深川の唄
永井荷風
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四谷見付から築地両国行の電車に乗った。別に何処へ行くという当もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育の高架鉄道、巴里の乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船なぞで、何時とはなしに妙な習慣になってしまった。
いい天気である。あたたかい。風も吹かない。十二月も早や二十日過ぎなので、電車の馳せ行く麹町の大通りには、松竹の注目飾り、鬼灯提灯、引幕、高張、幟や旗のさまざまが、汚れた瓦屋根と、新築した家の生々しい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの日光が斜めに眩しく照している。調子の合わない広告の楽隊が彼方此方から騒々しく囃し立てている。人通りは随分烈しい。
けれども、電車の中は案外すいていて、黄い軍服をつけた大尉らしい軍人が一人、片隅に小さくなって兵卒が二人、折革包を膝にして請負師風の男が一人、掛取りらしい商人が三人、女学生が二人、それに新宿か四ツ谷の婆芸者らしい女が一人乗っているばかりであった。日の光が斜めに窓からさし込むので、それを真面に受けた大尉の垢じみた横顔には剃らない無性髯が一本々々針のように光っている。女学生のでこでこした庇髪が赤ちゃけて、油についた塵が二目と見られぬほどきたならしい。一同黙っていずれも唇を半開きにしたまま遣り場のない目で互に顔を見合わしている。伏目になって、いろいろの下駄や靴の先が並んだ乗客の足元を見ているものもある。何万円とか書いた福引の広告ももう一向に人の視線を引かぬらしい。婆芸者が土色した薄ぺらな唇を捩じ曲げてチュウッチュウッと音高く虫歯を吸う。請負師が大叭の後でウーイと一ツ噯をする。車掌が身体を折れるほどに反して時々はずれる後の綱をば引き直している。
麹町の三丁目で、ぶら提灯と大きな白木綿の風呂敷包を持ち、ねんねこ半纏で赤児を負った四十ばかりの醜い女房と、ベエスボオルの道具を携えた少年が二人乗った。少年が夢中で昨日済んだ学期試験の成績を話し出す。突然けたたましく泣き出す赤児の声に婆芸者の歯を吸う響ももう聞えなくなった。乗客は皆な泣く子の顔を見ている。女房はねんねこ半纏の紐をといて赤児を抱き下し、渋紙のような肌をば平気で、襟垢だらけの襟を割って乳房を含ませる。赤児がやっとの事泣き止んだかと思うと、車掌が、「半蔵門、半蔵門でございます。九段、市ヶ谷、本郷、神田、小石川方面のお方はお乗換え──あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒な乳房をぶらぶら、片手に赤児片手に提灯と風呂敷包みを抱え込み、周章てふためいて降り掛ける。その入口からは、待っていた乗客が案外にすいている車と見るやなお更に先きを争い、出ようとする女房を押しかえして、われがちに座を占める。赤児がヒーヒー喚き立てる。おしめが滑り落ちる。乗客が構わずそれをば踏み付けて行こうとするので、此度は女房が死物狂いに叫び出した。口癖になった車掌は黄い声で、
「お忘れものの御在いませんように。」と注意したが、見るから汚いおしめの有様。といって黙って打捨てても置かれず、詮方なしに「おあぶのう御在いますから、御ゆるり願います。」
漸くにして、チインと引く鈴の音。
「動きます。」
車掌の声に電車ががたりと動くや否や、席を取りそこねて立っていた半白の婆に、その娘らしい十八、九の銀杏返し前垂掛けの女が、二人一度に揃って倒れかけそうにして危くも釣革に取りすがった。同時に、
「あいたッ。」と足を踏まれて叫んだものがある。半纏股引の職人である。
「まア、どうぞ御免なすって……。」と銀杏返は顔を真赤に腰をかがめて会釈しようとすると、電車の動揺でまたよろけ掛ける。
「ああ、こわい。」
「おかけなさい。姉さん。」
薄髯の二重廻が殊勝らしく席を譲った。
「どうもありがとう……。」
