その頃の生活
中原中也



 暑中休暇が、もう終りに近かつた。私は休暇中の自分の予定が、まだ三分の一も出来てゐないことでヂリヂリしてゐた。それに一ヶ月余りといふものを寝て起きて食ふと言ふ全くその文字通りの日暮しのために、いつときも我慢し切れなくなつてゐた。

 或日父は近頃にない早く、外来患者も病室の方も済まして、表の間の卓に頬肘を突いた儘、縁先の河鹿の鉢をヂツと瞶めてゐた。私はその父を見ると何か言つて見たくなつた。私は下らない刺戟でも欲しい程退屈を感じてゐたのだ。そして余り切望するでもないことでも引つ張り出すより他仕方なかつた。

「お父さん、今から近所に遊びに行つて来ますよ。」

「またそんなことをいふ。一度不可ないつたら不可ない。」

 父は私の小さい時から、内から外へは出来得る限り出さなかつた。外から来る子供だつて大抵は追ひ帰してしまふのであつた。

「此の近所に一軒だつて上品な家はない。みんな下層民の寄り集りぢやあないか。」

 父はさう附け加へた。その語気には父がもはや昂奮してることが明かに見えてゐた。私は父が自分のさうした昂奮のために放つ言葉を、親が子を諭す言葉だと、習慣的に信じて言つてることが俄かに堪らないことに思へ出した。「人間の昂奮とかいふものはさう永続的でないのだから……」──私はそんな理窟を勝手に捏ね揚げて自分の心を制しようと強めた。けれども父は昂奮と一緒に条件的なことを言ふのだから私の自由は狭められるばかりだつた。

「さう酷く言はなくつたつて……お父さん。」

「決して酷くない。」

 父はいやに落付いて言つた。

「それぢやあ図書館に行つて来ますよ。」

「まだそんなことを言ふ。それ程必要な本があれば図書館に行かなくつたつて、ワタシが買つてやると言つてるぢやあないか。」

 さう言つた父は急に立ち上がつて河鹿に手水をやつた。再び元の所に帰つた。そしてまた今更の様に口を切つた。

「それぢやあない、ワタシは学校以外には一切出すまいかとさへ思つてゐる。昨晩もお母さんと話したんだが。」

 私はそれを聞いて本当だとは思へなかつた。何れほんの今発作的に浮んだに過ぎない父の考へだと決め込んだ。

 父は私と反対の方の、床の間の方に顔をグツと向けた。それで私も庭の方を向いて眺めるともなしに躑躅の根本の所を眺めた。私がまだ六つの頃、広島にゐた時、下女に連れられて買ひ物に出ようとすると庭の出口の躑躅の下から蛇が出て来た事を思ひ出した。昨日迄大変暑かつたのにも今日はボンヤリした日が射してゐて、時々夕立でも降らせさうな雲の塊が乾き切つた庭の土を薄暗くしたり、そして稀々しくも地面を匍ふやうな微風が所々に生えた雑草などを揺るので、私の心は思ひ出を巡るに似合はしい気分になつて、その蛇の思ひ出はだんだん拡がつていつた。

 私は自分の胸に今動いてゐるものを掻き消してまた言ひ出した。

「僕はこの休暇中旅行だつてしたことはないのですもの図書館位行きますよ。」

「そりやあお前が成績を悪くするからだ。何もワタシは絶対に旅行させないといふのぢやあない。」

「成績が悪ければこそ旅行でもしてみる方が好いのですよ。」

「そんなこと、私は知らない。」

 父も、私も漫然とそんなことを言ひ合つてる時、ヒツとした瞬間、私は一生に一度しかない此の夏休みを、旅行しないといふことがとても尊い物でも取り逃がす様な気持が矢鱈に湧き上つて来た。──それは私に変な癖があるのだが、一度私が矢張広島の頃、父が東京に出張するといつて出る時、私はそれまでは何でもなかつたが、父の俥がいよいよ玄関を出る時急に人生の大切な岐路にでも立たせられたやうな気がして来て、泣く泣く父の俥の後を二三町ばかり泣きながら夢中に追つ駆けたことがあつた。父は汽車から私が脳病でも起しはすまいかと言つて端書を寄こした位だつた。──恰度その時の感じが今も起こつて来た。

