馬車
横光利一



 由良は多木の紹介で脳に特効あるという彼の郷里の温泉へ行くことにした。医者は由良の脳病の原因を疲労の結果だというのだが、とにかく満ち溢れていた水を使い尽してしまった後に起るあの空虚な皮質ばかりを、露骨に頭脳は絶えずがんがんと感じるのだ。文字を見ていても、行と行とが浮き上って紙の上で衝突を始めたり、物事を考えていても、それが心の中で言葉となって進行を始めかけると、もう言葉そのものが前後を乱してばらばらに砕けてしまい、あちらに動詞が散ったり、名詞ばかりがぴたりと一定の所に停止してしまったりして、頭の中では、秩序がも早や頭脳の存在そのものとだけなって、不安が一層激しく増して来るばかりとなって来た。或る日由良は医者に見て貰うために知人の医者の前に立った。すると医者は、「たとえば君は街を歩くだろう、その場合どちらへ行こうかと考えても、君の頭はもういけない。とにかく、一切合切思考するということがいけないのだから、その覚悟で一年を暮すよう。」と由良に云った。考えてはいけない、──つまり大人でありながら、感性ばかりの三つ児のようになって生活を一年の間せよというこの難題に逢うと、由良はこれは狂人になっておれと云われたのと同様だと思った。しかし、由良は多額の金銭を所持して一年の間ぶらぶらしていることはとうてい出来る身分ではない。そればかりではなく、彼によりすがって生活しなければならない小さな弟や母まで後ろにひかえているのだから、医者の言葉は由良にとってはひどく無慈悲なものに感じられた。由良はその日から暫くの間は、眼を使わなければならぬ仕事や遊びやその他の行動はなるだけしないように気をつけて、専ら眼を瞑ったまま音の世界を身近にひきよせるような工夫をしようとした。音ならこれには今までからあまり由良の頭は刺戟せられて来ていないので、眼の世界に刺戟せられるよりも、はるかに頭脳を休めるにちがいないと思われたからである。或る日、彼は多木が彼のところへ遊びに来たのでそのことを話すと、それでは自分の家の近所に人に知られていない温泉があるから、癒るまでそこに居るよう、費用は家へは払わずに直接自分の所へ送れと自由なことを云ってくれたので、早速由良は多木の紹介で彼の家へ出かけることにした。

 そうでもしなければ、自分の頭の悪い部分で自分の頭の悪い部分が良いか悪いかと考え続けるそのことすでに、頭を一層悪くしていくばかりなのだから、彼の狭い部屋にじっとしている限りは、いつまでたっても頭は癒らないにちがいなかった。──


 多木の家の山中の温泉は殆ど歯朶しだ類の中に埋れているといっても良いほど、山は一面にのこぎりの歯のように鋭い青葉でもって満ちていて、足で踏む苔の下からは、ときどきじっとりと水が指の間へにじむような、自然な風景にとり包まれた穏やかなところであった。湯水は絶えず底の岩の裂け目から出て来て、そのまま、そこで溜り込んでいるものだから、村人たちばかりが自由に行ける至極のんびりとした温泉であった。由良は着くなり多木の家の離れへ入れられたばかりではなく、温泉そのものがそんなにも自然の風景からばかりなっているのでもう初めから大満足で、これなら頭もしばらくすれば必ずなおるであろうと喜んだ。彼は朝起きると一回湯につかり、午後一回、それからたまに寝る前に一回と初めは三回ほどにして、退屈すれば周囲の山や野の中を歩き廻ることにした。

 着いて二日目の午後も、彼は前日のようにたけなす草むらの中の山径を歩いてみた。すると、彼の行く手で木の幹に添ってひとりじっと立っていた見も知らぬ男が、由良の顔を見るといきなり黙って静に鄭重なお辞儀をし始めた。彼も知らない男とはいえ、そんなにされると勢いお辞儀を返さねばならぬので会釈をすると、その男の最初のお辞儀はそのまま上らずにどこまでも下へ下へと下っていった。それはまるで端正な体操のような格好のお辞儀なので彼もひどく驚いたが、多分これは狂人かそれとも自分のように頭の悪い、病人であろうと思ってひっかからずに行きすぎた。しかし、しばらくいくと、今度はじっと蹲んだままうつ向いて頭をかかえていた一人の男がぶつぶつ草の中でひとり言を云ったまま由良の来たのも気附かないのだ。由良はこういう狂人じみた男がわずかに数町と歩かない間に二人もいて、しかもその他の健全な人間には一人も逢わなかったのだから、この附近一帯はもしかすると、自分のように温泉の効能をききつけて集って来ている頭の悪い病人たちで満ちているのではないかと思い出した。ところが彼のそんな疑問は今更仰山に驚くに足らない当然なことで、頭に効く温泉ならそのあたりいちめん頭の悪い患者でごろごろしているのは定ったことであった。三日四日と日を重ねるうちに、湯に浸りに来る者達は、みなそれぞれどこか由良自身のように頭に奇妙なところをもっていた。初めは彼らもちらりと見ただけでは、別にどこといって変ったところはないのだが、話しているうちにそろそろ一点ずつ朧ろげにとぼけたようなところを現し出して互に腑に落ちかねるようなところでもどんどん飛ばして勝手気儘に話すばかりではない、人が聞いていようといまいとかまわず、その地方の祭りという祭りの日を暦のように暗記していてべらべらと饒舌るものや、湯につかっているときに突然畜類のような長い舌を出して顎をぺろりと舐め廻すものや、そうかと思うと人を見ると必ず枕のことばかり話し出して、枕は一日のうちの三分の一時間は頭へ昇る血を首の所で停める作用をするものだから、枕の柔軟硬度に気をつけなければ頭の病気もいえるものではないと得意気にいう天理教信者らしいものや、横見を決してしたことのない女や、ときどき湯の中で奇声を発すると、急にびりびりと慄え出してとまらぬ舞踏病患者などがあって、まるであたり一面の歯朶の山野は狂人の放し飼いをしてある牧場みたいなものであった。由良は初めのうちは、人々と一緒にじっと湯の中で水面から顔だけ上げて、じろじろ黙ったまま見合っているのは何となく無気味に感じられた。皆それぞれどこか頭に怪しいものを潜ませているのだから、静にじっとしていても、いつ何ん時どのような発作を起して飛びかかって来ないものとも限らないのだから、考えればむしろそれほど恐ろしいことはなかった。しかし、そんなことさえ考えなければ、真上は空で雲の流れも樹を渡る風足も直ぐ肌に感じられるのだ。湯に蒸されれば冷えるまで岩の上へ寝そべり、冷えればまた浸りして、一日中動かなくとも黙っていようとも誰に気兼ね一つする要さえない。それに新しい湯の客といっては由良以外にないのだから、一度逢って病人の質さえ知ればもう誰も恐れる必要はないのであった。それで由良も今は何を心配しようとももうこうしているより仕方がないのだし、出来る限りはのんびりすることに気をつけて、湯にいるときには、村で共同に飼ってある鹿が近かよって来ると鹿と遊んだり、岩の上に寝そべっては湯口に黄色く沈澱している硫黄をとって溜めてみたり、湯の底に生えている藻の花を眺めたり泳いでみたりして楽しむことにつとめてみた。しかし、物を考えてはならぬと注意してぶらぶら遊んでいることは、殆ど死にさえ近い退屈なことだと、彼はだんだんに思い始めた。


 そういうある日、由良はいつものように湯へいくと、いままでそこで一度もみたことのない五十過ぎのまるまると頭を剃ってはいるが、立派な紳士が一人、筮竹ぜいちくを持って岩の上に坐っていた。その紳士は由良を見つけると、しばらく顔や身体をじろじろ見ていてから、「君、君の運勢をひとつ見てあげよう。」といきなり云って、由良がまだ何とも返事もしないのに、もう、五十本の筮竹を額の上まで上げながら、眼を瞑り、はっとかすかに声をかけると二つに割って、左手に握った筮竹を幾本かずつ数え出した。由良は湯に浸りながら、これも頭が多分怪しいのであろうと思って紳士のすることを黙って眺めていたが、そのうちにその紳士は同じことを二度ほど繰り返してからしばらくして石で地べたの上に字を書いた。

「君、君の運勢は今日は駄目だ。天地否なりと出た。万事塞りて通ぜざるとき、隠忍すべしだ。」

 由良は紳士の人の良い綺麗な笑顔を見ると、退屈まぎれに、「それは残念ですね、もう一度見直してくれませんか。二度目だっていいんでしょう。」と云ってからかってみた。すると、紳士は滅相なという顔をして、「それは駄目だ。初筮は告ぐ。再三すればけがれ、涜れば則ち告げずだ。君、一つ筮法ぜいほうを覚える気はないかね。暇潰しに習っちゃどうです。」と云いながら由良の傍へずぼりと浸ったので、由良は面白くなってついそれではひとつ習いたいと云うと、紳士はまた直ぐ岩の上へ這い上って筮竹を持って漢語混りに饒舌り出した。

「昔から易の筮法についてはいろいろな説がおこなわれているが、そのなかで真によるところの出来るものは、本筮、中筮、略筮の三種だけで、他のものはみな牽強附会けんきょうふかいの妄説といっても過言じゃない。本筮は繋辞伝にのべられている十八変の法であって、中筮というのはこれを略して六変とし、略筮はさらにりゃくして三変の法としたものであるけれども、一般にわれわれがおこなおうとするものは三変の法のこの略筮で結構で、いたずらに煩雑な法を用いずとも至誠をつくして占筮をなしたらば一念こって神に通じ、その命示をうけるものであるから、断じてこの三変の略筮をもちいてもさしつかえはない。」

