露伴の出世咄
内田魯庵
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ある時、その頃金港堂の『都の花』の主筆をしていた山田美妙に会うと、開口一番「エライ人が出ましたよ!」と破顔した。
ドウいう人かと訊くと、それより数日前、突然依田学海翁を尋ねて来た書生があって、小説を作ったから序文を書いてくれといった。学海翁は硬軟兼備のその頃での大宗師であったから、門に伺候して著書の序文を請うものが引きも切らず、一々応接する遑あらざる面倒臭さに、ワシが序文を書いたからッて君の作は光りゃアしない、君の作が傑作ならワシの序文なぞはなくとも光ると、味も素気もなく突跳ねた。
すると件の書生は、先生の序文で光彩を添えようというのじゃない、我輩の作は面白いから先生も小説が好きなら読んで見て、面白いと思ったら序文をお書きなさい、ツマラナイと思ったら竈の下へ燻べて下さいと、言終ると共に原稿一綴を投出してサッサと帰ってしまった。
学海翁の家へはソンナ書生が日に何人も来た。預かってる原稿も山ほど積んであった。中には随分手前味噌の講釈をしたり、己惚半分の苦辛談を吹聴したりするものもあったが、読んで見ると物になりそうなは十に一つとないから大抵は最初の二、三枚も拾読みして放たらかすのが常であった。が、その日の書生は風采態度が一と癖あり気な上に、キビキビした歯切れのイイ江戸弁で率直に言放すのがタダ者ならず見えたので、イツモは十日も二十日も捨置くのを、何となく気に掛ってその晩、ドウセ物にはなるまいと内心馬鹿にしながらも二、三枚めくると、ノッケから読者を旋風に巻込むような奇想天来に有繋の翁も磁石に吸寄せられる鉄のように喰入って巻を釈く事が出来ず、とうとう徹宵して竟に読終ってしまった。和漢の稗史野乗を何万巻となく読破した翁ではあるが、これほど我を忘れて夢中になった例は余り多くなかったので、さしもの翁も我を折って作者を見縊って冷遇した前非を悔い、早速詫び手紙を書こうと思うと、山出しの芋掘書生を扱う了簡でドコの誰とも訊いて置かなかったので住居も姓氏も解らなかった。いよいよ済まぬ事をしたと、朝飯もソコソコに俥を飛ばして紹介者の淡嶋寒月を訪い、近来破天荒の大傑作であると口を極めて激賞して、この恐ろしい作者は如何なる人物かと訊いて、初めて幸田露伴というマダ青年の秀才の初めての試みであると解った。
翁は漢学者に似気ない開けた人で、才能を認めると年齢を忘れて少しも先輩ぶらずに対等に遇したから、さらぬだに初対面の無礼を悔いていたから早速寒月と同道して露伴を訪問した。老人、君の如き異才を見るの明がなくして意外の失礼をしたと心から深く詫びつつ、さてこの傑作をお世話したいが出版先に御希望があるかと懇切に談合して、直ぐその足で金港堂へ原稿を持って来た。
「イヤ、実に面白い作で、真に奇想天来です。」と美妙も心から喜ぶように満面笑い頽れて、「近来の大収穫です。学海翁も褒めちぎって褒め切れないのです。天才てものは何時ドコから現われて来るか解らんもんで、まるで彗星のようなもんですナ……」
と美妙は御来迎でも拝んだように話した。それから十日ほど過ぎて学海翁を尋ねると、翁からも同じ話を聴かされたが、エライ男です、エライ男ですと何遍となく繰返した。
この作が『露団々』であった。露伴の処女作はこれより以前に『禅天魔』というのがあったが終に発表されなかった。初めて発表されて露伴という名を世間に認めさしたのはこの『露団々』で、初めは『都の花』に連掲され、暫らくしてから単行本となって出版された。が、露伴の名をして一躍芸壇の王座を争うまでに重からしめたのは『風流仏』であった。『露団々』は露伴の作才の侮りがたいのを認めしめたが、奇想天来の意表外の構作が読者を煙に巻いて迷眩酔倒せしめたので、私の如きも読まない前に美妙や学海翁から散々褒めちぎって聴かされていたためかして、読んだ時は面白さに浮れて夢中となったが、その面白味は手品を見るような感興で胸に響くものはなかった。が、『風流仏』を読んだ時は読終って暫らくは恍然として珠運と一緒に五色の雲の中に漂うているような心地がした。アレほど我を忘れて夢幻に徜徉するような心地のしたのはその後にない。短篇ではあるが、世界の大文学に入るべきものだ。
露伴について語るべき事は多いが、四枚や五枚ではとても書尽されないから、今はこれだけで筆を擱く。
底本:「新編 思い出す人々」岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年2月16日第1刷発行
2008(平成20)年7月10日第3刷
底本の親本:「改造社文学月報 11号」
1927(昭和2)年11月5日発行
初出:「改造社文学月報 11号」
1927(昭和2)年11月5日号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年5月29日作成
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