其中日記
(九)
種田山頭火



 昭和十一年(句稿別冊)



七月二十二日 曇、晴、混沌として。


広島の酔を乗せて、朝の五時前に小郡へ着いた。

恥知らずめ! 不良老人め!

お土産の酒三升は重かつたが、酒だから苦にはならなかつた、よろ〳〵して帰庵した。

八ヶ月ぶりだつた、草だらけ、埃だらけ、黴だらけだつた、その中にころげこんで、睡りつゞけた。


七月廿三日 曇。


夜も昼もこん〳〵睡りつゞけてゐたが、夕方ふつと眼覚めて街へ出かけた。……

雨、風、泥酔、自棄。

天地も荒れたが私も荒れた。……

とう〳〵動けなくなつて、I屋に泊つた。


七月廿四日 五日 六日


何ともいへない三日間だつた、転々してゐるうちに明けたり暮れたりした。

病める樹明君を見舞ふことも出来なかつた、あゝすまない、すみません。


七月廿七日 晴。


暴風一過、けろりと凪いだ。……

身心すぐれない、罰だ、当然すぎる当然だ。

黎々火君来訪、ありがたかつた(心中恥づかしかつた)、おべんたうを貰つてうれしかつた。

身辺整理。

書かなければならない、しかし書きたくない手紙を二つ書いた。

夜は自責の念にせまられて眠れなかつた。


七月廿八日 曇。


元気なし、あたりまへだ、歯痛痔痛同時に起る、あたりまへだ。

身辺整理、整理、整理、整理。

虫の声がしめやかに。

孤独の不自然

寝床があつて、米があつて、本があつて、そして酒があるならば。──

夜中に眼が覚めて、秋を感じた。


七月廿九日 晴。


ぐつすり寝たので、だいぶ身心こゝろよし。

出頭没頭五十五年の悔だけが残つてゐる。

身のまはり家のまはり、きたない、きたない。

暑苦しい日々夜々。

午後、樹明君に招かれて宿直室へ出かける、久しぶりに、ほんたうに久しぶりだつたが、かなしいかな、彼は飲めない、衰弱した様子が気の毒とも何ともいへない、すまないけれど私だけ飲んだ、駅辨も御馳走だつた。

寝物語がいつまでも尽きなかつた。

孤独は求むべきものではない、求めてはならない、太陽は孤独だといつて威張る人がある、負け惜しみは止したがよい、人間は星屑のやうに在るべきものである。


七月三十日 晴。


早朝帰庵。

今日も身辺整理。

歯痛、樹明君の盲腸と私の歯とはおなじやうなものだ、共に役立たないもののために苦しみ悩まされる。

暑い〳〵。

久しぶりに落ちついて晩酌、しきりにKの事を考へた。

誰もみんな幸福であれ。

邪気を吐きつくせば邪気なし、この意味で時々泥酔することは悪くない、それは大掃除みたいなものだ。

彼の一生は逃避行の連続ではなかつたか!


七月三十一日 晴。


身心やうやく落ちつく。

久しぶりに味噌汁をこしらへる、うまかつた。

たよりいろ〳〵、うれしかつた。

山口へ行く、途中理髪する、気分がさつぱりした、バスに乗りおくれてガソリンカーにする、暑い暑い、青い青い、そして涼しい涼しい、愉快愉快。

誰も彼もアイスキヤンデーを食べる、現代風景の一齣。

湯田で一浴、ありがたいありがたい、バスで夕方帰庵。

夜はまた街へ出かける、飯、酒、女──人間、動物、何が何やら解らなくなつてしまつて、Jさんの宿舎に泊めて貰ふ。

はじめよろしくをはりわろし──これが私にあてはまる常套文句だ。

あさましい事実だ。

味噌汁と漬物。

ルンペンの資格。

食べないでも平気でゐること。

腐つたものを食べてもあたらないこと。

いひかへると

呆けた頭脳と痺れた心臓と

そして何物をも受け入れる胃腸


八月一日 雨、後曇。


早朝帰庵。

物みなよろし、悲観は禁物、在るものを観照せよ

雀、猫、犬、爺さん、蝉、蝶々、蜻蛉、いろ〳〵の生きものが今日の私をおとづれた。

しづかな雨、しづかな私だつた。

昨夜は騷々しく今晩は悠々、そのどちらもほんたうだ。

老境の眼ざめ(青春の眼ざめがあるやうに)。

   懺悔と告白

私にはまだ懺悔が出来ない、告白は出来るけれど、──反省が足りないのである。

このみちをゆく。──

私一人の道だ。

けはしい道だ。

細い道だ。

the road leads no where かも知れない。

躓いても転んでも行かなければならない。

私の道は一つしかない。

私は私の道を行くより外ない。

……………………………………


八月二日 曇。


早起、身辺整理。

歯痛(苦痛は人生を味解させる)。

今日も雨、しめやかな日。

今日の買物は、米三升九十九銭、鯖一尾十六銭。

澄太君が近著地下の水を送つてくれた、読んで何よりも羨ましいと思つたのは君のおちつきだ、そして孝行だ、地下の水一冊は澄太其人の面貌だ、君に対する尊敬と親愛とをより深くした。

午後、Jさん来庵、さいはひ、紫蘇巻と酒とがあるから一杯さしあげる。

近来めづらしい、ありがたい晩飯を食べた。

こゝろしづかにしてしづみゆく、せんすべなし。

すゞしくぐつすりねむる。

世の中にタダほど安いものはないといふが、或る場合にはタダほど高いものはないこともある。

私には、私のやうなものには、さういふ或る場合が稀でない。


八月三日 曇、後雨。


せつかくの月も管絃祭も駄目であつた。

障子の目張半日。

まるで梅雨のやうな土用だ。

俊和尚からうれしい手紙。

やつと月があらはれた、花火が見える、何となく人が恋しく過去がなつかしかつた。


八月四日 曇、後晴。


今日は涼しい、涼しすぎる。

家の中へ紛れ込んでゐる蝉を空へ放つてやつたら、蜘蛛の囲にひつかゝつてあえない最後を遂げた(その蝉を助けないのは私の宿命観だ)。

街のレコードがさかんに唄ふ、私は蚊帳の中でそれを聴いてゐる。

たよりさま〴〵で、どれもありがたい、すぐかへしを書いて駅のポストへ入れる。

やつと書信だけはかたづいた。

蚊帳のうちで月見、私らしい贅沢。

好意を持たれることはうれしいが、持たれすぎることは恥づかしい。

買ひかぶられても見下げられても私は苦しい。


八月五日 曇──晴。


五時起床。

桔梗が咲きつゞける、山桔梗なら一段とよからう。

蜘蛛の仕事を観る。

熊蝉が鳴きだした。

夕立を観る。

雨はしめやかでよろしいけれど、雨の漏る音はわびしいものである。

焼酎二合二十四銭、揚豆腐二枚三銭。

街で樹明君に邂逅、同伴して帰庵、飲むうちに、そして歩くうちにムチヤクチヤになつてしまつた。

身心放下ならよいが、身心蹂躙だからよろしくない。


八月六日 雨。


一切空、放心無罣礙の境地。

すべてそらごとひがごとの世の中、友情のみはまことしんじつなり。

酒をのぞいて私の肉体が存在しないやうに、矛盾を外にしては表現されない私の心であつた、ああ。

乱酔、自己忘失、路傍に倒れてゐる私を深夜の夕立がたゝきつぶした、私は一切を無くした、色即是空だつた。……

転身一路、たしかに私の身心は一部脱落した、へうへうたり山頭火! ゆうゆうたり山頭火! 湛へたる水のしづかさだ!


八月七日 曇──雨。


おちついて澄む、身心かろくさわやか。


八月八日 晴れたり曇つたり、気まぐれ日和。


洗濯、何もかも洗へ。

Iさんの宅で樹明君もいつしよになつて飲む、今夜も歩きまはつたけれど、ほろ〳〵とろ〳〵気分で愉快だつた、めでたし、めでたし、めでたし。

Iさんの蚊帳で寝る。

風狂、風流、風雅。


八月九日 雨──曇。


降つた降つた、めづらしいどしやぶりだつた、その中を戻つた、はだしで、濡れるなら濡れて。

内外整理。

Kから送金、心臓がハツとした、おのづから眼が熱くなつた、感謝と懺愧とに堪へなかつた。

山口へ行つて買物色々、湯田へまはつて入浴、そして快い酔を持つて帰つた。

捨身没我の風光。

幸不幸は主観の産物。


八月十日 曇。


夕立のこゝろよさ。

ぐつすり寝る。


八月十一日 曇、晴、また降りさうな。


米、酒、石油、木炭、醤油、煙草、──Kのおかげで庵中物資豊富である。──

わるい親父によい息子!

歯がぬけた、痛みもとれた。

うれしい晩酌でありました。


八月十二日 晴。


朝月のよさ。

虫干、何もかも一切の虫干。

今日も夕立、夏から秋へのうつりかはり。

何となく寝苦しかつた、Kを夢みた、彼が近々結婚するので、その式場の様子をまざ〳〵と夢に見たのである。

私には何も贐するものがない、ああ。


八月十三日 雨、曇。


しづかなるかな。

降る、降る、降る、降る。

私には飛躍はあつても漸進はありえない。

夜は樹明君が宿直といふ通知があつたので、のこ〳〵出かけて、とう〳〵酔うて、こそ〳〵泊つた。


八月十四日 晴。


眼が覚めて見廻すと、学校の宿直室に寝てゐる、樹明君の側に寝てゐる、……朝酒二杯ひつかける、朝飯をよばれて戻る。

ほろよひ人生だへべれけ人生では困る。

ロンドン日本大使館気付で、斎藤清衛さんへ、私としては長い手紙を書く、斎藤さんは歩く人だ、ほんたうに歩く人だ、遙かに旅程の平安を祈る、それにしても私は私自身が省みられる、私は歩かなくなつた、遊びまはるやうになつた、私の現在の苦悩はそこから起る。

正午のサイレンを聞いてから、樹明君と約束した通り、釣竿かついで、椹野川の六丁へ出かける、君の姿が見えない、私は釣竿しか持つてゐないから何うすることも出来ない、しばらく待つことにして、水を浴びたり句を拾ふたりする、もう帰らうと思つて土手を歩いてゐると、君が自転車でやつて来た、出水が多くて釣れないといふ、そのまゝ同行して橋袂の店で一休みする、そして別れた、別れる時に君から握飯を貰つた、焼魚も買つてくれた、面白いではないか、魚は釣らないで握飯を釣つたのである、いや、魚も釣つたが焼魚を釣つたのである! 樹明君、ほんたうにありがたう、ありがたう。

土手から摘んできた河原撫子を机上の壺に活ける、この花は見すぼらしいが、日本固有のよさがある、私の好きな花の一つだ。

夕方、日照雨一しきり、今年はとても天候不順で、梅雨季のやうな暑中だ、身のまはり──身そのものが黴だらけになる、まつたくやりきれない。

夜、くつわ虫がちよつと鳴いた。

踊大皷がをちこちで鳴る、そこのお寺でも早くから鳴つてゐる、見物しようかとも思つたが、年寄のおつくうで、蚊帳の中で聴く、唄声も聞える、更けるにしたがつて音が冴えてくる、踊もはづむらしい。

めづらしく半鐘が鳴りだした、警察のサイレンも、──火事らしいが見えない。

いつとなく眠つてしまつた。


八月十五日 晴。


此の地方は昨日今日が盆。

朝焼がうつくしかつた。

身辺整理、毎日少しづつやつてゐるが、なか〳〵かたづかない。

庵中閑寂、盆のたのしさもわずらはしさもない。

午後、今日も夕立、蒸暑い夕立模様。

駅のポストまで。──

晩酌は焼酎、下物は昨日の焼鯖。


八月十六日 晴、……曇、……雨。……


秋を感じる、昨日はつくつくぼうしが最初の声を聞かせた、萩もこま〴〵と蕾をつけた。

朝のこゝろよさ、しづかに考へ、書き、読む。

正法眼蔵随聞記拝読。

また雨、ほんたうにやりきれない。

盥に雨を聴く(そこら雨漏る音がたえない)。

心境廓然(先夜の放下着このかた)。

午後、今日も日課のやうに駅のポストまで。

涼しい夕だ、涼しすぎる、秋が来た、秋が来たのだ、あけはなつて浴衣では肌寒いほどだつた。

今夜も踊大皷が聞える、踊れ踊れ、踊りたいだけ踊れ、踊れるだけ踊れ、踊れ踊れ。

夜は散歩(散歩でもしなければ堪へられなくて)、そして一杯飲んで一杯食べて、おとなしく帰庵、すぐ床に入つてぐつすり睡つた、めでたし〳〵。

老いては老を楽しむ

歯のない生活

 歯がなくなると、歯齦ハグキが役立つ、手が加勢する、人生はまことに面白い。

昨日の私今日の私、そして明日の私、この三つの私が矛盾して私を苦悩せしめる。

 その私とは誰だ。──


八月十七日


もう晴れてもよかろう、晴れていたゞきたい。……

どこかそこらで、虫が断末魔の声をあげてゐる、その声は彼がの一句だらう、私の俳句もまたそんなものだ!

今日は少々ボンヤリしてゐる、何か忘れ物でもしたやうな、物を取り落したやうな。──

すなほにしてつつましく──これが私の生活態度でなければならない。

一時頃、樹明君来庵(鶏肉と酒とを持つて)、間もなくKさんも偶然来庵、鼎座して愉快に飲んだ、夕方、街まで送つて、帰途、米を買うて戻つて、炊いて食べて寝た、万歳!

ゆうぜんとして飲み、とうぜんとして酔ふ、さういふ境涯を希ふ。

飲みでもしなければ一人ではゐられないし、飲めば出かけるし、出かけるとロクなことはない。

ひとりでしづかにおちついてゐることは出来ないのか、あはれな私ではある。


八月十八日 めづらしく快晴。


朝寒、遠く蜩のうた、身辺整理、読書。

午後、街まで、徳利さげて!

夕方、Kさんが牛肉と酒と蚊取線香とを持つて来て飲まうといふ、飲む、食べる、歩く、唄ふ、そして帰る、Kさんは酔ふとなか〳〵片意地になる、SからMへまはつたゞけでやつと連れて戻つた、大出来〳〵、樹明君をよんだのに来なかつたのは残念〳〵。

物事にこだはりさへしなければおもひわずらふことはない、放下着。


八月十九日 晴。


昨夜の今朝の私だ、何となく身心がだるい。

迎酒! 牛肉もまだ残つてゐる。

ゲジゲジを見つけたのでたたき殺した、殺してから気持が悪かつた、無益の殺生とは思はないけれど、人間のエゴであることには間違ひない。

今日も古悪友樹明君新悪友K君がやつて来て、あつさり飲んだ、ヨタ話がはづんだ。

あな、おもしろの浮世かな。

宵寝の朝寝だつた。


八月二十日 晴、午後曇る。


何やかや用事が出てきて、なか〳〵忙しい。

駅のポストまで。

トマトがとても食べきれない(私があまり食べないからでもあるが)、郵便さんにでも食べてもらはう。

すなほにつつましく今日も生きる、うれしい。

待つ人来らず、待つ物受け取れない、さびしい。

午後、河尻へ出かけて蜆貝を掘る、食べるだけはすぐ与へられた、ありがたい。

刈萱を摘んで戻つた、これも私の好きな草である、まだ穂が出てゐないから、刈萱の風情は十分に味へないが。

蜆貝汁をこしらへつつ、私は心で叫んだ、──蜆貝よ、私は今、鬼になつてゐるのだ!

いつ来たのか、鼠がさわぐ、鼠は家につきものだ、寝床はあげるが食物はあげられないぞ。


八月二十一日 半晴半曇。


今朝は早起だつた、御飯が食べてから六時のサイレンがきこえた。

街へ出かける、買物いろ〳〵、アメリカから句集代を送つて下さつた渓厳子に感謝する。

来信とり〴〵すぐ返事を認めて、駅のポストへ。

雑草を眺めて、そのよろしさを味ふ。

午後また街へ、焼酎二合弐拾四銭、大根一本五銭、落ちついて晩酌、そして読書。

   緑平老に

……出放題になりたいといふあなたが出放題になれないで、なりたくないと思ふ私がなる、とかく世の中はかうしたもので、さういふ人生もまたおもしろいではありませんか。……

Kが結婚するさうな、いや、したさうな

をべしをみなへしと咲きそろふべし

この一句が私のせめてものハナムケに有之候、あはれといふもおろかなりけり。


八月廿二日 曇──晴。


蝉を捕へる小供らがしば〳〵来る、庵も平和ではない、私自身もとき〴〵不安になる。……

ああ、待つ身はつらいなあ!

ちよつと学校に樹明君を訪ねる、昨夜また脱線したとかで浮かない顔をしてゐる、話したいことも話さないで帰る、畜舎で新聞を読ませて貰つた。

今日もすなほでつゝましく

午後、Kさん来庵、樹明君は来てくれさうにもない、やがて予期したやうに敬君来庵、久しぶりだつた、持参の酒と魚で愉快に飲みつゝ語りつゞけた、日の暮れないうちにめでたく解散。

夕暮はサビシイのでKさんを訪ねる、ビールをよばれて戻るとそのまゝ寝てしまつた。

今日の酒は愉快だつた、三人で一升、その半分位は私が飲んだらしい、ほろ〳〵とろ〳〵ぐう〳〵だつた。

□よい友、よい酒、──よい人生。

□山口へ行くと、いつも『おもひでをあるく』といふ感がある、あの山この水、どこへ行つても青春の追憶がある。


八月廿三日 晴。


昨の酒が愉快だつたし、ぐつすりと安眠したので、今日は身心明朗だ。

此頃よくKやKの婚礼の夢を見る、親心とでもいふのであらうか、──肉縁断ち難し、断ち難きが故に断たざるべからず、──ああ。

身辺整理、やつと片付いた。

午後、樹明君来庵、誘はれて椹野川へ出かける、魚は捕らないで飲み歩いた、そしてどろ〳〵ぼろ〳〵になつてしまつた、……それでも理髪して、道具は持つて帰つて寝床にはいつてゐたから妙だ!