 そんな調子で、その紳士は多分これまでも種々な人々に教えて来たのであろう。すらすらと暗記しているかのような言葉そのままに云い出して、占筮の大法の根本は自分の呼吸にあると由良に説いた。つまり占筮を決定する最初の瞬間である五十本の竹を二つに裂くとき、吸い込んだ息がもうこれ以上は保たないと思ったその刹那、苦しまぎれに何事も考えず、無念無想で最後の力を腹に込めて筮竹を裂くと、そこに神意が自然に現れるのだというのである。紳士はそこの説明になると一段と力を入れて殆ど奇怪なほどに眼の色を変えながら、「易は天地万物の生々化育の根本を説いたてんにおいては、純正哲学ともいうべきであり、また万有相互の変化関係、進退運展のありさまをしめす点においては、自然科学であり、人事の通塞、盛衰吉凶をあきらかにするばかりではなく、各自のとるべき方針をもまた教えるのだから、人生哲学であり処世哲学であって、さらにすすんでは一国の治乱興亡の理数をつくし、これにたいして範をしめすのであるから政治哲学であり、天変地異、風雨の順逆を説き、稼穡播種かしょくはしゅの季節方式をあきらかにするのだから応用哲学であり、実用哲学で、これ以上のプラグマティズムは欧米にも決してない。しかもこのプラグマティズムは教法にして教法ではなく、学問にして学問ではなく、きわめて広大無辺、玄妙幽遠な運命学であるから、虞世南のいうごとくたしかに宰相の学でもある。しかし、その高貴な活用百事の易学も、一番早く易理の核心に通達するためには、他の何事よりも自分の最後の呼吸が肝心で、呼吸のきれる最後の瞬間というものには、天地万物、森羅万象いっさいの性情動作が、空間の霊意となってことごとく自分いっしんのうえに現れるのだから、今やまさに呼吸の切れようとする瞬間に向って精神を統一しなければならぬ。」と云う。

 由良は湯から上って岩の上に並んだまま、歌のような紳士の言葉に聞き耽っているうちに、此の紳士はこれはただの狂人ではなく、たしかに教養は常人以上に優れている人物だと思い始めた。紳士は由良が静かな生徒のように自分を尊敬し出したのを感じたのであろう、しばらくするとそろそろ彼自身の身分を説明し始めて、自分は高等学校の校長をしながら物理化学を教えていたのだが、狂人になったのでこんなところへ来てはいるけれども、今は気は確かだから心配せずに運命学を覚えておくよう、気が狂い出すと自分は押入れの中へ這入る癖があるから、こうして出て来ている間は大丈夫だと云った。それで由良は気が狂っていくときは自分自身に分るものかどうかと訊き返すと、それは明瞭に分るものだという。狂い出すと今まで身体の中央で振子のように左右に動き続けていた針が、だんだんと振幅を狭めて来て揺れ停り、最後にぴったりと真直ぐに停ってしまうと、もうそれからは身体がきれぎれにひきち切れていくようで、激しい不安に襲われるものだと紳士は云った。由良はこういう狂人になる素質の人物が易断をするのは、常人よりもよく適中するにちがいないと思ったので、あなたの易学は多分自分は常人よりも正確なように思うと云うと、紳士は喜ばしそうに勢い込んでまた易の話をし始めた。彼の云うには、自分の易断はよく適中するので専門の自然科学の方がおろそかになって困るのだが、しかし、自然科学と易学との相違は、神秘を神秘として捨て去るのと、神秘を神秘として取り上げるのとの相違があるだけで、他はどこも変ったところはないのだから、易学は自然科学と争うべきところはその神秘を外にしてはどこ一つとしてないと云った。

「譬えば此の温泉の湯は化学的に分析すれば、硫酸と硫酸カルシウムと硫酸ナトリウム、硫酸カリウム、塩酸、硫酸アルミニウム、硅華硫酸鉄、まアそんなものだが、それは人体にとってはどうでも良いので、必要なのはこの温泉が果して病人に効くかどうかということだ。医学的に云えば、此の温泉の湯は先ず第一に皮膚病、殊に癩病に良く、次には脳病、糖尿病、という順序であるが、しかし、それなら果してそれら尽くの病体に必ず効いて快癒するものかどうかとなると、この一番に人体にとって重要なことは、易学でなければ絶対に分らない。すなわち、自然科学の遠く及ばざる所を活躍させる学というものは、自然現象の中にはぜひ一つはなくてはならぬものであって、これを排撃しようとする従来の自然科学者たちこそ、天地自然の大法を知らざる物質万能の畜獣的暗昧者ともいうべきものだ。そもそも易の根本をなす三百八十四交というものは、実に造化の理によって別けられた万象に応じるがための原子の数であって、それらの交の錯綜する相に現れた時理に従い、陰陽の消長を観、剛柔の応比により、進退存亡の機も知れば生存も覚り得るばかりでなく、禍乱を未然にふせぎ、人事百般の吉凶をしめして災害を未発にけす方法を会得させるのだから、易学は霊科学であり哲学である。」

 だんだん紳士の言葉が強くなって、いつ説教が終るとも分らなそうになり始めると、由良はまた湯に浸って、あなたの説はたいへんに面白く感じたが、あなたもこの湯に来られたところをお見受けすると、多分、それではあなたも病が癒ると信じられたのかと訊いてみた。すると紳士は、それはそうだ、自分はこの湯へ来てからもうかれこれ一年にもなるが、今ではこんなによくなって占筮一つとして適中せざるはないと云って、急にからからと高く狂人のように笑い出すと、筮竹を上げて遠くの山裾に見える小さな村落を指差した。

「あそこに見える村はあれは天刑病者たちのいる不幸な村だが、わたしはあの村の者の易をたいていみてやった。ところがどれもこれも皆いけない。わたしは易をみてやってその者の卦が悪く出ると、嘘をつかねば気の毒になって困るので、それが一番この万古不変の哲理の中正を乱していく原因になるのだが、しかし、易道は不幸なものを幸福にするための開運指導の帝王の学だから、不幸なものに不幸を明示して一層不幸に突き落すのは、済世救民の道に反する。それでついわたしも嘘をついてしまって、迷信妄語の狂人易者と冷殺される結果になるのだけれども、しかし、あそこの村の者には、嘘をつく必要が何もない、皆だれも彼も、世の中で一番不幸なものばかりがいるのだから、今までより不幸なことといっては、もう此の世には存在しないのだ、一番人の恐れる死ぬということだって、あの村の人にとってはそれは生きていることよりも良いことなんだから、ああなれば、もうわたしの易も一層何の役にも立たなくなる。どんな悪卦が出ようとも、あそこの人にとっちゃ良いことばかりなんだから、いや、あれこそまことの天国ともいうべきものだろう。つまり、神秘そのものとはあの村のことだ。」

 由良は紳士のいうことをしばらくは何の疑いもなく聞いていたが、突然そのとき、彼の言葉そのものよりも彼の顔面に漂い出した奇怪な微笑に気がつくと、これはまだ此の人も狂人からすっかり癒っていないのに違いないと疑い出した。しかし、それにも拘らず、由良は湯の中から延び上って紳士の指差した侘しげな寒村を見降ろしていると、紳士を今まで疑っていたのとは反対に、それではいつか聞いたことのある癩患者達のいる村というのはもしかしたらそこかもしれないと思われて、だんだん寒さが岩の底から沁み上って来るように感じられた。紳士は由良がいつまでも黙って不幸な人々を想像しながら立っていると、これから自分の宿へ一緒に行く気はないか、行けば宿にある運命学の専門書を貸してやるから、是非一緒に来るようにとしきりにすすめるので、それで由良もふとそんなら遊んでいる暇に易道でもひとつ勉強しておこうという気になって、湯の中から立ち上った。すると、二人が着物を着ているところへ、下からいつも湯へ這入りに来る村人達と一緒に、年の割には落ちついたどこかに陰鬱なほど品位のある一人の娘が登って来て、紳士を見ると、下の方からにこにこ親しげに笑い出した。しかし、紳士はその娘を見ても笑顔一つ返さずに、近づいて来るがいなや、「何だ。」と一言いったままさっさと坂を下っていった。しかし、娘は紳士の傍で何事かひそひそ話しながら一緒にどこまでも下っていくので、由良は後から歩いていきながらも二人の傍へ近よることを遠慮していると、急に紳士はくるりと由良の方へ向き返って、いきなりこれは自分の娘だと紹介した。由良は不意を打たれてどぎまぎしたが、娘も周章てたらしく顔を赧らめて鄭重に会釈をすると、もうそれからは父と由良とばかりに話させるように黙って二人の後から歩いて来た。しかし、由良は娘が自分に会釈したとき、突然現われた思わぬ華やかな美しさに絶えず脊を打たれて、ともすると足が地から浮き上りそうにふらふらするのを感じると、もう不安さが締め上って来て、自分ながら何をし出すか分らなくなって来たので、ともあれ今日はこのまま帰る方が恥をかかなくて良いと思い、そのままその日は帰ることにした。ことに、娘がわざわざこんなに父親を呼びに来るほどの事件が起っているからにはなおさらだ。それで由良はそう彼に云うと、由良をひきとめたときとは反対に、これはまたあまりにもけろりとして、それではまた明日にしようと紳士はいって彼らは別れてしまった。

