五月より
泉鏡太郎



五月ごぐわつ


 はなくだしあらたれて、いけおも小濁さゝにごり、遲櫻おそざくらかげ宿やどし、椿つばきくれなゐながす。けてねむ合歡ねむはなの、面影おもかげけば、には石燈籠いしどうろうこけやゝあをうして、野茨のばらしろよひつき、カタ〳〵と音信おとづるゝ鼻唄はなうたかへるもをかし。ひなはさてみやこはもとより、きぬかろこひおもく、つまあさく、そでかゞやかぜかをつて、みどりなか涼傘ひがさかげみづにうつくしき翡翠ひすゐいろかな。浮草うきくさはなくも行方ゆくへやまなりや、うみなりや、くもるかとすればまたまばゆ太陽たいやう


六月ろくぐわつ


 遠近をちこちやまかげもりいろのきしづみ、むねきて、稚子をさなごふね小溝こみぞとき海豚いるかれておきわたる、すごきはうなぎともしぞかし。くら昨日きのふ今日けふ千騎せんきあめおそふがごとく、伏屋ふせやも、たちも、こもれるとりでかこまるゝしろたり。時鳥ほとゝぎす矢信やぶみ、さゝがに緋縅ひをどしこそ、くれなゐいろにはづれ、たゞ暗夜やみわびしきに、烈日れつじつたちまごとく、まどはなふすまひらけるゆふべ紫陽花あぢさゐはな花片はなびら一枚ひとつづゝ、くもほしうつをりよ。うつくしきひとの、葉柳はやなぎみのたる忍姿しのびすがたを、落人おちうどかとれば、あにらんや、あつ情思おもひ隱顯ちら〳〵ほたるすゞむ。きみかげむかふるものは、たはれをそか、あらず、大沼おほぬまこひ金鱗きんりんにしてひれむらさきなるなり


七月しちぐわつ


 やまに、うらに、かくれも、さま露呈あらはなる、あさひらくより、ふすま障子しやうじさへぎるさへなく、つゝむはむねうすもののみ。さじとかこ魂棚たまだな可懷なつかしき面影おもかげに、はら〳〵と小雨こさめ降添ふりそそでのあはれも、やがてがた日盛ひざかりや、人間にんげんあせり、蒟蒻こんにやくすなり、はへおとつぶてる。二時やつさがりに松葉まつばこぼれて、ゆめめて蜻蛉とんぼはねかゞやとき心太ところてんおきなこゑは、いち名劍めいけんひさぐにて、打水うちみづ胡蝶てふ〳〵おどろく。行水ぎやうずゐはな夕顏ゆふがほ納涼臺すゞみだい縁臺えんだい月見草つきみさうはんかなあまい〳〵甘酒あまざけ赤行燈あかあんどうつじゆれば、そ、青簾あをすだれ氣勢けはひあり。ねや紅麻こうまえんにして、繪團扇ゑうちは仲立なかだちに、蚊帳かやいと黒髮くろかみと、峻嶺しゆんれい白雪しらゆきと、ひとおもひいづれぞや。


八月はちぐわつ


 つきのはじめにあきてば、あさ朝顏あさがほつゆはあれど、るゝともなき薄煙うすけむりのきめぐるもひでりかげほのほやまくろそびえて、やがあつさにくづるゝにも、熱砂ねつさみなぎつて大路おほぢはしる。なやましきやなぎかぜさへ、あかありむらがごとし。あれ、け、雨乞あまごひこゑして、すさまじくせみの、あぶらのみあせしたゝるや、ひとへにおもふ、河海かかい山岳さんがくと。みねひ、みづぶ、戀人こひびとなるかな。しんならず、せんならずして、しかひと彼處かしこ蝶鳥てふとりあそぶにたり、そばがくれなる姫百合ひめゆりなぎさづたひのつばさ常夏とこなつ


