路傍の小草
田山録弥
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春の休みに故郷に帰つて来てゐる大学生のNのゐる室は、母屋からはずつと離れたところにあつた。かれはそこで毎朝早く眼覚めた。野には雲雀が揚つてゐる。茫つとあたりは霞んでゐる。隣の垣の花が朝日の光のまだ当らない空に模様か何ぞのやうになつて見えてゐる。小径の草には露がしとゞに置きあまつた。
かれはいつもきまつてその小径を通つて、裏門のかき金を外して野の方へと出て行つた。草に雑つて微かに匂つてゐるすみれや、田や畔に一杯に咲いてゐるげんげや、緑の中に白くかたまつてゐる馬こやしなどがやがてかれの前に現はれ出した。
かれはをりをり立留つて大きく呼吸した。
かれの心は恋に満たされてゐた。しかしこれと言つてきまつた相手があるのではなかつた。かれの前にはまださうしたものはあらはれて来なかつた。かれはいろいろに想像した。いろいろに当てゝ想像した。(もし此処にさうしたものがあらはれたとする。そしてそれにこの身が引き寄せられたとする……。さうしたら何んなにこの世が楽しくなるだらう。全で変つたものになつて見えるだらう)こんなことが絶えず頭を往来したが、しかもさうした想像だけで、Nは何年かを過したことをくり返した。
かれは都会の町の角や、電車の中や、停車場の一隅などで出会つた美しい色彩を絵巻でも見るやうに一つ一つそこに展げて見たことを思ひ起した。中でも電車の中で見た紫の地に蝶の飛模様のついてゐるコオトを着た娘がいつまでもかれの頭にこびりついてゐた。かれはそれを紫の君と言つた。何遍も何遍もかれはそれをその日記の中に書いた。
否、その日記の中にしるしつけた色彩は決してそれに限らなかつた。時には、わが月草の君とも書けば、山桔梗の君などとも、また時にはわが太陽よとも書いた。しかも今までかれは何等の接触をさういふ娘達に持つたことはなかつた。かれはいつもさう書いた。さうした幸運から離れてゐた。
その癖、その友達の中には、眼を睜はるやうな美しい恋をしてゐるものもないではなかつた。Sといふ友達は、風采もさう揚つてゐないのに拘らず、常に共にあちこちを歩くことの出来る娘を持つてゐたし、Kといふ青年は、人知れない接触をある金持の娘とつづけて、甘い蜜のやうな言葉をつらねた手紙を遠慮なくかれに展げて見せたこともあつた。『何うも矢張運見たいなものだね。ひとり手に出来るんだね。拵へようとして出来るものではないよ』本当にそれに触れたものでなければその話はいくら話してもわからないよと言はぬばかりの調子で、さも得意さうにその友達の話したことが今でもはつきりとそのNの頭に残つた。
ある若い未亡人の態度が常にNの心の問題となつてゐることもつゞいて繰返して考へられた。(あそこには滅多に行かれない)こんな風に考へることもあれば、(いや、構ふことはない。向うで何う思つてゐやうか、そんなことに頓着する必要はない)かう思つて平気でそこに下宿してゐるSといふ友達を訪問することもあつた。その未亡人はまだ二十七八にしかなつてゐなかつた。眼の美しい色の白い人だつた。それは郊外で、停車場から七八町奥に入つたやうなところに住んでゐたが、何うかすると、訪ねて行つたSが留守で、そのまゝ帰つて来れば好いのであつたが、それが出来ないので、つい上がらせられて了つて、長いこと話をさせられたことなどをNは繰返した。年にしては、Nより一つか二つしか上ではないが、禁断の果実を既に十分に食つてゐるかの女が、何も知らないかれに取つて一種不思議な畏怖に近い感じを感じさせるのはそれは止むを得ないことであつた。かういふ女が怖いのである。かういふ女にかゝると、得て若い時代を棒に振つて了ふやうになるのである。その例は世間に沢山ある。現にAなどがさうである。さう思ひながらも、しかもその黒い眼に、十分に情の曲折を知つてゐるやうなその笑顔に妙に引寄せられて、その郊外の文化式の赤瓦の屋根の方へと足を向けたことを思ひ起した。