しかし腰をかけたのは母らしい半白の婆であった。若い女は丈伸をするほど手を延ばして吊革を握締める。その袖口からどうかすると脇の下まで見え透きそうになるのを、頻と気にして絶えず片手でメレンスの襦袢の袖口を押えている。車はゆるやかな坂道をば静かに心地よく馳せ下りて行く。突然足を踏まれた先刻の職人が鼾声をかき出す。誰れかが『報知新聞』の雑報を音読し初めた。
三宅坂の停留場は何の混雑もなく過ぎて、車は瘤だらけに枯れた柳の並木の下をば土手に沿うて走る。往来の右側、いつでも夏らしく繁った老樹の下に、三、四台の荷車が休んでいる。二頭立の箱馬車が電車を追抜けて行った。左側は車の窓から濠の景色が絵のように見える。石垣と松の繁りを頂いた高い土手が、出たり這入ったりして、その傾斜のやがて静かに水に接する処、日の光に照らされた岸の曲線は見渡すかぎり、驚くほど鮮かに強く引立って見えた。青く濁った水の面は鏡の如く両岸の土手を蔽う雑草をはじめ、柳の細い枝も一条残さず、高い空の浮雲までをそのままはっきりと映している。それをば土手に群る水鳥が幾羽となく飛入っては絶えず、羽ばたきの水沫に動し砕く。岸に沿うて電車がまがった。濠の水は一層広く一層静かに望まれ、その端れに立っている桜田門の真白な壁が夕方前のやや濁った日の光に薄く色づいたままいずれが影いずれが実在の物とも見分けられぬほど鮮かに水の面に映っている。間もなく日比谷の公園外を通る。電車は広い大通りを越して向側のやや狭い街の角に止まるのを待ちきれず二、三人の男が飛び下りた。
「止りましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した怪我ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、後の綱のはずれかかるのを一生懸命に引直す。車は八重に重る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人交っていた。
例の上り降りの混雑。車掌は声を黄くして、
「どうぞ中の方へ願います。あなた、恐入りますが、もう少々最一ツ先きの釣革に願います。込み合いますから御懐中物を御用心。動きます。ただ今お乗り換えの方は切符を拝見致します。次は数寄屋橋、お乗換の方は御在いませんか。」
「ありますよ。ちょいと、乗りかえ。本所は乗り換えじゃないんですか。」髪を切り下げにした隠居風の老婆が逸早く叫んだ。
けれども車掌は片隅から一人々々に切符を切て行く忙しさ。「往復で御在いますか。十銭銀貨で一銭のお釣で御在います。お乗換は御在いませんか。」
「乗換ですよ。ちょいと。」本所行の老婆は首でも絞められるように、もう金切声になっている。
「おい、回数券だ、三十回……。」
鳥打帽に双子縞の尻端折、下には長い毛糸の靴足袋に編上げ靴を穿いた自転車屋の手代とでもいいそうな男が、一円紙幣二枚を車掌に渡した。車掌は受取ったなり向うを見て、狼狽てて出て行き数寄屋橋へ停車の先触れをする。尾張町まで来ても回数券を持って来ぬので、今度は老婆の代りに心配しだしたのはこの手代で。しかしさすがに声はかけず、鋭い眼付で瞬き一ツせず車掌の姿に注目していた。車の硝子窓から、印度や南清の殖民地で見るような質素な実利的な西洋館が街の両側に続いて見え出した。車の音が俄かに激しい。調子の合わない楽隊が再び聞える。乃ち銀座の大通を横切るのである。乗客の中には三人連の草鞋ばき菅笠の田舎ものまで交って、また一層の大混雑。後の降り口の方には乗客が息もつけないほどに押合い今にも撲り合いの喧嘩でも始めそうにいい罵っている。
「込み合いますから、どうぞお二側に願います。」
釣革をば一ツ残らずいろいろの手が引張っている。指環の輝くやさしい白い手の隣りには馬蹄のように厚い母指の爪が聳えている。垢だらけの綿ネルシャツの袖口は金ボタンのカフスと相接した。乗換切符の要求、田舎ものの狼狽。車の中は頭痛のするほど騒しい中に、いつか下町の優しい女の話声も交るようになった。
