小説新論
田山録弥



一 読書と実生活


 若い人達の為めに、小説を書くに就いて、私の経験した作法見たいなものを書いて見る。

 長年私は投書を見て来てゐるので、諸君が何ういふ作をするか、何ういふ風に小説といふものを考へてゐるか、また何ういふ風に無益の努力をやつてゐるかといふことを知つてゐる。私の見たところでは、諸君の小説を書く態度は浮気である。移気うつりぎである。ちょいと面白いから書いて見る位のところである。そして二三度やつて見て、旨く行かないと、すぐやめて了ふ。

 小説は書簡文とか、叙述文とか、実用文とか言ふものゝやうに、この世の中を渡るために必要上勉強し修業するものではない。また小説は学者のやる学問見たいなものではない。この世の中の直接実用には何等の交渉がない。従つて小説と言ふものは総ての学術と言ふものからは全く独立してゐる。それだけ天地が広く茫漠としてちよつとつかみにくいやうなものである。又それだけうはの空では出来ないものである。一生の精神と努力とを籠めても、それでも出来るか何うかわからぬものである。

 私など書生時分に、前途を悲観して、とてもこれでは駄目だ。こんなことでしやうがない。かう何遍思つたか知れない。しかしその度に、『仕方がない。これより他に自分のすることがない。自分の性情に適したことがない。出来るか出来ないか、のるかそるか、自分の一生を棒に振るかも知れないが、兎に角やつて見やう』かう言つて机にかじりつくやうにして本を読んだり筆を執つたりして来た。誰に聞いてもわかるであらうが、兎に角、小説を書くと言ふことは楽なことではない。又、他の学術や事業に比しても、一層の努力と一層の精進とを要することは事実である。

 であるのに、投書などをする人達は、多くは小説を道楽視する。楽に面白く書けるものと思ふ。労少くして功多きものと思ふ。その作が多くは浮はついてゐて、吹けば飛ぶやうなものが多いのも止むを得ない。

 であるから、本当に小説を書かうとする人はそんなことではいけない。もつと真剣に精神と体とを打込んでやらなければいけない。最初から魂をそれに深く打込まなければいけない。従つて、『小説作法』などゝ言ふことは、さう大して重きを置くべきでない。千の『小説作法』があつても、それで小説が書けるものでない。この私の『小説作法』でも、だから、私の経験した話を書くだけであつて、それが少しでも、ほんの少しでも、参考になれば好いと思つてゐる位のものだ。

 小説の根本義などは、だから、此処には説かない。又、それを説く余裕もない。で、段々その話を進める順序として、小説を書くほど、生きた知識と生きた経験とを要するものはないといふことを説かうと思ふ。

 凡そ小説家は、何でも知らなければならない。世相のすべての状態、人間の個々の性情、人間の生活の千差万別、下は乞食の生活から、上は貴族の生活まで一々見て、観察して、そしてその深いところまで入つて行かなければならない。紅葉山人が嘗て、『小説は何うしても耳学問が必要だ。深くは知らないでも、広くは知らなければいけない』と言つたが、実際さうだ。広い上に深く知り得れば、一層好いのだ。小説家には、何でも知らなくつて好いと言ふものはない。山の生活、海の生活、田舎の生活、都会の生活、すべて必要でないものはない。又それを縦から言つて見て、人間の年齢のあらゆる階級、幼年、少年、青年、中年、老年、すべてそれを知らなければならない。

 であるから、ぐづぐづして引込んでゐては駄目だ。何にでも行つて打突ぶつつかつて見る必要がある。それからまた何でも彼でも新しい知識をつめ込む必要がある。法律も知らなければならない。政治も知らなければならない。軍人の学問も片端位は噛らなければならない。国家の外交のかけ引なども知らなければならない。さうかと思ふと、花柳界の女達も知らなければならない。六区の女も知らなければならないといふ風である。実に忙しい。

 実際の方でもさうだが、読書から得る知識の方も矢張さうだ。いくら実際々々と言つて、その方面から各種の、雑多な生活と知識を得やうとしても、さう〳〵は得られない。さう一々経験もされない。仕方がないので、さういふ点は読書で補ふ。

 書は、すべてこの世の中にある本は、悉く実際生活の状態の経験の『あらはれ』であるといふことを私達は考へなければならない。昔から今日に至るまで、あらゆる本は、何んな零砕れいさいな本でも、小冊子でも、すべて人間生活の状態の『あらはれ』である。従つて、そこからも多くの知識が得られる。自分の経験したのではないが──他人の経験したのではあるが兎に角本には生活に於けるある経験の書かれてあることは確かである。であるから、小説志願者はあらゆる書籍を渉猟することが肝心である。

 殊に、青年期に於ては、最もその然るのを私は見る。何故なら、青年時代には、経験をすると言つても、さう経験が出来ない場合が多い。精神上から言つても、あまり多い経験は青年に取つて、却つてその生命を浪費するやうな場合になることが多い。又、その経験の為めにその青年の性情がわるく偏つたり歪んだり陥落したりするやうな場合が多い。父兄がその子弟に小説修業を危ぶむのは、さういふ場合を顧慮してゐるのである。だから、青年期には、何うしてもさま〴〵の人の経験した知識を読書から得る方法が一番安全だといふことになる。

 従つて小説志願者は、図書館に月日を送ることを第一としなければならない。で、そこで、あらゆる本を読む。漢文の文集詩集も読めば、歴史も読む、経書を読む。かと思ふと、近松、西鶴のものも読む。小説も読む。法律の判決例なども読む。紀行文も読む。地理書も読めば、産業書も読む。農学工業の本も読む。そしてそれを一々自分の頭に入れて置く。少し位忘れても、一度読んだものは、実際に当たると思ひ出して来るものであるから、さう残らず覚えてゐなくつても好いが、兎に角読むには読んで置く。

 私などの経験では、上野の図書館での二年三年が非常に役に立つてゐることを今でも思ふ。無論、中学卒業の程度である。中学も終らないものには、まだ図書館に行つても、本の見やうさへよくわからないであらうと思ふから……。

 世間では、図書館に行つて、小説などを読んでゐる青年を余りよく言はないが、私はさうは思はない。何んな本でも好い。自分の好きなものを読んで好い。いかなる意味に於ても小説志願者の青年時代には、読書が尤も肝心である。

 ことに、青年期には、図書館に行つて、雑誌を読みたがるものだが、これが最も好い。難かしい面白くない本の合間合間には雑誌をよむ。雑誌は本と比べて楽な気分で読むことが出来る。そして直接間接に今の社会の空気に触れることが出来る。新聞も肝心だが、新聞は青年時代には読んでもよくわからないものだ。飲み込めないものだ。しかし、新聞も段々深く読んで行くやうにしなければならない。

 図書館で私の書生時代に読んだもので、今でも役に立つてゐると思ふのが非常に多い。近松、西鶴など皆な私はそこで読んだ。西鶴の原本は貴重品なので、たしか紅葉山人に文学者志願者たることを証明して貰つて、借りて読んだ。明清の文集なども非常に自分に役に立つた。それから、漢詩の集が非常に役に立つた。国文では源氏物語も其処でよめば、万葉集も読んだ。歴史も大へん役に立つた。雑誌では、国民之友、都の花などを耽読した。

 さうかうしてゐる中、段々原書に手をつけた。上野の図書館にも、クラシツクはかなりにある、ユーゴーの作、あの大きなミゼラブルもそこで読めば、ドユマのモントクリストも読んだ。イギリスの作家ではわからずなりにヂツケンス、サツカレー、下つてウイルキー、コリンスなどいふ人のものを読み、それから段々近代の作品に移つて行つた。しかし、今では何うだかわからないが、その時分には、上野には、新しい本は余り来てなかつた。ツルゲネフが来て、大喜びで、恋人にでも逢つたやうな気で、朝早く人に借りられない中に読みに毎日出かけて行つたことを今でも私は思ひ出す。

 トルストイの『戦争と平和』は昔から其処にあるので、それもその時分一過読した。長たらしい退屈なものだと思つた。しかしマコーレー卿の『英国史』などを読むよりは余程面白かつた。

 しかし、実際生活に対するにも、その人々の持つた観察の高い低い、乃至は浅い深いによつて、見えるところが見えたり見えなかつたりすると同じやうに、読書にも矢張さうしたところがあるから余程注意することが肝心である。小説家になるには、自分の持つた天才、才能、人格などゝいふことが殊に必要であるが、それは個々別々に持つて生れた先天的のものであるから、それは言はぬことゝして、一番先に観察力を養ふことが一番必要である。観察は飽まで斬新で、そして独創的でなければならない。古人も、読書について『眼光紙背に徹す』といふ言葉をつかつてゐるが、実際、さういふところがなければいけない。本の中に、その人の見た生活を発見すると同時に、いかにその生活をその人が考へてゐるかを見なければならない。又、その見方、考へ方が正しいか否か、偏してゐるか否か、本当であるか否か、徹底してゐるか否か、一々さういふところを考へて読まなければならない。例へば源氏物語を読むにしても、何うして此作が、今日まで残つてゐるか、不朽であるか、さういふことを考へると共に、藤原氏時代の生活と、その生活の中に於ける作者の位置、乃至はその生活に対する判断批評の深浅、さういふところまで入つて見るやうに心懸ける。春水の『梅暦』でもさうだ。あれを唯丹次郎の生活とばかり思つてはいけない。あの作の出来た時代の空気、そこにゐる作者、又その作者が何ういふ点まで本当のことを写生したか、さういふところを考へて見なければならない。『眼光紙背に徹す』といふことは、つまりさういふことで、書いてあることばかり見るのではなくつて、書いてないことをも見なければならないと言ふことを言つてゐるのである。しかし、この眼光紙背に徹するといふ読方も、矢張観察力ばかりでは駄目である。広く読んだものでなければ何うしてもさういふ深い読方は出来ないものである。実生活に於ても、矢張さうであるが、いろんなことを知つてゐれば知つてゐるほどそれだけ理解が広くなり本当になる。比較が取れるから、はゝア、かういふことだといふことがすぐ飲込める。むかしの学者は『書を以て書を読む』と言つてゐるが、実際さういふ風にならなければ、複雑な進んだ読方は出来ないものである。沢山読んで知つてゐれば、一冊読んだ本が十冊にも二十冊にもなつて頭に響いて来るのである。