温泉といふものは有難いものである、私は入浴好きだが、温泉にはいると、身心が一新されたやうに感じる。

湯田温泉を近くに持つてゐる私は幸福である。

バス代が往復で十四銭(上郷まで歩いて、回数券で)、湯銭が二回で五銭(割引券を買へば)。

何と安価な極楽浄土だらう。


八月二十四日 曇。


天も曇れば私も曇る。……

当分また禁酒の事、……駄目々々。

空が晴れた、私も晴れた、……風が涼しく、身も心も涼しく。……

たよりいろ〳〵ありがたし。

山口へ行く、鈴木さんを訪ねて御馳走になる、おいしかつた、小郡まで戻つて、友沢さんを訪ね、それからまた飲んで歩いた、御苦労々々々。


八月廿五日 晴。


昨日の今日の私で朗らかだ、愉快々々。

身心整理

秋蝉(?)が鳴く、法師蝉とは別な声。

アルコールなし、おとなしくしてゐた、句なし。

夕方、Kさん来訪、水瓜を持つて来て下さつた。

裏山の観音堂はお祭とかで、近隣の人々が集つて賑やかだ。

前の小父さんが草を刈つてくれた、一挙両得。


八月廿六日 曇──雨。


秋だ、風も雨も、私の身心もまた。

落ちついて読書。

午後ひよつこり黎君来訪、お土産として汽車辨当はうれしかつた、いつしよに街へ出かけて焼酎を買つて来た(蚊捕線香を買つて貰つた)、焼酎も悪くないな、心許した友達とチビリ〳〵やるには。──

夕方別れる、見送は許して貰ふ、汽車に間にあへばよいが、と案じてゐるところへ六時のサイレン、さつそく後を追うて駅まで行つたが見つからない、すぐ引返して寝た、よく睡れた。

今日も前の小父さんが草を刈つてくれたのは有難かつたが、咲きそめた萩まで刈つてくれたには閉口した、活けることをも遠慮して、毎日毎日咲くのを眺めてゐたのに、……これが有難迷惑といふのだらうか、刈りとられた萩の枝を見ては微苦笑するより外なかつた。


八月廿七日 曇。


夢の中で執着深い自分を見出した。

山から木や草を戴いて活ける。

飲むか読むか、或は歩くか寝るか。……

idle dreamer は一匹の蝿にもみだされる。

厄日近い天候、雲の色も風の音も何となく穏かでないものがあつた。

早寝、ランプもともさないで、とりとめもない事を考へつゞけてゐると、Nさんが来訪された、しばらく漫談。

くつわ虫が水の流れるやうに鳴く、すぐそこまで来て鳴く、座敷の中へとびこんで鳴く。……

或る自殺(連作)


八月廿八日 晴、とかく曇りがち。


露草のうつくしさを机上にうつす、何と可憐な花だらう。

うらさびしさ、ものかなしさ、そして退屈!

つれ〴〵なるまゝに徒然草を読む。

早く夕飯を食べて、新開作のNさんを訪ねるつもりで出かけたが、途中、Kさんの家庭に立寄る、雑談しばらく、本を借りてそのまゝ帰つた。……

夜、Kさんはまた来庵、無駄話一くさりで、さよなら。

虫が鳴きしきり月がよかつた、だいぶ更けるまで読書した。


八月廿九日 曇、雨となる。


早起して、そして。……

雨もわるくないな、しみ〴〵おちつける、屋根漏はわびしいけれど、盥の音はさびしいが。

まつたく秋だ、浴衣一枚では肌寒くなつた。

仏さまへ蚊とり線香!

緑平老よ、あなたのたよりはほんたうにうれしかつた。

酒三合三十銭、雑魚八尾十銭。

ゆふぜんとして飲みだしたが、ぼうぜんとして出かけた、そしてざつぜんとして戻つた。……

   自戒三則

一、腹を立てないこと。

一、物を粗末にしないこと。

一、後悔しないこと

  いひかへると、物事にこだはらないこと。


八月卅日 曇。


少々あたまがおもい、自業自得でございます。

そこらをぶら〳〵歩く、蔓草のよさを観た。

私としてはめづらしく二日酔気分、霧の中にゐるやうで物がぼうとしてゐる。

蝉がいつとなく遠ざかつた、小鳥が出てくる、虫がやるせなく鳴く。……

Jさんの子供が棗もぎに来た、私にもこれに似た少年の日のおもひでがある。

郵便は来なかつた。

生物の𢴇マヽ拗を蟻の群に見出す。

法師蝉が身近く鳴きせまる、何だか蝉も私もヤケクソになるやうな。

酒屋が酒を持つて来てくれた、飲んでゐるうちにやりきれなくなる、とびだして歩く、ぼう〳〵たるものがそこらいちめんにひろがつて、何もかもどろ〳〵になつてしまつた。……

物そのもの


八月三十一日 晴曇。


眼が覚めたら畜舎だつた、……Jさんの寝床に潜り込んでゐたのだ、……急いで戻つて、水を汲む、飯を焚く、ヒヤをひつかける、……切なくて悩ましかつた。

しづかな、あまりにしづかな一日、読書と反省、すなほであれ、つゝましくあれ。


九月一日 曇、──晴。


陰暦七月十五日、そして二百十日、そして関東震災記念日で酒なしデー。

自分を認識しないではゐられない日だ。

おとなしく、さびしく、やるせなく。──

まことにおだやかな厄日、ありがたいことである。

晴れてよい月夜になつた、踊大皷がはづむ、私は蚊帳の中で大平楽だつた。

□ヱゴイスト人間。

   残忍なる、殺伐なる、狡猾なる、

□買ひかぶられることは苦しい恥かしい。

 見下げられることは安らかだ。

    over-value よりも under-value がよい。


九月二日 曇──晴。


早起、短冊を書かうとしたが書けなかつた、書きたくなかつたからである、私は我儘だ、我儘一杯だ。

うたゝ寝の夢のはかなさ。

長生すれば恥多し、──今日もしみ〴〵感じた。

蝉が鳴き叫ぶ、死期近い声だ。

爪を切る、髭を剃る、やくざ小説を読む、──すべてが退屈と空虚とをごまかす外の何物でもない。

待つともなく待つてゐる、何を待つてゐるのか、私にもはつきり解らない!

今夜もよい月だつた。

九官鳥になれ、くつわ虫になれ。

 そこに安住せよ。

□自己を磨く、芸を磨く。

 私の場合では、酒を味ひつつ句を作ることである。


九月三日 晴──曇。


昇る陽をまともに、寝たり起きたり。

やつと短冊を書きあげた、三十枚、一枚も書き損じなく、すぐ送る、ほつとした。

郵便局まで出かけたついでに、シヨウチユウ一杯、ほろ〳〵になつて帰る、途中少々あぶなかつた!

おとなしく、また一日一夜が過ぎた。


九月四日 晴。


あまりに早起だつた、なか〳〵夜が明けなかつた、年をとると、先がないので、ゆつくり睡れません!

いつからともなく空の虫が地の虫になつた、いひかへると、蝉や蜻蛉が少くなつて、こほろぎなどが鳴きしきるのである、こほろぎは最も大衆的歌手だ。

きたない、きたない、何もかもきたない、私自身の身心がことにきたない。

味気ないな、──何に対しても興味がない──、生活意力がなくなつたのだ。

六時のサイレンが鳴つてから、樹明君来庵、久しぶりである(二週間近く逢はなかつた)、飲む、食べる、しやべる、それから散歩、そして例によつて例の如し!

畜舎に泊つた(蝮の暗示があつたので)、アルコール臭くて困つたとIさんが笑ひながら言つた(朝のこと)。

虫の宿。

小鳥の遊び場。


九月五日 晴。


さうらうとしてかへる。……

樹明君よ、お互につつしみませう!

ぼう〳〵ばく〳〵として今日一日は閉居した。

残暑がなか〳〵きびしい、朝から裸だつた、はだか、はだか、はだかなるかなである。

鈴虫が数日前から前栽でチンチロリン、チンチロリン、まだまづいな。

どこからか鼠がやつてきて、そこらをかぢる、がり〳〵、がり〳〵、彼はかぢることそのことがおもしろいらしい。

   白い花(第五句集)

私が求めつつある花は青い花でなく赤い花でもなくて白い花である。

私が見出してゐる花は灰色の花である。


九月六日 秋晴らしく。


夜明けの虫声はしみじみとしたものだ。

もう茶の木が蕾を持つてゐる。

壺の薊の花──狂ひ咲──が開く。

しんねりむつつりの今日だつた、さびしいな。

夕の散歩、やつぱりさびしい。

蚊がめつきり減つた、それだけ風が冷やかになつた。

寝苦しかつた、月は風情ある夜であつたが。

私は無用人、不用人だ、いはゞ社会の疣でもあらう、冀くは毒にも薬にもならない、痛くも痒くもない存在でありたいものだ。

疣であれ瘤になつてはいけない


九月七日 晴、まつたく秋だ。


草刈爺さんがけさもまた来てくれた、憾むらくは彼にはデリカシーがない、青紫蘇も蓮芋も何もかも刈つてしまつた、いつぞや萩の早咲を刈つてしまつたやうに。

洗濯もする、すこしわびしいな。

日記整理。

樹明君から来信、彼は腹を立てない人だ、時々近親からは腹を立てられる人だが(酔ふとだらしがないので)。

Nさんを訪ねる、土手の砂塵は嫌だつたが、青田風はよかつた、それから──それから──気持よく飲んで歩いて、とろ〳〵ほろ〳〵になつた。

I屋に泊る、動けなくなつたのだ!

酔線

  微酔線、泥酔線。


九月八日 日本晴。


早朝帰庵、やれ〳〵。

閑居──読書──回顧──微苦笑。

秋空一碧、身はさわやかだが心はぼんやり。

何とかいふ小鳥がとても悲痛な声で啼く、私の代辯ででもあるやうに。

つく〴〵思ふ、私の寝床はよい寝床


九月九日 晴──曇。


すなほにつつましく。──

ほどよく飲む、ほどよく酔ふ──ほどよく生きる──それが出来ない不幸。

たよりいろ〳〵、ありがたい〳〵。

さつそく米と酒を仕入れるべく出かける、どちらへ行かうか、山口へ行かう(平民の独り者はノンキである、キラクである、ワガママである。シアワセである)、上郷から一時の列車に乗る、山口駅前の十銭食堂で飲んで食べて四十銭、いろ〳〵買物をする、三円あまり買つたら持ちきれないほどある、湯田へまはつて一浴、バスで足元のあかるいうちにめでたく帰庵。

だいぶ日が短かくなつた、私にも夜も昼も長いのだが。

めつきり蚊が少くなつた、虫の声が鋭くなつた、秋らしい秋になつてくる。

不眠、読んだり考へたりしてゐるうちにたうとう夜が明けた、老境を感じた。

忘れた句は逃げた魚のやうに感じる、その実その句はくだらない句なのだ、その魚がつまらない魚であるやうに。

憑かれたもの! 私もその一人らしい、酒に憑かれてゐる、句に憑かれてゐる。

かういふ生活をしてゐて、さびしくないといふのはウソだ、ウソはいひたくない、いふものではない。

 笑ふものは笑へ。

 おかしければ笑へ。


九月十日 曇。


二百二十日、さすがに厄日らしく時々降つたり吹いたり、雷鳴があつたり、多少不穏な空気が動かないでもなかつたが、無事だつた。

番茶のうまさよ、酒もうまいが、茶にはまた茶独特のうまさがある。

茶の味は私にはまだほんたうに解らないけれど。

午後、街へ散歩、極上焼酎を買ふ、とても強烈でヂン以上だ。

今日から湯田競馬、フアンといふよりも慾張連中が新国道を自動車で狂奔する。

私はゆうぜんとして飲み、とうぜんとして酔ふ。

火酒の味!

樹明君から来信、今夜は宿直だから久しぶりにゆつくり飲まうといふ、暮れてから出かける、鶏肉はうまかつた、IさんJさんも仲間入する。

ほろ〳〵とろ〳〵、そのまゝ泊る、昨夜ねむれなかつたので、今夜はよくねむれた。

「いかに酔ふか」も緊急事だけれど「何に酔ふか」が最初の問題だ。

酒に酔ふか、よろしい、飲みなさい、恋に酔ふか、よろしい、可愛がりなさい。

銭がありますか、女がゐますかよ、よろしい、よろしい。

泥沼を歩きなさい、そして死んでしまへ!


九月十一日 曇。


朝飯をよばれてから帰る。

雷雨、痛快だつた。

ある手紙、それは予期しないではなかつたが、やつぱりかなしいさびしいものであつた。

腹工合がよくない、昨夜の食べ過ぎがたゝるのである、過ぎたるは及ばざるに如かず、まつたくその通り。

夜は例の如き彷徨、有金全部をはたいた、壱円三十九銭也。

ぼろ〳〵どろ〳〵、戻つたのは夜明前だつた、こゝしばらくは謹慎の事。

   山頭火を笑ふ

人生の浪費者だよ。

悪辣はないが愚劣はありすぎる。

くよくよするな。


九月十二日 晴。


茫々漠々、空々寂々。

昨夜は放楽デー、今日は放心日。

朝、裏口の戸をあけると、蛇がとびだした、私も驚いたが彼も驚いたらしい。

生疵が痛い、昨夜の記念だ。

私の心臓はなか〳〵強い(文字通りに)。

夜、Nさん来庵、先夜の酔中散歩の事などし合つて笑ふ。……

近頃また夢を見るやうになつた。


九月十三日 晴。


今日はまつたくぐうたら山頭火だつた。

午近くKさん来庵、焼酎を舐めながら雑談、かうして余生をむさぼることは苦しい。


九月十四日 曇、時々雨。


早起、そしてそれから。──

銭がない、米もなくなつた。

頼まれた短冊を書いて送るべく、学校に樹明君を訪ねて郵税を借りる、酒代を貰ふ、夕方訪ねようといふ、……飯を炊く、鰯を焼く、酒を注ぐ、……ああいそがしい。

驟雨一過、自然も人間もせい〴〵した。

酔境無我、万象空。

曇天、憂欝、孤独、寂滅。……

待つ身はつらいな、立つたり座つたり、やつと御入来、飲む、食べる、しやべる、そして歩く、ほろ〳〵だ、とろ〳〵だ、よろ〳〵だ。

とうたう畜舎の御厄介になる、いつもの通り。

それにしても理髪したのは大出来、金をあまり費はなかつたのも──費はせなかつたのも、自動車を呼び寄せなかつたのも大出来だつた。

これだけキチヨウメンであつて、そしてこれだけダラシないとは。……

在る、──こゝに在る。

 存在、それが真実だ、詩だ。


九月十五日 曇。


五時過ぎには起きて新聞を読み、煙草をくゆらし戯談をいひ、そして戻つて来て、茶を沸かし御飯を食べた。

やつぱり私は不死身に近い。

今日明日は地下のお祭、お祭だとて私は。……

おもしろい手紙をうけとつた、処女のにほひがする、何となく愉快になつた。

午後、Nさん来訪、お互に無一文だからしばらく無駄話をして、さよならさよなら。

柿の葉の落ちるのが目につくやうになつた。

青柚子一つ、秋が匂ふ。

あまつた御飯をおむすびにして焼いてをく、明日の糧です、一つ二つ三つ、四つあります。

つつましく、あまりにつつましく。

季節のうつりかはりが身にしみる。

   固形アルコールについて

味ふ酒は液体でないと困る。

酔ふ酒は固形が便利だ。

丸薬のやうに一粒二粒といつたやうな。

酒量に応じて、その場合を考へて、一粒とか十粒とかを服用する。

一粒ほろ〳〵十粒どろ〳〵なぞは至極面白からう。

酔丹といふ名はいかが! 或は安楽丸

      ×

私は極楽蜻蛉だ。


九月十六日 雨、晴れる、曇る。


秋雨、しよう〳〵とふる、単衣一枚では肌寒く、手水も冷たく感じられる、火鉢がなつかしくなつておのづから手をかざすほど。

せつかくのお祭が雨で気の毒なと思つてゐるうちにだん〳〵雲が切れて日ざしが洩れてきた、私にはお祭も(盆も正月も)ないけれど。

秋風さらさらさら。

待つ、待つ、待つ、──来ない、来ない、来ない。

うたゝ寝していやな夢を見た、覚めてもしばらくはその情景から離れることが出来なかつた。

夢は正直だ意識しない自分をさらけだして見せてくれる、再思三省。

今夜は蚊帳を吊らなかつた、胸が切なく寝苦しい一夜だつた。

銭なしデー

   いつもさうだ。

酒なしデー

   しば〳〵ある。

飯なしデー

   とき〴〵。

 そして最後に

命なしデー

   さよなら!


