火の用心の事
泉鏡太郎
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紅葉先生在世のころ、名古屋に金色夜叉夫人といふ、若い奇麗な夫人があつた。申すまでもなく、最大なる愛讀者で、宮さん、貫一でなければ夜も明けない。
──鬘ならではと見ゆるまでに結做したる圓髷の漆の如きに、珊瑚の六分玉の後插を點じたれば、更に白襟の冷豔、物の類ふべき無く──
とあれば、鬘ならではと見ゆるまで、圓髷を結なして、六分玉の珊瑚に、冷豔なる白襟の好み。
──貴族鼠の縐高縮緬の五紋なる單衣を曳きて、帶は海松地に裝束切模の色紙散の七絲……淡紅色紋絽の長襦袢──
とあれば、かくの如く、お出入の松坂屋へあつらへる。金色夜叉中編のお宮は、この姿で、雪見燈籠を小楯に、寒ざきつゝじの茂みに裾を隱して立つのだから──庭に、築山がかりの景色はあるが、燈籠がないからと、故らに据ゑさせて、右の裝ひでスリツパで芝生を踏んで、秋空を高く睫毛に澄して、やがて雪見燈籠の笠の上にくづほれた。
「お前たち、名古屋へ行くなら、紹介をして遣らうよ。」
今、兜町に山一商會の杉野喜精氏は、先生の舊知で、その時分は名古屋の愛知銀行の──何うも私は餘り銀行にはゆかりがないから、役づきは何といふのか知らないが、追つてこの金色夜叉夫人が電話口でその人を呼だすのを聞くと、「あゝ、もし〳〵御支配人、……」だから御支配人であつた。──一年先生は名古屋へ遊んで、夫人とは、この杉野氏を通じて、知り合に成んなすつたので。……お前たち。……故柳川春葉と、私とが編輯に携はつて居た、春陽堂の新小説、社會欄の記事として、中京の觀察を書くために、名古屋へ派遣といふのを、主幹だつた宙外さんから承つた時であつた。何しろ、杉野の家で、早午飯に二人で牛肉なべをつゝいて居ると、ふすま越に(お相伴)といふ聲がしたと思ひな。紋着、白えりで盛裝した、艷なのが、茶わんとはしを兩手に持つて、目の覺めるやうに顯れて、すぐに一切れはさんだのが、その人さ。和出來の猪八戒と沙悟淨のやうな、變なのが二人、鯱の城下へ轉げ落ちて、門前へ齋に立つたつて、右の度胸だから然までおびえまいよ。紹介をしよう。……(角はま)にも。」角はまは、名古屋通で胸をそらした杉野氏を可笑しがつて、當時、先生が御支配人を戲れにあざけつた渾名である。御存じの通り(樣)を彼地では(はま)といふ。……
私は、先生が名古屋あそびの時の、心得の手帳を持つてゐる。餘白が澤山あるからといつて、一册下すつたものだが、用意の深い方だから、他見然るべからざるペイヂには剪刀が入つてゐる。覺の殘つてゐるのに──後で私たちも聞いた唄が記してある。
味は川文、眺め前津の香雪軒よ、
席の廣いは金城館、愉快、おなやの奧座敷、一寸二次會、
河喜樓。
また魚半の中二階。
近頃は、得月などといふのが評判が高いと聞く、が、今もこの唄の趣はあるのであらう。その何家だか知らないが、御支配人がズツと先生を導くと、一つゑぐらうといふ數寄屋がかりの座敷へ、折目だかな女中が、何事ぞ、コーヒー入の角砂糖を捧げて出た。──シユウとあわが立つて、黒いしるの溢れ出るのを匙でかきまはす代ものである。以來、ひこつの名古屋通を、(角はま)と言ふのである。
おなじ手帳に、その時のお料理が記してあるから、一寸御馳走をしたいと思ふ。
手帳のけいの中ほどに、二の膳出づ、と朱がきがしてある。
その角はま、と夫人とに、紹介状を頂戴して、春葉と二人で出かけた。あゝ、この紹介状なかりせば……思ひだしても、げつそりと腹が空く。……
何しろ、中京の殖産工業から、名所、名物、花柳界一般、芝居、寄席、興行ものの状態視察。あひなるべくは多治見へのして、陶器製造の模樣までで、滯在少くとも一週間の旅費として、一人前二十五兩、注におよばず、切もちたつた一切づゝ。──むかしから、落人は七騎と相場は極つたが、これは大國へ討手である。五十萬石と戰ふに、切もち一つは情ない。が、討死の覺悟もせずに、血氣に任せて馳向つた。