 例へて見れば、此処に、彼方此方あちこちの地理を知つてゐないものと知つてゐるものとがある。そしてこの二人が同じ武蔵野なら武蔵野、近畿地方なら近畿地方を研究したとする。知らない方のものには、武蔵野だけはわかるが、研究することだけは出来るが、それを他の地方に比べて見て批評することが出来ない。これに反して、知つてゐる方は、それを色々な地方に比べて考へて見ることが出来る。従つて背景が広く、理解が正しくなる。知らないものよりも、ぐつと本当のことが言へるといふことになる。読書も実生活に於ける経験もこれと同じである。

 で、かういふ風に、雑学でも、耳学問でも何でも好いから広く且つ深く、独創的に読書から知識を得るといふことにする。自己直接の経験ではないが、兎に角他の人の経験した知識を得ることにする。そして、他日、自己が経験する時機の来るのを待つてそれを役に立てる。

 人間と言ふものは、この世の中にあることは、──古から今日までの人間のやつて来たことは、遅かれ早かれ屹度経験するものである。一応は必ず経験するものである。だから其時を待つ。その時を待つてそれを役立てる。

 実際の生活上の経験の細かい空気は、青年、中年、老年とひとり手にわかれてゐて、中年の心理を青年は知ることが出来ず、老年の心理を中年は知ることが出来ずといふやうな処がある。又、自然は、人間の生命の発展上、中年にならなければわからず、老年にならなければわからないといふ風にこしらへられてあるやうなところが何処かにある。であるから、実際の生活上の経験は、自然に待つより他に仕方がない。

 しかし、青年時代にも、小説家志願者はつとめて実際の生活に忠実に、正しい解剖と観察とをする必要はある。自己の家庭、父母同胞、乃至は親類、自己の周囲、眼に移るものははつきりと徹底して観察をするといふ性情を養ふやうにしなければならない。しかし、此処に言つて置きたいことは、解剖とか観察とか言ふことは、青年時代には、兎角、皮肉とか反抗とか言ふものに支配されて、歪んだり偏つたりするものであるから、つとめて公平な誠実な心の態度をさなければならない。強ひてめづらしい観察やら、独創的な解剖やらをやらうとして、却つて曲りくねつた見方考方をするやうなことがあるから、そこは飽まで人間としての誠実な心持を失はないやうにしなければならない。

 で、一事一物、すべてよく眼にとめて置く。人々の持つた癖とか習慣とか言ふものをもよく気をつけて見る。会話はことにむづかしいものであるから、一層心をつけてきくやうにする。自分の母親を観察するにも、単に自分の母親といふ以上に、今の時代に生息してゐる四五十位の女の心持とか態度とか言ふ風にして見る。そして周囲にある同年輩の女達とくらべて見たりする。つまり、前に言つた『書を以て書を読む』といふ深い読方を『人を以て人を見る』といふ風に人間の実生活に移して見るのである。


二 世相風俗


 この『人を以て人を見る』といふことは、しかし容易なことではない。始めに詳しく個人々々を観察した上に築き上げて行かなくては、さう巧く出て来ないのである。従つて最初の個人の観察から入つて行く。

『人を以て人を見る』やうになれば、もう占めたものだ。少くともしつかりと箇をつかめば、その箇の中には全もあるわけだから、それを此方から其方へと移して行くことが出来る。但し、何うかすると、全をのみ見て箇を見ないやうなことがあるから、そこは注意しなければならない。

 さて、さういふ態度で、あらゆるものを知り、あらゆるものを読む。その次に来る問題は、我々の前に横つてゐる千態万状の世相風俗乃至生活、さういふものを如何やうにして観察し、且つ研究すべきかと言ふことである。

 世相風俗乃至生活と言ふことは、小説修業者に取つて、最も目をつけなければならないことである。見渡すところ、色々な生活がある、大工もあれば、役人もある。兵隊さんもあれば商人もある。そしてそれ等が皆なその自分々々の生活気分に浸されて世を送つてゐる。態度から、言葉、気分すべてテクニカルである。類から言つて見てもそれを一々鑑別し、観察するのは難かしいのに、更に深い深い Personality がある。Individuality がある。容易なことでは、それが真に迫るといふ処まで達し得られない。

 例へば大工なら大工、役人なら役人を書くとする。言葉が第一難かしい。態度や習慣、さういふものも難かしい、類的に大工らしさ役人らしさと言ふものが現はれて来なければならないと共に、個的にその人物の根本性が現はれて来なければならない。私の経験などでも、これには非常に困つた。初めの中は仕方がないから、自分の周囲のものを書くが、何うもそればかりでは満足して居られない。沢山な複雑した生活や人間が眼の前にあるのに、それを見ても知らん顔をしては居られない。是非それに触れたくなる。それに、苟も小説家と言ふ以上、自分や自分の周囲ばかりを書いてそれで満足してゐられない。是非それに手を着けたくなる。又、着けなければ張合がない。で、私なども非常に困つた。何うも世間風俗の観察が十分に行きさうで、中々行かない。言葉などでも飲み込めない。しかし難しいと言つて放つて置いては、猶々出来ないから、写生なり何なりして、精々せつせとその状態を研究するやうにする。

 それには、自分自身その生活に入つて見るのが一番好いのであるが、限りある一生で限りなき生活状態に一々入つて行つて見るわけに行かない。それに、試験的にやつたことは、経験的にやつたものに比べて非常に緊張の度数が減じてゐる。そこに例のゾラの試験的小説の欠陥がある。どうもそこが困る。成るたけ多く広く知りたいけれど、事情がそれを許さない。又、一面広くばかりあつても、類型では──薄い程度の類型では役に立たない。何うも仕方がない。成たけ多く且つ深く知るやうにするといふより他仕方がない。従つて此処にも、『作者の不断の努力』と言ふことが大切になる。

 勿論、芸術は箇人的こじんてきのものであるから、一生自分と自分の周囲のことを書いてゐても差支はない。多作しない人は、それでも好い。一生に二つか三つ作つてそれで好いのなら、それでも間に合ふ、しかし小説修業者としては、もつと進んで出て行く方を私は望む。モウパツサンや西鶴のやうに世相風俗を材料にしたい。

 しかし、この難かしい世相風俗の観察も、前に言つたやうに青年時代には、よくわからないが、段々自分が生活に浸つて来て、妻も持ち、子も出来、家庭の苦労もわかつて来るやうになると、その実験から世相風俗の中心がわかつて来るやうになるから、自然素直に飲み込めて来るやうになる。本を沢山に読めば読むほど、本の読み方がすぐれて来るのと同じことだ。

 だから、この世相風俗の観察も、矢張倦まず、たゆまず、一生やる気で、努力するより他に仕方がない。

 うも、しかし、日本の文学者の経済上の位置では、この世相風俗の観察と言ふことが十分に出来ない。それをやる資本が足りない。だが、それは日本の文壇の状態だから止むを得ないとして、成べく質素に艱難を忍んで、旅行なり、研究なりをするやうにするより他ない。西洋画家が苦しい思ひをして、カンバスを携へて、旅へ行くやうな態度でやつて貰ひたい。

 日本では、他を描いた作家、世相風俗を描いた作家は沢山にない。西鶴などはその第一人者ではあるが、全体にまだ類型的で、具体的になつてゐない。そこになると、外国の作家には、世相風俗を描いた作者は非常に多い。中でも、モウパツサンなどは最も多様多趣な世相風俗を描いてゐる。

 けれど、私位の年齢に達しても、矢張一番難かしいのは、世相風俗で、そのため、思ひもかけない失敗をやつたり、又は人の想像することの出来ない苦労をしたりしてゐるのであるから、小説修業者は、殊に、この点に注意して貰ひたい。


三 自然と言ふこと


 鴎外博士の所謂『自然を師とすること』『自然らしきを目的とすること』この芸術観は、最も私の心を得てゐる。

 自然主義──フランスの自然主義も、無論根本はさういふ処から起つて来てゐるのではあるけれど──以前の文芸のあまりにロマンチツクに流れたところから萠芽を発してゐるのではあるけれど、何うも、その特色に、一種社会を相手にしたやうな反抗的な不純な分子が多かつたので、最後には、破綻百出、破産しなければならないやうな形になつた。ゾラの態度などは殊にさうである。しかし、根本の『自然を師とすること』『自然らしさを目的とすること』が今も昔も変らずに芸術の第一モツトオであることは、言ふまでもない。

『自然らしさ』『自然に迫る』『真に迫る』かういふ以外に、芸術は何物をも持つてゐないと言つても好い。従つて、作品をほめる場合にも、一番感じた時には、『何うも自然だ。いかにも自然だ。本当にさうだ』『真に迫つてゐる』かう誰でもいふ。

 さて、この自然らしさ、自然といふものを何故さう大切にしなければならないかと言ふと、それは大分むづかしくなつて、哲学でも宗教でも容易に解釈することの出来ないほど深いものになつて来るが、それはまア言はぬとして、この自然が外部と内部とにあることは知つてゐることが肝心である。自分の内面も亦一自然である。他の宇宙が自然であると同じやうに、矢張自己も一自然であるといふことである。そして同じ法則が、同じリズムが同じやうに自他を透して流れてゐるといふことである。

 であるから、自然なもの、真なもの、法則に近いもの、リズムに近いものは自己であつて、そして又他であるのである。従つて自然なるものが、一番他と共鳴するのである。そこに芸術の生命があり、根本がひそんでゐるのである。