「お父さん、僕は旅行する。如何しても旅行しますよ。」

「またお前が急にそんなことを言ひ出す。言はして置けば切りがない。切角此の頃にない午前中に今日は時間の余裕があつたのぢやあないか。お前も少しは私のことを考へろ。」

 父は前よりも酷く言つた。私は酷くなつた父は若い様な気持がして、何だか心強くなつて来た。

「毎日々々、何か一言不服かなにか言はないことがない。──書斎に半日でも落ちついてはゐないのだから。」

「だから不服な僕を追つ放して下さいつてのですよ。それでちやんと人間になつて帰るのですから。」

「それ、そのことだけは言はないで呉れ。お前が一人でやつて行けるものでもないし。」

 父は涙ぐんでゐた。私は小学の頃よく父から出て行けと言はれた。一度も小学から私の不可ないことを知らせた手紙が来た時なぞ、父はそれを仏壇にのせて泣いた後、取りあへず手近にあつた六百円を出して、私にアメリカに蜜柑揉ぎにでも行けと言つたことがあつた。それが私から出して呉れといふ此の頃では、出せと言へば父は何時も涙ぐんで断るのであつた。

「二日でも三日でも好いから旅行しますよ。ね、好いでせう。」

 私はまたダダを捏ねた。だが父はもうそれに答へなかつた。

「御飯ですよ。」

 母が呼んだ。父は直ぐその方に行つた。私は父に隠れて喫つてゐた煙草がフトコロにあつたので、それが御飯の時若しか転んで出でもすると不可ないと思つてそれを書斎に持つて行つて本棚の後に投げて置いた。

 私が御飯の間に這入ると父と母はしてゐた話を急に止めた。私のことを話してゐたなと私は思つた。

 私がたつた一膳で止めて立たうとすると、祖母が腹でも悪いのかと言ひ出した。父も母も心配して何だとか彼だとか言つた。私は好い加減に胡魔化して、書斎に帰つた。

 肉親は五月蠅い、と思はず、何時もながら痛感した。

 そして如何かかうか余り父との言合ひが大きいことにならなかつたことをひそかに悦んだ。



 母は髪を結つてゐた。その背後の間では義理の祖母が、洗濯の済んだ幾枚もの着物を畳んでゐた。祖母──母の母──もその傍で子供の着物を繕つてゐた。

 可なり思ふ様に詩の出来た私は、近頃になく晴々しい気持になつて、もう書斎にヂツとしてゐられなかつた。書斎から裏の方をみると、田の中を一条に二哩近くも続いた、元軽便車の通つてゐた路が、まだ午前らしい日に輝いて見えた。高校の乗馬倶楽部の連中が馬に乗つて通つた。向ふから来る自転車のベルにチカチカ日光が反射した。私は私以外の人間が実に羨望に絶えないもののやうに思はれた。

 のこのこと書斎を出て行つた。そして母が髪を結つてたのでその傍にゴロンと仰向きに寝転んだ。

「今日は珍しいよく勉強だと思つてゐたら、そろそろ出て来たね。」

 母が言つた。

「もつとおしなさいよ。」

「またそんな渋いことかあ。誰だつてそれ程言はれたら心棒は出来ないから。」

「併し成績を御覧なさい。」

「実に神経屋だからなあ。」

「神経屋ぢやあない、あんたが間違ひぢや。」

 祖母が口を入れた。

 私はもう二三年前の自分だつたら如何でも神経屋である理由を説かうとした筈である。けれどももう今は大分打算的な頭に、これでも以前に比べれば余つ程なつてゐるのだ。

 鏡台のある間の二三間ばかり向ふは直ぐに病室だつた。急にその病室から高い笑ひ声が聞えて来ると、私は母と話したことが全部その病室まで聞えたために笑つたのかと気懸りになつた。私はとても小心者の一面があるのだ。で上体をヂイツと擡げて、病室の方をみた。見舞の人達が此方を見てゐたので私は大変気持が悪かつた。

