半日の閑話
田山録弥




 人間の一生を縦に考へて見ただけでも、世間に就ての考へ方は各自に、非常に違つて来るやうなものである。若い頃には誰でも大概は世間に圧されてゐる。意味なしに上から圧迫されてゐる。従つて弱いものはいぢけ、強い者は反抗するといふやうな態度を取るやうになつてゐる。それといふのもさういふ時代には、対象は十の八九まで世間であつて、何うかして人並になりたい、世間並になりたい、世間のひとりとして認められたいと思つてゐるからである。反抗するものでも、いぢけたものでも同じやうに思つてゐる。唯、その中ですぐれた才能と頭脳とを持つたものだけが、本当の人間の心の世界が世間の底に深く蔵れて横はつてゐることを察知することが出来るのである。

 で、壮年から中年になる。今度はいやでも応でも世間の中に入つて行かなければならなくなる。無理やりにでも割り込んで行かなければならなくなる。そして運好く機会をつかんだ場合には、忽ちにして世間の巴渦はくわの唯中に入つて行くことが出来るのである。そして(何んだ、こんなものか。離れて見てゐた時には、大変わかりにくい面倒なものに思はれたが、実際当つて見ると、何だ!、こんなものか。世間なんて存外甘い平凡なものだな。成ほど群衆心理といふことがあるが、これなら、うまくそれに乗れば、首領にも英雄にもなれるわけだな! 存外、世間は楽にわたれるやうに出来てるのだな!)かう思ふやうになるのである。そしてそれは強者の成功者ばかりではなく、頭のいぢけた弱者に取つてもさういふ気がするに違ひないと私は思つてゐる。

 そしてさういふ風に次第に世間に雑り合つて行くやうになつてゐる心の境が一番平凡ではあるが、しかし一番生効のあるやうな気のする時代である。その時代には、世間に対する気兼が次第になくなつて来てゐて、今までのやうに世間が他に別に存在してゐるのではなく、自己即ち世間といふやうな気がして来るのである。そしてその時に於て一番多くあらゆる好運が笑ひをさういふ人達に見せて来るのである。それは世間に対してはまだいくらか恐怖を持つてゐるにはゐるが、もはや若い時のやうに無意味にそれを恐ろしいとは思はなくなつてゐる。女といふ魔物に対してもある理解を持つて来る。功名といふことに対しても、若い時に思つたやうなものでないといふことが次第に飲み込めて来る。あせらなくなる。反抗しなくなる。時にはその世間の波に漂つてゐることが一番楽しいといふやうにすら考へるやうになる。しかし、実はさうした境が一番注意しなければならない危険な時代で、まごまごすると、その世間のために全く平にされて了ふことになるのである。そしてその境は楽に入つて行ける境涯であるだけ一層危険であると私は思つてゐる。



 誰でも自分のものをわるく言はれると気になるのは好いけれども、その一方でそれを客観したり反省したりするもののすくないのは遺憾だと私は思ふ。いや、心の底では客観もすれば反省もしてゐながら、それを表面に出すことを嫌つてわるく燻つてゐる人が多いやうであるが、それはいけなくはないかと思ふ。私達文芸を一生の伴侶にするものは、もつと打開いた心持でゐなければならなくはないか。筆にのぼせて雑誌だの、新聞だのに載せるから、わるく問題が大きくなるけれど、お互に逢つて、顔を見い見い話せば、どんなことだつて点頭き合ふことが出来るやうなものだと思ふ。

 他を批評するといふことは、決して他を評したばかりでは済まない。その中には、その人自身の苦しみやら悶えやらが多分に雑つてゐる。その言葉を引つくり返すとすぐその人の内部が手に取るやうに見える場合がよくあるものである。つまり、いろ〳〵な意味で互に触れ合つてゐるといふことになるのである。自分は単に自分でなく、他人は単に他人でないといふやうな深い相互の問題にまでも入つて行つてゐるのである。だから、私達の経験でも、決して友達ばかり為めになつたのではなく、また同じなかまばかりが私を励まして呉れたのではなく、敵の中からも私は大切な珠玉を捜出して来ることが出来たのである。


 怒つたやうな形に出た時も、悲しむやうな態度に出た時にも、または唯黙つて考へてゐるやうな調子に出た時にも、同じ心のあらはれのある場合がよくある。だから心の千変万化であると共に態度も亦千変万化である。そして更にそれを細別すれば、その同じ心の中にも無限に細かい気分が包まれてあるといふことになる。『心のあらはれといふことはむづかしいことだね? 唯その刹那に於てのみそれをつかむことが出来るね。少し躊躇すれば、すぐ二番手になつて了ふね。二番手になれば、もう本当ではないからね──』こんなことを私は何処かで言つたことを思ひ起した。


