文楽座の人形芝居
和辻哲郎



 日本文化協会の催しで文楽座の人形使いの名人吉田文五郎よしだぶんごろう桐竹紋十郎きりたけもんじゅうろう諸氏を招いて人形芝居についての講演、実演などがあった。竹本小春太夫たけもとこはるたゆう、三味線鶴沢重造つるさわじゅうぞう諸氏も参加した。人形芝居のことをあまり知らない我々にとってはたいへんありがたい催しであった。舞台で見ているだけではちょっと気づかないいろいろな点をはっきり教えられたように思う。

 あの人形芝居の人形の構造はきわめて簡単である。人形として彫刻的に形成せられているのはただ首と手と足に過ぎない。女の人形ではその足さえもないのが通例である。首は棒でささえてひもで仰向かせたりうつ向かせたりする。物によると眼や眉を動かす紐もついている。それ以上の運動は皆首の棒を握っている人形使いの手首の働きである。手は二の腕から先で、指が動くようになっている。女の手は指をそろえたままで開いたりかがめたりする。三味線を弾く時などは個々の指の動く特別の手を使う。男の手は五本の指のパッと開く手、親指だけが離れて開く手など幾分種類が多い。しかし手そのものの構造や動きかたはきわめて単純である。それを生かせて使う力は人形使いの腕にある。足になると一層簡単で、ただ膝から下の足の形が作られているというに過ぎない。

 これらの三つの部分、首と手と足とを結びつける仕方がまた簡単である。首をさし込むために洋服掛けの扁平な肩のようなざっとしたわくが作ってあって、その端に糸瓜へちまが張ってある。首の棒を握る人形使いの左手がそれをささえるのである。その框から紐が四本出ていて、その二本が腕に結びつけられ、他の二本が脚に結びつけられている。すなわち人形の肢体を形成しているのは実はこの四本の紐なのであって、手や足はこの紐の端に過ぎない。従って足を見せる必要のない女の人形にあっては肢体の下半には何もない。あるのは衣裳だけである。

 人形の肢体が紐であるということは、実は人形の肢体を形成するのが人形使いの働きだということなのである。すなわちそれは全然彫刻的な形成ではなくして人形使い的形成なのである。この形成が人形の衣裳によって現わされる。あの衣裳は胴体を包む衣裳ではなくしてただ衣裳のみなのであるが、それが人形使い的形成によって実に活き活きとした肢体となって活動する。女の人形には足はないが、ただ着物のすその動かし方一つで坐りもすれば歩きもする。このように人形使いは、ただ着物だけで、優艶な肉体でも剛強な肉体でも現わし得るのである。ここまでくると我々は「人形」という概念をすっかり変えなくてはならなくなる。ここに作り出された「人の形」はただ人形使いの運動においてのみ形成される形なのであって、静止し凝固した形象なのではない。従って彫刻とは最も縁遠いものである。

 たぶんこの事を指摘するためであったろうと思われるが、桐竹紋十郎氏は「狐」を持ち出して、それが使い方一つで犬にも狐にもなることを見せてくれた。そうしてこういう話をした。ある時西洋人が文楽の舞台で狐を見て非常に感心し、それを見せてもらいに楽屋へ来た。人形使いはあそこに掛かっていますと言って柱にぶら下げた狐をさした。それは胴体が中のうつろな袋なので、柱にかかっている所を見れば子供の玩具にしか見えない。西洋人はどうしても承知しなかった。舞台で見たあの活き活きとした狐がどんなに精妙な製作であろうかを問題として彼は見に来たのであった。そこで人形使いはやむなく立って柱から狐を取りそれを使って見せた。西洋人は驚喜して、それだそれだと叫び出したというのである。西洋人は彫刻的に完成せられた驚くべき狐の像を想像していたのであった。しかるにその狐は人形使いの動きの中に生きていたのである。