 由良はそれからは所在もなくなると紳士と逢って話をしたいと思ったが、紳士はそれぎりもうぱったり来なくなったので、また由良は退屈な枕の話や、横見もしないで黙ってばかりいる女や、長い舌で顎を舐め廻す癖のある白痴などと一緒に、石の間から出たり這入ったりして日を送らねばならなかった。しかし、紳士と逢ってからは、湯の中から立ち上ると、彼の指差した天刑病患者達のいる村ばかりが視野の中から強く眼を刺して来て困り出した。いくら眼をその村から反らそうと思って用心しても、もうそう思ったが早や、ちらりと見てしまって駄目なのだ。

 この彼に襲って来た新しい習慣は、例えば、彼がいつも一番好んでぼんやりする、岩の隙間に密生した蘚苔せんたい類の華奢な花や、白く縮れた長い蘭の浮き上った根の間から空を見上げていたり、鹿の斑点に揺れる歯朶の歯のさわさわと風のように移動していく山面を見ていたり、山の頂き高く円を描いて遊泳している鳶の豊かな均衡を見ていたりするときなどにでも、ふともし山裾の不幸な村を浮べて来ようものなら、もう彼の周囲の湯水は硫黄の匂いを立てて波を上げるのが例であった。それはどんなに彼自身に関係のないことだと思おうとしても、自然の風物そのものが由良には陰鬱に見えて来てならぬのだ。あるとき由良はそれでは誰かに一度はっきりと、その眼に見える村は事実不幸な村であるのかどうかを訊き正そうと思って、そのとき丁度彼の傍で岩につかまったまま、ぶくぶく湯の中へ頭をつけたり出したりしていた天理教の信者に訊いてみた。すると、信者はあれは矢張夢殿村という不幸な村だと説明して、まだ今までお前は知らなかったのかというかのように、村の生活や外部との交渉などこまかく話し始めた。彼の話によると、不幸な夢殿村には商店もあれば旅館もあり、労働者もいれば音楽団もあるが、皆温泉を中心にして同病のものばかりから成っていて、結婚も彼らの間で行われる習慣だから、ぼろぼろに朽ちた枯葉の中から若芽の燃え出たように新鮮な子供達も飛び廻っているという。それに村と外部との交渉も軽症患者や全治者などがすることになっているから、すべてがうまくいっているのだとのことであった。

「それでは此の村とも始終誰か往き来はしてるんですね。」

 そう由良は訊くと、勿論、それはしているが此の村へ来る使いの者は患者でも何んでもない、本当の心からの慈善のためにしている美しい婦人だと信者は云って、急に言葉を変えると、あなたはこの湯へよく来る人で筮竹を持って来る人のあるのを知らないかと訊き返した。それで由良はそれなら知っていると答えると、あれがつまりその婦人の父親で、東京から来たたいへんなあれは学者だと説明した。ではあの紳士に紹介された婦人はその奇徳な人であったのかと、由良は先日の婦人の美しくはあるがどこかに隠しきれぬ陰鬱なところのあったのを思い浮べて思いあたるところが多くなった。それにしても東京からわざわざこんな田舎まで来て、いかに慈善だからとはいえ、それほどまでにする婦人と父親との間には、何かそんなにしなければならぬ原因があるにちがいないと由良は思うと、ひどくあの美しい娘に興味が出始めたので、急につめよるように彼の傍へよっていった。

「それじゃあの学者はいつまでもここにいるんですね。僕は先日あの学者からその娘さんを紹介してもらいましたが、よくそれじゃああして尋ねてくるんですね。すぐここで僕は紹介されたんですがどうしてまたわざわざ東京からこんな所へ来たんです?」

 すると、天理教の信者はしばらく黙って由良の顔を見ていたが、そのままだんだん逃げるように由良から遠のいていくと、向う岸の岩の方へ渡っていった。由良はそんなふうに理由もなく急激に変化し出した信者の様子を見ていると、ふと、これはきっとあまりうるさく訊いたので、自分を狂人だと思い出したのにちがいないと気がついた。勿論、由良は、今までから他人に質問をしたり、人のいないときこっそり見られたりすると、ときどき狂人だと疑われたことは一度や二度ではなかったし、それにこんなにいろいろな頭の悪い病人のより集っている所に来ている以上は、自分が人を狂人だと思っているのと同様に人からもそんなに思われることだって、当然なことだと思った。すると、いつも自分が狂人と間違われたときに、相手が周章てふためいた滑稽な状景が思い出されて、自然にそのときの心の一角に波立った微笑が再び湧き上って来て、いくら圧えようと努力しても、笑いは唇をぴくぴく慄わせて突き上げて来るので、ひと思いにもう信者をひっつかまえて、頭から彼の疑いをはっきりと訂正したくなって来て、彼のあとから湯の中を泳いでいった。しかし、由良は信者のそばまで泳ぎついたものの、さて何を彼に云っていいか分らぬので、自然にまたあの学者のことが口から出て、いったいどこにいつもあの人はいるのかと訊いてしまうと、これはしまったと思うと同時にもうまた、にやにや微笑がうかんで来ておさえることが出来なくなった。信者は由良にその学者は橋をわたった向うの大宮という旅宿にいると云うと、直ぐ湯から出ていそいで着物を着はじめた。由良はもう信者を追っていくことは断念したが、いまあの信者に自分が狂人でないと知らせることは、考えれば考えるほどこれはなかなか大事業だと思われた。何か云うしりからこんなに意味もない微笑が浮んで来ては、何を云っても向うは信用してくれないのに定っているし、そうかと云って、いくら自分を狂人ではないと説明したところで、一度そうだと信じ込ませてしまった以上は、もうよほど優れた医者か機械のない限り駄目なのだ。だが、ふと由良はあの信者を信用させるには、「枕」のことを話するにかぎると気が附いた。枕のことを話し出せば、向うも「枕」にかけてはたしかに幾らか狂人じみているのだから、こちらの枕の話に乗り出して自分の正確な頭を感じてくれるにちがいない。そう思うと由良はまたしつこく信者のあとから追っていって、ゆうべ僕はあなたのいつか云ったように、少し堅い枕をして寝てみたところが、どうも少し今日は頭が悪いが矢張り今夜も続けるべきかどうかと訊くと、「ああ、それじゃ、少し枕が堅すぎたんだ。」と、直ぐもうにっこりしながら他愛もなくひっかかって来てしまって、今夜寝るときは枕をよくもんで首の所へあてずに、後頭部の骨へあてて寝よという。もしそれでもいけなければ木枕にせよ、あれは決して静脈を圧えないから一番頭には薬になると云って、もう由良の狂人でないことだけはすっかり疑わなくなってしまったらしかった。それで二人はそこらを散歩しようということになり、湯から並んで降って来ながらも、しばらくはまだ枕のことを話し続けていたが、そのうちにもう良かろうと頃をみて、また由良は学者やその美しい娘のことが知りたくなったので、あのさっき話した学者のことだが、自分は先日あの学者から筮法ぜいほうを習う約束をしておいてまだそのままになっているのだけれども、いずれ筮法を習いに行くからには、あの学者の性質や好みを知っておかねばいろいろ失礼になるようなこともしかねないから、あなたの知っているところを教えてほしいというと、すると信者はまた急に前のように黙って、由良を警戒するように彼から少し放れて歩き出した。それでは信者が自分を狂人だと思ったと感じたのは、何かの自分の思いちがいであったのかと由良は思ったが、それならいったい、何ぜ学者のことを云う度に信者がそんなに子供らしく、急によそよそしい風をするのかますます分らなくなって来て、しばらく由良も考え考え信者と一緒に歩いていった。ところが、信者は由良が黙っているのに向うから、まことにとんでもないと思う頃、自分も前は筮法をすすめられてあの学者の所へかよっていたが、娘が始終夢殿村から来ているのだから、用心をしていないと危いと、口ごもるように云ってから、由良を見返して顔をだんだん赧らめた。それではさっきの理解の出来なかった行動は、尽く信者の嫉妬だったのかと初めて由良もおかしく思ったが、前に自分のしていた位置をとって変って、他人が筮法を習うのをそんなに不愉快に思うのならそれなら此の信者と学者の娘との間には、必ず何事かあったにちがいないと由良は思った。しかし、自分がもしこのまま信者に代って筮法を習うとすれば、あるいはもしかすると、信者の遭遇したそのままの憂き目を見なければならぬともしれたものではないのだから、学者の第何番目かの弟子となろうとするには、たしかに由良は前者の轍の行動も充分に見ておかねばならぬのだった。殊に学者の娘は、もう早や由良の心をその最初に揺り動かしていたように、一見陰鬱な底に不思議な美しさを潜ませているのである。

