夜寒に火を囲んで懐しい雑炊
北大路魯山人
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元来、美味な料理ができないという理由は、料理する人が鋭敏な味覚の舌をもたないことと、今一つは風情というものの力が、どんなにうまく料理を工夫させるかを知らないからに基因する。この風情とは、美的趣味と風流とが主になって働きかけ、まず見る眼を喜ばせ、次に食べる心を楽しませるのである。
しかし、料理という仕事も至芸の境にまで進み得ると、まことに僅少な材料費、僅少な手間ひまでなんの苦もなく立ちどころに天下の美料理を次から次と生むことができるものである。よく主婦の料理下手を非難するもののあることを耳にするが、一家の主婦に料理の上手を求めようとするほどの者は、まずもって求める者以上に、主婦をしてよい料理体験をなさしめることである。
こんなものを作ることは、まったくなんでもないことで、誰にでもわけなくできるものである。誤って大そうに考えるようなことがあっては馬鹿を見る。まず普通のお粥を拵える。できたお粥の中に水を切ったかきのむき身を入れ、五分ぐらいたって、火からおろし、せりがあれば微塵に切って振りかければ、それでかき雑炊は完成したわけである。茶碗に取れば、かきのよい香りとせりの香りが、いかにも快い。色調もよい。そのまま塩をふりかけ、かきまぜて食べるのもよく、そば出し汁程度のつゆをかけて食べるのもよい。また、単に醤油をおとして食べてもよい。
焼きのりはかきとよく出合う。あらくもんでふりかけて食べると、さらに充分を尽した味といえよう。かきの分量は、だいたい粥の四分の一くらいでよく、せりは粥の十分の一くらいもふりかければよろしい。煮え加減について、もう一度繰り返せば、かき雑炊の粥は、サッと煮えたアッサリした粥が、かきの風味とよく合う。かきは煮過ぎないこと、せりは火からおろしてふりまぜること。その程度の煮加減を選ぶがよく、とにかく、熱いのを吹き吹き食う妙味は、初春の楽しみの一つである。
納豆が嫌いとあっては話にならないが、納豆好きだとすれば、こんなに簡単に、こんなに調子の高い、こんなに廉価な雑炊はないといったくらいのものである。これも前と同じく、お粥を拵えて、粥の量の四分の一か五分の一の納豆を加え、五分もしたら火からおろせばよい。納豆はそのまま混ぜてもよいが、普通に納豆を食べる場合と同じように、醤油、辛子、ねぎの薬味切を加えて、充分粘るまでかき混ぜたものを入れるとよい。雑炊の上から煎茶のうまいのをかけて食べるのもよい。通人の仕事である。水戸方面の小粒納豆があれば、さらに申し分ないが、普通の納豆でも結構いただけることを、私は太鼓判を捺して保証する。
餅の雑炊は、正月の餅のかけら、鏡餅のかけらなどを適宜に入れてお粥を煮ることである。出来たお粥に焼いた餅を入れてもよい。粥と餅とのなじみがおいしい雑炊なのである。
塩加減で食べてもうまく、そば出し汁程度の出汁、あるいは味噌汁をかけて食べるのもよい。これに納豆を加えると、さらにうまい。焼きのり、炒りごま、七味、薬味ねぎなどを、好みに応じて加えれば申し分なしといえる。
これもまずお粥を拵えることである。いのししの肉は牛肉や鶏のように大してうまい味があるというものではないから、白色の脂身が入用である。白い脂身と赤い肉と混ざったものを細かに切り、皮山椒を少々加えて、別の鍋に淡泊な味付けで汁たくさんに煮る。これに生の薬味ねぎを加えてお粥と混ぜ合わせ、すぐに食べることである。混ぜ合わせて、再び煮返えすと、その味はあくどくなる。いのしし肉の分量は、粥の六分の一ほどでよい。だいこんを千切りにしたものを、いのしし肉といっしょに煮て加えることは、だいこんなしから見れば上々吉、しいたけをきざみ込むのもよい。
そのかわり、夜食にこれで満腹すると、その夜は暖まり過ぎて寝られない。このこと御用心、御用心。しか肉雑炊も同断、ぶた肉の雑炊も同断。ただし、うさぎ肉はなんとしてもうまくない。
