難船
原民喜



 ひどい家だ、ひどい嵐だ、崖の上にのつかってゐるそのボロボロの家は、難破船のやうに傾いてゐる。──今顛覆するか、もう今か、と思ひながら、ゴーと唸って雨戸にぶつっかる砂塵の音に寝そびれながら、彼は少し愉しいのだから変だ。彼は夢をみてゐるのであった。たったこの間まで目抜きの場所へ店を構へて、彼は山と積んだ負債を切抜けてゐたのだった。明日破産するか、来月は駄目かと思ひながら、彼は半生を頑張り通した。彼は号外が好きだった。何か素晴らしい事件が一枚の紙片から発生しはすまいかと、何時も待ち構へた。毎朝目が覚めると、世の中はどうなるのかと不安に脅えた。

 しかし今彼は破産してしまって、郊外の破屋あばらやに棲んでゐるのであった。女房も丁稚もゐなかった。なにくそ、大丈夫だ、この家が顛覆するなら、してみろと彼はおびえながら闇の中で力み返った。あたかも女房や丁稚がまだその家にゐるやうな錯覚で、老いた彼はまだ一つの張りを持ってゐた。

底本:「普及版 原民喜全集第一巻」芳賀書店

   1966(昭和41)年215日初版発行

入力:蒋龍

校正:伊藤時也

2013年124日作成

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