 それで由良も信者の苦痛がなるほどとはっきり分って来るとそんな気の小さい男なればこそ、こうして頭の病いにもなったのであろうと思われて、なるだけ信者を安心させる工夫をしながら、学者の所へ出入するのはあなたの云うようにそれはなかなか危険なことだと思うから、自分ももう行くことはひかえようと云うと、それはお止しになったが良い、殊にあの学者はときどき狂人になるから何をするかしれないと云って、また喜ばしそうにからからと響く女性的な声を上げて意味もなく笑い出した。ところが、信者は笑いながらだんだん由良の方へ擦りよって来て、あたりがぼうぼうと末を枯らせた秋草ばかりになって来ると、ぴったりと由良に身をよせかけて来て、身もだえするようにくねくね身体をくねらせながら、「あーあ、あたしはあなたとこうして一緒に歩けて嬉しい。」と云い出した。由良は身の毛のよ立つ思いがして引き下ろうとしたが、さも安心しきったように身をよせかけているのを見れば、急に身を引くこともならず、そのまま仕方もなく黙って歩いていくと、「あたしは先日からあなたと一緒になりたくて困ったんだが、漸くこうして一緒になれてこんな嬉しいことはない。どうかこれからいつまでも見捨てずにいただければ、有り難いんだけれど、」と、ふっと歎息をさえもらしてひとり言のようにぶつぶつと云うのである。由良は何ともそれにも答えることが出来ず、腹立たしさを圧えてじっと反対の方ばかりを見ていたが、ふと、学者の娘を此の信者はここらあたりでいつかこれと同じ目にのせたのではないかと思った。それなら定めし娘も困ったことであろうと由良は思うと、あらためて我が身にひき較べながらあたりの草の中を見廻した。しかし、信者も自分を嫌いでそんなことを云っているのではなく、好きなればこそこんな馬鹿な真似までする気になったのであろうから、そうしてみればさきに信者が自分に怒ったのも娘への嫉妬ではなく、もしかしたら変態気味の彼のことなら娘へ心を奪われている自分への嫉妬だったのかも分らないと、今まではっきりしていたこともどっちがどうなのだかまた怪しくなって、いったい自分は此の男にこの先きどうされるのであろうかと、ますます由良はうす気味悪くなって来た。けれども、もともとは由良から信者へ近づいていったのだから、少々の不愉快なことがあっても当分はまア辛抱しなければならぬと思って、草むらのなかをぬけて硫黄がうす黄色く底に溜っている小川に添い、むらむらと水流から立ちのぼっている湯もれの湯気を裾に暖く感じながら、二人はまた小山の中の道へ這入っていった。ところがそこまでいくと、いつの間にやら夢殿村が丁度正面へ廻って来ていて歯朶の葉むらの中からはっきりと現れたので、由良は思わず立ち停った。

「あれは君、夢殿村じゃないですか。」

「そうです。あれは夢殿村ですがここをこう行く道は間道で、一番近い。」

 由良はぎょっと冷めたくなったが、そんなことにはびくともしない信者が傍にいるので、そう無闇に驚くことも出来ず、また信者について歩いていくと、信者は急に、「あれ。」といって振り返って夢殿村の方を指差した。由良は丁度魔物でも見る前兆のような恐怖に襲われていたときとて、はっとして何となく身構えたが、よく見ると信者の顔はにこやかに微笑しているので、何の意味とも分らず由良も夢殿村の方を一緒に見ると、なるほどかすかではあるが、音楽隊の海軍マーチの音がのどかに高原の傾斜面を伝って聞えて来る。

「あれは患者たちが祭りの練習をしているのですよ。」

 そう云うと信者は由良に教えたことが嘘ではなかったのを喜ぶようにまた歩き出した。すると、由良ももうそれからは、奇妙にも今まで夢殿村から無意味におびやかされていた恐怖はなくなってしまって、晩秋の野面に立ったひいらぎの梢から、白い粉のような花がぼろぼろこぼれ落ちて来るあたりの風景までが、しっとりと身に沁み始め、定めし此の間道を伝っていつもあの村から父のところへ来る学者の娘も、幾度もここらあたりで、そんなことまでしなければならぬ人生の冷たい廻り合せに涙を流したことであろうと思われて、「あの学者の娘さんも、こういう所を毎日通わなければならぬというのも、何をしたためか分らないが気の毒なことですね。」と由良は云った。

「そうですとも、まったくあの娘さんは気の毒なんですよ。あれももとはといえば、あの親父がいけないのでさ。」

 信者はそろそろ警戒を由良に解いてしまったものと見えて、それからまた学者のことや娘の身のうえ話をこまごまとし始めた。信者のいう所によると、学者の娘は名を古奈花江といって、資産家の学者古奈教授の長女であるが、あるとき足に腫物が出来て紫色に変色したため、教授は知人の医者に診断して貰いにつれていくと、癩病だとのことであった。それで教授は狼狽しながらもいろいろと考えたが、もうそうなれば他人には親戚といえども相談することは出来ないのだから、思い切って娘がまだ何も知らないのを良いことに、風景の良いところへ連れていってやると瞞しすかして、その夜のうちに自動車に花江を乗せ、この夢殿村までひといきに来てしまって、ほとんど監禁同様そのまま押し込めてしまった。ところが、そのうち一年たち二年たっても、花江は別に何とも異状がないので、もう一度他の医者に診断して貰うと、身体のどこ一点たりとも欠点のあるところはないという。しかし、花江の心は長い間の悲しみのために、もう喜ぶ術を失ってしまっているので、別に喜ばしいことだとも感じなく、そのまま浮世を捨てつづけて夢殿村の病人を看病したり、外界との使いをしたりして今にまでいたっているとのことだった。──由良はその話を聞くと、ひどく打たれて風景も見えないほどぼんやりしたまま黙っていたが、突然、ぷんぷんしながら、「それは親父が悪い。」とひと言いった。

「悪いですとも、あんまりうろたえたからですよ。しかし、それだからあの先生も気狂になったんでしょうが、悪いときには、全く悪く重なっていきますもんですからね。」

 由良の感動した様子を見ると、信者はいままで一度も見せたことのなかったさも分別臭いおお大人のような顔つきをして、急に感慨深そうに小首を傾けるので、由良もむっとして、何を貴様が生意気なっという気になり、いきなりそこへ信者を突き飛ばそうとしたが、何も察せぬ信者のその泰然とした馬鹿顔を見ると、ふと、これもこちらの病気のせいにちがいないと気を沈めて、また由良は信者と並んで山面の平坦な道を何に食わぬ顔をして戻って来た。

 しかし由良は信者から花江の身の上ばなしを聞いてからは、あまりに痛ましくてその話を忘れることに心を用いねばならないほどになってきた。ときどきのうのうと陽にあたって長くなっているときでも、ついその話を思い出すと、世にそれほど気の毒なことがあろうかと、身までつまされて花江の顔が頭から放れがたなくなるのである。もう信者が何と思おうともかまわないから、どうかして自分の心の寸分でも打ちあけて花江を慰めてやりたいものだと思うのだが、そんなことはたとえいくら機会があったところで口へ出しては云えるものでもなし、行為にはなおさら現わすことが出来ぬとすれば、そんならこのままじっとしてさも何も知らぬがようにしていなければ、男女の間の慰めというものは現してはならぬものであろうかと、由良はその冷胆に白白しくしていなければ慎ましさの現れぬ東洋の風習に、むしろいかがわしささえ感じて来た。しかし、そうかと思えばまた一方、あまり奇怪なほどにも花江の姿の浮んで来るときには、これは自分はいつの間にやら花江に心を奪われてしまっているからにちがいないと、早速花江を突き飛ばして、何んのあれしきの不幸で慰めなどとは滅相なと、それより現に夢殿村で藻痒いている多くの患者の方に団扇うちわを上げてはみるのであるが、自分に何の病いもなかったと分って、もう喜びも忘れてしまってそこから動くことも出来ぬという花江の姿には、見ていて感動なしにいられるものはあるであろうかと由良は思った。

 ある日由良は橋際の大宮という家へいって、古奈先生は御在宅かと尋ねると、先日まで風邪で寝ていられたが今日は起きていられるようだとのことなので、先日自分は先生からおまねきにあずかった由良というものだが御面会させてもらえまいかというと、それではとのことで、すぐ古奈教授の部屋へ通された。学者の部屋は八畳で、机の上には算木と筮竹の置いてある傍に、真勢中州伝や文言伝、説卦伝など、易の十翼中の数冊の古本が乱れているだけで、学者は床から這い上って来ると、「どうじゃ。」と由良にいうが早や、もう筮竹を持って端座したまま手馴れた講義のように云い始めた。

「この間は君にどこまで教えたかね。此の筮竹はめどぎといって、一根から数十茎を叢がらせる高さ四五尺の草でやったのが初まりで、六千年前に伏羲という支那の大人物が天地万物を天沢火雷風水山地の八原子の集合とみたて、いかなる事物の変化作用もこの八原子の組み合せ以外には起らないと洞察した。そうしてこれは化学が近代になって空気を物質だと初めて気がついたのに較べると、驚くべき洞察力をもっていたこととも云うべきで、易道が創始されて以来、神農、黄帝、堯舜、以下の聖人達は易をもって神宝とし、もって王道の基礎としたのも道理なのだが、さらに周公のときになって、今まで一千五百年間中に行われた易占の中で、事理に適中したものばかりを集めてこれを纂輯さんしゅうした結果、人間社会の事物はいかに錯雑を極めるといえども、一定の規則に従って変化するものと考えた、その法則の組み合せの変化が、つまり伏羲の八原子を八倍してさらに六倍した三百八十四交なのだから、自然科学と運命学との相違は運命学が人間の精神をも天然自然の事物同様、物質だと考えるところを、自然科学はそうではなく、精神は物質にはあらずして架空の非科学的な不自然物だと考えたところにあって、一般に文明開化の学とされている科学そのものが、この一事でさえもどれほど野蛮な学であるかが分るのだ。それは化学がどんなに細く、たとえば元素が水素からウラニウムにいたるまで、九十二個あるものだと註釈をつけても、それは人間の運命とどんな関係があるのだ。」