 これを修業の方から言つて見ると、人間は何うかしてその自然らしさを持ちたい。真でありたい。今は何うも十分にその境には達することが出来ないけれど、何うかして、それに達するやうに修練したい。これが作者の方面の第一要義になる。天分、才能の如何に由つて、その到達が或は早く、或は遅く、或は全くその境に到達することが出来ずに終るやうなこともないではないが、兎に角、我々作者は一生かゝつて、その『自然らしさ』に向つて突進してゐるのである。この点は芸術と宗教とはよく似てゐる。禅や止観などにもさういふ処がある。さういふ努力精進の約束がある。

 天才とは、この『自然らしさ』に一直線に触れて入つて行くことの出来るものを指して言ふのである。

 文学上、純でなければいけないとか、誠実でなければいけないと言ふのは、実にそれを指してゐるので、天才になればなるほど、純でそして誠実である。純であるから、いろいろなものに邪魔をされずに、又は種々な外皮にさまたげられずに、真直に真に触れて行くことが出来るのである。又、誠実であるから、真直に物に触れ、物に感じ、物の核心をつかむことが出来るのである。人が見て──捉はれたり支配されたりする人が見て、驚くやうな境にも手を着けることが出来るのである。こゝをよく考へて見る必要がある。

 それから『子供らしさを失はない人物はえらい』と言ふやうな言葉もあるが、それもそれを言つてゐるのである。

 次に、これを実際の方に移して言つて見ると、世間には大勢人間がゐるが、何うもその人間が、多くは利害に捉えられたり、生活に捉えられたり、名誉心に捉えられたりして、純な『自然らしさ』を持つてゐるものが甚だ尠いといふことである。子供の時には持つてゐた『自然』がすつかり雑多な念や世心に包まれて、現はしたくつても、容易にそれを現はすことが出来なくなつてゐるやうなのが多数である。例へば、事に際して是非さう出て行かなければ、自己の精神が、魂が承知が出来ないといふやうな場合にも、利害や社会をかねて、好加減な処で妥協して了ふやうな人が多い。つまり『自然』が深く底に包まれて了つてゐる人が多い。であるから、作者が実際の人間に、『自然らしさ』を求めるに際しても、大抵の場合は、何事も第二義、第三義的で面白くないことが多い。かう言つて来ると、私は次のやうなことが言へると思ふ。即ち作をするといふことは、自己(作者)の『自然』を持つて、他(実際人物乃至作中人物)の『自然』を探し出し、掘り出し、そしてそれを描くといふことである。自己の『自然』を以て他の『自然』を発見するのが、芸術の根本の第一歩であると言ふことである。

 すぐれた作品が、多くの場合、真剣な男女の心理とか、本能とか、運命とかを取扱つてゐるのもその証拠である。人は、いざとなれば、本当な、根本なところを現はして来るものであるから……。

 で、かういふ風に、『自然』と言ふものはむづかしい。且つ大切だ。この世にあるあらゆる学問、あらゆる宗教、あらゆる修養、すべてが、この『自然』を対象にして研究してゐるものであると言ひ得るほど、それほど複雑してゐる。だから私はよく言ふ。『自然らしさを持つてゐない人は、芸術家になるといふやうなかんがへを持つな』と。

 私の経験で言つて見ても、私には幼い時から、何処か自由を欲する念がさかんであつた。それから、悲しいとか辛いとか言つても、それがあるちやんとしたその悲しい辛い当体があつてそれで悲しく辛いのではなかつた。実際の悲哀、懊悩の上に、猶独立した自己があるやうな気がした。又、世間の人の喜ぶ金とか、物質とかさういふものには心を奪はれないやうなところがあつた。汚い着物を着てゐても何とも思はなかつた。親達のするまゝに任せてゐた。勿論、食物の方は、着物などよりは根本で、本能的であるから、旨いものが食いたかつたけれど……。

 そして意味のない涙がよく流れた。悲しいとか口惜しいとか思ひのまゝにならないとか、さういふ涙ではなしに、唯々物を見て涙が流れた。広い空や星なんかを見ても涙が流れた。又一面悲哀の快感などゝ言ふことを味ふことが好きだつた。世間的のことには、いつも顔を背けてゐた。さういふところがあつた。それが『自然らしさ』を失ふまいとする無意識的行為であつたと言ふことが、今考へて見ると、よく分る。

 かういふところが、傍観的気分、芸術的気分などゝいふことの生れて来る根本でないかと私は思ふ。

 鴎外博士はまた箇人主義と言ふことを言つてゐる。これも面白い。箇人主義、(利己主義ではない)本当の箇人主義と言ふことは、全に対する箇、箇に対する全であつて、『自然』を余計に体感することの出来る人は、大抵は箇人主義であると私は思ふ。従つて、芸術が個人主義に多く待たなければならないことは言ふまでもない。

 芸術は箇の芸術である。そして又箇にして全の芸術である。

 しかし、かういふことは、非常に深い問題であつて、青年諸君などには、今はまだ十分にわからないかも知れない。又、わかつたつもりでゐても、わかつただけで、本当に理解してゐないかも知れない。唯此処では、芸術はさういふところから根ざしてゐる。そして、『自然らしさ』といふことを常にモツトオにしてゐるといふことだけは念頭に置いて貰ひたい。

 とは言へ、この『自然らしさ』と言ふことと、写生といふこととを一緒にして貰つては困る。写生は単に一の方式である。実際のことだから自然だなどと早飲込をする人があるが、それはいけない。旧劇にも、すぐれた作になると、『自然らしさ』がある。空想の作品にも、矢張りある。ギリシアあたりの古い劇にもある。議論にもある。哲学にもある。荒誕な探険譚にも、子供の読むお伽噺にもある。

 しかし、『実際』を取扱つた世話もの、乃至写生、写実、さういふものが今の時代の『自然らしさ』を現はすに便利であるから、さういふ形式を取るのは、それは好いが、内面の描写などになると、さうした単純なことは言つてゐられない。それに、写生といふ方面から言つても、前に言つた『自然らしさ』を探して発見して来なければならない。

 だから、鴎外博士が標準を『自然らしさ』に置いたのは、すぐれた考へで、古人の作、今人の作を読むにしても、その作が『自然らしさ』を何れだけ持つてゐるか、ゐないかをためして見るのが、批判の方法としては一番捷道ちかみちだ。昔から傑作と言はれたもので、写実式であらうが、空想的であらうが、ゲエテの『フアウスト』のやうなものであらうが、トルストイの『アンナカレニナ』のやうなものであらうが、その『自然らしさ』を多分に持つてゐないものは決してない。

 それから、それをひつくり返すと、かういふことが言へる。その傑作の持つた『自然らしさ』その自然らしさも、読者の持つた自然の程度如何で、折角その『自然らしさ』が見えないやうなことがある。発見されないやうなことがある。此処に来ると、前に言つた、自他の自然の度数がまた問題になつて来るのである、すぐれた作者の自然の発見は、すぐれた自然を持つた読者でなければ十分に発見されないといふことになる。批評と言ふものが創作と同じく独創的でなければならない理由は其処にあるのである。私はある人に言つた。『何うもむづかしいもんだ、読むで理解するといふことも。香川景樹かがはかげきの歌集、あの一冊の桂園けいゑん、あれだけでも、本当に理解したといふ段になると、一生かゝつて何遍も何遍も身読しんどくして見なければ分らぬものだ』況んやすぐれた作品に於てをや。


四 表現


 で、『自然』と言ふこともこれでいくらかわかつたとする。次に来るのが表現である。

 表現は芸であり、術であるが、その芸なり術なりが、非常に細かい作者の人格、気分なりまで入つて行つてゐて、技巧にして内容、内容にして技巧と言つたやうな難かしいところがあるが、それは諸君が将来到達する時に考へて貰ふことにして、此処には先づ初歩な表現の方法から入つて見ようと思ふ。

 私がよく言ふ、『現象的に見る』云々といふことも詳しく言つて見たいが、これもあとで言ふことにする。

 で、初学者が表現の方法を探るとして、矢張り一番先きには写生が肝心だ。

 写生に外面の写生と内面の写生とがある。勿論、外面でも作者の内面はそこに出てゐるのである。また、内面の写生でも、外面が、全然そこに出てゐないと言ふのではない。無論内外両面交錯してゐるのである。しかし先づ此処では二通の写生の方法があるとする。で、最初に外面から始める。

 ホトヽギスの写生文などが即ちその好例である。何でも見たものを忠実に描く。方法が叙述的であらうが、何であらうが、そんなことは構はない。ドシ〳〵見たものを書いて見る。『浅草観世音の一夜』でも、『わが家の周囲』でも何でも好い。丁度西洋画家がカンバスを携へて、郊外に行つて、絵を書くやうにして書いて見る。成るたけ詳しく書いて見る。人にはうるさく思はれる位に書いて見る。そして矢張、絵と同じやうに、遠近法などといふことを考へに入れて書く。近いものは詳しく、遠いものは疎くと言つたやうに。

 景色も書けば、人間も書く、人間の顔ばかりを写生して見たりする。何でも構はない、兎に角、本当に見たものを書く。そして無数のスケツチを築き上げる。

 と、段々かういふことが考へられて来る。いくら詳しく書いても、書いたばかりでは本当のものが出て来ない。絵で言つて見ると、何うも絵具を塗つたばかりである。詳しく書いたために、却つてそれに包まれて本当のことが出て来ないといふやうなところに段々気が附いて行く。絵の具の塗り方が肝心だといふことに気が附く。と、もう一進歩である。つづいて省略と言ふことのおろそかにすることが出来ないといふことにも気が附いて来る。

『本当のことをあらはすための省略』

 かういふ風になつて来る。

 その頃になると、文章に一種の調子が出て来る。この調子がまた中々難かしい。何故と言へば、この調子といふものがその作者の持つた全人格、全気分のかくすところなき『あらはれ』であるからである。作者の気分と心とが統一されゝばされるほど、その調子が調ととのつて来る。(誤解してはいけない、統一といふことは型にはまることではない──きまつた調子になることではない。その作者自身の心と体とが根本的に持つてゐる、あるものゝあらはれたのがその文章の調子となるのである)