九月十七日 秋晴。


身心すが〳〵しい、澄んだ自分が出現する。

身辺整理。

今日も来ない、今日も。──

空腹しみ〴〵読書。

ひよろ〳〵(何しろ昨日の朝食べたきりだから)散歩する、ついでに学校に寄つて新聞を読んでゐたら、ひよつこり樹明君(何といふ幸福、実は遠慮して逢はないでゐたのだ!)、遠慮しないで米を貰ふ、酒と魚とを買つて貰ふ、後から来るといふので、庵中独酌、待つてゐる。

酒はうまいな、飯はうまいな。

三十余時間ぶりに御飯がはいつたので胃がたまげて鳴つてゐる、どうだ、うまからう。

私が──歯のない私が鮹を食べる!

今夜は私も樹明君もおとなしかつた、飲んで食べて、さよなら、万歳!

熟睡だつた、豚のやうに。

一升ぺろり、よい、よい、よいとなあ!

   彼に与へた言葉

私がわるくなれば君もわるくなる。

君がよくなれば私もよくなる。

お互によくならう。


九月十八日 晴、満洲事変記念日。


宵寝をしたのであまり早起だつた。

朝空の星のうつくしさ。

身心平静、秋気清澄。

百舌鳥が出て来た。

胃の工合がよろしくない、当然すぎる当然!

昼飯を食べてから、ふと思ひ立つて湯田へ行く、椹野川を土手づたひに溯る、葦の花、瀬の音、こほろぎのうた、お地蔵さま、秋草のいろ〳〵、……温泉で一浴して引き返す、徃復とも歩いたが(銭がないから)、近来のよい散歩だつた。

温泉はありがたし、酒と飯とがあればいよ〳〵ありがたし、銭があればます〳〵ありがたし。

やうやく花茗荷が咲いた。

蚊帳を仕舞ふ、冬物の用意はどうぢや、質受をいそがないと風邪をひくぞ!

三界万霊


九月十九日 曇。


秋風、間違なく秋風。

子規忌、子規逝いて何年、年々鶏頭は赤し。

花めうが匂ふ、それはあまりに独善的な。

身辺整理、日記も書き改めるし、浴衣も洗濯しました。

茶の木がもうかたいつぼみを持つてゐる。

たよりいろ〳〵、ありがたし〳〵。

昼飯をたべてゐるところへNさん来訪、何もないからいつしよに近郊散策、そのまゝ別れた。

二人のなまけもの! わるくない題号だね!

今日の散歩はNさんが青唐辛を貰つてくれた、帰庵早々佃煮にしてをく。

左の太腿が痛い(昨日から)、そろ〳〵ヤキがまはつてもいゝころだ。

かへつてぼんやりしてゐると、樹明君から来信、今日は御案内があるべきだらう、云々、御案内しようにも出来ませんよといふ。

酒屋が酒を持つてくる(樹明君を通してSさんから)、樹明君が下物をぶらさげてくる。

夕焼がうつくしい。

三人で飲む、食べる、しやべる、──そして、それから例によつて例の如し。

ほろ〳〵ぼろ〳〵、とろ〳〵どろ〳〵、おそくもどることはもどつた、感心々々、感心々々。


九月二十日 曇。


朝酒がある、あれば飲まずにはゐられない私だ。

やつと来た、それを持つて街へ、昼も夜もなくなつた、彼も私もなくなつた、……一切空々寂々だつた、濡れて戻つて寝た。……


九月二十一日 晴。


自責の念にたへなかつた、何といふ弱さだらう、自分が自分を制御することが出来ないとは!

終日憂欝、堪へがたいものがあつた。


九月廿二日 秋晴。


朝、眼が覚めるといつも私は思ふ、──まだ生きてゐた、──今朝もさう思つたことである。

山の鴉がやつて来て啼く、私は泣けない。

身心重苦しく、沈欝、堪へがたし。

虚心坦懐であれ、洒々落々たれ、淡々たれ、悠々たれ。

午後はあんまり気がふさぐので近郊を散歩した、米と油とを買うて戻る。

樹明君は来てゐない、来てくれさうにもない、九、一九の脱線でまた戒厳令をしかれたのかもわからない。

今後は誓つて、よい酒、うまい酒、恥づかしくない酒、悔ゐない酒、──澄んでおちついた酒を飲まう、飲まなければならない。

肉体──顔は正直だ、昨日今日の私の顔は私の心そのままだ、何といふ険悪、自分ながら見るに忍びなかつた。

酒屋の小僧さんが、私の生活を心配してくれる、心配しなくつたつてよいよ、どうにかかうにか食つてはゆけます!

寒山詩を読む、我心似秋月。……

散歩して少し労れたところで晩酌をやつたので、だいぶ身心くつろいでゐるところへ、Kさん来訪、つゞいてNさん来訪、四方山話でのんびりした。

別れてから、Nさんがしんせつにも持つてきて貸して下さつた婦人公論を読み散らして夜を更かした。


九月廿三日 晴、彼岸中日。


日本晴、ピクニツク日和、まさに人生行楽の秋。

朝霧のすが〳〵しさ、朝の水を汲みあげると清新そのものだ。

来るか来るかと燗して待てば

あなた来ないで酒は無くなる

待つても待つても

来てくれない曼珠沙華が赤い

此二章を樹明君にあげる。

秋空一碧、一片の雲なし、私もあんなでありたい。

地虫しきりに鳴く、私もあんなにうたひたい。

自己を知れ、此一句に私の一切は尽きる。

大毎記者Mさん来庵、ざつくばらんに話す、私のやうなものの言動が記事の一つとして役立てば、それもよからうではないか。

午後は散歩、ついでに入浴。

矢足は椿が多い、椿の里といつてもよからう(柿の里といつてもよいやうに)、今日もおばあさんとむすめさんとがその実をもいでゐる、絞つて油をとるために、──好ましい田園風景の一齣。

何よりも私は自制力が欲しい。

夜はやりきれなくて街へ出かけて飲んだ、泥酔した、あさましい事実だ!

私に出来ることは二つ、たつた二つしかない──

 酒を飲むこと。

 句を作ること。

願はくは、

 わるくない酒を飲むこと。

 よい句を作ること。

そしてその二つを育むものとして──

 歩くこと。

 読むこと。


九月廿四日 秋晴。


弱者の悪、痴人の醜を痛感する。

思索、批判、統制が足らない、厚顔無恥、そして無能無力だ!

終日怏々。

愛想が尽きたか! 未練はないか!

甘えるなかれ甘やかすなかれ

濁貧! 矛盾地獄! 孤独餓鬼

流れるままに流れろなるやうになれ

空は高い、私は弱い!

死ぬるまで生きてをれ

現実の夢か、夢の現実か。

苦悩は踊る

反省、それは弱者の唯一の武器だ。

太陽を仰いで孤独を味ふ。

愚人、悪人、小人、狂人、──私はそのいづれぞ。

 私は私の愚を守らう、守りたい。

 どうか社会の疣でとどまりたい、瘤になつては困る、癌にはなれまい。


九月廿五日 晴──曇。


身心だいぶ落ちつく。

わがこゝろ水の如かれ、わがこゝろ空の如かれ。

午前、大毎のMさんが写真師を連れて来訪、私と庵とを写した、私といふ人間はつまらないが、萩にすすきの草屋はつまらなくはない。

庵中独坐。

曼珠沙華の花さかり、とても美しいが、その妖艶は強すぎる。

悔恨、更生、精進。……

さびしけりやうたへ

夜更けて、樹明君が酔つぱらつて転げこんだ、そして寝てしまつた、酔態あさましいものであつたが、人事ぢやない、それはまた私の姿でもあるのだ。

頭部に腫物が出来て気分がすぐれない、しかし軽い疾病は現在の私にはむしろうれしいものだ。

落ちついて睡れなかつた。

夜明けの雨となつた。

生死も真実、煩悩も真実、苦難も真実、弱さも醜さも愚かさも真実だ。

生々死々、去々来々。

矛盾そのままの調和、それが本当である、人生も自然のやうに。

観照自得の境地。

割り切れない、割り切らうとあせらない心境逍遙。

放下着──無一物──一切空。


九月廿六日 曇、──雨。


樹明君ぼうぜん、私はせいぜんとして。

酔中の自己について語り合ふ、そして笑ひ合ふ。

雨しとしと、その音は私をおちつかせる、風さうさう、その声もおちつかせる。

身辺整理。

茶の花が咲いてゐた(此木には気がつかないでゐた、ずゐぶん早咲である)、好きな花だ、さつそく活けて飽かず観る、純日本的のよさがある。

夕暮出かける、豆腐買ひに酒買ひに、地下足袋穿いて傘さして。

Nさん来庵、いつしよにほどよく飲んで食べて、それから歩く、ほどよく酔うて別れた、めでたしめでたし。

酒はありがたい、おかげで今夜はぐつすりと寝た。

日が短かくなつた、雨が──何物へもしみいるやうな、しみとほらないではやまないやうな雨が降りだした。

   或るおだやかな夜の自問自答

「酔ひましたね」

「酔ひました」

「歩きませうか」

「歩きませう」

「飲みませうか」

「飲みませう」

「面白いですな」

「面白いですね」

「帰りませうか」

「帰りませう」

「休みませうか」

「休みませう」

「さよなら」

「さよなら」


九月廿七日 雨──晴。


未明に起きてごそごそ。──

夜が長い、ああ長い。

肌寒を感じる、冬物の御用意はいかゞ!

Kよ、ありがたう、おめでたう、私のさびしさかなしさはわかるまい、わからない方がよい。

Kさん来庵。

午後出かける(これは当然必然だ)、そして例の通り、払へるだけ払つた気持はよいな、酔つぱらつた気持もわるくない。

夕方帰つて見ると、盃せん浪藉、KさんとJさんとがやつてきて、飲んで、そして出かけたらしい。

うたゝねしてゐるところへ樹明君来訪、二人の酔漢がそのまゝ寝てしまつた。

天下泰平、徃生安楽国、ムニヤムニヤアーメン。

愚劣なる存在の一個──山頭火!

相手のないカンシヤク

我れ観音とならん、いや我れは観音なり、といふくらゐの自信、いや、自惚があつてほしい。

物そのものを生かすこと


1+1=21÷1=X 人生とはかういふものか 1-1=01×1=X


言葉の味

  貧乏、銭なし、無一文、等々。

後悔しない私になりたい。


九月廿八日 晴。


樹明君悄然として出勤する、人間樹明のしほらしさは見るに忍びなかつた。

朝酒! 幸か不幸か、どちらでも構はない。

嫌な手紙を書いた、書きたくないけれど書かなければならなかつた、それを持つて駅のポストへ出かけて、そしてふら〳〵飲み歩いた(といつてもフトコロはヒンヂヤクだつた)、ぼろ〳〵になつた、とう〳〵また畜舎の御厄介になつた。……


九月廿九日 秋晴。


早朝帰庵。

その日が来た、と思ふ。

NさんがFさんと同道して来庵、私のことが記事として載つてゐる福日紙を持つて(先日のMさんが書いたのだ)、同道して散歩、たいへん労れて戻る。

魚眠洞君の手紙はうれしかつた。

Kから新婚写真を送つてきた、それはもとより私を喜ばしたが、同時に私を憂欝にした(一昨日の結婚挨拶状と同様に)、親として父として人間として、私は屑の屑、下々の下だ!

昨日も今日も酒があり肴がある。

月のよろしさ。

いつまでも睡れなかつた。

芭蕉……感傷

  富士川の渡。

  市振の宿。

蕪村……貧乏

  悪妻。

一茶……執着

  大福帳。


九月三十日 晴──曇。


仲秋無月。

肌寒く百舌鳥鋭し。

沈静、読書、観賞。──

昼食前に樹明君が来て、山口へ出張するから同伴しようといふ、一も二もなく出かける。

湯田温泉はいつでもうれしい、あてもなく歩きまはつて句を拾ふ。

そしていつしよに帰るべくバスに乗つたが、私だけはいつもの癖でどろ〳〵どろ〳〵。……

Kへの手紙

  (父と子との間)


十月一日 曇。


今夜も無月か、惜しいなあ。

夜明け近くなつて帰つて来た。……

樹明君神妙に早起して出勤、昨夜の君はいつもと違つてよかつた。……

身心すぐれず、宿酔の気味、罰だ。……

たよりいろ〳〵うれしかつた、Nさんからハガキを頂戴した、少女のたよりは私をまじめにしてくれる。

どうかして酒から茶へ転向したい。

私は飲む、浴びるほど酒を呷る、それはひつきよう空虚の苦杯なのだ。

……私は泣いた、ひとり泣いた、何故の涙であるか、私自身にも解らない、私は私自身を笑つてやる、私のオイボレセンチを笑つてくれ、笑つてくれ。

その日のその日がやつて来た。……

終日終夜謹慎。

夜ふけて雨、意識が水のやう。

酒が飲みたくなくなり飲めなくなるやうな気がする、それがウソかホントウかは時日が解いてくれるだらう。

何事も自然のまゝに自然そのものであれ

石の自然を愛す。

茶の清寂を愛す。

□A rolling Stone

□自然と自己、入我特入。


十月二日 曇──雨。


自己省察、身辺整理、清濁明暗、沈欝。

油買ひに行く(酒買ひにあらず)、路傍のコスモスが美しかつた、秋も日に日に深うなる。

……よくならうとすればするほどわるくなる、といふよりも、わるくなればなるほどよくならうとする、……真実なる矛盾である。……

しばらく畑仕事をしたら、草の実がくつついた。

今夜も不眠、やたらに読書した。

風が出て月は見えなかつた。

   ウソとホントウ

ウソらしいウソはよい、ウソらしいホントウもよい。

ホントウらしいウソはよくない。

私はホントウらしいホントウをいひたい。


十月三日 晴。


やうやく晴れた、今夜は月があるだらう。

野分らしく吹く。

観月会、──其中有楽。

原稿を書きつつ、自分の貧弱を痛感した。

郵便が来なかつた、さびしいことの一つ。

悔恨──哀愁──頽廃──虚無──そして──?

アルコールのない日は、酔うてゐない私は──

沈欝たへがたくなる。

待つ、待つ、待つ、──先づ敬君、それから岔水君、おくれて樹明君。

よい月でありよい酒であつた、むろんよい友である。

駅までいつしよに出かける。

さよなら、さよなら、めでたし、めでたし。


十月四日 秋晴。


昨日の今日でよい日だ。

日が照る、百舌鳥が啼く、萩がこぼれる、ほどよい風が吹く、……其中一人にして幸福だ。

胡瓜を食べる、うまい〳〵。

わが心水の如し

貧乏有閑、呵々大笑!

待つてゐた敬君が午後来訪、よい酒を飲んでバスまで見送る。

それから飲み歩いてぼろ〳〵どろ〳〵。

ぐつすり睡れた、アルコール様々だ。

留守にNさんが来て、御馳走になりました、と書き残してある。

灯取虫よ。

お前の最後は気の毒だつた、追うても払うてもお前はランプにぶつかつて、とうたう焼かれてしまつた。

火を慕うて火で死ぬるのがお前の性だ、「汝の性のつたなきを泣け」といふより外ないではないか。

灯取虫よ。

お前はお前の性に随順して亡んだ。

成仏うたがひなし、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


十月五日 曇。


沈欝たへがたし、昨夜の今朝だからいたしかたなし。

その日のその日のその日がやつてきた! やつてきた!

茫々漠々、空々寂々、死か狂か、死にそこないの、この心を誰が知る!

夕方、酒が持ち来された、ほどなく樹明君来訪、しんみり飲んで別れた、よかつたよかつた。

やすらかな眠をめぐまれた。

(五日)

・かさりこそりと虫だつたか


十月六日 晴──曇。


朝寝、沈静。

自己を清算せよ過去を放下せよ、──それがそれのみが私の生きて行く道である

緑平老からの手紙はなつかしかつた、うれしかつた。

ぼんやり縁に坐つてゐる、──蝶がとぶ、とんぼがからむ、蜂がなく、虫がなく、木の葉がちる、小鳥がちらつく、──私の沈んだ情熱がそこらいちめんにひろがつてゆく。──

雑魚のうまさ、雑草のうつくしいやうに。

よい酒よい飯をいたゞいた。

柿落葉の風情。

昨日も今日もたゞつつましく。

(六日)

・おのれにこもる木の実うれてくる

・木の葉ひかる雲が秋になりきつた

・ゆふ闇はたへがたうして蕎麦の花

・明日のあてはない松虫鈴虫

・ゆふ焼のうつくしくおもふことなく

・秋の夜の鐘のいつまでも鳴る

・陽だまりを虫がころげる

・青空のした播いて芽生えた

・たゞに鳴きしきる虫の一ぴき


十月七日 曇、──晴。


早起して身辺整理。

寒くなつた、冬物の用意をしなければならなくなつた。

ほうれん草を播く、大根がもう芽生えてゐる、生れるもの、伸びるもののすがたはうれしい。

午後、四日ぶりに街へ、石油買うて、一杯ひつかけて、雑魚をさげて戻る。

暮方近くNさん来庵、職を持たない人の不安と弛緩とがよく解る。

夜は婦人公論を読む、二・二六事件の記録が胸深く徹えた、そこには頭の下る純真があつたのだ。

今夜も不眠だ、呪ふべき私自身をあはれむ。

(七日)

・くもりおもたい木魚をたたく

・草刈るや草の実だらけ

・落葉するする柿の赤うなる

・ぶらぶら熟柿の夕焼

・ばさりと落ちて死ぬる虫

・更けるほどに月の木の葉のふりしきる

□よい酒を飲めるやうになる自信はないけれど、よい句は出来ないこともあるまいといふ自惚は持つてゐる。

□自分の句について考へる──

 私は私をうたふ、自然をうたふ。

 人間性をうたひ、自然の調和をうたふ。

 人間に眼醒めしめ、自然を味はせたいのである。

□人間としての樹明について考へる──

 彼は文芸を解し、酒を解してゐる、それだけで幸福であり、不幸でもある。

□幸福と不幸とは垣一重である。

 神と悪魔とは裏表だ。

 地獄の底が極楽。


十月八日 晴──曇。


朝寒、火鉢がこひしくなつた、朝月もつめたさうだ、まともに朝日があたたかく、百舌鳥の声が澄んできた。

自己省察、その一つとして、──こんどの旅は下らないものであつたが、よい句は出来なかつたけれど、句境の打開はあると思ふ、生れて出たからには、生きてゐるかぎりは、私も私としての仕事をしなければならない、よい句ほんたうの句山頭火の句を作り出さなければならないと思ふ、私は近来、創作的昂奮を感じてゐる、私にもまだこれだけの芸術的情熱があるとは私自身も知らなかつた、──私は幸にして辛うじて、春の泥沼から秋の山裾へ這ひあがることができたのである。

シロがやつてきてうろ〳〵してゐる、彼もまた不幸な犬だ、鈍にして怯なること私に似てゐる。

午後、ともすれば滅入りこむ気分をひきたてて、秋晴三里の郊外を歩いて山口へ出かける、椹野川風景も悪くない、葦がよい、花も葉も、──いろ〳〵買物をして、湯田で一浴して帰つた、机上のノートに書き残して置いやうに、間違なく暮れる前に!