「しかし、先生、心理学というのはもう此の頃じゃ、精神を物質として充分取り扱っているとのことじゃありませんか。」

 由良は云わなくとも良いのについそんなに口を辷らすと、学者は急に筮竹で膝を打って、

「そこだ。」と云った。「良いか、心理学というのは、精神を物質として取り扱うにしてもだ。あれは嘘というものを物質として取り扱っているだけで、確然たる直感を物質としているのではない。その証拠に、科学は心理学を心理学として物理科学の中からひき放してしまっているではないか。こんな馬鹿な科学は、人間にとって一番重大な人間の運命の予見ということに対しては、何に一つとして自信の持てたためしがないのである。」

 由良は学者の言葉がだんだん高くなるのを聞いていると、娘を医者の誤診のために生涯生き殺しにしてしまった彼の忿懣ふんまんの一端をそこに感じて、気の毒さに頭を垂れたまま黙ってしまった。学者はそれからはまだしばらく、興奮しながら運命学の科学にまさった諸点を上げ続けていてから、初めてまた物柔らかになると、由良に占の方法を教え始めた。ところが、占筮の法は学者のいままで語った前置きに較べると、はるかに簡単なもので、ただ大道易者のやるように筮竹を割り、算木を置いて現れた卦に判断を下せば良いのであった。しかし、その判断の仕方は、経書中の易辞によらねばならぬので、それがなかなかむずかしかった。そんな易辞をみなひと息に飲み込んで頭を悪くしては、何のための養生か分らぬと由良は思ったので、先ずそれは漸次に暇を見て覚えることとして、「先生、今日はお湯へはいらっしゃいませんか。私がついていますから大丈夫ですよ。」とすすめてみると、学者も喜んでそれではいこうと由良と一緒に外へ出た。外へ出ても学者はまた、占筮は至誠をもって事の吉凶を前知する道術であるから、先ず第一に初学者は身心を清浄にし、静かな部屋に端座して筮竹をとらねばならぬが、君のように十分に修養の出来ているものは場所や環境にかかわらないから、どこで占筮してもかまわないと由良を賞めて、ただ精神統一さえ完全にする工夫さえすれば、もう後のことはどうでも良いと教えたり、孔子の門人三千人の易道に精進した例を上げたり、新井白蛾の勉強振りを話したりして、こと一度易学のことになると、なるほどこれは狂人だと由良も思わざるを得ないほど、学者の熱情は激しくなった。

「先生は御病気になる前はお身体はどんな風でございましたか。」

「わたしの身体は別にどこといって不健康なところはなかったが、学校のものを買うにしても家のものを買うにしても、気の狂う前には、滅茶苦茶に高価な物ばかりを買いあつめた。あなたはどうじゃった?」

 由良は此の学者から自分も同様に今まで狂人だと思われていたのだと思うと、早速に言葉が出ないほどおかしくなった。

 しかし、自分も物を矢鱈やたらに買う気だけは起らないといっても、ときどき理由もなくむらむらと怒ったり、夢を見ても匂いや色をはっきり感じたり、遠い過去の記憶が不意に実感をもって現れたりするところをみると、ひょっとするとこれは今が狂人になる前期の頭の調子かもしれたものではないと、急に笑い事ではなくなって云った。

「わたしの頭は今はまだ大丈夫らしいのですが、何時、突然壊れ出すかもしれないと思いまして、その不安が一番私にはいけないのです。」

「そうだ。その不安はたしかにいかぬぞ、気をつけなさい。わたしは気が狂い出すと押入へ飛び込むのだが、あれは身体が押入へ這入ると、もうそれで肉体が飛び散ることは絶対にないと安心するからなんだ。物は安心するのが何よりだ。あなたも易道に精進すると、安心を得るからだんだん不安がなくなって身体もよくなります。わたしも易占をやり出してからは、物事にもう迷いが起らなくなった。その前にはわたしは砲術を研究しておったのだが、砲身の内側の穴の中には砲弾に威力をつける線条というものがある。あの線条の研究に随分わたしは頭を悩まして、もうこれ以上の科学的条件では現在誰が、いかなる研究をしようとも無駄だという限界までやってみて、さていよいよ実射となると、どうも狂う。狂うのは私が悪いのではなく、科学が悪いのだ。それでとうとう砲術の研究はやめてしまって易占へ這入って来たのだが、科学的限界の効用というものは、易学の限界効用に較べたら、およそ赤児のごとく貧弱極るものだ。あれで毛唐は威張っておるのだから、わたしは一生のうちで、どうかして易の限界威力を毛唐に知らせてやりたいものだと思っている。」

 由良は橋を通り越して坂にかかっても、まだ饒舌り続けている学者の傍で、いつ学者が娘の不幸な身のうえに関して口をすべらすであろうかと待ちかまえているのだが、学者の話はますます深くなって由良の頭を痛めて来るばかりなので、

「先生、今日は科学のお話はそのあたりまでにしといて下さい。頭が少し痛くなりましたから。」と云うと、「頭が痛い。それは悪い。君が頭がいけないのなら、しばらく頭の活動を止めるが良いね。」と学者は云った。

「止めるというと?」

「つまり、しばらく頭の欲するがままに狂わしておくのだ。」

 なる程、狂人になっているのは此の学者にとっては、それは頭に休息を与えておくことになっているのだと由良は感心しながら、「そう頭というものは、自由に自身で狂わすことが出来るものですか。」と質問すると、「それは練習次第で出来る。」と云う。

 しかし、狂うということは自分の意識の狂うことをいうのだから、一度狂ったままに狂いつづけている意識で、その狂いを癒そうと意識することそれ自体が、ますます狂いを廻転させることになるのではないかと由良は思うと、この学者のいうこともあまりあてにはならぬと警戒した。だが、その瞬間、彼は学者の云ったのは、びくびくしている自分を参らすがための皮肉だったのだと気がついた。すると学者が逆にぼんやりとして立ち停ってしまうほど、突然由良は大声でわはッわはッと笑い出した。

「先生、いったい狂人の限界というのは、どういうところにあるんですか?」

 しばらくして由良は自分を皮肉った学者をひとつ刺し返そうと思ってつめよったのであるが、学者は手拭を下げたまま再び坂を登りながら、「狂人の限界というのは、精神が自分の肉体を忘れることをいうのだ。つまり丁度それは自然科学みたいなものだ。」というと由良を後ろに従えて温泉場の方へ近づいていった。この禅坊主の問答のような二人の会話のやりとりで、由良も久しぶりに明るくなって温泉場へ登っていくと、今まで二人の声を聞いて隠れていたのであろう、急に、草むらの中からごそごそ信者が現れて来ると、何思ったのか二人の方に向って嶮しい顔つきをして降りて来た。信者は由良の傍まで近づいて来ると、これ見よといわぬばかりに、露骨に眼光に怒りを含めて由良を睨みつけながら、黙って横を通りぬけた。由良は前に信者ともう学者の所へは行かないと約束してあったことなどすっかり忘れてしまっていたときとて、しばらくはどうしてそんなに信者が怒るのか分らなかったが、ふと気がつくと、そうそうあれかと思って、またおかしさがこらえられなくなり始め、信者を見降ろしながら大口あいてわはッわはッと笑い立てた。すると、信者は振り返ってちらりと由良を睨らみ上げると、手拭で顔を隠して、口惜しそうに坂道を一散に馳け降りたが、丁度信者の身体がもう曲った草むらの中へ見えなくなろうとしたところで、ばったり何かにつまずいて彼は前へそのままつんのめった。由良はあッと云うと笑いをとめたが、事実信者が倒れたのかどうだかはっきり彼の姿が草に隠れて見えないのだから、そこに立ち停ったまま、もう信者の姿が起き上るであろうかどうかと息を殺して見ているといつまでたっても信者の姿は見えないので、また由良は来た道を引き返して信者の方へ降りていった。しかし、信者の姿はもうどこにも見えない。いま倒れたばかりだからそのあたりにいない筈がないのだのに、それに見えないのだから、「鳥羽君、鳥羽君」と由良は呼びながらあたりを廻ってみたが、いつまでたっても何の返事もなかった。それで由良はまた温泉へ戻ると直ぐ湯につかって学者の脊中を流してやりながら、先生は鳥羽君にも筮法を教えられたそうですが、鳥羽君の占筮はよく当りましたかと訊くと、あれは駄目だ、ああいう易は当るも八卦当らぬも八卦といって迷信だと、ひどく簡単にきめつけた。それでは信者と学者との感情のくい違いも、思いの他に大きかったのであろうと由良は想像しながら、第二の弟子がこんなにして先生の肩を流しているのを見たら、定めし信者も怒ることであろうと思って流しをやめて、いつものように仰向きになって、なるだけ首を湯に浸すようにと空を見上げたり、急に枯葉の多くなった山面の明るさに見惚れたりしていると、ふと、歯朶の中から湯の方へ突出している岩影からじっと身をひそめたままこちらを見詰めている信者の頭に気がついた。しかし、そうまでしつこくされると、もう由良もむかむかッと腹が立って来て、信者と約束はしたものの、学者のところへ出入しようとしまいと何もこちらの勝手ではないかと、とうとうそのときから由良は信者を全く無視する決心をしてしまった。

