双葉山
斎藤茂吉
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強い双葉山が、四日目に安芸ノ海に負け、五日目に両国に負け、六日目に鹿島洋に負けたので、贔屓客が贔屓するあまり、実にいろいろの事をし、医者の診察をすすめたり、心理学の大家の説を訊いたり、いろいろの事をしてゐる。
当の双葉山関はどうかといふに、自分でもそんなに粗雑な相撲を取つてゐるとはおもはぬし、体の調子もそんなに悪いとはおもはぬのに、『どうして負けるのか自分でも解りません。負け癖がついたんでせう』と云つてゐる。
歌舞伎座の菊五郎丈が大に双葉山に同情して語つたなかに、『あの人のことだから、きつと大事に相撲をとつたにちがひないが、相手は総がかりで双葉山を研究してゐるし、敢て油断とはいはないが、そこに何かあるのではないか』云々といふことを云つてゐた。
この、『総がかりの研究』云々といふのは、旨いことを云つたもので、太刀山の強かつた時分には、どの部屋の力士も、みんな太刀山をどうして負かし得るかといふ工夫ばかりしてゐた。そこで栃木山が太刀山に勝ち、大錦が太刀山に勝つたのも、その取り口をこまかく調べると、太刀山の相撲の癖を、実にまんべんなくおぼえて、その虚に乗じたものであつた。
今度の双葉山の場合は、自分はこのごろ相撲に遠ざかつたので、よく訣をしらないが、太刀山の場合は、正面から順当に行つたのでは、どうしても勝味のないものであつた。そこで何かの虚をねらつてその虚を衝いたものである。して見れば、双葉山の場合も、もうそろそろさういふ状況にあつてもいい頃だとおもへる。大勢がたかつて双葉山を調べるなら、何かの『虚』が出て来る筈だからである。この『虚』の問題も、今回の敗因の一つと考へ得るだらう。併し、私はそれよりも身体的の原因に重きを置かうとしてゐる。私は、双葉山の罹かつたアメーバ赤痢といふのを、双葉山自身よりも、ほかの双葉山批評家よりも、余程重く考へてゐるものである。
一月十九日(二十日附)の読売新聞の第二夕刊で、長谷川如是閑氏は、いろいろ考察したうへに心理的効果に重きを置き、『然るにある動因からその地位が転倒すると事態は正反対に逆転する。双葉の最初の敗因が何であつたにせよ。それは事態を逆転させる機会となつた。ために両者の心理的効果は逆になつて、双葉の十分の力は八分にしか作用しなくなり、相手の十分の力が十二分に働くこととなつた。それが連敗の因である。さればその心理的効果のとり戻しが、力のとり戻しの先決問題である』といつてゐる。また文壇きつての相撲通尾崎士郎氏も一月二十日の朝日新聞で、やはりこの問題に触れ、『私はこの一番こそ双葉山にとつてあたらしい運命の方向を暗示するものであつたと考へる』、『私の見解をもつてすれば、肉体的な問題よりも今日の土俵は彼の運命が自然に辿りつくべき境地へ辿りついただけのことである』。『双葉フアンは、彼の目方が前場所に比べて三貫目減つてゐたところに敗因があるといふ。この解釈はあまりにナンセンスに過ぎることはわかりきつてゐる』云々と云つてゐる。尾崎氏のは運命観、長谷川氏のは心理的効果論。一つはいかにも相撲通らしい穿ち、一つはいかにも学者らしい観念の整理である。しかしかういふ結論なら、双葉山自身のいつてゐる、『負ケ癖がついたんでせう』の簡明なのには及ばないだらう。
ただ、相撲通の言説は私なんかも常に傾聴してゐるのだが、神経のインネルワチヨンをも籠めた、肉体力の総和を第一の条件要約とする相撲であるから、議論は先づ第一にその条件からして極めてかからねばならぬのである。肉体のことを云々するのがナンセンスなら、何も彼もナンセンスといふことになつてしまふではないか。
今夜の話は、相撲のことになどなつて、歌の雑誌にふさはしくないやうであるが、これは相撲の論議ばかりでなく、小説の批評などにも、見て来たやうな、尤も尤もと強ひるやうな『穿ち』が多くて、私などの気に喰はぬのがあるから、そこで双葉山を借りて一言話したのであつた。もう一度いふと、双葉山は本場所は、『体の調子が本当で無いのである』。その他のことは第二第三の問題、或はその第一条件から続いてあらはれる随伴現象と謂ふべきである。さう私は考へて居る。
追加談。一月二十六日の読売新聞に、小島六郎氏の春場所総評があつて、随分丁寧な評であるが、『双葉山の敗因の根本が体力問題に発する錯覚とヂレンマの混生児であつたことは確かである』といふのが其結論で、取り口の評については、『十三日間の双葉山をみると初めは自信のある取口を示し、安芸ノ海に敗れてからはいささか自信がゆらぎ、両国に敗れてからは完全に自信を失ひ、鹿島洋に敗れては精神的ヂレンマに陥り、玉ノ海に一敗を喫してから漸く或る一つの境地に入り得たといふ複雑な過程を踏んでゐるのである』といふ具体的な評もあつた。
