牛車
三遊亭円朝
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此度 英照皇太后陛下の御大喪に就きましては、日本国中の人民は何社でも、総代として一名づゝ御拝観の為めに京都へ出す事に相成りました。処で数なりません落語家社会でも、三遊社の頭取円生と円遊の申しまするには、仮令落語家社会でも、何うか総代として一名は京都へ上せまして、御車を拝ませたいものでござりますが、扨どうも困る事には、是まで十五日間の謹みで長休みをいたして居りました処へ、御停止あけとなつて、又休んで京都まで参らうといふものは一人もありませんで、誠に困りましたが、幸師匠はマア寄席へもお出なさいません閑人でいらつしやる事でげすから、御苦労ながら三遊社の総代として、貴方京都へ行つて下さる訳には参りませんかと、円朝が頼まれました。元より此度の御大喪は、是迄にない事でございますから、何うかして拝したいと存じて居りました処へ、円生と円遊に頼まれました事故、腹の中では其実僥倖で、そんならば私が皆なの総代として京都へ往きませうと受合ひました。
夫から徐々京都へ参る支度をして居ります中に、新聞で見ましても、人の噂を聞きましても、西京の旅籠屋は客が山を為して、ミツシリ爪も立たないほどだといふ事でございますから、此奴は迂かり京都まで往つて、萬一宿がないと困ると思ひまして、京都の三条白河橋に懇意な者がございますから、其人の処へ郵便を出して、私が参るから何うか泊めて下さいと申して遣りますると、其返事が参りました。「拝啓益々御壮健奉慶賀候、随つて貴君御来京の趣に御座候得共、実は御存じの通り御大喪にて、当地は普通の家にても参列者のために塞がり、弊屋も宿所に充てられ、殊に夜のもの等も之れなく、甚だ困り居り候折からゆゑ、誠に残念には御座候得共、右様の次第に付き悪からず御推察なし被下度候、匆々」といふ返事が参りました。私も少し驚きまして、此分では迚も往く事は出来まいと困りましたから、私が日頃御贔屓に預かりまする貴顕のお方の処へ参りまして、右のお話をいたしますると、そんならば幸私も往くから、連れて往つて遣ると仰しやいました。誠に有難い事で、私もホツと息を吐いて、それから二日の一番汽車で京都へ御随行をいたして木屋町の吉富楼といふ家へ参りました、先方では貴顕のお客様ですから丁寧の取扱ひでございましてお上の方はお二階或は奥座敷といふので私は次の室のお荷物の中の少々ばかりの明地へ寐かして頂く事に相なりました。
扨六日には泉山といふ処へお出掛けになるに就て、私もお供をいたし四条通りから五条を渡り、松原通りから泉山に参りまするには、予て話に聞いて居りました、夢の浮橋といふのを渡りました、二三町参つて総門を這入り夫から爪先上りに上つて参りますると、少し広い処がございまして、其処に新築になりました、十四五間もある建家がございました。是は此の時のお掛りの方々のお詰所と見えまして、此所で御拝があるといふことを承まはりました。実に此度の大喪使長官様といふのは、夜もトロ〳〵睡ろみたまふ事もございませんといふ、大層御丁寧に仰しやいますから、私どもには些と舌が廻らなくつて云ひにくいくらゐで、御参列のお役人も此の処で御参拝があるといふ事で、夫を思ふと私共は有難い事で、お供をいたして参りましても毎日々々旨い物を御馳走になつて、昼も風が吹くと外へ出られんといふので、炬燵の中で首ツたけ這入つて当日まで待て居るのでございますから此のくらゐ結構な事はございません。又折々は其のお方のお供をいたして、大坂で有名な藤田様の御別荘へ参りまして、お座敷を拝見したり、御懐石を頂戴した跡で薄茶を頂いたりして、誠に此上もない結構な事でございます。