島原の夢
岡本綺堂
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『戯場訓蒙図彙』や『東都歳事記』や、さてはもろもろの浮世絵にみる江戸の歌舞伎の世界は、たといそれがいかばかり懐かしいものであっても、所詮は遠い昔の夢の夢であって、それに引かれ寄ろうとするにはあまりに縁が遠い。何かの架け橋がなければ渡ってゆかれないような気がする。その架け橋は三十年ほど前から殆ど断えたといってもいい位に、朽ちながら残っていた。それが今度の震災と共に、東京の人と悲しい別離をつげて、かけ橋はまったく断えてしまったらしい。
おなじ東京の名をよぶにも、今後はおそらく旧東京と新東京とに区別されるであろう。しかしその旧東京にもまた二つの時代が劃されていた。それは明治の初年から二十七、八年の日清戦争までと、その後の今年までとで、政治経済の方面から日常生活の風俗習慣にいたるまでが、おのずからに前期と後期とに分たれていた。
明治の初期にはいわゆる文明開化の風が吹きまくって、鉄道が敷かれ、瓦斯灯がひかり、洋服や洋傘やトンビが流行しても、詮ずるにそれは形容ばかりの進化であって、その鉄道にのる人、瓦斯灯に照される人、洋服をきる人、トンビをきる人、その大多数はやはり江戸時代からはみ出して来た人たちである事を記憶しなければならない。わたしは明治になってから初めてこの世の風に吹かれた人間であるが、そういう人たちにはぐくまれ、そういう人たちに教えられて生長した。即ち旧東京の前期の人である。それだけに、遠い江戸歌舞伎の夢を追うにはいささか便りのよい架け橋を渡って来たともいい得られる。しかしその遠いむかしの夢の夢の世界は、単に自分のあこがれを満足させるにとどまって、他人にむかっては語るにも語られない夢幻の境地である。わたしはそれを語るべき詞をしらない。
しかし、その夢の夢をはなれて、自分がたしかに蹈み渡って来た世界の姿であるならば、たといそれがやはり一場の過去の夢にすぎないとしても、私はその夢の世界を明かに語ることが出来る。老いさらばえた母をみて、おれはかつてこの母の乳を飲んだのかと怪しく思うようなことがあっても、その昔の乳の味はやはり忘れ得ないとおなじように、移り変った現在の歌舞伎の世界をみていながらも、わたしはやはり昔の歌舞伎の夢から醒め得ないのである。母の乳のぬくみを忘れ得ないのである。
その夢はいろいろの姿でわたしの眼の前に展開される。
劇場は日本一の新富座、グラント将軍が見物したという新富座、はじめて瓦斯灯を用いたという新富座、はじめて夜芝居を興行したという新富座、桟敷五人詰一間の値四円五十銭で世間をおどろかした新富座──その劇場のまえに、十二、三歳の少年のすがたが見出される。少年は父と姉とに連れられている。かれらは紙捻りでこしらえた太い鼻緒の草履をはいている。
劇場の両側には六、七軒の芝居茶屋がならんでいる。そのあいだには芝居みやげの菓子や、辻占せんべいや、花かんざしなどを売る店もまじっている。向う側にも七、八軒の茶屋がならんでいる。どの茶屋も軒には新い花暖簾をかけて、さるやとか菊岡とか梅林とかいう家号を筆太に記るした提灯がかけつらねてある。劇場の木戸まえには座主や俳優に贈られた色々の幟が文字通りに林立している。その幟のあいだから幾枚の絵看板が見えがくれに仰がれて、木戸の前、茶屋のまえには、幟とおなじ種類の積物が往来へはみ出すように積み飾られている。
ここを新富町だの、新富座だのというものはない。一般に島原とか、島原の芝居とか呼んでいた。明治の初年、ここに新島原の遊廓が一時栄えた歴史を有っているので、東京の人はその後も島原の名を忘れなかったのである。
築地の川は今よりも青くながれている。高い建物のすくない町のうえに紺青の空が大きく澄んで、秋の雲がその白いかげをゆらゆらと浮べている。河岸の柳は秋風にかるくなびいて、そこには釣をしている人もある。その人は俳優の配りものらしい浴衣を着て、日よけの頬かむりをして粋な莨入れを腰にさげている。そこには笛をふいている飴屋もある。その飴屋の小さい屋台店の軒には、俳優の紋どころを墨や丹や藍で書いた庵看板がかけてある。居附きの店で、今川焼を売るものも、稲荷鮓を売るものも、そこの看板や障子や暖簾には、なにかの形式で歌舞伎の世界に縁のあるものをあらわしている。仔細に検査したら、そこらをあるいている女のかんざしも扇子も、男の手拭も団扇も、みな歌舞伎に縁の離れないものであるかも知れない。
こうして、築地橋から北の大通りに亘るこの一町内はすべて歌舞伎の夢の世界で、いわゆる芝居町の空気につつまれている。勿論電車や自動車や自転車や、そうした騒雑な音響をたてて、ここの町の空気をかき乱すものは一切通過しない。たまたまここを過ぎる人力車があっても、それは徐かに無言で走ってゆく。あるものは車をとどめて、乗客も車夫もしばらくその絵看板をながめている。その頃の車夫にはなかなか芝居の消息を諳んじている者もあって、今度の新富チョウは評判がいいとか、猿若マチは景気がよくないとか、車上の客に説明しながら挽いてゆくのをしばしばきいた。