「そこの、寄りつきの室の患者は如何したの。」

「あれは──あんた昨晩ユンベ知らなかつたかね、あゝもう寝てゐたつけね。あれはあんた、田に引く水のことで喧嘩をして胸に石を投げられて傷をした人ですよ。──あんたがたでも、仮令他人ヒトと他人との喧嘩でも、喧嘩である時は何でも好いから其処から遠去かることですよ。石でも当つて、まああれなんかは当り所が好かつたけれど。」

 私はまだ母が言はうとするのを口止めして置いて言つた。

「それが神経屋なんですよ。直ぐそんな所まで話が来るのが。」

「いや、親といふものは誰でも子が可愛いからさうなるのですよ。決して悪い積ぢやあないのだから。」

「それは分つてるけれど、併し他所ヨソの親は皆々お母さん程極端ぢやあない。」

「そりやあんたがまだ知らないからそんなことを言ふ。」

「正ちやん、人が笑ひますよ、そんなことを言ふと。」

 祖母が憤る様に言つた。

「親が子を可愛がると言ふのが……さあ如何言はうか……意志的意識の世界で三文の値打があるだらうかてなあ──そりやあ親が子を可愛がるやうになつてることも必要でせう、併しそれが人間の口から如何の斯うのつて問題になるべき性質のものぢやないなあ。」

「道理は道理、学問は学問。お祖母さんだつて道理なら年を取つてるだけよく知つてゐます。」

 祖母は何時も私の言葉が少し堅くなると、直ぐそのお定り文句を出した。寺小屋育ちの祖母には、中学の学問と言ふものが、非常な大した物と思はれるのであつた。

 私は病室の人達が此方の話を聞いてゐると思つた。百姓の彼等は小さいながらブルヂョアの我々の家の中といふものが、それでなくても好奇の目を視張るに十分な対象だつたのだ。

「却々言ふことが聴かれんと見えるな。」──さうした微かな声が私の耳に這入つた。私は──天才気取りでゐた私は──彼等をみたりすると自負心がムクムクつと頭を伸しあげて来るのが常だつた。

「何を言ふ、低脳児が。」

 小さい声で私はさう言つた。母がそれを目配せして止めた。

「直ぐに此の人は何か口を出す。あんな者を相手にして。平生大きい口を叩く癖に。」

 祖母が余程小声で言つた。

「そんなに人別けをしなくたつて好い。どうせ僕も乞食が目的ですから。」

「そんなことはもうお止しなさいよ。言ふことだけだつて。」

 母がヒステリックな調子で言つた。

「黙る黙る。」

 さう言つて私は其処を立ち退かうかとも思つた。けれどもまた祖母と祖母との争ひなどが起つたり、母がそれにキン〳〵しだすと不可ないといふ心配もあつたし、それに私の喋舌り出すと止められない、つまらないことにでも力を入れたりするタチが却々そこを退かうともした私を許さなかつた。

「神経屋とかヒステリーだとか言はれるが私もさうなるやうにみんなが勢出してして呉れるのだから……苦の世苦の世。」

 母が溜息をつきながらさう言つた。

「どうせ、安つぽいお調子屋ばかりの感情家ばかりの世の中だからそれ程苦労性にならなくつたつて。」

「なりますなります。──それはあんたには分るまいが、お父さんも骨の折れた人だつたし。」

「お母さん、体裁の悪い!」

 私は母の言葉を揉ぎ取つて言つた。

「いやもう体裁なんて、そんなことが言つてられやあしない。」

「そしてまた何をさう俄かに。」

「それはあんたには分るまい。お母さんは一人先刻サツキから考へることがあつたの。」

 母は元来蒼い顔にお負に眉間に皺を寄せて言つた。

「僕にも分つてゐますがね。」

「いや〳〵まだまだ若い若い。──あんたが幾ら悧巧だつてそれは……」

 皆黙り込んだ。私は母の少なくなつた髪毛をみた。情ない気持がした。世の中の女が皆美人で何故ないかと思つた。髪毛もみんな総々としてゐないのかと考へた。思想的に美しいばかりでなく目に美しい物が我々には何れだけ必要だか分らないと思つた。