木挽町の河岸へ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの露地口まで、中折帽に提革包の男を追いかけて行った。後からつづいて停車した電車の車掌までが加勢に出かけて、往来際には直様物見高い見物人が寄り集った。
車の中から席を去って出口まで見に行くものもある。「けちけちするない──早く出さねえか──正直に銭を払ってる此輩アいい迷惑だ。」と叫ぶものもある。
不時の停車を幸いに、後れ走せにかけつけた二、三人が、あわてて乗込んだ。その最後の一人は、一時に車中の目を引いたほどの美人で、赤いてがらをかけた年は二十二、三の丸髷である。オリブ色の吾妻コオトの袂のふりから二枚重の紅裏を揃わせ、片手に進物の菓子折ででもあるらしい絞りの福紗包を持ち、出口に近い釣革へつかまると、その下の腰掛から、
「あら、よし子さんじゃいらッしゃいませんか。」と同じ年頃、同じような風俗の同じような丸髷が声をかけた。
「あら、まア……。」と立っている丸髷はいかにもこの奇遇に驚いたらしく言葉をきる。
「五年ぶり……もっとになるかも知れませんわね。よし子さん。」
「ほんとに……あの、藤村さんの御宅で校友会のあったあの時お目にかかったきりでしたねえ。」
電車がやっと動き始めた。
「よし子さん、おかけ遊ばせよ、かかりますよ。」と下なる丸髷は、かなりに窮屈らしく詰まっている腰掛をグット左の方へ押しつめた。
押詰められて、じじむさい襟巻した金貸らしい爺が不満らしく横目に睨みかえしたが、真白な女の襟元に、文句はいえず、押し敷かれた古臭い二重廻しの翼を、だいじそうに引取りながら、順送りに席を居ざった。赤いてがらは腰をかけ、両袖と福紗包を膝の上にのせて、
「校友会はどうしちまったんでしょう、この頃はさっぱり会費も取りに来ないんですよ。」
「藤村さんも、おいそがしいんですよ、きっと。何しろ、あれだけのお店ですからね。」
「お宅さまでは皆さまおかわりも……。」
「は、ありがとう。」
「どちらまでいらッしゃいますの、私はもう、すぐそこで下りますの。」
「新富町ですか。わたくしは……。」
いいかけた処へ車掌が順送りに賃銭を取りに来た。赤いてがらの細君は帯の間から塩瀬の小い紙入を出して、あざやかな発音で静かに、
「のりかえ、ふかがわ。」
「茅場町でおのりかえ。」と車掌が地方訛りで蛇足を加えた。
真直な往来の両側には、意気な格子戸、板塀つづき、磨がらすの軒燈さてはまた霜よけした松の枝越し、二階の欄干に黄八丈に手拭地の浴衣をかさねた褞袍を干した家もある。行書で太く書いた「鳥」「蒲焼」なぞの行燈があちらこちらに見える。忽ち左右がぱッと明く開けて電車は一条の橋へと登りかけた。
左の方に同じような木造の橋が浮いている。見下すと河岸の石垣は直線に伸びてやがて正しい角度に曲っている。池かと思うほど静止した堀割の水は河岸通に続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返をつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度汐時であろう。泊っている荷舟の苫屋根が往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと真直に立昇っている。鯉口半纏に向鉢巻の女房が舷から子供のおかわを洗っている。橋の向角には「かしぶね」とした真白な新しい行燈と葭簀を片寄せた店先の障子が見え、石垣の下には舟板を一枚残らず綺麗に組み並べた釣舟が四、五艘浮いている。人通りは殆どない、もう四時過ぎたかも知れない。傾いた日輪をば眩しくもなく正面に見詰める事が出来る。この黄味の強い赤い夕陽の光に照りつけられて、見渡す人家、堀割、石垣、凡ての物の側面は、その角度を鋭く鮮明にしてはいたが、しかし日本の空気の是非なさは遠近を区別すべき些少の濃淡をもつけないので、堀割の眺望はさながら旧式の芝居の平い書割としか思われない。それが今、自分の眼にはかえって一層適切に、黙阿弥、小団次、菊五郎らの舞台をば、遺憾なく思い返させた。あの貸舟、格子戸づくり、忍返し……。
折もよく海鼠壁の芝居小屋を過ぎる。しかるに車掌が何事ぞ、
「スントミ町。」と発音した。
