残肴の処理
北大路魯山人
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星岡時代、残肴を見て感あり、料理人一同に留意を促すゆえんを述べたことがある。
料理を出して、お客のところから残ってきたものを、他ではどんなふうに始末しているかわたしは知らない。わたしならその残肴を、お客がぜんぜん手をつけなかったもの、つけてもまだたくさん残っているもの、刺身は刺身、焼き魚は焼き魚というふうに整理して区分けし、これを生かすことを考える。こういうことは以前からしばしばみんなに話はしたものの、億劫がって実現されたためしがなかった。
昔の料理人というのは、安っぽい人間が実に多くて、残肴の処理などといえば、いかにもケチな話のように聞き、真剣には耳を貸さないようであった。
米一粒でさえ用を全うしないで、捨て去ってしまうのはもったいない。雀にやるとか、魚にやるとか、糊をこしらえるとか、工夫するのも料理人の心がくべきことだと思う。
そんなことをいうのは、人間が古いと感ずるらしい。一椀の飯でも意味なく捨て去ってしまうことは許されない。用あるものは、ことごとくその用を使い果たすところに天命があるのだと思う。
昨夜も遅くまで来客があった。当然残肴が出たわけだが、今朝ひょいと芥溜をのぞくと、堀川牛蒡その他がそっくりそのまま捨ててある。せっかく苦心して、うまくこしらえた高級野菜である。たいていの魚よりはよほど珍しく、珍重するに価する京都牛蒡が捨て去られてしまっている。女中に注意深い者でもいれば、こんなことはしなかったであろうに。料理人たるもの、いかに若いとはいえ、このようなことに無頓着であってはならない。
堀川牛蒡というものは、茶味があり雅味がある。その上、口の中にカスが残らないという特徴をもっている。見かけが素人好みの美しさでないために、お客によっては、どんなにうまいものか知らないで、手をつけない場合もある。いったん客席に出されたものとはいい条、まるきり手をつけないまんま捨て去ったりしないで、後から賞味するくらいの道楽気があってほしいものだ。
残肴には見るに忍びないほど傷められてくるものもあるが、多数の来客のある忙しい日になると、ぜんぜん手のつかないものも多くなってくる。
もし料理人に心があったら、たとえ牛蒡の一片にしても、うまく処理して、まったく別の珍味として食べることを考えるべきだろう。残らず捨て去ってしまったり、珍味だということをなんにも知らない輩に、むしゃむしゃ食べさせてしまうのはもったいないかぎりである。甘だいの骨一つにしても、犬にやるとか、残飯を干飯にするとか、方法はいくらもあろう。
料理人はせっかく手がけたものが充分食べられなかったり、手がつけられなかったりした場合は、もう一ぺんこれを生かして、自分達の味覚研究として、試食するくらいの機転がなくてはならない。経済的にいっても、もとよりの話であるが、料理人は料理で身すぎをする人間だ。いい材料を使って、手塩にかけたものが客の腹加減から用を足さないで戻ってきた場合、またもう一度これを生かす工夫に心して、自分たちの同僚のもので、試食研修してみるくらいの興味を持たなくては失格である。料理人は料理で僅少な金を得る生活よりも、ひたすら料理に興味を持ち続けることの方が幸福ではなかろうか。
繁忙の時でなければ残肴の姿は見えない。残肴が姿を出すような忙しい時は、料理人は疲労した上、残肴の整理など大変だと事務的に考えがちのものだが、生かさずにはおれないという生一本の性根がほしい。好きの道だからこそ、ここが大切なのだ。心の底から料理が好きという人間なら、これくらいのことは良識、良心の両杖で実行できるものである。
残肴の活用はわたしのいささか得意とするところであるためだろう、くどくどというが、諸君の中には家庭をもったひともいる。残肴の揚げものはぜひ二、三片でもいい、家に持って帰れば、家族がどんなに喜ぶか知れない。甘だいの大きな照り焼きの残ったものなど、菜っ葉や豆腐といっしょに煮て食べるといったように、一家を楽園にする道もある。
なるほどと得心がゆけば、常に残肴の係などの責任者をつくり、真剣に与えられた材料をなんとか生かして欲しい。ものの働きがあるうちは充分働かせ、その効用をせいぜい能率的にこの世に残してゆく。料理人にかぎらず、このことは人生に処する人間の心がけでなくてはならないと思う。また、こういうところから、料理の発明も発見も生ずるのである。
底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
1935(昭和10)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月3日作成
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