「まあ色々でこそ此の世が成立つのだらう……」──そんな客観的な考へで、私は自分が何かに付けて思索する癖のあることを、不幸かも知れないといふ半面の気持に強ひられて、好い加減でうまく胡魔化して置きたかつた。

 義理の方の祖母が台所の方に行つた。

「おつ母さんは言葉を考へて使はないから、私の立場が苦しくなるでせう

 母は堪りかねて早速祖母に打ちあけた。

「何が。──またあんたも曲がるのかい。」

 さうした小言の言ひ合ひがまた始まるのであつた。私はあきらめて書斎まで戻つた。

 本棚の前に転んであの本をみたり此の本をみたりした。人の書いたことが何うもまどろつこくなつて起き上つた。と言つて机の前に坐つたが何も頭には浮いて来なかつた。如何いふものか癖になつてゐる、「English at the Commercial School」といふ文句を矢鱈に原稿紙の上に並べてゐる中にポツとこんなことを思つた。「英国の商業学校の中で、殺されでもするのぢやあないか知ら……」



 やつぱり何にも手には着かなかつた。

 何気なしに今度××歌劇に投書しようと思つて書いた原稿を出して中程から読み始めた。初めて自分の物を好いと思つた。

「これが当選すれば一寸金が這入る。俺の頭を学校の成績で見首つてゐる親も少しは目が開く。開けさせたくはないが開けて貰へば少しでも五月蠅さが減るだらう。それに彼奴の前には顔がよくなる。──楽屋へは招待するだらう。そしてレコードに吹き込んで呉れるかも知れない……ニツトー……ツバメか……鷲、さあ……」

 私は何時の間にやらロマンチックな浮々しさになつてゐた。──ポイと机の端の鏡に顔が映ると漸く我に帰つた。そこには私の、子供の顔が映つた。私は自分が玩具のやうに思へ出して来た。

 随分自分といふ人間もセンチメンタルでありロマンチックである安つぽさのたつぷりな人間だと思つた。

 大したことでもないけれど、家庭的な悲劇といふものを何時も目の前にしてゐなければならない私は、そしてその悲劇なるものが常に我々のセンチメントのために悲劇であると観た私は、自分が人一倍感傷家であるといふことが歯痒ゆかつた。

「精神的な悲劇。そんなものがあるものか! それは下らねい感傷の所産に過ぎない。本当の、本当の悲劇は物質を基調として初めて存在する。」──何時かもこんなことを日記に書いた。それは慥か既に亡くなつた(義理の)祖父から父に引き渡つた裁判が、不利となつた日のゴタ〳〵の後書いたのだつた。

 かう書き、又さう思ふとも強めたものゝ、私のセンチメンタリストであることは依然として変りなかつた。

「持つて生れた物は、俺の死ぬまで量は減じようとも続くであらう。けれども俺は俺の此のセンチメントを否定する。──思惟の上だけでも否定する。そしてその否定に理窟をつけ得ることは力だ。」──私は無理に其処まで頭を引つ張り寄せた。だが併しそれはまだ私に満足を与へるだけの所まで頭は来てゐなかつた。

 寝ころんでゐる背と、畳の間が汗で湿つてゐた。父が往診から帰つたらしかつた。

「アイスクリームでも取つてこいつてねーやにお言ひ。」

「僕もいる。」

 父と今年小学に這入つたばかりの弟の声だ。

 ゴロンと横向きになつて、書棚に並んだ本を手で横撫でしながら、私は私の前途がいかにもいらだたしいもののやうな感じを懐いた。

 トコトコと足音が後頭に響くと、先刻父と話してゐた弟が来て、トランプをしようと言つた。

「何、ダウン、兄さんはダウンとトランプはしないことにしたぞ。」と私は巫戯けて言つてやつた。──ダウンとは、先生が「ン」の字を「ウン」と発音したことによつて、「オミヤノダンダン」と読本にあるのを「ダウンダウン」と読んでから私がつけたニックネームだつた。