ある日Sとこんな話をした。
『君の家の人の黒い眼は油断がならないね?』
『さうかね?』
『君はさう思はないかえ?』
『別にさうも思はないがね?』
Sは平気で言つて、Nの方を見て、『あのマダムは気の毒な人だよ。まだ三十にもならないのに、世の中のいろいろな苦しみを皆な甞めつくして来たやうな人だからね?』
『だから、さういふんだよ。年にしては、あまりにいろいろなことを知りすぎてゐると思ふね?』
『それはさうだ──』
『君なんか、一緒にゐて、別に変なことはないかね?』
『変なことつて?』
Sは眼で笑つて見せた。
『変なことつて、別に何でもないけど……』Nはちよつと言葉をとめて、『あれで、いつまでも未亡人でゐるつもりかしら?』
『さうさね? 何ういふつもりかね。しかし、かういふことは言へる人だよ。何でも死んだ夫との中がかなりに深かつたので、その空気からは容易に脱け出しては来られないらしいね? あれで、時々ひとりで泣いてゐることなんかあるんだから──』
『さうかね』
『ちよつと見ると、元気で、はしやいでゐて、そんなことはないやうに見えるけれども……あれで中々恋には深い人でね?』
『さうかね……何と言つても? あの眼は働く眼だね……』
林に添つて落葉の堆積してゐる道を、こんなことを言ひながら二人並んで停車場の方へと出て来たことをNは思ひ起した。
ハイネの詩集──レクラム版の薄赤い表紙をあけると、そこに縦横に赤い青いアンダア・ラインが引いてあつて、その持主の深く撲たれた心のあとがそれとはつきり指さゝれた。その持主は他ではなかつた。Nだつた。かれはそれをその身のあたりから離したことがなかつた。散歩にも持つて行けば、旅にも持つて行つた。丘の芝草の上に身を横へて、長い間それに読み耽つて、後にはそれを顔の上に伏せて、ぐつすり眠り込んで了つたりした。
かれはそれを筑波の山の上の鎖の下つてゐるところにも持つて行けば、利根川通ひの蒸汽の船室の中にも持つて行つた。去年の初夏には、奈良の猿沢の池のほとりに持つて行つて、鹿の近寄つて来るのを相手に頻りに Nord See の詩を誦した。そしてそこで折つて来た馬酔木の強い香のする花が、いつまでもいつまでもその頁と頁の中に押されて残つた。
そこにあらはされてある恋──烈しい恋、強い恋、敗徳の恋、悲しい恋、思ひのまゝにならない恋、中には、まださう深く恋といふものに浸つてゐないかれに取つてあまりにそのにほひの強烈すぎるものもないではなかつた。時にはかれは鼻を背けなければならないやうな気がした。さういふ時には、Nはきまつてその詩集の作者の末路を頭に描いた。その詩集の作者は晩年はパリに来てモンマルトル区の中の倫落の空気の中にその身を終つたが、最後までその枕頭に侍してゐた女は、余りに素生の好いものではなかつたといふことであつた。Nはいつもそれを想像した。かうした純な、星のやうな小詩をうたつた詩人の落ちて行つた恋の終りを想像した。かれにはその恋がわからなかつた。詩集の小詩が本当であるか、それともまたその汚ない最後の恋が本当であるか、それが何方だかわからなかつた。Nは悲しくなつて来た。とてもその身にはわからないやうな気がした。
Nによれば、一度思つた恋は絶対で、あくまでそれに終始しなければならなかつた。もしもその恋人が死んで、その肉体が地上からなくなつたにしても、心は決してそれから離れて来べきではなかつた。恋は二たびとせらるべきものではなかつた。世間にある多くの恋はすべて汚れた恋で、その身が考へてゐる珠のやうなものではなかつた。それなのに、その星のやうな小詩を残した詩人が、さうした世間並の恋を恋して、陋巷の中にその一生を終らうとは──?