帰ると直ぐ水を汲む、米を磨ぐ、お菜を煮る、いやはや独り者は忙しいことだ。

ゆつくりと晩飯、おいしいな、ちよいと一杯ほしいな。

留守中誰も来なかつたらしい。

ほんたうに好い季節だ、もつたいないほどの秋日和だ。

意識が冴えて剃刀のやうだ、そして睡れない、この矛盾が私を苦悩せしめる、ホンモノでないからだ。

古雑誌を読む、芥川龍之介の自殺について小穴隆一が書いてゐる、考へさせられる問題だ、古くして新らしい問題だ、それは人間そのものの問題だ。

今日の幸福は千人風呂にはいつて、そして一杯ひつかけたことであつた、うれしくもあり、さびしくもあつた。

   今日の買物──

一金六銭 揚豆腐二つ  一金六銭  野菜種子

一金弐銭 葱一束    一金三十銭 番茶半斤

一金九銭 味噌百目   一金五銭  古雑誌一冊

   外に

一金五銭  入浴料

一金弐十銭 酒二杯

一金十銭  バス代(湯田まで歩いて、また上郷から歩く)

やつぱり酒がいちばん高い、酒を飲まないと苦労はないのだけれど、しかし、たのしみもないわけだ。

自己の単純化

 何よりも簡素な生活

今日の太陽

自画像

 句集の題名として悪くないと思ふ、平凡なだけ嫌味はない、私の句集にはふさわしいであらう。

□秋の山、秋の雲、秋の風、秋の水、秋の草──秋の姿が表現する秋の心

 松茸よ。

 秋を吸ふ、食べる、飲む。

 秋を味ふ、秋の心に融ける。

(八日)

・晴れきつて大根二葉のよろこび

・柿の葉のちる萩のこぼるること

・秋晴の馬を叱りつ耕しつ

・蕗の古葉のいちはやくやぶれた

・月夜ゆつくり尿する

・播かれて種子の土におちつく

・風が枯葉を私もねむれない

   (山口吟行)

・細い手の触れては機械ようまはる(工場)

・秋草のうへでをなごで昼寝で

・秋風の馬がうまさうに食べてゐる

・とんぼうとまるや秋暑い土

・みのむしぶらりとさがつたところ秋の風

・お父さんお母さん秋が晴れました(ピクニツク)


十月九日 晴。


身心やうやくにして本来の面目にたちかへつたらしい、おちつけたことは何よりうれしい。

午前、鉄道便で小さい荷物がきた、黙壺君からの贈物であつた、福屋の佃煮、おかげで御飯をおいしくいたゞくことができる、ありがたし。

秋をたたへよ、秋をうたへよ、秋風日記を書き初める。

痔がよくない、昨日歩いたからだらう、痛むほどではないけれど、気持が悪い。

昼飯は久しぶりにうまい味噌汁。

何といふしづかさ、純愛の手紙といふのを読む、彼の純な心情にうたれる。

午後は畑仕事、蕪、大根、新菊などゝ播くものが多い。

夕方出かけて一杯ひつかける。

夕餉するとて涙ぽろ〳〵、何の涙だらう。

何となく寝苦しかつた、おちついてはゐるけれど。──

ぐうたら、のんべい、やくざ。……

(九日)

・うれしいことでもありさうな朝日がこゝまで

・はたしてうれしいことがあつたよこうろぎよ

・飛行機はるかに通りすぎるこほろぎ

・つめたくあはただしくてふてふ

・ひつそりとおだやかな味噌汁煮える

・百舌鳥もこほろぎも今日の幸福

・水をわたる誰にともなくさようなら

・月の澄みやうは熟柿落ちようとして

・酔ひざめの風のかなしく吹きぬける(改作)


十月十日 晴──曇。


けさも朝月がよかつた。

小猫でも飼はうかなどゝ思ふ(犬も悪くないけれど私にはとても養ひきれない)、こんなことを考へるのは年齢のせいか、秋だからか、とにかくペツトが欲しいな。

平静、しづかに読み、しづかに考へる、時々オイボレセンチを持て余す、どう扱つたらよからうか。

松茸で一杯二杯三杯やりたいなあ、あの香、あの舌触、ああやりきれない!

こんな句を見つけた──

老いぬれば日の永いにも涙かな  一茶

さつそく、附きすぎる句を附ける──

夜ルも長くてまた涙する  山頭火

同老相憐むとでもいはう。

たよりいろ〳〵ありがたし、それにつけても、私の方からあげなければならないたよりであげずにあるたより、たとへば秋君へのそれのやうなのがある、それを考へると胸がいたくなる、決してなほざりにしてゐるのではないが、あげられないのだ、あげたいあげたいと念じながらあげることが出来ないのだ!

今日も小包、長野の北光君から、信濃の春をおもひだす、一昨日は伊豆の一郎君から小包を受取つて、今春の会合をなつかしんだが。

第二日曜十月号、はつらつとしてたのもしい、音律論がまた問題になつてゐる、俳句のリズム論はずゐぶん、むつかしい問題であるが、それを理論づける人は別にある、私はそれを実行づけなければならない。

とにかくぼんやりしてはゐられない、勉強することだ。

心の中で或る人に詑びる、──友としてのすまなさよりも人間としての恥づかしさを私は痛感してゐます。

郵便物を持つて街へ、そして米を買へるだけ買ふ、そして一杯やりたいが、今日はダメダメ!

私には仏道修行はとても出来ないが(仏弟子としての面目まるつぶれだ)俳諧修行なら出来る、現に日夜それに全身全心をうちこんでゐる、俳諧修行もまた仏道修行の一つとはいへないだらうか

何物をも粗末にしない私が、なぜ、酒を粗末にするのだらうか、つつましい私であつて、しかも私自身をないがしらに扱ふのは何故であらうか、酔中の私を考へると泣きたくなる。

近隣の子供たちが林の中でばさ〳〵栗の木をたたいてゐる、栗の実は拾ふべきもので、もぐものではないと思ふ。

柿はもぐべきもの、たゞし熟柿は落ちる!

ゆふべのしめやかさが自分について考へさせる、──愚に覚めて愚を守れ生地で生きてゆけ愚直でやり通せよ愚人の書でも綴れ。──

昨日今日またぬくうなつた、浴衣一枚でもよかつた。

樹明君に対して何となく不安を覚える、数日前、日記と句帖とを無理借されて、其後音沙汰なしが、その一因でもあるが、酒を飲んだ君は信用出来ない、君が好人物であるだけ惜しい。

夜、枕許へこほろぎがやつてきた。……

(拾日)

・郵便が来てそれから柿の葉のちるだけ

・播きをへてふかぶかと呼吸する

・昼ふかく落葉に落葉が落ちては

・鳴いて鳴いてこほろぎの恋

・何おもふともなく柿の葉のおちることしきり

・ぢゆうわうにとんだりはねたり蝗の原つぱ

・もろいいのちとして手のしたの虫

・柚子の香のほの〳〵遠い山なみ

・砂ほこりもいつさいがつさい秋になつた

・生きてはゐられない雲の流れゆく

・明日は死屍となる爪をきる

・捨てたをはりのおのれを捨てる水

・眼とづれば影が影があらはれてはきえる

・水音のとけてゆく水音

・死へのみちは水音をさかのぼりつつ(改)

正しくたゞ正しく、そこから美しさも清らかさもすべて生れてくる。

古きものほど新らしきはなし真理は平凡なり、例へば、私たちはいつでも真実でなければならない、真実に生きなければならない。

 問題は真実の内容にある、真実であることに間違はないが、何が真実であるか、現代に即して自我の発露はどうすれば真実であるか。

 いかに考へ、いかに行ふべきであるか。

 いひかへると、真実の表現は何であるか

□托鉢して、そして仏弟子として修行しないならば、それは一種の詐偽取財だ。

 行乞して、物資を費消するならば、それも一種の搾取だ。

 仏家として仏道に精進しないならば、背任行為ではないか!


十月十一日 晴、空の色がはつきりしないけれど。


沈潜、自己を掘り下げることが今の私の仕事だ。

Jさんの子供が柿もぎに来た、今年はこゝの柿はあまりなつてゐない、よそのはたくさんなつてゐるのに。

今日は誰か来さうなものである、来てくれるとよいな、と思つてゐるところへ樹明君が来た、よかつた、よかつた、安心した(私の予感があたらないでもなかつたらしい、先日来、酒のために悩まされたといふ)、御飯を食べてから、君は沙魚釣に、私はポストへ。

今日も品行方正!

午後、T酒店の主人が空罐拾ひに来て閑談しばらく、先日の新聞記事が利いてるらしい。

秋を味ふ、眼で柿を食べる。……

がちやがちやがまだ鳴いてゐる、鈴虫があちらで一匹、こちらで一匹、おとなしくさびしく鳴く。

どうも寝苦しい、やつと寝つくと悪夢におそはれる、詰らないことである。

過去は過去、未来は未来、後悔するな、遅疑するな、現在を十分に生きろ

第一山頭火、第二山頭火、第三山頭火。──

   「秋風日記」

○播くもの──宮重大根、聖護院大根、ころげ蕪、新菊、ほうれん草(ワケギを植ゑる)。

○秋を味ふ──酒と松茸。

○風、月、草、虫。──

○蚯蚓つぶやいて曰く──俺の寝床の平和をみだすのは誰だ!

 こほろぎはさゝやく──こゝはわたしの産褥ですよ。

 雑草曰く──もうぢき枯れるんだ。

(十日)

・にぎやかに柿をもいでゐる

・もがれたあとの柿の木のたそがれ

・散つてゐる花のよろしさがかたすみに

   作家の発展過程

第一段階、芸術殿堂建設(初歩の)。

第二段階、芸術の現実化。

第三段階、現実の芸術化(自己創造へ)。

第四段階、芸術の境地実現(究竟の)。

     (自己完成


十月十二日 曇。


日中は晴れたり曇つたり、夜に入つてしぐれる音か、落葉する音か、いづれ雨は近いだらうが、それがむしろ望ましいが、なか〳〵かたい天候である。

落ちついて、さうだ落ちついて、ひとりで、そしてひとりで、よろしいな。

枇杷の枯枝をかたづける、この一木がことしの冬の焚付を保證してくれる、ありがたい。

ゐのこつち草──ぬすと草の実のねばりつよさよ。

午後は近郊散策、私の好きな石蕗が咲いてゐた、龍膽はたづねあてなかつた、野も山もところ〴〵紅葉してゐる、百姓は田畝でいそがしく、たいがい留守であつた。

山の木、野の草を活ける、楽しみはこゝにもある。

自転屋の主人Jさん、つゞいて酒屋の主人Mさんがやつてきて四方山話。

今日でサケナシデーが三日つゞく、飲みたいのをぐつと抑へて、──つらいね!

今日はじめて熟柿を食べる(歯のない私は熟柿しか食べられない)、何といふ甘さ、それは太陽そのものの味であらう。

今夜も寝苦しかつた。……

    (昭和十一年十月十二日午前十時記す)

──所詮、私は私の道に精進するより外はないのである、たとへ、その道は常道でなくとも、また、難道であつても、何であつても、私は私の道を行かざるを得ないのである。

句作道、──この道は私の行くべき、行き得る、行かないではゐられない、唯一無二の道である。

それは険しい道だ、或は寂しい道だ、だが、私は敢然として悠然として、その道に精進する。

句作が私の一切となつた私は一切を句作にぶちこむ

私は我儘である、私は幸福である、私は貧乏である、私は自由である、私は孤独である、私は純真である。

私は飛躍した、溝を飛び越した、空も地もひろ〴〵として、すべてが美しい。

よろこびか、かなしみか、よろこびともいへようし、かなしみともいへよう、しかし、私はそれ以上のものを感じる。──

□苦しみがなければ喜びもない、──これが人生の相場である、そして苦しみと喜びとの度合は正比例する、苦しみがはげしければはげしいほど、喜びもつよいのである。

 苦しんで喜ぶか、はげしく苦しんでつよく喜ぶか、苦しまず喜ばず、無味に安んずるか、どちらでもよろしい(後者は実際がなか〳〵許さない)。

 苦悩悲喜を超越したところが禅門の悟だ、煩悩具足の我々であるけれど、その煩悩に囚へられないやうになるのが仏道修行である。

現象と表象

 事象(自然人生)を現象として実験し分析し研究するのは科学者、それを綜合的に表象として表現するのが芸術家だ、芸術は人を離れて、即ち作者を没しては意味をなさない。

   柿の葉

私の句集をかう名づけてもよからうではないか、柿の実でもない、柿の木でもない、柿の葉である。

私の好きな葉である。

柿膓柿の帶といふやうな書名は知つてゐるが。

私の句集には柿の葉がふさはしい。

我が心柿の葉に似たり

   梅干の味

私は梅干の味を知つてゐる。

孤独が、貧乏が、病苦が梅干を味はせる。

梅干がどんなにうまいものであるか、ありがたいものであるか。

病苦に悩んで、貧乏に苦しんで、そして孤独に徹する時、梅干を全身全心で十分に味ふことが出来る。


十月十三日 晴。


朝曇が日の昇るにつれて晴れわたつた、暑からず寒からず、ほんたう好い季節ではある。

「秋ふかしよくぞ日本に生れける」

我が心は秋の水の如し!

朝からポンポン狼火の音、ハテ、演習かな、運動会かな。

風が出て柿の葉がしきりに散る、柿の葉が散りしいてゐる風景はわるくない。

生地を磨く磨いて磨いて底光りするまで磨く、──さういふ俳句を私は作りたい

酒乱清算の機縁が熟したと思ふ(私の場合では酒乱といふよりも酒狂といふべきだらう)。

今日も午後は近郊散策、形あるものがくづれる姿を見た、……途中、シヨウチユウ半杯が腹の虫をごまかした。

婦人公論を読む、なか〳〵面白い、私はその実話告白から(それが真実のものであるかぎりは)、教へられ考へさせられることが多い。

「おさびしいでせう」と訪ねて来た人がしば〳〵いふ、さうです、さびしくないことはない、しかしさびしい以上によいものがあります、どちらもよいことは世の中にありませんからね、私は社会の例外として存在してゐるのです、私だけにはかういふ生活態度も生活様式も自然で当然で、必然でもありますが、例外は飽くまでも例外ですよ、と私は答へる。

空は高く地は広く、山も水も草も美しい、私は幸福だ生きられるだけは生きよう。──

火!

毎朝、起きるとすぐ竈の下を焚きつける、ちろちろと燃える、燃えあがる。

うつくしい、ありがたい。

火の尊厳美をたたふ。


天地悠久を感じる。

自然の恩寵を感じる。

万物の流転を感じる。


感じることは事実だ

見るよりも聞くよりもたしかな事実だ。

触れることがたしかな事実であるやうに。


今日の幸福

今日の感謝。


十月十四日 快晴。


申分のない秋日和、松茸が食べたい。

私が昨年来特に動揺してゐたのは、老年期に入る動揺のためであつたと思ふ、不安、焦燥、無恥、自暴自棄、虚無、──すべてがその動揺から迸つたのだらう、そしてそれに酒が拍車をかけた、私の激しい性情が色彩を濃くした、……しかしそれも過ぎてしまつた、私は今、嵐の跡に立つてゐる。

たより〳〵いろ〳〵、緑平老は十八日に来庵してくれるといふ、待つてゐる、俊和尚は熊本から熊本の悪夢を思ひださせるやうに書いてよこす、困るね、リンゴは有一君の人間のよさをそのまゝ現はしてゐる。

しづかにしてなつかしく、といつたやうな気分だ、だが、私にも私としてのなやみがありなげきがある、それがだん〳〵「もののあはれ」といつたやうな情緒になりつつあるが。

私は俳句に対して monomania だ、それでよろしい。

Sweet solitude ! それがなくてはかういふ生活はつづけられない。

無理のない、こだはりのない、ゆつたりとしてすなほな身心が望ましい、欲しい。

米がなくなつた(銭はもとよりない)、ハガキが百枚ばかりある、それで何とかならう。

夕方やりきれなくなり、街へ出かけてハガキを酒に代へる、ハガキ酒はよかつたね、ほどよく酔うた、さるにても酒飲根性のいやしさよ。

学校の給仕さんが呼びに来た、樹明君宿直といふ、さつそくまた出かける、御馳走になつてそのまま泊る、少々飲みすぎて少々あぶなく少々寝苦しかつた。

自分の本分を知れ。

 自分の塔を築きあげよ。

□あたりまへのもの、すなほなもの、ありのままのもの

 さういふものを私は尊ぶ。

孤独ヒトリはうたふ。

 私の俳句はさういふうたの一つだ。

       ×

 空談閑語


十月十五日 晴。


早起帰庵、何と好い秋日和。

留守中にNさんが来たらしい、すまなかつた。

少々胃の工合がよろしくない、迎酒として昨夜の残りものを飲む、壁のつくろひはやつぱり泥だといひます!

