてゐますが、問屋とんやなんで。いえ、ひはしません。きたさかなるのでして、えゝんださかな……もをかしいが、ぴち〳〵ねてる問屋とんやですがね。」──ざつとこのとほり。ねる問屋とんやもまだかつた。「みづをちよろ〳〵と吹上ふきあげて、しやあとおとしてゐるところですがね。」「親方おやかた……」──はじめ黒船橋くろふねばしたもとで、まどからあめた、床屋とこや小僧こぞうくと、げんなかほをして親方おやかたんだ、がわからない。──「にいさん、にいさん、一寸ちよつとくがね。」二度目にどめ蛤町二丁目はまぐりちやうにちやうめ河岸かしで、シヤベルで石炭せきたん引掻ひつかいてる、職人しよくにんいたときは、慚愧ざんきした。「みづをちよろ〳〵、しやあ?……」と眞黒まつくろかほかへして、しろくして、「わからねえなあ。」これはわかるまい。……

「きみ、きみ。……ちよろ〳〵さへ氣恥きはづかしいのに、しやあとおとすだけはなんとかなるまいかね。あれをくたびに、わたしはおのづから、あとじさりをするんだがね。」

卑怯ひけふですよ。……ちよろ〳〵だけぢやあをなしませんし、どぶりでもなし、たうたりでもなし、しやあ。」いふしたから……「もし〳〵失禮しつれいですが、ちよろ〳〵、しやあ。……」

 とほりがかりの湯歸ゆがへりの船頭せんどうらしいのに叩頭おじきをする。

 櫛卷くしまき引詰ひつつめて、にくづきはあるが、きりゝ帶腰おびごしひきしまつた、酒屋さかや女房かみさんが「問屋とんや小賣こうりはしませんよ。」「ういたして、それどころぢやありません。そつ拜見はいけんがいたしたいので。」「おや、ご見物けんぶつ。」と、きん絲切齒いときりばでにつこりして、道普請みちぶしんだの、建前たてまへだの、路地ろぢうらは、地震ぢしん當時たうじ屋根やねまたぐのと同一おんなじで、わかにくいからと、つつかけ下駄げたて──あの蕎麥屋そばや女房かみさんおもはせる、──圓々まる〳〵したうでをあからさまに、電燈でんとうしろかゞやかしながら、ゆびさしをして、掃溜はきだめをよけて、羽目はめ𢌞まはつて、溝板どぶいたまたいで、ぐら〳〵してゐるからをつけて、まだ店開みせびらきをしない、お湯屋ゆやよこけた……そのあたりまで、丁寧ていねいをしへて、「おをつけなさいまし、おほゝゝ。」とあだにわらつた。どうも、辰巳たつみはうれしいところである。

 問屋とんやは、大六だいろく大京だいきやう小川久をがきう佃勝つくかつ西辰にしたつ、ちくせん──など幾軒いくけんもある、とのちいた。わたしたちはたん酒屋さかや女房かみさんにをそはつたとほり、溝板どぶいたかへさず、つかにも空地あきちのあちこち蠣蛤かきはまぐりからうづたかく──(ばいすけ)のしづくねてならんだのに、磯濱いそはまづたひのおもひしつゝ、ゆびさゝれたなりにあたりの問屋とんや。……

 店頭みせさきなにもない。幅廣はゞびろ構内かまへうち土間どま眞向まむかうに、穴藏あなぐらくらく、水氣すゐきつて、突通つきとほしにかはく。──あすこだ。あれだ。

 のそ〳〵とはひつた案内者あんないしやが、横手よこて住居すまひへ、かゞごし挨拶あいさつする。

みづがちよろ〳〵。」

 ……をやつてゐるにちがひない。わたし卑怯ひけふながら、そのまち眞中まんなかへ、あとじさりをしたのである。

「さ、おいでなさい、許可きよかになりました。」

 活船いけぶね──瀧箱たきばこといふのであつたかもれない。──が次第しだいに、五段ごだんならんで、十六七杯じふろくしちはい水柱みづばしらたか六尺ろくしやくのぼつて、潺々せん〳〵ちて小波さゝなみててあふれる。──あゝ、水柱みづばしらといつてけばよかつた。──活船いけぶね水柱みづばしらところと。──

 濡板敷ぬれいたじきのすべるあしもとにちか一箱いつぱいかすと、小魚こざかな眞黒まつくろつくる。

およいでゐます、あぢですよ。」

きすだぜ。」

 と、十五六人じふごろくにんほとんにして、立働たちはたらく、若衆わかいしゆなかの、わかいのがいつた。

 同伴つれ器用きようで、なか〳〵庖丁はうちやうてるのに。──これをおもふと、つい、このごろことである。わたしごく懇意こんい細君さいくんで、もと柳橋やなぎばし左褄ひだりづまつたのが、最近さいきん番町ばんちやうのこの近所きんじよ世帶しよたいつた。お料理れうりつて、洗方あらひかたおろそかだから、──今日こんちは──の盤臺はんだいを、臺所口だいどころぐちからのぞいて、