『兎に角かういふことは思はないかね? 今の文壇にあらはれる来る作品なり作家の気分なりが、今の実際の生活に没交渉だとは思はないかね』かうある人が来て言つたが、それはさういふところがないではない。社会乃至世間に対してもつと批評的な気分、反抗的な気分、更に進んで戦闘的な気分(文壇の上の争ひではない)があつて然るべきである。箇の中に入つて何んなものにも感じ得られるといふことも必要だが、それと同時にわるい習慣や、通俗な多数や、長い間にいつとはなしに壊されて行つた弊害や、小さな主観の上に築かれた虚栄や虚偽や、盲目的な慾望や、さういふものに対して痛切に感じ得られるだけの心持が常に生々として動いてゐることが必要である。だからすぐれた天才になればなるほどさうしたものを細かに鋭く感じて来なければならない筈だし、すぐれた作者になればなるほどその時代と常に何等かの深い有機的接触を保つてゐなければならない筈である。さういふ意味から言つて、今の文壇に不満だといふのならそれは決して無理だとは私は思はない。私はよりプロレタリアの精神がもつと痛切に今の文芸に雑つて来ることを望んでゐるひとりである。



 今年の暑さはひどかつた。明治十九年だつたか、私が初めて田舎から出て来た時に、矢張り今年のやうな暑さがあつたのを覚えてゐるが、宇宙も絶えずリズムをくり返しつゝあると見える。大きく見て来ると、やはり四季の節序のやうに、ちやんときまつた法則のもとに宇宙が息づきつゝあるのがそれと感じられる。

 それにしても、あの時分のことを考へると、かなりに遠く感じられる。いつ変るともなく、家屋のつくりも、路も、店屋の様子も変つて行つて了つてゐる。をりをり昔のまゝに残つてゐる町の角や、新しい家屋に挟まれた古い二階などを目にすることがあつても、それは極めて稀である。そして誰でも、今の忙しさに追はれて、昔のことなどは何うでも好いといふやうにして暮してゐる。そしてその時分私達の見た人達は十中八九は既に此世から亡くなつて了つてゐるのである。私は不思議な気がした。

 従つて歴史などゝいふものに対する考へ方も以前とは大分変つて来てゐるのを私は感ずる。以前には、歴史などは、遠い、遠い、この身などとは何の関係もないつくり話か何かのやうに思はれたが──歴史中の人物も単に英雄とか豪傑とかいふやうにしか思はれなかつたが、今ではもつと密接な関係を私の身辺に持つて来るやうになつた。この身も歴史の堆積の中の一つの点であるといふことなどもはつきりと飲み込めるやうになつて来た。で、その結果として、その宇宙──山川の依然としてもとのまゝであるといふことが常に深い感興を私に齎して来た。

 それはいろ〳〵なものが残つてゐれば猶好いが、残つてゐなくとも、その地名だけでもはつきりと指点されゝば、それで十分に自分の心をその昔の人達に雑り合はせることが出来るやうな気がした。歴史ものが書いて見たいなどといふこともさういふ心持から芽を出して来たのであつた。

 従つて、歴史ものに対する私の考へ方は、今までのものとは非常に違つたものに相違なかつた。歴史ものと言へば、唯面白く、英雄を英雄とし、豪傑を豪傑として書くもののやうに誰も思つてゐるらしいが、私はさういふ風でなしに、もつと平に、ひとつの事実としてそれをその時代の空気の中に浮び上らせたいと思つてゐる。つまり自己をその歴史の人物の中に完全に発見してそして筆を執りたいと思つてゐる。だから、歴史上の人物に対する解釈の仕方は現代的でも好いけれども──何うせ現代人が書くのだから、敢て昔のやうにならなくとも好いけれども、それを浮び上らせるシインは、成るたけ昔の感じに近いものであることを私は欲した。私は此頃歴史上のシインを捜すためによくあちらこちらへと旅行した。

底本:「定本 花袋全集 第二十三巻」臨川書店

   1995(平成7)年310日発行

底本の親本:「花袋随筆」博文館

   1928(昭和3)年530

初出:一「読売新聞」

   1924(大正13)年912

   二「読売新聞」

   1924(大正13)年913

   三「読売新聞」

   1924(大正13)年914

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:岡村和彦

2018年1024日作成

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