進むべき俳句の道
高浜虚子
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こゝに雑詠といふのは明治四十一年十月発行の第十二巻第一号より四十二年七月一日発行の第十二巻第十号に至るホトトギス掲載の「雑詠」並に、明治四十五年七月一日発行の第十五巻第十号より大正四年三月発行の第十八巻第六号に至るホトトギス掲載の「雑詠」を指すのである。
第一期の雑詠即ち明治四十一年十月以降一年足ずの間の雑詠は期間も短く且つ句数も極めて少なかつた。けれども当時私は此の雑詠の選によつて我等の進んで行く新らしい道を徐ろに開拓して行かうと考へたのであつた。
高山と荒海の間炉を開く
といふやうな句にぶつゝかつた時私の心が躍つて暫く止まなかつた事は今でもよく覚えて居る。其を何故途中で廃止したかといふに、当時私は専ら写生文に努力して、どうか此の遣り掛けの仕事を、完成と迄は行かずとも、或点迄推し進めて見度いと志して其方に没頭した為めに、自然俳句には遠ざからねばならぬ羽目になつたのであつた。片手間でも雑詠の選位は出来ぬことはあるまい、との批難もあつたけれども、選出する句こそ少数なれ投句数は一万にも近いのであつたから其を片手間仕事にどうするといふことも出来ぬので残念であつたけれども断然其を廃止し且つ其を機会として俳句の事には一切手を出さぬことにしたのであつた。
其から丁度三年間といふもの私は全く俳句界から手を引いて、所謂見ざる聞かざる言はざる三猿主義を極め込んでゐたのであつたが、其間に私が当初の希望通り小説(写生文)に熱衷することが出来たのは初めの二年間許りであつて、あとの一年になつてからふと健康を損じなか〳〵思ふやうには筆が取れぬことになつてしまつた。
私は「病院に這入らうか遊ばうか」と自ら質問して「遊ばう」と自答した。其から凡そ一年間何もせずに遊びながら心は再び俳句の上に戻つて、病床に鎌倉、戸塚辺の俳人数氏を招いて久しぶりに句作したのも其頃であつた。さうして聞くとも無しに聞く俳句界の消息は私をして黙止するに忍びざらしめるものがあつた。其処で又たホトトギス紙上に俳句に対する短い所感を並べ始め、同時に曾て一度志して果たさなかつた雑詠を再興して、最初の希望通り、私等の進むべき新らしき道を実際的に見出して行かうとしたのであつた。
私が明治四十五年七月一日発行の第十五巻第十号紙上に初めて第二期の雑詠を発表して次の如きことを言つたことは読者の記憶に新たなるところであらう。
第一回雑詠選を終りたる後ちの所感を申し候へば、調子の晦渋なるものは概ね興味を感ぜず、平明なるものは多く陳腐の譏を免れざりしといふに帰着致候。今回選せし二十四句と雖も清新といふ点よりいへば慊らざるもの多く候。
当時の心持を回想して今少し率直に言へば、私は実に悪句拙句の充満してゐるのに驚いたのであつた。殊に新傾向かぶれの晦渋を極めた句の多いのと、偶〻旧態を墨守してゐる人の句は生気を欠くことの余り甚だしいのに腹が立つたのであつた。けれども其に腹を立てたのは私の誤りで我ホトトギスの俳句の園を其程の荒蕪に任して置いたのは、誰あらう其が私であつた事を考ふるに至つて撫然とした。
第一回の結果に驚きもし嘆息もしたが、併し寧ろ反動的の勇気を得て、私は益〻雑詠の選に意を留めた。さうして爾来凡そ三年間の努力──寧ろ投句家諸君の努力──によつて、投句家、投句数の激増といふやうな量の上の進歩に併せて立派な句を見出し得るといふ質の上に進歩の著しいのを喜悦せねばならぬのである。
右第一期の約一年間、第二期の約三年間の選句を通計して二千句を出ることは余り多くないのである。句数から言つては決して多いとはいへ無い。けれども仔細に吟味して行けば、此等の句によつて、当初の希望通り、我等の進むべき新らしい道は必ず暗示されてゐる筈である。此の雑詠評は其を験べて見ようといふのである。
其に就いて私は諸君の進むべき道、否進み来つた道は唯一つなりと言はうとは決して思は無いのである。これも実際吟味の結果で無ければ判らぬことであつて、私は軽率に断定しようといふのでは無いが、併し其は是非共さうあらねばならぬものと考へるのである。今少し詳しく言へば斯うである。雑詠は虚子が選をするのであるから、其は虚子趣味以外のものは容れぬのであると言ふ人があるかも知れぬ。其にしたところで、其を作つた人は同一人で無いのであるから、仔細に其を調べて行つたならば、其各作家には其々の特色があつて、一見似寄つたやうな句と見えたものにも争ふことの出来ぬ異色を認めるやうになるであらう。即ち雑詠は雑詠といふ一団としては或一の方向に進み来つたものとも言へるのであるが、其中に在る分子々々は各〻異つた本来の性質を持つて其々歩趨を異にしてゐるのである。其処で此の雑詠評は強ひて或一つの方向に進んで居るといふ事を演繹的に述べることをしないで、さういふ方向もある、あゝいふ方向もある、斯んな道もある、あんな道もある、といふ風に成るべく種々雑多の違つた道を指定して見ようと思ふのである。
「諸君の進み来つた道は諸君の進むべき道である。」