 で、その文章の調子の鍛練がなか〳〵長い時間を要する。写生が単に外物の写生でなしに、ぴつたり自分の心と体とが合ふやうになるまでは、一年や二年ではとても出来ない。しかし勉強してやる。この間には、文章に調子が出来たために、却つて以前よりも本当のことが書けないやうな気がすることがある。しかし、それはぢき打克つて進むことが出来るからたゆまずにやる。

 それから、その頃には、文句の置き具合とか、句読の打ち方とか言ふものが非常に気になるものである。私なども、紅葉山人に小説を見て貰つた時に、その調子のことゝ、句読のことをやかましく言はれた。『調子が出来て来なければ駄目』とか、『句読が完全に打てるやうにならなければ、まだ一人前の文章かきではない』とか、いろ〳〵に言はれた。

 実際、この句読の打ち方と言ふものは難かしいものである。矢張其作者の持つた心と体との発現である。その証拠には、いろ〳〵な作者の句読の打ち方を注意して見給へ、皆それぞれ違つてゐる。文法の法則見たいなもので縛られてゐない。長く打つもの、短く打つもの、○点とヽ点の打方を気にするもの、いろ〳〵ある。そしてこの句読の打方から、文章の調子が出来て行く。

 この調子と句読が出来て、それで一度外物がかけるようになれば、もう余程の上達である。

 それからスケツチにスケツチを重ねて、単純なものから複雑なものを書いて行く。静まつてゐるものよりも、動いてゐるやうなものを書く。そしてその外物に対して起した自分の細かい気分をも、その文章の中ににじみ込ませるやうにする。静かなものを書く時には、文章も静かに、暗いものを書く時には、文章も暗く、烈しい気分をあらはす時には、文章も烈しくといふ風に心がける。これがちよつと容易ではない。作者の頭と手と外物とが一緒になる位までユニツクにならなければ旨く行かない。

 しかし写生は成るべく十分にやることが必要である。絵でデツサンが必要であるごとく、小説では写生が必要である。写生の力のある人なら、いつでも、小説が出来るが、──構成さへ出来ればいつでも出来るが、写生の力のない人は、頭の脳中に折角よい小説が出来てゐても、十分にそれを作り上げることが出来ない。自然派の文芸も、昔のロマンチツクな不的確な観察から出て来るために、写生の第一歩まで引返して来て、そしてそこから新しい機運を生んだ。

 日本で言つて見ても、硯友社あたりの型にはまつた文章にあきたらないで、ホトヽギス一派は、写生に引返して、そしてあの自由な新しい文章を始めた。子規あたりのスケツチを紅葉山人の作物に比べて見ても、写生といふことのいかに大切であるかといふことがわかる。

 その癖紅葉山人も写生には重きを置いた人であつた。かれはいつも言つた。『何をいても、書かうと思ふたら、その舞台なりシーンなりを見て来て書くに限る。人物でも矢張さうだ。見て、頭にちやんと入つてゐさへすれば、楽に本当に、しかもわけなく書ける』そして『多情多恨』の待合の条を書く時に、かれはわざ〳〵出かけて行つて写生して来た。

 少くとも明治の新しい文学は、この写生を発足点にして、そして出て来た。島崎君なども写生といふことを非常に重んじた。私も矢張その一人だ。

 だから、写生はいくらやつてもわるいといふことはない。沢山やれば沢山やるほど好い。何も出来もしない長い小説を、始めから、こね返すよりも、スケツチを沢山に〳〵拵へる方が余程有益である。

 それに、小説をあまり早くから書くと、小さな型にはまつて了ふ恐れがある。小説は構成する必要はあるが、決して型ではない。自然を対照にしなければならないものである。従つて自由である。飽まで自由である。それを、余り早くから小説を書くと、本尊の作者自身の内部の自然の構成が出来てゐないので、『自然』でなくて、『小説』といふものを書くことになる。従つてその型が出来る。そして一度その型に入ると、中々そこから出て来られない。私は若い作家でさういふハメに陥つた人々を多勢知つてゐる。

 であるから、成るたけ落付いて、写生をしてゐて、いざ本当の内部の要求が堪へられない位まで待つて、そして小説に筆を染める方が得策である。

 で、外面の写生はそれでよろしくやるとして、今度は内面の写生だ。こいつが中々厄介だ。その難いのは外面の写生の比ではない。それもその筈である。外面は兎に角眼の前に見えてゐるが、内面は全く見えない。眼では何うすることも出来ない。折角つかんで来ても、すぐ遁げて行つて了ふ。その時ははつきり覚えてゐた奴が、次の瞬間にはすぐ忘れてゐる。無形物だけに、つかまへることが非常に難かしい。その癖、小説にはこの内面描写が非常に必要なのである。外面以上に必要なのである。

 対話は丁度この外面と内面との中間に位置してゐるやうなもので、外面から内面(心理)をうつすには、この方法に由ることが尠くない。それだけ対話はむづかしい。情緒もあれば、体裁もあり、策略もあるのが、人の世の対話である。で、内面の写生の第一歩として、対話は熱心に研究しなければならない。

 それに対話を写生することに就いては、非常な難関がある。各箇人の性情を代表した対話、そこに Personality と Individuality とを区別しなければならない。一方気分を出すために、或は強く或は弱く、或は烈しく或は優しくしなければならないと共に、それを進行させるに就いて、五分の隙もない位に調子を取つて行かなければならない。そしてその底にお互いの心理を暗示しなければならない。それも一人と一人の対話なら、まだ好いが、五人も六人も一緒に出て来ることがある。何方を前にし、何方を後にして好いか、何方を先に又は後に書けば、多勢らしい気分が出るか、さういふことを選択するのが非常に難かしい。私などの経験でも、対話には一番困つた。何うも旨く行かない。仕方がないので、地の文でごまかすが、さうすると多くは抽象的、説明的になる。シーンや心理を完全に読者の前にひろげて見せることが出来ない。私は今でも完全に対話を書くことが出来ないで苦んでゐる一人であることを自白する。

『紅葉の会話、露伴の地の文』かう言ふ言葉が、その頃の文壇で言はれたが、実際、紅葉山人は会話が旨かつた。勿論、今の小説の対話とは違つて、わざと面白くしたやうなところを──今なら不自然でいけないといふところを、わざ〳〵ほめたやうな点もないではないが……。

 それに、対話は飽まで緊張してゐなければならないから、一層困る。何うかすると、対話が作の筋を運ぶやうな形になることがあるが、さうなると、冗漫な嫌ひが出て来て、読者を倦ましめる。柳浪、天外二氏の作には、さうした弊が多かつた。

 ことに、脚本に筆を染めるには、一層さういふ困難がある。

 だから、外国などでも、戯曲家はよく対話といふものを書く。つまり脚本の修行の為めに書くやうなものである。

 好い加減名を出してゐる作者の作品でも、対話を調べて見ると、兎角十分でないのを発見する。ぴしツと旨くピントが合つてゐない。緊張してゐない。乃至は無駄な対話が多い。

『旨くなつたが、まだ対話が駄目だな』かう私などもよく言はれた。

 対話の十分でない位、その作者を低く見せることはないものである。

 さういふ難かしいものであるのに加へて、スラングといふことがある。つまり地方語である。京都を舞台にしたら京都言葉、関東を舞台にしたら関東言葉、かういふ一方には、職人、百姓、土方、娘、役人、会社員、その生活と職業とに由つて言葉が一々違ふ。今でも私は地方語には匙を投げてゐる。『何うも地方語と言ふものは、正確に言ふと、その作者の生れた地方の言葉しか書けないものだ。二年や三年、乃至十年近くその土地にゐても、本当にはとても書けない』かう私はいつも言ふ。

 しかし、このむづかしい対話も、外面から内面へ写生して行く最も必要なものだから、大に勉強して見る。そしてその次に更に難かしい対話と態度とを写した文章とのつゞき加減に苦心する。これが内面の写生には最も肝要なものである。対話につれて、人物の態度の描写のつゞき具合が……。

 正宗君の書いたものには、このつゞき具合が非常に巧いものがある。

 さて、対話にも一廉の苦労を積んだ。今度は愈々内面の写生である。前にも言つた如く、内面は見えない。それからまた掴んでも、すぐ遁げて了ふ。何うせ、内面は描写風には書けないものであるが、しかし、それも度数で、説明的であつて、そして巧に描写の趣を見せてゐるものが外国には沢山ある。作中人物の心理を説明するにしても、言葉が非常に豊富である。見えない心理を巧みにそこにひろげて見せてゐる。

 私は何方かと言ふと、この心理描写が下手だ。何うも旨くつかんで言葉に上すことが出来ない。随分苦労をして見て来たが、複雑に如実に行かない。外国では、ゴンクウルだの、ドストイエフスキーだの、トルストイだの、モウパツサンだの非常に心理描写の旨い人もあるが、日本ではさう多くない。矢張一番むつかしい境であるからである。夏目さんのものは他には別に感心もしないが、又その程度があまりに普遍的で平凡であるが、それでも心理描写には骨を折つた人だ。もう少し説明的でないと猶好いと思ふけれど、兎に角細かい内面が丹念に書いてある。それから正宗君の『毒』が深い。徳田秋声君のものにも、深い内面描写をしたものが二三ある。外面から行つた内面描写ではあるが……。

 しかしそれから比べると、ゴンクウルの『陥穽かんせい』などは深く入つて行つたものだ。全体は外面で行つてゐて、そして深く内面に入つてゐる。ジエルミニーの煩悶を書いたあたりは、ことにさう思はれる。しかし大抵は説明でやつてある。『何うかして、これが描写だけで、この心理が出ないものかね』かう私は言つたが、何うもそれは無理な注文であるらしい。

 けれど、説明で行つても、その熟練の如何に由つて、描写らしい気分を、其処に漂はせることが出来る。ジエルミニーなどには、大にさういふ処がある。何うしても、心理は、内面は説明でなければ深く入つて行くことが出来ないやうな点があるから、小説修行者は、それに就して、いろ〳〵工夫したり、考へて見たりしなければならない。