 それからは、由良は暇ある毎に学者のところへいって頭の悪くならない限り、筮法を練習して貰ったり、卦に現れた易辞の判断の仕方を教わったりしてぶらぶらしていたが、恐ろしいもので、凝り出すと易はだんだん興味が深くなり、鹿を追って林中の深さを知るごとく、どこまで研究していったら良いのか分らなくなり始めたのは先ず結構としても、矢鱈に人の運命ばかり判断してやりたくなってきて困り出した。これではなるほど学者もいつか話したように、悪い卦でも出たときには、相手の人は生涯その卦ただ一つのためどんなに苦しむかもしれないと思うと、うっかりしたことは饒舌れなくなって、まったくこれは誠心誠意をもっての他は、職業としてなどやるものではないと思った。学者の話によると、易者達は易を観てもらいに来る多くの客のことを、亡者が来たというそうであるが、何をしたって真面目に考えたら、物事というものは迷わざるを得なくなるにちがいないのだから、一切の運命を明鏡に映すがごとく分り得ると自信している易者たちにとっては、何も分らぬ浮世のふわふわした人間など、生きているものとは思えなく、亡者に見えるのも道理であると由良も思った。しかし、そんなに自分の手で現した卦を重大に考えるのも、人の運命を判断する場合だけであって、学者と由良とが二人でいるときには、練習のために新聞面に現れた小さな事件や、誰にも当りさわりのない村の出来ごとや、自分達二人のその日その日の運命などを判断し合って、どちらが正しく適中するかを競争したりしながら戯れるのを常とした。

 しかし、そんな風に楽しげに由良が学者のところへ出入しているのも、学者を由良が尊敬し敬愛しているからこそではあるが、もう一重底を割ってみれば、実は絶えず学者の不幸な娘のことが気にかかってならなかったからであった。娘の花江は父のところへはときどき夢殿村から来ているのは来ているのであろうが、由良の出かけていく時刻がいつも午後のためか、彼はまだ初めて紹介されてからは一度も花江とは逢わなかった。ところが或る日、夕方になって、由良がもう学者のところから帰って湯へいこうとすると、花江が父のところへやって来た。由良は花江を見ると、どうしたものかまた前のときのようにその場をはずさねば気の毒な気になって、学者にいつものように帰る挨拶をすると、学者は急にまアまアといってひきとめた。それで由良もそれではという気になってまたそのまま腰を落ちつけたが、ふとそのとき、先刻みた自分の卦に、「水、雷、屯」と出たのを由良は思い出した。易辞によると、それは「剛柔始交而難生。動乎険中。」とあって、万事難渋のときなれば隠忍すべし。との意味であった。由良はおかしくなって笑わざるを得なかったが、花江の前で意味もなくげらげら笑うことも出来ないので、笑いにまぎらせて逆に花江に、あなたのお父さんの今日の卦は「天火同人」と出たのですが、これは協同にて事をなすによく、婚姻なるも不貞の惧れありというのだそうです。そこへあなたがいらっしたのだから、今日の先生の卦は落第ですと云った。すると、花江も面白そうに笑いながら、それでも相談事があって今日は来たのですから、そのことだけは上手くいくかもしれませんわと云い返えした。

「しかし、天火同人というのは、上長の命に従って、目下めしたの者には服従するなという意味が一番強いのだぞ。それでも良いか。」

 そう学者は娘に云い返すと、娘も由良も崩れ返って笑ってしまった。ところが、最初の同座でどちらもそんなに大笑いをしてしまったということは、お互の羞しさも警戒も吹き飛ばしてしまったのと同様なのだから、それからはもう一座は和気藹々あいあいとなって、しばらくはなるだけ面白そうな話ばかりを誰も彼も饒舌り出した。けれども、またそうなると、一方今度は内心面白いことばかりを探ろうとするために、あれやこれやと過去の記憶をひっかき廻し、その度に逆に不愉快な記憶をだんだん多くひっかけて来るのを感じると、由良も思わずまた花江親子の不幸な身の上に気がついて、それは一時も早くここを切り上げなければ、いまにこの親子は、あまりの沢山な自分達の過去の不幸に気がついて、わッと泣き出してしまうかもしれないと、そんな細いことにまで気が廻っていらいらとし始めた。

「では、先生、僕は今夜はこれからまだ湯へ這入らなければなりませんから、失礼させて貰います。」

 由良は話の途切れたとき学者と娘にそう云って外へ出て来た。そのときは、もう外は真暗になっていたが、月の光で足もとは充分にはっきりと見えていたので、由良は家へはもどらず、そのまま湯の方へ手拭を肩にひっかけて登っていった。しかし、彼はその坂道を歩きながらも、花江の笑顔の華やかさにひき較べて、彼女が笑いをひそめる刹那の陰鬱な表情を思いうかべると急に心が凍るように冷くなった。恐らく学者も人の父であってみれば、どんなに狂ったことがあるとはいえ、娘を見れば、絶えず娘が誰かと結婚してくれれば良いと思わぬことはなかったであろう。そうしてみれば、若い自分に毎日筮法を教えながらも、娘と自分とを頭の中に二つ並べて、一度も考えないでいられたとは由良には思えないのであった。しかし、そうかといって、もし自分が花江と結婚することでも学者から赦されたら、自分はいったいどうするだろう。──由良はそれには何の返事も出来ずに湯まで来ると、月の光りの底から、水中の石の面へ、ひるのように黒くぴったりと喰っついている一人の男が見えた。由良はもしや信者が学者のところから出て来た自分を知って、先き廻りして来ているのではないかと思ったので、しばらく道から動かぬ水面をじっと見降ろしていたが、月の光だけでは誰だかはっきりと見えないし、それにもしその者が信者であったにしたところで、ここまで来てから引き返すのも信者を恐れているようでそれも出来ず、そのまま由良は裸体になると湯の中へは入っていった。すると、向うを向いて石にくっついていた男は、いつまでたっても最初のままの姿勢でじっとしているので、もしかしたらそれは人ではなく、石か草むらの影が映っているのかもしれないと思い始めたが、しかし、そうは思っても、うす気味悪い感情がだんだん湯の水面といっしょになって、ぴったりと首まで舐めて来始めた。それにあたりは森閑として何の物音一つ聞えず、ただ月光だけが明るく降り注いでいるのであるから、自然に由良もがぼりとも湯の音を立てず、その男が動き出せばこちらもと堅く手を握って湯の中で身構えずにはいられなかった。けれども、そういつまでも向うが動かないと、もうそれでは人ではなかったのだと思ってしまって、しまいには由良もがっかりしたように馬鹿馬鹿しくなった。しかし、ふと、もしこれがいつも此の湯へ来る狂人なら、こちらをかまわずもっと動くにちがいないのに、それに動かずにほとんどそうして隠れるようにしているところを見ると、これはひょっとすると、夢殿村から脱け出て来た患者がこっそり人目を忍んで湯にひたっているのにちがいないと思い出した。すると、その判断がどうやら一番正しいように思えて来たと同時に、きょう出た自分の卦の中の「水」という字の中には、水難の意味のあることまで思いあたって、これはこのままじっとしていれば何事が起るかもしれないと思ったので、由良は急いで湯の中から這い上った。そうして彼は着物をひっかけるように着てから帯を締め締め、俺の八卦もこれはだんだん当るようになって来たぞと、何となく恐ろしく感じながら坂道へ出ようとすると、石の間から、湯につかっていた患者のものであろう、脱ぎ捨てた着物の一端がちょろりと尾のように顔を出しているのをまた見つけた。由良は身が足もとから冷え上るように感じたが、しかし、これだけのことで他愛もなくもうそんなに感じる自分なら、もし花江のような目になって、生涯夢殿村で暮らさねばならぬとしたら、どんなになってしまうか由良は想像することさえ出来なかった。それからは由良は坂道を降りながらも、花江のことをひっきりなしにあれやこれやと頭に浮べながら、此処の坂道を登ったり降りたりするときに限って、どうしてこうもはっきり花江のことが浮んで来るのであろうか、これがもし日毎の習慣にでもなってしまったりした日には、それこそことで、せっかく良くなりかけて来た頭も、またぶち壊いてしまうような結果になるのではないかと由良もそろそろ真面目になって考え出した。

 次の日の夜、由良はまた古奈教授のところへ筮法を習いに出かけていくと、教授は由良に、また一つ新しい事件が起って来たからこの卦をひとつ練習に観てみないかといって云うには、夢殿村の近くの町に電車がもう直ぐ開通するのであるが、夢殿村の患者やその村へ行くものは乗せないことに決議したため、村の患者達は代表を送って町の理事会と交渉を重ねているにもかかわらず、一向に話がうまく進まないので、間に立っているものがやきもきして教授の所へ相談に来たのだとのことであった。それでは昨夜学者のところへ花江の来たのは、そのことであったのかと由良は思ったが、なるほど自分も夢殿村をあれほど恐れたところから考えても、町のものの恐れるのも、恐れることだけならそれは伝統として無理はないと由良は思った。しかし、このあたり一帯の天然の持つ特長のうちで、他の地と一番違って優れた特長といえば、夢殿村の多くの患者達を収容させ得られるということにちがいないのだから、その優れた特長を助けずして土地に電車を通じさせるということは、それは天然自然の意志に反することだと由良は思った。

