華族のお医者
三遊亭円朝
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エヽ当今の華族様とは違ひまして、今を去ること三十余年前、御一新頃の華族様故、まだ品格があつて、兎角下情の事にはお暗うござりますから、何事も御近習任せ。殿「コレ登々。登「ハツ〳〵お召でござりますか。殿「アヽ予は華族の家に生れたが、如何に太平の御代とは申せども、手を袖にして遊んで居つては済まぬ、え我先祖は千軍萬馬の中を往来いたし、君の御馬前にて血烟を揚げ、槍先の功名に依て長年大禄を頂戴して居つたが、是から追々世の中が開けて来るに従つて時勢も段々変化して参るから、何か身に一能を具へたいと考へて、予は人知れず医学を研究したよ。登「へえー夫は何うも結構な事で。殿「別に師匠も取らず書物に就いて独学をしたのぢやが、色々な事を発明したよ、まア見るが宜い、是だけ器械を集めたから。登「ヘヽー成程、何日の間に、何うも恐れ入りましたことで、併し私一人で拝見いたしますのも些と惜いやうで、彼所に詰合て居る者共にも一応見せてやりたく心得ますが……。殿「おゝ夫は宜からう、コレ伊丹も何も皆此所へ来い。伊「へい〳〵。登「上が是だけのお道具を何日の間にかお集めに成たのだ。伊「へえー、是は何と申すもので。殿「ウム、夫は検熱器と云ふものだ、是が聴診器、是が打診器と云ふものだ。伊「へえー。殿「一つ診てやらうか。登「いえ私は別段何処も。殿「いや然うでない、まア診て遣はすから裸体になれ、是も稽古じや、何でも事は度々数を掛んければいかぬからの。登「併し御前のお目通りで裸体になるは恐入ますことで。殿「ナニ構はぬ、許すから宜い。登「然らば御免を……エヘヽヽ斯ういふ事に致しますか。殿「ウム、好い骨格ぢやな。登「へい、お蔭さまで四十五歳まで一度も煩らうたことはござりませぬ。殿「左様であらう、ソラ此器で脈搏を聴くんだ、何うだグウ〳〵鳴るだらう。登「エヘヽヽヽくすぐつたうござりますな、左様横ツ腹へ器械をお当あそばしましては。殿「いや斯ういふ処に病は多くあるものだからな、是から一つ打診器で肺部を叩いて見てやらう。登「いや夫は何うも危うございます。殿「ナニ心配するな、ソラ斯ういふ塩梅だ、トントン〳〵トンとナ。登「アヽ痛うござります。殿「ハヽー少し逆上して居るやうぢやから、カルメロを一分三厘にヤーラツパを五分調合して遣すから、小屋へ帰つて一日に三囘の割合で服薬いたすがよい。登「へい、何うも有難う存じます、是は何うも大層奇麗なお薬で。殿「ウム、早く云へば水銀剤だな。登「へえー、之を飲ましたら喉が潰れませう。殿「ナニ大丈夫だ、決して左様な心配はない良く喉が潰れても病気さへ癒れば夫で宜からう。登「イエ喉が潰れては困ります。殿「ナニ心配する事はない、コレ井上此所へ出い、序に其方も診て遣はすから。井上「有難うは存じますが、何分裸体になりますのを些と憚ります儀で、生憎今日は下帯を締めて参りませぬから。殿「イヤ許す、其様な事は毫も構はぬ、トントン何うぢやナ。井上「ア、何うも痛うござります、さう無闇にお叩きなすつちやア堪りませぬ。殿「まア黙つて居れ、アヽ是は余程熱がある。井上「へえー熱がござりますか。殿「ウム、四十九度許ある。井上「其様にある訳はござりませぬ、夫ぢやア死んで了ひますから。殿「アヽ成程、三十七度一分あるの、時々悪寒する事があるだらう。井上「左様でござります。殿「ハー是は瘧だナ。井上「いゝえ瘧とは心得ませぬ。殿「これ〳〵何でも医者の云ふ通になれ、素人の癖に何が解るものか、是は舎利塩を四匁粉薬にして遣はすから、硝盃に水を注ぎ能く溶いて然うして飲め、夫から規那塩を一分入れる処ぢやが、三分も加へよう。井上「其様に貴方劇剤を分度外にお入になりましては豪い事になりませう。殿「ナニ宜しい、心配をするな、安心して直に此場で飲め、さア〳〵今度は其方も診てやらう、何歳ぢや。○「エヽ三十七歳で。殿「何処か悪い処でもあるか。○「へい少々下腹が痛いやうで。殿「夫は何うも往かぬな、併しさういふのには魔睡剤を用ゆると直に癒るて、モルヒネをな、エート一ゲレンは一厘六毛、一グラムとは一匁と申して三分ゲレンとは三割にして硝盃に三十滴が半ゲレンぢやが、見て居れ斯ういふ工合にするのだ。と硝盃へ先に水を入れて、ポタリ〳〵と壜の口を開けながら滴すのだが、中々素人にはさう旨く出来ない、二十滴と思つた奴が六十滴許出た。殿「まア宜しい、是で負て置かう。此様なものを負られた者こそ因果で、之を服まして御前を下ると、サア何うも大変、当人は酷い苦しみやう、其翌日ヘロ〳〵になつて出て来ました。登「何うだ、少しは宜しいか、木内君。木内「イヤ何うにも斯うにも実に華族のお医者抔に係るべきものではない、無闇にアノ小さな柊揆でコツコツ胸を叩いたり何かして加之に劇い薬を飲ましたもんだから、昨夜は何うも七十六度厠へ通つたよ。登「夫は大変だ、併し君はまだ一命があるのが幸福だ、大原伊丹君抔は可愛想にモルヒネを沢山飲ませられたもんぢやから、到頭死んで了つた。と話をして居るのを殿が聴付て殿「コリヤ〳〵登は出たか。登「ヘイ、御機嫌宜しう。殿「何うぢや、工合は。登「何うも劇剤を多量にお用ひに相成ましたものと見えて、今日は余程加減が悪うござります。殿「木内は何ういたした。登「彼も罷出ましたが、これも強く逆上いたし眼がかすみ、頭に熱を持ち、カツカと致して堪らぬ抔と申して居まする、夫に可愛想なのは大原伊丹で、彼は到頭生体なしで未だ夢中で居ります。殿「ムヽー、彼だけの手当に及んでも息が出んと申せば最早全く命数が尽きたのかも知れぬて、何うしても気が附かぬか。登「ヘイ、色々に介抱いたしましたが気が附きませぬ、此上は如何いたしませう。殿「イヤ、全く生体なければ幸ひぢやて、今度は解剖ぢや。
底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
1964(昭和39)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年6月19日作成
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