「ダウンと書いてダン、と読むんぢやい。僕もう分つた。」

 弟はさう言つて弁解した。

「アイスクリームを貰つたかい。」

「いゝや。」

「兄さんは見たぞ。」

「何処から。」

「フヽヽ、言ふと、みんなが呉れ呉れ言ひ出すから嘘を言ふちやつたい。」

 弟は甘え気味で、私に「僕でも方便といふことを知つてる」といふことを知らせたいらしく言つた。

「弟もやつぱり小心な、そして俗人式でセンチメンタルな奴なんだな。内の家庭ではやつぱり苦心しなけりやあならない性分に生れたんだな……」──私はさう思ふと淋しくなつた。

「なんだお前こそアメえ奴だ!」──私の心が言つた。

「小心さん、小心さん……」

 私は弟にからかふやうにそれを言つた。

「何か、兄さん何?」

「馬鹿、高い高いしてやらう来い。」

 私は転んで両足を弟の腹に当てがつてずつと突き揚げてやつた。弟は悦んだ。私が畳の上へ下ろして手を離して弟の顔を斜に見てゐると、チヨコンと丘に忘れられた小犬のやうに淋しさうな顔をしてゐた。

「も一つやつて。」

「いや、もう止め止め。」

 弟はまたトロトロ帰つて行つた。

「……位なことは気を付けて言つて貰ひたい。」──母のカン高い声が主家の方から聞えて来た。祖母に言ふのらしかつた。

「……お菓子……」──今行つた弟が母に言つたのだ。

「いや〳〵お母さんはそれどころぢやない!」

 母は弟を叱るやうに言つた。私はまた堪らなくなつて起きあがつた。

「これだけ複雑な俺の今の胸に一体何れだけの問題があるのか。」──で机の上にあつた原稿紙の書き損じたのに書き付けてみた。──弟とも遊んでやりたいこと。自分の仕事もしたいこと。父も母もそしてみんな神経屋でなくなること。──それだけだと思つた。

 私は主家オモヤの方へ出て行つた。

「お母さん、自分がむしやくしやするからつて子供にまで辛く当らなかつたつて……」

「またあんたが出て来て事を大きにしてもらつてはお母さんが何時も真中で一番困るから。」

「さう自分で勝手に大きく考へるから。」

「お黙んなさい。──今迄はお父さんとお祖母さんだけだつたのが此の頃ではあんたまでお母さんの心配を多くする。」

 母には私の厚意も何も聞き取れなかつた。成程私は此の頃では、私の言ふことは可なり家内中で重くみられてゐた。まだ二十に私は四つ足りなかつた。そして尠くとも家の者のためには私の不成績は私の頭の悪いことであつた。けれども兎に角私が毎日のやうにする天才気取りといふものに、何時しらず父も母も祖母も圧服された体になつてゐたからだ。

「前はお父さんとお祖母さんだけだつたのに……」と言ふ母の言ひ振りを祖母は勿論、父も次の室で聞いてゐた。私は父を怒らしてはならないと思つて予防線を張るためにその室に行つた。

「今日もこりやあお午からは暑くなりますよ。」

 父の横の方に坐つて私は言つた。

「ん、なる。九十八度には吃度なる。」

 父はさう言ひながら鼻をほぢつてゐた。そしてなんら怒つた様子もみせなかつた。

「それだが、お父さんにあんたは有難く思はなきやあならないよ。──今は余つぽど好くなつた方だが、まだあんたの生れない頃F町にゐる時なんかは、それはそれはお母さんのお友達といふお友達が、とても貴方は体が続くまいから出て行け出て行けつてさへ言つたものですよ。それ程酷かつたお父さんが今はもう──年を取ると人間はあゝも変るものかと思ふ程弱つていらつしやるのですよ。」