九月くぐわつ


 宵々よひ〳〵稻妻いなづまは、くもうす餘波なごりにや、初汐はつしほわたるなる、うみおとは、なつくるまかへなみの、つゞみさえあきて、松蟲まつむし鈴蟲すゞむしかたちかげも、刈萱かるかやはぎうたゑがく。野人やじん蟷螂たうらうあり、をのげて茄子なすかたきをつ、ひゞきさときぬたにこそ。朝夕あさゆふそらみ、みづきよく、きりうす胡粉ごふんめ、つゆあゐく、白群青びやくぐんじやうきぬ花野原はなのばらに、ちひさき天女てんによあそべり。ほそきことごと玉蜻かげろふふ。をんなかすかあを瓔珞やうらくかゞやかしてへば、やますゝき差覗さしのぞきつゝ、やがてつきあきらかにづ。


十月じふぐわつ


 きみるや、夜寒よさむふすまうすければ、うらみふか後朝きぬ〴〵も、そでつゝまばしのぶべし。へやらぬまでむは、かぜをぎ尾花をばなのきひさしわたそれならで、あししろの、ちら〳〵と、あこがれまよゆめて、まくらかよ寢覺ねざめなり。よしそれとても風情ふぜいかな。折々をり〳〵そら瑠璃色るりいろは、玲瓏れいろうたるかげりて、玉章たまづさ手函てばこうち櫛笥くしげおく紅猪口べにちよこそこにも宿やどる。龍膽りんだういろさわやかならん。黄菊きぎく白菊しらぎく咲出さきいでぬ。可懷なつかしきは嫁菜よめなはなまがきほそ姿すがたぞかし。山家やまが村里むらざと薄紅うすくれなゐ蕎麥そばきりあはしげれるなかに、うづらけば山鳩やまばとこだまする。掛稻かけいねあたゝかう、かぶらはや初霜はつしもけて、細流せゝらぎまた杜若かきつばたひるつきわたかりは、また戀衣こひぎぬ縫目ぬひめにこそ。


十一月じふいちぐわつ


 つたふ、むかし越山ゑつざん蜥蜴とかげみづつてへうく。ときふゆはじめにして、ゑんじゆもずほしさけんであられぶ。くもくらし、くもくらし、曠野あらの徜徉さまよかり公子こうしが、けものてら炬火たいまつは、末枯うらがれ尾花をばな落葉おちばべにゆるにこそ。行暮ゆきくれて一夜ひとよ宿やどうれしさや、あはかしさへたまて、天井てんじやうすゝりうごとく、破衾やれぶすま鳳凰ほうわうつばさなるべし。ゆめめて絳欄碧軒かうらんへきけんなし。芭蕉ばせをほねいはほごとく、朝霜あさしもけるいけおもに、鴛鴦ゑんあうねむりこまやかなるのみ。戀々れん〳〵として、彽徊ていくわいし、やうやくにしてさとくだれば、屋根やねひさし時雨しぐれ晴間はれまを、ちら〳〵とひるひともちひさむしあり、小橋こばし稚子等うなゐらうたふをけ。(おほわた)い、い、まゝはしよ。


十二月じふにぐわつ


 それ、おほみそかは大薩摩おほざつまの、ものすごくもまた可恐おそろしき、荒海あらうみ暗闇やみのあやかしより、山寺やまでらがく魍魎まうりやういたるまで、みぞれつてこほりつゝ、としたてくといへども、巖間いはまみづさゝやきて、川端かはばた辻占つじうらに、春衣はるぎうめぐるぞかし。水仙すゐせんかを浮世小路うきよこうぢに、やけざけ寸法すんぱふは、鮟鱇あんかうきもき、懷手ふところで方寸はうすんは、輪柳わやなぎいとむすぶ。むすぶもくも女帶をんなおびや、いつもうぐひす初音はつねかよひて、春待月はるまちつきこそ面白おもしろけれ。

大正八年五月─十二月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年1020日第1刷発行

   1988(昭和63)年112日第3刷発行

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

※表題は底本では、「五月ごぐわつより」とルビがついています。

入力:門田裕志

校正:川山隆

2011年86日作成

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