「それで、先生はもうその卦を御覧になったのですか。」

 と由良は訊ねると、学者はもう自分は昨夜観てしまってあるので、君のとどれほど違って出るか験べてみたいのだと云った。そう云われると、由良も問題が問題で、これはいつものように冗談半分占筮出来ることではないと思って、出来る限り精神を筮竹に籠めて割ろうとしたが、患者達の泡のような身体にとり包まれて、浮き沈みしている哀れな花江の顔が脳中を去来し始めると、なかなか思うようには由良の心は落ちついて来なかった。そのうちに、彼は吸い込んだ息がなくなってだんだんに苦痛が激しくなると、遠くに花江の顔のもう早や消えようとした瞬間を待ってはっとかけ声かけて竹を割った。そうして、彼は初めて卦を立ててみたが、現れた卦の易辞を見ると、「水天需」と出た。これは急進すれば大難あり。急がずば必ず幸運来るというのであるから、夢殿村もそれでは浮かばれるのかもしれないと思って、先生のはどうですかと訊くと、自分のもそれとだいたいが似たようなものだがいくらか違うと学者は云いながら、算木を置き変えて、「風水渙」と置いた。それは憂い悩み消散し、祭祀をなすに吉というのだから、由良の卦ともおおよそ似たようなものなのだ。

「それでは私はもうこれで、先生の代理が出来るわけですかね。ひとつなるだけ早く免状をいただきたいものですね。」

 と由良は笑っていうと、「免状か、それじゃ、そのうちに何とか免状を造っておこう。」ということになって、その夜は由良は学者のところから帰って来た。ところが、由良が外へ出ようとすると、戸口のところにひとり信者がじっと立って由良の顔を睥んでいた。それで由良は黙って信者の前を歩き出すと、信者も由良の後からついて来て、なかなか放れようとしないのである。

「君、何んか用かね。少しうるさいじゃないか。もっとはきはきしてくれないか。」

 由良が人家のなくなった草むらの中まで来たとき、後ろから何をされるかしれないと思ったので振り返ってそう信者にいうと、信者は急に歯を出してにやにや笑い出した。しかし、見ているとそれは笑ったのではなく、怒りのために唇の両端が代るがわる動きを移動させたのにすぎなくて、立っている由良の方へその顔を遠慮もなく近づけて来ると、「八卦を見たぞ。」とひと言いった。

「八卦って何の八卦だ。」

「お前さんのだ。」

 由良はくるりと向き返ると、また信者には黙って歩き出した。歩きながらも、彼は信者の言葉で、信者が自分の運命をいつもこっそり見ていたのだと気がつくと、だんだん後から来る信者が気味悪くなって来た。もし信者からお前はもう直ぐ死ぬぞとでも云われたら、いかにそれは出鱈目だと思ったところで、自分の悪い頭はどんなに暗示を受けて狼狽うろたえ出すかしれないと由良は思ったので、なるだけ早く信者から遠ざかることを心がけたが、信者が自分の卦を見て、怒りながら後からこんなにしつこくついて来るところを見ると、何か信者のそうしていることと現れた卦との間には、必然的な関係があるにちがいないと思われて、ますます由良は自分の行く手が怪しいもので満ち溢れているかのように感じられて来た。そのうちに由良は宿の前まで来たので、急いで中へは入ると信者にはかまわずさっさと自分の部屋へ戻って来たが、ふと部屋の外に、どこからか廻って来た信者が立っていそうに思われたので、窓をがらりと開けてみると、やはり信者はじっとこちらを向いて立っていた。

「君、何か用があるのかね。」

「ちょっと話がしたいんだ。」

「じゃ、ここへは入りなさい。」

 そういうことを云い合っているうちに、外でなくちゃ話が出来ないから外へ出て来てくれと信者はいうので、由良はうるさくなって草履をはいて庭へ出ると、もっと歩こうと信者はいう。それで由良は、このひょろひょろした男になんか何も出来はすまいと思ったので、素手で信者の後からついていくと、裏門を出て高原に続いている野の中へ這入っていってから、急に信者はいつかのようにぴったりと由良にくっついて歩き出した。由良はそれは信者が前に示したように、自分の親密の情を現わさんがためにそんなことをしているのか、それとも、自分に油断をさせておいてこの野の中で危害を加えようと謀んでのためなのかどっちであろうかと迷ったが、信者は今日の卦を見て来てやっているのにちがいないのだから、それでは信者の大願も今夜は定めし成就するのであろうと由良は思うと、ひょろひょろした信者も急に日頃の信者とは違って、強く逞しく見えて来た。すると、しばらくしてから信者は、「由良さんは古奈先生の娘さんと結婚する気があるのかね。」と、ぽつりといって由良の顔を見た。由良はそんな気は少しもないというと、それは本当かという。本当も嘘もまだ先生の娘さんとは二度より逢ったことがないというと、信者は初めてにっこりして、あの古奈先生が近づく若い者に筮法を教えるのは、娘さんと若者とをひっつけようとする手段なのだから、その手に乗ってはならぬと教えておいて、何ぜもっと自分と一緒に遊ぶようにしてくれぬのかと、しばらく別れていた淋しさをまた綿々とのべ始めた。それで由良は信者の威しつけたのも、そんなことであったのかと馬鹿馬鹿しくなって、遊ぶ遊ばないなんてそんな子供げたことを君のように自分は考えたことはないが、君が自分のところへ来てくれるつもりならいつでも喜んでお相手する。しかしどうしてあんなにいつも自分から君は逃げ返ったりしたのかと由良は訊くと、それはあなたとあの古奈先生の娘とは結婚するという卦が出たからだと信者は云った。

「それは君は卦が下手いからだ。」

 そう由良はいって信者の心配を打ち消したが、しかし、それからは、逆に由良に向ってそれだけの心配が新しく襲って来始めた。もし信者の卦に出たように、自分が花江と結婚するような羽目にでもなったとしたら、自分はどうするつもりであろうと、由良はまだそのことについては内心何んの心の準備も出来ていない自分をかえりみて、うろたえないわけにはいかなかった。実際、もしこれが通常の場合であるなら、花江と結婚出来るときかされたら、今直ぐにでも由良は躍り上るほど喜んだにちがいない。しかし、今の花江と結婚するとすれば、──花江が夢殿村に勤めている以上、いずれ遅かれ早かれ、その村の患者と同様な病いに見舞われることは覚悟していなければならぬのだ。そうすれば、ああ──由良は心がほとんど立ち停ったかのように、かつて花江が二年もして後に、その村の病気ではなかったと気附いたときの恐怖が、今初めて由良に感じられて来たのである。まことに、二年の間自分を患者だとばかり思っていて、二年の後にそうではなかったと気が附いたときの喜びと、その後から新しく襲って来た恐怖との振幅ほど大きなものはないであろう。ふたたび街へ出て来たとて、もう伝染してしまっている病いがいつ表面に現れるとも分らず、皮膚一重の下から絶えず恐喝して来るほどなら、住みなれたそこから動き出す気は自分だってなくなるにちがいないと由良は思った。──しかし、いずれにしたって、そんな風にもう早やその大きな恐怖に気づいてしまっている此の自分と、あの花江と、どうして結婚するようになるのだろうと、由良は歩きながらも、自分の分らぬ運命についてしつこく考えざるを得なくなった。殊にちかごろ花江の父が自分にひどく優しくしてくれるのも、自分と花江との運命をもうこっそり判断してしまっていて、そのため一層自分を親切にしていてくれそうにも思われ出して、由良はいよいよ何物かにつけ狙われているかのように身がひき締ってくるのを感じた。

 ところが、由良がそんなに自分の運命についてばかり考え込んで、傍に信者のいることをまったく忘れているとき、急に信者は久し振りだからこれから一緒に湯へ這入ろうと云い出した。そう云われて初めて由良はあたりを見ると、なるほど二人はいつの間にか坂道を上って湯の傍まで来ているので、由良も着物を脱いで湯へつかったが、二人以外にも、真暗だのに舞踏病患者と横見をしたことのない女とが来ていて、舞踏病患者はびりびりと湯の中で慄え続けては、女の傍でときどき何かを飲み込むように奇声を発しながら波を立てていた。横見をしない女はこれは何を考えているのであろう、絶えず自分の二三間前方を見つづけたまま、いつものように誰にも物を云わず腕の上に組み合せた手の上で二つの親指だけをくるくると廻わせているだけなのである。すると、信者も間もなく湯へつかったときのいつもの習慣のままに、頭を湯の中へすっぽりとつけては出しつけては出し、鵜のような真似をしていたかと思うと、不意に水中で由良の足を握って舐め始めた。由良はこれはいよいよ信者も性根を出しだしたと思ったが、まさか蹴りつけるわけにもいかないので、どうすることかしばらくさせるままにさせてみようとじっとしていると、だんだん信者は由良の片足を高く上の方へ上げていった。それで由良は信者の頭を遠方へ押し飛ばして石の上へ這い上ったが、信者は水面へ顔を上げると由良の傍へ近かよって来て、もう少しかんべんしてじっとしていてくれるよう、自分の病いを癒すと思って助けてくれと小声で願うように云うので、何を君はしようとするのか分らぬが、もう僕は御免だ、帰ると由良はいうと、信者は、うろたえて由良の片足を圧えながら、もうちょっと一緒にいてくれ、もう直ぐ出るからと云ったかと思うと、また足へぴたりと唇をつけて、じろりと下から由良の顔を見上げながら舐め始めた。由良は信者の舌が生ぬるく動く度に、身体がぞくぞくするのであるが、こうまでしなければ病気も癒らないものかと哀れになって、しばらく我慢をしていてから、もう良かろうといって足をひくと、信者も待たずに着物を着て帰って来た。帰るみちみち、由良は信者のその夜自分にした行いを考えると、何んだかいままで信者の自分に云ったことは、学者のことも、花江のことも、ことごとく彼ひとりの造りごとのような気がして来て、道のまん中で立ち停ると、もう一度信者に訊き正しに後へ戻ろうかと思ったほど、一切が疑わしくなって来た。