日露戰爭のすぐ以前とは言ひながら、一圓づゝに算へても、紙幣の人數五十枚で、金の鯱に拮抗する、勇氣のほどはすさまじい。時は二月なりけるが、剩さへ出陣に際して、陣羽織も、よろひもない。有るには有るが預けてある。勢ひ兵を分たねば成らない。暮から人質に入つてゐる外套と羽織を救ひだすのに、手もなく八九枚討取られた。黄がかつた紬の羽織に、銘仙の茶じまを着たのと、石持の黒羽織に、まがひ琉球のかすりを着たのが、しよぼ〳〵雨の降る中を、夜汽車で立つた。
日の短い頃だから、翌日旅館へ着いて、支度をすると、もうそちこち薄暗い。東京で言へば淺草のやうな所だと、豫て聞いて居た大須の觀音へ詣でて、表門から歸れば可いのを、風俗を視察のためだ、と裏へまはつたのが過失で。……大福餅の、燒いたのを頬張つて、婆さんに澁茶をくんでもらひながら「やあ、この大きな鐸をがらん〳〵と驅けて行くのは、號外ではなささうだが、何だい。」婆さんが「あれは、ナアモ、藝妓衆の線香の知らせでナアモ。」そろ〳〵風俗を視察におよんで、何も任務だからと、何樓かの前で、かけ合つて、値切つて、引つけへ通つて酒に成ると、階子の中くらゐのお上り二人、さつぱり持てない。第一女どもが寄着かない。おてうしが一二本、遠見の傍示ぐひの如く押立つて、廣間はガランとして野の如し。まつ赤になつた柳川が、黄なるお羽織……これが可笑い。京傳の志羅川夜船に、素見山の手の(きふう)と稱へて、息子も何ぞうたはつせえ、と犬のくそをまたいで先へ立つ男がゐる。──(きふう)は名だ。けだし色の象徴ではないのだが、春葉の羽織は何ういふものか、不斷から、件の素見山の手の風があつた。──そいつをパツと脱いで、角力を取らうと言ふ。僕は角力は嫌ひだ、といふと、……小さな聲で、「示威運動だから、式ばかりで行くんだ。」よし來た、と立つと、「成りたけ向うからはずみをつけて驅けて來てポンと打つかりたまへ、可いか。」すとんと、呼吸で、手もなく投られる。可いか。よし來た。どん、すとん、と身上も身も輕い。けれども家鳴震動する。遣手も、仲居も、女どもも驅けつけたが、あきれて廊下に立つばかり、話に聞いた芝天狗と、河太郎が、紫川から化けて來たやうに見えたらう。恐怖をなして遠卷に卷いてゐる。投る方も、投られる方も、へと〳〵になつてすわつたが、醉つた上の騷劇で、目がくらんで、もう別嬪の顏も見えない。財産家の角力は引つけで取るものだ。又來るよ、とふられさうな先を見越して、勘定をすまして、潔く退いた。が、旅宿へ歸つて、雙方顏を見合せて、ためいきをホツと吐いた。──今夜一夜の籠城にも、剩すところの兵糧では覺束ない。角力など取らねば可かつた。夜半に腹の空いた事。大福もちより、きしめんにすれば可かつたものを、と木賃でしらみをひねるやうに、二人とも財布の底をもんで歎じた。
この時、神通を顯して、討死を窮地に救つたのが、先生の紹介状の威徳で、從つて金色夜叉夫人の情であつた。
翌日は晩とも言はず、午からの御馳走。杉野氏の方も、通勤があるから留主で、同夫人と、夫人同士の御招待で、即ち(二の膳出づ。)である。「あゝ、旨い、が、驚いた、この、鯛の腸は化けて居る。」「よして頂戴、見つともない。それはね、ほら、鯛のけんちんむしといふものよ。」何を隱さう、私はうまれて初めて食べた。春葉はこれより先、ぐぢ、と甘鯛の區別を知つて、葉門中の食通だから、弱つた顏をしながら、白い差味にわさびを利かして苦笑をして居た。
