生滅の心理
田山録弥




 しやうと滅との相聯関れんくわんしてゐる形は到る処にそれを発見することが出来る。生の究竟くきやうに滅あり、滅の究竟に生あり、又これを実際の心理に照して見ても、滅を背景に持つた生は、持たない生よりも力強く、生を背景に持つた滅は、決して滅ではないといふことが考へられる。捨てたものほど強いものはない。かう昔から言はれてゐるが、捨てなければ、滅しなければ、または滅をしつかりとその根柢に所有して居なければ、本当の積極的主観は迸出へいしゆつして来ないものである。心の泉を汲んで汲んで汲み干して了ふと、あとから新しい泉が滾々こん〳〵として湧いて来ると言ふが、それも矢張さうした異常なる心理である。

 捨身になるといふ言葉がある。これも矢張さうである。自暴自棄の心境は、生も滅もすつかり傍にやつて了つたやうな形であるが、捨身はさうではない。滅の中に力強い生を発見した形である。それから自然主義時代に、『あきらめ』と言ふことがよく口に上つたが、そしてその『あきらめ』といふことを単に妥協風に考へて卑しめたものだが、この『あきらめ』も消極的でない限り、矢張生をはらんでゐる滅である。

 勝つといふことと敗けるといふこととこれも矢張生滅の裏表の心理である。『敗けるが勝』その反対に、『勝利者の悲哀』乃至『勝利の犠牲』といふ言葉がある。勝つといふことに敗けるといふことが連り、敗けるといふことに勝つといふことが相繋つてゐるのである。

 生滅の刻んでゐるリズム、これほど確とした大きな立派なものはない。細は何処までも細で、大は何処までも大である。我々は一日乃至一秒時間の中にもこの生滅のリズムの刻んでゐるのを認めることが出来ると共に、無窮の人生と宇宙の間にもその波の起伏してゐるのを認める。文芸上ロマンチイシズムの次に自然主義が起り、自然主義の次に理想的民衆主義が起りつゝあるのも、実はその一ふくの大きな『あらはれ』である。生滅のリズムである。

 人を押詰めて見る。一度は押詰められても、屹度きつとその人が押返して来る。又護謨毬ごむまりのやうなものを押してくぼませて見る。離せば屹度もとに戻る。さういふ心理状態である。であるから、此方こちらで思つたことが向ふに通じないといふことがないとか、怨恨は必ずそのそゝがれた人に何等かの反応を呈するとかいふものも、あながち荒誕なこととばかりに言つて了ふことが出来ない。

 政治界でも、文壇でも、又は普通のあらゆる社会でも、この細かい生滅の心理が、その底の底の一番底の微妙な根柢をつくつてゐるのである。空気とか、暗流とか、気分とかといふことは、その底から起つてかもして来てゐるのである。従つて慧の聡明な人物は、直ちにそこに入つて行く。そしてそれに由つて即不即、離不離の立場を巧につくつて行くのである。古来の英雄豪傑と言はれる人物、乃至大詩人と言はれる人々、大事業家と言はれる人々は、皆なその根柢の生滅の心理に深く触れて行つてゐるのを私は見る。

 男女の間に横はる深い心理、時には死に達するをも辞せないやうな、又時には尋常茶飯事として淡々水の如く思はるゝやうなさうした矛盾した心理、そこには殊にこの生滅の心理が、深く根ざしてゐることを私は思はずにはゐられない。男女の仲を知ることは、物の哀れを知ることだと昔の人も言つてゐるが、私は、『物の哀れ』どころではない、男女の心理の生滅の中から深い貴い不可思議な真理をさがすことが出来ると思つてゐる。男女の仲の苦悶に深く浸つて、その中から生滅の真珠を探し出すことが出来る人は、少くともその慧の非常に聡明な人であると言ふことが出来る。

 私は曾て男女の別れるについての苦悩の脱却順序を、気象の三寒四温の理にあてはめて説いたことがあつた。三日寒くつて四日温かい。三日思詰めて四日思ひあきらめる。そしてこれを何遍も何遍も繰返して行く中に、春は夏になり夏は秋になり冬になると同じやうに、別れの辛さも段々まぎらされて薄くなつて行くのである。『ルウジン』の中のナタシヤが捨てられて苦しむくだりに、『それでもかの女は飯を食ふ……一度食へば、食はない前よりもその悲哀に遠ざかつて行く』かういふ風に作者は書いてゐたが、矢張それを言つてゐるのである。生滅の深いリズムの心理を言つてゐるものである。

 そればかりではない。実際の社会でも、難かしい問題に出合すと、『まア、放つて置け、そのうち時が解決して呉れる』かう言ふやうな場合がよくある。そしてまた実際時の解決が一番正しくつてそして無理がない。又世間には、この時を巧に利用する人がある。さういふ人は黙つてゐてそして多く饒舌つたものより有効な結果を得る。皆な生滅の深い心理に意識無意識にかかわらず触れて行つてゐるのである。

 破壊の裏に建設があり、建設の裏に破壊があるといふことも矢張同じ理である。決して絶対の破壊がなく、又絶対の建設がない。仏教の苦集滅道くしふめつだうを単に破壊的思想と見、無常寂滅を単に虚無と観ずるやうな悟道者は、未だ決してその仏教の堂奥に入つて行つたものとは言ふことが出来ない。何故なら生のリズムは滅のリズムであり、破壊のリズムは建設のリズムであるからである。