秋の真昼の日かげはまだ暑いが、少年もその父も帽子をかぶっていない。姉は小さい扇を額にかざしている。かれらは幕のあいだに木戸の外を散歩しているのである。劇場内に運動場を持たないその頃の観客は、窮屈な土間に行儀好くかしこまっているか、茶屋へ戻って休息するか、往来をあるいているかの外はないので、天気のいい日にはぞろぞろとつながって往来に出る。帽子をかぶらずに、紙捻りの太い鼻緒の草履をはいているのは、芝居見物の人であることが証明されて、それが彼らの誇りでもあるらしい。少年も芝居へくるたびに必ず買うことに決めているらしい辻占せんべいと八橋との籠をぶら下げて、きわめて愉快そうに徘徊している。かれらにかぎらず、すべて幕間の遊歩に出ている彼らの群は、東京の大通りであるべき京橋区新富町の一部を自分たちの領分と心得ているらしく、すれ合い摺れちがって往来のまん中を悠々と散歩しているが、角の交番所を守っている巡査もその交通妨害を咎めないらしい。土地の人たちも決して彼らを邪魔者とは認めていないらしい。
やがて舞台の奥で木の音がきこえる。それが木戸の外まで冴えてひびき渡ると、遊歩の人々は牧童の笛をきいた小羊の群のように、皆ぞろぞろと繋がって帰ってゆく。茶屋の若い者や出方のうちでも、如才のないものは自分たちの客をさがしあるいて、もう幕があきますと触れてまわる。それに促されて、少年もその父もその姉もおなじく急いで帰ろうとする。少年はぶら下げていた煎餅の籠を投げ出すように姉に渡して、一番先に駈出してゆく。木の音はつづいてきこえるが、幕はなかなかあかない。最初からかしこまっていた観客は居ずまいを直し、外から戻って来た観客はようやく元の席に落ちついた頃になっても、舞台と客席とを遮る華やかな大きい幕はなおいつまでも閉じられて、舞台の秘密を容易に観客に示そうとはしない。しかも観客は一人も忍耐力を失わないらしい。幽霊の出るまえの鐘の音、幕のあく前の拍子木の音、いずれも観客の気分を緊張させるべく不可思議の魅力をたくわえているのである。少年もその木の音の一つ一つを聴くたびに、胸を跳らせて正面をみつめている。
幕があく。『妹脊山婦女庭訓』、吉野川の場である。岩にせかれて咽び落ちる山川を境にして、上の方の脊山にも、下の方の妹山にも、武家の屋形がある。川の岸には桜が咲きみだれている。妹山の家には古風な大きい雛段が飾られて、若い美しい姫が腰元どもと一所にさびしくその雛にかしずいている。脊山の家には簾がおろされてあったが、腰元のひとりが小石に封じ文をむすび付けて打ち込んだ水の音におどろかされて、簾がしずかに巻きあげられると、そこにはむらさきの小袖に茶苧の袴をつけた美少年が殊勝げに経巻を読誦している。高島屋とよぶ声がしきりに聞える。美少年は市川左団次の久我之助である。
姫は太宰の息女雛鳥で、中村福助である。雛鳥が恋人のすがたを見つけて庭に降り立つと、これには新駒屋とよぶ声がしきりに浴せかけられたが、かれの姫はめずらしくない。左団次が前髪立の少年に扮して、しかも水の滴るように美しいというのが観客の眼を奪ったらしい。少年の父も唸るような吐息を洩しながら眺めていると、舞台の上の色や形はさまざまの美い錦絵をひろげてゆく。
脊山の方は大判司清澄──チョボの太夫の力強い声によび出されて、仮花道にあらわれたのは織物の𧘕𧘔をきた立派な老人である。これこそほんとうに昔の錦絵からぬけ出して来たかと思われるような、いかにも役者らしい彼の顔、いかにも型に嵌ったような彼の姿、それは中村芝翫である。同時に、本花道からしずかにあゆみ出た切髪の女は太宰の後室定高で、眼の大きい、顔の輪廓のはっきりして、一種の気品を具えた男まさりの女、それは市川団十郎である。大判司に対して、成駒屋の声が盛んに湧くと、それを圧倒するように、定高に対して成田屋、親玉の声が三方からどっと起る。
大判司と定高は花道で向い合った。ふたりは桜の枝を手に持っている。
「畢竟、親の子のというは人間の私、ひろき天地より観るときは、おなじ世界に湧いた虫」と大判司は相手に負けないような眼をみはって空嘯く。
「枝ぶり悪き桜木は、切って接ぎ木をいたさねば、太宰の家が立ちませぬ」と、定高は凛とした声でいい放つ。
観客はみな酔ってしまったらしく、誰ももう声を出す者もない。少年も酔ってしまった。かれは二時間にあまる長い一幕の終るまで身動きもしなかった。
その島原の名はもう東京の人から忘れられてしまった。周囲の世界もまったく変化した。妹脊山の舞台に立ったかの四人の歌舞伎俳優のうちで、三人はもう二十年も前に死んだ。わずかに生き残るものは福助の歌右衛門だけである。新富座も今度の震災で灰となってしまった。一切の過去は消滅した。
しかも、その当時の少年は依然として昔の夢をくり返して、ひとり楽み、ひとり悲んでいる。かれはおそらくその一生を終るまで、その夢から醒める時はないのであろう。
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「十番随筆」新作社
1924(大正13)年4月初版発行
初出:「随筆」
1924(大正13)年1月号
※原題は「歌舞伎の夢」。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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