その時だつけか、あとだつたか、春葉と相ひとしく、まぐろの中脂を、おろしで和へて、醤油を注いで、令夫人のお給仕つきの御飯へのつけて、熱い茶を打つかけて、さくさく〳〵、おかはり、と又退治るのを、「頼もしいわ、私たちの主人にはそれが出來ないの。」と感状に預つた得意さに、頭にのつて、「僕はね、お彼岸のぼたもちでさへお茶づけにするんですぜ。」「まあ、うれしい。……」何うもあきれたものだ。
おきれいなのが三人ばかりと、私たち、揃つて、前津の田畝あたりを、冬霧の薄紫にそゞろ歩きして、一寸した茶屋へ憩んだ時だ。「ちらしを。」と、夫人が五もくずしをあつらへた。
つい今しがた牡丹亭とかいふ、廣庭の枯草に霜を敷いた、人氣のない離れ座敷で。──鬘ならではと見ゆるまでに結なしたる圓髷に、珊瑚の六分玉のうしろざしを點じた、冷艷類ふべきなきと、こゝの名物だと聞く、小さなとこぶしを、青く、銀色の貝のまゝ重ねた鹽蒸を肴に、相對して、その時は、雛の瞬くか、と顏を見て醉つた。──「今しがた御馳走に成つたばかりです、もう、そんなには。」「いゝから姉さんに任せてお置き。」紅葉先生の、實は媛友なんだから、といつて、女の先生は可笑しい。……たゞ奧さんでは氣にいらず、姉ごは失禮だ。小母さんも變だ、第一「嬌瞋」を發しようし……そこンところが何となく、いつのまにか、むかうが、姉が、姉が、といふから、年紀は私が上なんだが、姉さんも、うちつけがましいから、そこで、「お姉上。」──いや、二十幾年ぶりかで、近頃も逢つたが、夫人は矢張り、年上のやうな心持がするとか言ふ。「第一、二人とも割前が怪しいんです。」とその時いふと、お姉上も若かつた。箱せこかと思ふ、錦の紙入から、定期だか何だか小さく疊んだ愛知の銀行券を絹ハンケチのやうにひら〳〵とふつて、金一千圓也、といふ楷書のところを見せて、「心配しないで、めしあがれ。」ちらしの金主が一千圓。この意氣に感じては、こちらも、くわつと氣競はざるを得ない。「ありがたい、お茶づけだ。」と、いま思ふと汗が出る。……鮪茶漬を嬉しがられた禮心に、このどんぶりへ番茶をかけて掻つ込んだ。味は何うだ、とおつしやるか? いや、話に成らない。人參も、干瓢も、もさ〳〵して咽喉へつかへて酸いところへ、上置の鰺の、ぷんと生臭くしがらむ工合は、何とも言へない。漸と一どんぶり、それでも我慢に平げて、「うれしい、お見事。」と賞められたが、歸途に路が暗く成つて、溝端へ出るが否や、げツといつて、現實立所に暴露におよんだ。
愛想も盡かさず、こいつを病人あつかひに、邸へ引取つて、柔かい布團に寢かして、寒くはないの、と袖をたゝいて、清心丹の錫を白い指でパチリ……に至つては、分に過ぎたお厚情。私はその都度、「先生の威徳廣大、先生の威徳廣大。」と唱へて、金色夜叉の愛讀者に感銘した。
翌年一月、親類見舞に、夫人が上京する。ついでに、茅屋に立寄るといふ音信をうけた。ところで、いま更狼狽したのは、その時の厚意の萬分の一に報ゆるのに手段がなかつたためである。手段がなかつたのではない、花を迎ふるに蝶々がなかつたのである。……何を何う考へたか、いづれ周章てた紛れであらうが、神田の從姉──松本の長の姉を口説いて、實は名古屋ゆきに着てゐた琉球だつて、月賦の約束で、その從姉の顏で、糶呉服を借りたのさへ返さない……にも拘らず、鯱に對して、錢なしでは、初松魚……とまでも行かないでも、夕河岸の小鰺の顏が立たない、とかうさへ言へば「あいよ。」と言ふ。……少しばかり巾着から引だして、夫人にすゝむべく座布團を一枚こしらへた。……お待遠樣。──これから一寸薄どろに成るのである。