 こゝにかういふことがある。ある人が来て、俸給の先月から増したことを話した。又ある人が来て原稿料を高くしてやつたことを話した。私達はこの増したこと、高くしたことに就いて喜びとし、又誇りもするであらう。一応はそれで好い。しかし私達はもう少し深く考へなければならない。その俸給の増して行くといふことは、他日その職をやめられる種子たねになつてゐるのである。又原稿料を高くするといふことは、他日その原稿を買つて呉れなくなる元をなしてゐるのである。生滅の深い心理は、こんなところにも動いてゐるのである。こればかりではない、かうしたことはあらゆる世間の事情について廻つてゐるのである。伊藤公や桂公もその名声と権力とが後にはうるさくなつて仕方がなかつたに相違ないのである。欧陽修おうやうしうのある大官のことを記した文章の中に『願為尋常無間之人又不可得』と書いてあるのを覚えてゐるが、実際伊藤公や桂公は、えらい人になつたことを、悔いてゐたかも知れないのである。何故と言へば、自己の自由を世間に奪はれた形になるからである。

 私は余程前から物に捉へられないことの工夫を説いた。一切の事、捉へられてはいけない。金に捉へられゝば守銭奴になつて其自由を失ふ。女に捉へられゝば遊蕩児になつてその自由を失ふ。名誉もさうである。富貴も又さうである。艱難もまたさうである。捉へられてはいけない、かう私は度々言つた。ところが捉へられないといふ事を誤解して、消極的にそれを解した。ある人はそれを『事なかれ主義』又は『あきらめ』又は『不努力』『客観主義』などといふ方に持つて行つた。傍観的に言ふことは、熱のない主観の乏しいものだと思つた。成ほど若い人達にはさう単純に考へられるであらう。捉へられなければ全力を挙げることが出来ないと言ふであらう。それは若い人達に取つては無理のない言葉であり解釈である。何故ならば、若い人達は、根本には矢張この生滅のリズムを持つてはゐるけれども、その生存上、ある時期までさういふことには無意識でゐなければならないと言つたやうなところがある。であるから、生にしうする力の方が旺盛であるから、それでさういふ風に思ふのである。ところがそれはさうでない。生に着した心よりも生を捨てた心の方が、──つまり物に捉へられない心の方が、活力にも富み、自由の空気にも富み、捨身から起る積極的努力に富んでゐるのである。滅を持つた生は力強く動いて来るのである。捉へられなければ全力を挙げることが出来ないといふ若い心よりは、ぐつと理解のある聡明な活力をふるふことが出来るのである。若い心は唯一気に押した。しかしその押しが成功しない時には、屹度きつとその反対に先方からはげしく押される。そして何うかすると、それに堪へられずに身も心も亡ぼして了ふことも往々にしてある。つまり生に着して滅を背景に持つてゐるからである。

 捉へられないと言ふ心は、だからこの生滅の心理に深く触れて行つた形であるといふことが出来る。『不努力』どころか、完全な努力をしようがために自己の自由を保留してゐる形である。退いて自己を養ひ且つ豊富にしようとする形である。

 維摩経は主として解脱を説いた経文である。それも病といふものを主として解脱を説いてゐる。従つて私の考では、この経文は小乗から大乗に入つたばかりのときの心境を説いたものであらうと思ふ。不治の病は病にあらず、凡百の病、治癒し得べき病は、皆な自己に着するより起ると言つてゐるのは面白い。それに生滅の心理も可成に深く説いてゐる。しかし維摩の態度に何処か洞愒どうかつの方便を以て或は鬼面の方便に位置して、声聞縁覚しやうもんえんかくに対したやうな形がある。そこは面白いには面白いが、その一面、文殊の沈黙した形に仏の根本を置いてゐるさまが一層面白い。



 では芸術の至難境は何処にあるかと言ふと、矢張この生滅の不可思議の心理を表現する所にある。

 だから、ヹルレーヌがあゝした形に行つたのも面白ければ、ユイズマンスがあゝした神秘の境を晩年に心がけて行つたのも面白い。トルストイにも、フロオベルにも、モウパツサンにも皆なさうした処がある。ユウゴオなどにもある。

 運命とか宿命とか言ふことを外国人の作者はよくいふ。神秘、象徴、さういふことをもよく口にする。しかもこの運命とか神秘とか言ふことは、ツルゲネフのやうなドリイミイな感傷的なものではなく、又メーテルリンクのやうな抽象的、舞台的、形式的のものではなく、もつと深く日常の生活の中にも根深くあらはれてゐるものではないか。外国の作家は何方どちらかと言へば、外面に、又は普通の心理に捉はれすぎたやうなところがありはしないか。

 先月あたり『早稲田文学』に出たカアペンタアの『感想』を読んで見たが、あれなどにも、流石は聡明な思想家だと思はれるやうな生滅の感想が多く書いてあつた。かれが今回の戦争、又は文明、文明と人間との交渉、それから起る顛倒、さういふものについていかに深く感じてゐるかといふことを考へるのも興味があつた。

 しかしかういふ風に、人間が平等観を持して来る心理状態は、私達はもつと細かく研究して見なければならない。主客融合といふ事は、私は四五年前に、長岡の温泉に行つての帰りにつく〴〵体感して、自分ながらかういふ心の起つて来るのを不思議にしたが──一時は『心の迷ひ』のやうな気がしたり、『こんな消極的な考を持つては為方しかたがない』と思つたりしたが、今考へて見ると、消極どころかさういふ処からこの生滅の不可思議の心理に触れて行つたのであつた。人間に取つては『四十の峠』といふことは非常に大切だと私は思つた。

底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店

   1995(平成7)年410日発行

底本の親本:「毒と薬」耕文堂

   1918(大正7)年115

初出:「文章世界 第十二巻第七号」

   1917(大正6)年71

入力:tatsuki

校正:hitsuji

2019年1227日作成

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