私と外国文学
田山録弥
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私達が外国文学を研究する時分には、本がないので非常に困つたものである。ロシアのものとか、フランスのものとか、ドイツのものとか、さういふものを研究しやうとするには、何うしてもその国々の原語から習つて行かなければならなかつた。ことに英語には他国の新しいものゝ翻訳などゝいふものは非常に少なかつた。英語でロシア物などを読むなどゝいふことは殆ど不可能であると言つても好いくらゐであつた。明治二十七八年頃にツルゲネフの『父と子』のアメリカ版を探し出した時は、得難い珠玉でも得たやうにして私は読み耽つた。
イギリスの文学といふものは、英語の学生であつただけに、私も曲りなりに一通りは見たつもりであるが、何うもあの皮肉な、洒脱な、正面をきることのきらいな、かげで通を言つてゐるやうなところが私の気に合はなかつたと見え、また一方では、その時代の新しい文芸の中心がイギリスよりもむしろ大陸の方に巴渦を巻いてゐたので、自然に其方の方へと引張つて行かれるやうになつたのであらうと思ふ。私もその前にはサツカレイの『虚栄市』『エスモンド』やヂツケンスの『ダビツトカパフイルド』などを愛読したものである。スコツトの小説にもかなりに読み耽つた。『アイバンホウ』は中でも馬琴の小説を読むと同じやうな興味で読んだものである。『湖上の美人』なども机から離すことが出来ないほどであつたのである。
しかし私は次第にイギリス文学から離れて、大陸文学に行つた。とてもイギリス文学からは、血の出るやうなイキ〳〵としたものをつかみ出すことは出来ないと思つたからである。そして私は何に一番共鳴するやうになつたかといふと、芸術味の多いと言つたやうな形ではフランス文学に傾き、実感の多いといふ意味ではロシア文学に傾き、個人的であつて同時に英雄的であり、感情よりも意力と智力とに発達した形では、深くドイツ文学に傾倒したのである。それにとゞまらず、後にはドイツとロシアとの中間にあるやうな味を持つたスカンヂナビヤの文学に深く引寄せられて行つたことを感ずる。
それは今はイギリスもあの時分のやうなことはない。段々新しい作者は輩出し、新しい気運は絶えず色濃く醸し出されてゐる。また全然とは行かぬが、あの時分大陸文学に対して冷眼視した態度は著しく改められてある。ジヨオジ・ムーアの『一青年の告白』に見るやうなあゝした空気は全く一掃されて、クラシツクも結構だが、新しい文学は飽まで発達させなければならないといふ風になつてゐるらしい。それから比べると、ジヨオジ・ムーア時代とは隔世の感があるかも知れないと思はれる。矢張あの作家が或はデカタン一派に、或はゾラ一派に、後にはユイスマンスにかぶれて、イギリスの『アン・ルウト』とも言はるべき『エレビン・インネス』を草し、更に『シスタア・テレサ』を完成したことだの、オスカアワイルドが思ひ切つたデカタン的芸術至上主義を振り廻したことだの、アイルランド派の若い作者が矢張本国の思想乃至芸術にあきたらずに、飽まで大陸の新しさを取入れやうとした運動だの、さうしたものが次第に今日のやうな空気を齎らす原因になつたのであらうと思ふ。
バアナアド・シヨウの劇の運動は、決して純な、芸術的なものとは思へないが、ことにスカンヂナビヤの諸作家の劇などに比べてさう思はれるが、それでも今までイヤに陰気で、道徳的で、内攻してゐたものが、その副作用に由つて嗒然として一笑しなければならないやうなところにまでその心持を開いて行つた形はないとは言はれないやうである。その点は取るべきであると思ふ。
余程前にマシウ・アアノルドが、トルストイの『アンナ・カレニナ』を評してゐるのを見たことがあるが、それにはたしかフロオベルの『マダム・ボヷリイ』と比較してかなりに詳しく論じてゐたやうに覚えてゐる。またサツカレイやジヨオジ・エリオツトのものなどにも比較してゐたやうに覚えてゐる。しかし『アンナ・カレニナ』や『マダム・ボヷリー』の持つたやうな本当さは、イギリスの作者には甚だ乏しいやうである。
底本:「定本 花袋全集 第二十三巻」臨川書店
1995(平成7)年3月10日発行
底本の親本:「花袋随筆」博文館
1928(昭和3)年5月30日
※「マダム・ボヷリイ」と「マダム・ボヷリー」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:岡村和彦
2019年4月26日作成
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