おごつた、黄じまの郡内である。通例私たちが用ゐるのは、四角で薄くて、ちよぼりとして居て、腰を載せるとその重量で、少し溢んで、膝でぺたんと成るのだが、そんなのではない。疊半疊ばかりなのを、大きく、ふはりとこしらへた。私はその頃牛込の南榎町に住んで居たが、水道町の丸屋から仕立上りを持込んで、御あつらへの疊紙の結び目を解いた時は、四疊半唯一間の二階半分に盛上つて、女中が細い目を圓くした。私などの夜具は、むやみと引張つたり、被つたりだから、胴中の綿が透切れがして寒い、裾を膝へ引包めて、袖へ頭を突込むで、こと〳〵蟲の形に成るのに、この女中は、また妙な道樂で、給金をのこらず夜具にかける、敷くのが二枚、上へかけるのが三枚といふ贅澤で、下階の六疊一杯に成つて、はゞかりへ行きかへり足の踏所がない。おまけに、もえ黄の夜具ぶろしきを上被りにかけて、包んで寢た。一つはそれに對する敵愾心も加はつたので。……先づ奮發した。
──所で、夫人を迎へたあとを、そのまゝ押入へ藏つて置いたのが、思ひがけず、遠からず、紅葉先生の料に用立つた。
憶起す。……先生は、讀賣新聞に、寒牡丹を執筆中であつた。横寺町の梅と柳のお宅から三町ばかり隔たつたらう。私の小家は餘寒未だ相去り申さずだつたが──お宅は來客がくびすを接しておびたゞしい。玄關で、私たち友達が留守を使ふばかりにも氣が散るからと、お氣にいりの煎茶茶碗一つ。……これはそのまゝ、いま頂戴に成つて居る。……ふろ敷包を御持參で、「机を貸しな。」とお見えに成つた。それ、と二つ三つほこりをたゝいたが、まだ干しも何うもしない、美しい夫人の移り香をそのまゝ、右の座布團をすゝめたのである。敢てうつり香といふ。留南木のかをり、香水の香である。私はうまれて、親どもからも、先生からも、女の肉の臭氣といふことを教へられた覺えがない。從つて未だに知らない。汗と、わきがと、湯無精を除いては、女は──化粧の香料のほか、身だしなみのいゝ女は、臭くはないものと思つて居る。憚りながら鼻はきく。空腹へ、秋刀魚、燒いもの如きは、第一にきくのである。折角、結構なる體臭をお持合せの御婦人方には、相すまぬ。が……從つて、拂ひもしないで、敷かせ申した。壁と障子の穴だらけな中で、先生は一驚をきつして、「何だい、これは。──田舍から、内證で嫁でもくるのかい。」「へい。」「馬のくらに敷くやうだな。」「えへゝ。」私も弱つて、だらしなく頭をかいた。「茶がなかつたら、内へ行つて取つて來な。鐵瓶をおかけ。」と小造な瀬戸火鉢を引寄せて、ぐい、と小机に向ひなすつた。それでも、せんべい布團よりは、居心がよかつたらしい。……五日ばかりおいでが續いた。
暮合の土間に下駄が見えぬ。
「先生は?……」
通りへ買物から、歸つて聞くと、女中が、今しがたお歸りに成つたといふ。矢來の辻で行違つた。……然うか、と何うも冴え返つて恐ろしく寒かつたので、いきなり茶の間の六疊へ入つて、祖母が寢て居た行火の裾へ入つて、尻まで潛ると、祖母さんが、むく〳〵と起きて、火をかき立ててくれたので、ほか〳〵いゝ心持になつて、ぐつすり寢込むだ。「柳川さんが、柳川さんがお見えになりました。」うつとりと目を覺すと、「雪だよ、雪だよ、大雪に成つた。この雪に寢て居る奴があるものか。」と、もう枕元に長い顏が立つて居る。上れ、二階へと、マツチを手探りでランプを點けるのに馴れて居るから、いきなり先へ立つて、すぐの階子段を上つて、ふすまを開けると、むツと打つ煙に目のくらむより先に、机の前に、眞紅な毛氈敷いたかと、戸袋に、雛の幻があるやうに、夢心地に成つたのは、一はゞ一面の火であつた。地獄へ飛ぶやうに辷り込むと、青い火鉢が金色に光つて、座布團一枚、ありのまゝに、萌黄を細く覆輪に取つて、朱とも、血とも、るつぼのたゞれた如くにとろけて、燃拔けた中心が、藥研に窪んで、天井へ崩れて、底の眞黒な板には、ちら〳〵と火の粉がからんで、ぱち〳〵と煤を燒く、炎で舐める、と一目見た。「大變だ。」私は夢中で、鐵瓶を噴火口へ打覆けた。心利いて、すばやい春葉だから、「水だ、水だ。」と、もう臺所で呼ぶのが聞えて、私が驅おりるのと、入違ひに、狹い階子段一杯の大丸まげの肥滿つたのと、どうすれ合つたか、まげの上を飛おりたか知らない。下りざまに、おゝ、一手桶持つて女中が、と思ふ鼻のさきを、丸々とした脚が二本、吹きおろす煙の中を宙へ上つた。すぐに柳川が馳違つた。手にバケツを提げながら、「あとは、たらひでも、どんぶりでも、……水瓶にまだある。」と、この手が二階へ屆いた、と思ふと、下の座敷の六疊へ、ざあーと疎に、すだれを亂して、天井から水が落ちた。さいはひに、火の粉でない。私は柳川を恩人だと思ふ──思つて居る。もう一歩來やうが遲いと、最早言を費すにおよぶまい。