私はさう考へるのである。兎角世間には人をも弁へず、異同をも究めず、自分が此の方へ進んだのだから皆此の方へ来なければいかぬ、といふ人があるが、さういふ人は動ともすると人の子を誤るのである。自分は甲の道を進んで来たけれども他の人は乙の道を進んで来るかも知れぬのである。人々の進んで来た道が自分と違つてゐるからと言つて直ちに其道が誤つてゐるとは言へ無いのである。即ち或人の無我夢中で歩んで来てゐる道を其道は斯ういふ道である。其道を取れば斯ういふ方向に達する、と斯ういふ事を其人に知らせてやつて、其人自身に新らしい道を拓かせ度いと思ふのである。これは私には分に過ぎた大望かも知れないのであるが、しかしさういふ心持で俳句界に臨んでゐる人が今の処絶無であるから瑰より始める積りで私は其方針を取つて居る。
これは一尺でも一寸でも高処に立つてゐる人が適任なのである。若し私より一尺でも一寸でも高処に立つてゐる人でさういふ事を志す人が出て来たら、私などは早速引下つてよいのである。
「ホトトギスに雑詠の選をするのは虚子趣味を推し進めようとするのでは無い。諸君をして諸君自身の道を開拓せしめようとするのである。即ちこゝに雑詠評を試むるのも虚子が進み来り進み行く唯一の道を見出さうとするのでは無い。諸君が進み来り進み行く幾多の道を明かにせうとするのである。
其が私の手によつて為さるゝ為めに私の道に外ならんといふ理屈を称へる人があるであらう。さう言へばさうに違ひ無い。唯私は比較的広いことを志してゐるのである。出来るだけ諸君に立ち代つて諸君自身の道を見出して見度いと考へるのである。
青年の心を支配するものは「新」といふ字に越すものは無い。自分自身が凡ての物の芽生えに有する溌剌たる生気を有してをるところから、見渡した世界に欣求するところのものも亦凡て新しきものである。否、新しきものといふよりも寧ろ「新」といふ文字其ものである。厳密に言へば彼等は未だ物を聞覩することが少い。中年以上の人が見て陳腐とするところのものを彼等は、初めて其を見るが為めに斬新だと解することが往々にしてある。其為めに古物を陳ねて、之は新しいものであると呼称する人の為めに誤らるゝことが決して珍らしくは無いのである。少くとも上つ面の新しげに見えて其実陳腐なるものを、中核から新らしいものと誤解する事が少く無いのである。其に反して又た上つ面は一見陳腐なるが如くであつて、其実新生命を包蔵してゐるものを、頭から陳腐なるものとして一顧をも与へ無いといふやうなことも亦多い。
私はさういふ傾向が俳壇にも存在してゐることをいつも不本意に思ふのである。未来の俳壇を組織すべき人として青年は大なる責任者である。其青年が兎角軽浮なる「新」の字に動かされ迷はさるゝことは痛嘆すべきことである。
が、之は青年に止まらない。其道の事情に疎い人は皆同じ傾向を持つてをる。殊に中年以上の人がおど〳〵してゐることは、自分等は年を取つたから、知らず識らずの間にものに膠着して新趨向に取り残されはしないだらうかといふ事である。其が一層地方に僻在してゐる人の心の上に多いのである。たとへば三越といふやうな、流行の魁といふ事を旗印にして営利を専らにせうとしてゐるやうなところは常に此の心理を利用して、ものゝ事情に迂遠な人、田舎ものなどを煙に巻くのである。けれども厳密に之を言つて三越のどの隅に真実の意味でいふ新らしいものがあるか。多くは是れ「新」といふ上辷りのした空虚な文字で人の心を惑乱するものでは無いか。
俳壇にも亦た之に類した事が多い。「新」といふ叫び声は自ら俳壇の落伍者である如く感じてゐる人を脅かすのには無上の武器である。新流行に後れざることを以て通人と心得てゐる軽浮なる都会の人、都会其ものの権威に蹶落されて、訳も無く弱小なるものと心得てゐる田舎の人、其等の人達は唯「新」といふ文字に眩惑されて、其実質をたしかむる遑さへ無しに、其膝下に跪拝するのである。
私が嘗て自ら守旧派と号したのも必竟は此の浮薄なる趨向に反対し、軽率なる雷同者に警鐘を撞いたのである。守旧とは唯旧格を墨守せうといふのでは無い。くりかへしていふやうに温古知新の謂である。近来の俳壇の趨向を見ると、一時「新」の字に眩惑せられて前後を忘却してゐたものも漸く覚醒して古典文芸としての俳句の真の面目を了解せうと志してゐるかの観がある。是れ祝福すべきことである。私は最早強ひて旧の字を大呼して、行き過ぎたものを引戻すことにのみ多くの力を注ぐことを必要としなくなつた。今や過去数年間に於て我等が実際的に試み来つた新らしき仕事を振りかへつて見る最好の時機に到達したと言つてよい。
私は真の意味に於ける「新」の字を尊重する。而して「新」とは何ぞや。
「或意味に於て新とは力である。」
私は斯く考へるのである。
底本:「近代浪漫派文庫 7 正岡子規 高浜虚子」新学社
2006(平成18)年9月11日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:高瀬竜一
2017年3月11日作成
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