丸髷の一人は席を立って、「それじゃ、御免ください、どうぞお宅へよろしく。」
「ちッと、おひまの時いらしッて下さい。さよなら。」
電車は桜橋を渡った。堀割は以前のよりもずッと広く、荷船の往来も忙しく見えたが、道路は建て込んだ小家と小売店の松かざりに、築地の通りよりも狭く貧しげに見え、人が何という事もなく入り乱れて、ぞろぞろ歩いている。坂本公園前に停車すると、それなり如何ほど待っていても更に出発する様子はない。後にも先にも電車が止っている。運転手も車掌もいつの間にやら何処へか行ってしまった。
「また喰ったんだ。停電にちげえねえ。」
糸織の羽織に雪駄ばきの商人が臘虎の襟巻した赧ら顔の連れなる爺を顧みた。萌黄の小包を首にかけた小僧が逸早く飛出して、「やア、電車の行列だ。先の見えねえほど続いてらア。」と叫ぶ。
車掌が革包を小脇に押えながら、帽子を阿弥陀に汗をふきふき駈け戻って来て、「お気の毒様ですがお乗りかえの方はお降りを願います。」
声を聞くと共に乗客の大半は一度に席を立った。その中には唇を尖らして、「どうしたんだ。よっぽどひまが掛るのか。」
「相済みません、この通りで御在います。茅場町までつづいておりますから……。」
菓子折らしい福紗包を携えた彼の丸髷の美人が車を下りた最後の乗客であった。
自分は既に述べたよう何処へも行く当てはない。大勢が下車するその場の騒ぎに引入れられて何心もなく席を立ったが、すると車掌は自分が要求もせぬのに深川行の乗換切符を渡してくれた。
人家の屋根に日を遮られた往来には海老色に塗り立てた電車が二、三町も長く続いている。茅場町の通りから斜めにさし込んで来る日光で、向角に高く低く不揃に立っている幾棟の西洋造りが、屋根と窓ばかりで何一ツ彫刻の装飾をも施さぬ結果であろう。如何にも貧相に厚みも重みもない物置小屋のように見えた。往来の上に縦横の網目を張っている電線が透明な冬の空の眺望を目まぐるしく妨げている。昨日あたり山から伐出して来たといわぬばかりの生々しい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬほど遠慮会釈もなく突立っている。その上に意匠の技術を無視した色のわるいペンキ塗の広告がベタベタ貼ってある。竹の葉の汚らしく枯れた松飾りの間からは、家の軒ごとに各自勝手の幟や旗が出してあるのが、いずれも紫とか赤とかいう極めて単純な色ばかりを択んでいる。
自分は憤然として昔の深川を思返した。幸い乗換の切符は手の中にある。自分は浅間しいこの都会の中心から一飛びに深川へ行こう──深川へ逃げて行こうという押えられぬ欲望に迫められた。
数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、恍惚、悲しみ、悦びの感激を満足させてくれた処であった。電車はまだ布設されていなかったが既にその頃から、東京市街の美観は散々に破壊されていた中で、河を越した彼の場末の一劃ばかりがわずかに淋しく悲しい裏町の眺望の中に、衰残と零落とのいい尽し得ぬ純粋一致調和の美を味わしてくれたのである。
その頃、繁華な市中からこの深川へ来るには電車の便はなし、人力車は賃銭の高いばかりか何年間とも知れず永代橋の橋普請で、近所の往来は竹矢来で狭められ、小石や砂利で車の通れぬほど荒らされていた処から、誰れも彼れも、皆汐溜から出て三十間堀の堀割を通って来る小さな石油の蒸汽船、もしくは、南八丁堀の河岸縁に、「出ますよ出ますよ」と呼びながら一向出発せずに豆腐屋のような鈴ばかり鳴し立てている櫓舟に乗り、石川島を向うに望んで越前堀に添い、やがて、引汐上汐の波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の河下を横ぎり、越中島から蛤町の堀割に這入るのであった。不動様のお三日という午過ぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根、繭玉、成田山の提灯、泥細工の住吉踊の人形なぞ、さまざまな玩具を手にさげたその中には根下りの銀杏返しや印半纏の頭なども交っていて、幾艘の早舟は櫓の音を揃え、碇泊した荷舟の間をば声を掛け合い、静な潮に従って流れて行く。水にうつる人々の衣服や玩具や提灯の色、それをば諸車止と高札打ったる朽ちた木の橋から欄干に凭れて眺め送る心地の如何に絵画的であったろう。