敷合せ疊三疊、丁度座布團とともに、その形だけ、ばさ〳〵の煤になつて、うづたかく重なつた。下も煤だらけ、水びたしの中に畏つて、吹きつける雪風の不安さに、外へ出る勇氣はない。勞を謝するに酒もない。柳川は卷煙草の火もつけずに、ひとりで蕎麥を食べるとて歸つた。
女中が、づぶぬれの疊へ手をついて、「申譯がございません。お寒いので、炭をどつさりお繼ぎ申しあげたものですから、先生樣はお歸りがけに、もう一度よく埋けなよ、と確に御注意遊ばしたのでございますものを、つい私が疎雜で。……炭が刎ねまして、あのお布團へ。……申譯がございません。」祖母が佛壇の輪を打つて座つた。私も同じやうに座つた。「……兄、これからも氣をつけさつしやい、内では昔から年越しの今夜がの。……」忘れて居た、如何にもその夜は節分であつた。私が六つから九つぐらゐの頃だつたと思ふ。遠い山の、田舍の雪の中で、おなじ節分の夜に、三年續けて火の過失をした、心さびしい、もの恐ろしい覺えがある。いつも表二階の炬燵から。……一度は職人の家の節分の忙しさに、私が一人で寢て居て、下がけを踏込んだ。一度は雪國でする習慣、濡れた足袋を、やぐらに干した紐の結びめが解けて火に落ちたためである。もう一度は覺えて居ない。いづれも大事に至らなかつたのは勿論である。が、家中水を打つて、燈も氷つた。三年目の時の如きは、翌朝の飯も汁も凍てて、軒の氷柱が痛かつた。
番町へ越して十二三年になる。あの大地震の前の年の二月四日の夜は大雪であつた。二百十日もおなじこと、日記を誌す方々は、一寸日づけを御覽を願ふ、雨も晴も、毎年そんなに日をかへないであらうと思ふ。現に今年、この四月は、九日、十日、二日續けて大風であつた。いつか、吉原の大火もおなじ日であつた。然もまだ誰も忘れない、朝からすさまじい大風で、花は盛りだし、私は見付から四谷の裏通りをぶらついたが、土がうづを卷いて目も開けられない。瓦を粉にしたやうな眞赤な砂煙に、咽喉を詰らせて歸りがけ、見付の火の見櫓の頂邊で、かう、薄赤い、おぼろ月夜のうちに、人影の入亂れるやうな光景を見たが。──淺草邊へ病人の見舞に、朝のうち出かけた家内が、四時頃、うすぼんやりして、唯今と歸つた、見舞に持つて出た、病人の好きさうな重詰ものと、いけ花が、そのまゝすわつた前かけの傍にある。「おや。」「どうも、何だつて大變な人で、とても内へは入れません。」「はてな、へい?……」いかに見舞客が立込んだつて、まはりまはつて、家へ入れないとは變だ、と思ふと、戸外を吹すさぶ風のまぎれに、かすれ聲を咳して、いく度か話が行違つて漸と分つた。大火事だ! そこへ號外が駈まはる。……それにしても、重詰を中味のまゝ持つて來る事はない、と思つたが、成程、私の家内だつて、面はどうでも、髮を結つた婦が、「めしあがれ。」とその火事場の眞ん中に、重詰に花を添へて突だしたのでは狂人にされるより外はない……といつた同じ日の大風に──あゝ、今年は無事でよかつた。……