Nは丘の上へと行つた。
ところがこの春やすみの中に於いて際立つてかれを驚かしたことがあつた。それは他ではなかつた。かれの心の底に今しも人知れずある大きな変化が起つて来つゝあることであつた。かれは二三日前からそれとなしにそれを感じてゐた。かれに取つては、もはやあたりのものが、あたりのものすべてが、草が、草の中に咲いてゐる小さな花が、夕暮ごとに屋根の上にかゞやいてゐる星が、折れ曲つて流れて行つてゐる大きな川が、重り合つて上つて行く大きな帆が、川の向うに見えてゐる町が、いつものやうにその感興を惹かなくなつた。その心の相手なしには、さうしたものはすべてかれに取つて死物のやうに見えた。何年かれはさうしていろいろなものにあくがれて来たらう。あらゆるものの上にありもしない幻影を浮べてその夢に似た恋を食物にして来たらう。かれは都会にゐて恋の圧迫を感ずる時には、いつも川に近い故郷の静かな野を頭に描いてそこにのみかれのまことの恋があるといふ風に思つた。その癖、かれにはきまつた一人の相手があるのではなかつた。唯、その草の中に、藪の中に、林の中に、小径の中に、丘に添つた路の中に、その空想された恋の幻影が撒き散らされたり埋められたりしてゐるのであつた。そしてかれは春の休みにも夏の休みにも、また秋のやすみにも、そこにやつて来て、あちこちに埋めて置いた恋をさがし出して、ハイネの詩をうたひながら、美しい眉をあげて、所謂『かの女』を天の一方に望むだのであつた。しかし、もはやそれだけではかれには満足が出来なくなつた。もつとはつきりした、もつと実在性のある相手のある恋でなければ、その幻影を誘ひ起させることが出来なくなつてゐることを感じた。
かれは今までとは違つた、静かな、しかしいくらか佗しい心を抱いて、三年も四年も親しんで来てゐた丘の上へとのぼつて行つた。のどかな朝がそこにあつた。沼は今しも日影を受けて、キラキラと金属のやうにかゞやいてゐるのが見え、芦や藺の新芽の遠く緑に連つてゐるのが指された。しかし、それが何だらう? 幻影の壊れて了つた今は何だらう。唯の沼ではないか。唯の日影ではないか。唯の芦荻ではないか。唯の林に添つた道ではないか。唯の花が咲いたり鳥が歌つたりしてゐただけではないか。かれはさびしい気がした。かれは丘の上から林に添つた道の方へと歩いて行つた。
川の土手の方へ下りて来やうとするところで、ふとかれは土地の医者の姉娘に逢つた。
それはいつも互ひに顔を見知つてゐる間柄であつた。せん子と呼ばれてゐた。しかもこれまでにそれを自分の相手にして想像したことなどはついぞなかつた。
『何処へ行つたんです?』
『ちよつと向うへ──』せん子はいくらか顔を赧くした。
『おばアさんの許?』
『え……』
せん子はいよいよきまりがわるさうに小声で言つた。Nは娘の頬に、眼に、額に、何か今までに見たことのないあるものの添つて来てゐるのを、この一月の休みに来た時とは全く異つたあるもののあるのをそこに感じた。
『昨日行つたの?』
『え……』
『…………?』何か言はうとしたが、Nはそれを言はずに黙つた。
その祖母の家は、こゝから一里ほど隔つたA町にあつて、それはその町でも有名な呉服屋であることをNは知つてゐた。Nは娘がいつもに似合はず模様の出たシイルの肩掛などをして、流行の耳かくしに髪を結つて、きまりがわるさうに、こゝからあの路の曲り角まで一緒に歩いて行かなければならなくなつたのを迷惑さうに黙つて静かに歩いて行くのを見た。
『学校は矢張、休み?』
『え』
『いつから始まるんです?』
『もうぢきですの?』
『矢張、東京にゐるより、此方へ帰つて来る方が面白い……?』
『…………』
恋の竪琴はいつ何処で弾かれるかわからなかつた。二人は大河を前にした坂路を黙つて静かに歩いて行つた。
底本:「定本 花袋全集 第二十二巻」臨川書店
1995(平成7)年2月10日発行
底本の親本:「草みち」宝文館
1926(大正15)年5月10日発行
初出:「若草 第二巻第二号」
1926(大正15)年2月1日
※表題は底本では、「路傍の小草」となっています。
入力:tatsuki
校正:津村田悟
2019年11月24日作成
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