丁度七日の御当日は往来止めになるだらうと聞きましたから、昼飯を食べて支度をいたし、午後二時ごろから宿を出ましたが、其処までは人力車で行かれる処で、参りました処は堺町三条北に入る町といふ、大層六づかしい町名でございまして、里見忠三郎といふ此頃新築をした立派な家で、此処は御案内の通り古器物骨董書画類を商ふ方で中々面白い人でございます。何うも諸方から頼まれたと見えまして、大分に宜いお客様もございます。西京大坂の芸妓も参つて居りましたが、皆丸髷で黒縮緬の羽織へ一寸黒紗の切れを縫ひつけて居りまして、其の様子は奥様然とした拵らへで、皆其処に寄り集まつてお通りの時刻を待つて居りますので、其の中に五もく鮨が出たり種々御馳走が出ます中にチヨン〳〵と拍子木を打つて参りました。何だらうと思つて直に飛出して格子を明けて見ますると、両側共に黒木綿の金巾の二巾位もありませうか幕張りがいたしてございまして、真黒で丸で芝居の怪談のやうでございます。処へ大きな丈三尺もある白張の提灯が吊さがつて居ります、其提灯の割には蝋燭が細うございますからボンヤリして、何うも薄気味の悪いくらゐ何か陰々として居ります。軒下に縄張りがいたしてございます此の中に拝観人は皆立て拝しますので、京都は東京と違つて人気は誠に穏やかでございまして、巡査のいふ事を能く守り、中々縄の外へは出ません。一尺ぐらゐ跡に退つて待つて居る様子、それが東京の人だと「何をしやアがる、押しやアがるな、モツと其方へ寄りやアがれ。なんかと突倒して、縄から外へ飛出し巡査に摘み込まれる位の事がございますが、西京は誠に優しい、「押しなはんな、アの様な事いうてや、押しなはんな、何いうてゐやはります。なぞと誠におとなしい夫故押される憂ひはございません、けれども軒の下にはギツシリ爪も立たんほど立つて居ります。
其の中に追々お通りになります、向うに列んで居りまするは、近衛兵と申す事でございますが、私どもには解りませんが、兵隊さんが整列して居ります。指図役のお方でございますか、馬乗で令を下して居られます。四ツ辻の処に点つて居りました電気燈が、段々明るくなつて来ると、従がつて日は西に傾きましたやうでございます。其中に又拍子木を、二ツ打ち三ツ打ち四ツ打つやうになつて来ると、四ツ辻の楽隊が喇叭に連れて段々近く聞えまする。兵士の軍楽を奏しますのは勇ましいものでございますが、此の時は陰々として居りまして、靴の音もしないやうにお歩行なさる事で、是はどうも歩行き悪い事で、誠に静まり返つて兵士ばかりでは無い馬までも静にしなければいかないと申す処が、馬は畜生の事で誠に心ない物でございますから、焦つたがり、駈出したり或は跡足でバタ〳〵やるやうな事もございました。其の中にどうも兵士の通る事は千人だか数限りなく、又音楽が聞えますると松火を点けて参りますが、松火をモウ些欲しいと存じましたが、どうもトツプリ日が暮れて来る、電気は四ツ角に点いて居りますのだから幽かに此方へ映りまする、松火は所々にあるのでございますからハツキリとは見えませんが、何でも旗が二十本ばかり参つたと思ひました。皆白錦の御旗でございます。剣の様なものも幾らも参りました。其の中に御車を曳出して参りまするを見ますると、皆京都の人は柏手を打ちながら涙を飜して居りました。処へ風を冐いた人が常磐津を語るやうな声でオー〳〵といひますから、何だかと思つて側の人に聞きましたら、彼れは泣車といつて御車の軌る音だ、と仰しやいましたが、随分陰気な物でございます。其御車に四頭の牛がついて居ります。此牛は蓮華班といひ、替牛が位牌班といふのがあり、天簾といふ牛がある。どうも能くさういふ毛並の牛が出来たものでございますが、牛飼さんに尋ねると然ういふ牛は其の時に生れて出ると云ひました、と京都の人が申ました。御車の前に糞をするといかんといふので、黒胡麻を食べさせて糞の出ないやうにするといふ、牛も骨の折れる事でございます。毎日々々食べ附けない黒胡麻を食べて糞詰りになるから牛が加減が悪くなつて、御所内の主殿寮に牛小屋がありまして、其の中に寐て居りますと、牛の仲間が見舞に参りました、といふお話しを考へました、是は昔風の獣物が口を利くといふお話の筋でございます。