待つもの来ない、だいたい待つといふ気持がよろしくない、私にあつては。

洗濯、これはあまり自慢にはならない。

午後、散歩、入浴、学校に寄つて、新聞を読み米を貰うて戻る、樹明君、まことにありがたう。

夜、Nさん来訪、しばらく雑談。

割合によく眠れた。

   私の一生

更年期の苦悶──老年期へ入る不安。

動揺焦燥も解消した。

老境

私の前半生はこゝに終つた、後半生はこれからである。

山頭火の真骨頂は今後に於て発揮せられるだらう

一日一日、一句一句、一歩一歩。


十月十六日 晴、お天気がようつづく。


このごろの飯のうまさよ、飯そのもののうまさだ

一粒の米にも千万無量の味が籠つてゐる、まことに粒々辛苦、ああ、お米のありがたさよ。

何もお菜がないから、けふもシヨウユウライス!

おもひがけなく、S子さんと彼女の友達とがM老人に案内されて来てくれた、まつたくもつて珍客来だ、おかまひは出来ないが、渋茶を飲んだり熟柿を食べたりして貰ふ、むろん雑草風景は十分に味つて貰ふ。

三人打ち連れて、駅前のH食堂へはいる、私は酒と刺身と焼松茸とを御馳走になる(世はさかさまとなりにけりだ)、松茸は初物、おいしかつた。

それからが少々いけなかつた、例の如く彷徨した、少々みだれた、……五時頃帰庵、誰か来たらしいと思つたら、Nさんが昨夜話しあつた約をふんで、釣つた沙魚十数尾を持参してくれたのだつた、さつそく料理して、うまい夕飯を食べた。

暮れて樹明君来庵、ほろ酔機嫌でニコ〳〵してゐる、今日の私の行動をもうチヤンと知つてゐる、明後日の緑平老歓迎のことを話しあつて、めでたくさよなら。

Y夫人の急死を聞かされたとき、私の身心はドキンとした、手当は十分行き届いたのだらうけれど、何しろ尿毒症の激発ではどうにもならなかつたらしい、ああ、ああ、Y主人の悲嘆が思ひやられる、彼女は私の酔態をよく知つてくれてゐた、彼女の面影が眼前に彷彿して、無常観をそそつてたまらなくなる。……

アルコールのおかげで、ぐつすり寝た、飲みすぎ食べすぎで腹工合はよくないが。

事の多い、感慨の深い一日だつた。


十月十七日 晴。


神嘗祭、よい休日。

おちつけ、おちつけ、おちついて、おちついて。──

昨日の御飯に昨夜の沙魚、うまいうまい、Nさんありがたうありがたう。

ちよつとそこらを散歩しても、秋の楽園。

午後、ポストまで、大根一本三銭。

刈田の蓼紅葉のうつくしさ、草紅葉は好きだ。

シヨウガの風味、シソの実の風味、それも秋の風味

歩くと暑い暑い、帰るとドテラを脱いで浴衣一枚、涼しい涼しい。

夕飯は茶粥、大根がうまくなつた。

今夜もNさん来庵、とりとめもない雑談しばらく。

どうやら風邪をひいたらしい、胸の中が何だか変である、痛みさへしなければ、起居が不自由にさへならなければ、軽い疾病は私にとつて救ひの神だらう!

   ◎今日の太陽

最も古くして、そして、最も新らしいもの。

私の幸福は昨日の太陽ではなく、また、明日の太陽でもない。

私の句集の題名にしたい。

   ◎道中記

北陸道中記、東海道中記

春の道中記、夏の道中記


十月十八日 曇。


野分、裏藪が騒々しい。

眼が覚めると寝てはゐられなかつた、今日はうれしい日だ、緑平老が訪ねて来てくれる日だ!

お茶が沸いて御飯が炊けて、何もかも済んでもまだ夜は明けきらなかつた、ずゐぶん早起きしたものだ。

石蕗を活け代へる、いゝなあ。

ちよいと学校まで、樹明君に逢ひ、新聞(昨日の分、今日は休刊)を読み、そして一先づ帰庵。

駅へ出迎へる扮装といつぱ──地下足袋で尻からげ、ヘルメツトにステツキ、まさに田舎の好々爺で、典型的庵主様だらう!

緑平老は約の如く十一時の列車で御入来、駅辨と一升罎とを買つて貰ふ。

よろしいな、うれしいな、飲む、食べる、饒舌る、笑ふ、とかくするうちに、樹明君もやつてくる、焼松茸、ちり、追加一升、柿、等々々。……

彼が飲めば私が酔ふ私が酔へば彼が踊る

六時の汽車へ見送る、尽きない名残がいつもの二人を彷徨させる、乱酔させる。……

ダツドサンでいつしよに帰庵、そして解散。

──米代も油代も炭代も煙草代もみんな飲んでしまつたが、それでよろしい、私は後悔しない!


十月十九日 曇、降りさうで、なか〳〵降らない。


朝酒あり、ありがたし。

昨日の今日はさびしい、そのさびしさをまぎらすために散歩、入浴、それでもまぎらしかねて、また飲みはじめる、A屋、Y屋、暮れてからKさんから少々借りてB屋で飲む、なぐさまない、ぶら〳〵かへる、そして寝る、夢中にしぐれを聴いたやうだつたが。

ハガキ酒、キツテ酒! ヂゴク、ゴクラク! あはれ、あはれ!

S子から来信、かういふ文句を読んでゐると年甲斐もなく涙ぐましくなる、血は水よも濃く、そして切ない!


十月二十日 晴。


身心何となく痛い、すべて自因自果、自業自得也。

この澄みやうは、──我、秋天の如く秋水に似たり、おちついてしめやかな一日だつた。

柿の落葉の色彩の美しさは拾ひあげて凝視しないではゐられないほどだ。

午後、Nさんが親切にも婦人公論十月号を持つて来てくれた。

夕方、酒と雑魚と菜葉と到来、間もなく樹明君来庵、気持よく飲んで、それから散歩。

Jさんから訴へられ叱られ責められた、一言もなし、非は私にある、今更のやうに自分の愚劣を恥ぢた。

今夜の樹明君は良い方だつた(私も良かつた)。

新しい下駄五十銭を樹明君が奮発してくれた、これで地下足袋を穿いてうろ〳〵しないですむ。


十月廿一日 晴、よくつゞくことだ。


まづはめでたや。──

反省、自己検討。──

ほうれん草のおひたしがうまい。

山野逍遙、ああ天地が美しい。

終日読書。

もうつくつくぼうしは鳴かなくなつたが、まだがちやがちやは鳴いてゐる、何だかそこにも私自身の陰影が残つてゐるやうな気がする。……


十月廿三日 晴。


風邪気分、咳が出て困る、六時のサイレンが鳴つても寝床にゐた、私としてはめづらしい朝寝だ。

平静、──身辺整理。

食べる物がない! 今日の食卓には貰つたほうれん草と盗んだ熟柿とあるだけだつた。

郵便もたうとう来なかつた。

午後、Nさん来庵、いつしよに学校の樹明君を訪ねる、酒と魚とを貰つて、またいつしよに帰庵、樹明君もやつてきて、愉快に飲んでほろ酔うた、いつしよに街へ出かけて、無事にめでたく解散。

私は一人になつて、Y屋で食べH屋で飲んで、理髪し入浴して帰つた、そしてぐつすりと寝た。

今日は嫌な言葉──それが誰の言葉であるかは書かないでもよい、──を樹明君及Nさんを通して聞いた。

今夜の良かつたことは、──樹明君といつしよに飲み歩かなかつたこと(これは彼が避けたのかも知れない)、そしてNさんに無理なゲルトを出させなかつたこと。

とにかく世の中はうるさい人間の接触はわずらはしい私は一人で飲まうそして酔はうそして唄はう踊らう


十月廿三日 好晴。


昨夜、一人で飲んで酔うたので、今朝はさつぱりと身心が軽い、酒はほんによろしい。

早朝、財布をさまさまにして、前のF家で白米一升ほど分けて戴く。

飯! 飯といふもののうまさありがたさが身にしみる、心にこたえる、私は貧乏だそして幸福だ

秋寒を感じさせる風、水、雲。

昨日も今日も毎日、とても好い日和、秋のよろしさが泌みわたり澄みとほる。……

落ちついて読書。──

純真でそして愚鈍で、それでよろしい。

酒なしデー煙草なしデーだつた。

よき食慾よき睡眠とがあつた。

方便として、禁酒節酒の仮面を被らうかとも思ふ、私は勿論、酒からは離れ得ないが、人から離れたいのである、人間(私のやうな人間でも)全然は孤独ではあり得ないけれど、孤独でありたいと願ひ、また、孤独であることの出来る時機がある、私は今、さういふ時機に直面してゐるやうである、……なほよく考ふべし。

省みて疚しくない生活

恥ぢない生活

かげひなたのない生活

雲のやうな、風のやうな

水のやうな生活

何物をも恐れない

誰をも憚らない生活

すなほにつつましく

あたたかい、やさしい生活


十月廿四日 晴、申分のない晴。


寒い、水がつめたい、火がなつかしくなつた。

もよい、煙草もよいが、もよいな。

Kから来信、ありがたう〳〵〳〵。

午後、街へ出かけて、払へるだけ払ふ、飲めるだけ飲む、歩けるだけ歩く、……半日半夜彷徨、どろ〳〵になつて戻つたが、留守中たいへんだつたらしい。──

黎君が来る、樹明君が来る、敬君が来る、いつしよに或るフアンを連れて、そして中村君も魚を持つて来る。……

苦しかつた、のたうちまはつた、酒は悪魔だ、何と可愛い悪魔だらう!

自然観照──自己観照──自然観照。

自己表現──自然表現。


十月廿五日 晴、行楽日和だ。


迎へ酒のにがさよ(朝酒そのものはうまいのだが)。

農業校の運動会見物、樹明君はもう酔うてゐる、いや、昨夜からの延長らしい、お辨当を貰ふ、特別にナイシヨウで酒を貰ふ。……

私はスポーツに興味を持たない、引留められるのをふりきつて(Y屋で五十銭借りて)、宮市へ行く、花御子の行列をちよつと見物した、そしてI家で御馳走になつた、昔話がはづんだ、S子の親切がうれしかつた。……

十時の汽車で帰庵、月はよかつたが、気持もおちついてはゐたけれど、やつぱりさびしかつた。

留守中、樹明君やら敬治君やらやつて来て待ちあぐんだらしい、すまなかつた。

労れてよくねむれたが、夢はヘンテコなものだつた。


十月廿六日 曇。


──酒をつつしみませう──、と自問自答した。

炭屋の小父さんが炭を持つて来て、しばらく話した。

いよ〳〵酒をやめる機縁が熟したらしい、肉体的にも精神的にも、経済的にも生活的にも(といつて全然アルコールと絶縁することは不可能だらうが)、これはまことに大事出来だ、自己革命の最たるものだ。

午後、樹明君来庵、ちりでほどよく飲んだ、そして六時のサイレンを聞いて、おとなしく別れた。

ばら〳〵雨、山川草木いよ〳〵うつくしい。

まづしささびしさにたへて、──月、虫、時雨。

石油が切れてゐるので宵から寝る。

おつとりとして生きたいな。


十月廿七日 曇──晴。


しぐれの声で眼ざめた、めつきり寒うなつた、火鉢に火がないと坐つてゐられなくなつた。

とかく弱者の溜息らしいものが出る、情ないかな。

そこらで鶲がひそかに啼く、百舌鳥も孤独だが、これはまた寂しい鳥だ。

身辺整理、畑仕事もその一つ。

街へちよいと、油買ひに、米買ひに、なくてはすまない二つの物。

夜、Nさん来庵、いつものやうに、金がない、金がほしい話!

良い月夜だつた、十三夜ぐらゐだらう。

咳き入つて困つた、ちゞむさいこと。


十月廿八日 まことに日本の秋晴


いよ〳〵寒くなつた、シヤツがほしくタビがほしくなつた、いそいで冬の仕度をしなければならなくなつた。

ひよどりが出て来て啼く、好きな鳥だ。

紫蘇の実を採る、いゝにほひだ、日本的香気といふべきだらう。

大根を間引いてコヤシをやる、大根こそは日本蔬菜の第一位である。

──ああ、君、君、申訳がない、申訳がない、すみません、すみません、──遠方の友に向つて、私は平身低頭した、──彼は誰、何処にゐる。──

此頃の農家は忙しいが、寸閑をぬすんで、老人も子供もうち連れて柿をもいだり茸をさがしたりする、まことに美しい田園風景だ。

稲扱の音響も美しい調べといふべきだらう。

白菜がおいしい、漬けて一等だ。

みそさざいもなつかしい、おまへもまた寂しい鳥だ。

目白はおほぜいでやつてくる、貴族的だ。

午後、ぶら〳〵歩きたくなつて山口へ、一片の雲影もない秋日和である。

一人はよろしいなと思ふ、そしてまた、一人はさびしいなと思ふ、人間は我儘な動物だなと思ふ。

湯田温泉に浸る、……それから……それから……バカ、バカ、……バカ、バカ……Sさんには申訳がない、Yさんにも恥づかしい、……とうたう湯田の安宿に泊つた。

「旅草紙」

過去清算。

身心整理


十月廿九日 晴。


空は明るく私は暗い、私は爛れてゐる!

一浴二浴して身心を洗ふ。

朝のバスにて帰庵、直ぐ臥床。

夜、嘉川のI老人来庵、たゞしやべつた、心中の苦しまぎれに。──

私が変人なら彼も変人だらう。

当地方の変人物語を聞く。


十月三十日 晴。


身心やゝかろし。

節酒か禁酒か、死か狂か。

百舌鳥が刺すやうに啼く、私の愚劣を叱咜するやうに。

長大息する外ない。

樹明君に催促されて、揮毫十数枚、悪筆の乱筆がいよ〳〵ます〳〵あさましい、夕方、それを持参して、酒と魚とを持ち帰つて、樹明君の来庵を待ち受けて。──

それからまた、いつしよに出かけて飲み歩いた、べろ〳〵になつて、いつしよに帰つて来た。

月がよかつた、酒もわるくはなかつた。


十月三十一日 晴。


やれ、やれ、──やれやれ、──やれやれ。

樹明君を送り出す、山頭火をあざ笑ふ!

午前は断食寮の青年二人来訪、午後はNさん来訪。

昨夜、樹明君から頂戴した餅を味ふ。

酔中うけた傷に醒めて秋風を感じたことである。(廿九日)

樹明君も多分さうだつたらう!(三十一日)


十一月一日 曇。


一雨ほしいな。

月が改まつた、今年も後二ヶ月だけだ、しつかりせよ。

身心整理が出来るまではどうでもかうでも酒をつつしまなければならない

真実一路句作三昧

台湾の田中君からありがたい手紙とたくさんな龍眼肉、うれしかつた。

午後、樹明君来庵、例の揮毫料で飲むことにする、私は酒買ひに、君は魚こしらへ。

暮れてから、さよなら〳〵、よかつた〳〵。

夜は寝苦しかつた、ちよつとまどろんだゞけだつた。

朝寝もよからう、昼寝もわるくなからう、夜更かしもかまはない。

飲んでもよからう、酔うてもよからう、無理さへなければ。──

水のながれるやうに、おのづからなる生き方、そして、すなほな心がまへ


十一月二日 晴、時雨。


おちついて身のまはりをかたづける。

櫨紅葉を活ける、めざましいうつくしさ。

無理をするなあせるないら〳〵するななるやうになればた〳〵するな流れるまゝに流れてゆけ

昨日の酒が少々残つてゐる、ちびり〳〵飲む、ほんのり酔ふ、その元気でポストへ、ついでに湯屋へ。

秋ふかい顔を剃つた、野の花を摘んで御仏に供へた。

途上、Tさんの親切な挨拶を受けて、私は私を叱つたことである、──恥を知れ、自分を知れ、老を知れ、自然を知れ。──

雲も私もしづかに暮れる、誰も来なかつた、郵便やさんも来なかつた。

今夜も寝苦しいとは、……徹夜推敲、……月がおもてからうらへまはつた。

咳が出て困る、夜ふけて独り咳き入つてゐるときは、ひし〳〵と老境をさまようてゐる自分を見出すのである。

洟水も出る、これも老を告げるものだ

自己即自然

自然発見即自己発見

自己の生命、自然の生命。

いのちいのちのしらべ

自然律。


十一月三日 晴──曇。


明治節菊花節、むしろ日本節とよぶべきだらう。

今朝はずゐぶん寒かつた、触れる物が冷たかつた、澄んで明るい日だつた。

揮毫、木郎君に送る、龍眼肉少々Sさんへお裾分する、先日のお詑とお礼とを申上げる。

うまい昼飯だつた、たとへそれがシヨウユウライスであつても、感謝々々。

午後、Nさん来庵、文藝春秋と婦人公論とを持つて来て貸して下さつた、感謝々々、いつしよに郵便局へ行き油屋へ行き、それからまたいつしよに帰庵して、龍眼肉を咬みお茶を飲んで話した。

途上で聖護院大根一本を拾ふ、いびつだから捨てゝあつたのである、その一本が今晩の私のお菜として余りあるものであつた、感謝々々。

しづかだな、さびしいな、と時々思ふことである。

今夜はうれしい、石油があつて、読物があつて。

夜が更けて、腹が空つたので、夜食を食べる、ゼイタクだな、とも思うたことである。

曇、こんどは降りさうだ、降つてもよい頃だ。

婦人公論十一月号所載

 父と娘との記事を読みて


十一月四日 曇、時雨。


なか〳〵降らない、降りさうなものだ、降つてもらひたい、と空を眺めてゐるうちに、ぽつり〳〵しぐれてきた、よい雨だ、何十日ぶりかの、雨らしい雨だ、刈入には気の毒でないでもないが、畑の物は助かつた。

うまい朝飯、いはゆるうまいものは何もないけれど、飯だけでもうまい〳〵。

昼飯にも夕飯にも塩雑魚をあぶつて食べる、なか〳〵よい味である、それにつけても、噛み砕く歯が欲しい。

今日は酒なしデー、しめやかな日だつた。

鈴虫が一匹、そこらに生き残つて鳴きつゞけてゐる、生きものの悲壮な声である(俳句もさういふ声でありたい)。

──書きたくてたまらない手紙、書かなければすまない手紙、その手紙が書けないのである、書いても出せないのである、──過去の放縦、不始末が口惜しい、──憂愁懊悩たへがたし。──

醜怪な夢を見た。……

二人の無用人(私とNさん)


十一月五日 晴。


私としては朝寝だつた、六時のサイレンを聞いてから起床、夜が長く日が短かくなつたものだ。

秋も老いた、私も老いた。

いよ〳〵三八九を復活することにきめた、身心を整理するにはさうするより外に方法がないことが分つた。

過去を清算せよ一切を整理せよ

午前、I酒店の主人が空罎をあつめに寄つて、しばらく世間話、彼はよい娘を持つてゐる、のんべいだ、いろ〳〵の苦労をしたらしい。

しみ〴〵食べること、──味ふこと

今日も酒なし、飯はある!