 母が、父に小言でも言はれてふさいでる時私がそれを慰めようと思つて父の酷過ぎることを言ふと母は何時も私にさう言つた。私は良妻賢母式な母があの父では随分骨も折つただらうとその度に思ひやつた。──その父が今は母の昔であつたならばとても尋常では措くまい口を次の室から聞きながら、黙々としてゐる現在の父を、私は今傍でみてゐて可なり痛ましかつた。耳朶の下の方から首条にかけての皺が、慥かにもう四十代も中半を越えた私の父であることを物語つてゐた。尚もヂツと父の横顔をみてゐると色んなことが浮んだ。

 父が十三の時父の父が或失敗をして逃げ出して行つたために父はその時東海道を一人で東京迄出た。そして父の従兄から出る僅かの金で父はかつがつ軍医学校まで卒へた。そして大学に再び這入らうとした時或独乙人が君は独乙語が達者なんだから日本の大学なんかに行かないで金を作つて留学でもしろと説かれて父は大学を思ひ止まつたのだつた。その後柳樹屯の衛戍病院とかに行つたさうだ。其処で患者は増すし却々人気も好かつたが、暫くして院長に大学出が来ると、父が大学出でないといふ理由の下に副院長に大学出を呼び寄せて父をその下にやつたのだ。──父はそのことのために、私の兄弟五人を全部大学迄はやると言つて今開業して一生懸命になつてゐるのだ。で、長男の私が学校を打つちやつて詩人になるとか脚本家になるとか勝手な熱を吹いてゐることは父に取つては自分の命を喰ひ取られることとしか思へなかつたのだ。

「お父さん、天才を持つ親は仕合せですよ。」──私は父が私のことで悄気たりしてゐる時はせめてもの務めででもあるかのやうにさう言つた。

「偉い者になつて貰はうなんてチヤンともう願はないから、学校だけを平凡で好いから真面目に出て呉れ。」

 父は必ずその時はさう返した。

 その父が、今私の傍にたゞ坐つてゐるのだ。

 X光線の治療をする音が聞えてゐた。看護婦の巫戯ける声がしてゐた。弟が近所の子供と裏庭で遊んでゐる声が騒しかつた。

 父がつと立つて便所の方に行つた。

「みんな静かにして遊べ!」

 父の声が聞えた。

 私は頻りに早く出世したい気持がして来て、その気持に引き摺られるやうに父のゐない部屋を歩き、歩いた。



 私と同級生で特待生のMが私の内に十二指腸で入院した。

 皆が、殊に祖母が私にMと遊べと言つた。

「あんたの友達つたら悪いのばつかり……」

 祖母は不満さうに言つた。

「此の人は悪い友も居らん。一人で下らない本なんか読んでゐる。だから学校とは遠退くばつかりでせう。」

 と附けたした。

「Mなんて、兎に角今の中学校なんかが猫のやうな善良さで押し通せる奴つたら、延膸が大脳の割合に発達してゐないで、大脳が一通り悪い意味のエゴイスチックな発達をした奴だ。そしてニヒリスチックなね。それか普通何でも可なりにはやれるつて程度の頭か。」

 私は母達を憎々しいやうに言つた。

「そんな太平楽を言ふといで、今にMさんは偉いもの、あんたは豆腐売になる。それか湯屋の亭主。」

 祖母が私を噛むやうに何時もの豆腐売と湯屋の亭主を並べた。

「偉い事の出来る人間だつたら中学のこと位分つてゐる筈だのに、中学はまづくてその上のことが分つてゐるなんて、一寸考へたつて馬鹿げたこととは思へないのだらうかねえ、あんたは。」

