権助の恋
正岡子規
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夜半にふと眼をさますと縁側の処でガサガサガタと音がするから、飼犬のブチが眠られないで箱の中で騒いで居るのであろうと思うて見たが、どうもそうでない。音の工合が犬ばかりでもないようだ。きっと曲者が忍びこんだのに違いない。犬に吠えられないように握飯でも喰わして居るのだろう、一つ驚かしてやろうと、考えて居る内、忽ちすさまじい音がして、犬は死物狂いの声を出して逃出したようであった。「誰だ」ト内からいうと少しあわてた声で「犬だ犬だ」トいう。「変だナ犬だ犬だなんて、誰だヨそこに居るのは」。「ナニ犬だヨ」。「オヤまだあんな事いってる、犬だ犬だというのは誰だというのだヨ」。「ナニ犬だヨ」。「オヤおかしいネ、犬が口きくかい、その口きいて居るのは誰だヨ」。「ナニ犬の代理だよ」。「オヤ犬の代理だと、いよいよおかしいネ、誰だよ、犬の代理なんかして居るのは」。「権助でがすヨ」。「権助かい、権助なら権助と早くいえば善いじゃないか、犬だ犬だなんて」。「だって間がわるいでがすヨ」。「間がわるい、なぜ間がわるいのだヨ」。「あんだって間がわるいでがすヨ」。「変だねエ、お前そこで何して居たのだヨ」。「白状しますべいか」。「白状する、何を白状するのだ、何か知らないが悪い事があるなら白状するが善い」。「実は夜べえに来たでがすヨ」。「夜這に来た、夜這に来たッておれのうちに女気は一人も半分もないじゃないか」。「ナニあるでがすヨ」。「変な事いうネ、おれの女房は三年前に死んだし、娘は持たず、お三どんだッて置かないのはお前も知ってる通りだろうじゃないか」。「なんといわしっても可愛い可愛い娘ッ子があるから仕方がねエだヨ」。「娘ッ子がある、どんな娘ッ子がある」。「ソレ顔の黒い、手足の白い、背中が黒くって腹が白くッて」。「オヤ変な娘ッ子だネ、そうしてその娘ッ子がおとなしくなびいたかい」。「イヤしくじったでがすヨ、尻尾をひッつかまえると驚いて吠えただからネ」。
底本:「飯待つ間」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
2001(平成13)年11月7日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
1975(昭和50)年10月刊
※底本では、表題の下に「〔署名不詳〕」と記載されています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年4月22日作成
2011年5月11日修正
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