夏中洲崎の遊廓に、燈籠の催しのあった時分、夜おそく舟で通った景色をも、自分は一生忘れまい。苫のかげから漏れる鈍い火影が、酒に酔って喧嘩している裸体の船頭を照す。川添いの小家の裏窓から、いやらしい姿をした女が、文身した裸体の男と酒を呑んでいるのが見える。水門の忍返しから老木の松が水の上に枝を延した庭構え、燈影しずかな料理屋の二階から芸者の歌う唄が聞える。月が出る。倉庫の屋根のかげになって、片側は真暗な河岸縁を新内のながしが通る。水の光で明く見える板橋の上を提灯つけた車が走る。それらの景色をばいい知れず美しく悲しく感じて、満腔の詩情を托したその頃の自分は若いものであった。煩悶を知らなかった。江戸趣味の恍惚のみに満足して、心は実に平和であった。硯友社の芸術を立派なもの、新しいものだと思っていた。近松や西鶴が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい尽し得るものと安心していた。音波の動揺、色彩の濃淡、空気の軽重、そんな事は少しも自分の神経を刺戟しなかった。そんな事は芸術の範囲に入るべきものとは少しも予想しなかった。日本は永久自分の住む処、日本語は永久自分の感情を自由にいい現してくれるものだと信じて疑わなかった。
自分は今、髯をはやし、洋服を着ている。電気鉄道に乗って、鉄で出来た永代橋を渡るのだ。時代の激変をどうして感ぜずにいられよう。
夕陽は荷舟や檣の輻輳している越前堀からずっと遠くの方をば、眩しく烟のように曇らしている。影のように黒く立つ石川島の前側に、いつも幾艘となく碇泊している帆前船の横腹は、赤々と日の光に彩られた。橋の下から湧き昇る石炭の煙が、時々は先の見えぬほど、橋の上に立ち迷う。これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼は忽ち佃島の彼方から深川へとかけられた一条の長い橋の姿に驚かされた。堤の上の小さい松の並木、橋の上の人影までが、はっきり絵のように見える。自分は永代橋の向岸で電車を下りた。その頃は殆ど門並みに知っていた深川の大通り。角の蛤屋には意気な女房がいた。名物の煎餅屋の娘はどうしたか知ら。一時跡方もなく消失せてしまった二十歳時分の記憶を呼び返そうと、自分はきょろきょろしながら歩く。
無論それらしい娘も女房も今は見当てられようはずはない。しかし深川の大通りは相変らず日あたりが悪く、妙にこの土地ばかり薄寒いような気がして、市中は風もなかったのに、此処では松かざりの竹の葉がざわざわいって動いている。よく見覚えのある深川座の幟がたった一本淋し気に、昔の通り、横町の曲角に立っていたので、自分は道路の新しく取広げられたのをも殆んど気付かず、心は全く十年前のなつかしい昔に立返る事が出来た。
つい名を忘れてしまった。思い出せない──一条の板橋を渡ると、やがて左へ曲る横町に幟の如く釣した幾筋の手拭が見える。紺と黒と柿色の配合が、全体に色のない場末の町とて殊更強く人目を牽く。自分は深川に名高い不動の社であると、直様思返してその方へ曲った。
細い溝にかかった石橋を前にして、「内陣、新吉原講」と金字で書いた鉄門をはいると、真直な敷石道の左右に並ぶ休茶屋の暖簾と、奉納の手拭が目覚めるばかり連続って、その奥深く石段を上った小高い処に、本殿の屋根が夕日を受けながら黒く聳えている。参詣の人が二人三人と絶えず上り降りする石段の下には易者の机や、筑波根売りの露店が二、三軒出ていた。そのそばに児守や子供や人が大勢立止っているので、何かと近いて見ると、坊主頭の老人が木魚を叩いて阿呆陀羅経をやっているのであった。阿呆陀羅経のとなりには塵埃で灰色になった頭髪をぼうぼう生した盲目の男が、三味線を抱えて小さく身をかがめながら蹲踞んでいた。阿呆陀羅経を聞き飽きた参詣戻りの人たちが三人四人立止る砂利の上の足音を聞分けて、盲目の男は懐中に入れた樫のばちを取り出し、ちょっと調子をしらべる三の糸から直ぐチントンシャンと弾き出して、低い呂の声を咽喉へと呑み込んで、