 人形がこういうものであるとすると、我々の第一に気づくことは、人形芝居がそれを使う人の働きを具象化しているものであり、従って音楽と同様に刻々の創造であるということである。しかるに人形は一人では使えない。人形使いは左手に首を持ち右手に人形の右手を持っている。人形の左手は他の使い手に委せなくてはならぬ。さらに人形の足は第三の人の共働を待たねばならぬ。そうすると使う人の働きを具象化するということは少なくともこの三人の働きの統一を具象化することでなくてはならない。ところでここに表現せられるのは一人の人の動作である。三人の働きが合一してあたかも一人の人であるかのごとく動くのではまだ足りない。実際に一人の人として動かなければ人形の動きは生きて来ないのである。そこでこの三人の間の気合いの合致が何よりも重大な契機になる。人形が生きて動いている時には、同時にこの三人の使い手の働きが有機的な一つの働きとして進展している。見る目には三人の使い手の体の運動があたかも巧妙な踊りのごとくに隙間すきまなく統一されてなだらかに流れて行くように見える。ただ一つの躊躇ちゅうちょ、ただ一つのつまずきがこの調和せる運動を破るのである。しかしこの一つの運動を形成する三人はあくまでも三人であって一人ではない。足を動かす人の苦心は彼自身の苦心であって首を持つ師匠の苦心ではない。それぞれの人はそれぞれの立場においてその精根をつくさねばならぬ。そうして彼が最もよくその自己であり得た時に、彼らは最もよく一つになり得るのである。

 吉田文五郎氏の話した若いころの苦心談はこの事を指示していたように思われる。足を使っていた少年の彼を師匠は仮借するところなく叱責した。種々に苦心してもなかなか師匠は叱責の手をゆるめない。ある日彼はついに苦心の結果一つのやり方を考案し、それでもなお師匠が彼を叱責するようであれば、思い切り師匠をなぐり飛ばして逃亡しようと決心した。そうしてそのきわどい瞬間に達したときに、師匠は初めてうまいとほめた。自分の運命をその瞬間にかけるというほどに己れが緊張したとき、初めて師匠との息が合ったのである。それまでの叱責は自分の非力に起因していた。そこで文五郎氏も初めて師匠の偉さ、ありがたさをさとったというのである。

 このような気合いの統一はしかしただ三人の間に限ることではない。他の人形との間に、さらに語り手や三味線との間に、存しなくてはならない。それでなくては舞台上の統一は取れないのである。オペラや能と違って人形浄瑠璃においては音楽は純粋に音楽家が、動作は純粋に人形使いが引き受ける。そこで動作の心使いに煩わされることのない音楽家の音楽的表現が、直ちに動作する人形の言葉になる。人形は自ら口をきかないがゆえにかえって自ら言うよりも何倍か効果のある言葉を使い得るのである。そこで人形の動作において具象化せられる人形使いの働きと、その人形の魂の言葉を語っている音楽家の働きとが、ぴったりと合って来なくてはならない。オペラにおいて唱い手が唱いつつ動作しているあの働きと同じ事をやるために、人形使いたちと語り手の間に非常に緊密な気合いの合致が実現されねばならぬのである。そうしてそれだけの苦労は決してむくわれないのではない。オペラにおける動作は一般に芸術的とは言い難い愚かなものであるが、人形の動作はまさに人間の表情活動の強度な芸術化純粋化と言ってよいのである。