次にアサヒグラフ(二月一日号)に、藤島取締の談が載つてゐたが、実際の技の評のしまひに、『つまり双葉山の如き六十九連覇と云ふ無敵の進軍を続けて来たものが、土俵に上る時は、ひたすら相手を倒す攻撃策のみ頭に浮べて相対するので、今度の如く一度黒星を付けられ、しかもワンワと騒ぎ立てられれば、気分的に腐るのは云ふに及ばず、今まで考へ続けて来た攻撃戦法よりは却つて防禦策に頭を悩し乍ら土俵に現れるものである。従つて従来のやうな思ひきつた業をかけ得ず、所謂固くなり過ぎたと云ふのが、双葉山の心理なのではないだらうか』と云つてゐる。批評の大概の結びは、さういふ心理的な悟道めいたことになるが、私には、やはり実際の技の批評の方が有益である。『右四ツとなつた刹那の安芸の体勢、つまり頭を双葉の胸にあてがつて右廻しを引きつけて』云々といふあたりである。さうして、どうしてさういふ体勢になつたか、その肉体的関係の批評の方が有益なのである。
その他の批評には、お極りの人生行路上の教訓などを附加へてあるのが多かつた。即ち双葉山が相撲に負けたのを種にして、大に悟つたと自覚して、好い気持になつてゐるのであつた。けれども私等は、相撲の批評は、相撲実技の批評の方がおもしろくもあり、その方が確かだとおもふのである。
もう少し、『技』についての評を附加へるなら、双葉山が安芸ノ海に敗れた時、双葉山は右下手を打つたのは無謀だとか、掬ひ投げをやつたのが粗雑だとか、さういふ批評が多かつた。然るにそれについて藤島取締は次のやうに評してゐる。『双葉山が勝をあせつて掬ひ投げに出たといふ報道もあつたが、彼の如き優れた相撲道の天才が、この不利なコンデイシヨンの下にあつて、この粗暴に近い強引策を用ひたとは考へられない。これは確に双葉が自己の悪い体勢を挽回せんが為にやつたものとのみ考へられる。この掬ひ投げを打つた時、双葉の右足が前に出てゐるのは必定で、安芸がこれを懸命に防がんとして左足が外掛けにからんだ瞬間に、双葉の両廻しをぐいつと満身の力で引きつけて浴せかけたものだから安芸の寄り身が物を云つたのだらう』云々。この批評は、深切、丁寧で、刻々の実技に即してゐて、まことに名批評と謂ふべきである。そんならどうしてこの名批評が出来るかといふに、同じやうな実技の経験を幾度となく踏んだ人が、自分で相撲を取つたつもりで物いふのだから、批評に中味があるわけである。藤島取締の相撲評は毎年読んでゐるのだが、今回のは対象が対象だし、ほかに多くの批評が出たため、比較するのに便利でもあつたが、実に私は感服した。
双葉山の話はこれでおしまひにする。しかしアララギは文芸の雑誌だから、何か関聯をつけた方が好いといふのなら、歌の批評にも、相撲における藤島取締の批評のやうなものが常に存すべきだといふやうなアナロギーを持つて来れば好いわけである。
さう云ふけれども、実際はなかなかさうは行かない。気心で物いつたり、読みたての書物で物いつたり、自分の作物の注解、分疏として物いつたりいろいろである。さういふ事に関聯して、去年この夜話で紹介した、吹田順助氏訳の「二十世紀の神話」でローゼンベルクは好い事を云つてゐた。『理論と実行との矛盾は、シラーやシヨーペンハワーと同様にゲーテにもある。十九世紀の全部の美学の罪は、それが芸術家の作品に結び付かないで、彼等の言葉を分析したことにある』といふので、彼等といふのは、シラー以下の諸先進のことを指してゐる。私自身の備忘録として原文を引くなら、原文は、〔〟An die Werke der Ku:nstler anknu:pfen〝〕である。この、〔〟anknu:pfen〝〕といふ語は、糸などを結ぶことに用ゐられてゐる。つながり、接続、関係、機縁、縁故などといふ意味にもひろがつてゐるが、兎に角、結合してゐて離れない意味がある。ローゼンベルクはその事をいつてゐるのである。
世の(過去の)芸術批評家や美学者などといふものは、希臘希臘と騒ぎ立てて、何でも希臘を標準として、自分の脚下の芸術を批評しようとして居る。人種も民族もおかまひ無しだ。それでは本当の批評は出来ない。さういふ点ではウインケルマンでもレツシングでも駄目であるし、十九世紀の美学全般が駄目である。なぜかといふに、実際の作物(Werke)と緊密に結びついてゐない論議ばかりしてゐるからである。さうローゼンベルクは云ふのである。
ローゼンベルクの芸術論は、最近の独逸主義実行の必要上、随分一方的で無理な点があるけれども、時々は有益なことをいつてゐる。批評が実際の作物と遊離してゐては何の役に立たぬといふやうなことは、初学者でも云ひ得る一つの結論だが、実行の点になるとなかなかさうは行かぬと見え、外国人なども其点を強調してゐるのを見付けるといふこともまた、吾々が勉強の一機縁となり得るのである。双葉山からローゼンベルクまで飛んで、そのつながりに不自由なところがあつたが、今夜はこれで我慢せられたい。
底本:「日本の名随筆 別巻2 相撲」作品社
1991(平成3)年4月25日第1刷発行
1997(平成9)年5月20日第5刷発行
底本の親本:「斎藤茂吉全集 第八巻」岩波書店
1973(昭和48)年3月初版発行
※底本では、「〟」の二点は右下に、「〝」の二点は左上に、置かれています。
入力:門田裕志
校正:氷魚、多羅尾伴内
2003年12月12日作成
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