 その翌日、由良は一日学者の所へいくことはやめにして、部屋の中に引き籠っていたが、よく考えてみると、もともと信者の嫉妬がもとで学者のところへいくのを考え出したのだから、そんなことで折角親しくなった学者や花江を警戒し出した自分が馬鹿馬鹿しく思えて来たところへ、今日も今頃はもしかしたら花江が来ているかもしれないと思い始めると、もうそのまま一日とは引っ籠っていることが出来なくなって、また由良は学者のところへ出かけていった。すると、学者はコカインの白い粉を竹の先の綿につけては鼻の奥を掃除しながら、君の卦は当ったぞと云って、先日みた夢殿村の電車問題のことを話してきかせた。その話によると、何んでもあまり町の理事が頑強に反対し続けたので、とうとう夢殿村の患者達は結束して町へ乗り込み、その理事の家へ押しかけていったところが、理事は勿論、警官達も手で患者達をとめるわけにもいかず、まアまアということになってめでたく話はその場で解決したとのことであった。由良はその話を聞くと、町いっぱいに拡った患者達の雲のような顔の中から、花江の姿がいつもよりも活溌に浮んで来て、それなら定めし今頃は、花江も夢殿村で患者達に取り包まれて、祝盃を上げている頃であろうと思った。しかし、そう思うと同時に、彼は自身の卦が当った満足よりも、もし自分が花江と結婚して夢殿村から花江を奪いとってしまうような結果にでもなったなら、患者達はそのままの勢いで、自分へ向って急に押しよせて来るのではあるまいかと、もう早や由良はまだ誰からも頼まれもしない花江との結婚について、いつの間にかひとり頭を巡らせているのであった。──これでは自分は、うっかりすると花江と結婚するのではないか。しかし、あの花江をあのままにしとくのは、何としても気の毒だとそう思う心は、自分からはどうしても消すことは出来ないのだと由良は思った。

 その夜、由良は学者のところから帰って来ると筮竹を出して、こっそり自分と花江との運命をみようとした。しかし、信者にひとこと花江と自分のことを云われただけで、それ以来、こんなにも急激に花江のことを思い出した自分なら、もし自分のみた卦に花江と結婚するとでも出てしまったら、自分の心はいよいよその卦のままに動き出しそうに由良には思われてならなかった。ことに、その日は自分のみた夢殿村の卦が美事に当って、由良には自信が出始めて来ているのだ。自信が出れば卦はますます当りがついていくのである。由良はだんだん何とも知れない底深い恐れを感じて来ると、持っていた筮竹を押入の中に押し込んでそのまま寝てしまったが、寝るまえに頭に浮べていた花江の姿は、その日聞いた夢殿村の刺戟の強い話のせいでもあろう、彼がすっかり眠ってしまっても、まだ由良の眠りの中へひっきりなしに現れて来始めた。そればかりか、眼を醒していたときの花江とはちがって、眠っていると頭の病いに襲われてからの特長である夢が、生き生きと色も匂いも失わずに花江の姿を浮べて来るのだ。そうなると、由良も起きているときよりも眠っているときの方が楽しみなことは楽しみであるが、ときどき草むらの中を歩いている花江の足に、べっとりと濡れた皮膚のひっついた着物がからんで来たり、それを下駄で踏みつけてとろうとする由良の足へ、その着物が今度はへばりついて来て放れなかったりして、由良も思わず汗をかいて眼を醒した。しかし、夜がしらじら明ける頃になると、もう夜が間もなく明けるのだと由良は思いながらも、まだ花江の姿がきれぎれに夢の中に浮んで来て、そんなに早く夜が明けては困るのにと、そわそわ眠りながらし出すほど由良はいつの間にか花江としたしくなってしまった。

 次の日、由良は眼を醒してから朝日の光りの中であたりの様子を見廻していると、急に長い年月の間花江と一緒に生活していたような気がして来て、これはもしこの次でも花江に逢ったら、もう今までのようには白白しくしていることも出来なくなって、また初めて彼女と逢ったときのようにまごまごしなければならぬであろうと思った。しかし、そういうことは考えようによっては花江との結婚をますます確実にしていく縛りとなるだけなのだから、由良もこれはいま急に油断をしてはもう逃げることも出来なくなりそうな気がして来て、それではなるだけ花江へ近づく自分の運命を狂わそうと骨折らなければおれなくなった。全くもし花江と結婚でもしなければならなくなって、彼女も自分もいつかは最後に夢殿村へ這入らなければならぬとしたら、親兄弟は勿論、親戚へまでも生涯迷惑をかけ通さなければならぬのだ。由良はそれからしばらくはまた学者のところへいくことをひかえていたばかりではない、もうそろそろ頭もよほど恢復して来たから、東京へひき上げる準備をしなければならぬと思って、花江のことも漸く心の中心へ近づけない工夫に成功し始めて来ると、或る夜、突然また由良はぱったり花江と出逢ってしまった。そのときはもう外が真暗で、由良が散歩かたがた湯へ行こうとすると、丁度学者のところから夢殿村へ帰ろうとする花江と道の中央で出逢ったのだ。由良は花江と眼を合せると、思わずどちらも立ち停ったが、何もどちらも云うことがないのを感じると、そのまま二人はまた会釈をして行きすぎた。しかし、由良は花江が小腰をかがめて真暗な中を、提灯を下げてしょぼしょぼ一人歩いていくのを見ると、あれが自分の妻になる娘だったのかと思った。すると、由良は自然に胸がつまって来て、さきほどまで彼女につれなくしようと努力して来ただけに、一層もろく花江に吸いよせられると、すぐ彼女の後をふらふら追っていかざるを得なくなった。

「花江さん、花江さん。」

 彼はそう後ろから呼ぶと同時に、もうこれは、うっかりすると自分も駄目だと思いながら、「こう暗くちゃいけませんから、そのあたりまでお送りしましょう。」と云った。

「いえ、いいんでございますの。道はよくあたくし存じているんでございますの。」

 しかし、由良は花江と並んで歩いていきながら、ふと、ここまでの親切なら、恐らく今までだって、信者も花江にしたであろうし、その前の学者の弟子たちも幾度となくしたことであろうと思った。もし自分が彼らよりも強く花江を愛せずにはいられないなら、彼女のいくところまで行って、その一番恐るべき村の中へまでもいかなければならぬにちがいはないのだ。──しかし、自分は、と由良は考えると、とても夢殿村の中まで花江と一緒にこのままでは這入っていけそうには思えなかった。

「では、ありがとうございました。もうここで結構でございますわ。馬車が直ぐここへ参りますから。」

 しかし、由良は花江のそう云うのには黙って、怒ったようにぼつりとして立っていたが、彼女がそんなに云うのも、恐らく花江の行くところを自分に見せる不快さもあるのであろうと気がつくと、それでは今夜はもうこのまま別れて帰ろうと由良は思った。しかし、もうここまで来れば、自分が彼女の何者であるかを知っているのだと、むしろこちらから花江に知らせてやる方法はないものかとさえ思っているときとて、そのまま由良は立ち去りかねて花江と一緒に立っていると、間もなく遠くの木枯の中からかたかたと馬車の音が聞えて来た。すると、花江はまたしきりに帰ってくれと由良に云い出したので、由良もそれ以上とまっているのは、もうこちらが明らかに花江に好意を持たれていると図に乗っているのと同様なのだから、「それではここで失礼させてもらいますが、何か東京の方へは御用事でもありましたら、仰言って下さい。」というと、それも今は何もないといって、ただもうその場から帰ってくれれば何よりだというかのように花江はそわそわするばかりなので、それも無理はなかろうと由良は思って彼女と別れて帰って来た。しかし、花江から見えなくなったと思われるあたりまで来たとき、由良はそこの草の中に立ち停って花江の方を見ていると、誰も人を乗せずに傾きながら近づいて来た小さなぼろ馬車に花江が乗って、ふっと提灯を吹き消すのが眼についた。そうして、やがてまたかたかたと草原の中の石ころ道を走り出した馬車と一緒に、ほっと吐息をついているかのように柱にもたれて揺れていく花江の姿を見送っていると、由良は吹きつけて来た木枯に面を打たせたまま、もうおれもこれはどう藻痒こうと、花江から放れることがとうてい出来そうにもないと強く思った。

底本:「愛の挨拶・馬車・純粋小説論」講談社文芸文庫、講談社

   1993(平成5)年510日第1刷発行

   1999(平成11)年512日第3刷発行

底本の親本:「定本横光利一全集 第四巻」河出書房新社

   1981(昭和56)年1030日初版発行

初出:「改造 第十四巻第一号」

   1931(昭和7)年11日発行

入力:土屋隆

校正:mitocho

2018年225日作成

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