風が初冬らしく吹きはじめた。

生死はもとより一大事なり、されば飲食一大事なり、男女のまじはりも一大事なり。

風は風なり、水は水なり、雲は雲なり、花は花なり、そして風は水なり、雲なり、花なり。

人は人なり、草は草なり、虫は虫なり、犬は犬なり、そして人は草なり、虫なり、犬なり。

百舌鳥よ、こほろぎよ、がちやがちやよ。

草よ、柿よ、石よ。

雲よ、水よ。……


十一月六日 晴、──曇、──雨。


冬が来た、冬ごもりの季節が近寄つた。

今日も酒なし、明日は米なし、いつも銭なし!

午後、ポストへ、ついでに湯屋へ。

野菊を床に、龍膽を机に飾る、これだけでも今日の私は幸福だ。

朝は晴れ、夕は曇り、夜はしめやかな雨となつた。

自然無尽蔵。──

観よ、観よ、観よ。

作れ、作れ、作れ。

それだけで私は十分だ


十一月七日 時雨。


しぐれはまことによろし、枯れてゆく草のまことにうつくし。

あるだけの御飯を食べて、そこはかとなくそこらをかたづける。

眼鏡が合はないのか、視力が弱つて、あたりがぼうつとしてゐる。

正午の汽車で遠足で西下する魚眠洞さんに逢ふべく出かけようとしてゐるところへ、おもひがけなくTさんとMさんとが来庵、Tさんはあいかはらずやりつぱなしで、Mさんはいつものやうにおとなしい、うれしかつた、ありがたかつた、大阪に於ける旅中のあれこれをおもひだして、何となくさびしくもあつたが、ちよつと話して、すぐいつしよに駅へ出かけた、樹明君を待ちあはせて、二人でプラツトに魚眠洞さんを迎へ、そして別れた、うれしくもありかなしくもあつた。

私はTさんMさんに誘はれて湯田へ、いろ〳〵御馳走になりつゝ明るいうちから更けるまで歓談した、そして名残は尽きないけれど零時の汽車で見送つた。

今日はほんたうにうれしいありがたい日だつた、そしてさびしいかなしい日でもあつた。……

どうにもならないかなしさは竹原のKさんからの手紙だつた、Kさんの心情、奥さんの心情がひし〳〵と胸にしみいつた、Kさん、かなしいことをいはないで、早く快くなつて庵を訪ねて来て下さい、私は待つてゐます。

Tさん、そしてKさん、おかげで私は助かりました、ありがたう、ありがたう。……

何という私の弱さ、あさましさ、だらしなさ、……私は私を罵り鞭打ちつゝ泣いた。……

婦人公論十一月号所載の、三浦環女史の自叙伝を読んで、彼女の芸術に対する情熱と自信とにうたれた。

自分の道を精進するだけの情熱と自信とはいつも持つてゐたい、万一それを失ふならば、彼が本当の芸術家であるならば、狂か死があるばかりである。


十一月七日 八日 九日 十日 十一日


ぼう〳〵たり、ばく〳〵たり、空々寂々。


十一月十二日


飲まず、食はず、私はぢつと寝てゐた。

夜、樹明君とSさん来訪、酒と牛肉と、そして私の我儘と。──

A君に送らなければならなかつた手紙を送ることが出来たのは、何ともいへない安心だつた、これだけがこの数日間のせめてものなぐさめだつた、それはTさんのおかげだ、そしてやうやく眼鏡を買ふことが出来たのも近来にないよろこびだつた、それもKさんのおかげだ。……

どうすればよいのか。

どうにもならないではないか。

自我分裂といふのか。

自己破壊とでもいふのか。


十一月十三日 曇。


寝てゐる、覚めると冷酒を呷る、そして寝てゐる。


十一月十四日 晴。


昨日の通りの今日だ。

Nさんが来られて、そつと帰られた(後から書置きを見て知つた)。


十一月十五日 曇。


附近で演習がある、それを観るべく出かけられたらしいKさんNさん来訪。

何もかもなくなつた、水まで涸れてしまつた!

悪夢がはてしもなくつゞく。


十一月十六日 曇。


澄太君には逢へなかつた、とても山口へは出かけられし、返事も出せなかつたので留守だと思はれたのだらう、あゝすまないすまない、ほんたうにすまない。

夕ちかく俊和尚は知らせの通り来庵、数日寝たきりの私も誘はれて、駅前の宿まで出かけた、そこでいろ〳〵御馳走になつた。

秋ふかうして人のなさけのあたたかさ、友の温情が身心にしみこむ、何は幸福だ、幸福すぎる。

睡れない、睡れないのが本当だ。……

──とにかく生きてゐたくなくなつた、といふよりも生きてはゐられなくなつた、とすれば、死ぬるより外ない、死んで、これ以上の恥と悩みとから免がれるより外ない。

酒、句、そして何がある、それ以外に。

酒は私を狂はしめる。

句は私を救ふ。

その酒がやめられないのだ。

句が作れないのだ、ほんたうの句が作れないのだ。

──或る日の独白


十一月十七日 晴。


午前中は身辺整理。

午後、買物がてら、ちよつと街まで出たのがよくなかつた、一杯が二杯になり、二杯が五杯になり、五杯が十杯になつて、何が何やらわからないほど泥酔してしまつた。

やつぱり、ほろゑい人生でなくてどろゑい人生だつた、愚劣だ、醜悪だ。

自分で自分のあさましさにあきれる。

飲まずにはゐられない酒だけれど、飲めば酔ふ、酔へば踊る、それもよいけれど、しやべるな、うろつくな、すなほであれ、おとなしくしてをれ。

負け惜しみの生活はよくない、投げ出した生活がよい。

心を広く持て。

身をゆつくりとくつろげることだ。


放心!

ぼうつとして天地の間によこたはるべし。

くよ〳〵するな。

けち〳〵するな。


ふりかへるなかれ、前を観よ。

いや、観ようともするな。

見えるだけ見るがよい、聞えるだけ聞くがよい、触れるだけ触れるがよい。

自我放下


十一月十八日 曇、時雨。


雲のやうに、水のやうに、そして風のやうに。

久しぶりに落ちついて、御飯を炊きお汁をこしらへた。

いつでも死ねるやうにいつ死んでもよいやうに身心を整理して置くべし

   なかれ三章

一、くよくよするなかれ。

一、けちけちするなかれ。

一、がつがつするなかれ。

   べし三章

一、茫々たるべし。

一、悠々たるべし。

一、寂々たるべし。

勿論、物事にこだはつてはいけないが、こだはるまいとして、こだはることにこだはつてはならない。

執着のなくなるのは蛇が脱皮するやうでなければならない、蝉が殻を捨てるやうに、内に熟するものがあれば外はおのづから新らしくなるやうでなければならない。

今日は酒なし、石油もなし、そして御飯と大根とがある、結局、食慾こそは最初のそして最後のものである

ムダはあつてもムラのない生活が望ましい、一言に約すれば、自然、いひかへれば本然、さらにいひかへれば無理のない生き方

   私の買物帳

一金弐十五銭   番茶一袋

一金十銭     蝋燭五本

一金十銭     蒲鉾一本

一金九銭     味噌百目

一金八銭     大根一把

一金壱円     酒一升

一金弐十四銭   バツト三ツ

一金十五銭    石油三合


十一月十九日 晴、曇、雨。


夜もすがら時雨を聴いた。

身心整理

ひよどりはなつかしいかな。

しぐれ日和、よい今日でもあるが、わびしい今日でもある。

此頃よく夢を見る(身心不調のためだらう)、昨夜も或る夢を見た、そこではSやKや彼や彼女が現はれて、私を泣かせたり笑はせたりした、過去と現在がこんがらがつて。……

午後Nさん来庵、いつしよに散歩かた〴〵石油買ひに新町へ、そして途中別れた。

おかげで、今夜は燈明がある読物がある。

柿、柚子、橙、唐辛等をとりいれる、其中庵もまづくしてそしてゆたかだ。

風がなか〳〵強い、をり〳〵しぐれる、昼は秋ふかいものを感ずるが、夜は冬の来たことを感じる。

風の落ちた空に夕月が出てゐた、忘れがたい風景であつた。

ぢつとしてゐても、出かけても、何となく労れる、胸が痛い、これは感冒のひきこみがよくならないからだらうが)近頃めつきり老衰を覚える。……

おちついてしめやかな老境、それは私の切に望むところである。

なるやうになつてゆく、──それが私の生き方でなければならない。

最も古くして常に新らしいものは何か、それが芸術の、随つて人生の真実である。

軒端に蟷螂が産卵した産のまゝで死んでゐた、私は自然のいのちのすがたそのままを観たのである。

家のまはりに柿の木、野菜畑に大根がなかつたならば、私たちの秋はどんなに淋しいであらう。

しみ〴〵味ふ酒、さういふ酒だけを飲む私にならなければならない。


十一月二十日 日本晴だ。


なるやうになつてゆく、──これが私の最後の唯一の生き方であることが解つた。

実人さんから干魚をたくさん頂戴した、干魚そのものは歯のない私には堅すぎるけれど、その情味のやわらかさは、ありがたし〳〵。

夕飯を食べて、ランプを点けて、一服やつてゐるところへなつかしい声──敬君だ、わざ〳〵生一本と汽車辨当を携へての御入来である、さつそく飲んで食べた、……それから街へ、……をんな、をんな、うた、うた、……ほろ〳〵とろ〳〵、……F屋で酔ひつぶれてしまつた!

ホントウのナンセンス文学

   こしらへたナンセンスではない。

   おのづからうまれたナンセンス。

あふれてわくもの

魔術はよろしい。

 手品はよろしくない。

□草の実の執着。

 熟柿の甘味。

 太陽の光と熱。


十一月廿一日 曇。


いよ〳〵冬が来た。──

起きてすぐ帰庵、敬君は下関へ出張。

午後、ポストまで、ついでに買物、海老雑魚十二銭、貰ひ水、独り者らしい、貧乏らしい、それがかへつて私の生活にはふさはしからう。

あるだけの米を炊ぐ、これも私にはふさはしからう。

やつぱり飲みすぎ食べすぎだつた、不死身の私も何となく胸苦しい。

暮れて敬君再び来庵、F屋まで出かけて少し飲んで多く食べる、戻つて来てからお茶を飲み菓子を食べ、そして仲よく寝る。

火燵があたゝかく、ぐつすり睡つた。

今日初めて火燵を出したが、火燵といふものはなつかしくうれしいものだ。

┌しづかな朝飯。

└さびしい夕餉。


鬼も知つた鬼がよいといふ、なるほど。


播いた種が生えないのは播かない種が生えるよりもよくない。


十一月廿二日 曇──晴。


いつしよにおいしく朝飯をいたゞく。

敬君は実家へ。

午前はとてもしづかでしめやかだつた、おちつける日、小鳥の来る日だつた、目白、鵯、鶲。

午後、敬君再び来庵、酒を少し仕入れて、ほどなくNさん来庵、野菜をいろ〳〵持つて、三人でおとなしく飲む。

夕方、いつしよに街へ出て別れる、私だけ一人で湯田へ、……わるくない酔ひ方だつた。

──句も夢も忘れてしまつた。

いつもの安宿に泊る。


十一月廿三日 冬曇。


十時帰庵。

注文しておいた酒がある、貰つた鮒がある。

待ち受けてゐるNさんが来ないので、ひとりでちびりちびり飲んだ。

今日はどうした風の吹きまはしか、反物売の娘さんがやつてきて、しつこくすゝめるのには閉口した。

──胃腸が痛む──身心の爛れてゐる。


十一月廿四日 冬晴。


うまいかな朝酒、ぬくいかな火燵。

今晩も鮒を料理して独酌。

近来めつきり老衰したことを感じる、みんな身から出た錆だ、詮方なし。

老衰しきつてしまへば、また、そこにはそこだけのものがあるだらう。

彼を思ふ、彼とは誰だ、彼女を思ふ、彼女とは誰だ、故郷を思ふ、故郷は何処だ!

老いて夢多し老いて惑多し

慾がなくなるほど濁が見える澄んでくる

澄んだり濁つたり、濁つたり澄んだり、そして。──


十一月廿五日 好晴。


朝酒あります!

身辺整理、まづ書信をかたづける。

午後、街へ──ポストへ、風呂屋へ、それから学校へ、そこで偶然、豚を屠る光景を目撃して不快な気持になつたが、樹明君に逢つて与太をとばしてゐるうちにすつかり愉快になつた。

こらへる──こらへろ──こらへた!(何を──酒を!)

殆んど夜を徹して句作推敲、ねむれないからしようことなしの勉強だ、明け方ちかくとろ〳〵としたら、恐ろしいあさましい悪夢に襲はれた。

□精神が制御しきれない肉体!

幸福なる疾病ではあるまいか!

□人間的真実

自然の真実。

社会的真実。

いのちはいのちなり私はたゞそれをうたへばよろし

いのちのリズム、俳句のリズム、山頭火のリズム。

真実は生命なり。

 生命は真実なり。


十一月廿六日 曇。


暗い、寒い、小雪でもちらつきさうな。

いよ〳〵冬ごもりだ。

閉居読書。

しめやかな雨となつた、よい雨だが屋根が漏ることはうるさい。

あたたかい夜だつたがねむれない、酒気が切れたからだらう。

いよ〳〵アル中患者だ、私も俳人から癈人になりつつあるのだらう!

俳句性──単純

季題が存してゐたのも十七音形態であつたのも。

飯がうまい、花がうつくしい……

水がありがたい、雲が好き……

みんな私の実感実情である。

櫨紅葉がとても見事な色彩を持つてゐる、それに感動したら、それをうたへばよいではないか。

ビルデイングでもヱンヂンでも同様である。

個を通して全は表現される

集団的なものは集団的に。──

感覚を越えて意志を現はさうとしてはならない、観念を強いてはならない。

 感覚的事象に徹するところに、そこに写実の蘊奥がある(或る画家の所感を読みて)。


十一月廿七日 雨──曇──晴。


見れば見るほど枯草のうつくしさ、櫨紅葉のよろしさ、ほんたうに秋は好きだ。

火燵でうたた寝、どうやら睡眠不足も足りた。

貰ひ水、いよ〳〵水が有難く、ます〳〵水を大切にする。

夕方、約束通りに樹明君と敬君と同道して来庵、酒、魚、豆腐など持参、久振りに三人対座して飲み且つ食べたが、どうしたのか、いつものやうに快く酔はない、何だか妙な気持で、三人同道してF屋へ押しかけ、さらに飲んだが、どうしても興が熟しない、別れ〳〵になつて、私と樹明君とはS亭でまた飲み、半熟の卵みたいになつてタクシーで送られて帰つて来た、ほどなく敬君も帰来、残肴で残酒を平げて、いつしよに寝た。

ぐううぐう、ぐううぐう(これは私の鼾声!)。

   或俳友に答へて──

……結局、めいめい信ずる道を精進するより外ないと思ひます、彼が真摯であるかぎりは、彼は彼の体験の中に真実を探しあてる外ないでせう。……

私は幸福ではないかも知れないが、不幸ではない(私自身は時々幸福と思ふたり不幸と考へたりするが)。

近眼、老眼、どちらも事実だ、そして近眼と老眼とがこんがらかつて、老近眼とでも呼びたい事実だ。


十一月廿八日 曇──晴。


熟睡したので気分快適、二人いつしよに楽しい朝餉を味ふ。

敬君は九時のバスで山口へ、午後には帰つて来るとはいつたけれど、どうなるものやら。……

おちついてしづかなるかな。

今日は陰暦の十月十五日、宮市天満宮の神幸祭である、追憶果てなし、詣りたくてたまらないが、質受が出来ない、小遣がない。

街の風呂にはいる、冬村君に出くわす、天満宮へ詣るといふ、嫌になつて匇々帰庵。

めづらしく遍路爺さんがやつて来た、一銭あげる、この一銭も今の私には大金だ!