あきイ──の夜
と長く引張ったところで、つく息と共に汚い白眼をきょろりとさせ、仰向ける顔と共に首を斜めに振りながら、
夜は──ア
と歌った。声は枯れている。三味線の一の糸には少しのさわりもない。けれども、歌出しの「秋──」という節廻しから拍子の間取りが、山の手の芸者などには到底聞く事の出来ぬ正確な歌沢節であった。自分はなつかしいばかりでない、非常な尊敬の念を感じて、男の顔をば何んという事もなくしげしげ眺めた。
さして年老っているというでもない。無論明治になってから生れた人であろう。自分は何の理由もなく、かの男は生れついての盲目ではないような気がした。小学校で地理とか数学とか、事によったら、以前の小学制度で、高等科に英語の初歩位学んだ事がありはしまいか。けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。そして栄華の昔には洒落半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お浚いの座敷の緋毛氈、祭礼の万燈花笠に酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない。よしまた、知ったにしても、こういう江戸ッ児はわれら近代の人の如く熱烈な嫌悪憤怒を感じまい。我れながら解せられぬ煩悶に苦しむような執着を持っていまい。江戸の人は早く諦めをつけてしまう。すぐと自分で自分を冷笑する特徴をそなえているから。
高い三の糸が頻りに響く。おとするものは──アと歌って、盲人は首をひょいと前につき出し顔をしかめて、
鐘──エエばアかり──
という一番高い節廻をば枯れた自分の咽喉をよく承知して、巧に裏声を使って逃げてしまった。
夕日が左手の梅林から流れて盲人の横顔を照す。しゃがんだ哀れな影が如何にも薄く後の石垣にうつっている。石垣を築いた石の一片ごとに、奉納した人の名前が赤い字で彫りつけてある。芸者、芸人、鳶者、芝居の出方、博奕打、皆近世に関係のない名ばかりである。
自分はふと後を振向いた。梅林の奥、公園外の低い人家の屋根を越して西の大空一帯に濃い紺色の夕雲が物すごい壁のように棚曳き、沈む夕日は生血の滴る如くその間に燃えている。真赤な色は驚くほど濃いが、光は弱く鈍り衰えている。自分は突然一種悲壮な感に打たれた。あの夕日の沈むところは早稲田の森であろうか。本郷の岡であろうか。自分の身は今如何に遠く、東洋のカルチェエ・ラタンから離れているであろう。盲人は一曲終ってすぐさま、
「更けて逢ふ夜の気苦労は──」と歌いつづける。
自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下に佇んで、歌沢の端唄を聴いていたいと思った。永代橋を渡って帰って行くのが堪えられぬほど辛く思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨の如く滅びてしまいたいような気がした。
ああ、しかし、自分は遂に帰らねばなるまい。それが自分の運命だ、河を隔て堀割を越え坂を上って遠く行く、大久保の森のかげ、自分の書斎の机にはワグナアの画像の下にニイチェの詩ザラツストラの一巻が開かれたままに自分を待っている……
底本:「すみだ川・新橋夜話 他一篇」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
2005(平成17)年11月25日第23刷発行
底本の親本:「荷風小説 二」岩波書店
1986(昭和61)年6月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:米田
2010年9月5日作成
2011年4月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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