 母の言葉は語尾に近づく程咏嘆的だつた。そして母達には中学の学問その儘の延長が全ての学識だと思つてゐたのだ。

 そこへ父がやつて来た。父は母や私の間の気色ケハヒを見ると、「また何か何か、Mさんとでも遊んどれば文句はないぢやあないか。」と偶然父もMのことを持ち出した。

「そのことを言つてるのでございますよ。」と母は父の汗づくになつた診断衣を脱がせながら言つた。

「やあれ暑ッ。──オモテの掛軸を好い加減に換へとけよ。何時も俺が言はないとしないが。」

「私も忙しくつてあなた。今朝からだつて」

「あれをする間のないことがあるか。」

「まあ私の代りをやつてご覧なさいまし、とても目がまひますよ……」

「黙れ。不快だ……」

 母は掛軸を掛け換へるなどゝいふ実生活にそくした生活の潤ひなどゝいふものには分らないのではないが妙に気の付かないタチだつた。父は今それをなじつてゐる。けれども母には父のその気分が呑めない。そして父はまたデリカシーのない男だから怒るばつかりだつた。

 祖母は母の言ふことに尤もを附けてゐるらしかつた。そして祖母の表情が余り露骨だから父もそれを知つた。

「天井の低い家だし、一々気持が悪い。」

 父は抛るやうに言つて手を裏へ廻して体を斜仰向けにした。父は往診して他人といふ無責任な人達にもてなされて帰つて来ると苦労性な皆が不快だつた。そして低い見慣れた天井がその不快の根本の起因ででもあるやうに三日に一度は天井のことを口にした。

「ほんとに低くて……」

(義理の)祖母が言ふのであつた。祖父が──父の養父──がお人好し過ぎて他人のために財産といふものを全部使ひ尽して、自分の住家といふものは古い家を買つて建てたやうな有様であつたことを能く父は祖父の生前言つてゐた。──(義理の)祖母の今の言葉はそれを思ひ出して言つたこと明かであつた。

 父は天井を高くしようと今迄幾度も言つた。けれども(義理の)祖母の手前何時も母は「それだけはお止しなさい」と言つて今迄止めて来てゐるわけだ。

「今朝もMのおつ父さんに会つたがね、あれはお前が入学当時の成績のことを思つて、あなたのお子さんはよくお出来でつて挨拶をしたがワタシは冷汗が出た。」

 父が不意にそんなことを私に言つた。

「Mはお前の成績の悪いことをおつ父さんに話さないのだらうか。」

「まさかそんなことはありますまい。」

 母が言つた。

「さうだねえ。」

 父が同意した。

「いやMの性質では案外そんなことを言はないかも知れませんよ。」

 私はさう言つた。

「Mが話さないでもおつ父さんが訊く。」

 父はもう話してゐることに決めてゐた。

「知つてゐても知らない振でさうワタシに挨拶したのだよ。さうだ。」

 父も母も自身が関東人式な好いでも悪いでもないといつた素気なさの全然ない俗人であつたために、自分の中にないものは想像出来ないらしかつたのだ。

 私は外を見ると明るい日光が急に懐しくなつて来たので裏に出た。弟達が隠れん坊をしてゐるので入れて貰つた。

 頭が暑かつた。

 私が徒跣になつて小さい子供のやうに走り廻るので病室の人達は笑つてゐた。私ははにかみやの癖にそれが辱かしくない程隠れん坊が嬉しかつた。こんなことは三四年振りだつた。三四年前の日が追憶の涙で堪えきれなくなつた。私は弟に断つて止めようとした。

「兄さんがせんなら僕もせーん。」

 尋常一年の男が甘えるやうにいつた。

 私の感傷性がまたもや唸り出した。

「おーい、みんな来い。」

 私は三人の弟を集めた。昼食の直ぐ前頃だし田舎道を通るものなんて殆どなかつた。私は一度四囲を顧みた後弟達に言つた。

「お前達は俺の弟だ俺の弟だ!──お前のする仕事とお父さんとは関係ないぞ!」

 私は感情に駆られて出まかせを言つた。十二になる弟が私の顔をみて笑つてゐた。十の弟が下を向いて黙つてゐた。尋常一年の弟は唯ポカンとしてゐた。

 私はそれを言ふなり走つて足を洗ひに行つた。私が足を洗ひ終つた頃に三人並んで乞食でも見るやうに私を遠退いてみてゐた。

 書斎に行つた。何だか今の出放台に言つた言葉に意味が見出したかつた。

 私は原稿紙にまた例の「English at the Commercial School」を書きながら思つた。

「俺の感傷が俺を五月蠅くするのだ。感傷が落付いて勉強させないのだ。」

 私は再びセンチメントを否定したかつた。無益だとしたかつた。だが、我々の感ずる美なるものが、全て感傷だとか性慾だとかいふ本能的なものを基調として生れてゐると思ふと、私は私の涙を無下に排セキする気になれなかつた。