料理屋では、うずらをもって自慢気に作る習慣がある。蓋し、うずらが一番美味であるからである。しかし、つぐみ、山鳥類、小鳥類、なんであっても、同じ用途として効果がある。それぞれ味に良否の区別はあるが、大同小異と知っておいてまちがいはない。ミンチにかけるなどの方法で肉を細かくし、これを米といっしょにお粥に煮て、出し汁をかけて食べるのも一方法であり、また、一法としては、微塵肉にした鳥を、味付け煮にして、出来上がったお粥の中へ加えて、攪拌し、すりしょうがを加えて食べるのもよい。なんにしても、フーフー吹きながら食べるまでに、熱くなくてはうまくないことを、ぜひ心得ておくことが肝要。肉雑炊の冷えたのなどは、頼まれても食えるものではないからである。
なめこは缶詰でよいから、缶から出したらザッと水洗いする。
缶六、七十銭のものを五人前に使えば適宜といえよう。やはり、これも薄味付けしたお粥を拵えて、できた粥の中へなめこを入れる。温まった程度でよい。煮過ぎるとなめこの癖が出て食べられない。茶碗に六、七分目取り、餡かけ饂飩の餡で、人の知る餡を別に拵えてかけて食べる。なかなかしゃれたもので、ぜいたく者ほど喜んでくれるもの。餡の上にすりしょうが一つまみ添えて出すことを忘れてはならない。
ずわいがにでも、わたりがにでもなにがにでもよいから、新鮮なかにの肉だけをむしり取り、これも粥がほぼ出来上がったところへ入れる。かにの身は粥の五分の一くらい、刻みしょうがを加えれば、香気をよくする。缶詰のかにならばよく水をしぼって用いるとよい。缶詰臭いのは、しょうがを心してよけいに入れれば、ある程度までは防ぐことができるものである。これも餡をたっぷりかけて出すのが一番よろしい。
雑炊に禁物なのは、生臭いことである。ゆえに生魚で作ることは考えものである。焼き魚であればたい、はも、はぜ、きすなどは最上である。さば、ぶり、いわしなどは臭気があって適材とは申されない。
概して、たいのような赤色皮の魚がよい。青黒色の魚はなんであっても感心しない。しかし、青黒皮のはもは例外の佳肴である。要するに、焼き魚という条件を中心にして工夫すべきである。わざわざ素焼きにしても可、塩焼き、付け焼きともに可。宴会土産の折り詰の焼き魚を利用するなども狙いである。この雑炊には、薬味ねぎに刻んだものを、混合さすことなどは賢明な方法である。刻み、あるいはすりしょうがを加えることも大きな必要事項と知っておくべきである。この雑炊に対する一大注意事項は、絶対に骨と鱗とを混ぜぬ用心である。些細な骨一本混ざっただけで、もはやこの雑炊は安心して食べていられなくなるからである。
以上の他に、しゃれた雑炊は無数にある。いちいち挙げてはいられぬくらいのものである。
青菜の雑炊……青菜を琅玕翡翠にして出す。生の千切りだいこん雑炊……だいこん煮込み飯に似たものの雑炊。天下のピカ一ふぐ雑炊。白魚と青菜の雑炊。若鮎の雑炊。このわたの雑炊。牛肉のカレー雑炊。ウドの雑炊。木の芽雑炊。うずらの卵、はとの卵、新筍の雑炊等、私のかつて体験した、あるいは自作したものだけでも未だ数十が挙げられる。
もう一度繰り返せば雑炊の要は、種の芳香を粥にたたえて喜ぶこと。熱いのを吹き吹き食べる安心さ。なんとなく気ばらぬくつろぎのうまさなど、今や雑炊の季節ともいいうる。
底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所
2004(平成16)年10月18日第1刷発行
2008(平成20)年4月18日第5刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「朝日新聞」
1939(昭和14)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年1月14日作成
2011年4月12日修正
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