田山録弥



 県庁のある町には一種のきまつた型がある。大抵封建時代の城址をその公園にして、其一部に兵営があつたり、行政官衙くわんががあつたりする。そしてその街には屹度東京の浅草公園とか大阪の千日前とかを小さくしたやうな賑かな一角を持つて居る。

 県庁のある町は概して感じが浅薄で、何処となく気分がそは〳〵する。繁華の程度が加はつて来れば来るほど、其土地固有の古い空気を失つて居る。広島だの仙台だの、岡山だの、福岡だの、何う観察して見ても好い町だとは思はれない。すぐれた面白い処とも思はれない。

 それでもまだ昔のなつかしい空気が何処となく残つて居て、士族町などに紅白の木槿の花の垣を見るやうな町が、その多い県庁のある町の中にないでもない。若い娘達の紅い頬の中には、其土地の純な色と匂ひとを味ふことの出来るやうな処もないではない。そしてそれは多くは交通の不便な処とか、東京を遠く離れた所とかの町になる。弘前などはその一つである。秋田もその一つである。山形も其一つである。

 金沢は百万石の城下と言つたやうな何処となくボンヤリした処が著しく眼につく。堅い感じのする町、夜のさびしい町、家のつくりの陰気な町、それに空気に停滞したやうな佗しい気分がある。富山は散漫な感じが第一に印象されて来る。昔の封建時代のカラーなどといふものは殆どない。何だか新開地の町にでも来たやうな気分がする。

 県庁のある町で、しかも東京に近く、最も発達しない町は浦和である。それに、此町は他の県庁のある町とは違つて街道の一駅である。此町は他の町の輻射的に発達して居るのに引きかへて、直線的に発達してゐる。裏町の浅い町である。

 水戸、和歌山、名古屋──今では名古屋はぐつと群を抜いて了つたが、それでも何処か徳川御三家の城下といふ気分には同じやうな処がある、しかし水戸も和歌山も余り好い感じのする町ではない。馬鹿に広い士族町も厭だ。それに水戸も和歌山も商業の余り盛な土地ではない。水戸の如きは殊に甚しい。

 四面山を以て囲まれた町には甲府と若松とがある。そしてそれが種類こそ違ふが、一種の気風を形ちつくつて居るのは面白い。一は甲州気質、一は会津気質。それが何方も規模の小さい、局量の狭い、しかも気概の強い処に於て一致してゐるのは面白い。

 甲府も若松ももとは谷湖を成して居たといふ。猪苗代湖が若松平野を浸してゐた時分には、甲府盆地はまだ富士川の疏水路を得なかつた。谷湖の址に栄えた人間といふことは、地理学上面白い現象を呈してゐると言ひたい。

 九州では、長崎が兎に角特色に富んで居ると思ふ。今は衰頽の気分が街頭に遍く、対岸飽浦あくのうらの機械の響が徒らに喧しいといふ感じを起させるが、其処には過古の種々の記念物が多く残つて居るので、それが旅客の思を誘ふに十分である。支那人の建てた寺院、オランダの昔を偲ばせるやうなしつこく彩つた硝子窓、古い寺の門の並んだ寺町通、山の手の西洋人の墓、昔の面影のいくらか偲ばれるやうな埠頭の賑はひ──私は朝早く汽船で海から入つて来て、埠頭に近い西洋料理の汚い二階で、特色に富んだその朝の賑はひを見ながら、拙いカツレツを食つた時のことを思出す。其料理屋では、上さんは眠さうな眼をして、半は裸体で、二つ位の子供を抱いて居た。皿を運んで来た女は油臭い乱れた髪をして、垢のついた白地の浴衣を着て居た。埠頭には伝馬が客を載せて行つたり来たりして居た。たぷ〳〵と岸を打つ鉄色をした海の上には、今着いた汽船が白い烟を薄く烟突から靡かせて居た。

 熊本で旅客の眼を惹くのは、恐らくその雄大な城址であらう。これを除いては此処には別に特色がない。一里ほど離れた水前寺は規模は小さいが、水の清いのが取柄である。町の街道には確かポプラが並木を成してゐたと思ふ。佐賀は県庁のある町の中では、振はないさびしい町の一つである。西部の大分、宮崎などよりももつと振はない。

 鹿児島は成程昔他藩の人の入るのを禁じたといふだけあつて、感じが全く他から独立してゐる。鹿児島の人丈でつくつた鹿児島の町と謂つたやうな処がある。町の中に萱葺屋根の交つて居るのが際立つて眼に着く。けれど感じは決して悪い方ではない。ことに桜島を中心にした錦江湾の風景を前景にしてゐるので、一種爽やかな気分を味ふことが出来る。夏の烈しい日の光、芭蕉の広い葉に並んで百日紅さるすべりの燃えるやうな色、南国の夏の暑さははつきりした快感を与へた。

 宮崎は町としては新開地だが大淀川の平遠な風景が余程それに趣を添へてゐる。此町には城址がない。それが感じを薄くさせる原因の一つであるに違ひない。しかし交通の不便なところだけに旅客を不愉快にさせるやうないやな気分はない。それに、その周囲に、宮崎宮だの、青島だの、名所が多い。大分はむしろ其繁華を別府に奪はれたやうな町だ。

 四国の松山は好きな町だ。城の高く見えるのも好い。それに一体に町の通りが綺麗で、城址に近いあたりは鳥渡他に見られない一種の清さを持つて居る。士族町の中に普通の人の邸宅のやうな料理屋があつて、雨の降る日に、三味線を復習さらふ音がしめやかに聞えると言つたやうな風情はこの町でなくては見られない。しかし道後に接した方の町は汚なかつた。

 山陰道では、松江が一番好い。城址の公園も、県庁所在地の公園としては立派なものだと言つて好い。大橋の上から見た宍道湖しんじこは、丁度ベニスのやうだなどといふ人もある。水の都、成程さうした処がある。一体この細長い出雲平野は、西と東に大海を帯びてゐるので、朝鮮海の雲や霧が、風につれて、絶えず其上を日本海の方へと漂つて行く。日は朝鮮海から出て日本海へ落ちて行く。宍道湖の夕日、その色彩の美しさは、私は他にそれに勝るものを見たことがない。しかし秋から冬にかけては、風の寒い処だとは聞いて居る。

底本:「定本 花袋全集 第二十七巻」臨川書店

   1995(平成7)年710日発行

底本の親本:「椿」忠誠堂

   1913(大正2)年55

初出:「文章世界 第六巻第十一号」

   1911(明治44)年81

入力:きゅうり

校正:岡村和彦

2019年1028日作成

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