 この内面描写も、矢張、始めはスケツチで、沢山に〳〵やつて見る。小説にせずに、心理のあらはれを、いろ〳〵に取扱つて見るやうにする。で、沢山やつてゐる中には、段々その捉へ難い心理をも、外物のやうには行かぬとも、かなりはつきりとつかんだり、現はしたりすることが出来るやうになる。

 そしてこゝらまで筆が進んで来れば、初学時代とは違つて、叙述では満足してゐることが出来ずに、描写といふことに、心がけるやうに筆が進んでゐるだらうから、存外面白い境地が展けて来て、微妙な芸と術とを縦横に発揮することが出来る。

 で、これから全く小説の構成に取りかゝることが出来る。


五 構成


 小説に肝心なことは、構成、その次に構図といふ順である。

 構成は小説を作る上に於て、殊更に重要な位置を占めて居る。構想と云はれる部分もこの中に入る。

 つまり家屋に例へて云つて見れば、すべて全体の構造のデザインをやることで、もう棟梁株でなければ手を着けることの出来ない境である。表現の術が出来、構成が完全に出来るやうになれば、それでもう一廉の小説作者である。

 表現の方法とか、内外両面の写生とか云ふことは、板の削り方とか、木材の組み合せ方とか云ふもので、構成は更にそれを立派な一軒の家に仕上げる行為である。

 小説を作るには、作者が最も心を致さなければならないものである。

 大工の棟梁にも、構造の上手なものと下手なものとがあるやうに、作家にも矢張上手と下手がある。板の削り方とか、木の組み合せ方とかゞ非常に上手でゐながら、構成が下手なために、すつかり全体の規模やら感じやら、滅茶々々にして了ふものなども尠くない。それに、構成の仕方にも、各異つた各家かくかの手法がある。所謂 Stile である。偉大な構成をするものもあれば、細緻な構成をするものもある。粗で、そして大きいものもあれば、幽麗典雅なものもある。

 フロオベル、トルストイなどは、非常にすぐれた偉大な構成力を持つた作家である。モウパツサンはそれから比べると、構成力が余程小さくなつてゐる。ハウプトマンなどもさう大きくない。

 ロマン、ロオランは、ちよつと見ると、大きいやうであるが、実際は余り大きい方とは云はれない。ゾラの構成力は、大きいには大きいが、やゝ粗笨そほんで、何方かと云へば、ガラクタ普請の馬鹿に大きい奴に近い。ドオテエも余り大きくない。ツルゲネフも何方かと云へば小さい。

 トルストイの大きい構成力は、『戦争と平和』あたりで殊によくあらはれてゐる。『アンナ、カレニナ』は大きいが、それから比べると、旨く統一がとれてゐない。

 構成と云ふことは、垂木たるきは垂木、縁側は縁側、二階は二階と云ふ風に、それ〴〵位置を定めて、単純の中に複雑を示し、簡易の中に豊富を示し、混乱の中に統一を示すものでなければならない。

 表面から見て、立派で、中に入つて見て、粗造な家もあれば、うわべはあまりけば〳〵しくなくつて、内部は細を極め緻をきはめたやうな家もある。

 矢張それと同じである。

 さて、この構成力を何処から養つて来るかを考へて見る。又、この構成は何を標準にしたら好いかと思つて見る。古人今人の作品なども無論、それを養ふ上に於て有益であるが、根本は矢張『自然』を主にしなければならない。

 考へて見てもわかる。凡そ何が構造が大きいと云つて、『自然』ほど大きいものがない。又『自然』ほど細緻で、そして完全してゐるものはない。

 芸術は宇宙の大天地に比して、その反映である小天地を形ちづくつてゐると説く美学者もある。又、実物が鏡にうつつたやうなものだと説くものもある。私の歌の師匠は、歌は梅なり松なりの障子に移つた影のやうなものだと云つた。兎に角、かういふ説は在来の美学者文学者の中に、沢山に、且ついろ〳〵に云はれてゐるけれども、概して『自然』の反映であると云ふことだけは確かである。小説の構成が『自然』を標準にしなければならないのは、これでもわかる。

 従つて、小説家と云ふものは、一面立派な哲学者であり、宇宙人生の真理の探究者であり、かくれた神秘の洞穴の中に邁進して行く勇ましい行者でなければならないことがわかる。

 まあ、しかし、それは第一義的に云つて見たので、もつと砕けて云つて見ると、小説を構へるにしても必ずその材料があり、その材料の動いて行く形があり、事件の進行して行く径路があり、人物の登場して来るシーンもあつて、それを貫いた、立派な動かぬまことの『自然』のあるのを誰も見落すものはなからう。この一貫した『自然』はその根柢を先づ形ちづくるのである。

 多くの小説を注意して見て、それを『自然』に比べて見ればわかるが、ある作には、それが単に物語の筋をもつて現はれ、又は興味、面白味となつて現はれ、又は、『自然』となつてあらはれてゐる。すぐれた作になればなるほど、それが『自然』の形を帯びて来てゐる。

 自然派の起らない以前の小説の構成と、以後の小説の構成とを考へて見てもわかるが、興味中心の時代には、物語全盛の時代には、それは多くは、『面白い』と云ふことにのみ向つて、小説は構成せられて、自然、不自然などは多く問はれなかつた。だから大団円が必ず出来てゐて、序破急などゝいふ人間が第二義的につくつた法則などがあつた。始めから中頃、中頃から結末といふものをちやんとつけないと、竜頭蛇尾などゝ云つて、笑はれた。きちんと一種の人為の型にはまつてゐた。それが自然派──『自然』にまでも肉薄しやうといふ自然派が起つてから、すつかり打壊はされた。

 今の文芸では、外形的に統一を取るなどゝいふ旧い構成法はすたつた。竜頭蛇尾であらうが何であらうが、又は序破急であらうが無からうが、そんなことは問はずに、直接に『自然』と云ふものに向つて進んだ『自然』の持つた構成なら、何んな構成でも構はないことになつた。混乱の中にも統一を求め、単純の中にも複雑を求め、歪み、かたより、くぼんだものゝ中にも『自然』を求めた。一方非常に自由になると共に、一方非常に難かしいものになつて行つた。

 だから、今の小説の構成の方法は、その作者の持つた『自然』が宇宙の持つた自然と交錯したところからその根本を出して来てゐるので、作者の心と体とから出来た独創の構成を貴ぶやうになつた。

 であるから、小説修業者は、形式などを考へてゐる必要はない。又、在来の小説の型などを多く念頭に置かずとも好い。自分の要求のまゝに、何でも構はず構成して見る。好次第このみしだいにやつて見る。小さな豚小屋でも何でも好いから、自分の好きな、好いと思つたものを構へて見る。そして、そこから『自然』に近い自己独特のものを構へて行く。これが一番肝心だ。


六 構図


 構成と構図とは、一緒に云つても好いものであるが、むしろ構図が先きで、構成がその次と云ふのが順序であるが、此処ではわざとそれをあとにして、作品そのものゝ持つた構図と云ふものを仔細に研究して見ることにする。

 構図(Composition)と云ふことは、作品ではかなり重要な位置を占めてゐる。

 構図では、作者と『自然』との触れ方、離れ方が最も大切だ、芸術は独立した小天地である。作者から無論、糸を引いてはゐるけれど、その糸があまり際立たずに、作品として、単独に宇宙の間に独立せしめるといふことは、主として、構図の『自然らしさ』といふところから起つて来る。

 私は作品に対すると、先づその構図を頭に浮べる。この作と作者とは、何ういふ関係にゐるか、即いてゐるか、それとも離れてゐるか、独立してゐるか、それとも独立してゐないか。かういふことを先づ一番先に問題にする。

 何うも、今の日本の作には、構図がすつきりとして、広い空間に漂つてゐるやうな感じのする作が沢山ない。皆な作者と相即いてゐる。作者が説明してゐる。作者が立派に構図をして、構成して放つて置いてくれたやうなものを滅多に見ない。

 しかし、こゝで云ふ作者と即く即かぬは、題材が作者自身を取扱つてゐるのを言ふのではない。作者自身の題材でも、主観的でも客観的でもかまはないが、兎に角、それが立派な一つの芸術品になつてゐるかゐないかといふことが問題である。

 こゝに来ると、主観と客観、つまり前にも度々たび〳〵言つた自己の『自然』と他の『自然』との交錯が考へられて来る。自己が他へ離れ合つて行く形なども大切になつて来る。自分を描いたにしても、それは自分といふものを描く上に、更に人間として描いたといふ点、客観物として取扱つて見た点、さういふ処である。

 日本の作品で例を挙げて言つて見ると、二葉亭の書いた『平凡』などは、自分を題材にしたに拘はらず、その構図と構成とが見事なので、自然的に出来てゐるので、自分が作者自身でなく、別に作者が何処かにゐて、それを見てゐるやうな気分がある。つまり独立してゐる。空間に漂つてゐる。

 かういふ構図の構へ方は、十九世紀の主潮の科学者らしい態度、学問らしい特色、さういふ方からも大いに来てゐる。今では、文壇の傾向は、さういふ処からは余程違つて来てゐるけれども、それでも、一応は調べて考へて見なければならない。

 さういふ態度は、人間が人間をも一個の生物として取扱はう。飽まで解剖して見やう。医師のメスを取るやうな心持で進んで行つて見やう。さういふ風でやり出したところから来てゐる。自然派の運動には、殊に、さうした傾向と特色とが多かつた。そして、さういふ処から、今までつかへてゐて流れなかつたところが、凄じい勢で流れ出して来た。澎湃はうはいとした潮流となつた。

 しかし、此処に、一つ如何ともすることの出来ない欠陥があつた。それは生物として冷静に取扱ふ人間が神でなく、矢張人間であつたことである。こゝから不自然が起つて来た。

 矢張、作者の『自然』と他の『自然』との交錯状態の処に深い根を持つたものがあつて、それを不可能にした。

 しかし、さういふ議論に余り深入せずに、もう少し構図のことを言つて見やう。構図は構成と同じく、矢張、『自然』を標準にしてつくらなければならない、絵などで見ると、ことに、構図はさういふところに重きを置かなければならないといふ感じがする。何うも矢張『人為』ではいけない。技巧があまり際立つてもいけない。