「全て本能乃至本能的なるものは、否定すべきものではない。だがそれが有害となる場合は必ずそれ自身が有害なるに非ずして、感傷が感傷に楯つき、性慾が性慾に楯つくからだ。全て人間的シウ態といふものは、マイがマイセルフに楯つく所、甘んじる所から出て行く。」

 ポイとそんなことを考へ付きながら紙に書いた。──「マイがマイセルフに……」、──「彼はオスカアワイルドの如き軽薄子にして、詭弁を弄するのみ……」──私は私の書いたことに或批評家がそんな冷い言葉を掛けさうな気がした。まるでもう批評家が大向ふとして相手取る大家になつたやうな気持で。

 何にしろ自分の考へたことは本当だと、悦びに吊られて思ひ込んだ。──けれどもその考へもセンチメントの私の考へに過ぎないとまた反対にも取つた。

「古今の哲学書それ何物ぞ。車窓偶感の掻き集めに過ぎざるものぞ!」──私は傍にさう書いた。もう紙一杯になつてゐたことが何がなし「修了だ」といふやうな気持を与へた。私は口笛を吹き出した。

「お前達は俺の弟だ俺の弟だ! お前の仕事はお父さんと関係ないぞ!」──「ハハ、俺にしては余りにアブノーマルな言葉だ。」さう嘲るやうに先刻の言葉を言つてみたが、何だか気懸りな言葉だつた。

 トソンと空腹を感じて来た。



 さうした、所詮世上のニヒリストには最も馬鹿気たと見えるだらう生活を──私自身もこだはつた生活だと今では思つてゐる──してゐた私は、今態々落第して、それをキツカケに京都の某中学に転校してゐて、「その頃の生活」の環境といふものと離れてゐる。そして私はもう今では感傷といふものが反撥的にか、殆どなくなつて居る。その頃のやうな咏嘆的な詩は作らうつたつて作れなくなつてゐる。

 親は唯金を送つて呉れるにのみ必要なだと思つてゐる。学校は下宿にばかりゐては胃が悪くなるから散歩の終点だと思つてカヨつてゐる。

 私は、「尠くとも私のためには、一切が私のために存在するのだから。」つてな大きなことを言つてゐる。「我に宗教なく道徳なく規約なし、唯機転のみ。」とか言つてゐる。

 大変呑気である。こだはらなくなつてゐる。

 併しまだ私には出世したい野心がある。



 私は右のやうなことを大学の哲学科の男に話した。

「ハヽヽ、君はまだ前以上に、今度は大きい意味でこだはつたのだよ。」

 彼は誇らしさうに、中学生の私を甜め摺つて言つた。

「馬鹿、貴様とはもう何も言はん!」

 私は急に怒つた。

「何を言ふかあ。」

 彼は私の怒を怒と信じなかつた。

「本気だよ。馬鹿!」

 また私は真赤になつて言つてやつた。彼の顔色が急に変るかと思ふと彼は自分のマントと帽子を左手に持つて、右手で私の頬をポカツと擲りつけた。そして物も言はずに出て行つた。

 私は腹も立たなかつた。そして、「その頃の生活」に妥協性の多かつた私が、そんな友人との絶交の仕方が出来るやうになつてゐた私の変り方の著しさをしみじみ気付いて自分で驚いた。

 それは「その頃の生活」を離れてから六ヶ月振りの事だ。

底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店

   2003(平成15)年1125日初版発行

※底本のテキストは、著者自筆稿によります。

※()内の編者によるルビは省略しました。

※底本巻末の編者による語註は省略しました。

※中見出し「一」がないのは、底本通りです。

入力:村松洋一

校正:shiro

2018年1024日作成

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