伝不習乎
北大路魯山人
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昔の料理は至極簡単なものであった。今日の料理は至極複雑である。しかし、どっちが本当に美味を持っていたかというと、昔の簡単な料理に軍配が挙がる。少なくとも今日の料理が次第にインチキ料理になりつつあることは争われぬ事実である。それはなぜかといえば、料理法は簡単素朴なものであったが、材料がしっかりしたものであったからだ。
こんど某会館で魚料理を始めた。僕も開業の日に行ってみた。食べ物についてはぜいたくな紳士で知られている○氏が経営者で、その料理人というのが、フランスの有名な魚料理店に七年とか十年とかいたという男であるというのが看板で、相当期待をかけていたらしい。
ところが行ってみると、そこに並べてある材料の魚を見ると、その魚がどれもこれも二等品、三等品なのだから、あきれて物がいえない。
ちょうど僕がいる時に○氏が出て来て、支配人に料理はなんでもうまくなければいかんぞ、まずかったらあかんぞとどなっていた。あの食べ物についてやかましい紳士が、こういうことをいう以上、ともかく、料理として最上のものを作って食わせようというのが、魚料理を始めた方針であると思われる。
僕の思うのに、○氏はなるほどなかなかの食通で、うまい料理は食って知っている。だから食わせればうまい料理か、まずい料理かは分るに違いない。しかし、そこに並べてあった魚も、あの人が目をとおしたに違いないが、魚のよしあしは残念ながら分らない。おそらく、それでよいと思ったか、少なくとも、それでも料理人の腕次第で、これで立派な料理が出来るものと考えたか、いずれかに違いない。
しかも、開業日に並べたててみせる魚がこれだから、それで僕にはこれはいけないと思われた。案の定、料理は食われたものではなかった。
料理はその意味で、なんといっても材料が第一である。材料がよければ料理人の腕が少々鈍くとも甘ければ甘いなりに、辛ければ辛いなりに出来る。
しかし、これを食うひとの方からいえば、まず料理人がどうだこうだという話で、そんなことに騙されて、これはうまいだろうと考えるのが、いわば軽薄であるというより他はない。どこにいようと、だめなものはだめである。
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料理界を見渡して、紳士と呼ばるべきものが、料理屋の主人にもせよ、職人にもせよ、一人もいないということは、今日の料理がどんなものであるかということを、もっとも雄弁に物語る。彼等の多くは普通教育的の教養さえもなく、もちろん、書物を読むでなく、趣味を解する者などは一人もない。そこで今さら教育しようにも教育のしようがない。少なくとも今日まではそうであった。今後といえども、おそらくそうであろう。彼等は料理というものを、一段下がった下等な仕事だとみずから思い込んでいるもののごとくである。
そのことは彼等のすることなすことなに一つ見ても、みなそうである。
例えば料理屋の家を見るがよい。その建築を見ると、彼等のいわゆるイキな建物なるものが、いかに低級卑俗であるかがわかる。金のないためにゴマカシ建築をするのも不快であるが、しかし、これはまだ経済的問題だから仕方がないといえば仕方がない。ところが、いわゆる凝った普請なるものは、相当の費用をかけて、彼等としては理想を実現しているわけであるが、その凝り方がいかにも低級なのである。
それはなぜかといえば、彼等はよい建築というものを解せないからである。わからないからである。床の掛け物にしてもそのとおり。古画を掛ければ偽物を飾り、新画を掛ければ下らないものを並べたてる。筋が通っていないのである。これらは料理を盛る食器にしてもまたそのとおり。要するに料理屋の主人なる者が、美術的に鑑賞する力がないからである。中には騙されて高い金を出し、偽物の画など掴まされて得々としているのもある。
このことは彼等の風采において符節を合わしている。イキとかイナセとかいう低級俗悪な趣味があって、男のくせに着物に何百円と金をかけてみたり、下駄に二十円、三十円と金をかけてみたりして得意になっている。そしてあぐらでもかいた時に、金のかかった着物の裏とか、長襦袢の袖とかいうものを見せるのを無上の喜びとしている。することなすことが愚にもつかぬことばかり、すべてこのとおり。そしてバクチを打ち競馬をやる。こういう状態だから、彼等の料理がまた従って、料理の本調子というものをまったく忘れたいわばイキな料理、イナセな料理、偽物料理に走っているのも当然である。
先頃三越に料理展覧会なるものがあった。どんなものかと思って参考のために見物に行ってみたが、ひと口にいってしまえば、醜悪そのものの陳列であった。もちろんみな苦心していることは認められる。しかし、その苦心の跡をみると、要するに彼等がいかに無知であるかということが語られるばかりという他はない。物の道理に従って素直に誠実に料理をやっているものが一人としてないのである。なるほど、技術技巧に凝ったものがあるが、要するにそれらは児戯に等しいと評するの他はない。児戯に等しいものはまだよい方であって、中には悪ふざけに走ったものが非常に多い。それで得意になっているところを見ると、みながみな悪悟りをしてしまっているのである。ところが、この料理展覧会が確か五階にあって、六階にはその時ちょうど、木彫や水彩画の展覧会が開かれていた。この方はさすがに美術の専門家だけに下の料理展覧会に比べるとはるかに美術的であった。しかし、その内容をよくよく点検すると、そのつまらなさ加減、まったく階下の料理と同じであったといわざるを得ない。観音様を彫ればそこらの芸妓面をしていたり、恵比寿大黒が落語の百面相であったり、所詮われわれの脳裡にあるものを表現してはいないのである。技術はなるほど進歩している。しかし、内容の低級なることまったく料理展覧会と軌を一にしているのである。こう見て来ると、要するにある者は縁あって料理をやり、ある者は縁あって彫刻をやり、またある者は縁あって水彩画をやったというに過ぎなくて、これらのひとはすべて人間価値において同じであると思われる。結局ひとがいないという結論になるのである。