 それに、背景に、大きな自然と言ふものを忘れてはならない。俳句に四季があるやうに、小説にも必ずその背景に大きな自然がある。我々と同じ法則、リズム、生命を持つた自然がある。

 作を貫く線と、それから作の周囲にあるひろい宇宙と、それを常に念頭に入れて置いて、そして図を構へて行く。

 それから、シーンの取扱方なども、矢張その構図の中に属する。省略と言ふことは、むしろ表現の法を言ふべきものであるが、しかしシーンの連続などと言ふことについては、何うしても、その省略を持つて来なくつてはならない。

 シーンの取扱方は、全体の構図の一部分、乃至全部で、その取扱如何に由つて、構図がすつきりしたものにもなる、混乱したものにもなる。

 ゴンクウルはこのシーンの取扱方に、最もすぐれた主観を持つてゐる作家であつた。『陥穽』にしろ『フオスタン』にしろ『シスター、ヒロメーヌ』にしろ、全体の構図をこのシーンの取扱方で鮮かにまとめて行つた形は見事であつた。或は議論、或は対話、或は全く地の文と言ふ風に章毎に心を用ゐてそして線がすこしも歪んだり、偏つたりせずに、すつきりと『自然』に肉薄して行つてゐるさまは、後学者が是非学ばなければならない大きな構図である。

 その他構図の旨い外国の作家は、フランスでは、モウパツサン。ロシアではチエホフ、ザイチエフなどがある。ドイツではハウプトマンが旨い。


七 短篇と長篇


 短篇と長篇とでは、構図、構成の方法も余程違つて来る。

 短篇は何うしても断片的である。人生と宇宙について、作者が大きく且長く見るといふよりも、ある一角をつかんで、かげにその全部をほのめかせるといふ形がある。内容は短篇にも必要だが、長篇ほど重きを置かれてゐない。

 短篇とスケツチ、これをあるものは一緒にしてもゐるが、矢張、根本に於て、約束のちがつたところがあると私は思ふ。スケツチには、表現の方法がおもで、構成、構図などといふことは余りない。

 自然に出来た形はあるが、約束としては、まア無い。そこに行くと、短篇にはちやんとした芸術的の約束があつて、十分な構成と構図とを持つてゐなければならない。

 短篇は誰も先づ一番先に始めて見る。短かいから失敗しても、さう失望しないでも好い。構図、構成を修養するにも、都合が好い。

 私は短篇が好きで、昔から随分沢山につくつた。書生時代にも、毎月一つや二つは屹度きつと書くことにしてゐた。今、読んで見ると、随分つまらないものも多いが、それでも熱心にやつて見たものだ。しかし短篇は、兎角思ひ附きを書くので、何うもつまらないものになつて了ふことが多い。思ひ附きから材を得て来ても好いが、成るだけ深い根本的の題材が必要だ。

 日本で一番短篇に力をそゝぎ、又、すぐれた短篇を書いたものは矢張、国木田独歩だと私は思ふ。独歩は常に短篇について気焔が高かつた。『短篇々々つて言ふが、短篇だつて、長篇よりむづかしいよ。僕等のは、決して短篇だからつて、楽に考へてゐるのではないからね』こんなことを常に言つてゐた。それだけかれは短篇に重きを置いてゐた。

『都の友へB生より』を書いた時だと思ふ。かれは病んで伊豆の湯河原に行つてゐた。四五十枚のものになると思つて、予め構成を考へて、約束した雑誌社へもその旨言つてやつた。ところが、何うしても出来ない。日限が迫つて来て、催促の電報が来ても出来ない。いろ〳〵に悩んだ後、出来たのを見ると十枚位しかない。困つたが、何うも仕方がない。それをそのまゝ雑誌社へ送つた。

 かれは後で言つた。『君、五十枚が十枚になつちやつた。その代り、ごた〴〵したものがなくつて、サツぱりして好い。あれでも、他の奴が五十枚でも六十枚でも書けないやうな処を書いてゐるからな。短篇はごく短い方が面白い。短刀でぐさとえぐつてやる方が有効だよ。』

 実際、独歩にはすぐれた短篇が多い。『疲労』『泣きわらひ』『ひぢの侮辱』中でも『肱の侮辱』などは確かにチエホフの塁を摩してゐる。あゝいふ短篇は、小さな真珠は、容易に拾へるものではない。

 短篇は殊に、描写を必要とした。すつきりと描いて放つて置いたやうに、何とも言ふに言はれない好い味がするのである。長たらしい叙述や、物語は短篇には殊に禁物だ。

 短篇小説といふものも、何方かと言へば、近代文芸の所産である。殊に、フランス文学の所産と言つても好い位である。百年前には、短篇はあつても、今日のやうな気の利いたすぐれた完成した短篇ではなかつた。ロシヤでも、ドイツでも、乃至イギリスでも、短篇小説の完成は、近代期に属してゐる。その中で本家本元と言つても好いフランス文学ではバルザツクあたりにその萠芽を発して、アルフオンス・ドウデエ、フランソア・コツペイ、ゾラ、それからモウパツサンの巨匠へと行つた。短篇小説の作家としては、モウパツサンは、フランスばかりでもなく、ロシア、ドイツ、イギリスへとその感化を及ぼした。その証拠には独逸のモウパツサン、イギリスのモウパツサン、ロシアのモウパツサンなどといふ名目が出来たのでもわかる。ロシアでは、ツルゲネフあたりから短篇が段々出来て来た。『猟夫日記』などその短篇の先駆であると言つて好い。しかし、かれの短篇はまだ完成した短篇ではない。かれの後に、チエホフが出て、これが矢張、フランス文芸の感化を受けて、フランスに於けるモウパツサンと同じやうに、新代の短篇を完成した。

 チエホフは、短篇作者としては、ロシアでは群を抜いてゐる。近頃新しく出たザイチエフ、ソログーブなどでも、短篇作者としては、未だにチエホフの後塵を拝してゐる形である。

 ドイツでは、三四十年前に、有名なパウル・ハイゼが短篇作者としてきこえてゐた。数も沢山にあるが、何方かと言へば長い方で、チエホフやモウパツサンのやうな二三頁のものはない。それに、形式がやゝ旧い。見方も作中人物に好悪をつけたやうなところがある。しかし短篇を作るには、矢張読んで見る方が好い。

 私なども時々思ふ。本当に短かい短篇を書いて見たいと……。三四枚から五六枚せい〴〵長くつて十枚の上に出ないやうなもので、ぐん〳〵人生と人間との状態を鋭く且つユウモリスチツクに扱つて見たいと……。しかし、これが容易な業でない。独歩が言つたやうに、矢張、好い加減の長いものを書くよりも難かしい。私は二三年前、『湖上』『風呂』などといふ短篇を書いたが、あゝいふものを多く書いて見たいと今でも思つてゐる。

 日本でも、短篇は毎月かなりに沢山雑誌に出るが、すつかりコツをつかんだ、すつきりした、無駄のないものは余り沢山はないやうである。白鳥、小剣諸君の作には、しかしちよつと及び難いものがある。チエホフやモウパツサンの集中に置いても耻しくないといふ作も二三ないではない。しかし、短篇作者としての地位を、独歩だけに占めた作家はまだ出ないやうである。

 長篇は短篇に比べると、その内容も豊富でなければならず、構成も十分にやらなければならず、材料も細かく精しく調べなければならず、短篇のやうに手取てつとり早く出来ない。それに、長篇は何うしても、人が読むのに大儀がる。紅葉山人が言つたが、『五六百枚の長篇を書いて、それを人が読んで呉れるやうになれば、もう立派な作家である』実際さうだ。短篇なら、ちよつと読んで、すぐ捨てるなり何うなり出来るが、長篇では、仲々さうは行かない。それだけ長篇には、長い努力と熟達と才能と忍耐とを要することになるのである。

 私などの経験でも、短篇から長篇に移つて行く時には、一方ならぬ苦痛と不安とを感じた。実際、その大きな構成が完全に出来るであらうか。細かい部分部分を如何やうに大きく組み立てゝ行かなければならないか。一方描写に全力をあげると共に、一方排列と整正とに就いて深く考へなければならず、つぶさに製作力の貧弱なのを悲しんだ。ある処は叙述が説明に陥るのを憂ひ、ある処は会話と会話とのつなぎの十分でないのをなげいた。しかし何うやら彼うやら『生』の一篇が出来た時には、ほつと呼吸をいた。島崎君が、『破戒』を完成するまでの辛さも並大抵ではなかつたらうと思ふ。

 長塚節君の『土』は日本での長篇のすぐれたものであるが、それでも、何処かに構成上、統一の取れてゐないやうな欠点を認めることが出来る。青年時代に、長篇に筆をつけるといふことは仲々難かしいことだ。

 ドイツでは、長篇と短篇との区別を、単稗たんはい(Novelle)複稗ふくはい(Roman)にわけてゐて単に長短の別を以て区別せず、内容でそれをわけてゐる。単稗は断片的に人生と人間との一角をつかんで描写したもの、複稗は一の因が他の果を生じ、一の糸が他の糸をつなぐといふ風に、連綿として長くつゞいて行つてゐるものといふ風にしてゐる。これも面白い。

 それから、短篇作者と長篇作者とは、多少違つた才能を要するといふやうなところがある。何うも短篇と長篇とでは、構図と構成とのコツが違ふ。それから内容の取扱方もちがふ。長篇には、じつと落附いて構へて書かなければならないやうなところがあり、短篇には、神来の興を利用して、突嗟にそれを書く方が好いやうな処がある。