「まあ、いゝあゆね。」が、きすである。翌朝よくあさ、「あら、きたこひね。」と、いはうとして……昨日きのふりてくちをつぐんで、一寸ちよつと容儀ようぎ調とゝのへた、が黒鯛くろだひ。これはやさしい。……

 信濃國しなののくに蒲原郡産かんばらごほりさん床屋職人とこやじよくにんで、氣取きどつたのが、すし屋臺やたいかぎる、と穴子あなごをつまんで、「む、このどぢやうはうめえや。」もつ如何いかんとすると、うつかり同伴つれ立話たちばなしをすると、三十幾本さんじふいくほんあしが、水柱みづばしら大搖おほゆれにれて──どつわらつた。まぎ小鮹こだこが、ちよろ〳〵と板敷いたじきつてゐる。

 一同いちどうはたらした。下屋げや水窓みづまどへ、をりからよこづけのふねから、穴子あなご、ぎんばうのびくかれひ、あいなめの鮹盤臺たこはんだいを、しやくふ、げる、それむ、大鯛おほだひ溌剌はつらつたるが、(大盤臺だんべ)からあがつた。

 このいきほひにじようじて、今度こんどは、……そ…ば…や…ではない。しや高信たかのぶさんの籌略ちうりやくによつて、一陣いちぢん鋭兵えいへいふところせてある。……てきえらばぬ、それ押出おしだせ、といふと、かぶとなほす、同伴つれあたまくろえる。

 あめをおよぎしたまちかども、黒江町くろえちやうは、しづくするばかり、水晶すゐしやうたふかとれてひかつて、夜店よみせ盤臺はんだいには、かにあししろ土手どてき、河豚ふぐかとおどろ大鯒おほごちつて、えびのぶつ〳〵ぎりあらつた。

 加賀家かがや、きんいね伊勢平いせへいと、對手あひてさぐつて、同伴つれは、かつ宮川みやがはで、やさしい意氣いきひと手合てあはせをしたおぼえがあるとしきりにはやつて、討死うちじにをしようとしたが。──御免下ごめんください……お約束やくそくはしましたけれど、かうつててはさないわけにはかない、蝙蝠傘かうもりにてさふらふゆゑ、ちかところ境内けいだい初音はつねおそつた。

「おまかまをす。」

心得こゝろえたり。」

 こゝにいたると、──じつは、二上にあがりのじめでつた洲崎すさき年増としま洒落しやれた所帶しよたいつた同伴つれが、頭巾づきんいで、芥子玉けしだま頬被ほゝかむりしたつた。あんずるに、ちよろ〳〵みづも、くたびれをまぎらした串戲じようだんらしい。

「……ねえさん、一寸ちよつと相談さうだんがあるが、まづのれ、きたいな。」

 をかしかつたのは、大肥おほぶとりにふとつた、い、深切しんせつ女中ぢよちうが、ふふふ、とわらつてばかり、うしても名告なのらなかつた、もありなん、あとでくと、……おいとさん。

 で、その、ふとつたおいとさんに呑込のみこまして、なんでもかまはぬ、深川ふかがはそだつた土地とちを。──

 わか鮮麗あざやかなのがあらはれた。

 づは、めでたい。

 うけて、さかづきをさしながら、いよ〳〵くろくなつたが、いやがうへにおやぢぶつて、

あねさんや、うまれは、何處どこだい。」

 こゑしたに、かすりの、明石あかし白絣しろがすりで、十七だといふのに、紅氣あかつけなし、うす紫陽花色あぢさゐいろ半襟はんえりくつきりとすゞしいのが、ひとみをぱつちりと、うけくちで、

濱通はまどほり……」

「はまどほり?……」

 明亮簡潔めいりやうかんけつに、

蛤町はまぐりちやう。」

昭和二年七月─八月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年1020日第1刷発行

   1988(昭和63)年112日第3刷発行

初出:「東京日日新聞 第一八二七五号~第一八二九六号」東京日日新聞社

   1927(昭和2)年717日~87

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「串戲」と「串談」、「」と「」の混在は、底本通りです。

※「女房」に対するルビの「にようぼう」と「かみさん」、「工場」に対するルビの「こうば」と「こうぢやう」、「兄哥」に対するルビの「あにき」と「あにい」、「旦那」に対するルビの「だんな」と「だな」の混在は、底本通りです。

※表題は底本では、「深川ふかがは浅景せんけい」となっています。

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

入力:門田裕志

校正:岡村和彦

2018年127日作成

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