しからば彼等はなぜそんなに低級なのかというと、要するに材料のなんたるかを、木彫のなんたるかを、水彩画のなんたるかを、充分に理解していないからである。器用にスケッチすることは出来ても、それが本体を掴むことが出来ないのは、本体のなんたるかを知らないからである。ひと口にいえば天与がなく、誠実がないからである。しかし、僕がこういったからといって、世間にこれらのものを賞賛するひとがないわけではない。ないどころかなかなかたくさんある。だいこんで鶴がうまく刻んであるとか、寿司の取り合わせがよいとかいってなかなかの人気であった。また、木彫にしても、水彩画にしても、これを買っているひとがあったのである。しかし、心あるものには、これらはとうてい賞めることは出来ないし、また、従って買えるものではない。作る者も低級だが、これを見たり買ったりする方もまた低級で、両方とも取り組みになっているというわけである。
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世に文士は多い。だが彼等は器用な筆を持っていても、帝展の新画一つ批評するものがない。彼等には帝展の絵でさえ批評する力がないのである。しかし、こうしたことは昔でもその通りであったかも知れぬ。九分九厘までは低級卑俗なもので占められていたかも知れぬ。
だが年代の進むに従って、だんだんインチキが多く堕落していくのはどういうものか。ともかく、不真面目になっていく。真剣味がなくなっていく。それは争われぬ事実である。これにはいろいろの事情もあろう。社会的、経済的関係もあろう。料理についていえば、料理がインチキになるとともに、材料そのものがインチキになっている。
例えば牛肉である。牛肉を研究するのはよいが、その研究の目的たるや牛肉の本来の味を作り出すための研究ではなくて、色をどうするかというような見てくれを考慮する。鳥でいえば、かしわはかしわそのものの本質を保存すべきであるのに、その本味を忘却し去って、やわらかければよいというので、ただやわらかくつくることをもって能事のようにしてしまう。もう一つは経済的事情からか安ければよいということがモットーとなって、結局イカサマものを作り出して金高を張らせないように研究する。これは本当には決して安いということにはならない。金高はなるほど低いが品そのものがインチキなのだから、かしわを買っても本当のかしわの味をもっていない。だから実はかえって高いものである。そこで料理の方では、材料の選択はますますむずかしいということになっている。けれども一般がそういうインチキもので気が済むというのは、みながほんものを知らず、また知っていても、いつしかそれに慣らされて、あえて不審がらなくなっていくためであろう。こうしてよいものがだんだんわからなくなり、従って、またよいものがなくなっていくということは、いかにも残念なことといわねばならぬ。
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近頃帝室博物館が熱心に勉強しだして陳列品をどしどし転換し、いいものを次から次へと陳列して見せてくれるようになった。これにとびついて見るのは美術家、すなわち画家や彫刻家にあるわけだが、実際に見に行く美術家はきわめて少ない。いやしくも美術家ならあんなよいものを見に行かずにはおられまいと思うが、果たして見に行くかと思うと見に行かない。それはなぜかというと、彼等はこれを見てもおもしろくない。感興が湧かないからである。なぜおもしろくないかといえば、ああいう本当の美術品を鑑賞する力がない。見ても分らないからである。われわれが無理に連れて行っても分らぬものはおもしろくないのだ。美術家がすでにそうだから、その門人たちもまず見ない。自分で進んで見に来るものはともかく、先生に勧められて見に来るものなどはまずないのである。しかるにすぐその前にある帝展はどうか、その方はわんさと押しかけている。つまらぬものを見たがるものだと思うが、これは飯の種に関係するから行くのである。骨身になるはずの博物館の方へ行く美術家は実に寥々たるものがある。むしろ専門家でない愛好者が見に行っている。
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この風潮は料理界になれば一層ひどく、ほとんど始末に終えない。しかし考えれば、豈ひとり料理界のみならんや。正月にはどこの家でも花を生けるのは、いうまでもなく自然の美を取り入れ、自然の趣を取り入れることである。しかるに、現在生け花の先生をしているひとびとのあり様を見ると、これがまことにもって料理人に対していったことが、そっくりそのままに当てはめられる。その風采といい、その言葉遣いといい、誠に恐縮せざるを得ないものがある。そこでその花に対する彼女等の賞玩態度も推して明らかである。花そのものの美は分っても、花の持つ自然の趣は分らない。本当に花が分ればこれをどんなものに生けるか、花を盛る器についても、相当の見識が出て来るのは当然のことであるが、あたら花をけがすような器が使われたり、さらにはなはだしきは花を眺めるのか、器を眺めるのか、どっちか分らないような、花をそっちのけにした器を平気で用いていたりする。生け花の先生には自然の趣などということは、なんの縁も関わりもないものであるらしい。
底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
1935(昭和10)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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