 その証拠には、短篇作者としてのモウパツサンは長篇を書いても、何処か短篇らしい構図と構成があつて、何うも長篇作者の長篇と言ふ気がしない。フロオベルの長篇などと比べて見ると、殊にさうである。『マダム・ボヷリ』は何うしても長篇らしい長篇だが、『死の如く強し』や『ピエル・エ・ジエン』は何うも短篇らしい長篇である。構成が大きくなく、内容が複雑してゐず、何処か一本筋にすぎるやうな感じがする。

 短篇のスケールでは、長篇は出来ないと同じやうに、長篇の構成では、短篇は出来ないやうな処がある。


八 想像と事実


 想像と事実との交錯も、小説作者に取つて深く考へなければならないことである。

 Imagination なしでは小説は出来ない。これは言ふまでもないことである。想像の豊富な人だけそれだけ天才の部分が多いと言ふことが出来る。

 想像は作者に取つて、ある深い神秘の扉をひらく鍵である。

 従つてすぐれた作家は、最も複雑した想像を持つた人でなければならぬ。好奇心などの非常に深い人でなければならぬ。他人の容易に入つて行くことの出来ないところまで深い想像を逞うするものでなければならぬ。現に、昔は、ロマンチツクな文芸は、主としてこの想像の力に由つて、芸術を産み出した。

 アラン・ポーの想像力などは、殊に、今日でも我々を驚歎せしめることが出来る。真似したくもちよつと真似の出来ないほど奇怪な想像力である。ドイツのホフマンなどもさうである。ユーゴーなども大きな想像力を縦横に駆使した。

 しかし、この想像力の駆使と言ふことが、その時分と今とでは、非常な差異を生じて来た。今ではポーのやうな作家は出て来ない。又ユーゴーやドユマのやうな想像で小説は構成されない。これと言ふのも、例の科学思想を通過したと通過しないとの区別であらう。

 科学思想はこの想像の標準を極力下にさげた。価値以下に下げたと言つても好い位にさげた。事実を絶対に重ずる科学は、想像してゐるよりも、先づ実行にと進んで、何んな事実にでも打突かつて行つた。そしてそれを冷静に解剖した。確かに、この科学思想は、昔の文芸と今の文芸とに劃然たる区別を劃せしむべく働いた。

 これを実際の方面に向つてあてはめて考へて見る。想像と言ふことは、何うしても真に迫らない。本当らしいといふ処までは行くが、本当といふ処までは行かない。実際を中心にして、想像はいつもその周囲をぐる〳〵廻つて、その核心まで入つて行かないといふ形である。想像は第三者と言ふ境地で、実際そこに当つてやつてゐる人の心理とは、余程離れてゐる。中ぶらりんである。その証拠には、世間の噂話うはさ(第三者)といふものは、大抵はその真相までは入らずに、その周囲をぐる〳〵廻つてゐるといふやうな形である。想像でやつてゐるからである。事実がその背景を成してゐないからである。こゝに例を引いて見ると、大杉事件のやうなことがあつたとする。世間の噂は大抵は想像である。その真相にふれてゐない。第三者としての観察きりしてゐない。ところが、私なら私が、大杉事件のやうなことを一度何処かで実行したことがあるとする。つまり事実にふれてゐたとする。と、その私の大杉事件に対する観察は、もう決して世間の噂話ではない。第三者的ではない。想像ではない。それは大杉の事件でなくて、私の事件である。少くとも当事者の深い心理まで入つて行つて、同感もし、批判もすることが出来る。此処である。想像と事実との交錯した、作家として世に立つのに最も必要な深い自他融合の境のひそんでゐるのは!又、此処である。科学思想が事実と言ふものに立脚して、昔の文芸を遺憾なく改革して了つたのは!

 今の小説は、尠くとも此処まで進んで行つた。進んで行つてゐないものは、此処までは是非とも進んで行かなければならない。こゝに現代の小説の根本義が横つてゐるから、また此処にすべての小説作家としての最高の意義がよこたはつてゐるから……。

 想像を排すとか、想像だから駄目だとか言ふのは其処を言ふのである。第三者的、噂話的の徹底しない、真に迫らない境地に安んじてゐられないから、それで言ふのである。真に迫らう、『自然』に迫らうとするからそれで言ふのである。

 経験と言ふことが重ぜられ、事実といふことが権威つけられて来たといふ意味も、それでわかるであらうと思ふ。又、想像といふことも、作をするには必要であるが、それにばかり頼ることの危険なこともわかるであらうと思ふ。

 しかし、この事実といふことに対して疑ひをさしはさんだ議論も沢山出た。しかし、その多い議論の中で一番価値のあるのは、事実の奥に横つてゐる、科学でも何うすることも出来ない神秘な境にまで入つて行つて、事実にさう絶対の権威を持たせるのは危険だと言つた議論であつた。成ほど、事実と言つても、現はれた事実そのものだけが総てゞはない、人間にはわからないことが沢山にある。深く入れば入るほど『自然』はわからない。或は人間は死にまで到達して、それで始めて『自然』がわかるやうなものかも知れない。だから、真に迫ると言つても、無論、それは程度の問題である。昔の文芸よりも、今の文芸の方が『真に迫る』程度がすぐれてゐるだけだと言へばさうも言へる。これが即ち自然主義の後に象徴主義あり、神秘主義ある所以である。ユイスマンが『En Route』から猶奥深く入つて行つたのもそれである。モウパツサンが狂死したのもそれである。メイテルリンクなどの運命観、自然観などの出て行つたのもそれである。ハウプトマンが始めに『日出前』や『さびしき人々』を出し、後に『沈鐘』や『ヒツパ、タンツト』や『ハンネレ』を出したのもそれがためである。イブセンが『社会の柱』などから『ロスメルスホルム』や『我等蘇生の日に』に進んで行つたのもそれがためである。しかし、そこまで入つて行くことは、我々は大に考へて見なければならない。うか〳〵して入つて行かれない、模倣位の単純な心で入つては行かれない。何故なら、其処は入ると出て来られなくなる洞穴であるかも知れないから……。また無闇に入つて行つても入つて行けないやうな深い〳〵深淵だから……。

 だから、さういふ境があるといふことは、予め承認して置いて、(それは想像で入つて行ける境ではない)先づ事実に立脚して、そして研鑚して見なければならないと言ふことを私は信ずる。尠くとも、事実をたどつての一歩々々は、危険でないが、想像に由つての一歩々々は、思ひもかけない陥穽の中に陥つて了ふやうな危険がある。

 で、此処では、事実と言ふことを出発点にする。さて、今度は事実を研究するに就いての態度と言ふことが問題になつて来る。事実を現象そのものとして見るか。又は事実そのものに対して興味を持つて見るか。又は人道主義者のやうに同情を持つて見るか。かういふ問題が起つて来る。

 無論、科学的思想では、事実を現象そのまゝに見てゐるのはモツトオであり、知識的であり、学問的である。これはフランスのゴンクウル、フロオベルなどに一番よく現はれてゐる。しかし、これもやるべきものはやり、行くべきところは行きつくしたといふ形がある。それに、作品としての興味とか生気とか主観とか言ふものを非常に減殺するやうなところがあつて、一番第一義的ではあるけれども、小説としての、ある約束を余りに多く破つて了つたといふやうなところがある。

 では、事実そのものに対して興味を持つて見るといふ態度を取るか。これは即ち享楽主義、放蕩文学などゝ言はれた文学や、事実の中から面白いものを抽き出して来て書く文学や、興味中心の文学(低級の興味中心ではない)や、作者が事実の興味の中に浸つて書く文学や、さういふものがこれに属するのであるが、これにも弊は尠なからずである。第一にあまり楽である。またあまりに肯定にすぎてゐる。それに、興味のある部分だけを抽き出して来るから、小説として読んでは面白いが、何うも『真に迫る』程度が足りない。大きな『自然』などは其処にあらはして来ることが出来ない。芸術の根本義である第一義的のところまで進んで行くことが出来ない。

 では、今流行してゐる人道主義者のやうに、同情、同化を以つて、事実に対する態度を取るか。

 ドストイエフスキーなどはこの道を取つて、そして、事実以上の宗教とか神秘とかいふ境まで入つて行かうとした作家である。日本にもこの気運はかなりに著しく動いてゐる。若い作者中条百合子の『貧しき人々の群』などはこれに属する、かういふものもあつても好い。殊に日本にはかういふ傾向の作品は尠いから、盛んにさういふものゝ出て来るのも好いことである。しかし、作者の心持が、事実そのものゝ渦中に入つてゐるから、またその心持が事実そのものとレベルを同じうしてゐるから、一方、本当のことが出て来ないと共に、読者が作者に引張られ、説明せられて、その作者の見た事実の中に余りたわいなくれられて行きすぎるやうな不満と不平とを、やがて読者は抱いて来るであらうと思ふ。それに、かういふ態度にゐる作者の人生観は、わるく社会といふことのみに引張られて行つてゐて、貧富とか、艱難とか、幸福とかいふことを余りに多く問題にしすぎてゐる。だから、無論『迫真』の度数が足りない。この態度では、真に迫るといふことは、真に迫るといふことが目的でなくつて、読者に同情を促すための迫真か、でなければ作者自身がそれに浸つてゐる迫真であつて、真が本当の真でない。作者のつくつた真、又は作者の好んで入つて行つた真である。わるくすると、読者はまるつきり思ひもかけない作者の別天地につれて行かれる。

 トルストイは、ロマン・ロオランにかつがれたり、又、今の人道主義者にかつがれたりするが、しかも、トルストイ自身は決してこの態度でなかつた。トルストイほど事実を尊重し、事実の権威をみとめ、事実万能を信じた作家はない。トルストイは常に徹底した『迫真』を心がけてゐた。それはかれの作品を見ても、かれの一生を見ても、よくわかる。又、メレジコウスキーのやつた有名な評論を見ても、トルストイは Flesh and blood の詩人であつたといふことがわかる。ドストイエフスキーとは丸で態度が違つてゐた。むしろトルストイはフロオベルと対照して考へて見て好い詩人であつた。唯、かれはロシア文芸の中心傾向として、フロオベルとちがつて主観的であつた。