敬君はたうとう帰つて来ない、はて、どこに沈没したかな。

暮れてから農学校の宿直室へ、酒とうどんの御馳走になる、樹明君はあまり飲まない、私ばかり頂戴する、酒三杯、うどん三杯、大きな胃の腑ではある! 飲み足りないので、柄にもなく遠慮して、街へひとり出かけて、さらに飲み食ひする、酒六杯! そして酔つぱらつて──乱れない程度に──学校へ引き返して泊めて貰ふ、極楽々々。

我がままな飲食気まぐれな性慾を排斥する

□物忘れすることは悪くない、自分自身をも時々は忘れるがよろしからう。

 今日の私は本を忘れステツキを忘れ帽子を忘れた、だが、酒を忘れなかつた。


十二廿九日 日本晴。


霜白く雲かげなし、美しい日和

朝飯をよばれてから帰庵。

飯三杯、汁三杯、茶三杯。──

誰も来てゐなかつた、敬君たうとう戻らなかつた。

宮市へ行きたいと考へてゐるところへ樹明君来庵、散歩しようといふ、ぶら〳〵歩く、名田島の方へ、途中、酒があるところでは飲む、Nさんに逢つて、案内され紹介される、父君も年をとられた、私も年が寄つたと思ふ、往事夢の如く──悪夢の如し、それからまた歩く、暮れてバスで小郡まで、そしてまた飲む、飲んで騷ぐ。……


十一月三十日 晴──曇。


何しろ昨日の今日でして。──

閉ぢ籠つて、岔水君が送つてくれた中央公論を読む、ともすれば昨夜の自分を反省して憂欝になる、樹明君とても多分おなじだらう!

   私の買物

一金三十銭  麦二升

一金六銭   焼酎半杯

一金三十弐銭 なでしこ大袋

一金四銭   葱一束


十二月一日 晴。


いよ〳〵師走になつた。

身辺を整理せよ、心中を清算せよ。

午後、ポストまで出かける、ついでに入浴する。

月が毎夜うつくしい。


十二月二日 晴、曇、時雨。


あたゝかくて何よりと喜んでゐたら急に寒くなつた、風物がすつかり冬らしくなつた。

おとなしく冬ごもりすることだ。

冬は冬らしく、老人は老人らしく、私は私らしく、それがホントウだ。

肉体的にも胸中異変があるらしい、今の場合では、私にあつては、疾患は不幸な幸福とでもいふべきだらう!

青城子君から、鏡子さんが商工会議員に高点で当選したと知らせて来たので、早速、お祝ひの一句を贈つた──

月のあかるい空へあけはなつ

久しぶりに麦飯を炊く、あたゝかくておいしい、腹いつぱい頂戴した。

夕方、駅のポストまで出かける、Y屋でほどよく酔うて、すぐ戻つて、ぐつすり寝た、まことにめでたいことであつた。

夜中に眼が覚めて、寝床で句作を続けた。

▣草は美しい、詩人としては無論、社会人としての自覚はなければならないが、その美しさをうたへばよい、それ以外のことは考へないがよい、考へなくともよい。

ありやうあるべきやうであるとき、そこに真善美がある。

▣自然とは、生活的には、自己の顕現である、芸術的にもまた。

▣俳句的とは──

主観の客観化

象徴的表現。


十二月三日 時雨。


今日は私の第五十四回の誕生日である。──

一年は短かいと思ふが、一生はなか〳〵長いものである。

柚子味噌で麦飯をぼそ〳〵食べる。

寒い寒い、火燵々々、極楽々々、ありがたいありがたい。

終日終夜、時雨を聴いた。

リズムについて

 素材を表現するのは言葉であるが、その言葉を生かすのはリズムである(詩に於ては、リズムは必然のものである)。

 或る詩人の或る時の或る場所に於ける情調(にほひ、いろあひ、ひゞき)を伝へるのはリズム、──その詩のリズム、彼のリズムのみが能くするところである。

 日本の詩に於けるリズムについて考ふべし。

□芸術は由来貴族的なものである、それが純真であればあるほど深くなり高くなる、そこでは大衆よりも人間をまづ観る、社会性よりも人間性を重く考へる(といつて、勿論、社会から孤立した人間が存在するといふのではない、人間は社会的環境によつて規定せられるものではあるが──)。


十二月四日 曇、時雨。


まつたく冬日風景。──

なか〳〵冷える、奥は雪だらう、寒がりの私は土鼠のやうに火燵にもぐりこんでゐる(抱壺君はベツドで頭だけ出して蓑虫みたいださうな)。

ワガママ、イクヂナシ、何といはれても仕方がない、アルコールが老衰を早発さしたのだらう。

あとくされのない生活、さういう生活をしたい。

郵便が来なかつた、このことだけでも私には大きな失望を与へる。

午後ポストまで、ついでに入浴、そして買物少々。

葱汁と麦飯とは何となく調和してゐる、それが私の今日の晩餐だつた。

昨日も今日も酒なし、明日はどうだか解らない。

私もやうやくにして、私の句──ほんたうの句──水のやうな句──山頭火の句が作れるやうになつたらしい、何よりうれしいことである。


十二月五日 晴。


冷たい、足袋を穿かないではゐられなくなつた。

左の耳が何だか変だ、耳も悪くなるだらう、何しろもうオルガンそのものが古くなつたのから、そして虐待しつづけてきたのだから(眼だつて何だつておなじことだ)。

今日も郵便が来なかつた、郵便は私に残された楽しみの一つだのに。

正午、Nさん久しぶりに来庵、詩稿持参、水を汲んで来て貰ふ(あれだけしぐれたのに、こゝの井戸には水がたまらない)。

六日ぶりに人が来て、人と話した訳だ。

午後、学校の給仕さんが樹明君の手紙を持つて来た、──下物は持つて行くから酒を用意してくれ、といふのである、これは今の私には無理難題だ、私は此頃八方塞りで手も足も出ない、たつた酒一升がままにならぬとは気の毒みたいだ、などゝ考へてゐるうちに、だん〳〵腹立たしくなつた、これは好意の悪意だ、貧乏と放縦と情誼と無能との雑炊だ!

暮れ方に樹明君来庵、酒がなくては落ちつけないといつて早々帰去、ああ残念々々、ああ失望々々。

一人取り残された私はお茶を飲んでパン──それは樹明君のお土産──を食べて、火燵にもぐりこんだ。

老いては睡りがたしの嘆にたへなかつた。

▣自然と自己とのつながり──

 どんなにつながつてゐるか。

 それが問題である。

 そこに立場がある。

▣感覚美──

 それが正しく表現さるとき、感覚美はおのづから感覚美以上のものを暗示する、いはゆる象徴芸術が生れる。

 これが私の句作的立脚点である。

▣俳句の本質(及限界)──

 発想 俳句的把握。

 表現 俳句的リズム。


十二月六日 曇。


冬、冬、冬。──

酒なしデー四日目で、多少いら〳〵する。

朝早くから籾摺の音が賑やかに聞える、播いて刈る彼等は少くとも今日は限りない幸福を味ふだらう

寒菊のうつくしさ、それは私のよろこびだ。

正午すぎ、樹明君から態々人を以て野菜即売会への案内を受けたので、農学校へ出かける、見事な野菜が陳列されて、如才のない主婦たちが盛んに買ひ込んでゐる、私も大根、京菜、鶏肉、ソーセージを頂戴したが、とても重かつた、しかしその重さはありがたい重さだ。

樹明君が約束通り夕方来庵、おとなしく飲んで別れた、酒は足らなかつたけれど下物は十分だつた。

炬燵でうと〳〵してゐると、だしぬけに二人の来庵者! うれしかつた、澄太君と黎々火君だ。

お土産の酒と蒲鉾とを炬燵の上に並べて味ふ、そしていつしよに寝た。

まことによい会合であつた、生きてゐてうれしいと思ふ。

□実生活に於ては後悔しないやうに。

 句作に於ては凝滞しないやうに。

□すべてがこゝろをあらはす。

 山でも風でも草でも雲でも水でも鳥でも、何でもゝのあらはれとなる。

 この境地、そしてその作品。


十二月七日 曇。


睡れないので早くから起きて、飲んだり食べたり、そして六時の汽車で黎々火君を見送り、二人はそのまゝ湯田へ、例の千人風呂でのんびり遊ぶ。

友情と温泉とには相通ずるものがあるやうだ

山口へまはる、途中、酒屋に腰掛けて濁酒をひつかける、それから駅通りで、簡単なれども意味深い会食、満腹をバスに揺られて、学校に樹明君を訪ふ、そして再び庵へ、胡瓜がうまかつた(これは樹明君から澄太君への贈物を裾分けして貰つたのだ)。

一時の汽車で名残惜しくもお別れ。

しよんぼり帰つてうたゝねする、さびしいな。

待つたが樹明君は来てくれなかつた、いや来てくれた、寝苦しかつた。

想ひ出せば、今日は私の記念日だ、去年の今日、私は捨身懸命の長旅に立つたのである。……

○独り言

○或る問答

○濁酒

○忘れられない人物

○貰ひ水

○寒鮒

○情熱

○放心

○持味

○その犬

○郵便

○生地に生きる

○老境

○句作三昧

○酒

○年越

○お正月


十二月八日 今日もまた曇天。


寒い、冷たい、暗い、──今にも何か降つて来さうな。

層雲第二日曜、到来。

出かけたくないけれど、ちよつと街へ、油買ひに。

藪椿たつた一輪見つかつた、机上を飾つてくれた。

黎君ありがたう、子規全集を読んで。

暮れても耕やす人々、あゝすみません。

麦飯の炊き方を会得しました、おいしい麦飯を食べられるやうになりました。

俳句らしい俳句も悪くないが、目下は俳句らしくない俳句が望ましい。

感覚を超えて意志を強ゆる勿れ。

 月並化する最初の危険、最大の誘惑。


十二月九日 大霜。


初めて戸外の水が氷結した、身心ひきしまるやうな大気だつた、美しい太陽だつた。

浜松の女学生連から来信、彼女らには彼女らにふさわしい苦悩がある、生きてゐるかぎり免かれがたい人間苦である。

左の耳がだん〳〵聞えなくなる、左の事を聞くなといふのだらう!


十二月十日 晴。


いかにも冬日らしく、そして山頭火らしく。

米が乏しく、炭が乏しく、そしていかにも山頭火らしく。

午後、Nさん来庵、鮒、野菜など頂戴する、いつしよに街へ、私はついでに入浴。

やつと冬物の利上げだけ出来ました!

前の畑に芋が落ちてゐたので、拾つて来て芋粥をこしらへる、貰ひ水徃復の一得ともいへよう。

冬の雨はまことにしづかなるかな。

睡れないので夜通し句作。

   近頃の感覚

どうやらかうやら、私の最後の過渡期も終つたらしい、いよ〳〵最後の新らしい生活だ、老の歩みを踏みしめ踏みしめ、一歩一歩、精進するのだ。

ずゐぶん苦しみ悩んだ。……

それは個人転換期の苦悶といつてもよからう。

 第一期、少年から青年へ(青春のなやみ)

 第二期、青年から壮年へ(中年のくるしみ)

 第三期、壮年から老年へ(老のもだえ)

老境そのものには苦悶はないであらう、老いると感じることそのことが苦しみ悶えるのであらう。

老は枯草のしづかさでなければならない

□年の瀬を渡る。

  (其中日記抄──山頭火行状記

□千人風呂と濁酒と皇帝。

  (新三題噺ですね)


十二月十一日 あたゝかい雨。


いつものやうに悶々寂々。

小鮒を煮る、ドンコを焙る、残忍々々。

水に放つと寒鮒はぴち〳〵生きかへる、放たれても桶の中であり、生きかへつても殺される、──これはあまりに月並な感想だ、幼稚なセンチだが、しかしそれがまた人間並世間並といへないこともなからう、いや、現代ではもう人間並でなく世間並でなくなつてゐるのだ、現代人はそんなことを考へ感じないほど忙しいのだ、硬くなつてゐるのだ、自分のことのために、或はまた社会のために。──

芋を拾へば芋粥を煮る、大根を貰へば大根飯を炊く、それがよろしい、それでよろしい、私の場合では。

生命を尊いと思ふが故に、生命をつないでくれる物品を尊ぶのである。

○眼が二つ、耳が二つ、手が二本、足が二本。

 口は一つ。

 ありがたし、ありがたし。

○光、熱。

 太陽。

 水。

 そして我。


十二月十二日 晴、時々曇る。


夜来の雨がさらりと霽れて、枯草がいよ〳〵美しい、そしてまた時々曇つて竹の葉がこゝろよいしらべを奏でる。……

身心沈静、連作「生魚を焼く」に苦心する、この苦心は愉快な苦心である。

枯草の奥で、まだ啼く虫がゐる。……

澄太君から地下の水を四冊送つて来た、先日懇請したのであるが、それにしても、君の正しい温情が今更のやうに有難い。

其中有閑無酒有無自在、──こんなことを考へたりしてゐるうちに午前が過ぎた。

午後、石油と醤油とを仕入れるために(といへば大袈裟だが、嚢中わづかに二十六銭しかない)出かけようとしてゐるところへ、Nさん来訪、ひきかへしてしばらく話して、それから同道して街の中へ、──飲んだ、飲んだ、Y屋、H食堂、Mカフヱー、等々、──別れてから、私はF屋で一休みして、入浴して、そしてどうやらかうやら戻つて来て、ぐつすり寝た、近来の熟睡だつた。

私としては少なからぬ浪費だつたけれど、五日ぶりの酒、十四日目の泥酔だから許して貰はう!

魚屋は魚臭い、彼の肉体がさうであるばかりでなく、或は彼の精神までもさうであるかも知れない。

 よい事でもあり、わるい事でもある、とかく世の中はかうしたものだ。

 多くの事は楯の両面に過ぎない。

野菜美

 芸術作品にもさういふ美がありたい。

 野菜を観る態度──

  実用的価値。

  芸術的価値(私の立場はこれだ)。

紙鳶揚げの追憶。──


十二月十三日 晴──曇。


天地晴朗、身心清澄なり。

昨日の今日にして、さてもしづかな。

小春うらゝかなり、野山を逍遙遊すべし。

米がある、炭がある、──幸福々々、感謝々々。

酒を持つて来てくれない、忘れたのか、信用がないのか、どちらにしてもその事実は私をさびしがらせる。

──いはでものことをいふな、昨日、或る人間に対してさう感じた、今日また嫌な彼に出逢つた。

藪椿を一輪見つけて活ける、よいな、よいな。

娘の子は可愛いな、ことに彼女は!

午後は街へ出かける、油買ひに、──途中、農学校に立寄る、樹明君は日曜だから、もう帰宅したさうな、逢つて、昨夜の事を語り、宿直に招かれてゐたお礼をいひ、そしてまた武二招待会について相談したかつたのだが。

ぶら〳〵歩いてゐるうちに、畑の野菜の美にうたれた、野菜のやうな美しい句が作りたいと思つた。

夕方、待つてゐた通りに樹明君来庵、幸に鮒が貰つてあるので一杯やらうといふので、私は街の酒屋へ一走り、君は残つて料理する。……

うまい酒だつた、うまい鮒だつた、まことによい酒盛であつた、めでたしめでたし(樹明君万歳!)。

覚えずうたた寝して飯を焦がしてしまつた、焦げた飯もうまいものだ。

ぐつすり寝たが、明け方に眼が覚めて物思ひに耽つた。

   私の買物──

一金十五銭 石油三合

一金 四銭 なでしこ小袋

一金 九銭 醤油三合

一金十五銭 ハガキ十枚


十二月十四日 晴──曇。


何といふ温かい冬だらう、昨年の今頃をおもひだす、ちようど生野島の無坪居に滞在してゐたが、ほんたうに寒かつた、動けないほど寒かつた。

歯齦がだん〳〵かたくなつて、ぬけた歯の代用をするやうになつた、生きもののからだといふものは、まことによく出来てゐる。

障子をすつかりあけはなつ、さてもうらゝかな冬景色!

寒菊のうつくしさ、藪椿のうつくしさ。

澄太君からの伝統、比古君からの手紙を読む。

ほんにまつたく無一文となつた! めづらしいことではないが。

晩飯は大根粥、おいしかつた。

ゆたかに炭火がおこるよろこび!

今夜も睡れないで、とりとめもない事をぼんやり考へつゞけた。

あるべきものがあるといふことは何といふよろこびだらう。

▣わいてあふるるよろこび!

無駄に無駄を重ねたやうな一生だつたそれに酒をたえず注いでそこから句が生れたやうな一生だつた回想録の一節として)。


十二月十五日 晴、晴、晴。


今日の太陽の第一線を身心に浴びて起きた。

雲のない、風もないうらゝかさ、めずらしく一日通して申分のない小春日和だつた。

小春日といふものは何となく老人くさいと思ふが如何。

午後、あまりお天気がよいので散歩、農学校に寄つて新聞を読ませて貰ふ、新聞といふものは面白い必需品だ、最近のセンセーシヨナルな記事としては、英帝退位蒋介石監禁、事実としての関心があると共に小説的興味がある。

樹明君にも逢つたが、お互に酒の捻出が出来ないので、ほいなくもさびしいわかれ!

