寺田さんに最後に逢った時
和辻哲郎



 去年の八月の末、谷川君に引っ張り出されて北軽井沢を訪れた。ちょうどその日は雨になって、軽井沢駅に降りた時などは土砂降りであった。その中を電車の終点まで歩き、さらに玩具のように小さい電車の中で窓を閉め切って発車を待っていた時の気持ちは、はなはだわびしいものであった。少し癇癪が起きそうになるまで待たされたあとで、やっと動き出したかと思うと、やがてまたすぐに止まった。旧軽井沢であったらしい。ここでもなかなか発車しそうにない。うんざりしながらひなびた小さな停車場をながめていると、突然陽気な人声が聞こえて四、五人の男女が電車へ飛び込んで来た。よほどけて来たらしく息を切らしている人もある。ふと見るとその一人が寺田先生であった。

 自分にはこの時一種の驚きが感じられた。この雨の中のわびしい電車に乗るなどということは、よほど特殊な事情によるのである。自分は谷川君との約束を幾度か延ばし延ばししていた罰でこんな羽目になった。しかし軽井沢に避暑している人たちがまさかこんな日に出歩くとは思わなかった。まして寺田さんの一行が自分と同じく北軽井沢までも行かれるとは全然思いがけなかった。ところが聞いてみると寺田さんの方でも松根氏との約束を延ばし延ばししている内についこんな日に出掛けることになったのだそうである。しかもその朝東京から出掛けて来た自分たちと軽井沢に逗留とうりゅうしていられる寺田さんたちとが、こうして同じ電車に落ち合ったのである。

 が、寺田さんと話しているうちにこのような偶然よりも一層強く自分を驚かせるものがあった。何か植物のことをたずねた時に、寺田さんは袖珍しゅうちんの植物図鑑をポケットから取り出したのである。山を歩くといろんな植物が眼につく、それでこういうものを持って歩いている、というのである。この成熟した物理学者は、ちょうど初めて自然界の現象に眼が開けて来た少年のように新鮮な興味で自然をながめている。植物にいろんな種類、いろんな形のあることが、実に不思議でたまらないといった調子である。その話を聞いていると自分の方へもひしひしとその興味が伝わってくる。人間の作る機械よりもはるかに精巧な機構を持った植物が、しかも実に豊富な変様をもって眼の前に展開されている。自分たちが今いるのはわびしい小さな電車の中ではなくして、実ににぎやかな、驚くべき見世物の充満した、アリスの鏡の国よりももっと不思議な世界である。我々は驚異の海のただ中に浮かんでいる。山川草木はことごとく浄光を発して光り輝く。そういったような気持ちを寺田さんは我々に伝えてくれるのである。こうしてあの小さい電車のなかの一時間は自分には実に楽しいものになった。

 あの日は寺田さんは非常に元気であった。電車へ飛び込んで来られる時などはまるで青年のようであった。自分などよりもよほど若々しさがあると思った。その後一月たたない内に死の床にかれる人だなどとはどうしても見えなかった。これから後にも時々ああいう楽しい時を持つことができると思うと、寺田さんの存在そのものが自分には非常に楽しいものに思われた。それが最後になったのである。

底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店

   1995(平成7)年918日第1刷発行

   2006(平成18)年1122日第6刷発行

初出:「渋柿」

   1936(昭和11)年2月号

※編集部による補足は省略しました。

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2012年15日作成

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