私の机
岡本綺堂
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ある雑誌社から「あなたの机は」という問合せが来たので、こんな返事をかいて送る。
天神机──今はあと方もなくなってしまいましたが、私が子供の時代には、まだそれが一般に行われていて、手習をする子は皆それに向ったものです。わたしもその一人でした。今でも寺子屋の芝居をみると、何だか昔がなつかしいように思われます。
これも今はあまり流行らないようですが、以前は普通に用いる机は桐材が一番よいということになっていました。木肌が柔かなので、倚りかかる場合その他にも手あたりが柔かでよいというのでした。その代りに疵が附き易い。文鎮を落してもすぐに疵が附くというわけですから、少し不注意に取扱うと疵だらけになる。それが桐材の欠点で、自然に廃れて来たのでしょう。それから一貫張りの机が一時は流行しました。これも柔かでよいのと、軽くてよいのと、値段が割合に高くないのとで、一時は非常に持囃されましたが、何分にも紙を貼ったものであるから傷み易い。水などを零すと、すぐにぶくぶくと膨れる。そんな欠点があるので、これもやがて廃れました。それでもまだ小机やチャブ台用としては幾分か残っているようです。
わたしは十五のときに一円五十銭で買った桐の机を多年使用していました。下宿屋を二、三度持ちあるいたり、三、四度も転居したりしたので、殆ど完膚なしというほどに疵だらけになっていましたが、それが使い馴れていて工合がよいので、ついそのままに使いつづけていました。しかし十五の時に買った机ですから少し小さいのが何分不便で、大きな本など拡げる場合には、机の上を一々片付けてかからなければならない。とうとう我慢が出来なくなって、大正十二年の春、近所の家具屋に註文して大きい机を作らせました。木材はなんでもよいといったら、センで作って来たので、非常に重い上に実用専一のすこぶる殺風景なものが出来あがりました。その代り、机の上が俄に広くなったので、仕事をする時に参考書などを幾冊も拡げて置くには便利になった。
さりとて、三十七、八年も親んでいた古机を古道具屋の手にわたすにも忍びないので、そのまま戸棚の奥に押込んでおくと、その年の九月が例の震災で、新旧の机とも灰となってしまいました。新の方に未練はなかったが、旧の方は久しい友達で、若いときからその机の上で色々のものを書いた思い出──誰でもそうであろうが、取分け我々のような者は机というものに対して色々の思い出が多いので、それが灰になってしまったということはかなりに私のこころを寂しくさせました。
震災の後、目白の額田六福の家に立退いているあいだは、その小机を借りて使っていましたが、十月になって麻布へ移転する時、何を措いても机はすぐに入用であるので、高田の四つ家町へ行って家具屋をあさり歩きました。勿論その当時のことであるから択り好みはいっていられない。なんでも机の形をしていれば好いぐらいの考えで、十二円五十銭の机を買って来た。これも木材はセンで、それにラックスを塗ったもので、頗る頑丈に出来ているのです。もう少し体裁のよいのもあったのですが、私は脊が高いので机の脚も高くなければ困る。そういう都合で、脚の高いのを取得に先ずそれを買い込んで、そのまま今日まで使っているわけです。その後にいくらか優しの机を見つけないでもありませんが、震災以来、三度も居所を変えて、いまだに仮越しの不安定の生活をつづけているのですから、震災記念の安机が丁度相当かとも思って、現にこの原稿もその机の上で書いているような次第です。
わたしは近眼のせいもありましょうが、机は明るいところに据えなければ、読むことも書くことも出来ません。光線の強いのを嫌う人もありますが、わたしは薄暗いようなところでは何だか頼りないような気がして落着かれません。それですから、一日のうちに幾度も机の位置をかえることがあります。従って、あまりに重い机は持ち運ぶに困るのですが、机に向った感じをいえば、どうも重くて大きい方がドッシリとして落付かれるようです。チャブ台の上などで原稿をかく人がありますが、私には全然出来ません。それがために、旅行などをして困ることがあります。
もう一つ、これは年来の習慣でしょうが、わたしは自宅にいる場合、飯を食うときのほかは机の前を離れたことは殆どありません。読書するとか原稿を書くとかいうのでなく、ただぼんやりとしているときでも必ず机の前に坐っています。鳥でいえば一種の止り木とでもいうのでしょう。机の前を離れると、なんだかぐら付いているようで、自分のからだを持て余してしまうのです。妙な習慣が附いたものです。
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「猫やなぎ」岡倉書房
1934(昭和9)年4月初版発行
初出:「婦人公論」
1925(大正14)年9月
※原題は「わたしの机」。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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