つつましく生きやう藪柑子のやうに。──

夕闇せまれば──一杯やりたいな──心の友達といつしよに。──

餅が食べないな、煮てもよし焼いてもよし、田舎餅がうまいな。

□眼が二つある、耳も二つある、手も足もまた二つある、そして口は一つ一つしかない

 自然はまつたく抜目がない。

 一つの口でさへ食べさせかねてゐる私たちだ!

 眼が一つ潰れても、耳が片方聴えなくなつても、手足が一本は折れても、けつこう間に合ふではないか。

 …………………………

昨日の事は忘れてしまへ明日の事は考へないがよい今日の事に生きよ

実行はむつかしいけれど、私には、日々の実感だ。

自己の内に自然を見出す。

主我的──西洋的──強い生活。

自然の中へ融け込む。

没我的──東洋的──素直な生き方。


十二月十六日 曇──晴──曇。


朝起きると貰ひ水。

たよりいろ〳〵ありがたし。

大根飯を炊く──萱の穂で小箒を拵らへる──髯が伸びて何となく気にかゝる──といつたやうな身辺些事もそれ〴〵興味があるものだ。

ふと気がつくと、こゝには鼠がゐない、時々入り込んでくるが、間もなく逃げだす、食物がないからであらうけれど、それにしても家に鼠は付物なのに。

午後は散歩、今日も農学校に寄つて新聞を読み樹明君に逢ふ、サビシイサビシイ顔を見合せて別れた!

水仙が芽ぶいて、早いのは蕾んでゐる。

杖はよいものだ、老人には竹の杖がよい、私のは棕梠竹、いつぞや行脚の途次、白船居で貰つたもの。

庵中独臥、閑々寂々、水のやうな句がうまれさうな、今夜もまた睡れさうにない。……

俳句性──

       (単純化

            ┌印象律

量に於て──俳句的リズム┤

            └象徴的手法

質に於て──自然及自然化されたる人事

       (端的

▣作家は自己批判を怠つてはならない、自己認識が正しくなければならない。

 俳人といへども同様である。

 自己を句材とすることは随分難かしい(独りよがりの句ならば何でもないが)、深い体験と相の年齢とを要する。

 人間が出来てゐなければ、彼の句は──自己をうたふ場合には殊に──成つてゐないからである。

▣俳句は作られるものでなくして生れるものといはれる。

 生れるもの──

個性的、境涯的、身辺的。

 俳句は心境の芸術である。

▣新俳句と新川柳とを劃する一線は、前者が飽くまで具象的表現を要求するに反し、後者は抽象的叙述を許容する、言ひ換へれば、観念を観念として表白しても川柳にはなる、断じて俳句にはならないが、──そこにあると考へる。


十二月十七日 曇──晴。


今朝は六時のサイレンが鳴る前に起きた。

アルコールなしの四日目、いつもほどではないが、多少の憂欝と焦燥とがある。

名を知らない小鳥がおもしろく啼く、それは彼等の love song だらう。

草紅葉のうつくしさよ。

身辺整理。──

今日のあたゝかさはどうだ、今年の冬は何といふぬくいことだらう。

頭痛がして、ぢつとしてゐられないので裏山を歩く、山はいつでもよいなあ!

こらへた──ぐつとこらへた──何をこらへた──のんべい虫がこみあげてくるのを。──

ねむれなければねむれるまでねむらないだけだ。

此頃、私は天地自在を感じる。……

  雑録

閑中忙(年末年始の記)


十二月十八日 曇──雨。


明け方、雷鳴そして雨声、春雷でもあるまい、冬雷か、ぬくい、ぬくい、ぬくすぎる。

雨の枯草風景のよろしさ。

身心おちついて、しづかに身辺雑事を観察鑑賞。

耳が遠くなるに随つて、かへつて私は万象玲瓏、身心透徹を感じるのである。

暮れ方、酒と魚とを持つて樹明君来訪、まことによい酒よい話であつた、酒を飲みつくしてめでたく別れる、後始末してから、ぐつすり寝る。

指折り数へると、六日ぶりの酒だつた。

□古典に就いて

       自然性

千載不易──(貫くもの)┐

       時代性  ├歴史的展開

一時流行──(移るもの)┘

万物此一点にあつまる、そこに芸術がある、心の芸術である。


十二月十九日 曇。


今日はだいぶ冬らしく。

ぐつすり睡れたので、いつもより気分が軽い。

やうやく井戸に水がたまつた、濁つてはゐるけれど使へないこともない、これで何十日ぶりかで、毎日の水貰ひの苦労をしないですむやうになつた、ありがたい。

あるだけの米を炊く。──

小包が来た、遠く浅間の麓から江畔老が心づくしの品──蕎麦粉である、涙がこぼれるほどうれしかつた、それは江畔老その人のやうにあたゝかくておいしい! 合掌瞑目、しばらく信州の山河と人々とをなつかしがつた。……

漁眠洞さんから、女学校々友会雑誌ふぢなみも来た、これもうれしい読物だつた。

私はひとりしみ〴〵幸福感にひたつた。

午後、Nさん来庵、お土産の生海苔はめづらしくておいしかつた、沢山あるので、佃煮にしたり干したりしてをく、むろんナマでも食べたが。

いつしよに蕎麦粉をかいて味ふ。

庵の厨房いよ〳〵豊富である。

Nさんから露西亜三人集を借りる、チヱーホフを読み返すために、──私は彼の作品を愛好してゐる、何度読んでも面白い、読む度に味が出る。

やがて大晦日、それからお正月、それから!──

平凡に徹すること、これが私たち平凡人の唯一の道である、老来ます〳〵この感が深い、平凡にして純真簡にして凡、それでよろしいのである。

物そのものになりきる、これがほんたうの生き方である、禅の立つところである。

○新しい俳句の道は、入り易くして到り難い、門はわけなくくゞれるが、堂へはなか〳〵のぼれない。

 難行道だ、それだけ楽しい道だ。

 常精進より外にてだてはない。


十二月二十日 曇。


陰欝な日和、寒い寒い、炬燵にもぐりこんで。──

Kさん来庵、大根と密柑とを頂戴する、生海苔があるといふので一杯やることになり、一応帰つて、酒と醤油と酢とを持参、ほどよく飲んで別れた、信州名物の蕎麦粉を御馳走したらたいへん喜んで下さつた、私もうれしかつた。

Kから、多々楼君から、ありがたい手紙を受け取つた、ほんとうにありがたかつた、おかげで悠々として年の瀬を越すことが出来る、(もう一度繰り返さう)ほんたうにありがたかつた。

その為替を持つて街へ出かける、そして払へるだけ払ひ、買へるだけ買ふ、例によつて湯田温泉へ、たまつた垢を洗ひ流す、ゆつくり飲んで、例の宿に泊る、愉快々々、上出来々々々、万歳々々(此費用弐円あまり)。

   私の買物帳(山頭火師走風景)

一金壱円五十五銭  米五升

一金壱円弐十銭   木炭壱俵

一金五銭      塩

一金八銭      封筒

一金六銭      マツチ

一金九銭      味噌百目

一金十五銭     番茶

一金五十銭     下駄

一金壱円十銭    酒壱升

一金三十銭     なでしこ

一金十七銭     酢一瓶

一金六十三銭    醤油一升

一金四十五銭    石油一升

一金十五銭     湯札五枚

一金弐拾五銭    理髪料

一金四十五銭    麦三升

一金十銭      鰯十三尾


十二月二十一日 曇──晴。


あたゝかい師走風景である、朝のバスでめでたく帰庵、庵はいつも閑々寂々、枯草風景がなか〳〵美しい。

午後、街へ出かけていろ〳〵買物をする、そしていつもの癖で、あちらこちらで飲む、コツプ酒十杯位はひつかけたらう! おつつしみなさい、冷酒はおよしなさい!

暮れてから戻つた、そしてお茶漬さら〳〵いたゞいて寝た、飲みすぎて少し苦しかつた、それ見ろ、罰があたるぞ、いや、あたつてゐるぞ!

A店の旧債を払つたことは何よりうれしい、そして僕の食堂、Y屋で一杯やることはこのうへないたのしみだ。

□ウソをいふな、他人に対しても、自分に対しても。

 自分をゴマカすな、アマヤカすな。

□物を粗末にしないことはよいが、物惜しみするな、勿躰ないも卑しいからといふ諺にあてはまるやうではいけない。

□酔ふと、とかくおしやべりになる、つつしむべきことだ。

□かなしくても涙、うれしくても涙。

 よろこびにも酒、うれひにも酒。

 酒と涙とは人生の清涼剤か


十二月廿二日 晴。


晴れてうつくしい朝、酒があつてうれしい朝。

午後ポストまで、米と石油とが重かつた、途上Jさんに出くわしてきまりのわるい思ひをした、自分のぐうたらな過去を恥ぢるばかりだつた。

うまい夕飯を食べた、よい月を眺めた、おとなしい一日であつた。


十二月廿三日 曇──晴。


ゆつくり朝寝した、冬らしい寒さだ、これしきの寒さでも寒がり老人にはこたえるのだから情ない。

一杯機嫌で身辺を整理する。

今日の樹明君は忙しくて、そして鹿爪らしく構へてるだらう、義弟新婚の引受人だから、などゝ考へる。

午後、郵便局へ、ついでに床屋へ、それから湯屋へ寄つて、さつぱりして戻つた。

夜はやつぱりあまりよく睡れなかつた。……

天地間に偶然といふものはない、と確信するやうになつた。


十二月廿四日 晴。


曇つて冷える、なか〳〵寒い。

自分でも感心するほど身心が落ちついてきた、機縁が熟したといふ外ない。

しづかなよろこび、それは私の孤独な貧楽だ。

暮れる前、駅まで出かけてY屋に寄る、ほどよく酔うて戻つて、あつさりお茶漬を食べて、すぐ寝た。

宵寝が覚めてから長い夜であつたが、よい月夜でもあつた。


十二月廿五日 曇。


霜、氷、そして雪もよひ、今年の冬の最初の日といつたやうな冷たさだつた。

今日はなつかしい祖母の日。

彼女は不幸な女性であつた、私の祖母であり、そしてまた母でもあつた、母以上の母であつた、私は涙なしに彼女を想ふことは出来ないのである。

母の自殺(祖母の善良、父の軽薄、私の優柔)、──ここから私一家の不幸は初まつたのである。

我昔所造諸悪業

皆由無始貪瞋痴

従身口意之所生

一切我今皆懺悔

ああ、一切我今皆懺悔、私はお位牌に額づいて涙するばかりである。……

寒い、寒い(あとで聞けば零度以下だつたさうな!)、何かあたゝかいものでも食べよう。そば粉でもかこうか。

昨日今日はクリスマスだ、なるほどな!

正午のサイレンが鳴つてから、火燵にもぐりこんでゐると、靴音、Kさんだ、クリスマスだから寒いから今晩一杯やらうといふ相談である(何の彼のと酒飲は酒を飲みたがる)、かういふ相談ならいつでもO K! 用意する材料もないが、それでも菜葉を切つたり、大根をおろしたり、──約を履んで、まづSさん来庵、つゞいてKさん来庵、酒はあるし下物はあるし、──いつしよに歩いてMへ、女、女、酒、酒、よかつたな、よかつたな!

ちやんと戻つて、御飯を食べて、ちやんと寝てゐた。

第三出発──

 第一、破産出郷

     東京熊本時代へ

 第二、出家得度

     放浪流転時代へ

 第三、老衰沈静

     小郡安住時代

 (これからが、日本的俳句的山頭火的時代といへるだらう)

一つの存在──


十二月廿六日 曇──晴。


昨夜の今朝だ、あるだけの酒を飲む。

ひとり唄ふ踊つて一人

昨日の寒さにひきかへて今日の暖かさ。

午前、Kさん来庵、昨夜の会合の愉快だつたことなど話して、今日もまた飲まうといふ、それもよからう、何度でも忘年会をやつたつてかまはない。

午後、郵便局へ出かけたついでに入浴、冷酒の酔が一時に。

板敷で一寝入、途中また教会堂の縁側で一睡、いそいで戻ると、留守中にKさんが酩酊して来たと書き残してある、しまつた、すまなかつた。

晩飯だか夜食だか解らない御飯を食べて、火燵でうたた寝。

ふくろうが啼く、さびしい鳥のさびしい唄だ。

酔は時空を超越するいや撥無する、昼夜なく東西なく、酔境は展開する!

□机上のみだれたるは心中のみだれたるなり。


十二月廿七日 晴──曇。


霜、冷たいが快い、うらゝかな冬枯風景。

鶲が啼いてゐる、鵯も啼いてゐる。

身心いよ〳〵澄む

今日は酒なし、それもよからう。

午後、街へ出かけて買物少しばかり。

うまい晩飯だつた、鰯──それも塩鰯──と麦飯とはよく調和してゐる、農村生活らしい食卓だ。

宵は睡れなかつたが、明方からぐつすり睡れた、明るい月夜だつた。

感情の真実(純化、深化、強化)

事象に囚はるゝ勿れ、景象の虜となる勿れ。

純粋俳句俳句のための俳句

動機の純粋。

題材の純粋。

表現の純粋。

大衆化とは通俗化にあらず、読者の多数を意味せず、各階級に読まれ味はゝれることなり、年齢、境遇、性情を超えて理解せられることなり。


十二月廿八日 晴──曇。


今夜は霜月の満月だが。……

今日は役所は御用納め、其中庵裡には御用の始めもなく、随つて納めもなし。

朝早くから畑打つ人々、家内惣出だ、その音には何ともいへないハーモニーがある。

めづらしく朝寝した、のんびりしたものだ、それからまた晴れて暖かい幸福を味はつた。

今日は郵便も来なかつた。

今日も酒なしか、──などと考へてゐるところへ、Kさん来訪、まだ酒があるから、樹明君を誘うて、もう一度(二度でも三度でも)忘年会を開かうといふ、大賛成で待ち受けてゐると、暮れないうちに、樹明君は魚の包を、Kさんは罎詰を持つて来庵、それからおもしろおかしく飲んで解散した、めでたやめでたや、善哉々々! 年も忘れたが、自分を忘れた、うれしいね、愉快だね。

樹明君何となく憔悴してゐる、数日間の気苦労と酒宴つづきのためだらう、気の毒でもあり癪にもさわる!

私は其中感月でぐつすり寝た、明方近く覚めて句作。

暁の月はほんたうによかつた、この月を観よと叫びたかつた。

 第五句集 柿の葉

 山頭火と緑平と澄太との三重奏

山緑澄──山の緑は澄む、と読めば読まれる。

  (其中庵風景)

 月から柿の葉ひらり   山

 柿の葉おちこませてゐることか   緑


十二月廿九日 晴、時雨。


今日はよつぽどぬくかつた。

晴雨共によろし、寒くさへなければ(私は暑さには強い)。

庵主は般若湯が好き、いつも赤い顔して赤字で苦しんでゐる、山頭火よ、と自から嘲り自から慰める。

天地人に対してすまない、といつも私は思ふ、思ふだけで、それを実現することは出来ないけれど、──今日も強くさう思つた。

いやな鴉の鳴声が気にかゝつて困つた。

緑平老から年忘れの一封を頂戴した、すみません、すみません。

うまい昼食であつたが、さびしい昼食でもあつた。

夕方、農学校へ行く、樹明君宿直、御馳走になつて、ラヂオを聴いたりなどして泊る。

ぐつすりとよく睡れた。

凝心もよいが放心もわるくない、若い時は心を凝らして求めるがよろしく、年をとつてはぼんやりと充ち足りてゐる貌がよい

□完成と未完成、人生は完成への未完成である、生死去来はその姿である。


十二月三十日 晴。


日本晴だ、霜がうらゝかだつた。

今年もいよ〳〵押しつまつて、余すところ一日となつた、私は忙しくはないけれど、あまりノンキでもない、年の瀬はやつぱり年の瀬だ。

朝寝して、御飯をよばれて、何やかや貰つて、十時近く帰庵。

おちついてつつましく、読んだり炊いたり、考へたり歌つたり、歩いたり寝たりして。──

鰤のうまさ、うますぎる!(先日貰つた残り)

午後は曇つて憂欝になつてゐるところへ、樹明君来庵、すぐ酒屋へ魚屋へ、Jさんも加はつて、第三回忘年会を開催した、酒は二升ある、下物はおばやけ、くぢら、ユカイだつた、おとなしく解散して、ほんにぐつすり寝た。


十二月三十一日 曇。


雨、あたゝかな、おだやかな。

昭和十一年もいよ〳〵今日かぎりだ。

飲みすぎ食べすぎ。

大晦日だから身のまはり家のまはりを少しばかり片づける。

郵便が来ない。

街へ、湯屋へ出かける。

松、梅、竹、裏白、譲葉、……門松らしいものをこしらへて飾る。

夕方、樹明君来庵、例年の如く餅を頂戴する、有合の下物で飲む、──かうして、こゝで、年を送り年を迎へる、めでたしめでたし。

暮れてから湯田へ、千人湯に浸つてから一杯二杯三杯。……

掛取にも見離された節季!

底本:「山頭火全集 第七巻」春陽堂書店

   1987(昭和62)年525日第1刷発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。

※「騒」と「騷」の混在は底本通りにしました。

※縦組み時の文字の重なりを防ぐため、長い縦中横を含む行の前後に、底本にない改行を入れました。

入力:小林繁雄

校正:仙酔ゑびす

2009年99日作成

2012年1011日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。