くつは虫
田山録弥


 種族が異つても、国が異つても、文化が異つても、矢張人間だから、考へることが似たり寄つたりである。それを思ふと、今更ながら最初にかへることが必要だといふ気がする。経文あつての仏法ではない。また哲学あつての思索ではない。もつと先の先にその縁り起つて来る原始的本体があるのである。それに注目せよ。


         


 華厳を読むと、いろいろと面白いことがあるが、先づ打たれるのは、雑多紛々の人生である。その雑多紛々の人生の記録である。そこには仏菩薩が無限にゐる。誰も彼も菩薩であると言つて好いくらゐに沢山に場に上つて来る。つまり盲目なる人生の河である。そこに文殊師利があらはれる。そしていろいろな菩薩の言葉や心持を統一する。即ち主観の発現である。しかし普賢菩薩(客観)の現はれて来るのは、まだまだぐつとあとである。さまざまの混乱と紛糾を画して、流石の文殊師利にも何うにもならないやうなすさまじい場景を幾つも幾つも展開してからである。それにしてもその普賢菩薩の出現して来た時の大きな場景を私はいつでもはつきり思ひ起した。


         


 客観(普賢)があらはれて来て、始めて人間はその人間の大きさを、単なる物ではないことを、宇宙のリズムに合致してゐることを、自分は自分ばかりではないといふことを、人間であると同時に宇宙の存在であるといふことを知るやうになる。つまり自己を始めて空間に置いて見るといふことになる。そこに行つて、始めて自己がわかり、他がわかり、他の存在がわかる。即ち自己を他の中に発見し、また他を自己の中に発見するといふ心の境である。さうなればもはや盲目の人生の河に泳いでゐるものではなくなる。この功徳は取りも直さず普賢菩薩の賜であると言つて然るべきであらう。


         


 饒舌するものよ。少しく静かであれ。争ふものよ。暫くその叫びを止めよ。争ひは単に争ふがためにあるものではない。闘ふものは単に闘ふためにあるものではない。底に流れてゐるもののいかに静かで且つ厳かであるかを見よ。


         


 自己がわかり他の存在がわかるといふことの上にのみ本当の自由があり、本当の独立があり、本当の人生がある。


         


 言ふだけのことを言つて聞くだけのことを聞く。その先きは何うにもならない。人間がどうにもならないやうに何うにもならない。そこを深く攫むことが肝心である。そこを本当につかんでゐさへすれば、敵の重囲の中にゐてもびくともするものではない。


         


 怒るのも、悲しむのも、笑ふのも、また不快に思ふのも、多くはその外面の理由だけで解釈されるべきものではない。皆その縁つて来るところがあるものである。それはその時は激情に捉へられてゐてわからなくとも、ある期間時を置けば、必ずはつきりとして来るものである。あゝあの時はあゝいふことがあつた、かういふことがあつた、そのためあゝいふ風に怒つたり悲しんだりしたのだといふやうにわかつて来るものである。時といふものの大切なことを私は度々痛感したが、これも普賢菩薩の大きな功徳の一つと言つて差支へないと思ふ。


         


 百尺竿頭一歩を進めよといふ言葉がある。唯一歩である。普通に考へてゐる境から唯一歩を進めれば好いのである。反射して来た対象物に唯一歩深く入つて行けば好いのである。さうすれば、いろいろな世界が開けて行つて、人の心が具象的に不思議な絵になつて見えて来る。言はない言葉がはつきりと耳についてきこえて来る。あらはれるべくしてしかもまだあらはれないものがはつきりとそこに出て来る。


         


 作は完結すべきものではあるまい。何故といふのに、この人生は決して完結してゐないからである。一つから一つへと絶えず心が縁り起つて、無窮に活動をつゞけて行つてゐるからである。菩提のあとに煩悩が来り、煩悩のあとに菩提が来り、更にまた菩提のあとに煩悩が来るといふ風であるからである。刹那と永劫とが全く違つた言ひあらはし方であつて、そして同時に同じものであるからである。


         


 二つのものがあつて、それが全く異つてゐて、しかもそれを追求するといつか同じになつてゐるのなども不思議と言へば不思議だ。

底本:「定本 花袋全集 第二十三巻」臨川書店

   1995(平成7)年310日発行

底本の親本:「花袋随筆」博文館

   1928(昭和3)年530

初出:「不同調 第一年第四号」

   1925(大正14)年101

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:岡村和彦

2019年528日作成

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