 まア、しかし、かういふことは、此処で余り深く入つて議論したつて仕方がないが、兎に角この事実に対する作者の態度、この態度は大切なものであるから、これは平生念頭に置いて、常に深く考へて見なければならない。

 それに、又かういふことも云へる。この事実に向つての三つの対し方、これは孰れも別々個々の作家の態度の区別ばかりではなく、一人の作家でも、をりに由り時にふれて、この三つの対し方をすることがある。心の持方とか、気分の加減とか、乃至は年齢の具合とかで、現象風に見るやうになつたり、興味的に見るやうになつたり、人道風に見るやうになつたりする。しかし、何を措いても、『真に迫る』『自然に肉薄する』と言ふことは、第一モツトオであるからして、これは忘れてはならない、これを忘れては何うしても第二義的になる。

 それに、前に言つた想像と事実との交錯、現代文芸がつかんだ事実、これも小説作家の常に念頭に置かなければならないことである。理想的に、乃至主観的に出て来るにしても、昔の文芸のやうに、自然派以前の文芸のやうに、想像、空想を駆使することにのみつとめて、事実を忘れては、現代的小説は書くことは出来ない。想像、空想の作品にしては、その作品は必ず『事実』『真』『自然』をその背景に持つてゐなければならぬ。


九 作家としての痛苦


 作家は誰でも必ず芸術と生活の間に横る痛苦をめて来ないものはあるまいと私は思ふ。

 勿論、これは作家としてばかりでなく、人間の背負つた痛苦である。人間の運命、性格に対する痛苦である。

 しかし芸術家としての痛苦は、普通の人間とはまた違つたところがないでもない。

 外国の作家などに例を取つて見ても、作家は皆々一倍多く『人間苦』に苦んでゐる。トルストイのある深厳な悲惨な生活、フロオベルの如何ともすることの出来ない重荷、考へて見ただけでも烈しく心をたれずには居られない。ゴオルキイもあまり楽な作家ではなかつた。モウパツサンはあの通りの最期を遂げた。その他ユイスマンスにしろ、ドストイエフスキーにしろ、ゾラにしろ、すべて恐ろしく痛苦を嘗めた。

 普通に諸君達が考へたら、小説家なんと言ふものは、のんきで、派手で、好いものだと思ふだらう。自由で勝手なことを言つてゐられて好いと思ふだらう。しかしそれは他から見たことであつて、火と水の中にも入つて行かなければならず、悪魔の洞穴の中にも入つて行かなければならない、芸術家の痛苦位辛いものはない。モウパツサンは、これを『水の上』中に書いてゐる。皮剥かはゝぎの苦痛、一枚一枚皮を剥れて行くやうな苦痛、かう言つてゐる。

 作者が皮肉になり、否定的になり、厭世的になるのも、さういふ処があるからである。しかし、それは根本的痛苦で、決して社会的痛苦ではない。評判がわるいとか、金が取れないとか、名誉が得られないとか、人に尊敬されないとか、さういふことではない。もつと根本である。モウパツサンの狂死は、多少追跡狂らしい処もあつたにはあつたかも知れないけれど、そればかりではない。では、何故作家はさう辛いだらう、痛苦だらうと言ふ。私もさういふ風に度々自分に反問して見た。それは矢張『真に迫る』痛苦である。そこから起つて来る痛苦である。自然は人間にその深奥なところを見せないといふ法則であるのは、──動かすべからざる法則であるのに、作者はその禁制の『自然の深奥』を開かうと心がけてゐる。そこからその痛苦が起つて来るのを私は思はずには居られない。

 メレジコウスキーの書いた『フロオベル論』の中には、この間の消息がかなり詳しく書いてあつた。普通の人間にはなくて済む孤独の深淵 Tropondor の最後の一人になつたやうな孤独の痛苦、さういふものが、作者の心と体とを粉韲ふんさいせずには置かない『真』に迫ることの難いのを私は痛感せずには居れない。


十 象徴といふこと


 前に事実を説いた。

 そしてその上に、乃至はその奥に、神秘な深奥な境が、千古斧鉞ふゑつの入らないやうな深林しんりんが、人間の知識や感情では何うしても入つて行くことの出来ないやうな境があることを言つたが、さういふ境であるにも拘らず、作者はよくそこに入つて行つては、その扉を叩いて見る。

 開かない扉を……乃至はそこに入れば死に面せなければならない扉を……。

 この境をも小説作者は常に深く考へて見なければならない。

 大抵、事実に深く渡ると、其処まで行かなければならないやうに、作者は段々なつて来るのであるが、此処は所謂象徴の境、神秘の境、神の運命の境と言つたやうなもので、容易にこれを窺ふことが出来ない。

 自然主義、享楽主義、人道主義の上にこの深い深い象徴主義!

 外国の作家も、事実の解剖に解剖を重ねた結果、遂に其処まで入つて行かうとした人が尠なくなかつた。モウパツサンにもそれを認めることが出来るし、ユイスマンスにも、トルストイにも、フロオベルにもそれを認めることが出来る。

 しかしこの象徴の境は、非常に難かしいものである。メイテルリンクや、イブセンや、ハウプトマンなどが、いくらか足を踏み入れてはゐるが、寧ろさういふ作家の作にしての象徴よりも、モウパツサンや、トルストイやユイスマンスの心としての象徴の方に深い価値があると私は思ふ。

 象徴主義は一時自然主義に代るべき主義として世に騒れた。それを旗幟きしにした作家もかなりに出た中でも、メイテルリンクは其チヤンピオンのやうな形の歓迎を受た。白耳義ベルギーの若い作家の群の中には、ロオデンバハなどゝいふ作家もゐる。イタリイのダンヌンチオなどもさういふ方面に足を踏み入れて行つた。ドイツでもその運動はかなりに盛で、象徴的作品が頻りにあらはれ、ロシアでも若い作家の群がこれに応じた。ストリンドベルヒのやうな作家までも象徴劇を三つも、四つも書いた。しかし、この象徴的傾向が何の位まで『事実』の上の『神秘』の扉を開くことが出来たであらうか。

 メイテルリンクの運命観、自然観、それもトルストイや、フロオベルやユイスマンスの考へたものに比すれば、非常に若々しさにすぎる。概念として、思想としては、かなり深い処に到達したやうに思はれるけれども、それは決して作者自身が自己の全人格全芸術を以て、開かない扉に向つて打突ぶつかつて行つたといふ風ではない。であるから、かれら象徴主義も沈黙せる心理を劇にしたことと、運命と人生との多少の交錯を中心内容にしたこととに価値を発見する位で、さう大した『神秘』の中に入つて行つたとは思はれない。或はこの人の象徴劇よりも、ハウプトマンの象徴劇の方が価値が多いと思はれる位である。ダンヌンチオも一種の贅沢な不可解の文芸の中に落ちた。トルストイ、ドストイエフスキーに比して、更に Dawn をメレジコウスキーから期待されたゴオルキイも、ねつから行くところまで行かずにしまつた。事実の上の『神秘』の扉は、矢張容易にひらくことが出来なかつたのである。

 そして、再び行き詰つた文芸は、今度は『事実』の尖つた方面、深奥な淵に面した方面、さういふ方面に向つて手をつけることになつた。自然主義後派(内面派)が更にその尖鋭せんえいを示して来た。そして又一方では、ロマンロオランのやうな作家が出て来た。

 しかし、自然派の巨匠が一生をそれに捧げて懊悩し、苦悶し、絶望した結果は、効果なしには終らなかつた。事実の上にある『神秘』さういふことを、作家達は多く考へるやうになつた。それを如何にあらはすべきか。又それをいかに開くべきか。人道的に進んで行くか、それとも自然主義後派のやうに進んで行くか、それとも亦現象的にして不断の態度をつゞけて行くか、それはその作者、又はその作派の如何に由つて、その執る道は異るであらうけれども、兎に角、これからの作家は、今までの作家のやうに『事実』に苦しまなくとも好いやうな道が開けた。そこに、今回のヨオロツパの未曾有の大戦が起つた。

 この大戦なども、思想的から考へて見たなら、十九世紀から二十世紀にわたつて澎湃として起つた Sturm und Drung の大きな『あらはれ』であると言はれ得る理由がある。 Socialism, Individualism, Egoism, Misticism さういふものゝ混乱して巴渦うづを巻いたその最後に、あゝした人類の無数の血を流すといふことは、そこに何等かの深い神秘な暗示がかくされてあると言はれ得ると私は思ふ。

 しかし、この象徴といふことは、中々言ふべくして行はれ難いものである。それは、今の若い作者達のやつてゐるやうなもの、──形式だけ象徴めいてゐて、内部は神秘でも何でもないやうなもの、『真に迫る』運動でも何でもないやうなもの、さういふものならば、いくらでも出来るであらうけれど、作者自身が心にも体にもそれを、その神秘を痛感して、事実の上に築き上げられた『完全な自然』を体得して、そしてある境を新たに開いたやうな作品は、作家は、容易に得らるべきものではない。しかし我々は、お互に開けない、或は永久に開けないかも知れない扉に向つて痛苦を忍んで進まなければならないのは、事実である。

 だから、諸君も、とても楽に暢気に考へてゐては決してさういふ境には、一生かゝつても手を着けることが出来ないから、今の中から、そのつもりで、事実にも深く触れ、自己も深く探り、『自然』をも十分に見るやうに心がけて、先人のあとをふみつゝ、ます〳〵その深奥な『自然』に面して勇しく進んで行かなければならない。小説は決して楽に、簡単に出来るものではない。この世の中にある事業の中の最も至難な事業である。

底本:「定本 花袋全集 第二十四巻」臨川書店

   1995(平成7)年410日発行

底本の親本:「毒と薬」耕文堂

   1918(大正7)年115

初出:「青年文壇 第二巻第一号~第七号」

   1917(大正6)年1月~7月

※初出時の表題は「新小説作法」です。

入力:tatsuki

校正:岡村和彦

2018年1224日作成

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