多くの黒牛と白牛が這入て来まして、「御免なさい。「ハイ。「扨誠にどうもモウ此度は御苦労様のことでございます、実に何うも云ひやうのない貴方は冥加至極のお身の上でげすな。「ヘエ有難うございます。「マア斯ういふ事は滅多にない事でございます、我々のやうな牛は実に骨の折れる事一通りではありません、女牛の乳を絞られる時の痛さといふのは耐りませんな、夫にまア私どもの小牛等は腹の毛をむしられて、八重縦十文字に疵を付けられて、種疱瘡をされ布で巻かれて、其の痒い事は一通りではありません、夫れに私共は先年戦争の時などは、支那の恐ろしい道の悪い処へ行きまして木石を積んで運びますのが、中々骨の折れた事で容易ではございません、勿論牛は力のあるのが性質故、詰りは国の為めだから仕方がございませんが、それに引換へて貴方は結構でございますねエ。「ヘエ。「同じ牛でもどうも、五位の位が附いたといふ事を聞きましたが全たくでございますか。「ヘエ……そんなに賞めてお呉んなさるな、畜生の身の上で位など貰ひましたから、果報焼けで、此様な塩梅に身体が悪くなつて、牛のくらゐ倒れとは此事で、毎日々々黒胡麻ばかり食はせられて、食べ附ない旨い物だからつい食べ過ぎてすつかり通じが留りましたので、逆せて目が悪くなつて、誠にどうも向うが見えませんから狭い通りへ行つて、拝観人の中へでも曳き込むやうな事があつて、怪我でもさせると大変だと思つて今から心配でございます、モウ明日になりました……夫に私の名が貴方、どうも蓮華班といふのでげすからな、おまけに夢の浮橋を渡るといふので替牛がお前さん、位牌班といふので名が一体に訝しうございます、私もモウ明日役に立てば宜うございますが、今晩にもヒヨツと生者必滅でございますから……。「然んな気の弱い事をいつちやア行けません、お加減が悪ければ、明日は御大役の事ですから早く牛の角文字にでも見せたら宜しうございませう…。牛の角文字といふのは、隠し題の歌に「二ツ文字牛の角文字直な文字ゆがみ文字とぞ君は覚ゆれ」是は恋しくといふ隠し題の歌で、二ツ文字はこの字で、牛の角文字は、いろはのいの字、直な文字はしの字で、ゆがみ文字はくの字でございます、夫れですから牛の角文字といふのは貴方医をお頼みになつたら何うでございますといふので。「夫は僕も家畜病院長を呼んで診察をして貰ひましたがな……。「お熱は何んな塩梅でございますか。「熱は京都へ来たせいか平をんでげす。「熱度はどの位で。「三条七条と申ます。「成ほど、夫ぢやア、マア大したお熱ぢやアないお脈の方は。「脈の方が多うございます、九条から一条二条に出越す位な事で。「成ほど、脈の方が多うございますな、脈の割にすると熱が陰にこもつて居りますな。「モウ〳〵私は迚も助かるまいと思ひます。「然な事を仰しやつちやアいけませんよ、どうか確かりなさい。「熱がモウ少し浮かないでは直りますまいよ。「御心配なさいますな、明日はキツと御発カンでございます。
底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
1964(昭和39)年6月発行
※表題は底本では、「牛車」となっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年7月19日作成
2014年5月30日修正
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