 ところでオペラの統一はオーケストラの指揮者が握っているが、人形芝居にはこのような指揮者がいない。しかも人形の使い手、語り手、弾き手は、直接に統一を作り出すのである。それは古くから言われているように「息を合わせる」のであって、悟性の判断に待つのではない。この点について三味線の鶴沢重造氏はきわめて興味の深いことを話してくれた。最初三味線を弾き出す時に、左右を顧み、ころあいをはかってやるのではない。もちろん合図などをするのではない。自分がパッと飛び出す時に同時に語り手も使い手も出てくれるのである。左右に気を兼ねるようであればこの気合いが出ない。思い切ってパッと出てしまうのである。ところでこの気合いは弾き出しの時に限らない。あらゆる瞬間がそれである。刻々として気合いを合わせて行かなければ舞台は生きるものではない。この話は我々に「指揮者なきオーケストラ」の話を思い出させる。それはロシアでは革命的な現象であったかも知れない。しかし日本の芸術家にはきわめて当たり前のことであった。否、そのほかに統一をつくる仕方はなかったのである。

 第二に我々の気づいたことは、人形の動作がいかに鋭い選択によって成っているかということであった。この選択は必ずしも今の名人がやったのではない。最初、人形芝居が一つの芸術様式として成立したのは、この選択が成功したということにほかならぬのである。人形に動作を与え、そうして生ける人よりも一層よく生きた感じを作り出すためには、人間の動作の中からきわめて特徴的なものを選び取らなくてはならなかった。いかに人形使いの手先が器用であるからといって、人形に無限に多様な動きを与えることはできない。手先の働きには限度がある。そこでこの限度内において人形を動かすためには、不必要な動作、意味の少ない動作は切り捨てるほかはない。そうすれば人の動作にとって本質的な(と人形使いが直観する)契機のみが残されてくることになる。ここに能の動作との著しい対照が起こって来るゆえんがあり、また人形振りが歌舞伎芝居に深い影響を与えたゆえんもある。これらの演劇形態について詳しい知識を有する人が、一々の動作の仕方を細かく分析し比較したならば、そこにこれらの芸術の最も深い秘密が開示せられはしまいかと思われる。

 一、二の例をあげれば、人形使いが人形の構造そのものによって最も強く把握しているのは、首の動作である。特に首を左右に動かす動作である。これは人形使いの左手の手首によって最も繊細に実現せられる。それによってうつ向いた顔も仰向いた顔も霊妙な変化を受けることができる。ところでこの種の運動は「能」の動作において最も厳密に切り捨てられたものであった。とともに、歌舞伎芝居がその様式の一つの特徴として取り入れたものであった。歌舞伎芝居において特に顕著に首を動かす一、二の型を頭に浮かべつつ、それが自然な人間の動作のどこに起源を持つかを考えてみるがよい。そこにおのずから、人形の首の運動が演技様式発展の媒介者として存することを見いだし得るであろう。

 あるいはまた人形の肩の動作である。これもまた首の動作に連関して人形の構造そのものの中に重大な地位を占めている。人形使いはたとえば右肩をわずかに下げる運動によって肢体全体に女らしい柔軟さを与えることができる。逆に言えば肢体全体の動きが肩に集中しているのである。ところでこのように肩の動きによって表情するということも「能」の動作が全然切り捨て去ったところである。とともに歌舞伎芝居が誇大化しつつ一つの様式に作り上げたものである。ここでも我々は人間の自然的な肩の動作が、人形の動作の媒介によって歌舞伎の型にまで様式化せられて行ったことを見いだし得るであろう。

 この種の例はなおいくらでもあげることができるであろう。人形使いは人間の動作を選択し簡単化することによって逆に芸術的な人間の動作を創造したのである。そうしてかく創造せられた動作は、それが芸術的であり従って現実よりも美しいというまさにその理由によって、人間に模倣衝動を起こさせる。自然的な人の動作の内に知らず知らずに人形振りが浸み込んで来る。この際にはまた逆に、歌舞伎芝居が媒介の役をつとめていると言えるかもしれない。徳川時代にできあがった風俗作法のうちには、右のごとき視点からして初めて理解され得るものが少なからず存すると思う。

底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店

   1995(平成7)年918日第1刷発行

   2006(平成18)年1122日第6刷発行

初出:「思想」

   1935(昭和10)年8月号

入力:門田裕志

校正:米田

2010年1214日作成

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