所で地震前のその大雪の夜である。晩食に一合で、いゝ心持にこたつで寢込んだ。ふすま一重茶の室で、濱野さんの聲がするので、よく、この雪に、と思ひながら、ひよいと起きて、ふらりと出た。話をするうちに、さく〳〵と雪を分ける音がして、おん厄拂ひましよな、厄落し。……妹背山の言立てなんぞ、芝居のは嫌ひだから、青ものか、魚の見立てで西の海へさらり、などを聞くと、又さつ〳〵と行く。おん厄拂ひましよな、厄落し。……遙に聲が消えると、戸外が宵の口だのに、もう寂寞として、時々びゆうと風が騷ぐ。何だか、どうも、さつきから部屋へ氣がこもる。玄關境のふすまを開けたが、矢張り息がこもる。そのうち、香しいやうな、遠くで……海藻をあぶるやうな香が傳はる。香は可厭ではないが、少しうつたうしい。出窓を開けた。おゝ、降る〳〵、壯に白い。まむかうの黒べいも櫻がかぶさつて眞白だ。さつと風で消したけれども、しめた後は又こもつて咽せつぽい。濱野さんも咳して居た。寒餅でも出す氣だつたか、家内が立つて、この時、はじめて、座敷の方のふすまを開けた、……と思ふと、ひし〳〵と疊にくひ込んで、そのくせ飛ぶやうな音を立てて、「水、水……」何と、立つと、もう〳〵として、八疊は黒い吹雪。
煙の波だ。荒磯の巖の炬燵が眞赤だ。が此時燃拔けては居なかつた。後で見ると、櫓の兩脚からこたつの縁、すき間をふさいだ小布團を二枚黒焦に、下がけの裾を燒いて、上へ拔けて、上がけの三布布團の綿を火にして、表が一面に黄色にいぶつた。もう一呼吸で、燃え上るところであつた。臺所から、座敷へ、水も夜具も布團も一所に打ちまけて、こたつは忽ち流れとなつた。が屈強な客が居合せた。女中も働いた。家内も落ついた。私は一人、おれぢやあない、おれぢやあない、と、戸惑ひをして居たが、出しなに、踏込んだに相違ない。この時も、さいはひ何處の窓も戸も閉込んで居たから、きなつ臭いのを通り越して、少々小火の臭のするのが屋根々々の雪を這つて遁げて、近所へも知れないで、申譯をしないで濟んだ。が、寒さは寒し、こたつの穴の水たまりを見て、胴震ひをして、小くなつて畏まつた。夜具を背負はして町内をまはらせられないばかりであつた。あいにく風が強くなつて、家の周圍を吹きまはる雪が、こたつの下へ吹たまつて、パツと赤く成りさうで、一晩おびえて寢られなかつた。──下宿へ歸つた濱野さんも、どうも、おち〳〵寢られない。深夜の雪を分けて、幾度か見舞はう、と思つたほどだつたさうである。
これが節分の晩である。大都會の喧騷と雜音に、その日、その日の紛るゝものは、いつか、魔界の消息を無視し、鬼神の隱約を忘却する。……
五年とは經たぬのに──浮りした。
今年、二月三日、點燈頃、やゝ前に、文藝春秋の事について、……齋藤さんと、菅さんの時々見えるのが、その日は菅さんであつた。小稿の事である。──その夜九時頃濱野さんが來て、茶の聞で話しながら、ふと「いつかのこたつ騷ぎは、丁度節分の今夜でしたね。」といふのを半聞くうちに、私はドキリとした。總毛立つてぞつとした。──前刻、菅さんに逢つた時、私は折しも紅インキで校正をして居たが、組版の一面何行かに、ヴエスビヤス、噴火山の文宇があつた。手近な即興詩人には、明かにヱズヰオと出て居るが、これをそのまゝには用ゐられぬ。いさゝか不確かな所を、丁度可い。教へをうけようと、電氣を點けて、火鉢の上へ、あり合せた白紙をかざして、その紅いインキで、ヴヱスビヤス、ブエスビイヤス、ヴエスヴイヤス、ヴエスビイヤス、どれが正しいのでせう、と聞き〳〵──彩り記した。
あゝ、火のやうに、ちら〳〵する。
私は二階へ驅上つて、その一枚を密と懷にした。
冷たい汗が出た。
濱野さんが歸つてから、その一枚を水に浸して、そして佛壇に燈を點じた。謹んで夜を守つたのである
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「火の用心の事」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
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